冥府の底へ沈む夢

作者:白石小梅

●叶わぬ夢
 冬の夜。とある湖畔。月高く、静かに草が揺れ、獣も眠る時の中で。
『大丈夫……まだ何も終わらない。私にも、みんなにも、まだ先がある。未来がある』
 茫洋とした瞳の女が一人、素足を水面に浮かべている。
『強く、強く願えば。叶わない夢なんて……ありはしないのよ』
 鳥籠の中に浮かぶ林檎を舞わせ、女は細い手を伸ばす。星を掴むかの如き指に鼻先をつけて戯れるのは……『熾炎の硬魚・ザルバルク』。
『私、願い続けるからね……いつまでも……ずっと……』
 女は無数の死神を躍らせながら、煌く水面で希望を謳う。
 胸元に、今や滅亡の印となったモザイクを咲かせて。
 その姿が、透けるように冥府の底へ消えるまで……。

●ドリームイーター残党
 呼集に集まったケルベロス達を、望月・小夜は笑顔で迎える。
「皆さん『ジグラット・ウォー』の勝利、おめでとうございます。ジュエルジグラットは制圧され、これにてドリームイーターという勢力は壊滅しました。やりましたね……!」
 大阪の魔女たちなど僅かに残る者たちもいるが、もはやドリームイーターは単一勢力としては地球文明の脅威とはならない。彼らは滅亡し、我々は勝ったのだ。
 だが、と、小夜は表情を引き締める。
「辛うじて本星から脱出した一部のドリームイーターたちが、生き延びた有力指揮官『赤の王』と『チェシャ猫』に導かれる形で戦場を離脱しています。彼らは流浪の敗残兵ですが、放置は出来ません」
 なぜなら、と、小夜はスクリーンに見覚えのある怪魚を映し出す。
「残党はポンペリポッサと同じく死神勢力に合流しようとしているのです。潜伏した夢喰いを自陣に迎える為、下級死神『ザルバルク』の群れが派遣されるのを予知しました」
 なるほど。庇護者を求める敗残の民。哀れだが、敵勢力の増強を看過は出来ない。
「ええ。彼らの合流地点に向かい、迎えの『ザルバルク』の群れと、目標ドリームイーターの撃破をお願いします。それが、今回の任務です」

●琥珀の君
 小夜はスクリーンに、模写した夢喰いの絵図を映し出す。
 胸元にモザイクを咲かせた、儚げに微笑む女の姿を。
「目標名は『琥珀の君』。欠損要素は……『叶わぬ夢』といったところでしょうか? まるで世に叶わぬ願いなどないかのように、儚い希望に満ちて振舞う、不思議な女でした」
 一見して欠損という言葉とは正反対の満ち足りた性質。番犬たちも心持ち首を捻る。
「例えば死の床に伏して衰弱している人が、儚くも希望に満ちた夢を見ている時、その気持ちを奴らが奪ったとすれば……こんな夢喰いが生まれるかもしれません。本人がそのまま衰弱死しても、事件と認知されることもなかったでしょうね」
 なるほど。経緯の詳細は不明だが、存在そのものが儚く散った美しい夢の具現という可能性は高そうだ。残酷な。
「犠牲者の記憶をある程度写し取っている可能性もありますが、惑わされず確実な討伐をお願いします。目標は死神の迎えが来るまで潜伏に徹するため、合流するその瞬間にしか撃破の機会がありません」
 戦場は人里離れた美しい湖畔。普段は観光に来る人々もいるが、夜間であることもあり一般人はいない。戦闘に集中できる。
「問題は時間です。迎えに来るザルバルクは弱小の個体が十数体ほど。戦闘能力は皆さんの脅威ではありませんが、目標の撤退を支援するために全力を尽くしてきます。そして戦闘開始後六分が経過すると、目標はデスバレスへ撤退してしまうのです」
 すなわち、六分間の間に『琥珀の君』を討つ必要があるわけだ。漫然と闘っては、撤退阻止は難しいだろう。
「まあ、多数の下級死神を撃破出来れば、死神の戦力の収支はマイナスになるでしょうから、それも失敗というわけではないのですが……」
 可能ならば、迅速な撃破の策を立てて撤退を阻止して欲しい、と、小夜は念を押す。

「性質から鑑みて、恐らく彼女は、誰かの『叶わなかった夢』そのもの。静謐に眠らせておくべき悲劇も、この世界にはあるのです。眠らせましょう。終わらぬ夢を」
 小夜はそう言って、出撃準備を希った。


参加者
ティアン・バ(ゆくなよ・e00040)
ゼレフ・スティガル(雲・e00179)
マルティナ・ブラチフォード(凛乎たる金剛石・e00462)
エニーケ・スコルーク(黒馬の騎婦人・e00486)
落内・眠堂(指切り・e01178)
レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)
七宝・瑪璃瑠(ラビットバースライオンライヴ・e15685)
エヴァリーナ・ノーチェ(泡にはならない人魚姫・e20455)

■リプレイ


 美しくも寒々しい、冬の湖畔。静かな月夜に、その水面に波紋を立てる儚げな影が、魚たちと戯れる。訪れた訪問者に振り返った瞳は、それこそ曇りなき琥珀のよう。
『こんばんは』
 殺気を押し殺す番犬を目の前にしても、女は微笑んでそれを迎えた。
 だが気高い黒馬の姿を晒したエニーケ・スコルーク(黒馬の騎婦人・e00486)は、明りを振るってその挨拶を切り捨てる。
「敗残の夢食いを生かしておく必要も理由もありませんわね。群がる下っ端もろとも、この世から消して差し上げましょう」
「ああ。……哀れだが、ここでお前たちと死神に手を組まれるのはまずい。全て掃討し、ケリを付けさせてもらうぞ」
 群れ成す死魚は、紙灯籠のように浮かび上がりながら、剣を抜いたマルティナ・ブラチフォード(凛乎たる金剛石・e00462)に唸りを上げる。
『……そんな怖い目をしないで? 私、何もしないわ』
 叶わぬ夢を知らずに微笑む女の姿は、恐らくそれ自体が叶わなかった夢の痕。誰のものかも、今となってはわからない。
「魔女医のお仕事して、医大で医療を学ぶ中で……叶わない夢は、たくさんたくさん見てきたよ」
 だからこそ……夢はあるべき場所へ還るべきだ。
 その想いを胸に抱き、エヴァリーナ・ノーチェ(泡にはならない人魚姫・e20455)は時計のボタンを押し込む。
 しかし。
「参ったね……懐かしい姿だな」
『あら……なあに? 私のこと、知っているの?』
 首を傾げた琥珀の君を見つめながら、一人の男がぽつりと呟く。
(「見送ってから、もう居ないんだって何度も噛み締めた。どれだけ望んでも、指先ひとつ触れ合えない。そう割り切っていたはずだけれど……」)
 ゼレフ・スティガル(雲・e00179)は、いつも通りに飄々と。しかし、ため息を一つだけ。
 面々は、ちらりと彼を振り返る。彼が琥珀色の瞳の向こうに誰かの影を見ていることは、ブリーフィングの時から全員が気付いている。
(「彼女とお前の間にあるものが、どんな縁の巡り合わせか。俺には分からねえけど……どうあれ、支えになれたらいい」)
 だが静かに身構えた落内・眠堂(指切り・e01178)も含め、誰一人それを問うことはしない。
 葬送を決めたというのなら、詮索は無粋。鉄塊剣【随】を引き抜くゼレフに、レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)は無言で合わせるのみ。
(「言葉は、必要ない……そういうことだろう。それがお前の意志なら、俺はそれを叶えさせる為の無茶は、厭わない」)
 知古の緊張に走る、ほんの僅かな違和。隙というほどではないかもしれない。だが、だからこそティアン・バ(ゆくなよ・e00040)は一つため息を落として。
(「ゼレフ……眠堂……レスター。無理をしないといいけれど」)
 六分という短い時間で、全てが決まる。ここで逃せば、あの『夢』は冥府へ引きずり込まれ、死の尖兵として星を蝕むことになる。
 七宝・瑪璃瑠(ラビットバースライオンライヴ・e15685)は静かにその瞳を開き、目の前に佇む、儚い影を見る。
「君は夢だ。夢そのものだからこそ、その夢は君の夢じゃない。夢を、返してもらうよ」
 夢喰いは、微笑みながら手を持ち上げる。周囲を舞う死魚たちの目が一斉にぎらついて、牙を剥く。
「そして……夢へと還れ」
 それぞれに武装を解き放ち、番犬たちは跳躍する。
 夢喰いの指に従うように、雪崩の如く死魚の群れが解き放たれる。
 ……闘いが、始まった。


 死魚の群れは放たれた熱弾のように縦横無尽に飛び回り、悍ましい牙を打ち鳴らす。気高き黒馬は、それを鼻で笑って。
「……哀れな連中ですわね。死にぞこないを庇うなど大した忠誠心ですこと。露払いは、私どもに任せてもらいますわ」
 瞬間的に飛び出したエニーケの姿が、闇に溶けるようにかき消える。前面に展開していた死魚の群れは、一迅の影となった彼女に弾かれ、浅い水面に叩きつけられた。だが、恐怖を知らない死魚の群れは実力差も理解できないらしく、姿を現したエニーケに一斉に飛び掛かる。
「させんさ。彼女は私ども、と言ったろう」
 その時にはすでに、桜の花弁が彼女の周囲を舞っていた。剣閃は花吹雪と化して無尽に舞い飛び、牙を剥きだした死魚たちを斬り飛ばす。
(「叶わぬ夢、か。思うところはある。私にも……会いたい人はいる。だが、今は……!」)
 かろうじて剣舞を掻い潜った一体の顎を掴み、マルティナは無造作に振り払った。後ろを顧みる時間は、ない。道を切り開いた二人の女は、前方の夢喰いを睨み据えて。
「こちらはお任せを!」
「さあ行け! みんな!」
 そして六人の番犬が、魚群の中を走り抜ける。その動きに気付き、滝のように躍りかかってくる死魚たちに、一人の影が跳躍して。
(「お前ら如きに邪魔なんざ、させやしねえよ……あいつとは、何度も共に死地を潜り抜けた。貸し借りなんぞ無しだ。存分にやれ……!」)
 無尽の牙に向けて全身で激突しながら、レスターは雄叫びと共に死魚を跳ね除ける。その尾を振るい、群がる死魚たちを跳ね飛ばして。
「あなたは誰かの『夢』だったの? その『夢』はもう帰る場所がないかもしれない……けど、それでも冥府の底に沈めちゃいけない。私、そう思うわ」
 そう。狙うは夢喰い、ただ一人。そう思い定めて、エヴァリーナの掌に煌めく球が浮かび上がる。解き放たれたプリズム球は、想いを載せて微笑む夢喰いへ飛翔した。
 夢喰いは、文字通り地に足がつかぬようにふわりとそれを受け止める。滲みが障壁となって、その周囲を守っているようだ。
『まるで、夢が叶ってはいけないかのような言い草ね? そんなこと、ないわ』
 そして夢喰いは寿ぎを口にする。その言葉は、まるで鈴の音のように番犬たちの耳を打ち、彼女への不可思議な同調を呼び起こす。
(「ボクたちは……叶わぬ夢はずのだった、けど……いや、違う。彼女に、惑わされるな」)
 瑪璃瑠は頭を振って、心の霞を掃う。その手の内に【二律背反矛盾螺旋】が回転し、衣を舞わせる夢喰いの脇を斬り抜ければ、障壁を裂いて微かに散った鮮血の熱。これは現だ。そして。
「ボクたち瑪璃瑠は……叶った夢だ」
『ええ。夢は願い続ければ、叶うものよ。ねえ、聞いて。私の望みはね、』
 僅かな傷では、落ち着いたその声音は変わらない。優しく、やわらかく、希望を抱いて未来を語る。
 だが、その言葉を遮るように、一人の男がそこへ飛び込む。
「いいや。『君の』望みは何も叶えてやれない。だから、聞かずにおくよ」
 主人を護ろうと殺到する死魚には目もくれず、ゼレフは大剣を振るった。巻き起こった旋風は、死魚たちを千々に飛ばし、そのうちの一体を消滅させる。
「彼女にも皆にも……触れるな、夢喰い」
 その歩の進め方には、ほんの僅かな強引さがある。微笑んだ夢喰いは、鳥籠を掲げて彼に手を伸ばす。
 刹那、その指先を氷結の刃が舞い飛んで、夢喰いは驚いたように身をすくめた。
(「無理をするな、なんて言えない。それなら、支えればいい。ちゃんと片が付くように……ティアンたちが。そうでしょ?」)
 それは、ティアンの氷結の輪。回転しながら再び夢喰いに斬りかかるそれに、一体の死魚が割り込んで、その身を散らした。
 その隙に水面を退こうとする夢喰いを、しかし、吹き荒れる暴風が追いかける。
「ああ。お前の言う通り。片は、必ずつけさせる……我が御神の遣わせ給う徒よ。こなたの命に姿を示し、汝が猛々しき鼓吹を授け給え。急ぎ来れ……颶風狂瀾」
 その想いに応えたのは、眠堂。逃れようとする夢喰いを、護符の暴風が絡めとった。切り刻まんと迫る嵐を障壁で防ぎながら、夢喰いは哀しそうに顔を歪めて。
『酷いこと、しないで……? 私、夢のために、生きていたいだけよ』
 そして鳥かごに収まった林檎が輝きを放つと、前衛で闘っていた番犬たちの膝から、がくりと力が抜ける。
「なるほど……厄介だな」
 そう呟く眠堂の見る前で、夢喰いの傷は塞がっていく。
 闘いは激しくも静かに、その時を刻んでいく……。


「そろそろ三分……切り替えるぞ!」
 マルティナが死魚の突撃を躱す度、その軌跡には花が散る。舞い飛ぶ虹色の花弁で心惑わす夢喰いの言葉を破りながら、その剣が稲妻を帯びて。
(「胸に抱くだけで苦しい、あの想いを知らぬ者、か……せめて暗い冥府でなく、その夢の中で眠れるように」)
 渾身の刺突が飛び込んできた死魚を貫いて、その咢を両断する。そしてマルティナは、夢喰いへ距離を詰める。
 竜巻のように舞い踊り、群がる死魚たち。だがその重い図体を、解き放たれた熱弾の群れが貫いていく。爆炎に呑まれ、死魚たちは次々と滑落して。
「さあ、あなたを護る魚はどんどん減っていますわよ。この状況から、あなたが生き抜く事自体、叶わぬ夢ではなくて?」
 火焔の中から飛び出して、エニーケの指が夢喰いを指す。
『怖いわ、お馬さん』
 困ったように微笑む夢喰い。その四肢を銀色に煌めかせて、エヴァリーナがその前へ飛び込む。
「……返して。その希望も想いも痛みすらも、夢を抱いた人と、その人を大切に思う人のものなんだから」
 もはや障壁はところどころ明滅を繰り返し、破れかかっている。夢喰いは数発を鳥籠で弾きながらも、懐に入ったエヴァリーナの銀閃に打たれて、足をもつれさせた。
『どうして私が、夢を見てはならないの?』
 身を退こうとする夢喰いを、光の筋が追い立てる。レスターの振るう光剣に、夢喰いは右手をかざして障壁を集中させた。茫洋とした瞳が、刃を押し込むレスターに問い掛ける。
「……叶わねえ程、希望ってのは眩くなる……そいつはよく知ってる。心から信じてたから、その有様になったんだろう。どこかで終わらせにゃならん。長い夢を」
 そして振り下ろされた一撃に身を転がした夢喰いは、距離を取ろうと振り返る。だがそこには、すでにゼレフが身構えていた。
「……僕を『見る』のは初めてだろう。覚えがあるか、確かめてみるといい」
『いや。あなたは、誰なの……』
 一閃した刃。夢喰いは障壁を集中させることで辛うじてその直撃を避けたものの、その顔からは笑みが絶えた。
 そして、ふわりと転がるように身を起こすと、その胸の滲花を身に纏わせようとする。
 だが。
「それは、させないよ。もう手は打った……夢から生まれたボクと」
 広がりつつあった滲む花は、身を癒すより先に弾け飛んだ。驚愕に目を見開いた夢喰いは、夢に誘うような声音にハッと振り返る。
「……夢として消えようとしたボクが、ね」
 その瞳が映したのは、二人に分身した瑪璃瑠の姿。その刃に、潰えなかった夢を載せて、十字の剣閃が滲花を散らす。もはや障壁は受け止めることは叶わず、その胸元に咲くのは、鮮血の花。
『駄目よ。私の、夢は……』
 二歩、三歩と後退った夢喰いは、怯えたように身を翻す。今だ漂う死魚の群れに、庇護を求めるように。だが、死魚たちが夢喰いを護るように爆炎をばらまく中、二つの影が炎を割って飛び出して。
(「俺にとってのゼレフが、そうであるように。俺も、少しでもお前を助けられたらと……そう思うよ。そのためなら、こんな炎程度は……」)
(「ティアンは……一緒に死ねなかった。折角、連れていってくれようとしたのに、一緒にゆけなかった。だからせめて、あなた独りを冥府へ沈ませはしない」)
 眠堂の符がグラビティを乗せて舞い飛び、ティアンの【追想】の呪文がそれを嵐の如く膨らませる。跳ねた符は夢喰いの足を裂いて、その足をもつれさせた。
『……っ』
 つんのめって倒れた夢喰い。それを受け止めたのは、一閃の刃……胸元の花から背へかけて、その身を貫いて。
 驚愕に顔をあげた琥珀色の瞳に、ゼレフの顔が反射する。
「君と……目、合わせられる日が来るなんてね」
 叶わぬ夢は、血の色を滲みを吐いた。その瞳を急速に死に曇らせながら、手を伸ばす。震える指で、顔に触れて。
『貴方、だったの……ほら、ね。私の、夢……叶っ……』
「ああ。今は一緒に行けないけど……またね。約束、忘れてないよ。リーリャ」
 今わの際に、それは確かに微笑んだ。
 頬に血を引きずりながら指が滑り落ちる。
 そして、その手を取った男の腕の中で、剣が炎を噴き上げる……。


 ……炎に呑まれながら消えていく、夢の残り香。
 瑪璃瑠は、己の手を見つめる。
(「ボクたち瑪璃瑠は、叶うはずがなかったのに、叶った夢だ……でも……これも奇跡と言うんだろうか……」)
 この世界には、もう何者にも叶えられぬ夢がある。
 過去は変えられない。死者は、帰っては来ない。
 あの夢喰いは、元となった人間ではない。あれは全て、儚い夢。
 だが。
「ゼレフ……」
 ティアンは、ぽつりと名を呟く。いつか聞いた、彼の悔いの話を憶えていたから。その残り火のようなものが、あの夢喰いの中にあったように思えたから。
 しかし今は、彼に寄り添うよりも先にやることがある。
 エヴァリーナもまた、消えゆく夢に背を向けて。
「おやすみ……誰かの夢。ゼレフくんは、見送ってあげて」
「ああ。今くらい、夢を見ていい。死者に逢うことは……誰しも望む、叶わぬ夢だ」
 そう……自分にとっても。
 その言葉を飲み込んで、マルティナはふっと息を吐いて構えを直す。
 今だ周囲に漂う、8尾ほどの死魚たちへ向けて。
「ええ。こちらは、私どもが。さあ全員、逃げるんじゃありませんわよ。今ここで……」
 エニーケが言い終わるより先に、死魚たちは憎悪の牙を剥きだして躍りかかった。尤も、その牙がエニーケの足を捕らえるより早く、瞬足の蹴りが死魚を紙風船のように粉砕する。
「……? わざわざ従うとは、殊勝ですわね?」
 そして喰らいついてくる死神にエヴァリーナが触れ、その身を瞬く間に凍てつかせる。
「あなたたちに、もうあの夢は穢させないよ」
 それに続くは、瑪璃瑠の十字。マルティナの一閃。ティアンの影刃……それぞれに死神の身を裂きながら、番犬たちは殲滅戦へと突入する。
 気弾の一撃で死魚を蹴散らす眠堂の前に、全てを看取ったゼレフが戻ったのは、ちょうどその時。
「もういいのか? 大事な、別れなんだろう?」
「ああ……灼き付けたよ。ありがと、皆。行かせてくれて」
 くすりと笑んだ男は、いつも通りに飄々と。
 そして喰らいついてくる牙を受け止めたレスターが、二人の脇に背を付ける。
「……お前がそれを望むなら、おれはその剣を届かせる。それだけだ」
「さあ。終わらせよう。みんな」
 そう言ったのは、誰であったか。番犬たちは死魚の群れへと突っ込んでいく。
 もはやその勢いに容赦はなく、躊躇も、戸惑いもない。死神たちはさしたる抵抗も出来ぬままに燃え落ちて、湖畔に沈みながら消えていった。
 こうして美しくも儚い一夜は、終わりを告げる。
 そう。叶わぬ夢は、夜明けと共に覚めるものなのだから……。

作者:白石小梅 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年2月12日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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