レッドでホットでチリなワンデイ

作者:東公彦

 茨城県真岡市。山腹の畑に足を踏み入れた男は一見迷い人であったがその足取りは確かであった。
「へーい、ロックンローーァル!」
 男は畑に入るなり声にした。ダメージジーンズに派手なライダージャケット、イギリス国旗のバンダナを薄くなった頭に巻いたこの男が農家などと、かの名探偵ホームズでも考えまい。
 男は突き出た腹を揺らしながら畑のなかでも唐辛子の畝へ一目散に向かった。本来、寒気乾燥に弱い唐辛子だったが男はどうにかして寒さに耐えられる作りたかった。ロックの道を諦め、農業の道をひた進むしかなかった男を絶望感から救ってくれたのはロックと同じほどの熱量を持つイカした野菜、唐辛子であったからだ。
 とはいえ農業の道も半ば。今まで幾度となく試行錯誤してきたものの、男の願う時期に唐辛子が実りをつけたことはない。しかし今日こそは。いつものように期待と失望ない交ぜの心境で男は畝を覗きこんだ。
「わ……ワンダッフォー……」
 男はそう呟いて目を丸くした。目線の先には青々とした唐辛子の主枝が伸びていた。人の背丈ほどもあるその主枝には真っ赤な実までなっているではないか。
 夢にまで見た光景に男が足を進めた。この際、異常な大きさの実など気にならなかった。男の手が手袋ごしにごつごつとした実の表面を撫ぜた。すると、ぱっくり実が開きあっという間もなく男を呑みこんだ。
「イエース! ホットでスッパイスィーな俺様登場だっぜ~!」
 男を取り込んで更に巨大になった唐辛子の攻性植物は、実を口のように開閉させて叫んだ。


「ロックンロール! 攻性植物が唐辛子に寄生しちゃったみたいだよー」
 正太郎がロックシンガーになりきって空をつまびいた。
「イェーイ……。攻性植物は既に男性を取り込んでいるようね」
 アウレリア・ノーチェ(夜の指先・e12921)が気だるげに腕をあげた。傍らにいるアルベルトも同じように腕をあげた。正太郎がコールを受けて得意げに話し出す。
「唐辛子の栽培に夢をかけている男性みたいで色々な品種改良を試していたみたいだね。通常の日本唐辛子とは違って外来種も掛け合わせているから辛さは相当みたい」
「唐辛子の畝付近には他の作物はないから気兼ねなく戦えそうよ。けれど攻性植物といえば厄介な問題ひとつ残っているわ」
 声をうけて正太郎が飛び跳ねた。本人は軽快に跳んだつもりだろうが、カバの高跳びくらいには無様である。
「イエス、エブリバディ。通常の攻撃で攻性植物を倒してしまうと取り込まれた人も一緒に死んでしまうみたいなんだ。助けるためには地道に攻撃を繰り返して、適度に敵を回復させなければいけないんだけど……この個体は少し特徴的でね」
「オーライ……。あの赤く実った唐辛子の実を食べれば取り込まれた人間は無事に戻ってくるようなの」
 言葉にしながらアウレリアが喉をならした。あれだけ巨大な唐辛子、形状からしてスコヴィル値は相当なものだろう。
「私、辛党なのよ」
「ザッツ、グレイト! でも注意が必要だよ~。どうもご機嫌なサウンドを聞いたり、攻撃を受けたりするほど辛味が凝縮されていくみたいなんだ」
 正太郎の言葉にアウレリアは首を傾げた。それのどこが注意事項なのだろうか。
「むしろご褒美じゃないかしら?」
「……普通の人にはノーサンキューだと思うんだ」
 ひとりごちたがアウレリアの耳には届いていないようだった。伴侶であるアルベルトと二人の世界に入ってしまっているようで、こうなると正太郎が立ち入るような隙はどこにもなかった。
「とっ、とにかく! 仕事を成功させて男性も助けて、パーフェクツな達成を期待してるよ」
「二人でホットな体験をしましょうね」
 伴侶の手をとって、アウレリアはまだ知らぬ辛味の新境地に想いを馳せるのであった。


参加者
伏見・勇名(鯨鯢の滓・e00099)
カトレア・ベルローズ(紅薔薇の魔術師・e00568)
イッパイアッテナ・ルドルフ(ドワーフの鎧装騎兵・e10770)
アウレリア・ノーチェ(夜の指先・e12921)
イグノート・ニーロ(チベスナさん・e21366)
エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)
アルセリナ・エミロル(ネクロシーカー・e67444)
ローゼス・シャンパーニュ(セントールの鎧装騎兵・e85434)

■リプレイ

「ヘェーイ、俺様を倒しにきたってか? エインヘリアル50体を軽くのして、ドラゴンを指先ひとつでダウンさせる俺様に勝とうなんて無駄ってやつだぜぇ! ホー!」
「……アンタ指ないわよね」
「ん。腕も、ない」
 呆れて口にしたアルセリナ・エミロル(ネクロシーカー・e67444)に、伏見・勇名(鯨鯢の滓・e00099)が何度も頷いた。このくさ、へん。おもしろい。
「私達は戦いに来たのではないわ……あなたを食べにきたのよ!」
 アウレリア・ノーチェ(夜の指先・e12921)が宣言し一歩前に進み出るとすかさずイグノート・ニーロ(チベスナさん・e21366)とカトレア・ベルローズ(紅薔薇の魔術師・e00568)がレッチリの顔――植物の『顔』をどう既定するのか、今回は唐辛子たる実を顔とさせて頂こう――に両側から手を添えた。
「あなた、顔がむくんでいるようですわね」
「輪郭をシャープに致しましょう」
 二人が素早く実を削ぐと、地に落ちる前に見事ローゼス・シャンパーニュ(セントールの鎧装騎兵・e85434)が食材を確保し、イッパイアッテナ・ルドルフ(ドワーフの鎧装騎兵・e10770)の用意した特製のキッチンで待ち受けるエトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)まで届けた。
「戦う雰囲気ではないようです。中々に話の分かる植物で何より」
 ローゼスが腕を組み、しきりに首を縦に振った。全身を覆う重装の西洋鎧のために表情は一向に窺えないが、争いを避けられたからか満足気だ。
 その想いはエトヴァも同じであった。
「ええ、そうですネ。さぁ、下準備は出来ていますから、手早く料理してしまいマショウ」
「器具の準備も万端ですよ。やりましょう、エトヴァさん、ローゼスさん!」
 イッパイアッテナが熱っぽく声をあげて握り拳を突き上げた。
 この時点で彼らは気づいていなかった。今日が振り返るも恐ろしい血塗られた一日になることを……。
「デウスエクスだものね。食べて解決できるなら手間がいらないけど……期待はしてないわよ、期待は」
 ただひとりアルセリナが、頑迷な美食家然として訝しげにひとりごちた。


 包丁が軽快にまな板を叩き、炎に鍋を煽らせるたび極上の音が耳を楽しませる。そこへ嗅覚に訴えかける香りが漂えば、畑は一変、大自然のなか佇むレストランに変貌を遂げた。
 厨房に立つエトヴァは髪をまとめ上げ、頬にかかる前髪をピンで止めると、戦う時さながらの真剣な表情で食材に向かいあっていた。複数の料理を、くわえて多人数分同時にこなすのは難しいもので熟練が必要である。彼は自らの性分とレプリカントらしい精密性を以て手早く料理を仕上げてゆく。
「イッパイアッテナ殿、こちらを強火にかけてくださいマスカ?」
「勿論ですとも! 私に任せてくださいエトヴァさん」
 言うが早いやイッパイアッテナはフライパンを火の舌の上に躍らせた。私生活においても好んで過酷な環境に身を置く彼は、普段から十全の機材を前にして調理することなどない。こうもお膳立てをされれば大いに腕が鳴る。
 イッパイアッテナは慎重に、しかし力強く鍋を振るった。
「これには……チリ産が良さそうです」
 厨房において次々と完成をみる料理の傍らでローゼスがひとりごちた。彼の手には女性のくびれを彷彿とさせる瓶がいくつか。料理の味を損なわせることなく、とはいえステージの喝采を勇んで浴びることもない。食事における素晴らしい名脇役といえば酒の他にはないだろう。特に彼が好むのはワインである。
 ローゼスは料理の香りや少しばかりの味見でワインを選別した。自信をもって勧められるチョイスだ。もちろん、未成年には好みに合わせた飲み物だけを運ぶ。

「あぁ……良い香りですわぁ」
 空気にのって流れてくる刺激的な香り。それに胃の腑をぐっと掴まれる心地でカトレアはテーブルについていた。仕事であるため不謹慎と緩む表情を制してはいるが何を隠そう辛いものは大好物である。カトレアは秘かに胸を高鳴らせた。
 彼女ほど密やかではなかったが、他の面々もそんな想いを秘めていた。
「どれだけホットでスパイシーな体験をさせて頂けるのかしら」
 もはや官能的とまで表現できる、悩ましげな溜め息をアウレリアがつく。すると声に応じるように音もなく湯気たつ皿をテーブルに置かれた。
「そうですともそうですとも。非常に興味をそそられる香りでしょう?」
 タキシードに身を包んだイグノートは次々とテーブルに料理を並べた。給仕姿は板についており、一挙手一投足どれもが洗練されている。
「シェフが腕を振るった一品です、どうぞお楽しみください」
 慇懃に一礼をし、水面に一つの波紋さえ残さぬ鳥のようにイグノートは厨房へ立ち去った。
 このように厨房には男子が食卓には貴婦人達がつくという、中世封建的な社会における一般的因習『男子厨房に立たず』の精神は窺えなかった。狙ってのことではないが、一種現代的な家庭の世相を反映していたわけである。
 さて、この刺激的な芳香をふくんだ湯気が勇名の冷えた頬を包むと、本来辛い物が苦手である少女も「おお」と余人には違いのわからぬ感嘆の声をあげた。
「ぼくのしごと、きょうは、たべる」
 テーブルの下で足をぶらりぶらりと揺らすのが彼女の精一杯の表現であったが、それを視止めたエトヴァには勇名のワクワクと沸き立つ心が見えるようであった。
「えとば、おてつだい、いる?」
 表情をぴくりとも変えぬまま首を傾げる勇名の頭を撫でて、エトヴァはゆっくりと首を振った。やがて料理が揃い、全員が席につくと「食べられる種類なんでしょうけど、デウスエクスだからね。忘れないように」とアルセリナが口にして、その割りいの一番に箸をつけた。すると、
「――ん、美味しいわ」
 アルセリナの言葉につられてエトヴァも一口。
「うん、美味しイ。この辛さがきっと人を離さないのですネ」
「嗚呼、やみつきになりますね」
 あくまで紳士的な作法を崩さずにイグノートが料理を口に運ぶ。辛味と旨味が寄せては引いて、イグノートの口のなかに幸福をもたらした。唐辛子のディップソースに獲れたての野菜、グラスを太陽に翳せばルビー色の影をテーブルに落とす。
 昼下がりの一時としては完璧である。
「素材もさることながら素晴らしい腕です」
「そうね。弟子が作った料理しか口にしてないから味の好みとか余り考えたこと無かったけど……普通に美味しいじゃない」
 振りかけた山椒が独特の風味をつけている。アルセリナはかきこむように麻婆豆腐を食べた。食事という行為に根本的な興味を持てない彼女にしては珍しい食べっぷりであろう。
「美味しい……本当に美味しいですわ……」
 隣ではカトレアが頬に手を添えてうっとりと目を潤ませていた。
 緑をちらしたペンネアラビアータ、じっくりと煮込まれた唐辛子とあさりのスープ、特製ピカンテオイルを垂らしたチーズとろける特製のマルゲリータピッツァ。
 あくまでお嬢様然とした手付きを崩さずに、カトレアはフォークを手繰った。
「さぁ、皆さん。どんどん食べますわよ!」
「おー、ひりひり。けどおいしいぞ」
 勇名ももくもく口を動かす。体の芯に火がついてように冬の寒風も気にならない。ついで砂糖たっぷりのホットミルクを一口飲めば、口のなかは凪いで、少女はほっと息をついた。
「ぎゅうにゅうすき」
「おお、なんと絶妙なマリアージュでしょう!」
 西洋兜の口覆いをあげてローゼスがグラスを傾ける。それがあまり美味しそうに飲むので、勇名も気になって匂いを嗅ぎ――うめいて鼻を抑えた。
「むーー」
「ははっ、伏見君にはまだ早いです」
「ん、いらなぃ」
 少女は口を引き結んで言った。
 さて、オイルの海で泳いでいたレッチリは一同が純粋に食事を楽しむさまを見て、しんみりと嘆息した。
「クレイジィーな俺様をここまで美味しく食べてくれるなんてよぉ、マジで思わなかった……感激だぜぇ」
「レッチリ様、貴方が自らの養分としようとしているのは、一つの道を諦めても新たな道への歩みを止めない素晴らしいお方です。つまり――ロックな方ですね。どうか彼を解放して頂けないでしょうか?」


「アーハァン。まっ、そこまで言われちゃ俺様も」
 深く腰を折ったイグノートを見て、レッチリは自らの体を伸縮させて男を吐きだそうとした。その時である。
「物足りないわ……」
 ぽつり、春うららかな雰囲気のテーブルに寒風が如き言葉の風が吹き付けたのは。
「確かに美味しかったわ。でもこれは辛いとは言えないわね!」
「オイオイオイ、なに言っちゃってんだよ。俺様がホットじゃねえって!?」
 一石を投じたアウレリアを、アルベルトが止めようとするも、彼女はなおも喋りつづけた。
「最高にホットでスパイシーになったあなたを食べてこそ、意味があるの。今のあなたはロックスターどころか売れない田舎のフォーク歌手同然よ」
「ヘーイ、だったら味わわせてやるッゼ。最っ強にホットでスッパイスィーな俺様をなぁ!!」
「ガデッサ、演奏なさい!」
 食事のおこぼれを狙っていたガデッサは一瞥してわかった。逆らえば大変なことになる。急いでベースを肩にかけビートを刻む。始まってしまえばしょうがない、計画にない話ではなかったので、カトレアとエトヴァも慌ててエレキギターの弦をつま弾いた。
「あーもう、どうしてわざわざ面倒な方向に持って行くのよ……」
 アルセリナが額に手をやった。がっくり、擬音まで聞こえてきそうである。
「ま、まぁ。美味しく完食すれば問題ないかと」
 言いながらローゼスが料理を口に運ぶ。と、
「―――からいっ!?」
 堅牢たる精神の騎士が思わず叫ぶほどに料理の辛味が増しているではないか!
 全く、大げさねぇ。呟きながらアルセリナがペンネを口に運べば、
「ん~~~!!?」
 瞬間、蜂に刺されたかのような痛みが口内を駆け巡った。急いで水を煽るもその程度では口内の暴動は治まらない。
「本体から切り離されても個体の特性は変わらないってこと? 興味がわくけれど――ってことは……」
 アルセリナは振り返って演奏を続ける仲間達を見た。イッパイアッテナがドラムを叩きだせば、それぞれの音はまとまりを持って完成度の高いジャムセッションと化していた。
「フーっ! いいねぇ、どんどんゴキゲンなサウンドを掻き鳴らしてくれっふぉーー!!」
 レッチリが天高く叫ぶ。根元の枝葉が枯れて、その顔は更に赤々と輝きを増した。
「食も音楽も、全身で感じましょう」
 イグノートがイスに飛び乗って狭い足場で器用にタップを決める。杖を用いた三本の足が魔法にようにリズムを刻めば、ビートもまた白熱してゆく。
「―――」
 胸を焦がす未知の熱気に戸惑う暇もなく、自然とエトヴァは口を開いて即席の詩を口ずさんでいた。美しい歌声と空気を切り裂くようなメロディは、一考して火に油と思えるが、なかなかどうして北欧に存在するゴシックメタルと位置づけられるロッキンな音楽に非常に類似していた。
「~~っ、燃えてきました!」
 食事の熱と体内のエネルギーを発散させるべくイッパイアッテナがスティックを振り回す。原初の時代から存在する重低音が命の鼓動を強く揺るがして、空気を震わせる。
 すると競ってカトレアがステージの最前列に躍り出た。
「ふふん、私だって負けませんわ」
 カトレアは指を滑らせ稲妻のような音を響かせる。ネックにかける手が別の生き物のように俊敏に動き、息もつかせぬ音の激流を生み出した。
 青空の下で開店した自然派のレストランは、いまや都会の地下街で行われるサバトの様相を呈していた。
「ぱちぱち。すごい、おと」
 即興のバンドに拍手を送る勇名は、言いながら全く無防備にピッツァを口に運んだ。運んでしまった。
「ぴゃわん!」
 途端に奇声をあげて、フリーズしたように固まってしまう。じわりじわり、汗がにじみ出てくる。意を決して二口めを呑みこむと――ボンッ! と頭から湯気が立って、異様なくらいの涙が頬をつたい川をつくる。
「ひっく、なにこ――ひっ、目のあたり、ひっく。こわれたか?」
 涙腺という名のダムが崩壊したごとく涙を流す勇名だったが、体は異物の嚥下に対して排出を促し、結果として止まることのないしゃっくりを引き起こした。
 いたいけな少女の涙ほど感傷を誘うものはないのだが、激辛の可能性を前にしたアウレリアの耳には嘆きも届いていない。
「最高の旋律……そして、最高の味」
 アウレリアは持ち込んだ激辛ソースを鍋に注ぎ込み、強火で一気に煮込む。バンドの演奏でテンションの最高潮となったレッチリの顔を掴んで地獄の釜に入れると、丁寧に匙を回した。
「うふふ、楽しみね。あ・な・た」
 魔女のつくる劇薬も真っ青の激辛スープを作る妻の笑顔に対し、夫としてアルベルトに出来ることは最後まで彼女に付き添うこと。そして仲間達が味わうだろう地獄の炎を少しでも和らげることだけであった。


「み、味覚が……」
 全身を震わせながらローゼスが口にした。セントールの宣誓、騎士の誇り、悲しいかな誠実さが今回ばかりは仇になった。救うために食べ続け、口内は痛みだけが支配していた。本来ならば芳醇である大地の恵みも、いまは舌を燃やす炎にすぎない。
「私は、騎士…不退転の……」
 言葉が途切れると、戦いでは怯むことさえない騎士は遂に地に伏した。途方もない熱を帯びた体からもうもうと湯気があがり、地面に落ちたワインは恰も彼の血のように大地を赤く染めた。
 しかし演奏を終えてテーブルについた演者達はローゼスの数倍は後悔の念を抱いたことだろう。なにせ辛味の一因はつい熱くなって極上の演奏を披露してしまった彼らにもあったと言えるのだから。
「どなたか水を……辛い物はもうたくさんですわ……」
「死ぬ、まじで死ぬ……」
「踏み入れては行けない場所がある……身を以て知りました……」
 身から出た錆という言葉が胸に突き刺さり、罪悪感のままに激辛の食事を摂り続けた彼らは、もはや誰一人として体を動かすことも出来ない。『相箱のザラキ』はエクトプラズムの舌を貝のように外へ投げ出し、『アケディア』は唸るばかりで地面に突っ伏していた。
「えとば、ひっく。たすけて……」
「勇名殿、お詫びに甘いものを必ず。生きて帰れたらですガ……」
 言葉を残して二人はがっくり、テーブルに頭を垂れた。
「天には蒼穹、地には草の海……。あぁ、心が落ち着きます」
 イグノートの見ている世界は遺伝子に潜む現象風景だろうか、それとも感覚の極限まで引き絞られた辛味に対抗すべく脳が見せる幻か、おそらくは後者であろう。
 召喚された魔法の貂は、意識が空想に混濁している主人を気遣うようにペロペロと頬を舐めた。
 だが誰もが倒れていたわけではない。
「わかる……今ならわかる気がするわ」
 必死にテーブルにしがみついてペンを走らせるのはアルセリナである。激辛料理を口に運ぶたび、脳が狭い檻の中から放たれたような開放感を憶え、彼女は頭のなかで過去の研究理論を洗いざらい検証しなおしていた。
「そうよ、問題はあの箇所で……ふふ、つまり――」
 力なく紫紺の羽を垂らし、夢遊病者のように呟きながらアルセリナはなおも手を止めなかった。
 代謝の強烈な促進、神経系の麻痺、強い幻覚視、脳細胞の急激な活性化と崩壊。それぞれ危険な症状を抱え、ケルベロス達はある意味で『重傷』に等しいダメージを負っていた。
 そんな中、アウレリアはただ一人だけ活力に満ち々ていた。
「出来た、遂に出来たわ!」
 数種類の激辛ソースにレッチリを入れて煮込み、辛味を凝縮させた一粒の唐辛子。地獄の罪人の骨と血で出来たような黒々とした、天界を征服せんとする悪魔の王が使う最終兵器。そのスコヴィル値たるや1000万を超える代物である。
「あんたマジでクレイジィーだぜ」
「お褒めいただいて光栄だわ」
 しばし二人は熱く見つめ合った。やがてどちらともなく笑いだす。それは戦友同士の交わす今生の別れのようにもうつった。彼女は唐辛子を半分に割ると誓いの指輪さながら夫に差し出し、
「いただきます」
 おごそかに言った。
 二人が一粒の唐辛子を口に運んだその途端、辛味の尖兵が瞬く間に口内を制圧した。辛味は一瞬で舌を駆け巡り、支隊が咽喉、咽頭を焼け野原として本隊の突撃は脳へと至る。散ざっぱら脳内を引っかきまわした後で、本隊はようやく体内を焦土にせんとしたが……。
「はぁ~、美味しいわ。まさに極上の味ね」
 アウレリアにとって、それらは苦痛どころか愉悦ですらあった。夫は下半身どころか首元まで消失しかけていたが。
「これだけ辛いものは久しぶりに食べたわ。満足よ、心からね」
 年頃の少女のように、アウレリアは頬を赤く染めた。
 すると攻性植物の主枝も葉もたちまち枯れて、根が張る地中からゾンビよろしく男が這い出てきた。畑のいる見慣れぬ人々を訝しむ前に男は叫ぶ。
「俺様の唐辛子は!?」
「食べたわ」
「ホァッツ!?」
 しばし固まった男だったが、唾をとばしながら肝心要の疑問を投げた。
「で、味は。味はドゥーだったのよ!?」
「最高に――ロックな味だったわ」
 それは男にとって何にも代え難い言葉であった。

 後に、冬に実をつける唐辛子をつくった男はそれにとある名をつけた『ファントマ・ノーチェ』という名を。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年12月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 8
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。