月面ビルシャナ大菩薩決戦~天啓の徒

作者:秋月諒

●空にありて
「冗談だろう……?」
 徹夜明けに見た悪い夢だと、そう言ってくれた方が良い。ユウ、あなた疲れているのよ、って。だが、何度見ても変わらない。何度見ても『戻らない』
「月が……光って……」
 自ら発光しているかのようだった。月だ。そう、月がだ。
 転がるように天文台の外に出て、自分の目で見たところでそいつは変わらない。天文学者たる自分でも、もう認めるしか無いのだ。
 月に「何か」が起きていると。
 自ら発光するはずの無い月が輝きーーその光は、まるで生き物のように見えた。
「鳥……か?」
 冗談だろう、と紡ぐ筈の二度目の声は掠れて消えた。ひどく嫌な予感と共に。

●天啓の徒
「皆様、既に空の異変についてはお聞き及びでしょうか?」
 集まったケルベロスたちに、レイリ・フォルティカロ(天藍のヘリオライダー・en0114)は静かにそう言った。
 ーー空、だ。
 噂を聞いた者もーー実際に見た者もいるだろう。
「空にある「月」の異変……。月が其処にあるのは当たり前のことなんですが……、その「月」が自ら光り輝いているように見える、という異変が起きました。その光が生物……鳥の形に見える、と」
 ケルベロスたちの中には、その「鳥」に見覚えがある者もいるだろう。
「あの「月」がビルシャナ大菩薩化し、地球への衝突コースに入ろうとしている事が判りました」
 言い切って、レイリ は苦笑する。
「えぇ。それはもうびっくりなんですが、ひとまず、あれは来るんだ、ということで」
 NASA、JAXAによる調査だ。
 このままあの月の軌道が変化し続ければ、約一ヶ月で地球との衝突コースに入る。
「勿論、月が地球に衝突するような言葉あれば、人類の存続が危ぶまれる大惨事となります。そして……もし、僅かでも生き残ったとしても、この惨事により死亡した人々のグラビティ・チェインがビルシャナ大菩薩に吸収されてしまいます」
 世界はビルシャナ大菩薩によって支配されてしまうことだろう」
 随分と、大きなことをされました。とレイリ は言う。
「ーーですが、私たちにも打つ手はあります。黙って怯えていると思ったら大間違いだぞ、ということで」
 顔を上げ、まっすぐにレイリ はケルベロスたちを見た。
「阻止する方法が、あるのです」
 ケルベロスが、竜十字島から持ち帰った『月の鍵』を使えば、月の軌道を元に戻すことが可能なのだ。
「ですが、それは地球からは行えません。月の裏側にある『マスター・ビーストの遺跡』まで『月の鍵』を運ばなければなりません」
 危険な任務になる。
 ーーだが、これ以外に方法が無いのも事実。
「この任務、皆様にお願いいたします」
 月の鍵には、月の軌道を元に戻して落下を阻止する力があるという。
 だが、発動のためには「月」に行く必要があるのだ。
「勿論、足の準備は万端、です。なにせ、ヘリオン強化計画というものがありまして」
 アメリカで秘密裏に勧められていた『ヘリオン強化計画』その成果である試作型宇宙装備を搭載したヘリオンで月の裏側を目指すのだ。
「私のヘリオンにも、『試作型宇宙用装備』を搭載致しました。皆様をしっかり月面にお送りいたしますので」
 一緒に宇宙へ参ります。そう言って、レイリ は微笑んだ。
「そうして一発、かましてやりましょう?」
 ぐっと作った拳ひとつ。こほん、と一つ言葉を切って、狐の娘は説明を続けた。
●マスター・ビーストの遺跡
 月の遺跡内部は、ビルシャナではなくマスター・ビースト配下の獣人型デウスエクスが待ち構えている。
「皆様には突入チームを担っていただきます」
 もう片方は、突破・防衛チームだ。
 突入チームは、突破口が開かれた後、遺跡に突入し、中枢を目指すこととなる。
「敵の数は多くはありませんが、基地内部に隠れ潜み、こちらに奇襲を仕掛けるつもりです」
 狙いは『月の鍵』だ。奇襲により、奪い取ろうとしている分、注意が必要となるだろう。
「月の軌道を元に戻すには、遺跡の中心部まで『月の鍵』を奪われること無く、持ち運ばなければなりません」
 レイリ はそう言って、顔を上げた。
「遺跡の中心部までは『月の鍵』が導いてくれます。道に迷うことはないでしょう」
 だが、敵の妨害も激しくなるので注意が必要だ。
「月の鍵を持つチームを中心に、周囲を索敵しながら進み、敵の襲撃を阻止する必要があるでしょう」
 脱出口も永遠に維持できるわけではない。時間との戦いでもある。
「強敵が現れた場合、一部のチームが強敵を足止めしている間に他のチームが先に進む、というような作戦も必要となるかもしれません」
 『月の鍵』を、どのチームが運ぶかも相談する必要があるだろう。
 遺跡内部にいる敵は獣人型デウスエクスであることは分かってはいるが、武器、構成などは不明だ。
「いきなり宇宙とは、びっくりですよね。勿論、お月様が光ったりあんなになってしまうのにもびっくりしたのですが」
 小さく笑って、レイリ はケルベロスたちを見た。
「ここまで話を聞いてくださって、ありがとうございます。マスター・ビースト勢力である、ソフィステギアが、グランドロンと共に月に向けて移動を開始しているとも聞きます」
 彼らが月に増援として現れれば、厄介な事になるだろう。
「ですが、打つ手があります。厳しい任務ですが、ただ滅びるのを待つのなんてごめんですので。ーー行きましょう」
 一緒に、とレイリ は告げる。
「月までの道筋、どうぞお任せください。皆様に、幸運を」
 勝ちましょう、と告げてヘリオライダーは微笑んだ。


参加者
幸・鳳琴(黄龍拳・e00039)
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
レーグル・ノルベルト(ダーヴィド・e00079)
シル・ウィンディア(蒼風の精霊術士・e00695)
イリス・フルーリア(銀天の剣・e09423)
ティユ・キューブ(虹星・e21021)
折平・茜(モノクロームと葡萄の境界・e25654)
野々宮・くるる(紅葉舞・e38038)

■リプレイ

●空の先へ
 それは、深い青と言えば良いのか。それとも何処までも続く暗闇と言えば良いのだろうか。
「行きたいと思っていた宇宙にまさかこんな形で来るとは」
 小さく、口の中でティユ・キューブ(虹星・e21021)は言葉を紡ぐ。
(「地球の危機とあってはそんな思いに浸ってもいられないのが残念」)
 ふ、と息を吐く。平穏な時間の中で訪れることができれば、月を見る感覚も違うのだろう。
「……何かに呼ばれてるような気もするけど……ね。今は作戦に集中だ」
「みんな! これから着陸するって!」
 ドォン、と衝撃に揺れる。ヘリオンの壁に手をつき、顔を上げたシル・ウィンディア(蒼風の精霊術士・e00695)が声を上げた。
「揺れるみたい」
「強行着陸、らしいので」
 ぽつり、と呟くように折平・茜(モノクロームと葡萄の境界・e25654)は告げた。衝撃に備えてください、と案内役の声が響く。
「ここが月、かぁ……」
 これはワクワクなのか、不安なのか。ちょっと分からない気持ちだと野々宮・くるる(紅葉舞・e38038)は思う。
「月も宇宙も。デウスエクスでいっぱいなんですね。私たちの地球を……やらせない」
 覚悟を紡ぐように幸・鳳琴(黄龍拳・e00039)はそう言った。
 唸るような音と共に機体が地面にぶつかった。突入ポイントへと辿り着けば、行こう、と告げる声が重なった。

●黒き石の遺跡
「随分と嫌な気配がするな」
 巨大な扉ーー遺跡の入り口にティユは眉を寄せた。
 言ってしまえば禍々しい雰囲気だ。
 遺跡の外見は、漆黒の宝石が、表面から内部に向けて邪悪な肉の芽のように食い込んでいるかのような不可解な形だ。
「行きましょう」
 鳳琴が一歩前に進めば、遺跡の扉が開く。月の鍵が齎したものだろう。布を強く巻いても、月の鍵の光は隠しきれなかった。今、こうして扉が開いたことを思えば、敵はどの状態でも月の鍵を発見できるのかもしれない。
「……」
 隠密の気流を纏い、踏み込んだ遺跡の内部は、外以上の異様さを放っていた。生物のように脈打っているのだ。
「生きているみたい、ですね」
 呟いた茜は眉を寄せた。一応、壁や床に矢印は残せそうだが、何処まで保つかは怪しい。
「温度は一定に保たれてるみたいだし、空気も存在しているみたいだけど……嫌な感じだもん」
 普通に会話できるのは良かったよ、とくるるは顔を上げる。多分、この空気は毒性だ。先頭は足止め班。月の鍵を持つ自分達は、護衛班に守られる形となる。
「敵だ」
 前方から警戒の声が響く。低く響いたそれは接敵に対してでは無い。敵がいるのは分かっていた話だ。だが、あれはーー……。
「禍々しいな。クルウルクの系統か?」
 それは人の形をした異形であった。赤黒い体に無数の口。そこから伸びた触手が蠢く。眉を寄せたレーグル・ノルベルト(ダーヴィド・e00079)に、藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)は頷いた。
「えぇ。ここは、マスター・ビーストの遺跡の筈ですが……何故」
 いえ、と男はゆるく首を振った。考えるのは、後ですね。と刀に手をかける。
「えぇ。倒しましょう」
 応じたイリス・フルーリア(銀天の剣・e09423)が刀を抜き払いーー銀の髪が、舞った。
 崩れ落ちた異形は声も無くーー代わりに、遺跡の紡ぐ音が、脈が耳に届く。それそのものが、生きているかのように。
 最初の敵を払えば、後はぐるぐると回る道が続いていた。
「迷路にはなっていないが……酔いそうだな」
 アリアドネの糸が無くても迷わなさそうだ、とティユは息をつく。月の鍵の輝きに導かれるまま、奥へ奥へと向かっていればーーふいに、周囲の様子が変わった。
「水槽……」
 その中に漂うものを見つけて茜は唇を引き結んだ。
「動物の、死体……です」
「此処まで、20分か。此処は今までとは違う区画ということか」
 ストップウォッチを確認したレーグルが瞳を細める。同じように遺跡の中を進んできた班でも、犬や猫の姿を見つけたと声が届く。
「実験場、なんでしょうか?」
 祈るように一度瞳を伏せたイリスの言葉に、くるるはややあって頷いた。
「そうかな。……うん、そうだと思う。でもこれってドードー鳥だよね」
 普通の動物だけじゃない。
 奥に進めば進む程、中身が変わってきた。ステラーカイギュウ、それにジャイアントモアだ。
「みんな……死んでいるん、だよね。でも、ここにいるのは、デウスエクスの大侵略期に絶滅した動物だよ」
 シルは息を吸う。何故、彼らが今「此処」で水槽の中にいるのか。実験場のようなこの場所で、何かをしていたというのか。
「誰が、何をしていたのか、ですね」
 鳳琴は考えるようにして呟いた。
「まるで神造デウスエクス・ウェアライダーを産み出した実験場」
 唇から滑り落ちた言葉に誰もが一瞬、息を止めた。
 あり得る、とそう思ったからだ。
 ならば、と視線を向けた先、足音がした。月の鍵を狙った迎えの敵か。
「目立つものだな」
 堂々と姿を見せた敵にティユが息をつく。
「此処まで来れば隠れる気も無いのだろうよ」
 レーグルはそう言って拳を握った。
 姿を見せたのは三体の獣人型デウスエクスであった。ウサギ型の獣人に、ライオン型。それにカイギュウ型の獣人だ。
 一撃を足止めの班が受け止める。どう倒すか、鍵班の温存を告げた護衛班からの作戦で、戦場は加速する。やがて、轟音が三体を打ち倒した。
「やった! これなら……!」
 そう、言いかけたくるるが、唇を引き結んだ。動いたのだ。倒した筈の三体のデウスエクスが。
「なんで……」
 確実に砕いた筈だ。それはイリスも見ていた。だが、奴らは確かに起き上がり、笑うように言った。
「マスター・ビーストにより産み出された最高傑作たる、神造レプリゼンタの我らは滅びる事は無い」
 ーーと。
「まさか……、あの実験場は」
 ひゅ、とシルが息を飲む。
 さっき見たあの水槽。その中身。
「神造レプリゼンタ……、そんなものが」
 在るのか、とは最早言えまい。
 目の前に存在していて、事実、奴らが立ち上がったのをレーグルは見た。驚愕が生んだ時であったか。前に立つ仲間がカイギュウの突進を受ける。受け止める。血がし吹き、荒く跳ねた息が落ちる中、スズナが叫んだ。
「っ、ここは任せて、皆は先へ!」
 敵が蘇るのであれば。不滅というのであればーー此処に留まり続けることはできない。この作戦において最も重要なのは鍵の輸送だ。
「さ、行って!」
「ーーえぇ、必ず成功させます」
 景臣はそう告げ、再び気流を纏った。

●月の鍵
 遺跡の奥へ、奥へと進んでいく。一度戦場から離脱するように駆けた足は、再び異様な光景へと辿り着いていた。
「また、見事に不気味な壁ですね」
 景臣は息をつく。
 先の一区画が実験場であるのであれば、此処は保存エリアか。壁には何体もの神造デウスエクスであるウェアライダーが埋め込まれていた。
「保存されているようですね」
「ならば、使うつもりもある、ということか」
 眉を寄せたレーグルが拳を握る。放置は出来ずーーだが倒しきれるかは分からず。何より最優先は鍵の持っていくことだ。
「兎に角、移動ですね。あまり、長居は……」
 鳳琴が歩きだした、その時だった。
「琴ちゃん! 後ろ」
 鋭いシルの声に振り返れば、ず、と壁の中に収まっていたモノがこちらに向かって動きだしていた。
「!」
 盛り上がった壁。上がる脚。中に収まっていた神造デウスエクスが這い出るように動きだしたのだ。
「月の鍵に反応して……? 急いで駆け抜けましょう」
 濁る声は遠ざかり、三班の足音ばかりが響く。月の鍵を頼りに進みーー五分程、行った所であったか。ストップウォッチを確認したレーグルが、は、と息を吐く。
「ある程度は離れたが……、此処は」
 問うよりも先に、警戒が乗ったのは、空間が急にひらけたからであった。天井が高い。広い部屋だ。ーー此処が、最深部か。
「変わった形ですね。……まるで生物の胃の形をしているような……」
 イリスの視界、見据えていた部屋が光りだした。不気味な光に、月の鍵を持つ鳳琴を守るように立つ。鍵の所有者が部屋に入ったことで反応したのか。
「何か、来ます……!」
 気をつけて、と続く筈の鳳琴の声は「それ」に喰われた。
 光、だ。
 部屋の中央部が不気味に光りだし、周囲の壁が蠢きだす。不可解に響く音はやがて声となって響きだした。
『ろう ろう りまーが!』
 まるで、歌のように。
『ろう ろう りまーが!』
『りまーが りむがんと なうぐりふ!』
『りまーが なうぐりふ げるせるとれぷりぜんた ろう くるうるく!』
『ろう ろう りまーが! ろう ろう りまーが!』
「これは……っ、精神攻撃か」
 精神を狂わせるように響く歌声に、レーグルは拳を握る。意識を保て、と響いたのは誰の声であったか。月の鍵を守る鳳琴が、く、と顔を上げる。ーーその時だった。
「さあ、今回帰って参りましたのはこの私! マスター・ビースト!」
 奇妙に愉快な声と共に、3メートルを超える巨体が姿を見せたのは。

●主の獣
「マスター……ビースト、って」
 配下がその名を上げてはいた。だが、マスター・ビーストそのものが姿を見せるというのか。だが、まさか、という言葉は出て来なかった。
 嘘ではない、とそう思えたからだ。
 此処にいる誰もが嘘はついていない、とそう分かっていた。直感か、圧倒的な威圧感が故か。見上げるほどの巨体。蜘蛛のような巨大な足。肉片がむき出しの体は、最早どの動物にも似てはいなかった。
 異形、のその言葉がひどく似合う。
「名前からお察しの通り、動物からウェアライダーを作ったのは、この私です!」
 ケルベロス達の戸惑いなど気にする様子もない儘、ひどくフレンドリーにこちらに話かけてきた。
「それにしても、ビルシャナ大菩薩ですか! 相変わらずガンダーラはスケールが大きい。だからこそ、レプリゼンタからは最も遠い……」
 おっと、とマスター・ビーストは肩を竦めた。
「話が脱線しました。暗夜の宝石に聞いた所、どうやら皆さん私にあまりご質問は無いようす。ならば、要件のみをお話しましょう」
 触手が揺れる。ひどく陽気な声のまま、マスター・ビーストは告げた。
「月の鍵を渡しなさい! 私はその鍵を悪用しますが、月だけは止めて差し上げましょう!」
「ーーううん」
 否を、娘は紡ぐ。
 僅かな迷いはあった。渡すか渡さぬかというよりは、マスター・ビーストの言いように。でも、それよりもひどく嫌な感じがしたのだ。駄目だと。渡してはいけないと。
「渡さない。あなたを倒して、月を止めてみせる! ……覚悟は決めてるから」
「おや。これは残念! では、貰い受けましょう」
 この私が、月の鍵を。
 笑うような声と共に、熱がーー来た。
 ドォォン、と叩きつけられるような衝撃と共に熱が部屋を焼いた。は、と吐き出した息と共に、鳳琴は顔を上げる。庇うように立った男が、大丈夫ですか、と振り返らぬ儘に告げていた。
「はい。鍵も無事です」
 肩口が赤く染まり、軽く血を吐いた景臣が刀を抜く。
「では、参りましょう」
「おや、勝つ気ですか!? そんな状況で!」
 マスター・ビーストの声は笑うように響いていた。嘲笑うそれでは無く、ただただひどく愉快そうに響く。血を散らし、蠢く触手で薙ぐだけでこちらを吹き飛ばしながら。
「ーー勝つよ」
 星の輝きが、戦場に描かれた。後衛を狙い放たれた炎を防ぎ切った盾役の傷が癒えていく。シルの癒しの術だ。
「あぁ」
 ばたばたと、落ちた血を今は置いてレーグルは口の端を上げた。
「倒すとも」
 言葉と共に、一気に前に出た。飛ぶように駆ける竜は翼を広げる。上下の感覚が今更狂う事もない。床を強く蹴って、巨体の下に入り込む。蹴り上げたレーグルに、異形は笑うだけの声も漏らさない。
 ただ、瞳じみた宝石だけがこちらを向いた。
「来るか」
 呟き、身を横に振る。翼を広げたのは、後方より踏み込む仲間に気がついていたからだ。
「銀天剣、イリス・フルーリア――参ります!」
 瞬発の加速。マスター・ビーストの正面へと沈み込んだイリスが刀を抜く。振り上げた刃が、ザン、と鈍い音と共に異形の脚に沈んだ。
「おや、おやおやおや!」
 し吹くのは血では無く泥か。笑う声と共に頭上で触手がしなる。イリスは身を横に飛ばした。手を先について、くる、と回った娘が低く即座に刀を構えたのは敵の視線がこちらを向いているのに気がついていたからだ。ーーだが。
「ただ、狙わせると思いますか」
 声が、落ちた。
 紡ぐ声と共にチェーンソーが唸りを上げた。唸る剣の一撃、叩き込んだ茜の頭上、触手の影は遠い。追うように空で弧を描く一撃はーーだが、止まる。
「捕まえた」
 ギン、と重い音がした。巨体を蹴り上げ、一撃を受け止めるようにしてくるるはレイピアで跳ね上げる。浮いたのは一瞬。でも、それだけあればーー十分だ。
「全ての葉を散らすかの如き華麗なる剣の舞を見せてあげるよ!」
 華麗なる舞と共に、くるるのレイピアがマスター・ビーストを貫く。しなる触手に関節は無くとも、胴にはある。その一点を狙い、貫けば僅かだが、異形の動きが鈍る。麻痺だ。
「ほう! そんな手もありますか! 少しは楽しませてくれそうですね」
 弾むような獣の声が響いた。

●終着点の相対者
 炎と打撃の中、異形の笑い声が響いていた。弄ぶような一撃は、だが、確かに強い。
「流石、だな」
 血を拭うのはもう止めた。回復を告げるシルの声を聴きながら、ティユは前衛へと回復を届ける。
「導こう」
 掲げる掌に灯るは星の輝き。投影された星図が傷をーー癒していく。己より仲間へと。注ぐように溢れた光は戦場に灯る星。おや、と落ちた声と共に、ぐん、とこちらを向いたマスター・ビーストに息を吸う。
「回復でしたか! 困りますねぇ!」
「お前が困ったところで変わりはしない」
「えぇ、そうでしょうとも!」
 歌う異形に会話の気など無いのか。それなら、それとも、と陽気に笑うマスター・ビーストに辿り着いた三班は戦いを挑んでいた。加速する戦場に炎が舞い、し吹く血さえ焼き飛ばしていく。攻守、回復とそれぞれを補い合いながら戦いながらも、一撃は通っている。防がれることはあっても、届いているものの方が多い。ーーだが、マスター・ビーストの攻撃自体がひどく、重いのだ。気を抜けば、一気に倒される可能性もある。
「多くの仲間が決死で掴んだ鍵。けして渡さない……!」
 それでも、此処まで来たのだ。
 高々と、鳳琴は飛ぶ。流星の煌めきと重力を纏い、その身を落とす。ガウン、と重く、叩き込んだ蹴りに僅かにマスター・ビーストの体が揺れた。
「おや、けしてと言われれば奪いたくなるもの!」
 踏鞴を踏んだ巨体が、ぐん、とこちらを向いた。瞬間、炎が来た。
「ーーっく」
 早い。吐き出された炎が一気に後衛を焼いた。息を詰め、だが膝は折ることは無いまま、鳳琴は言った。
「行ってください」
「回復するよ……!」
 後衛へと届ける癒しの光。大丈夫だという仲間に信を置いて、前衛陣は一気に踏み込んだ。
「焼き切れませんでしたか!」
 爆炎の向こう、響いた声にマスター・ビーストが息をつく。
「お静かに」
 炎の中、一気に景臣は異形の間合いへと滑り込んでいた。抜き払った侭の剣。見上げる程の巨体が、こちらを向くのを待つ気など無い。
 其れは礼を尊び、義を重んじる事無く――唯屠る為にのみ振われる一撃。
「ーー」
 笑う声さえ落とすように、景臣は刃を振り落とした。ザン、と重く刃が沈む。切り落とすように腕を振るう。泥に似た何かが溢れ、足が濡れるより先に身を飛ばす。開いた軸線にレーグルが踏み込む。地獄の炎が、ごぉお、と唸った。

●ケルベロス・ブレイド
 加速する戦場に笑い声が響く。遺跡の最深部にあって、月の鍵は未だ起動してはいなかった。それはマスター・ビーストが此処にいるからか。
「倒さねばならない、か。それ以外に方法が無いのであれば……」
 暴走、という手は残してある。この身の全てを賭ける、という方法も。レーグルの言葉に、シルも頷いた。
「このままなら……」
 呟くシルの腕も赤く染まっていた。誰もがそうだ。回復のできないダメージも、もう随分と蓄積してきていた。攻撃は確かに届いてはいるがーー勝てるのか、勝ちきれるのかが見えない。隠しきれないダメージが、ケルベロス達にはあった。
「これは慈悲として一気に殺してしまうのがよいですかねぇ」
 笑う声と共に触手がしなる。薙ぐような一撃が後衛へと向かう。
 狙いは、鍵を持つ鳳琴か。
 いち早く、景臣が踏み込んだ。刃で一撃を切り上げ、だが、真横から来た追撃が景臣を打ち据えた。
「ーーあぁ、やはり」
「景臣さん!」
 鳳琴の声が響く。回復を、と告げるティユにその身を血に染めながら景臣は否を告げた。
「あれは、遊んでいるだけでは無いようです。でなければ、素直に払われもしないでしょう」
 ならば答えはひとつ、と倒れゆく男は告げた。盾となることは構わず、全て覚悟の上であったから分かったことを残さず伝えていく。
「あれは全力を出せていません」
 だから、とその先、言葉を託すように景臣は倒れた。血の海に落ちるより先に、レーグルが受け止める。後ろへと告げる竜に気がついたか、笑うマスター・ビーストが炎を纏い出す。
「炎なら、こっちもあるよ……!」
 これ以上はさせない、とくるると茜が動く。残る仲間を支えるようにティユが星の輝きを灯す。
「シルさん」
 淡い光の中、鳳琴は彼女の名前を呼んでいた。ゆっくりと視線を上げたシルに、月の鍵を差し出す。小さく目を見張ったのは、きっと自分の怪我に気がついたからだろう。これは、そういう意味だ。
「シルさんに、託します」
「おやぁ? それでは私の方が万事解決なのでは!?」
 その瞬間に、気がつかぬマスター・ビーストでは無い。一気に伸ばされた触手が二人を狙う。ーーだが、一撃は炎によって阻まれた。
「さぁ、一緒に踊りましょう」
 くるるだ。炎を纏う蹴りが、触手を蹴り上げていた。払い上げ、焼き尽くす。
「おや、邪魔なことを」
「ーー!」
 追撃がくるるを撃ち抜いた。く、と息を詰める。一撃に、一気に視界が歪む。でも、確かに「そうだ」とくるると思った。
「できないのかな? 全力の、攻撃、が」
 一撃を叩き込んだから分かる。血濡れの体で、それでも前を見て彼女は言った。仲間へと。
「だって、最初ほど狙いにくく無いから」
「倒せる、ね」
「……はい」
 頷き、茜が一気に飛ぶ。
「シルさん、鍵を」
「うん、分かった」
 月の鍵を受け取り、シルは真っ直ぐに前を見た。最初に紡ぎ上げるのは回復だ。
「必ず……っ」
 淡い光が戦場に落ちる。おや、と落ちたマスター・ビーストの視線を遮るようにティユは飛んだ。
「これ以上させると思うか?」
 回復を紡ぐこの身は、盾でもある。加速する戦場に、流した血で足を止める暇などない。誰もが足を止めることなく、駆けていた。
 痛みも、熱もある。歪む意識を引きずり上げて、倒れた仲間の分も動き続ける。道筋は見えた。それを見出してくれた分、後はーー。
「為すだけだ」
 レーグルの放つ炎弾が、触手を焼き切った。落ちた肉を飛び越え、巨体を見据える。
 マスター・ビーストの攻撃は、確かに弱まって来ている。余裕だとは言うまい。此処にあるのは勝てる可能性だ。
 一撃が、来た。空を切り裂く音が響く。躱すにはあちらが早すぎるか、それでも、とイリスが思った瞬間ーー斜線に影が降りた。
「――怪我とかないよね? なら……良かった」
「ーーありがとうございます」
 護衛班の仲間だ。
 深い傷だ。伸ばしかけた手をきつく握り、心配よりも先にまず、イリスは感謝を紡いだ。
「地球の人々の為に、必ず制御を成功させます!」
 体はどうしたって重いけれど、動かすと決めていたから。
「おや、おやおや。まだ足掻きますか!」
「足掻きますよ」
 普通に、と茜は告げた。
(「月がぶつかってもケルベロスは死なないかもだけど。叔父さんや高校の皆に今まで助けた人たち、無事でいて欲しい人たちが沢山いるんだ」)
 いなくなってしまうのは嫌だから。
「そういえば、青い地球とやらを見る余裕はなかったな」
 色々と余裕がなかったし。
 誰にともなく呟いて、すぅ、と茜は息を吸う。「能無し、無力、役立たず」
 それは力を解き放つ言葉。己の武器と触れた血肉を純白の鋼糸へと変える。
「――滅べ、滅べ、滅び晒せ……!」
 言の葉と共に、白い糸が戦場を舞った。ひゅん、と踊る糸は触手を切り落とし、そのまま茜は糸をマスター・ビーストへと向けた。
「滅べ」
「私相手に滅べとは!」
 饒舌な獣が笑った。巨体を切り刻む糸が、泥を纏う。それが奴の血肉か。加速する戦場に異形の笑い声と炎が生まれた。
「焼き尽くしましょう!」
 狙いはやはり後衛か。瞬間、生じた炎がシルに届いた。一瞬、視界が歪む。動け、動けときつく拳を握りしめた瞬間ーーふわり、と舞う花びらを見た。透明な花びら。その清らかな花吹雪がシルの傷を癒していく。
 それはよく知った癒しの光。
「ありがとう。うん、これで大丈夫」
「よかった。……ね、シル。絶対に止めようね」
 月の衝突を、そのためにはまずマスター・ビーストを。
 護衛班のイズナの言葉に、シルは頷いて立ち上がった。覚悟と共に。回復手として、今、月の鍵を預かる身として。
「おや、まだ焼けませんか」
「貴方の好きにはさせませんから」
 鳳琴が告げる。さわさわと髪が揺れる。
「私のグラビティと共に輝け、六芒に集いた精霊よ!」
 それはシルから学んだ魔法を使って紡ぐ一撃。瞬発の加速と共に、鳳琴は空を舞った。穿つ触手を空で交わし、足場として一気に踏み込む。
「我が敵を――……撃ち抜けっ!!」
 収束したグラビティを一気にマスター・ビーストへと叩き込んだ。
「おや」
 触手が、異形の体が吹き飛んだ。一角、確かに欠けた獣が、僅かにその身を傾ぐ。一瞬ではあった。だがその一瞬を、レーグルは逃さない。
「沈め」
 翼を広げ、一気に加速して踏み込んだ竜の蹴りが、異形の脚に落ちた。ぐしゃり、と関節が砕ける。
「此処で終わりだ」
 辿り着いたのだ。この遺跡へ。最奥へ。皆のお陰で此処まで来た。繋げたから。
「必ず、届かせる」
 踏み込むイリスへと突き出された触手を、ティユが受け止める。
「ティユさん!」
 星が、舞った。弾くより盾として受け止めた彼女が告げる。
「ーー行ってくれ」
 星の光が、弾けた。
 吐き出した血と共にそう言った。追うように蠢く触手に、最後の一撃を届けてティユは静かに笑う。
「届くさ」
「空を駆ける風よ、みんなに、癒しと祝福を……」
 駆けるイリスへとシルの風が届く。残っていた傷を全て払うように癒しが届く。
 踏み込む、足に力を込めた。何があっても、どうなっても届けるとそう決めて。覚悟して。
「時空歪めし光」
 展開するのは時空の魔法。放つ光は空間を歪曲させるもの。血濡れの手に力を込める。届くその場所まで踏み込む為に身を飛ばす。
「汝此れ避くるに能わず!」
 己の残る全てで、歪光をマスター・ビーストへと叩き込んだ。
 光が、弾けた。巨体が揺らぎ、舞い上がった触手が地面に落ちていく。
「これで、終わりですか……?」
 は、と落とす茜の息が荒れていた。
「なら、いいが」
 告げるレーグルもまた、翼さえ赤く染めていた。倒しきったと、言い切れぬのはマスター・ビーストという存在が故か。動かなくなった巨体は、だが、ひどく愉快な声を響かせた。
「鍛えてますねぇ! ですがすみません、ここでネタバラシ。
 実は私の体は『途方もなく巨大』なのです! この体は、私の触手の1本にすぎません!」
「え……」
 小さく、シルが息を飲んだ。月の鍵を強く握る。回復を、と風の精へと呼びかけた瞬間、笑うような獣の声がした。
「とはいえ、私も忙しいのです。全力を出した所で別に勝てる気もしませんし、何よりクルウルクが、目覚めた私を殺しに来るのでね!」
 それは、出発の前に聞いていた話。
 やはり、来ようとしていたのか。
「みなさんが月の鍵を使っても、大菩薩がその気になれば、じきに月は落下の続きをはじめますよ。ま、本気で止めるおつもりならば、いつでもお待ちしています。よろしくどうぞ!」
 饒舌に語りつくしたマスター・ビーストの声はそこで止まった。見上げる程の巨体が姿を消すと月の鍵が光り出した。
「鍵が……! 月の落下が止まったのかな?」
「ここからでは確認できないので、とにかく脱出しましょう」
 シルさん、と鳳琴は彼女の手をとった。頷きあった二人は倒れた仲間を皆で支えるようにして月の遺跡を脱出する。そのまま、一気に月を脱出すればーー青い地球が、守りきった惑星の姿が見えた。

作者:秋月諒 重傷:藤守・景臣(ウィスタリア・e00069) ティユ・キューブ(虹星・e21021) 野々宮・くるる(紅葉舞・e38038) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年10月18日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 10/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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