大阪市街戦~我が竜よ、見よ

作者:天枷由良

●事此処に至りて
 雨が降っていた。
 傘も意味を成さない程の、激しい雨。
 時折、天が怒り狂ったような雷鳴も轟く。
 そして閃光が迸る度、夜の街には醜悪な城の影が浮かぶ。
「……忌々しい」
 呟く女は、雨の中に立ち尽くしていた。
 ともすれば雨衣にも見えなくない外套を纏って。
 緑に侵された城を、赤い瞳で見据えて。
 渦巻く憎悪を吐き出してから、振り返る。
 其処には、帰路を急ぐ大阪の人々。
「……忌々しい」
 繰り返す言葉。けれど、その響きは異なる。
 憎しみでなく、怒り。
 自らが崇拝する者たちに、耐え難い屈辱を味わわせてきた。
 地球の民への、怒り。
「――我が主よ!」
 照覧あれとばかりに両腕掲げて、女は叫ぶ。
「我が主よ! 万物の頂に君臨せしドラゴンよ!
 その隆盛を再び望むべくは、今更、何を惜しむ事がありましょう!
 我が身の全てを賭して彼らを喰らい、血も肉も骨も余すことなく、再興の礎に!」
 刹那、女の外套からするりと白い影が抜け出す。
 蛇だ。それは一つから二つ、二つから四つと瞬く間に増え、軍団とさえ呼べるほどに夥しい数へと膨れ上がって、大阪の人々を襲い始めた。
 噛み付かれた者は悲鳴すら上げられず、泡を吹いて倒れる。
 そうして死した人の亡骸を、女は怒りに任せて蹴り潰す――。

●ヘリポートにて
「……それで、このドラグナーが宣う“我が主”とは?」
 居合わせた者達の疑問を代弁するウィッカ・アルマンダイン(魔導の探究者・e02707)に、ミィル・ケントニス(採録羊のヘリオライダー・en0134)は頭を振る。
 予知された敵――ドラグナー“魔蛇ヴィペール”の主が如何なるドラゴンであるのか。
 既に討ち果たされた者か、残党に紛れているのか。
 その辺りに関しては、此度の予知で何一つ掴めていない。
「気になるけれど、気にしても仕方ないというのが正直なところよ」
 そして、今考えるべきはヴィペールについてだ。
 彼女の目的は、幾度も発生している大阪市街地での事件と同一だろう。
「殺戮によるグラビティ・チェインの獲得と、大阪城周辺での勢力圏拡大ね。……特に、勢力として壊滅状態のドラゴン残党はさぞ居心地悪くしているでしょうし、彼女のようなドラグナーが忠誠心に駆られて、一人襲撃を掛けてくるのも不思議ではないわ」
「……今更、僅かばかりのグラビティ・チェインを毟り取って帰ったところで、彼らの置かれた状況が大きく変わるとも思えませんが」
 ウィッカの無慈悲な指摘に、ミィルも頷きつつ。
「それでも動かざるを得ないのが、狂信者たるドラグナーなのでしょう。予知に視る限り、遅きに失した感が否めないのは彼女も分かっているようだし――」
 向こうの事情はさておき、この襲撃で大きな被害が生じれば大阪の人々は街を離れ、その空白地帯をデウスエクスが埋める事になるだろう。
 そうして僅かなりとも勢力が拡大するような事態は、いずれ来る決着の時まで避けておきたい。勿論、人々の生命を守るのは当然のこととして。
「予知では街の人々を襲うヴィペールだけれど、幸いにも皆はその前に介入できるわ。仕掛ける瞬間を見計らっている彼女を発見次第攻撃して、被害が出ないようにしましょう」
「――とは言っても、やっぱり皆が無事に逃げられるかは気になるところだろうから、避難の誘導はボクが引き受けるよ」
 フィオナ・シェリオール(はんせいのともがら・en0203)が片手をひらひらと振る。
 それを見やり、ミィルは更に語る。
「ヴィペールが最大の武器としているのは、使役する無数の毒蛇。本来はその多様な毒性を用いて、敵地での潜入破壊工作などを行うのが彼女の役割だったのでしょう」
 真価を発揮する機会こそ失われたのだろうが、しかし毒の恐ろしさに変わりはない。
 蛇に一噛みされれば、たとえケルベロスとてのたうち回る程の苦しみを味わうことになるだろうし、それは聖なる加護や一時的な肉体強化なども悉く噛み砕いてしまうはずだ。
「加えて、蛇毒に勝るとも劣らない威力を秘めた竜語魔法。蛇に由来すると思しき強力な回復術も使えるようだわ。攻め方を間違えると、予想だにしない長期戦を強いられるかもしれないから、よく準備して取り掛かりましょう」
 そう言って、ミィルは話を終えた。


参加者
相馬・泰地(マッスル拳士・e00550)
シルフィディア・サザンクロス(ピースフルキーパー・e01257)
ウィッカ・アルマンダイン(魔導の探究者・e02707)
フローネ・グラネット(紫水晶の盾・e09983)
カッツェ・スフィル(しにがみどらごん・e19121)
巽・清士朗(町長・e22683)
款冬・冰(冬の兵士・e42446)

■リプレイ


 雨中に佇み、彼方を見やる。
 その背は人と似て、しかし人に非ず。
 ドラグナー。竜族の信奉者。忠義に狂える混沌の欠片。
 即ち、エヴァンジェリン・エトワール(暁天の花・e00968)などからすれば、最も忌むべき存在。
(「……まだ、居るのね」)
 竜を崇める者は骨肉爪牙の塵一つに至るまで排さなければならない。
 直接の縁を持たない相手でも、そうするだけの理由がある。奪われた命、踏み躙られた故郷。抉り取られ、決して癒えぬ傷痕から沸々と湧く憎悪と等しい敵意は、同じ地獄の番犬たちへと伝播して、さらなる感情を呼び起こす。
(「ゲートも失ったくせに、しつこいんですよ……!」)
 フルフェイスのヘルメット越しでも感じられるような鋭い眼差し。
 シルフィディア・サザンクロス(ピースフルキーパー・e01257)の怒りは、打ち付ける滴すら蒸発させんと燃え上がる。
 その業火に戦と死への恐怖までも焼べて、しかしどれほどの熱を生もうとも、思考は研ぎ澄まされた刃の如く冷徹さを失わず。
 他方、款冬・冰(冬の兵士・e42446)は未だ振り返らぬ背に悲哀を視る。
 機を逸した策士。敗残の忠臣。切り取った事象の一側面は感傷を齎すに十分。
 とはいえ、先に見据える人影が討つべき敵以外になるはずもなく。
 そして“彼女”から見たケルベロスも、それ以外には成り得ない。
「――――!」
 紫紺の外套を翻して、牙剥かんとする女。
 魔蛇ヴィペール。その赤い瞳が、激情に揺れた。
「ケルベロスッ……!」
「おう。悪ぃが、てめぇの企みは阻止させてもらうぜ」
 愚直な宣言と共に、相馬・泰地(マッスル拳士・e00550)が拳を構える。
 連れて、ウィッカ・アルマンダイン(魔導の探究者・e02707)が殺気を奔らせれば、寒々とした街中に残るのは番犬の一団と竜の徒だけ。
 其処から、さらに目配せ一つでイッパイアッテナを暗がりへと送り出す。己が身をも盾にせんと駆けつけた彼の勇敢さは、先んじて避難誘導に移ったフィオナ共々、戦う力を持たぬ人々に向けられてこそ真価を示すだろう。
 そうして仕上がった戦場は、侵略と虐殺を為すべく現れたヴィペールにとって不愉快極まりないはずだ。
 元より仇敵を前にして歪んでいた面が、苦渋に満ちていく。
 それをウィッカは顔色一つ変えずに見据えて、淡々と告げる。
「人々の平穏の為、残党は残党らしく此処で倒れていただきます」
「どこまでも忌々しい輩……貴様らさえ現れなければ、全ては……!」
「その憂さ晴らしに無力な人々を襲うつもりだったのですか? 流石、トカゲモドキの眷属ですね」
「黙れッ!」
 シルフィディアのあからさまな挑発にも堪えきれず、ヴィペールは堰を切ったように恨み言を吐く。
 呪詛にも聞こえる程のそれを、ケルベロスたちは暫く聞き流して。
「――この期に及んで是非もなし」
 短く言って遮り、外套のフードを除けた巽・清士朗(町長・e22683)が剣を抜く。
「そちらは竜がため、こちらは人のため。さあ、あとは己が牙を以て、ただ我を通そうぞ」
「貴様如きに言われるまでもないッ!」
 激憤する竜の下僕は両腕を高々と掲げた。
「我が主よ! どうか、このヴィペールに御加護を――!!」


 刹那、ドラグナーの周囲に白蛇の大群が現れる。
「カッツェさん!」
「わかってる!」
 フローネ・グラネット(紫水晶の盾・e09983)と並んで迫る脅威に立ちはだかり、仲間を守るのが今一時の役目。
 果敢に前へ飛び出したカッツェ・スフィル(しにがみどらごん・e19121)が、竜頭を模した篭手の一薙ぎで白いうねりを掻き消す。
 そして生まれた空白に、フローネが身を捩じ込んで強固な防壁を――紫水晶の如く輝く“アメジスト・ビーム・シールド”を展開。さらなる猛攻に備えながらも、敵を見据えて気炎を上げた。
「再興。その望み、ここで防がせて頂きます!」
「ほざくなッ!」
 激昂が、また新たな群れを現出させる。
 それは波打って迫り、フローネの矜持と言うべき紫盾を圧して、砕く。
「……っ!」
 驚愕を露わにしたのも束の間、幾つかの牙が喰らいついた。
 すぐさま拳で打ち叩き、身体から払って除けようとするも、全ては剥がしきれない。
 まるで執念が具現化したようだ。
 そんな事を考える暇もなく、フローネの全身を毒が駆け巡る。
 視界が明滅して、四肢の力が抜ける。
 そのまま膝から折れて溜り水に突っ伏す間際を、刃閃かせつつ掬い上げたのは清士朗。
「大丈夫か?」
 斬り捨てた白蛇を一瞥しての呼び掛けに声は返らず、ただ濡れた紫の髪が幾度か揺れる。
「一定量の負傷を検知。治療開始」
 傍らに駆け寄った冰が、解毒の用意を整えながら言葉を継いだ。
「戦線維持はこちらが遂行。セイシロウ、遠慮なく」
「……ああ、心得た」
 足元の覚束ない仲間を引き渡して、清士朗は刀を構え直す。
 我が身を擲って他を守るフローネや、それを支える冰が盾であるならば、己が成るべきは禍根を断つ剣。
「憎念に曇ったその眼で見切れるか?」
 切っ先を敵に向けて言い放つ。
 対する赤い瞳は爛々として――。
「――ッ!」
 溜め込んだ恨みを吐き出す寸前、清士朗とは違う方へ向けられた。
 敵から見て右斜め上。雨雲に埋め尽くされた空を背にして、流星が墜ちる。
 ウィッカだ。赤の二つ結いで尾を引いて来る少女は、負の感情が凝縮された視線を歯牙にも掛けず、冷然と蹴りを浴びせた反動で間合いを取って、反攻さえ許さない。
 さらに続けて、泰地が左方から螺旋の弾丸を放つ。
「てめぇの相手は一人じゃねぇんだぜ!」
 猛々しく吼えながら、一発、二発、三発。
 豪雨に晒す筋骨隆々の身体から、肉弾戦以外は有り得ないだろうと思わせての援護射撃。
 その着弾に紛れて、清士朗の刀が雷光の如く閃く。
「クッ……!」
 襲い来る死の気配を遠ざけようと、ヴィペールの身体が倒れ込むようにして離れた。
 それを追って、刃は尚も前へ。
 ――浅い。紫の布越しに肩口へと食い込ませた刃の手応えから断じて、しかし清士朗は眉を顰めるでもなく、むしろ僅かに微笑む。
「何が可笑しい!」
「……いや」
 やはり“見切れなかった”ようだ。
 呟き、敵に倣うように自ら体勢を崩せば――。
「ゴミ同然の侵略者め、主の元に逝け!」
 清士朗の陰から満を持して飛び出したシルフィディアが、巨鎚の形を成す地獄を叩きつける。
 衝撃が敵の両腕から全身、そして路面にまで伝わり、飛沫が上がった。
 骨が軋むような音もして――しかし圧し潰されずに堪えたドラグナーと視線を交え、シルフィディアはギリリと歯を噛む。
「無駄にしぶとい……屑が……!」
「何とでも言え! 我が主の偉容を再び仰ぐまで、私は――!」
 叫ぶヴィペールの傍らに、また白蛇が生まれ出た。
「私は、貴様らなどに屈する訳にはいかない!」
「――で、その主って?」
 忽然と湧いた声は、全力で押し込んでくるシルフィディアの対極。
 つまりドラグナーにとっての背面。
 咄嗟に白蛇を威嚇へと回して、ヴィペールは巨鎚を払い除けると大きく距離を取る。
 その様子を見送ったカッツェは、鎌首をもたげる白蛇を篭手で易易と斬り裂き、叩き潰し、けれどそのまま攻めかかるのでなく、再び口を開く。
「お前の大事な大事な主様が何処の何者なのか、教えてくれたっていいんじゃない?」
「……我が主の尊き名を、貴様らなどに聞かせるものか」
「あ、そ。じゃあ別にいいけど」
 まるで始めから興味などなかったかのように、淡白な反応を返すカッツェ。
 仄かに脳裏を過る魔竜の影は白蛇が威嚇する音で消えて、けれども言葉は淀みなく続く。
「そもそも崇拝する先が間違ってるしねー。ドラゴンをまだ熱心に崇め奉ってるのは、むしろ褒めてあげたいくらいだけどさ」
「……何が言いたい!」
「どう? 例えばカッツェに乗り換えるって言うなら、聞いてあげないこともないけど?」
 とんだ戯言だ。
 しかし青い目をしたドラゴニアンの少女は、ゆらりと尾を振りながら待ち続けて。
「痴れ者が!」
 焦れたヴィペールが次の攻撃に移ろうとした、その瞬間。
「同じような手に引っかかるなんて、やっぱり城に籠もってるべきだったんじゃない?」
 素っ気なく言い捨てると、雨中に姿を溶かす。
 途端、開いた射線に吹き荒れるのは氷結の螺旋。
「従順なのは結構だけれど、アナタの望みを叶えさせるわけにはいかないのよ」
 放つ力と同じく、エヴァンジェリンは冷ややかに続ける。
「だから……だから、もうお還りなさい」
「今更、何処に帰れと……!」
 雨すらも凍らせる渦を裂いて戦場に響くのは、魂の叫び。
「それを奪ったのは貴様らだッ!」
 含められた意味の僅かな食い違いが、ヴィペールからより色濃い怨恨を引き出す。
 真正面から受けたエヴァンジェリンは僅かに唇を噛んだ。
 目の前の敵が吐くものは、人と同じ。
 それでも、それは人ではない。
 何もかも失くして、独り戦うそれは、人ではない。
 滅ぼすべき敵。人に仇なす者。竜の徒。
 だから討つ。
「……許してあげるわけにはいかないのよ、アナタたちは」
 吹き荒ぶ冷気はそのままに、砲撃形態へと変じた巨鎚が唸る。


 奇しくも竜の咆哮と似たそれの直撃を受けて尚、ヴィペールは立ち上がった。
 ひしゃげた腕も形を取り戻していく。
 古来、再生や復活の象徴とされてきた蛇。その名を冠する敵の回復力は想像に難くない。
 猛毒と合わせて、それは十分な脅威に成り得る。
 ――否、成り得るはずだった。
「……ッ!」
 雨と共に激しさを増していく戦いの中。
 黒々とした念に塗り潰されていたドラグナーの顔に、幾らか違うものが滲む。
 焦りだ。癒えるはずの傷が癒えない焦り。倒れるはずの敵が倒れない焦り。
「貴様ら……!」
「貴女の――いえ、竜の命運など疾うに尽き果てたのです」
 何処までも落ち着いた様子で言って、ウィッカは喚び出した刃を見やる。
 それが裂いた肉は腐り落ち、元には戻らない。
 ゲートを失い、瓦解したドラゴン勢力と同じだ。
(「……解っていても、認められないのでしょうね」)
 その執念を解さぬほど、ウィッカも愚鈍ではない。
 理解した上で、断つ。ケルベロスの一人として、それ以外に為すべき事はない。
 刃が呪いの如く飛んで、敵の身体を裂く。
 そして新たな傷を少しでも埋めようとヴィペールが足掻いた、その時。
 忽然と“それ”は現れた。
「――っ!?」
 彼方から空を裂く音がする。
 全く予期せぬ事態に、ドラグナーは回避こそすれど蹌踉めいて。
「主、主って。いつまでも現実が見えてないから――」
 通り過ぎようとする相棒、黒猫と呼ぶ大鎌を掴み取ったカッツェが囁く。
 盾として最前線に立ちながらも、絶えず雨と闇に己を秘していた彼女は、最も手に馴染む武器でヴィペールを深く深く、死神が終わりを告げるかのように斬り裂く。
「くそっ……!」
 ドラグナーが呻き、押さえたところから雨と違うものが滴った。
 それで治癒を諦めたか、幾度となく打ち払ってきた白蛇がまた姿を現す。
「せめて、彼奴らの血肉を我が主の元へ――!」
「させません!」
 すかさず群れの行く手を阻み、フローネが紫盾を拡げた。
 必然、蝕まれた身体は悲鳴を上げる。
 けれども、二度はないと誓う“ココロ”はより鮮烈に輝き、白蛇の波を押し戻す。
 それを支えるべく冰が杖を振れば、暗夜の片隅に描かれた極光が盾の持ち主を縁取った。
「フローネ」
「大丈夫です!」
 振り返ることなく答えた背に、冰も頷いて力を注ぐ。
 そうして築かれた防壁を、白蛇はついに超えられず。
 窮したヴィペールに、泰地の左腕が伸びる。
 紫盾や極光とはまた違う光を宿したそれは逃れる事を許さず、掴み取った敵に叩き込まれるのは右腕の漆黒。形を成した絶望。
 ぐしゃり、と鈍い音がする。
 折れたのは骨か意志か。ゆらりと揺れたドラグナーは、しかしまだ二本の足で立つ。
 ならばと、エヴァンジェリンが放つ一撃は曇天を切り裂く彗星の如く。
 鋭く、鋭く、無垢な祈りのように真っ直ぐな軌跡が、狂信の徒を貫く。
 だが、それでも――。
「その妄執、祓って進ぜる!」
 決意を声にして、清士朗が畳み掛けた。
 一時、重力の軛より解き放たれた身体で闇に舞い、雨と共に降って刃を突き立てる。
「死ね――!」
 さらにシルフィディアの片腕に顕現した地獄が、灼熱の杭と化してヴィペールを打った。
 それは程なく爆ぜて、ドラグナーからあらゆるものを奪い去る。
 余すことなく奪い、焼き尽くす――。


 何処までも、何処までも、黒く厚い雲に覆われた空。
 穿ち、引き裂くのが、どれほど難しい事か。
 分かっていたはずなのだ、彼女は。
 それでも――。
「どうしても守りたいものの為なら、いくらでも見苦しく足掻く……そんなものだよな」
 思い巡らせつつ、清士朗は視線を落とす。
 其処に横たわる成れの果てを、殉教などと呼ぶつもりはないが、しかし。
 主無くとも果たされた、その忠義の朽ちゆく刹那に、梅一輪手向けて罰は当たるまい。
「……ぁ……あぁ……」
 まだ剣を手にしたままの清士朗に施されて、それは呻く。
「……もうしわけ……ありま、せん……」
 残火を擦り潰して紡ぐ言葉が、地を叩く数多の滴に流されていく。
 縋るように伸ばした手は空を掴むばかりで。
 やがてはそれすら叶わなくなって、胸の間へと落ちる。
「……わが、あるじ、よ……どうか……どう、か……」
 声は弱々しく震えて。怨嗟に燃えた瞳の灯も、潰える間際。
 己の無力を嘆き、ただひたすらに常ならざる者へと希う。
 その姿は人と似て、しかし人に非ず。
 ドラグナー。従順なる竜の下僕。魔蛇ヴィペール。
 それは暗雲の向こうへと。
 星の海の彼方へと、祈りを捧げながら、朽ちていく。

 果たして、違う結末が在り得ただろうか。
 冰は考察を始めてすぐ、ふるふると首を振った。
 最早、詮無い事。
 竜族再興を願ったドラグナーは、ケルベロスによって討たれた。
 目の前に残る事実は、ただそれだけ。
「敵、静止を確認。……ウィッカ」
「ええ」
 冰の呼び掛けを受けて、ウィッカは小さく頷き返す。
 あらゆる獣のうちで、蛇が最も狡猾であった――とは、永く言い伝えられる話だ。
 高い治癒力を持つ敵が真の終焉に至ったかどうか、確かめておくのは悪くない。
 ウィッカは刃を手に、ヴィペールへと歩み寄って――。
「……」
 無言のままで暫し見下ろした後、赤い宝石を一つ投げた。
 煌めきは遺骸に触れた途端、激しく燃え盛る炎を生んで、瞬く間に消える。
 再び暗闇が覆い被さってきた其処には、もう何一つ残っていない。
 振り返り、戻ってくる赤いツインテールの表情にも、特別なものはない。
「……終わったな」
 泰地が顔を拭いながら言った。
 そのまま、彼は方々への連絡を行うと告げて、一足先に戦場を離れていく。
 それと入れ違いで駆けてきたのは、キャスケットを被った娘。
「お疲れ様ー! みんな大きな怪我もないようでなにより――だっ!?」
「だっ!? ……っじゃないでしょ、このノーコン! 来るのも遅すぎるし、どんだけちんたらやってたの!」
 雷鳴にも負けず劣らず吼えたカッツェの、握り込んだ拳が帽子を叩き落とす。
 一瞬で雨水に浸るそれを娘が拾い上げたのも束の間、今度は首根っこを掴んで。
「やっぱり予定変更! 雨が止んでも日が昇っても寝ても覚めても反省漬けの大反省会で過去一の反省をさせてやるからな!」
 言うだけ言うと、返事も待たずに大股で歩き出す。
 水溜りがばしゃばしゃと音立てて、しかし引き摺られる娘は笑いながら手を振っていた。
 どうやら、気にしなくていいと言っているつもりらしい。

「……え、あの……えっと……」
 去り行く影と居残る者の間で、シルフィディアが視線を彷徨わせる。
 其処に、戦いの最中で見せた勇ましさは一片たりとも窺えない。
 争いから離れれば、彼女も年相応の娘なのだろう。
 それを知っているからか、ゆっくりと歩み寄ったウィッカが何某か声掛ければ、まだフルフェイスを被ったままでシルフィディアは何度も首肯して。
「何処かに怪我でもされた方がいらっしゃると、た、大変なので……」
 遠慮がちに言ったかと思えば、裏路地へと走り出してしまった。
 それを追う形で、ウィッカも戦場を離れていく。
 彼女らの心配は間違いなく杞憂だろうが、しかし揺れる赤髪が見えなくなっていくのを止める理由もない。
 そうして、後に佇むのは四人ばかり。
 その内の一人が、小鳥の囀るような音を立てた。
 思わず目を向けると、エヴァンジェリンは気恥ずかしそうにしながら。
「私達も帰りましょう。ケルベロスだって、こんな酷い雨じゃ風邪を引いてしまうわ」
 空を嗜めるように言って、自らを抱き竦める。
「同意。体温低下を確認。周辺に異常無し。迅速な帰還を推奨」
「そうですね。……蛇の毒より、この雨の方が余程身体に悪い気がします」
「違いない。冷えが女性の大敵だとは、よく言ったものだしな」
 冰、フローネと続いた同意の声に乗り、清士朗は表情を緩めながら天を仰ぐ。
 雨は、まだ止みそうになかった。

作者:天枷由良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年3月3日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 6/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。