ホワイト・リリィの志

作者:朱凪

●ホワイト・リリィの志
 眼前に突如現れたのは、『恐怖』そのものであり、『脅威』の権化だった。
 秋晴れの爽やかな朝を血に染めたのは、少年の倍ほども背丈のある大男だった。
 彼の平凡な日々を『恐怖』はいともたやすく斬り伏せた。『脅威』はあっけないほど軽く薙ぎ払った。
 父と母が、『父と母だったもの』になったのは一瞬で、それを理解するのはとんでもないほどの時間が掛かった。永遠かと思うくらいの時間が掛かったと──そう思ったのに、目の前の大男は二歩ほど彼に近付いただけだった。
「つまらんなぁ」
 ぼそりと、『恐怖』が零した。
 『脅威』の手にある大剣は秋の空に真っ赤に光を照り返す。
「折角自由になったってのに、投下された場所がハズレだ。四匹しか居やがらん」
 なあ? 『恐怖』がそう同意を求めて来る。ヒッと喉から引き攣った声が零れて彼が身を固めて腕に力を籠めたなら、『脅威』は嬉しそうにニタリと嗤った。
「そうだ。恐怖しろ。畏れ慄け。跪き命乞いしろ、その限りある命のな」
 太い指を突き付けて、大男は身体に見合ったサイズの口を左右に引いて歯を見せる。
「そして絶望しろ。それから死ね」
 ──その腕のお荷物ごとな!
 呵々と哄笑が響く。
 けれど、ふ、と男は視線を落とす。少年の囁きが微かに鼓膜を打った。
「リョウ、リョウ聞いて。兄ちゃんが合図したら、鬼ごっこ。いいな? 絶対振り向いちゃだめだ。じゃないと兄ちゃん、リョウを捕まえちゃうからな」
 彼の震える腕と身に包まれて情報を制限されているのは齢もひと桁程度の少年。兄の囁きに不安げな表情を浮かべながらも、異変は重々に察しているふうに肯く。
「……いい子だ」
 見上げた彼の燃える金色の双眸に、『恐怖』の口許が引き攣るように上がった。
「ったく、これだから人間は救えねぇ……傲慢に過ぎるな、定命の孑孑が!」
 血塗られた大剣が振り翳されるのと、少年の腕が弟の身を背後へと押し遣ったのが、同時だった。

「よーい、どん!」

●ザイ庫処分
 ぎりと奥歯を噛み締め、暮洲・チロル(夢翠のヘリオライダー・en0126)は集まった地獄の番犬達へと絞り出すような声で告げた。──まだ間に合います、と。
 早くは、ない。
 彼らの両親は、救うことができない。
 それでも、まだ。彼らふたりは。
「Dear達が全力で急げば、兄の合図と共に現場に辿り着くことができるでしょう。それが、俺達の全速力です」
 これまでに、おそらくはケルベロス達が吐息を零すほどに相手をしてきたであろう、罪人エインヘリアルだ。アスガルドにおいて大罪を成した存在を地球へ送り込み、恐怖によってエインヘリアルという種全体の定命化を遅らせるための在庫処分。
 ヘリオンへと乗り込んだ番犬達と淡々とチロルは説明を施す。
「敵の力は侮れません。なのに俊敏さも持ち合わせています。近距離の攻撃方法しかない、というところがまだ扱いやすくはあるのですが……問題は奴の性格です」
 大きなプロペラの音が響いて機体が浮き上がり、空を駆ける。
「距離を空けて攻撃をしようとするなら、おそらく奴は少年達へと標的を定めるでしょう。武器でのインファイトを好む奴のようで。逃走することはないでしょうが、ケルベロスではない一般人を襲うことが、なにより望む形での戦闘に持ち込めることをよく知っているようです」
 悪知恵だけが働く……。そう小さく呟くチロルの声まで拡声器が拾い、「……失礼、」彼は小さく取り繕って、共に乗り込んだユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)が言う。
「兄弟の、弟くんのほうは僕が助られると思う。ただ、僕は戦闘に参加できなくなるのと、位置関係的にお兄ちゃんのほうは、一緒に連れていけない」
「そう。なのでDear達には兄の少年を護りながら戦う──そのために近接攻撃だけで戦ってもらいたいんです」
 利用できる状態異常の種類に制限は掛かるかもしれないが、近接攻撃さえしていれば特別に少年を護る行動などをしなくても敵の意識はケルベロス達へと向く純粋な戦闘だ。
 練達したケルベロスであれば特に困ることもないだろう。
 いいですね、と念を押す声音がヘリオン内に静かに反響して、更に機体は加速する。
「では、目的輸送地、尊い絆の許。以上。……期待していますよ、Dear」


参加者
ティアン・バ(彼岸のみぎわ・e00040)
ベーゼ・ベルレ(ミチカケ・e05609)
レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)
天司・桜子(桜花絢爛・e20368)
ノチユ・エテルニタ(宙に咲けべば・e22615)
巽・清士朗(町長・e22683)
イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)

■リプレイ

●「よーい、どん!」
 つたない足取りで弟が駆け出す背を押し──金色の双眸が血塗られた大剣が振り翳されるのを見た、そのとき。
 風が、吹いた。
 切っ先は舗装もされていない道を大きく穿ち、散る土くれの中で振り向く男の長い黒髪が揺れ──同時にふた筋の流星の煌めきが更に敵を襲って隙を生む。
「頑張ったな、リク。あとは任せておけ……我ら、ケルベロスに」
 巽・清士朗(町長・e22683)の足に浮かび上がっていた靴型のヘリオンデバイスが、繋がれていた光線が途切れると同時に消え、ふぅ、と光線を繋いでいたイズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)は胸を撫で下ろす。
 間に合った──。
「もう大丈夫だからね!」
 ちらと後方へやった彼女の紅の瞳は、幼子を連れ駆けていくユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)の光の翼揺れる後ろ姿を捉える。
「……なんだぁ? お前──今、確かに斬ったろう」
「さあて」
 流星の衝撃をひとつ受け、ひとつはからくも避けた罪人エインヘリアルが眉を大きく歪め問う。清士朗は涼やかな微笑を浮かべる。その隙に素早く地獄の番犬達は困惑に金色の瞳を見開く少年へ駆け寄った。
 その傍らに大きな身体を丸めてしゃがみ込んだベーゼ・ベルレ(ミチカケ・e05609)は彼の手をしっかと握った。
「大丈夫。おれ達は助けに来たんだ、キミ達を!」
「おれ、たち……、!」
「だいじょうぶ。ティアン達の仲間が、弟のこともきちんと護る。無事だ」
「ああ。奴には手出しさせん、兄弟揃って必ず助ける。だから後ろで大人しくしててくれ」
 我に返ったというよりも気付いたという様子で背後を顧みた少年の視界へ着地したふた筋の流星は、そのまま隣を過ぎて彼を背に庇う。
 ティアン・バ(彼岸のみぎわ・e00040)の言葉に、軽く肯いたレスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)は過ぎ様に「それから、」少年の頭に大きな掌を乗せてくしゃりと白の髪を撫でてやった。
「よく弟を逃した、いい兄貴だ」
 その瞬間の表情を見たのは番犬達の中でも少数だ。彼らは少年を護るように、彼を背に陣取ったから。
 それだけではない。
「何がハズレだ」
 気怠げに、けれど裡に燻ぶる熾火が確かに燃えるような、裏葉柳の奥に一条の紅の燈る瞳がひたと大男を睨め据える。
「──お前こそが傲慢じゃないか」
 自分より大切だと思える誰かを残そうとした──その想いがどれだけ尊いか、知らないだろ。呟くノチユ・エテルニタ(宙に咲けべば・e22615)の身に纏う流動の銀が輝いて、前衛の仲間達の集中力を高めていく。
 彼とグレイン・シュリーフェン(森狼・e02868)が留意するのは、少年・リクの存在だけではない。戦場を離脱した弟は当然。そして大地に吸い込まれた紅の傍に頽れる、身体。
 彼らの両親、その遺体。
 ──……ふたつ、届かんのなら。あとふたつは、……必ず。
 レスターは瞼を暫時、きつく閉じる。ああ、けれど。けれど。あんた達は『できた』のだなと思えばぢりりと胸の奥が焦げつく感覚がする。
 『    』。脳裏に浮かぶ言葉は敢えて意識から追いやった。
 大男はつまらなそうにごきり首を鳴らした。
「定命の孑孑をどうしようが、勝手だろうが?」
 男の灰色の瞳が動く。地獄の番犬達。遊び相手には最適だ。けだものは本能的に知る。彼らを怒らせるにはなにをするのが最適か。どうすれば最も己の望む絵図を完成させることができるか。
 次も彼らが距離を取るなら、この身を自由にするなら、
「!」
 男の思考を読み取ったかのように踏み込み付き出された掌を、すんでのところで躱した。巨体を掠めた場所から螺旋のエネルギーが僅か弧を描いたが、それだけだ。
 馳せ違い様、敵の目と蒼穹の双眸がかち合う。蒼穹の主・グレインが、苦々しくも口角を上げて見せる。
「安心しろ。こっちもお前みたいなやつは一発殴らないと気が済まないんでな」
 お前の望みどおりの戦いをしてやる。
 だから小細工などするなと言外に告げた彼の台詞に同調するように肯いて、
「──鬼さんこちら、とな。いや鬼というよりは獣というべきか」
 となると檻が必要だな。薄く唇に笑みを刷いて清士朗が包囲を絞ると同時。
「そうそう! あなたの相手は桜子たちがしてあげる。まずはその素早い動きを、封じてあげるよ!」
 ──これ以上、誰も死なせたりはさせないからね!
 後衛から飛び掛かる、流星の軌道を描いた天司・桜子(桜花絢爛・e20368)の蹴撃をしたたかにその肩に受け──、彼らの覚悟を知って男は高らかに哄笑した。
「好いなぁ、お前ら!」

●噛
 小さく吐息を零してレイピアを構え、桜子は大男を見上げる。
「『恐怖』に『脅威』……それは人を苦しめるだけの存在だよ」
「本当に迷惑! エインヘリアルは罪人ばっかり送ってきて困るよ、ねッ」
 ここは絶対通さないから。桜子の喚ぶ薔薇の花弁の幻影が舞い散る中、イズナも『星槍』を備え──『チェイスアート・デバイス』の恩恵も受けて、敵の動き出し狙い出鼻を挫く。
 単純な大男が「っ!」あからさまに苛立ちを募らせていくのが判る。
「リク、」
 両掌から空へ駆け上がる煌めきが、仲間達へとささめき降る。星謳──カンツォーネ。
「さっきも伝えたように、弟は僕達の仲間が保護してる。だから、あいつを斃すまでは僕達の後ろから離れないで」
 静かでありながらも強い意志を秘めたノチユの声音に、少年が息を呑む。
「怖いだろうけど、必ず君を守る。……守らせてくれ」
 彼の脳裏に過る凄惨な光景を、燃え上がる昏く固い決意を、少年は知らない。伝わるのはただ、真摯な想いだけ。
 同じくノチユの過去は知らねども、ベーゼは力強く肯いて「……リク」振り向いた。
「一緒に、戦って欲しいんだ」
「え」
 思い掛けない言葉に少年は瞠目し、もちろんくしゃりと目許を和らげてくまは首を振る。
「傷つけるんじゃなくて──気持ちで、声で。……負けないって信じるコトが、皆のチカラになるから、」
「はっ。孑孑如きの声援が、なにになるってんだ、ああ?」
 ベーゼの声を嘲笑い、エインヘリアルが鉄の塊のような血塗られた大剣を横ざまに構え、一歩踏み込んだ。ずん、と身体全体へと大地の震えが届く。
「絶望しろ、そして死ね!」
 風斬る音すら置き去りにした斬撃に「ミクリさん!」ベーゼが叫ぶ。
 ティアンの前に飛び出した清士朗の『大磨上無銘 玄一文字宗則』の幅広の刀身──それでも敵の無骨な剣に比すれば華奢に見えるそれ──が、横薙ぎの攻撃を絡め取り威力を受け流した。
「実に『らしい』、単純な筋だな」
 小さく笑って見せる清士朗の傍では、樽型ミミックとグレインがその攻撃にリクらの両親の遺体が傷付かぬよう護り抜いて。深々と刻まれた傷にも溢れる血にも構わず、グレインがミクリさんの頭へぽんと手を乗せて労えば、がっしゃがっしゃとミミックは跳ねた。
 その姿に安堵しながらも、ぎゅう、とベーゼは大きな掌を握り締めた。
「認める、もんか。……オマエみたいなのが、選定された『勇者』だなんて……!」
 『死者の泉』から選定されデウスエクスとなった存在、エインヘリアル。彼の脳裏に浮かぶのは、紅い涙を流していた光の翼。
 こんなやつらを生み出すために、あんなに苦しんでいた、なんて。
 ぎり、と音がしそうなほどきつく、灰色の瞳が見上げる先に聳え立つのは『恐怖』。でも不思議と──足は、震えない。
 ──信じてるんだ。おれ達は負けやしないって。
 おれは、欲張りだから。
「誰ひとり欠けさせや、しない……!」
 それは誓い。湧き上がる光は弱々しくも暗闇を照らし出す、月明り。ツキノワの誓い。
「傲慢なのは……思い上がってんのは、オマエの、ほうだ……!」
 輝く光がグレインへと降り注ぐのを見遣りつつ、ゆぅらり、ティアンは微睡むように首を傾げた。……肯いたのかもしれない。
「……戦えたのに戦わせてもらえなかったことより。届かぬ所で大切な人を失うより」
 持ち上げた指は、ひたと敵を指す。
「この手で殺せるおまえには、ティアンは恐怖を感じない」
「……ほぉ?」
 恐怖を与えることが今の彼の存在意義だ。ティアンの揺るぎない声音に、初めてひくりとその口許が引き攣った。
 ただの挑発──ではない。ちらと彩りを点さぬ灰の目が見遣るのはリク。安心させるために。あるいは、勇気づけるために。
 ──絆が、絆を結ぶ相手が、これ以上喪われぬ様に。
「なら刻んでやろう、恐怖ってものを」
 彼女のそれとはまるで違う、狂気に彩られた灰色の双眸が妖しく輝いた。振り上げられる大剣が澄んだ空に血塗られた色を反射する。
 だが。
 振り返った際にティアンが確認したのはリクだけではない。ノチユとイズナ。双方からも首肯を受けて確信を得て──最後に見たのは、レスター。彼はちいさく肩を竦めた。そう。
 ──大剣使い相手に戦うのは、何も初めてじゃない。
 振り下ろされる刃の軌跡。
 ふわり、と。
 舞いの如き軽やかな足取りで踏み入るのは敵の懐だ。
 弧を描いた細い灰の髪がひと房、斬り落とされたのはさすがだが、そんなことで怯むティアンではない。戦闘のさ中、目を凝らし続けて見つけた弱点。
 巨躯を支えるその膝。負荷が大きく、時経つにつれて徐々に動きが鈍くなっているのを、仲間達も気付いていた。だから狙う。容赦はいらない。迅速に、正確に。
「──今。」
 『花』と呼ぶ刹那の獲物。生み出した光の銃口に並んだのは、レスターの銀炎で生まれた銃口。
 知っている。隣立つ存在、あるいは友との手合わせで覚えている。
 ──狙われたことがあるのは、狙うべきだと知っているのは、
「足と、」
「首と、」

「「心臓、」」

 重なる銃声が広い空へと轟いた。

●燻
 とん、と高く跳んだ赤の燐光纏う蝶の如き翼を広げ、イズナはにっこりと微笑んだ。
「──不吉の月。影映すは災い振り撒くもの。……ここに来たのが間違いだったって、後悔してももう遅いからね」
 終りだよ。囁く声と共に耀き放つ災厄のルーンが、敵を縛める無数の呪縛を更に増やして身動きすら封じていく。災い振り撒く古の呪縛──ユーベルコード。
 より効果的に状態異常を増幅するべく意識したイズナを始めとして、その身を縛る攻撃を重複することで素早さを利点としていた敵の狙いは完全に封じ込められたと言えた。
「こうも簡単だと、」
 それでもなお踏み込もうとする大男の一歩を利用して、清士朗はその長い股下をするりとくぐり抜けた。たった一瞬のその隙に振るう白刃は緩やかに、けれど確実に敵の内腿と脛を斬り裂き血飛沫を散らすも、白い清士朗の羽織は既に其処になく。
 迸る獣の如き咆哮に構わず、その背後に抜けた彼は血振りをひとつ。
「恐怖など覚えるいとまもないな」
 静謐すら感じる一連の攻撃に、エインヘリアルのこめかみにはちきれんばかりの青筋が浮かび上がり、骨の軋むのも構わず大剣を振り上げた。
「が、ああぁあああッ!!」
 鬼気迫る敵の姿へと向けて零された微かな舌打ちを耳にした者は、どれだけ居ただろう。
 レスターは胸に渦巻く怒りと恨みを、すべて地獄の業火へと焚べて昇華する。それはリクと、そしてここには居ないリョウの分までと願う。
 戦法も獲物も似た敵の傲慢さは、嘗ての己への皮肉にも思えたからこその苦々しい想い。
 己の底に未だ澱むその感情を、彼ら兄弟には置いて行かせたい。
「……だからこそ嘗てを繰り返させはしない」
 斃して救う。
 今度はふたつ共、やり遂げる。
 ──それを傲慢と呼ぶなら、それでいい。
 まだらの毛並と、白い毛並の獣が二匹。
 打ち下ろされた強大な一撃はレスターへと与えられた仲間からの加護を全て引き剥がすが如き衝撃を叩きつけたが、白の獣は怯まない。足を止めない。
 肚の底から吼えて、敵の剣を弾き上げる動作のままに高く跳ぶ。そして。纏う重力を一点に集中し振り下ろす刃は、敵の兜を叩き割った。
 大きく体勢を崩した大男はそれでも片膝をつくに留まり──レスターは深く息を吐く。
「畜生……定命の孑孑の、……分際で……」
 ぜいぜいと肩で息をし吐き出すエインヘリアルの言葉に、その様を我が身で以てリクの視界から隠しながらもノチユは胸を灼く憎悪が己の心の臓を絡め縛めるのを感じた。
 彼は墓守の末裔。生を尊び死を悼む者。
 それは限りある命を持つがゆえの、立ち位置だ。
 しかし。
「……残念だったな。お前の命も、ここで了る」
 ノチユはその感情を表に出さない。しなやかに長い指を開いて見せればふぅわりと浮かび上がる癒しの霧が、彼の漆黒の髪に煌めく星屑の光を照らし──ひしゃげたレスターの肩へと集った。
 それは背後で『恐怖』に、『脅威』に身を竦ませる少年を更なる怯えを与えたくないからだ。なるべく穏やかな所作で振る舞うと心に秘めていたのは、己に出来るのはこれだけだという諦観の混じるやさしさ。
 ──美しいふりなら出来ても、彼のこころは救えない。
 兄弟の迎える次からの毎日が、壊れてしまうことはわかりきっているけれど。
「……どうか、生きてくれ」
 零した祈りは、ただかそけく。

 なぜ? なぜ? なぜ?
 負けるはずがない。この俺が。孑孑如きに!
 恐怖するはずだ。畏怖するはずだ。
 なのになぜ、膝をついているのは俺なのだ!
 この地獄の番犬どもは、なぜこうも揺らがないのだ!
 なぜ、恐怖するのはあの孑孑だけなのだ!!

「がああぁあああ!!」
「おっと。……お前の好きにはさせねえ、よ!」
 最後の力を振り絞ってリクへと躍り掛かろうとした敵。素早くベーゼとノチユが少年への路を閉ざし、グレインの振るう星辰剣が、鈍り切ったエインヘリアルの大剣を打ち飛ばす。甲高い音を立てて跳ね上がったそれは遥か後方の路傍へと突き立った。
「さよならだね」
 桜子は変わらずの柔和な表情で『宝桜鉄棍』の先をけだものの前へと突き付けた。撲殺釘打法。獲物の先端に釘の鋭さを持つ棘を生やし、殴打するグラビティ。

「待って!」

 叫んだのは、最後尾。──リクだ。
 一様に虚を衝かれたケルベロス達に、ベーゼの服を掴んだ彼は顔をくしゃくしゃにして首を振った。
「倒して欲しい。父さん達の仇も取って欲しい。でも傷つけるんじゃなくて、」
 未だ混乱しているのだろう。纏まりのない言葉を連ねていた彼だったけれど。金色の瞳が桜子を見据えた。
「い──痛いのは、やめてあげて、欲しい……」
「……」
 眉間に皺を寄せるレスターに、とんとティアンが肩をぶつける。リクの願いに、桜子は微笑んだ。間違いなく命を送るために最も強力な技を叩き込むつもりだった。
 手にしていた武器を仕舞い、代わりに握ったのは、細身の剣。
「この子に感謝するんだね。さあ──華麗なる薔薇に見惚れて、消えてしまいなさい!」
 湧き上がる、幻影の薔薇の花弁が敵を包む。
 鮮やかで美しい光景の中で、けだものは呻いた。

 ──ああ。これだから人間は、

●明日
 完全にデウスエクスの姿が消えたのを確認してから、清士朗は両親の遺体を整え、敬意を以て己の羽織を掛け、二礼二拍一礼する。ティアンもその瞼をそっと伏せさせ、頬に散った紅を拭った。
 死は一瞬で訪れただろう。それが、慰めにもならない唯一の救いだったかもしれない。眉をひそめてノチユは思う。
 単純な鈍器にも近い獲物であったが故の損傷は、グレインがヒールを試みたが、命が喪われた身体への幻想化は避けられそうもなく断念した。
 清士朗はもはやなにもない田舎道の先を見て零す。
「──次に生まれ変わったら、誰かがお前の手を握ってくれるといいな」
 それは、寄る辺のなかった大男への手向けの言葉。
 その姿を立ち尽くして見ていた少年の傍に両の膝をついて目を見つめ、イズナはその白い髪を撫でた。
「……がんばったね」
 とっても偉かったよ。それはめいっぱいの激励だった。イズナはヴァルキュリア。看取りを司る妖精だ。宿る慈愛を感じたか、再びくしゃりと歪みかけた唇をリクは引き結ぶ。
「……悪ぃな」
「間に合わずすまない」
 同時に謝罪を口にしたのはグレインとレスターだ。向けられた少年の視線に、グレインは僅か尾を頼りなく揺らす。謝ったところでどうしようもないことは百も承知。でも、だからこそ。
 もし必要であればいつでも使ってくれと彼が差し出したケルベロスカードを訳も判っていない様子で受け取ったリクへ手を差し出し、にっこり笑って見せたのはベーゼ。
「さあ、リョウをつかまえにいこう」
 差し出された毛むくじゃらの掌に、どこか虚ろな表情のまま、けれど確かにリクは指先を乗せた。それを「でも、その前に」ベーゼはぎゅっと握り返した。
「……ちょっとくらい、泣いてもいいと思うっす」
 もう、我慢しなくたって。
 彼の声に金色の双眸にみるみる涙が浮かんで、レスターはそれを隠すみたいに、少年の頭を片腕で胸に抱え込んだ。
「……泣いてもいい、今は」
 決壊してからは、止まらなかった。
 ユノが弟を連れて戻ってきてからは、ふたりで。
「ユノ、ありがとう。キミがいたから、ちゃあんとふたりとも助けられたっす」
「……僕は、なにも」
 心なしか光の翼を下げた彼女にベーゼはそんなことないっす、と返して。
 兄弟の涙はいつまでも枯れることはなく、桜子とノチユはその間に関係各位への手続きを進めていく。
 明日は、続くから。

作者:朱凪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2020年11月11日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 2
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