君が居なければ……

作者:okina

●菩薩招来
 薄暗い洞窟の奥――その力を使い尽くし、見るからに激しく疲弊した天聖光輪極楽焦土菩薩が、それでもなお最期の力を振り絞って、儀式を執り行っていた。儀式の間の床や岩壁に彫りこまれた、ビルシャナの曼陀羅陣。そこへ己のグラビティチェインを最後の一滴まで注ぎ込もうとする――すべては、大菩薩再臨の為に。
 そして、極楽焦土菩薩が最期の力を捧げんとしたその時、目の前に3つの光が灯った。光は膨張し、3体のビルシャナの姿を形作る――極楽焦土菩薩の祈りに応え、新たなる菩薩達が地球に降臨した瞬間だった。
「この世界を救う事が出来るのは、ビルシャナ大菩薩のみである。であるというのに、その救いの手を跳ね除けるものがいようとは。世界は世界のあるべき姿、ビルシャナ大菩薩との合一を果たさねばならない。あとは、我らに任せるが良い。この世界に満ちる救いを求める声と共に、ビルシャナ大菩薩の再臨を成し遂げようぞ」
 まさに今、力尽きんとする極楽焦土菩薩へ、浄化菩薩はそう言葉を掛けると、他の2体と共に洞窟の外へと歩み去って行った。

●絶対負け組になりたくない明王
 空き室だらけの古びたマンションの一室。ノートPCのディスプレイを覗き込みながら、男は髪を掻きむしり、うめき声を上げる。
「あ゛、あ゛、あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~~~~っ、邪魔するなっ、邪魔するなっ、邪魔するなぁ! くそっ、どいつもこいつも、俺の邪魔ばかりしやがって……っ!」
 オンラインゲーム、SNS、掲示板サイトを別窓で同時展開――全てが大炎上。にわかにスマホが振動し、呼び出し音が響く。
「あ゛ぁ゛、気が散るっ! 今日は無理って送ったろうがっ! 通知見ろ、通知!」
 乱暴にスマホの電源をOFFにすると、部屋の隅のベッドの上へと投げ捨てる。
 そして、はっと気づいて画面に意識を戻せば、ゲームで致命的事態が発生。敗北ペナルティが発生し、ここ最近積み上げた成果が儚く消え去った。
「う゛ぁ゛あ゛ぁ゛ァァァァァ~~~~っ!?」
 狂気にも似た絶叫がほとばしり、男はうっぷんを叩きつけるように地団駄を踏む。そして、その激しい感情に導かれるように、ソレは男の前に現れた。
「お前が今の境遇となったのは、争いに敗れたからである」
 金色の光背を背負うビルシャナ――浄化菩薩は言葉を続ける。
「争いは何故起こるのか? それは、世界の中に2つ以上の知的生命体の意志が存在するからだ。争いがある限り、勝敗があり、勝ち組と負け組に分かれてしまう。これは、間違いである」
 その言葉を聞いた男の瞳から光が薄れ、その身体が光に包まれてゆく。
「そうだ……争いがあるからダメなんだ……邪魔する奴が悪いんだ……皆が受け入れなくちゃいけないんだ……」
 うわ言のように繰り返す内に、男の身体は光に包み込まれ、新たなビルシャナへと生まれ変わる。
「あ……れ……?」
 ふと気づけば、男を導いてくれた浄化菩薩の姿は既に無く。
「そ、そうだ、この素晴らしい教義を皆に広めないと……争いの無い、誰にも邪魔されない、全てが受け入れられる世界を作らないと……!」
 男は投げ捨てたスマホを拾い直すと、そそくさと部屋を後にする。
 誰も居なくなった部屋で、放置されたオンラインゲームが、廃墟と化した『彼の都市』の姿を淡々と映していた……。

●争いの無い世界
「まずはお集まり頂き、ありがとうございます」
 凛とした声を響かせ、セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)は集まったケルベロス達に頭を下げた。
「天聖光輪極楽焦土菩薩が呼び出した浄化菩薩によって、あらたなビルシャナ明王が生まれてしまいました」
 そう告げる、セリカの表情は沈痛さに曇る。一度、ビルシャナ化してしまった人間は、二度と元に戻る事は無い。もはや、倒すしかないのが現状だ。
「黒幕の浄化菩薩は『世界から争いを無くす』という理想を語って、主に競争に敗れた人たちを狙って、ビルシャナ化を試みています。今回相手をして頂くビルシャナ明王も同様で、『互いを認め合える仲間だけの世界』をうたって、更なるビルシャナ仲間を増やそうとしています」
 そして、これがビルシャナの恐ろしさでもある。ビルシャナは一般人に教えを説く事でして、ビルシャナ信者やビルシャナへと変えてしまう力を持っている。放置すれば、ネズミ算式に勢力を拡大されてしまう恐れがあるのだ。
「更に状況の悪いことに、今回ターゲットとされている……いわゆる『負け組と呼ばれる』方々は……その……他人の言動や世間の動向に敏感な傾向があって……俗に言う『周囲に流されやすい』人が多いようです」
 少し言いにくそうにしながらも、彼女は大事な事だからと、さらに続ける。
「今はまだ、それ程ではないですが……もし、数が増えて噂になってしまったら……『皆もやってるらしいから』という理由で、ビルシャナ化を受け入れてしまう人が大勢出てくる恐れがあります。それだけは、防がなくてはなりません」
 新たなビルシャナが更に次のビルシャナを生み出す為、一度増え始めてしまったら、ケルベロスの手が足りず、止め切れなくなる。脳裏をよぎる最悪の未来に、セリカは小さく身震いした。

「今回、皆さんにお願いするビルシャナ明王は、とあるゲームセンターに現れます。まずは顔見知りから狙うようです」
 ビルシャナが現れるゲームセンターは小さなビルの1階(地上階)部分で、体育館程度の広さのホールに様々なゲームの筐体(きょうたい)が置かれているようだ。
「店員さんや普通のお客さんは、すぐに逃げてしまうので、大丈夫です。平日なので、人数も少ないですしね。問題はビルシャナ明王がターゲットとしている6人の男性です」
 例え相手が異形に成り果てていようとも、名を呼ばれ、名を名乗られ、言葉で語りかけられたら、耳を貸してしまう者も居る。それ自体は悪い事では決してなく、時には美談にもなるだろうが……今回は単純に、相手が悪かった。
「元々、様々な事情から『自分たちは負け組だ』と思いこまされてしまっている6人には、『勝ち負けの無い世界』の教えは、ある程度の説得力を持ってしまっています。もし、その説得を妨害しなければ、半数程度がビルシャナ化してしまう危険があるでしょう。皆さんには、ビルシャナ明王が友人達を説得している所に踏み込み、説得を阻止して貰いたいのです」
 一度ビルシャナ化したら、もう元には戻れない。だが、まだ救える人がいるのなら、止められる余地があるのなら、一人でも多く救いたいとセリカは言う。
「説得自体はさほど難しくはないと思います。別に『人間としての生を捨て、ビルシャナとして生きたい』と心から思う程、現実に絶望したりは、していないと思いますから」
 そう伝えてから、一つだけ気を付けて欲しい、とセリカは付け足した。
「私達『ケルベロス』は、一般人から見れば、どうやっても『勝ち組』でしかありません。説得の方法を間違えると、逆効果になる危険性もあるので、注意して下さい」
 ある意味不遇な6人の男性を、どうにか人間の側に繋ぎ止めて欲しい、とセリカは願う。

「とにかく、ビルシャナ化の拡大を防ぐのが最優先です。万一、ビルシャナ化してしまう方が現れたとしても、その場で倒してしまえれば、それ以上、被害が広がる恐れは無くなります」
 自らの覚悟を決めるように、セリカは真剣な眼差しで、小さな拳をぎゅっと握りしめる。
「取り返しのつかない事態になる前に……皆さん、どうかよろしくお願いします!」
 そう告げて再び頭を下げるセリカに、一同は力強く頷き、応えを返した。


参加者
田津原・マリア(ドクターよ真摯を抱け・e40514)
伊礼・慧子(花無き臺・e41144)
副島・二郎(不屈の破片・e56537)
嵯峨野・槐(目隠し鬼・e84290)

■リプレイ

●突入!
 駅前から少し離れた、小さなビルの1階にある、ゲームセンター。体育館程度の広さのホールを見渡せば、定員を含めても十数人程しか居ない、そんな平日の昼下がりに――ソレは突然現れた。
「んなっ……お前、本当に……?」
 彼もまた、店員や他の客と共に逃げようとしていたが、自分の名を正確に呼ばれ、知り合いの名を名乗られた為、つい足を止めてしまった。遊び仲間達も、知り合いか?、とか、アイツらしいよ、とか話しながら、様子を見に近くまでやって来る。
「あぁ、俺だ! 本当なんだ、聞いてくれよ! 俺たちは……勝ち負けを競うのは、間違っていたんだ!」
 そんな風に鳥人間――ビルシャナ明王と化した男が熱く語り始めた、その時。
「そこまでやっ!」
 自動ドアが開き、店内にドタゴニアンの女性――田津原・マリア(ドクターよ真摯を抱け・e40514)の鋭い制止が響き渡る。
「ソイツの話……真に受けたら、アカンやつやで」
 波打つ藍色の髪に、深く広い海のような青き瞳。小柄で細身な身体は、マニッシュな装いと相まって、彼女のクールでしなやかな魅力を醸し出す。
「その通りです」
 凛と響く、力強くも静かな声が相槌を打つ。
「相手は違えど、私もまた、被害者でした。どうか人間らしさを手放さぬよう……貴方達に同じ後悔をして欲しくはありません」
 そう告げる少女――伊礼・慧子(花無き臺・e41144)の、どこか虚ろな紫の瞳の奥に過るのは、己の過去。薬物と洗脳で自我を奪われ、暗殺に手を染め……そして捨てられた、過去の記憶だ。
「俺も伊礼に賛成だ。人であることを捨てるのが、勝つことだとは思えん」
 続けて、鋭い眼光を持つ、黒髪黒瞳の男が賛意を述べる。油断無くバトルオーラを身に纏い、他の客や店員が脱出した裏口を固めるのは、副島・二郎(不屈の破片・e56537)だ。ビルシャナの教義に魅入られたものは、最終的にビルシャナと化す。そんな結末は御免だ、と二郎は思う。
「なぜ勝てないときがあっても、ゲームやSNSを楽しめていたんだ?」
 目を伏せた小柄なオウガの少女、嵯峨野・槐(目隠し鬼・e84290)は問いかける。
「負けるのは確かに悔しいだろう。だが、その思い出を誰かと語り合って楽しんだり、一緒に攻略情報を共有して助け合ったのではないだろうか?」
 困難が大きいほど、達成の喜びも、また大きい。鍛錬そのものを好むオウガ故に、その思いは良く分かる。そして、思う様に結果を出せなかった時の苦しみも。自分自身が、そうだった故に。
「ぁ、あぁ……」
 槐の問いかけに、6人の男たちは顔を見合わせ、
「そりゃあ、楽し」
 ――かった事もある、と答えかけた所で、それを遮るものが居た。
「それがぁっ、間違いなのであぁあぁぁるっっっ!!!」

●望むべき未来
「争いある限りっ、勝者と敗者が生まれる! 勝者が勝ち続ける事で、更に敗者を生む! 例え、勝者が負けようとも、それは新たな勝者の誕生である! 新たな勝者が更なる敗者を生み出し続け、いずれ世界は只一人の勝者と無数の敗者で溢れかえるだろう……故に、これは間違いであるっ!」
 先程までとは雰囲気を豹変させ、高らかに語り上げるビルシャナ明王の言葉に、6人の男たちがはっと表情を変える。
(「ッ!? これは……マズイ流れか?」)
 隙をうかがっていた二郎の背中に、じっとりと嫌な汗が流れた。
「異議ありです」
 そこへ、不穏な空気を退けるように、慧子の凛とした声が響く。
「その論には敗者の側の行動が考慮されておりません。敗者同士で競い合えば、敗者が減って、勝者が増えるはずです」
 勝てたら嬉しい、負けたら悔しい。でも、負けても次は勝てるかもって続けられる。敗北は終わりではないし、終わりにしてはいけないと、慧子は静かに、しかし力強く訴えかけた。
「駄目だ駄目だ駄目だっ! それでは、敗者は無くならないぃ! 争いある限り、最後に誰かがババを引く! こんな世の中は不公平だっ!」
 狂乱したようにまくし立てる、ビルシャナ明王。しかし、6人の男たちの表情には戸惑いの色が戻りつつある。
「2つ以上の意志がある限り、争いは、敗者は、決して無くならないんだ! 築くべきは、敗者なき世界だ! 俺に続き、ビルシャナに到れ! 大菩薩様と合一し、ビルシャナの、ビルシャナによる、争い無き世界を顕現させるのだ!」
 嘴から泡を飛ばしながら、ビルシャナ明王が『争い無き世界』を訴える。そこへ、マリアは一歩踏み出し、びしっと指を突きつけた。
「ホラ見ぃ、やっぱりアカン奴やん! 2つ以上の意志が存在したらアカンて? そないな事言うんやったら、アンタ以外のここにいる人ら、皆存在したらアカンて言うてるようなもんやろ!? そんなん、恋とか友情とかもアカン言う事やん。冗談やないわ!」
 違いを認め合い、互いに尊重すれば、共に歩むことは出来るはず。今まで、地球の人々がそうしてきたように。それを否定するビルシャナの教義をこのドラゴニアンの少女は許さない。
「大体、ケルベロスかて、勝ち組やないで? うち、お見合いの前から断られるんですよ? 『息子より強い嫁はちょっと……』て。モテ期以前に相手が来ないんですよ? これ勝ち組やないやろ!?」
 マリアはビルシャナに負けじと、力の限り訴える。確かに、知名度と注目度と身体能力において、一般人とは一線を画すケルベロス。その中でも上位に位置する、『名声持ち』のマリアの隣に並び立つには、それなりの覚悟を要するだろう。
「いやいやいや、それは相手に見る目が無いだけっスよ!?」
「そうそう! 姉さんなら、きっと誰か見つかりますって!」
 マリアの自虐に対し、途端にフォローに回る男たち。そう、彼らは決して、悪い人間ではないのだ。
「そうだ、別居前提とかなら、ワンチャン……」
「やかましい! そんなぬるいフォロー、欲しくもないわっ!」
 ただ、フォローはしても立候補はしない辺り、彼らの彼らたる所以でもある。
「もし、全ての存在と一つになったら、それって世の中に独りぼっちってことですよね? それは、楽しく無いのではないでしょうか?」
 清らかな気配を身に纏い、慧子はゆっくりと、優しく問いかける。今日の様に、お気に入りの場所に仲間と共に集まるのは、自分と違う誰かと一緒に時を過ごしたいからではないのか、と。
「同感だ。勝ち続ける事にも、負けない事にも意味はない。仲間と力を合わせ、何かを成す過程にこそ、喜びがあると私は思う」
 目を伏せたオウガの少女は、喜びの在り処を語る。鍛錬そのものを好むオウガゆえに、その言葉に込められた強い実感が、男たちの心を揺さぶって行く。
「ぁあ、それは……確かに……」
 しかし、それを化鳥の叫びが遮った。
「そうだ、仲間だ! みんな仲間にしてしまえ! 敵は要らない! 争いもいらない! そうすれば、邪魔されないし、傷つかない! 仲間が居ればそれでいい! 」
 ビルシャナ明王が語る甘い未来像が、再び男たちの意志を蝕み始める。
「流れに身をゆだねるな! それこそが敗北だろうっ!?」
 たまらず、二郎は危険を承知で、男たちの前に飛び出した。
「人でいられる者が、他人の言葉でそれを捨てないでくれ」
 力任せにシャツを脱ぎ捨て、男たちの前に己の身体を晒す。胴体全部と四肢の一部を混沌の水で代替した、異形の姿を。
「ビルシャナにしろ、ケルベロスにしろ、一度踏み込んだら、もう戻れん」
 二郎の胸に去来するのは警察官だった頃の想い。人々を守りたいという、純粋な願い。それを知ってか知らずか、『人々を守る力を得られて良かったね』と言ってくる人も居る。しかし――。
「恨んでくれて構わん、わからなくても構わん。だから……」
 ケルベロスの任務は――その本質は、不死身の侵略者を『殺す』こと。唯一、ケルベロスだけが成し得る、ケルベロスにしか出来ない仕事。
「だから……今はただ、人のままで居てくれ……頼む」
 頼むから、俺に殺させないでくれ。守らせてくれ。言外に込められた、身を切るような情動が、6人の男たちを現実に引き戻す。
「他の人たちは、もう脱出した。あなた達も、早く」
 バリケード用にと大きなゲーム筐体を軽々持ち上げ、槐は裏口へ続く扉を指し示した。開かれたその目を見て、男たちはぎょっとする。そこに生来の瞳は無く、その眼窩は混沌の水で満たされていた。彼女もまた、その身に混沌の水を宿す者の一人だった。
「さぁ、お行き下さい。後で色々なお話を聞かせて下さいね」
「せやな。ここはうちらに任しとき!」
 慧子とマリアの言葉に背を押され、男たちは慌てて裏口から脱出して行く。
「さぁ、あとは『俺たちの仕事』をするだけ……だな」
 日頃から『自分はただの武力』と称する、二郎。感情を押し殺した瞳が、残されたビルシャナ明王へと向かう。
「地球の人達は私達の仲間。あなたには渡さない」
 バリケードを築き終えた槐が、決意の言葉を突きつける。
「なんでぇ! 俺のぉ! 邪魔をっ! するんだよォオォォォ~~~!!」
 ビルシャナ明王の魂の絶叫が室内に木霊した。

●決戦!
「己のぉ、罪をぉ、思い知れぇえぇぇぇ!」
 ビルシャナ明王の鳥目がギラリと光り、鋭い光刃が慧子目掛けて放たれる。
「くぅ――っ」
 避け切れない――そう判断するや、慧子は耐性のある防具で受け止め、逸らし、受け流す。
「この程度……っ!?」
 光刃を捌いて耐えた慧子の眼前に、ぬぅっと姿を現す【トラウマ】、その数3体。取り囲むようにうごめく【トラウマ】を前に、慧子の足が止まる。
「伊礼、無事か!?」
 ビルシャナ明王に混沌の水を叩き込んだ二郎が、慧子の方へと視線を走らせた。
「はい……まだ、行けます」
 そう答える慧子の姿は、傍目には何もない虚空を警戒するように睨みつけていて――その仕草で、二郎は慧子の状況を概ね把握する。
「この力、望んで得たものではありませんが……」
 被弾に備え、身を固めた慧子の口から、ぽつりとそんな声が漏れる。次々と襲い掛かる【トラウマ】の猛攻。それを耐え切り、慧子は己の内で練り上げたグラビティの力を解き放つ。
「あなたが己の平穏の為に、他人の自我を踏みにじるならば――この忌まわしき力をもって、その行為を私が打ち砕きます!」
 力強く清浄な叫びが周囲に轟き、ジャマーの力によって増幅された浄化の力が、群がる【トラウマ】を1体残らず消し飛ばした。
「ほんならうちは……その動き、止めさせてもらいますよ!」
 仲間の無事を横目で確認すると、敵の勢いを削ぐため、光の麻酔弾を撃ち込むマリア。グラビティチェインを抑制する光がビルシャナ明王を侵食し、その動きが僅かに鈍りだす。
「うぐぉおぉぉ!? ど、どいつもこいつも……邪魔しやがってぇ~~」
 マリアを次の標的にしようと、首を巡らすビルシャナ明王。しかし――。
「お前の相手はこの私だ」
 仲間を守る為、槐はビルシャナ明王の眼前へと踊り出た。その周囲には、慧子が施してくれた光の盾が三つ浮かんでいる。
『私は弱い』――それは定命化以前から、槐の心を縛る枷のようなもの。当時の力があったとしても、己一人では、目の前のビルシャナ1体にすら、勝てたかどうか分からない。強さを尊ぶオウガの中に在って、その事実は槐に重くのしかかっていた。
「行かせはしないぞ」
 行く手を阻むように立ち塞がり、『真空のゆらぎ』を鋼鞭形態に変形させ、縦横無尽に打ち付ける。ビルシャナ明王に次々と裂傷が刻まれ、仲間達が施した戒めを、より確かなものへと変えてゆく。
 私は弱い――だから、怖い。それは当然の帰結。そして、だからこそ、共に戦う頼もしい仲間達へ、感謝と尊敬を胸に抱いて。槐は誰よりも前へ出る。
「私の仲間は、私が守る」

●その先にあるもの
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛、邪魔するな邪魔するな邪魔するなぁあぁぁぁっ!」
 ビルシャナ明王が吠えると、その身を光の結界が包み込み、戒めを断ち切る三重の力が現れる。
「よし。あと一息だ、押し切るぞ」
 攻め時と見て、木の葉を纏った二郎は仲間達に声を掛け、先陣を切った。ビルシャナ明王の脇を駆け抜けると、すれ違いざまに狙い澄まして星形のオーラを蹴り込み、羽毛の守りをかき乱す。更に、慧子によって付与された木の葉の群れが、ビルシャナ明王に一斉に襲い掛かった。その三重の加護をことごとく打ち砕き、ビルシャナ明王が悲嘆の叫びを上げる。
「分かりました、一気に決めましょう」
 慧子は頷き返すと、掌からドラゴンの幻影を放った。大きく開かれた顎(あぎと)から吐き出される業火はジャマーの力によって増幅され、瞬く間に敵を火だるまにする。
「一度堕ちてもうた人は、うちらかて救えんのや……堪忍な」
 ケルベロスにしてウィッチドクターたるマリアであっても、この世界には救えないものが多すぎた。それでも、今、救えるものを救い、守れるものを守る為に。乱れた羽毛の隙間へ、如意棒を突き入れる。
「何処から来て、何処へ行く。宛てがなければ導きましょうや、袖振り合うも他生の縁」
 とうとうと歌うような槐の詠唱に導かれ、足元よりせり上がる混沌の水が墳墓の塔を築き上げる。塔に満ちる集合的な死の気配が、ビルシャナ明王の核を捕らえ、共に逝こうと水底へと誘う。
「これで最期だ。安らかに眠れ――無縁塔」
 槐の言葉と共に、塔が崩れ混沌の水に戻り、ビルシャナ明王を呑み込んで行く。
「ごぉぼぉぁ……チク、ショウ……邪魔、するな……ょぉぉぉ……」
 パキリ、と何かが砕ける音がして、ビルシャナ明王の身体が急速に形を失って行く。
「……終わったな」
 その姿が完全に消え去ったのを確認し、二郎はやっと視線を外して、大きく息を吐いた。
「浄化菩薩が絡んでへんかったら、自分を見直すええ機会になったかもしれへんのにな……」
 ビルシャナ明王と化してしまった男へ向けて、そっと冥福を祈るマリア。
「それでは、まずはここを片付けて。その後で、先程の皆さんにお話を伺いに行きましょうか」
 これ以上、こんな悲しい事を繰り返えさないように、と慧子は言う。
「せやな。可能なら、思い出話とかも聞かせて貰おな」
 忘れられたら二度目の死。ならばせめて、思い出の中にだけは生きていて欲しいと、マリアは祈る。人ならざる姿になってなお、話に耳を傾けてくれる間柄なら、なおさらだ。
「では、片づけを始めるか。力仕事は任せてくれ」
 小柄な身体に秘めたる膂力(りょりょく)に物を言わせ、槐が片付けの音頭をとる。
 程なくして、様子を見に戻って来た6人の男たちも巻き込み、その日は普段よりも賑やかな後片付けが行われた。

作者:okina 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年9月30日
難度:普通
参加:4人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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