仁平雛

作者:東公彦

 岡城市は政府の曰く『ゆるやかな回復傾向にある経済状態』とは無縁である。特にバイパスにあたる国道から通りを数本隔てた三辻通り商店街は活気とは無縁であった。
 かつてあった営みの影を濃く残しながら、この緩やかな坂道に沿って作られた商店街は死病におかされた罹患者さながら、息をひそめ朝陽から身をよじるようにしてひっそりとそこにあった。
 錆びたトタン壁。色褪せて何が描かれていたか知れない看板。風が吹けばシャッターが一斉にガタガタと歯を鳴らす。
 しかし商店街を母胎として生計と営みを共にする者にとって、この末期患者をただ看取るなど考えられないことだ。
 そこで思いついたのが等身大の雛壇作りである。廃業したブティックのマネキンに五衣などを着せて様々に飾りつける、小さな商店街の起死回生をかけた大きな計画。
 しかしながら、計画は思いもよらぬ形で頓挫することとなった。瓦礫の山、踏みつぶされた民家、炎が大地を走ったあとがそこここに窺える。絹を裂くような生々しい悲鳴は既になく、人気の途絶えた商店街には、なぜだろう、妙な色合いをみせる着物だけが入念に引き裂かれていた。
 突如として三辻通り商店街に現れた巨大な獣のダモクレスは、羽虫を潰すように人々の命と街の歴史を奪い去り、より多くのグラビティチェインを求めて蠢動をはじめた。


「っとと。やぁやぁ、集まってくれてありがとうね。早速説明させてもらうよ」
 湯気をあげるコーヒーを片手に、正太郎は気安く手をあげてどすりと椅子に腰をおろした。
「過去に封印された巨大なダモクレスが再び姿を現したみたいなんだ。場所は岡城市っていう……まぁ、いわゆる地方都市ってやつだね。えーと、この個体の体長はおよそ7、8m。休眠期間の長かったせいか本来の機能を失っているけれど、グラビティチェインを手に入れ次第、それらの能力は復活するはずだよ。その前に叩く必要があるんだけど……」
 言って苦い顔でカップから口を離す。
「実はこの仕事には時間制限があるんだ。この個体は動き出してから7分で魔空回廊に撤退してしまう。つまり……タイムリミットは7分ってことだね。あらかじめ避難は済ませておくし、街の損壊はヒールで修復可能だから、みんなには思う存分に戦ってもらえるんだけど、まぁ注意点も多いってわけなんだよねぇ」
 ひとつおおきく唸って、正太郎はコーヒーを飲みほした。眉間にぐっとしわが寄って、景気の悪い顔が出来あがった。
「強力な敵、タイムリミット。加えて大型のダモクレス特有なのかな? この個体は一度だけ、全てのエネルギーを注ぎこんだフルパワーの攻撃を行う事ができるみたいなんだ。奥の手の例にもれず諸刃の剣ってやつで、ダモクレス自身にも力がオーバーフロウしてしまうようだね。裏返せば、それだけの威力を誇る攻撃ってことだよ。どこかに活路を見いだせればいいけれど……」
 しばし正太郎は言葉を呑んで押し黙った。妙案など思い浮かばなかったのだろう、すぐさま「それと」と口を開いた。
「個体は何故かひな祭りの装いをしたマネキンを念入りに壊していたんだ。グラビティチェインを持っているわけでもないのに……。もしかしたらこの個体は、お内裏様やお雛様みたいな出で立ちの人型のものを執拗に狙うのかもしれないね。その習性をつかえば多少なり攻撃や進攻路を限定できるのかなぁ?」
 末尾に疑問符をつけて正太郎は立ち上がった。そしてぐるり、集まった一同に視線を送った。
「このダモクレスが完全な復活を果たしてしまえば被害は計り知れないものになる……みんなを頼りにするばかりで申し訳ないけど、ヌエの凶行を阻止してほしい」


参加者
伏見・万(万獣の檻・e02075)
神崎・晟(熱烈峻厳・e02896)
癒月・和(繋いだその手を離さぬように・e05458)
ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)
湯川・麻亜弥(大海原の守護者・e20324)
朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)
柄倉・清春(大菩薩峠・e85251)

■リプレイ

 地響きを伴う足音が徐々に近づいてくる。ずん、ずん。腹の奥に響く振動は鼓動と繋がって、せわしなく胸中をかきたてた。
 間断のない銃声。灼けるような背の痛み。それでも息の続くかぎり駆け抜けて、朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)はヌエの眼前から脇の路地裏に飛び込んだ。追いたてる蛇の尾には黒鎖が絡みついた。
「ククク。バカみてぇにデケーから頭が回らねえし、こんな罠にも気づかねえんだよ」
 柄倉・清春(大菩薩峠・e85251)は獰猛な獣を手なずけるごとく腕に巻きつけた鎖を引いた。その隙に環は靴底を強く地面に口づけさせた。
「大きな灯をっ――つけますよっ!」
 突如地面がたわみ、大通りに突風が吹き抜けた。しかし本命の爆風は絶対零度の冷気を友として竜巻さながらの渦を巻きながら上空へと噴きあがる。ヌエは巨大であるが故に『地雷式・魔訶青蓮』の生み出したエネルギーを受け流すことが出来ず、噴出した膨大な冷気は一瞬にして巨大な一肢を氷塊さながらに凍りつかせた。
「妖怪なら本当は悪霊退散! がいいんでしょうけど……まっ細かいことは気にしないってことでひとつ!」
「ハハッ、いいねぇ。オレも単純にぶっ潰す方が性に合ってるわ!」
 環の言葉に清春は歯をみせて二の腕に力を込めた。

「好機は逃さんっ!」
 爆風のつくった上昇気流に翼をのせた神崎・晟(熱烈峻厳・e02896)は、一転、上空から流星のように降り落ちて、足掻くヌエの背に両脚を叩きつけた。計り知れない衝撃に鋼の背がくの字に軋み、ヌエの巨体がずっと沈んだ。
 金柄頭の立派な拵えの太刀を腰に手挟み、袍袴に身を包む晟は近衛武官である随身そのものであった。ヌエは怒りの眼差しを背にのる怨敵に向けたが、刹那逡巡し、地を疾駆して迫る敵影目掛けて巨脚を振り落とした。
 だが影は忽然と姿を消した。
 尾が封じられているいま、ハル・エーヴィヒカイト(閃花の剣精・e11231)は頭上から降り落ちてくる脚にだけ気を払えばよかった。
「鵺。かつて平安京を騒がせた妖怪の名を冠する機械獣か」
 再び迫る巨脚から小さく跳んで身をかわすと、背がドっと壁にもたれた。いや壁ではない。それは規則正しい鼓動をうっていた。
「たしか、混ざりモンの獣だっけか? 混ざりモンのパチモンたァ、ちょいと複雑すぎやしねえか」
 伏見・万(万獣の檻・e02075)が背中合わせに呟いた。その声に小さな感傷が含まれていたのは聞き間違いだろうか。ツギハギだらけの獣は何か考えてここに立つのか。気にはなったが聞けば野暮だろうとハルは口をつぐんだ。
「あるいは。かつての京を騒がせたのもこいつだったのか……」
 口ぶりが真面目にすぎたので、万はぎょっと目を剥いて首をめぐらせた。
「あァ? んなわけ――」
 言いかけて弾けたように二人は飛び退いた。一寸前までいた地点に巨脚が突き刺さる。ハルは地面を一つ回転して起き上がると、居合の要領で素早く『境界剣久遠』を振るった。普通の人間ならば刃の後塵しか拝めぬような抜き打ちである。
 真紅の剣は美しい軌跡を描き、寸分の狂いもなく巨脚の関節部を削ぎ切った。拳大にあいた小さな穴からヌエの体内が窺えた。
 万が口笛を吹いた。ヌエが非常に精巧な機械であることは剥きだした内部を見れば、疎い万でも容易に理解できた。作れと言われれば諸手をあげるしかない類の、だが壊すならお手の物である。
「弱点なんざどんな生きもんでも一緒でな、外は鍛えられたって臓物(なか)はそうはいかねェんだよ!!」
 万は内部に伸びる幾本かのパイプのようなコードを掴むと、力任せに引きちぎった「オォォ―ン」彼の期待を裏切らぬ、生木を裂かれたような悲鳴があがる。
「伏見さん!」
 同時にヌエの咆哮を切り裂いて癒月・和(繋いだその手を離さぬように・e05458)の鋭い声も飛んだ。和は万を突き飛ばすようにして位置を入れ替え、杖を振るった。杖の先端から放たれた雷が被膜のように壁を作る。次の瞬間、むせかえるほどの炎がヌエの胴体から迸った。
 炎は雷壁ごと和を呑みこんで吹き飛ばすと、白昼夢のように一瞬で霧散した。
「ってて――」鋭い痛みにうめき声がもれる。
「和さん、こちらに」
 湯川・麻亜弥(大海原の守護者・e20324)の肩をかりて、和は外壁の残骸に身を隠した。熱傷の疼くような、かゆいような痛みは正直身に堪える。
「すぐに治しますから」
 麻亜弥が口にしたとき、けたたましくアラームが鳴りだした。
「もう3分なんですね」痛々しく腫れる白い肌に両掌をかざして麻亜弥が言った。目を閉じたまま和は返した。
「そうだね、やっと3分だ」
 頬についた煤や土煙を肩でぬぐってから、あっと和は気づく。袖や裾を短く切りとって動き易くしたきらびやかな唐衣は、いまやそこここに汚れが目立っていた。3分間の戦いの全てがそこには刻まれているようであった。
「まったくさ、随分とコレにご執心みたいだねぇ。実はヌエも女の子で、自分も着てみたいとか?」
 汚れてしまった丸袖を振るい、ぼやくように和が声にする。想像して、麻亜弥はくすりとした。
 ヌエは番犬達の目論見通り、衣装に誘導される形でいまは大型の国道を真っすぐに進行している。予想外であったのはヌエの執念とも言うべきか。執拗に狙われ続けた環や和は3分の間というもの走って跳んでと休む間もなく生傷を負い続けていた。ついでヌエの動きは鈍重であっても、その装甲は非常に硬質であり刃は容易に届かない。故に番犬達は守勢に回りつつ攻撃を重ねていくしかなかった。
 だが、この金城鉄壁の機械獣にも遂に一穴が穿たれた。それを易々と見逃しはしない。
 朦々と熱気たちこめる地表をローレライ・ウィッシュスター(白羊の盾・e00352)は風のように駆け抜けた。身を挺して主の盾となった『シュテルネ』を横目で見送り――ありがとう、シュテルネ。と、ローレライは心のなかで小さく呟いた。しかしその瞳は爛々とヌエに注がれている。
 ヌエの腹の下に滑り込んで『An die Freude』の砲身を立ち上げる。止める手立てはない。砲弾は吸い込まれるように露出した関節部に炸裂し巨大な脚を吹き飛ばした。番犬達の耳に慟哭じみた叫びがこだまする。
 人的被害が出る前にどうにかして倒さなければならない。死者とは違い、生者は悲しみを背負うしかない。個々人が喪失に見合ったナニカを探し出そうとする悲痛な顔、生きる力を失った肢体。そんなものはもう誰にも作らせない。
「ここであなたを止める、絶対に!」
 いま一発の砲火によって反撃の狼煙があがった。


「ハッハーっ!」
 清春は哄笑と共に『獣の骨』を打ちつけた。横合いからの突然の衝撃が、振り払われた巨脚の指向性を僅かに変える。ハルは咄嗟に頭を沈めた。白亜の髪を凄まじい風圧がなぶり、巨脚は頭のかわりにマンションの外壁を叩き砕いた。
「あー?よそ見してんじゃねえよ色男」
「すまん」
 短く返しながら、ハルは切っ先の厚い杭のような刀身を巨脚に点々と打ち込んだ。それらを足掛かりに跳躍、舞うように諸手を振るい腹を切り裂く。
「だが意外だな。すすんで誰かを助けるようには見えなかったが……」
「ククク、敵をぶっ潰すための駒をわざわざ捨てるこたぁねーだろが。それに戦いが長引くとカワイイ子ちゃんが傷つくからな!」
 叫びながら清春は打ちこまれた剣の柄を金槌よろしく得物で叩きつけた。ずぶり、刃が深く埋まり火花が散った。ヌエが胴を震わせて痛みにもだえる。
 俺が思っていたより冷静なやつのようだ。小さく呟いてハルはヌエの腹の下から抜け出た。追って機銃がけたたましく咆える。銃弾が頬を削ぎ、赤い滴が伝って落ちる。
 男女も善悪も関係ない。ここに立つ以上は皆頼れる戦友である。故に己の役割を把握し、全力を以て果たす。だから――、
「守りは任せたぞ。環」
「はいっ、任されましたー!」
 鉤裂きになった十二単の裾口をはためかせて、環が蛇の尾の前に立ちはだかった。鉄塊と見紛う大槌『BUCHI』を前面にかざし、左右へ小刻みに体を揺らしながら機銃掃射をいなして直進する。策など講じず、身軽さひとつで尾に肉薄してゆく。
「こんっっのぉ!」
 間合いに入れば獣のようにうなり、環は尾の頭へと鎚頭を叩きつけた。鋭い凹凸が機銃を砕き潰し、弾けた金属片が宙を舞う。
「これ以上、どっかの替え歌みたいな物騒なひなまつりは御免ですよっ」
 ひとつ毒づいて環は即座に半身に構えた。反撃を想定しての動きであったが――それは杞憂に終わった。ドウタヌキが噴出する前に『ラグナル』が環の襟首を掴んで飛び去ったからだ。遅れて吹き荒れた炎は口惜しそうに赤い舌をチロリと上空へ蠢かすも、不意に流れてきた歌声に掻き消されるように消滅した。
 声はさざ波打ち寄せる海岸を思い起こさせた。波音や潮のにおい、ひんやりと濡れた砂地の触感まで甦る――血生臭い戦場にはおおよそ似つかわしくない歌声。
 しかし麻亜弥がか細い喉を震わせるたびに番犬達の心に、身体に、歌は深くしみこんで戦いの血潮を洗い流す。歌声は雄弁に語る。生きる力を、意味を、罪を、喜びを。決して仲間を傷つけさせないという、彼女の想いを。
 脳裏に鮮やかに映し出される白砂青松の風景に、とりわけ晟の気分は高揚した。
 歌声を背に、水を得た魚のごとく翼を広げた蒼竜は大空という広大な海原を闊達に飛び回った。一度上空から迫ると見せかけて間合いを切り、ヌエの腹の下に潜りこむ。もちまえの巨躯をしならせて蒼竜之錨鎚【溟】を意気揚々と振り抜いた。
「素晴らしい歌声だ湯川君。身体がこうも軽いとはな!」
 晟が羽のように軽々と躍動する様は不思議な光景であった。錨型の剛鎚がヌエを打ち据える。鎖を振りまわし、慣性をつけた一撃が脳天に突きささる。それらが炸裂した箇所から氷の結晶が弾け、音を立てながら結合してヌエに纏わりついた。
「それじゃァ、こっちも派手に行くかァ!」
 ギラリと光った万の眼差しは肉食獣のそれであった。ある獣の姿を写しとった『Imitation beast』から無数の影が別たれて、むくりと地面から体を起こした。黒獣達は獰猛に歯を剥きだし、その咢にかかる獲物を心待ちにしている。万はスキットルから酒を飲み下し、からっぽの腹を熱く満たしてから『百の獣牙』に号令を送った。
「容赦はいらねェ。喰らってやれやっっ!」
 獣達は一斉に動き出した。鎖のように上半身を伸ばしてヌエの各所に巻き付き噛みつき、動きを封じた。
「見事だ、伏見。であれば我も倣うとしよう!」とローレライが素直に感嘆したものの「なんだこりゃァ……」万は目を丸くして呟いた。
 とはいえ、酒が楽しければ人生の悲哀など気にならぬ万である。あの獣同様に黒獣の形も千変なのだろうとすんなり疑問符を腹におとした。
 さて、これを冴えた策であると曲解したのはいささかローレライの早合点だが、結果としてそれは戦況を見極めた一手となった。
 ローレライが腰だめに剣を振り抜く度に、ヌエの四肢や胴にへばりついた氷は嵩をまして結合を早めた。振りほどかんと四肢を屹立させても黒獣達が体を締め上げて押さえつける。ヌエはもはや檻のなかの獣であった。
「よし、これならいけそうだね」
 戦局を俯瞰していた和がひとりごちる。度重なる攻撃にヌエは明らかに疲弊している。厄介な装甲と身動きを封じれば、もう残された手なんて――。
 ぞくり。悪寒に尻尾が粟立つ「まずい……」大きな力の高まりを感じて和は叫んだ「あいつっ、サカシラを使う気だよ!」
 しかして番犬達は一斉にヌエの死角に入るべく動き出した。そんななかで一つだけ、小さな影がヌエの眼前に立ちはだかった。
 和は息を呑んだ。朱藤さん――。
 くせッ毛を弾ませて、ボロボロの十二単を引きずって、小さな体で環は威嚇するように異形の機械獣を睨み付けていた。ヌエの咽頭からパラボラアンテナのような装置がせり出す、その中心にぴったりと環がおさまった。
 頭で考えるよりもはやく和は駆けだしていた。サカシラが禍々しい光を帯びる。
 もっと――もっと早く走れ! 焦燥感が背中を駆けあがる。
 和は両手に抱えたバスターライフルを構えた。引金をひいた瞬間、目の前が光に包まれて、フッと意識が吹き飛んだ。


 最初に感じたのは額の心地よい冷たさだった。ぼんやりと目を開くと、環の顔を覗きこんでいた和が安堵の微笑をたたえた。
「よかった。気がついたみたいだね」
「私、どうして……」
 体を起こそうとした途端、思い出したように体が大仰な悲鳴をあげて、環は強烈な痛みにうめいた。
「そうだ、私サカシラに……」
 痛みが鮮明に記憶を呼び覚ます。しかし覚えているのは圧倒的な光と、熱と衝撃だけだった。環は首を巡らせて「えっ――」と絶句した。
 灰色のビルや大小問わずの店舗が並んでいた国道沿い、その一角が歪に抉り取られて崩壊していた。あまりの熱量に道路の一部はとろけて液状化し、嫌な臭いがつんと二人の鼻をつく。
「ボクも信じられないよ。あれを受けて生きてるなんてね」
 口から煙を吐き出して、和は煙管の雁首を地面に打ちつけた。ゼログラビトンで僅かに減衰したエネルギー、りかーが纏わせたグラビティの鎧、そしてサカシラの使用を想定した装具品。運が良かったのか、作戦勝ちと誇るべきだろうか。
「それにしても朱藤さん、よくアレに飛び込もうと思ったね。普通なら二の足ふむよ?」
「そりゃ怖かったですけど……全力でお守りします、なんて見栄をきっちゃいましたから」
「ふふっ。じゃぁ、なお立派だね」
 環が恥じらうように耳を垂らした「そんなことないっ……です。それを言ったら癒月さんだって」
「ボクはお姉さんやからね。若い子を守るのに理由なんてないんよ」
 和の口からぽろりとこぼれた関西弁に環は首を傾げた。ついで自分より10cmも背丈の小さなお姉さんにも。
「お二人とも、意識は戻っても傷は深いんですよ? そろそろお話はやめてしっかりと治療をうけてください」
 一番の年長者よろしく麻亜弥がパンパンと手を叩いた。


 駆けつけたい気持ちは山々であった。だが身を挺して仲間を守った環に言葉をかけるのは、あくまでも戦いを終えた後こそ相応しいと晟は考えた。いまここで敵に背を向けなどしたら、雷が落ちるのはヌエではなく自分かもしれない。
「いざ、参るぞ!」
 裂帛の気合いを一つかけて憂慮を吹き飛ばすと、晟は筋骨逞しき肉体に青筋をたてた。半長靴が駆動をはじめ、ジジィッと火花が散ると晟は一つの稲妻のように地上に蒼い光の線を残した。研ぎ澄まされた『蒼竜之太刀【濛】』の刃が薄の穂でも斬るかのように尾を断ち切る。ヌエは地面に身をなげてもんどりうった。
 危うくその下敷きになりかけた万と清春は舌打ちをひとつ。互いの得物を振りあげて、
「「うるせェぇんだよ!」」
 と、示し合わせたように声を揃えた。真正面から飛んできた強烈な一撃にヌエの顎が砕ける。するとハルが無手のままで腕を振るった。
「妖よ、今度こそ黄泉の川へ流してやろう。祓魔の刃を以て、な」
 その瞬間、中空に漂っていた真紅の刃その全てが寸分の乱れもなく動きだした。ヌエには赤い雨の降り注ぐようにも映っただろう。『終の剣・久遠の刹那』はヌエの巨体、その至る箇所に情け容赦なく突き立った。そんな折、
「ヌエっ!」
 突如かかった誰何の声にヌエは首を回した。晟が貸した丈長の袍を纏ったローレライは、眦と同じく蒼弓をきつく引き絞ってそこにいた。
 ヌエは吼えた。千年来の憤怒をぶちまけたような聞くだに恐ろしい叫びがこだました。
「これで終わりだ」
 だがローレライは微塵も怯むことはなかった。かつて鵺を討った者がそうしたように、彼女は引き絞った弓弦を放した。
 『Schatz von sieben Farben』矢は七色の光を曳行しながら一直線に、ヌエの大きく開かれた咢の中へ飛び込んだ。直後――カッと眩いばかりの光を放った。
 かつてそうであったようにヌエはゆっくりと大地に崩れ落ちた。


 状況終了。こちらに余力はない。至急応援を頼む。
 ハルからそんな連絡が入り、撤退時の随伴要員であったガデッサとセレスティン・ウィンディアはすぐさま現場に駆け付けた。
「なんだ、こりゃ」
「……驚きね」
 戦いの爪痕はなるほど壮絶の一言につきた。しかし対応すべきは別にあるように感じられた。
 例えば、怪我人の手当てに大わらわの麻亜弥にしつこく声をかける清春を引っぺがすのか。手当てを受けながらも十二単に興味深々なローレライと環の女子トークを落ち着かせるのか。座り込んで甘酒を酌み交わす万や和や晟の腕から杯をひったくるのか。はたまた後始末を頼んだと一言残して去ったハルを急いで連れ戻すべきか……。
「ったく、呑気なもんだぜ」
「そう言わないの。みんな無事だし、楽しそうで何よりじゃないかしら?」
 戦いが終われば普通の生活に戻らねばならない彼らには、一種必要な逞しさと言えるのかもしれない。ふくれ面を嗜めて、セレスティンは杖を振るった。癒しの風が街に吹きすさぶ。
 風は古き記憶を吹き払い、新しい息吹を運ぶ。全てが等しくその恩恵を甘受し、破壊の痕はさらわれる。芽吹きだした春の香りがさらりと番犬達の肌を撫でて彼方へ流れ去っていった。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年3月14日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 7/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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