月面ビルシャナ大菩薩決戦~月にいるのは

作者:雨音瑛

●異変
 天文台の敷地内にある広場には、たくさんの子どもが集まっていた。
 彼ら彼女らが大人しくしているのは、今が夜であるからか、それとも「秋の天体観測」イベントの開始を心待ちにしているからか。
「みなさん、こんばんは!」
 インストラクターの女性がマイク越しの声を発すると、たくさんの大きな「こんばんは」が返ってくる。
「元気なお返事、ありがとうございます! 月ではうさぎが餅をついている……なんて話もありますが、みなさんには何が見えますか?」
「えっとね、とりさん!」
 一人の女子が元気よく手を挙げ、答えた。他の子どもも頷き、「とりさん」という声が重なる。
「なるほど、鳥さんですか。たとえばインドネシアという国では――」
 言いつつ、インストラクターも月を見上げる。
 直後、彼女は目を見開いて硬直した。月が鳥人間の姿になっていたからだ。

●ヘリポートにて
 空に浮かぶ不気味なものを指し示しながら、ウィズ・ホライズン(レプリカントのヘリオライダー・en0158)は話し始める。
「見ての通り、緊急事態だ。ビルシャナ大菩薩化したあの月が、地球への衝突コースに入ろうとしている。それもおよそ一ヶ月で、だ」
 NASAとJAXAの調査によって判明したこの事実は、決して楽観視できるものではない。
「月が地球に衝突すれば、当然、人類の存続も危うい。それに、衝突によって死亡した人々のグラビティ・チェインがビルシャナ大菩薩に吸収されるということも考えられる」
 そうなれば――世界は、ビルシャナ大菩薩によって支配されてしまう。ケルベロスはもちろん、人々の望むところではないのは明白だ。
「これを阻止できる方法が、ある。非常に危険な任務となるのだが――」
 先日ケルベロスたちが持ち帰った『月の鍵』を、月の裏側にある『マスター・ビーストの遺跡』の中枢まで運び、使用する。
 ウィズの言葉に、ヘリポートは静まり返った。
 しかしどうやって月まで、と誰かが呟いた。するとウィズは微笑み、ヘリオンを見遣る。
「ああ、月面までの移動については心配しなくていい。実は、アメリカ合衆国で開発していた『試作型宇宙用装備』をヘリオンに取り付けてもらったんだ。そういうわけで、私も一緒に宇宙に向かわせてもらうことになる。よろしく頼むぞ」
 なんでもこの装備は先日行われたケルベロス大運動会の収益をつぎ込んで開発されたらしいのだが、それはまた別の物語。
 さて、話は作戦の概要へと移る。
 今回は大きく分けて2つのチーム、すなわち『月の遺跡への突破口を開いた後、宇宙装備ヘリオンの護衛を行う』チームと『月の遺跡内部に突入して遺跡を制御し、月の落下を止める』チームに別れて行動することになるのだという。
「私のヘリオンでは、遺跡内部に突入するチームを運ぶ。他にも遺跡内部に突入するチームがあるから、どのチームが『月の鍵』を運ぶかは相談して決めてもらうとして――私からは、突入後の流れについて説明しよう」
 遺跡突入後は『月の鍵』を持つチームを中心にして遺跡の中枢を目指す。中枢に『月の鍵』を運び込んだ後は速やかに脱出。言ってしまえばそれだけなのだが、とウィズは続ける。
「まずは道中について詳しく説明しよう。遺跡中枢までは『月の鍵』が導いてくれるため、道に迷うこともない。しかし、激しい妨害が予想される」
 というのも、遺跡内部にはデウスエクスが待ち構えているからだ。そのどれもがビルシャナではなくマスター・ビースト配下の獣人型デウスエクスらしい。敵の数は決して多くないものの、彼らは遺跡内部に隠れ潜み、隙あらば奇襲を仕掛けて『月の鍵』を奪い取ろうとして来るから注意が必要だ。
 また、強敵が現れた場合、たとえば一部のチームが強敵を足止めしている間に他のチームが先に進む……といった作戦も必要になるかもしれない。
「無事に中枢まで『月の鍵』を運び終えても、油断はできない。別チームが脱出口を維持している間に脱出しなければならないからだ」
 つまり突入から脱出まで、デウスエクスだけでなく時間との勝負でもあるということ。責任が重く時間の少ない今回の任務において、失敗はできない。
「竜十字島、月の鍵、そして宇宙か……人類の存続がかかっているんだ、躊躇するわけにはいかないな。それに、マスター・ビースト勢力の『ソフィステギア』がグランドロンと共に月へと移動し始めたという予知もあった。連中が月に現れれば厄介なことになるだろうから、速やかに任務を終えたいところだな」
 そう言って、ウィズは不穏な形に変じた月を見遣った。


参加者
ミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815)
七宝・瑪璃瑠(ラビットバースライオンライヴ・e15685)
ハンナ・カレン(トランスポーター・e16754)
イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)
岡崎・真幸(花想鳥・e30330)
リリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)
ルーシィド・マインドギア(眠り姫・e63107)
ジークリット・ヴォルフガング(人狼の傭兵騎士・e63164)

■リプレイ

●遺跡
 リリエッタ・スノウ(小さな復讐鬼・e63102)の青い瞳に、地球が映り込む。
「地球……ほんとに丸いんだ……奇麗。ね、ルーも見てみなよ」
「ええ、ですが……どんどん遠くなっていきますの……」
 ルーシィド・マインドギア(眠り姫・e63107)は、不安そうに地球を見つめた。彼女にとって故郷と思える場所から離れるのだ、心細さを覚えるのは当然だろう。だというのに今回の仕事に参加したのは、もちろん理由がある。
「……大丈夫?」
「大丈夫ですわ。だって、リリちゃんがいますもの」
 親友のリリエッタが遠くへと行ってしまうのが怖かったのだ。けれどその思いはひとかけらも見せず、ルーシィドは穏やかに微笑んだ。
「むぅ……それならいいけど。でも、お月さまをぶつけてくるなんて、月に住んでいるウサギさんにも迷惑なんだよ、絶対阻止してやるよ」
 無表情のリリエッタが月の方へと視線を移せば、突破口を開くべくビルシャナと戦うケルベロスの姿が見える。
「月の裏側にマスター・ビーストの遺跡、すごい謎が隠されてそうだよね……あっ、入り口の制圧に成功したみたいだよ!」
 ヴァルキュリアの少女、イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)の顔がほころんだ。先行してヘリオンから降下したケルベロスたちは、さらに突入班が着陸できるスペースを確保しようと周辺の制圧に動いている。事は順調に運んでいるようだ。
 やがて、ヘリオンはもはや体当たりと言っても差し支えないほどの速度で月の裏側へと着陸した。
「いたた、頭をぶつけてしまいました……でもこの程度、月が地球に衝突するのに比べたら何でもありません!」
 ミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815)は、体勢を立て直してヘリオンから降りる。
「ビルシャナの思い通りにはさせませんよ!」
 続く戦いで摩耗した心は、前に進むことで誤魔化してきた。それはもちろん、今も続いている。
 ミリムに続き、ジークリット・ヴォルフガング(人狼の傭兵騎士・e63164)が月面に着地する。
「地球と月面とでは勝手が……違うな」
 傭兵として世界各地を転々としてきた彼女も、流石に月は初めて。アームドフォートに取り付けたウェポンエンジンで姿勢を制御し、入り口へと向かう。
「……なんだか不思議な気分だよ」
 何せ、かつては見上げていた月が今は足元にあるのだ。呟く七宝・瑪璃瑠(ラビットバースライオンライヴ・e15685)の足下には、漆黒の宝石のような表面が露出していた。これを遠くから眺めたのなら、まるで巨大な宝石が宇宙に浮いているように見えることだろう。
 月の鍵を持つ幸・鳳琴が遺跡の入り口に近付くと、ケルベロスたちを招き入れるように扉が開いた。そこからは、足止めを担当する班を先頭にして突入する。
「どう見たって罠だろうが、ここで迷うようなら月まで来てないからな」
 岡崎・真幸(花想鳥・e30330)はボクスドラゴンのチビを抱えながら翼飛行で仲間の手を引き、遺跡の中へと入った。
 漆黒の宝石のような月面から内部にかけて肉の芽のように食い込んでいる遺跡は、
「一言で言うなら『邪悪な神の神殿』ってところか」
 オラトリオの青年は観察を続ける。生物のように脈打っている遺跡内部は、『悪い奴が作った』ようだ。
「湿度は一定に保たれてるな。空気もあるみたいだが――毒か何かかが含まれているみたいだ。ま、俺らはケルベロスだからこれで死ぬってことはないだろうが」
 真幸の言葉に、ハンナ・カレン(トランスポーター・e16754)は笑んだ。
「なら、スーツにうってつけのこいつは無駄じゃなかったな」
 そう言って、ハンナは酸素ボンベに繋がれた酸素マスクを装着する。此度、運び屋のハンナが遺跡中枢に届けるのは『月の鍵』を持つケルベロスたち。潜り抜け慣れた死線の予感を覚えながら、ハンナは小型定点カメラのスイッチを入れた。

●獣の道
 最初に出現した敵は、端的に言って『化け物』だった。触手が生え、口や目がある人型の肉塊を、ミリムは容赦なく切り捨てる。
「変ですね。ここはマスター・ビーストの遺跡なのに、どうしてこのような異形の敵が出てくるのでしょう?」
「確かに。最深部に答えがあればいいんだが、どうだろうな」
 回転灯に緑の光を灯すジークリットは、自身の足から伸びる赤い糸を見遣る。遺跡の入り口に結びつけたアリアドネの糸は、脱出時の道しるべとなるものだ。今のところ遺跡内部は迷路になってはいないが、未知の場所において備えすぎるということもない。それに無用な心配を一つ減らしてこの先のことに集中できるのなら、大した負担ではないというもの。
「そういえばみんな、体調は大丈夫?」
 イズナが心配しているのは、狂月病の発症だ。ウェアライダーであるミリム、瑪璃瑠、ジークリットたちが顔を見合わせる。
「私は大丈夫です」
「ボクも、何ともないんだよ!」
「ふむ、私も大丈夫そうだ」
「懸念解消で何より。しかし、こうグルグル回りながら歩くっていうのは――胎内巡りみたいだな」
 髪に咲く彼岸花に触れ、真幸が零した。
「穢れが祓われるどころか、染みつきそうな道だがな」
 皮肉ひとつ、ハンナは撮影の手を止めない。
 そうして進むこと、20分。通路に水槽のようなものが出現し始めた。おぞましいことに、水槽の中には動物の死体が漂っている。
「もしかしてここって、神造デウスエクスって言われてるウェアライダーを産み出した実験場?」
「かもな、確証は持てんが。何にせよ、趣味が悪いったらありゃしねえ」
 瑪璃瑠の声を聞きながら、念のためとカメラを向けるハンナ。
 水槽に入っている動物の死体は、犬や猫、兎といったものだ。それを見て、ルーシィドが気付く。
「どれも一般的な動物ですわね。それに、ウェアライダーによくいる動物ばかりですの」
 異様な光景ではあるが、立ち止まるわけにはいかない。ケルベロスたちは鍵班を守りつつ、奥へと進む。
「みんな、見て。これってもしかして、ドードー鳥じゃないかな?」
「こっちはステラーカイギュウに見えるが……」
「あの、ジャイアントモアもいますの」
 驚くイズナに続き、ジークリットとルーシィドも動物の名を口にする。水槽内の動物、その種類が明らかに変化してきたのだ。
「どれも絶滅してる動物だな。それも、デウスエクスの大侵略期に」
 真幸がそう告げた後、敵の気配が明確になる。
 出現したのは、獣人型のデウスエクス3体。ウサギのような個体、ライオンのような個体、カイギュウのような個体だ。どの個体も半ば獣人と化しているため、正確な種別までは解らない。
 足止めを担当するチームは即座に反応し、それぞれの対応に動く。
「行きの敵はできるだけ全滅させる方針ですが、私たちはどの敵に向かいましょうか?」
「カイギュウ型のところにしよう、一番強そうだもん」
 ルーシィドの問いかけに即答するリリエッタ。この妖精族の少女にとって、死は怖いものではない。
 思い出のチョーカーにそっと触れ、リリエッタは壁を蹴った。

●役割
「リリはこっちから行くよ」
「了解した、合わせよう」
 カイギュウへと向かってゆくリリエッタに反応するのは、ジークリット。
 まずはリリエッタの蹴撃でカイギュウをその場に止める。次いでジークリットが獣化した右足をウェポンエンジンの推進に乗せて叩き込む。
 真空に備えた装備を移動に利用し、ケルベロスたちはカイギュウへと猛攻を仕掛けてゆく。
 カイギュウの体当たりを受けたミリムは苦痛に顔をしかめるも、剣を握る手を緩めない。
「まずはここを突破しないことには――うん?」
 なにか熱を持ったものを感知していったん立ち止まるミリムの眼前を、爆炎をまき散らしながら進み切り裂くドリルの群れが通り過ぎる。それは、もう一つの鍵護衛班に所属するウィゼ・ヘキシリエンの放ったものだった。
「敵は3体。そして足止めに3班。しかし、ここにはまだ、3班が残されておるのじゃ!」
「いや、鍵輸送班を頭数に入れるのはまずいと思うよ」
 ウィゼにツッコミを入れるのは、彼女と同班のプラン・クラリス。けれどすぐさま竜砲撃を放つのは、ウィゼの意図を理解しているからだろう。
「残った護衛2班を加え、3班で一体ずつ撃破するのじゃ! 撃て撃て撃て撃て! なのじゃよ!」
 ウィゼが口ひげを押さえ、ふぉっふぉっふぉと笑う。その笑顔はまるで軍師のようだ。
「なるほど、私たちが加わりながら3班で一体ずつ撃破ですね。では、私は斬って斬って斬らせてもらいましょうか! ルーシィドさん、続いてください!」
 ミリムは白ノ凍翼剣に緋色の闘気を纏い、カイギュウの体表に牡丹を描く斬撃を加える。
「は、はい! ――あなたは15のたんじょうび 糸つむぎの針に刺されて死ぬでしょう さぁ数えてください 誕生日まで、あと・・・」
 尊敬するケルベロスに名を呼ばれて緊張するも、ルーシィドの口からは詠唱が滞りなく紡がれた。そうして彼女の袖からこぼれた紡ぎ車の錘はカイギュウに突き刺さり、生気を奪い取る。
「作戦に異議なし、だ」
 ボクスドラゴンのチビによるヒールを受ける真幸の竜槌から撃ち出された砲弾が、カイギュウの機動力を奪う。そこに、イズナの放った凍てつく螺旋が纏わり付いた。
「『月の鍵』は渡さないよ! 瑪璃瑠、今のうちに回復をお願いするね」
「うん、任せるんだよ!」
 瑪璃瑠が混沌の水を前衛に浴びせると、特段信頼を置く者の笑みが見える。
「なんだ、随分と成長したようだな」
「えへへ、ありがとうなんだよ!」
 ハンナの言葉に、瑪璃瑠はくるりと回った。翻るカーキのロングコートは、かつてハンナから貰ったものだ。
 ハンナはもう一度口の端に笑みを浮かべた、跳ねた。
「じゃあな」
 空中で二度目の跳躍、そこから左足を軸足として繰り出される右の足。完璧な弧を描く足先が生み出す衝撃波は、カイギュウの体にめり込んで弾けた。
 3班の猛攻を受け、流石のカイギュウも怯む。
「これで、仕留める……!」
 足止め班の一人、ランドルフ・シュマイザーがリボルバーの照準を合わせる。弾丸が銃口から射出された、と認識できる時間はほんの一瞬。轟音と衝撃、そして爆発によってのみ、カイギュウに着弾したと把握できるくらいの速度だった。
 力を失ったカイギュウは、そこで倒れ伏す。
「よし、これで先に進め――」
 真幸の視線は、先ほど倒したカイギュウへと注がれている。
「……嘘だろ?」
 信じられないことに、カイギュウの傷が塞がり、再生が始まっていたのだ。
「マスター・ビーストにより産み出された最高傑作たる、神造レプリゼンタの我らは滅びる事は無い」
「はっ、持って回った言い方しやがって。要は撃破は不可能ってことか」
 ハンナが舌打ちをする。
「そんな……」
 口元に手を当て、ルーシィドが息を呑む。
 カイギュウが突進を仕掛けたのは、足止め班のひとり。それを庇い立てた神崎・晟は、到底無事とは思えない。
 だが、同班のスズナ・スエヒロは叫ぶ。
「っ、ここは任せて、皆は先へ!」
 そうだ、そのための役割分担なのだ。
「さ、行って!」
 盾で攻撃を受け、宙に舞うスズナがこちらにむけるのは笑顔だった。
「わかり、ました……」
 不安そうな視線を送りつつ、ルーシィドが頷く。不死身の敵との戦闘が何事もなく終わるはずがないと、思考せずともわかる。眼鏡を通して見る現実は、なんと恐ろしいことだろう。
「どうかみなさまがた、ご無事で――」
 ルーシィドは彼ら彼女らの無事を祈り、鍵を持つ班に追随する仲間の背を追うのだった。

●中枢
 神造レプリゼンタの足止めを任せて進んだ先では、さらに異様な光景が広がっていた。数多のウェアライダーが、壁に埋め込まれているのだ。
「こいつら死んでるようには見えねえな。もしかして保存されてんのか?」
 その不気味な光景をも、ハンナは映像におさめてゆく。
 不意に、月の鍵を持つ鳳琴が壁に近付いた。すると、壁の中の存在が蠢き出す。それだけに留まらず、ウェライダーが壁から這い出してくるではないか。当然、相手をしている余裕はない。ケルベロスたちは急いで通路を駆け抜ける。
 それから5分ほど経過しただろうか。巨大な部屋のような場所へと辿り着いた。
 室内を見渡した真幸は、小さくため息をつく。
「ここが中枢か? 生き物の胃、その内部みたいだが――」
 やがて鍵を所持する者が部屋に入ると、中央部が不気味に光り始めた。続けて周囲の壁が蠢き出す。その音は、まるで歌のように室内で響き渡る。
『ろう ろう りまーが! ろう ろう りまーが!』
『りまーが りむがんと なうぐりふ!』
『りまーが なうぐりふ げるせるとれぷりぜんた ろう くるうるく!』
『ろう ろう りまーが! ろう ろう りまーが!』
 屈強なケルベロスの精神すら狂わせるような、不気味な響きだ。耳を押さえるミリムが、異常を感知した。
「中央の光から何かが出てきます! みなさん、気をつけて!」
 隠していた尻尾を出し、逆立てるミリム。
 出現したのは、3mはありそうな赤紫の触手蠢く存在だった。
「ガルルッ!」
 怯むことなくミリムがうなり声を上げると――。
「さあ、今回帰って参りましたのはこの私! マスター・ビースト! 名前からお察しの通り、動物からウェアライダーを作ったのは、この私です!」
「お前がマスター・ビーストだと? えらく醜いな」
 いたくフレンドリーな様子に、ケルベロスたちは戸惑う。
「それにしても、ビルシャナ大菩薩ですか! 相変わらずガンダーラはスケールが大きい。 だからこそ、レプリゼンタからは最も遠い……」
 そこで、マスター・ビーストはいったん言葉を止めた。
「おっと、話が脱線しました。暗夜の宝石に聞いた所、どうやら皆さん私にあまりご質問は無いようす。ならば、要件のみをお話しましょう。月の鍵を渡しなさい! 私はその鍵を悪用しますが、月だけは止めて差し上げましょう!」
「ーーううん」
 真っ先に否定したのは、鍵班のシル・ウィンディア。
「渡さない。あなたを倒して、月を止めてみせる! ……覚悟は決めてるから」
 その宣言を皮切りに、ケルベロスたちはマスター・ビーストへと挑みかかった。
 マスター・ビーストが振り回した触手が向かってくるのに気付いたルーシィドが身構える。少女を庇いだてたのは、ひどく小柄なシルエットだった。
 主からはチビ、と呼ばれていた小さな竜は、しなる触手の一撃で消し飛んだ。
「そん、な……」
 呆然としたのも束の間、ルーシィドは今の一撃で見えたことを共有する。
「みなさま、気をつけてください。無造作に振り回しているようですが、凄まじい威力ですの。たぶん、他の攻撃も……!」
「さすがはマスター・ビースト、というわけですね。でも、私には頼れる親友と仲間がいます!」
 あらためて口にすることで覚える、安堵。ミリムは崩天槍ホワイトローズランスに雷光を纏わせ、マスター・ビーストへと突き立てる。
「そうそう、いつもみたいに頼りにしてよ」
 軽やかに告げるリリエッタがマスター・ビーストに蹴りを加え、フックショットを用いて素早く着地する。その軌跡と十字を描くように重なる、真幸の星屑纏った蹴り。
「……まあ、覚悟はしていたが。想像以上にやばい相手だな」
 そう、誰しも覚悟はしていた。が、ルーシィドが仲間に告げたとおり、そして真幸が感じたとおり、マスター・ビーストの攻撃は凄まじいものだった。
 一撃を受ける度に必要な回復量は、癒し手を担う瑪璃瑠だけでは到底足りない。ヒールグラビティを使用できる他のケルベロスが加わっても、なお。
「これじゃ回復が間に合わないんだよ……! でも! ――リミッター限定解除! 廻れ、廻れ、夢現よ廻れ!」
 瑪璃瑠が2人に分身する。魔具を共鳴させて入れ替える、現と夢。負傷という現実を改竄する夢は、瞬く間に前衛の傷を無かったものへと変えてゆく。
「ハンナさん、いつか話した自慢の妹だよ」
 金眼の少女が、緋眼の少女を示す。
「えへへ、頑張るんだよー!」
「ああ、リルもメリーも頑張れよ」
 ハンナは上方へと跳んだ後、二度目の跳躍でマスター・ビーストへと進路を取り、星型のオーラを蹴り込んだ。
 そこを目印に、イズナが凍てつく騎士のエネルギーを弾けさせる。
「邪魔するなら、わたしたちが相手だよ!」
「何はともあれ、こいつを倒さないとな。ルー、ここだ」
 ジークリットが弱点と思しき場所に強かな一撃を叩き込み、ルーシィドに示す。
「ありがとうございますの、ジーク様」
 放つは霊弾。そして入れ違いに見える、マスター・ビーストの吐き出した炎。
「――あ」
 その温度が、ルーシィドの体を灼く。既に負った傷に重なる痛みと熱には耐えられないと気付き、彼女は穏やかに微笑んだ。
「みなさま――あとは任せましたの」
 親友、寮の先輩、尊敬する者――そして、最前線で戦うケルベロスたちならば大丈夫だと不思議な安心感を覚えながら、リリエッタは意識を手放した。

●思惑
 癒し手を担う瑪璃瑠は自軍の状況にひたすらに気を配り、適切なヒールを飛ばしてゆく。瑪璃瑠の判断と回復量は見事なものだが、マスター・ビーストの攻撃は、それを凌駕するものだった。
 瑪璃瑠の目に、触手の残像が見えた。身構え、覚悟する。
「っ!」
 触手は瑪璃瑠の想像と異なり、ハンナの腹部を貫通した。
「随分と攻撃が単調になってきたもんだな? 見えてないとでも思ってんのか」
「ハンナさん……!」
 ハンナの耳には、瑪璃瑠の声がひどく遠く聞こえていた。
「……くたばり損ねたか」
 深手ではあるが、死には遠く及ばないことはすぐに判断できる。ぼやけて色彩を失い始めた景色に、ハンナは目を閉じた。
「とっても、まずい状況ですね……」
 歯噛みするミリム。他班にも及ぶマスター・ビーストの攻撃を目で追い、自身の攻撃タイミングを見計らう。
「ミリムさん、さっきハンナさんが言ったんだけど……マスター・ビーストの攻撃がとても単調なんだよ。もしかして全力を出せない事情でもあるのかな?」
 そう告げる瑪璃瑠に、ミリムは頷いて笑った。
「言われてみれば……一撃の威力も当初より弱まっているように見えますね。ありがとうございます、瑪璃瑠さん。――リリちゃん、あとはよろしく頼みましたよ」
 ミリムは守ると決めていたのだ。地球に住む人々と、今いる仲間たちを。
「――ミリム?」
 リリエッタが見た、ミリム躊躇のない踏み込み。赤く煌めくレイピアの切っ先。
「裂き咲き散れ!」
 牡丹の軌跡は、確かにマスター・ビーストへと刻まれた。けれど、しなった触手の反撃はミリムの胸元を貫きながら壁際へと叩きつけるものだ。
「予想通り、最初よりは弱まって……私は、ここまでの、よう、ですが……ッ、みな、さん! 今が、反撃の時、です!」
 最後の力を振り絞って叫ぶミリムの口から、血が零れる。血飛沫が空間で球になって浮かび始めたその時、ミリムの手からレイピアが落ちた。
「……わかったよ。ルー、力を貸して!」
 リリエッタは倒れているルーシィドを抱き起こし、そっと手を繋いだ。お互いの魔力が循環するのがわかる。増幅された魔力は天井知らずとも思えるほどに増加してゆく。
「これで決めるよ、スパイク・バレット!」
 とうに限界を超えた魔力が弾丸となり、マスター・ビーストの元に届いた。弾丸は荊棘の力を解放して食らい付き、決して抜け落ちることはない。
「ジーク!」
「ああ、任せろ」
 ジークリットがウェポンエンジンを用いて上方へと加速した。その後は素早く方向を切り替え、マスター・ビーストに星屑と重力を見舞う。
 どうやら他班も反撃の時と判断したらしく、一気呵成に攻撃を仕掛け始めた。
 グラビティが重なる中、イズナは護衛班のティリア・シェラフィールドが倒れたことに気付く。彼女へ手を差し出して癒しの力を行使しようとしたその瞬間、向こうのメディックが制止する。
「ここは私たちの領分だ。貴方たちは鍵輸送班を頼む」
 静かに、しかし有無を言わさない口調で嵯峨野・槐が示したのは、鍵の輸送を担う班だ。でも、と言おうとしたイズナはすぐに思い直し、微笑みを向ける。
「――わかったよ。でも、ここまできたんだもん、必ずみんなで脱出しようね」
「そうね。私はまだ、地球文化を堪能しきってないから――」
 そこから続く槐の言の葉は、癒しを届けるためのもの。彼女が先に告げた言葉が、13の齢にしては大人びた、しかしそれが強がりだと気付く間も無く、イズナは踵を返し、鍵輸送班の元へと向かう。
 イズナはいま鍵を持つシルに向けて手を伸ばし、手のひらから透明な花弁を舞い上がらせた。やがて花弁は花吹雪となってシルを包み込む。
「ありがとう。うん、これで大丈夫」
「よかった。……ね、シル。絶対に止めようね」
 月の衝突を、そのためにはまずマスター・ビーストを。シルが頷いたのを見て、イズナは行動を共にしていた班の元へと戻る。
「これ以上、誰も倒れさせないんだよ!」
 自身と自然を霊的に接続した瑪璃瑠が、真幸をも繋いでその傷を塞ぐ。
「悪いな、実は結構ギリギリだった。――讃えよ。我らが主を拝し歓喜せよ」
 礼を述べつつ、真幸は召喚された異界の神の力でマスター・ビーストに白昼夢を見せる術を行使した。
 他班の攻撃も、容赦なく畳みかけられる。
 そうして、イリス・フルーリアによる歪光がマスター・ビーストへと叩き込まれた。そこでマスター・ビーストの動きが止まったが、ケルベロスたちは警戒を緩めない。
「た、倒せたのかな……?」
 瑪璃瑠が、おそるおそる口にする。
「わからん。だが、まだ油断はするな」
 次の攻撃に合わせて味方を庇おうとするジークリットは、あと一撃、耐えられるかどうか。
 直後、マスター・ビーストは陽気に笑った。
「鍛えてますねぇ! ですがすみません、ここでネタバラシ。実は私の体は『途方もなく巨大』なのです! この体は、私の触手の1本にすぎません!」
 ケルベロスの間に緊張が走る。
「とはいえ、私も忙しいのです。全力を出した所で別に勝てる気もしませんし、何よりクルウルクが、目覚めた私を殺しに来るのでね!」
 明るい口調に反し、その内容は到底安堵できるものではない。
「みなさんが月の鍵を使っても、大菩薩がその気になれば、じきに月は落下の続きをはじめますよ」
 いっそ耳障りな、フレンドリーすぎる声。
「ま、本気で止めるおつもりならば、いつでもお待ちしています。よろしくどうぞ!」
 その言葉を最後にマスター・ビーストが消えると、月の鍵が光った。
「これで……月の落下が止まったのかな?」
 瑪璃瑠が室内を見渡す。
「どうだろう、ここからじゃわからないね。ひとまず負傷者を抱えて脱出しよう」
 と、ルーシィドを抱えるリリエッタ。その他の負傷者も手分けして抱え、ケルベロスたちは脱出の準備を始めた。

●戦果
 ジークリットの足から伸びる赤い糸を辿り、急ぎ来た道を戻る。壁に埋め込まれたウェアライダーを横目に通り過ぎれば、神造レプリゼンタを足止めしていた者たちが見えた。彼ら彼女らが戦っていた『神造レプリゼンタ』の姿はどこにも無い。おそらく彼らも撤退したのだろう。
 さらには水槽を通り過ぎ、勢いに任せて入り口を抜けると、攻撃を受けた様子の無いヘリオンが見えた。ビルシャナを制圧していたケルベロスたちが、しっかりと守ってくれていたのだ。
 地球を離れた時と同じ人数を乗せたヘリオンは、月面から離陸を始める。
「月にいたのは、神造レプリゼンタやマスター・ビースト、か……」
 遠ざかる月を眺め、真幸は呟いた。
 『月の鍵』を中枢に届けることには成功した。しかしこれで終わりではないことを、ケルベロスたちは確かに感じていたのだった。

作者:雨音瑛 重傷:ミリム・ウィアテスト(リベレーショントルーパー・e07815) ハンナ・カレン(トランスポーター・e16754) ルーシィド・マインドギア(眠り姫・e63107) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年10月18日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 7/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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