それは、とある天文学研究室でのことだった。
青年が慌てた様子で、ノックの返事も待たずに教授室のドアを開いた。教授は窓際に立ち、外の様子を見ている。青年はその背に向けて、手元の端末に度々目を落としながら叫ぶ。
「先生、月の観測データが前触れもなく、すべて異常値を示しています! これから詳しく解析しますが、まずは一報まで……」
「野島くん、落ち着き給え。まずは、君の目で月を見てみたらどうかね」
「いやしかし、このデータが……」
「いいから。こちらに」
教授は肩越しに振り向いて、そのまま足速に自分のデスクへと戻っていきそうだった青年を静かな声で呼び止めた。
「は、はあ。では……。――はぁぁぁぁぁっ!?」
「うん、僕も驚いているんだよ。兎ならまだ良かったかなあ」
空に浮かぶ月はいつもの姿ではなく、かといって兎が餅をついているわけでもなく、怪しげな鳥の姿に光り輝いている。メガネを拭いても、目をこすっても消えることはなく、ただ其処にいる。
何らかのトリックかと考えたが、……いや無理だ。あんなことは生半可なことでは出来ないと、青年は結論した。
教授は、見開いた目でこちらに振り返る青年を見返しつつ、のんびりと言う。
「いったい何が起きているんだろうねえ。きっと各所から問い合わせが入るだろうから、急いでデータ解析とまとめを頼むよ。……ああ、その前に全研究室メンバーの招集が先だね。僕も慌てているようだ」
「は、はい、直ちに!」
慌ただしく駆けていく青年の背を見送って、教授は再び月へと目を向けた。
「これから忙しくなりそうだねえ……」
●
「すでに気付いているとは思うけれど、もしまだなら空に浮かぶ月を見てほしい」
ビルシャナの姿を映し出す月を指差して、ユカリ・クリスティ(ヴァルキュリアのヘリオライダー・en0176)は話を続ける。
「あれだけでも相当ふざけた状態だけれども、最大の問題はビルシャナ大菩薩化した月が、地球に落下しようとしていることさ。NASAとJAXAの調査によれば、残された時間はあと1か月。それまでに対応が取れなければ、月は地球に衝突する軌道へと入り、衝突による破局で生じるだろう大量のグラビティ・チェインが、ビルシャナ大菩薩のものとなる。つまり、世界がビルシャナ大菩薩に支配されるってことだね」
ユカリは大げさに肩をすくめて笑う。
「月と地球が衝突するなんて事態になったら、誰が支配するかなんて最早些事かもしれないけど」
だが、ユカリが笑っていたのも一瞬のこと。すぐ真面目な表情になった。
「もちろん、阻止するための方策があるから、こんな冗談を言っていられるんだ。皆が竜十字島から持ち帰ってくれた『月の鍵』、これがあれば月の軌道を元に戻すことが可能だ。……ただ、地球で使うってわけにはいかない。月の裏側にある『マスター・ビーストの遺跡』まで『月の鍵』を持っていかなければならない。いきなりぶっ飛んだ話に聞こえるかもしれないけれど、月へ向かい、想定される妨害を排除して、なんとしても任務を成功させてほしい」
月面までは、アメリカ合衆国で開発していた『試作型宇宙用装備』取り付けたヘリオンで向かうことになる。
「つまり、僕のヘリオンで皆を宇宙旅行にご招待って訳さ。快適さは保証しかねるけれど、胸躍る道行きになることは間違いないね」
月の裏側はビルシャナたちによって制圧されており、彼らは『マスター・ビーストの遺跡』を中心として、ビルシャナ大菩薩化した月を地球に落下させる儀式を執り行っている。
ビルシャナたちは儀式に集中しているから、こちらが妨害行動に出ない限りは儀式を継続しようとして、積極的な迎撃はしないだろう。
とはいえこちらの目的は、『マスター・ビーストの遺跡』に突入することにある。周囲のビルシャナたちを排除しなければ内部に入ることが出来ないため、自ずと戦闘になるはずだ。
「突破方法は、月面に向かったヘリオンからの降下作戦を想定している。遺跡周辺に展開するビルシャナを撃破し、侵入路を確保。『月の鍵』を持った突入チームの突入をサポートすることになる」
これは先陣を切る大事な役割だけれど、果たさなければならない役割はこれだけに留まらない。
「もちろん、ここまでも大変だけれど、本番はこの後さ。ヘリオンに戦闘能力はない。宙に浮かんでいては的になるだけだし、ヘリオンを遺跡内部に緊急着陸させるから、突入チームの帰還までヘリオンを防衛してもらうことになる。守ってもらうばかりなのは申し訳ないけれど、帰る手段を失えば、月面までの片道切符になってしまうからね」
遺跡周囲にいる個々のビルシャナは、さほど戦闘力が高いわけではなく、統率された多数がまとまって襲ってくるなんてこともないが、なにしろ相手の数は無尽蔵だ。単純に守り続けるだけでは疲弊し、いつかは突破されてしまうだろう。
最優先とすべきヘリオン防衛のためには、周囲のビルシャナを撹乱させるような作戦や、チーム間で休息を取れるようなローテーションを組むなど、何らかの対抗策が必要になるはずだ。
「月が地球に衝突するなんて事態は、破滅と同義さ。月の重力下での戦闘だなんて初めての経験だろうけれど、最善を尽くしてきてほしい。もちろん、僕も最善を尽くすさ。共に月の裏側へと向かい、奴らの陰謀を打破しよう。頼んだよ」
参加者 | |
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ウォーレン・ホリィウッド(ホーリーロック・e00813) |
峰谷・恵(暴力的発育淫魔少女・e04366) |
リューデ・ロストワード(鷽憑き・e06168) |
マリオン・オウィディウス(響拳・e15881) |
リューディガー・ヴァルトラウテ(猛き銀狼・e18197) |
巽・清士朗(町長・e22683) |
櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597) |
ルベウス・アルマンド(紅い宝石の魔術師・e27820) |
●
人類が最後に月へと降り立ったのは、すでに何十年も昔の話だ。少なくとも、ウォーレン・ホリィウッド(ホーリーロック・e00813)がまだ生まれていなかった頃のこと。かつて祖国が達成した偉業を自分が再度果たすのだと思うと、仕事だとは言え月面着陸の瞬間が待ち遠しくて、月ばかり見てしまう。
「お前も米国籍だと聞いた」
急にかけられた言葉へ振り向くと、リューデ・ロストワード(鷽憑き・e06168)が立っていた。ウォーレンは柔らかく微笑みかける。
「そうだよ。ということはリューデさんも?」
「ああ。母国の技術がこうして役に立っている事、誇らしく思う」
リューデは無愛想で突慳貪な物言いをしていたけれど、その言葉の節々に高揚感がにじみ出ていた。
「こんな形で月に立つことになるなんて思わなかったよ。なんでも無い、ただの旅行なら良かったんだけどねー」
「ええ、せっかくの月面旅行なら、もう少し風情が欲しかったところです。待ち受けているのがビルシャナでは、風情なんて期待できませんし」
窓に張り付いて宇宙に浮かぶ地球を見ていた、峰谷・恵(暴力的発育淫魔少女・e04366)がのんびりと呟いた言葉に、座席に深く腰掛けたマリオン・オウィディウス(響拳・e15881)が応じた。
「そろそろ裏側に入るようだ。降下の準備をしよう。……ん?」
巽・清士朗(町長・e22683)が刀を手に立ち上がったが、動きが止まる。その視線は窓に映る月の大地へと固定されていた。
「どうした? なんだこれは……?」
清士朗のただならぬ様子を見て、窓を覗いたリューディガー・ヴァルトラウテ(猛き銀狼・e18197)もまた息を呑む。
――そこに広がっていた光景が、人類が知っている月の姿からかけ離れていたからだ。
つい先程まで、地球から見える月の表面と大きく変わらない景色があるだろうと疑問も持たずにいたのに、そんな先入観が音を立てて崩れていった。
表側から続く大地を構成する岩石は、その途中から抉られ、徹底的に破壊されていた。そして破壊された岩石の中からは、黒く輝く漆黒の宝石のような表面が露出していたのだ。
「……まさか月そのものがカモフラージュだったなんて、ね」
ルベウス・アルマンド(紅い宝石の魔術師・e27820)が、眼下の光景に感想を洩らした。これほどに巨大な宝石……、オラトリオであるルベウスには聞かされてきた伝承の中に思い当たることが一つある。
「ひょっとして、暗夜の宝石なの? そうだとしても魔力は感じないから、ただの抜け殻みたいだけれど」
ケルベロスたちは口々に感想を口に出し、ヘリオン内部が急に騒がしくなった。
そんな中、リューディガーが良く通る低い声を響かせる。
「……たしかに驚いたが、なあに、少々地質が変わろうが俺達がやることは一緒だ。そうだろう?」
「確かにやることは変わらない。でもさ」
そう応えた櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)は遥か彼方に集う半人半鳥の怪人たちの姿を一瞥して、仲間たちに無表情で向き直り、軽口を叩く。
「輝く天女も宮殿も無い。出迎えるのは鳥の群れ。月って噂と違うなあと思ってたんだけど、黒く煌めく大地はお伽噺みたいでいいんじゃない?」
●
ビルシャナたちは、集って何者かと戦っているようだった。地球から隠された月の裏側は、ほぼ全てが漆黒の姿を晒していたが、よく観察すると瑪瑙のような縞模様が入っている。そして縞模様は、ビルシャナたちが集まっている辺りを中心として、不自然に歪んでいる。
「ほんと、わかりやすいねー。誰かに介入されるとは思ってないのかな?」
口に手を当てて、恵が笑う。ケルベロスたちを載せたヘリオン12台は、当然のようにその中心へと機首を向けていた。
近づくにつれ、歪みの中心に在る遺跡の姿形が明瞭に確認できるようになってきた。そして、群れるビルシャナたちの密度も。まずは彼らを排除しなければ、着陸もままならない。
準備を終えたケルベロスたちは、ヘリオン間で交わされた信号を合図として、開いたハッチからまだまだ点のようにしか見えないビルシャナたちに向け、飛び降りた。総勢48名の先陣である。
月の重力は地球の数分の一だから、地球でヘリオンから降下したときよりも落下速度の上昇はずっと緩やかだ。だから、ゆっくりと的を絞る時間もあるけれど……。
(「あの数では何処を狙っても変わらんな」)
こういう時に大事なのは、質より手数。清士朗は結んだ剣印で手早く九字を切り、祝詞を口にした。
「アサクラニ ヒノヤギハヤヲノカミ オリマシマセ――」
そして剣印の先でビルシャナたちを指し示すと、虚空より現れ出た焔が膨れ上がり、ケルベロスたちの先駆けとなって宝石の肌を紅蓮に染めて、有象無象のビルシャナたちを焼き尽くす。
「一説に。月は死者の眠る場所という――。……騒がしいのは感心せんな? 降魔共」
炎の中で踊る彼らを見下ろして、清士朗は不敵に告げた。
業火が消えた月面へ、今度は千梨が喚び出した光溢れる猫たちが、月の黒い空を駆け下りていく。
「――遊んでおいで」
猫たちは当然のことと言わんばかりにビルシャナの身体を覆う羽毛にじゃれついて、光の礫を散らしながら戦場を駆け回る。
さらにマリオンのミサイルによる爆撃が、リューデの羽ばたきから撃ち下ろされた聖なる光が、ビルシャナたちを焼いていった。
落下しながら足元の敵に向けて数々の攻撃を仕掛けているうちに落下速度も上昇し、黒く輝く大地はすぐ目前へと迫っている。ウォーレンは落下地点の敵を見定めて、チェーンソー剣を両手で構えた。
「道を開けてもらうよ――!」
そのまま落下の勢いを載せた一撃をビルシャナの肩口を目掛けて放ち、自らはそれを支点として一回転、斬り裂いたビルシャナの背後へと着地する。
「この場は我々が占拠する! 無駄な抵抗は諦めろ!」
続けて降り立ったリューディガーがアームドフォートからの砲撃を周囲へと斉射しながら、鋭い警告の声を上げた。声にみなぎる気迫と威圧感に打たれ、反撃に移ろうとした敵はその動きを一瞬だけ止める。
その隙にルベウスは周囲に視線を巡らせて、改めて状況を確認した。
降り立った場所からほど近い場所にある遺跡は、この宝石状の大地に根を張るように食い込む異物のように見える。それは建造物というよりも、美しい巨大な宝石の結晶を侵さんとする邪悪な意志を抱いた、禍々しい生物のような印象だった。
その周囲に集う多くのビルシャナは、その数を無視すればさほど苦労はしなさそうな相手ばかりだ。ただ、その中に2体ほど巨大な個体がおり、遺跡の入り口をこじ開けようとしている。
(「……あれも倒さないといけないけれど、掛り切りになると数に押されそうね」)
見れば牽制の2班が撃破に向かったようだ。ならば、こちらは周囲から途切れなく押し寄せる数多のビルシャナたちを押し止める側に回るべきだろう。
ルベウスは遺跡に背を向けて、距離を詰めてくるビルシャナたちを睨む。身体の中から呼び起こした魔力が胸の魔術回路へと流れ込み、赤く輝きはじめた。
「ここから先は行き止まり。遺跡は私たちに任せて、家にお帰りなさい」
近づくほどに高揚感に包まれて、ついに月面に自分の足で立ったとき、リューデの気分は最高潮に達した。一見しただけではわからないほどの密やかな差しか外見にはないけれど、リューデの髪で新たに綻んだ蕾の数が何より彼の高揚を指し示している。
「……では、地球を護るか」
いまは先陣を切るのが役割だけれど、すぐに戦いは耐久戦へと移行するだろう。それを考慮すると、自分たちの戦力ができるだけ長く持つように戦うことが肝要だ。リューデは仲間たちを囲うように紙兵を散らし、抵抗力を高める。
マリオンは紙兵をはじめとする仲間たちの支援を受けながら、さらに前へと足を踏み出した。可能な限り前で戦い、仲間たちを敵が握る刃から遠ざけること、それが自分自身へ課された役割だ。
「田吾作、いきますよ」
傍らには相棒のミミックがいた。見た目は木箱で少々頼りなくも見えるけれど、偽物の宝を見せたり、牙を覗かせた蓋を大きく開いて齧り付き、懸命に敵をその場に引き止めている。
そうやって足止めされた敵の一体を、マリオンは細剣より放った花の嵐で閉じ込めた。
「そのまま退場しちゃってねっ」
そして恵の足先から放たれた星型のオーラが、残光を引きながら檻ごと貫いていった。花の嵐が解けたあとには、もはや何も残されていない。
上空に待機していたヘリオライダーたちは、巨大な2体のビルシャナが倒されるとともに、周囲を埋め尽くしていたビルシャナたちが途切れた絶好の機会を見逃さなかった。12台のヘリオンが遺跡周辺の空隙を埋めるように次々と着陸していく。そしてここまで温存されていた突入担当の6部隊が遺跡の扉へと吸い込まれていった。
「これで一息つけるかな」
「だが、すぐに本番が来る。――先人達に恥じぬ戦いをしなくてはな」
深く息を吐き出したウォーレンだったが、リューデは厳しい表情を浮かべたままだ。
「そうだね。どうせなら地球を見ながら戦いたかったけど、ここからじゃ地球は見えないなあ」
ウォーレンは同意しつつ、魂が吸い込まれそうな月の黒い空を振り仰ぐ。
(「二人とも浮世離れしたところが月に似合うな」)
千梨は友人たちに胸中でそんな感想を抱きながら、とぼけた口調で話し出す。
「地球なら帰りにまた見れる。それよりも自由な時間がとれるか心配だ。なにしろウサギ印の月まんじゅうを土産に頼まれているからな」
まもなくビルシャナたちが再び襲来し、長い戦いが始まるだろう。けれどケルベロスたちは油断せず、悲愴にもならず、戦いに挑む。
●
4班でローテンションを組んだおかげで、絶え間なく襲来するビルシャナたちを相手にしていても、確実に休息をとる時間が確保できていた。おかげでかれこれ1時間以上にも渡る戦闘を、負担を軽減しながら継続出来ている。
「次は、あっちから5体! 急いで!」
どの方向から狙われても防衛線に穴を開けないように気を配っていた恵から、仲間たちに報告が飛ぶ。ファミリアロッドが化したハチドリを仲間たちの鼻先を掠めるように飛ばし、視線を誘導する。
「まったく、何処から湧いてくるのだか。だが、人類のため、そして地球で俺を待つ、愛する妻のためにも……。こんなところで倒れてたまるか!」
声高く吠えて自らを鼓舞したリューディガーは、因果律を破壊するという槍を手に敵の只中へと飛び込んでいく。月の重力化では、ただの人間とて超人のように跳び上がることができる。まして、ケルベロスなら。
月面を鋭く蹴り、槍の穂先をまっすぐ前に突き出して低く飛ぶ。自らを弾丸として、迫りくるビルシャナを雷光を纏った槍で貫いた。
早贄のように貫かれた仲間を見て、敵集団の足が止まる。リューディガーとは逆に高く飛び上がっていたマリオンが、そこへ向けて大量の小型ミサイルを射出した。
「指の一本だって、触れさせてあげません」
雨あられと降り注ぐミサイルの爆発が敵を煙で包み込み――、煙が晴れた時、そこには清士朗が立ちはだかっていた。
「悟りだ? 涅槃だ? 笑わせるな。お前たちは降魔――。地に降り来たる、災厄の魔に過ぎん」
黒鞘から抜き放った刃を煌めかせて斬り込む。月面は清士朗を縛り付けない。
流れるように、されど鋭く。清士朗が横を掠めれば、遅れて血飛沫が飛び、羽毛が赤く染められていった。
「覗いてみるか?」
そう嘯くリューデの瞳の奥底に、地獄の炎が宿る。この瞬間よりリューデの瞳は光を集める受信機ではなく、地獄の炎を現出させる送信機となった。その瞳で睨まれた全てのビルシャナは地獄に苛まれ、身を侵される。
「必ず帰るよ。皆で一緒に!」
ウォーレンは皆に、そして誰よりも自分に言い聞かせるように叫んだ。その間にも切っていた印により氷の忍術が発動、螺旋を描く氷結の波動を敵へと浴びせ、氷の中に閉じ込めた。
凍った敵がもう動かないことを見て、千梨は別の敵を狙う。敵を睨み、念を込めると敵の周囲に結界が生じた。その中は、降りた御業が変じた異界。本来の月面にも、黒き宝石の世界にも在るはずがない紅葉が舞い散って、敵の視界を覆う。
「紅に、惑え」
視界を奪われた敵が戸惑っているうちに、その身体へと鬼の爪痕が刻まれていく――。
結界から開放されたとて、そのビルシャナの身に安寧は訪れない。既にルベウスの手の中には、巨大な金色の槍が生まれていた。
「轍のように芽出生せ……彼者誰の黄金、誰彼の紅……長じて年輪を嵩塗るもの……転じて光陰を蝕むるもの……櫟の許に刺し貫け」
正確には、それは槍ではなく魔法生物だった。粒子であり、波動であり、物質としての形もある、曖昧な存在のそれは赤い瞳で獲物を見据えると、物理法則を超越して空間を奔った。
残されたのは微かな軌跡だけ。狙われたビルシャナは躱そうとしても執拗に追われて叶わず、宝石の大地へと屍を晒した。
こうしてケルベロスたちは複数を狙う技で敵の身を削り取り、今度は一転して一体ずつ確実に命を刈り取っていったのである。
そして延々と続くかと思われた戦闘に、ついに終わりが訪れた。遺跡から突入班が飛び出してきたのだ。どうやら怪我人も抱えているらしい。突入班に身内がいる清士朗は、慌ただしくヘリオンに乗り込んでいく一団に心配げな一瞥を投げかけた。
「もうこれで終わりね。援護するから、後退を早く」
一足先にヘリオンの傍まで移動したルベウスが、周囲に散っている仲間とビルシャナとを引き離すように、飛ばした黒鎖で柵を編む。
「先に乗り込んでくれ。殿は俺とマリオンで引き受ける!」
「田吾作もいますから、任せてください」
リューディガーとマリオンは、逃すまいと追いすがる敵の前へ立ちはだかる。
「ありがと、少しの間だけお願いね」
恵は瞬時に起動させた魔術回路で、2人に聖なる風の加護を与えてから後退した。残る仲間たちも慌ただしくヘリオンへと飛び乗ったことを確認し、逆にヘリオンに乗り込んだ仲間たちからの援護を受けて、リューディガーとマリオンの2人も浮かび上がり始めたヘリオンのハッチへと飛び込んだ。
それでもなお、諦めずに乗り込もうとしてくるビルシャナをケルベロスたちが叩き落とす。その間にロケットエンジンに点火したヘリオンが、急速な上昇を始めた。
そうなってしまえば、もうヘリオンを追うものはいない。ようやく訪れた安寧に息をつき、恵は閉じたハッチに背中を預けて沈み込む。
「またどこかのデウスエクスに使われたりしないよね、月」
離れつつある月を見やって思うけれど、その答えは誰にもわからない。
かわりに千梨が無表情で呟いた。
「結局、土産が買えなかったじゃないか」
作者:Oh-No |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2019年10月18日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 8/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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