四季彩アクアリウム~光の誕生日

作者:東間

●春、夏、秋、冬
 一つ二つと舞う、ほのかに輝きを帯びた桜色。
 受け止めた陽射しで煌めき、色を深くする新緑。
 しとしとと降る雨と、そこから生まれて広がる波紋。
 列を成す入道雲と真っ青な空の世界。砂浜に打ち寄せる波。螢舞う星空。
 風に舞い、ふわりかさりと積み重なる紅葉や銀杏。
 音もなく降る輪郭の淡い雪や、銀細工めいた雪の結晶。
 ――そんな四季折々の風景が、海の生き物たちでいっぱいの水族館を染め上げる。
 和金に琉金、出目といった金魚に、見目麗しい熱帯魚やふわふわぽわわと漂うクラゲたち。右向け右と並ぶ――いや、何匹かは左を向いてご近所と見つめ合っているチンアナゴ。
 風のように水中を泳ぎ回るペンギンの群れや、硝子越しに見つめてくるイルカのトリオ。ホッキョクグマの親子にラッコ一家。
 そして、ショーが行われる地上と繋がる縦にも横にも広い水槽で過ごす海のハンター・シャチの家族。
 魔法めいた科学の力が、彼らと出逢える場所をいつもと違う世界に染めている。

●四季彩アクアリウム
 十九から二十歳へ。
 一つの区切りを迎えた花房・光(戦花・en0150)は、これといって特別な事をするのではなく、今年も水族館を満喫するのだと楽しそうに微笑み、ふさふさの尻尾を揺らす。
「お酒に興味がないわけではないのよ? でもこんな、水族館と最新のプロジェクションマッピングのコラボレーションなんていう素敵な情報を見つけたら、もう行くしかないでしょう? しかもホッキョクグマの子供やシャチもいるのよ」
 その水族館がプロジェクションマッピングを使った演出を行うのは今回が初らしい。
 客として訪れてお金を落とす事で、今後も素敵なコラボレーション企画が起ち上がりますように――という想いも籠めて行くのだと光は言い、話を聞いていたラシード・ファルカ(赫月のヘリオライダー・en0118)が「えっ、そこまで考えて」と小さく驚いた。
 水族館ガチ勢だ、という呟きに壱条・継吾(土蔵篭り・en0279)は耳をぴんっと動かして、それからそっと笑む。
「“好き”への投資ですね」
「ふふ、そうね。知らない世界と出逢えるからかしら? 小さい頃から水族館に行くのが大好きで……だから今年も、“好き”への投資ね」
 今回の水族館では、四季の風景が天井や壁、床に映し出されている。
 基本は無音だが、雨や風が“見える”場所ではかすかにその音が聞こえる為、水族館の持つ癒し効果と合わせて「いいね!」と喜ぶ声がSNSで増えているのだとか。
 シャチのショーでは彼らが鮮やかに舞うその後ろ――壁一面に四季が描かれる。桜吹雪、夜空と花火、鮮やかな秋色の葉、繊細な雪の結晶。シャチの動きと音楽に合わせて四季が花開く――というそれは、公式HPからの引用だ。
 ぬいぐるみや菓子、文房具がずらりと並ぶショップは魔法の範囲外だけれど、四季に彩られた世界で出逢った彼らを思い出しながら、心惹くものを探すのも悪くないだろう。
「陸の四季と海の生き物……広告動画で見るのとはまた違った感動が待っていそうだわ」
 大好きな水族館。特別なコラボレーション。
 自分の心躍らせる世界が、皆の心にも何かしらの煌めきを落とすなら――それは自分にとって魔法のようなものだと光は笑い、ぱたりと尾を揺らした。


■リプレイ

「シャチ見に行こう、シャチの水槽!」
 キソラの提案に「シャチ」と、サイガとラシードの声がハモった。
 しかも敢えてショーの最中の水槽を見に行こうと言う。鮮やかに舞う彼らの舞台裏はきっとレアだ。
「あとオシゴト中のシャチカッコいい」
「確かに。カッコ良さそうだ」
 うんうん頷く男の横で、サイガは長方形のパンフレットをぱらりと開き、真っ先に目に飛び込んできた大きな生き物を見て「サメ?」とぼそり。いやシャチはこれと指されたのは、サメほど鋭利なフォルムではないが、白と黒にハッキリ分かれたカラーリング。
「はー、浮き輪で見たコトあるわコイツ」
 浮き輪に描かれたものや、そのものを模った背中に乗るタイプ。あとはクジラやイルカもと浮き輪談義になりかけたのをキソラはぐいっと軌道修正。カメラを手にニヤリと笑う。
「ドッチがカッコいいトコ撮れるか勝負するしかないだろ」
「のった。ただし去年の俺とは違うので覚悟してほしい」
 交わる空色と赤色。勝負を持ちかけられたラシードもカメラを手にニヤリ。
 動いているものをモデルとした撮影勝負。前にもこんなんしてたなと思い出したサイガは、楽しげにシャチゾーンを目指す二人の背中に「精々モノが分かるようにファイトしろよ」と、大変雑~な声援を送るのだった。
 そして。
「デケェ。俺も乗りてーわ」
 しとしとと降る雨がそこかしこに映る中、飛ぶように上を目指したシャチが水面で姿勢を保っていたスタッフを背に乗せて、ざぶんッ。水面が派手に揺れ、彼らの姿は激しく揺らぐ水の向こうへと消えて数秒としない間に、ざばあんと派手に戻ってくる。
 シャッターを切ったキソラは、ファインダーを覗いたまま彼らの動きを追っていて。
「家族ってハナシだけどドレがドレだか。多分あの少しちっこいのが子供だよネ」
「シャチサンはご家族で冬を満喫してんのに俺らのむさ苦しさったらなあ……さみしくないんですか?」
「むさ苦しい言うなし。むしろ大人げなく楽しんでる写真弟らに送りつけちゃるわ。なあラシード」
「――家族」
 アッ。
 ダメージ入ったかと一瞬気まずい空気が流れ――なかった。先日両親から愛娘と出かけた時の写真が送られてきたとか何とかで、対抗心を燃やしているらしい四十歳は後で三人で写真撮ろうと不敵な笑みを浮かべる。
「ところでキソラがサイガを撮っていた気がするんだけど俺の気のせいかな」
「撮った撮った。もーバッチリ。今シャチと一緒に写ったおまえの間抜け面とかウケるんじゃねぇの」
「あ? カメラチェックさせろキソラくん。つかこのあとパリピ二次会行くじゃん? 限定シーフードプレートなんか食ってさあ、SNSに上げりゃ逆に羨ましがられっかもなあ」
「海老フライと蟹クリームコロッケ、サメ形ハンバーグ……うん、あれは美味しそうだった」
「二次会はイイな。じゃあまずは水上に出て、表舞台も見てからにしよ」
「そうしよそうしよ。つか撮ってんじゃねえよハゲ、カメラ貸せ次はてめえの番だ」
 サイガはぬっと手を伸ばし、キソラはそれをサッと躱して距離を取る。睨み合う二人の間にパチパチと火花が飛ぶものの、浮かべる笑みは気心知れた相手に対する遠慮のなさ。
「誰が貸すか、まだたくさん撮るんだからな」
「遠慮すんな。一枚くらい撮られろ」
「じゃあそんな二人を俺が撮るという事で丸く収めよう」
 撮って撮られて、撮りあって。
 賑やかに行く三人が上へと向かう中、雨は夏空へと変わり始めていた。

 水中をゆく色取り取りの魚。壁や床は青空に染まり、目に眩しい白を放つ入道雲がゆったりと過ぎていく。その間に架かる虹の煌きは、青空に淡く重なって――。
 そんな夏の風景が、シャチのショーへと向かうヨハンとクラリスの瞳に映り込む。
 ヨハンとクラリスにとっては、これが人生初の水族館。特に森暮らしをしていたクラリスにとって海の生き物はどれもこれも珍しい。ヨハンと共に歩きながら鰭や尾を揺らして泳ぐ彼らをじっと見つめては、視界を満たす青と夏の光に目を細めた。
 鮮やかな夏の後は、春爛漫の中を泳いでは舞うシャチ一家。
 固く閉じられていた蕾が、ほろ、と僅かに開いて、綻ぶ。春の色彩が溢れるさなか巻き起こった華やかな桜吹雪。二頭のシャチが高く舞い上がり、踊る桜吹雪にざばあんと水飛沫を重ねた。
 わあっと響いた歓声の中、クラリスの目は二頭よりもずっと小さなシャチ――水面目指してぐんぐんとスピードを上げる子供のシャチに釘付けで。
(「がんばれ」)
 前から楽しみにしていたショー。そこで大人に混じって頑張る小さなシャチ。クラリスは手をぎゅっと握り、心の中から水中へとエールを送り続ける。そして。
「わ……!」
 飛び上がった高さは大人に及ばないものの、子供のシャチが見せたジャンプは初々しくも立派。ヨハンも目を瞠り、愛らしくも『海のハンター』と称される強さを秘めた一家に二人は惜しみない拍手と喝采を送った。
 ショーの始まりから終わりまではあっという間に流れていき、人々の流れに乗って二人も歩き出す――のだけれど。クラリスはちら、とヨハンを見上げる。
「まだまだ遊び足りないよね? 今日くらいは童心に返ってみようよ」
「でしたら、次はタッチプールでウニに触りたいです」
 焔のような目が静かに向いた先には、重ねた段ボールで立体感を持たせた『海の生き物と触れ合おう!』の文字。面白そう、と笑ったクラリスと訪れた先では、真っ黒なトゲトゲの塊にしか見えないウニが、ひいふうみい。
 幼少期は鍛錬ばかり。誰かと遊びに出かけた事の無いヨハンは静かに目を輝かせ、そっとウニに触れてみる。恐る恐る眺めていたクラリスに大丈夫ですよと促せば、本日の好奇心無限大なクラリスも指先でちょんっ。ウニタッチは無事成功。
 十九歳から二十歳へ。移ろう季節と共にどんどん大人になる自分達。一緒だと不思議と楽しくて。けれど過ぎる時間を留めるように、本来別々な筈の歩調を同じにしたのは――心にも四季の輝きが映ったからか。
「……手を繋いでも良いでしょうか」
 ヨハンの呟きにクラリスは頷き、煉瓦色の大きな手を握る。
 そして共に過ごす四季は――止め処なく。

 今日はちゃんと、手を繋いで家から一緒に来た。
 そんな光流とウォーレンが見つけたのは、花筏めいた銀杏に囲まれて揺蕩う海月の前でじっと過ごす光の姿。祝辞を受けて笑みを浮かべた光に、ウォーレンは「あのね」と内緒話ひとつ。
「僕らも実は昨日一区切りを迎えたばかりなんだ。昨日二人でお役所に行って、家族になりますって届を出してきたところ」
「まあ……! おめでとう。家族になったのね」
 祝ったばかりの相手にお祝いされ、それ言うんやと少し目を丸くしていた光流は照れ臭そうに笑って「そやねん」と頬をかいた。
「俺ら家族になってん。こういうの勝手がわからへんくてな、まず何をするか相談中や」
「ふふ、名案が浮かぶといいわね」
 互いに笑って「それじゃあ」と別れてから行くのは、四季と海が一緒になった世界。
 流れゆく春夏秋冬。四季と水に抱かれてゆらり泳ぐ魚達。広がる全てに祝福されているようで、素敵だねとウォーレンは笑って光流を見る。共に過ごすこの四季を一巡りと言わずに二巡り、三巡り――。
「ぐるぐる何周でもしようー」
「そやな。最初から最後までずっと一緒に居れるんは良えな」
 人を追いかけるイルカ達の前で、一瞬手が離れた。ビーズのように溢れた白い泡の映像とウォーレンが重なって。泡も。彼も。全てが白くとけていくような。
 不安そうな顔に気付き、ウォーレンはにこり笑いながら大丈夫と周りを指す。鮮やかな夏に囲まれ始めたから、自分の髪色は目立つだろう。
「あ、イルカさんが来てくれたよ」
 けれど。ぱっ、と駆け寄っていく後ろ姿が遠くへ行きそうで。
「レニ!」
「えっ」
 捕まえられたウォーレンは目を丸くし、捕まえた光流は焦りから安堵へと表情を変える。良かった、ちゃんといた。けれど、ぶわっと出てきた妙な冷や汗はすぐに引っ込んではくれなくて。
「……君が消えたかと思った」
「……消えたり、しないよ? もしかして……イルカさんにやきもち焼いたとか?」
「やきもちなんか焼かへんよ。イルカより俺の方が良い男やろ?」
「ふふふ、ごめんなさい」
「謝らんくても良えよ」
「それじゃ」
 離していた手を、もう一度繋ごう。
 そうすれば、どんな季節の中だろうと見失う事はない。

 くりくりとした黒い目が可愛らしいアザラシは、やや小柄な体を床の上に横たえてころんころん。泳ぐのに最適な翼を広げた小さなペンギン達は、真っ白な大地の上、体を左右に揺らすようにして行進中。
 水族館ではそう珍しくない光景だけれど、それは好奇心の塊のようなグラニテの心を存分に刺激するばかり。共に素敵なものを見たいと誘ったエレインフィーラも、出逢う命、映る四季をすっかり楽しんでいた。
 そんな二人を今度は大きな白クマが魅了する。頭と同じくらいある堅そうなボールを抱え、がぶがぶ、がぶ。ふいに、黒い瞳が青林檎めいた色を見た。
「……お、こっち見たぞー! エレン、エレンー!」
 グラニテは手を振りながらエレインフィーラの手を引き、見て見てと促されたエレインフィーラも白クマと見つめ合う。雪と氷の世界に生まれた者同士だからか、アザラシを始めとした動物達が愛らしくて逞しくて――そんな彼らを見てはしゃぐグラニテが何よりも鮮やかで、自然と笑みが零れていた。
「おっきなシロクマももふもふっとしててかわいいなー……!」
「たしかに、大きな体に愛嬌のある顔つき。可愛いです。……グラニテさん、白熊にはお子さんがいるらしいですよ?」
「おお、子供もいるのかー!? あっ、奥のもう一頭の傍でころんころんしてる、あれかなー?」
 小さな白クマが一頭、仰向けになって右に左に、ころころろ。母と一緒という安心からか実に自由気ままだ。そして真っ白なお腹は、ぽこっと膨らんでいて。
「かわいいなー、お腹触ってみたいー!」
「ふふ、ぽわぽわで別の生き物みたいですね。私たちにもあんな小さな時期があったのですかね?」
 白クマ親子の水槽の前や周囲には、彼らの生息地を思わす氷が静かに映っては広がっていく。故郷を懐かしむエレインフィーラの言葉に、グラニテも少しだけ昔を思い出した。氷の世界から始まって、そして、一人だったあの頃。
「なーなー、エレンー」
「はい」
「わたしもなー、あの子供と同じでなー。安心して、楽しい毎日を過ごせているんだー」
 ずっとひとりだった。
 けれど今はひとりじゃないから。
「だから……いつも、ありがとなー!」
「私も、グラニテさんと同じ気持ちです」
 二人紡いだそれは、冷たい氷を温かく照らす声。

 海に生きるもの達と、その周りに紡がれていく四季の風景。
 そっと静かに映る風景、その一つ一つを見回しながら行くティアンの足が、ふいに止まった。
 かすかに色付いた白い砂浜。ざああ、と遠くに聞こえる波の音と共に、碧い水が寄せては返っていく。そこにいる熱帯魚は色鮮やかで、夏の砂浜とよく似合っていた。
(「……見たことのあるような、ないような」)
 故郷の海に彼らはいただろうか。
 ティアンは暫し、じぃ、と水中に踊る熱帯魚を見てから、水槽の隣に貼ってある解説に目を通す。ああ、あの海にいる種なのかと分かるのはこうして見られるからであって、海で見たら――多分、あまり見分けがつかないだろうなと思った。
 その間も熱帯魚達は青々とした水草を背景に美しく泳いでいて。その姿を、ティアンはゆるりと目で追った。故郷の海へ帰る手段はもう己の手元にもあるから、思考の海へと沈まずにいられる。
(「また見に行けばいい、何度も、何度でも」)
 いつか還る、そのときまで。今は――。
 ふいに見えた砂浜とは違う白色。目を向けると、こちらに気付いた光が微笑んだ。
「光、誕生日おめでとう。今年もこうして祝えてうれしい」
「ありがとうティアンさん。私も。去年と、今年。二年連続ね」
 去年祝った時に訊ねた夢の話。その続きはどうなったのかと訊けば、続いていると天色が微笑んだ。
「目指す場所はまだ遠いけれど……でも、まだまだ上を目指すわ。ティアンさんは?」
「……ティアンは去年からこっち、そこそこ自分が変わったように感じるんだ」
 眩い砂浜。見目麗しい熱帯魚。
 夏の彩は、灰色の目をぼんやり通過する事なく、しっかりと映っていた。

 ぷかぷか、くるくる。きらきらと降り積もるような春の彩に抱かれて、ラッコ家族が仲良く漂っていた。桃色に染まったそこを踊るような様は幻想的で、もふもふ顔に円らな黒目、きゅっと小さなお手々と生まれ持った愛らしさも加わっているから、とにかく可愛らしくてたまらない。
「ラッコってお気に入りの石を仲間に自慢するらしいよ。俺にも見せて欲しいな~」
「ふーん」
 食い入るように眺めるラウルに対し、シズネはちょっぴり――そう、ほんのちょっぴりだけ面白くない。だから、少しばかり“へ”の字口になりながら、ラウルの目の前にずいっとお気に入りを突きだした。
 ぐっぱー、ぐっぱー。掌を握って開いてと繰り返す度に、ラウルとラッコ達の前で緋色で綴られた星の刺繍が咲く。子供を抱えたラッコが、ぷかぷか漂いながらぱっちりとした目で見ているのに気付いて、シズネはふふんと胸を張った。
(「なあなあ、オレのお気に入りはこの手袋だぞ? いいだろ?」)
 ぬくぬく心地良い手袋はラウルからのプレゼント。
 それは世界に一つだけの――。
(「君のお気に入りを見せてくれてるの?」)
 ゆっくりと丸くなった薄縹色が嬉しそうに煌めいた。
 ラウルが微笑むのを見たら、ちょっぴり機嫌を損ねていた橙色は簡単にゴキゲンモード。シズネはへへっと笑い、最後にもう一度ぐっぱーとして。自慢タイムはこれにてお終い。
「ねえ、コレは知ってる?」
「ん?」
「彼らは眠る時、はぐれないように手を繋ぐみたいだよ」
 夢の中でも離れず、一緒なのだという。
 四季の彩が巡るこの世界を行く間、常にあるのは夢の中を歩くような心地だから――。
 自分達も手を繋いでおこうかと差し出された手を、シズネは見つめて。それから視線を上げて目にしたのは、微笑むラウルだった。
 新たに披露されたラッコ豆知識と、目の前にある、触れる前から温かいと知っている手。一緒に過ごす今、覚える感覚は夢のような幸せで――夢なら、覚めて、消えてしまうんじゃないか――なんて。
 そんな不安を消し去るように、革手袋に包んだ手で差し出された手を取った。
「こうしていたら、絶対にはぐれないな!」
 夢も現も、きみと共に。暗く冷たい夜が来ても、ぽかぽかと伝わるこの温かさが、自分達をしっかりと繋いでくれる。

 シャチのショーは一日に二回。
 その二回目を見る前に、キースは彼らが泳ぎ回る水槽の前にいた。
 くっきりと二色に分かれたボディにふわふわ揺れる波紋が映る。悠々と泳ぐ彼らの住まいは空に囲まれていて、水と空、二つの青い世界は綺麗に繋がっているかのようだった。目の前を泳ぐ彼らはまさに空飛ぶシャチだ。――それも、親子の。
(「とても気持ち良さそうに飛んでいるのだな」)
 上へ、下へ鮮やかに。今度はくるりと一回転。
 彼らが青い世界を飛ぶ様はあまりにも自由で、周りを囲う壁やアクリル硝子の事を忘れてしまいそうなほどだった。親に追いつき、ぴたりと隣にくっついた子供のシャチも、顔を上下に揺らしてと、親と一緒に空舞うひとときを楽しんでいるように見える。
 広がる空とシャチの親子をぼんやり眺める事、暫し。
 視界の端に入ってきた見知った顔が見え、軽く手を挙げれば見知った顔もとい光も微笑んで手を挙げる。
「光、誕生日おめでとう。大人になったのだな。いっそうめでたい」
「ありがとうキースさん。ようやく大人の仲間入りよ」
 にこりと大人っぽく微笑んだ光だったが、シャチ親子がすぐ近くを過ぎた瞬間ぱぁっと目を輝かせて。キースの視線に気付き、はにかみ笑う。
「念願の空飛ぶシャチよ。しかも親子だわ」
「ああ、空飛ぶシャチ一家だ。今は寒い季節だけれど、寒空もこんな風に気持ち良さそうに泳ぐのだろうか」
「動物ドキュメンタリーなんかだと冬のカナダにいるのをよく見るから……」
 自分達が思うより、快適に泳ぐのかも。親子を見つめる光の眼差しは興味津々の四文字。他の魚も興味深い子ばかりで、という声にキースは頷く。
 水族館に来ると、様々なさかなが空を飛ぶ様を見せられる。彼らはとても楽しそうで――だから、いつかあの背に乗ってみたいと願うのだ。
「その時は光も乗るか? きっと飛行機よりも速くて、優しい背中だ」
「是非……!」
 キラキラ輝く天色にキースはうん、と頷き、灰色の目をそうっと細めた。
 目の前の空を飛ぶ彼らの背を借りられたなら――。
 その時は、彼方で輝く冬の星だって、掴めるかもしれない。

作者:東間 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年12月18日
難度:易しい
参加:12人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 0
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