いつもの水曜日~レプスの誕生日

作者:絲上ゆいこ

●8月28日、朝
「んー……」
 ベッドの上で上半身を起こして伸びをしたレプス・リエヴルラパン(レポリスヘリオライダー・en0131)は、いつものようにまだ鳴っていないアラームを停止する。
 片目を瞑って本日の予定を確認をしながら、ケーブルと髪を編み込んでひとまとめ。
「ああ、そうか」
 8月28日、例年通り空白の仕事欄。特に用事も入れていない。
 唯一書かれている予定。
 電子カレンダーに自動的に登録されているケーキマークのスタンプ。
 本日、レプス・リエヴルラパン35歳の誕生日。
「ンナー……、35かァ……」
 もうパーティで祝われる年齢でも無いと、例年通り予定を入れていない誕生日。
 カレンダーを閉じると、服を羽織って立ち上がる。
 芳ばしい香りのインスタントコーヒー。
 スクランブルエッグにソーセージ。
 付け合せには、作り置きの人参ラペ。
 イチゴジャムを塗ったトーストを齧りながら思案する。
 さて、今日は何をしようかな。
 服でも買いに行くか?

●いつもの空
 本日の予報は晴れ。
 少しだけ暑さがマシな日だと言われても、暑いものは暑い。
 いつものように散歩しているおじいさんに挨拶をされ、いつものように会釈を返す。
 ワイワイとボードを揺らして走ってゆく元気な小学生達を視線だけで見送って、歩く道は驚くほど長閑だ。
 ケルベロスたちの戦いの裏で、守られている平和な日常。
 さあ、今日と言ういつもどおり日に、何をしようか。


■リプレイ

●いつもの今日
 昼も過ぎたベッドの上。
「ねえキヌサヤ」
 片腕にがっぷりと抱きつくキヌサヤに声を掛けたアトリ。
「そろそろ起きたいから、ちょっとだけ離れてくれない?」
 聞こえてはいるのであろう。
 耳をピピと揺らし翼を畳んだ黒翼猫は、爪を立てんばかりに抱きついて抵抗を示す。
 掌で前足を持ち上げると、更に額を擦り付けてむうと不満げな声を上げる翼猫。
「……もう、仕方ないなあ」
 アトリは人差し指を伸ばして、額をくるくると撫で回し。滑る指先は顎と頬を挟む様。
 顎の骨のラインに沿って一無でしてから頬突き、この弾力はお気に入り。
 喉音を響かせだしたら、後もう一息。首周りに移った指が、キヌサヤの弱点をくしくし攻める。
「さあ、観念した? そろそろ自由にし……」
 悪戯げに笑みを深め相棒の顔を覗き込むと、腕に抱きついたまま心地良さげ。
「……寝てる」
 肩を竦めたアトリも、再び枕に頭を沈めて。
「もう、仕方ないなあ……」
 同じ言葉を重ねて。
 こういう一日も悪くはないだろう。
 直に戻ってきた柔らかな睡魔に身を委ね――。

 雲も少なく、青い青い空。
 ピカピカに輝く太陽。
 青々とした葉を目一杯伸ばす植物達。
「あっっ……」
 吹けば吹くほど茹だる様なぬるい風に、照りつける熱波。
「づぅ」
 溶けそう。
 白いシャツに麦わら帽子の園芸おじさんスタイルで、拭いても拭いても溢れる汗を拭うサイガの目は死んでいる。
 いいやサイガだけでは無い。
 チョロチョロとホースから溢れる水もやる気が無さげ。
 大きく育ちきった故に俯た向日葵と同じ角度で、夜の瞳もだいぶ死に気味だ。
 ケルベロスとしての仕事を終えた後、何故か植物園の水撒きを頼まれてしまった一行。
「こんなお手伝い、昼飯前ですよ!」
 しゅわわ、男性陣とは裏腹。
 ぴかぴか笑顔のアイヴォリーは力強くホースのシャワーヘッドを握りしめ。
「くあ……」
 そんな彼女の声が遠く聞こえるのは眠気からか。夜は大きな欠伸を隠しもしない寝不足顔。
「……サイガも夜も、なんだかぼやっとしてるが大丈夫か?」
 植物から跳ねた飛沫が心地良い。
 夏でも白い白い肌のティアンは、麦わら帽子の影に灰色の瞳を眇め。
 彼らを心配――。
「まあいいか、ケルベロスなら死にはするまい」
 別段していない。
「そらーもう、けるべろは頑丈ですけどねえ。炎天下で味わう苦しみはなんら変わらんぞと言ってやりてえわ、全く」
 目は死んでいてもいつも通り軽口はよく回るサイガの、ホースが振り向いた先。
「ぴゃっ!?」「!?」
 その先に居たのは、アイヴォリーと耳を跳ねるティアンの姿。
 びたびたになった彼女たちの服が濡れ、透け――大丈夫下に水着を着ています。
「……何事?」
 大きな欠伸による奇跡のよろめきステップで、たまたま水の直撃を避けた夜が首傾いで周りをぐるりと見渡して。
 アイヴォリーは軋んだ音を立てて水源へと振り向いた。
「……貴方だと思っていましたよ、クロガネ……」
「ハッ、おかわりいりますう?」
 わざとでは無いのだが、かけてしまったものは仕方無い。仕方無いのでサイガは悪い笑みも浮かべておく。サービス精神旺盛。
「いいえ、それよりも熱中症を予防して差し上げますわ!」
 ホースのシャワーヘッド外したアイヴォリーは、最大水流!
「っ、ぅわば!? ――水量が弱ぇんだよッ!」
「まだまだ、こんなものではありませんよ!」
「熱中症予防なら、いとしのダァリンのが熱中症じみた顔してんだろ、オイ!」
 びたびたになったサイガが、アイヴォリーへと更にホースを向け始まる、水掛けおいかけっこ。
「二人共、何を……」
 濡れ鼠で置いてけぼりのティアンが瞬き、振り向くと――。
「あっ」「え」
 ぼんやり眠たげに瞳を擦っていた夜も、ティアンのホースによって濡れ鼠。
 藍色が色重く、滴る雫が太陽の光を弾いて眩い。
 水も滴る、という奴だ。
「……すまない」
「ヘイヘイ、ピッチャーノーコン~」「まあ!」
 謝るティアンと夜に更に降り注ぐ流れ水、もうめちゃくちゃ。
「あら?」
 気づけば全員水浸しの状況に、動きを止めるアイヴォリー。
「水の滴る夜のセクシーショットなんて、わたくしいい仕事をしてしまったのでは……?」
 もろっと欲望が溢れだすが、こほんと咳払い。
 いけないいけない、本音はしまっておきましょう。なんたって今年で二十歳、大人対応。
「水撒きも十分でしょうし、乾いたらお昼を食べに行きましょうか」
「――なるほど、昼飯。……戦いに勝ったものが奢られるという、いつものお約束だな?」
 大人の対応に水を差すのは愛しのダァリン、夜だ。
 ホースの先を指先で絞って流れを強め――。
「待って、フリじゃないですから」
 止めようとするが、ぶるると頭を揺すって水を飛ばしたサイガが笑う。
「言ったな?」
「……そうか、お昼ご飯がかかってくるなら、謝って終わる戦争ではないな」
 ちゃっとホースからシャワーヘッドを外すティアン。
「もうみんな大人げな――……仕方ないですねえ!」
 皆が集まれば、結局戦いになってしまうのは血が闘争を求めているのだ。DNAに刻み込まれているのだ。
 勝ち負けの基準も無いまま始まる戦争。
 乾くどころか水浸し、昼食はいつになることやら。
 植物園の管理者に怒られるまで、ケルベロス達の戦争は続く。
 草木も、服も、頭も、十分すぎる程に水を含んで。ぽたり、と落ちる雫。
 きらきらきらきら、笑うよう。

 パフェにかき氷、ケーキに焼き菓子、冷たくて甘いジュースに――。
「……」
 余りに暑い時は薄着のほうが暑いもので。
 ストールを頭に掛けたウィリアムは、甘味処のショーケースの前で死にそうな顔をしていた。
「……何してンだ?」
 そんな彼をスルーしようかとも思ったが、レプスは脚を止め。
「あっ、ヘーイ、レプス!」
 気づいたウィリアムが、レプスの背をバンバン叩く。
「いやー、俺マジ一人で入る勇気なかったんだよ。オタク、ちょっと付き合ってくださいよ! 奢りますから! この通り!」
「いや……別に奢らなくても付き合うが……、どうしたンだ……?」
 余りに必死な彼に、レプスは怪訝そうに瞳を眇めて。
「連れがパフェやら、ケーキやらが好きなんですけどね、……いやァ~、俺は正直よくわかんねえと言うか……、でもイイ感じの店は教えてやりたいと言うか……分かりますこの気持ち?」
「ウーン分からん事も無い」
 良い格好したいよなと頷き。
「そういう事なら、俺のお勧めに連れて行ってやるよ」
「お、話が分かりますねぇ~」
 愛する人には美味しい物を食べてもらいたいモノ。
 語らいながら、二人は歩き出す。
「今年もやっぱ、暑いウチは氷が外せねェと思うンだが……、老舗のチョコレート店が始めた氷屋っつーのがあってな……、ああ、そうだ、冷やした甘い酒をかけた氷も――」
 話題はそう、女の子が喜ぶスイーツだ。

 茹だるような暑さとは、この事だろう。
 太陽はカンカンと輝いているというのに、ラウルの肌を撫でる風は湿気に満ちているように感じる。
「なんで日本の夏ってこんなにジメジメしてるの……」
「そんなにジメジメか?」
 横でうちわを扇いでいたシズネとしては、梅雨に比べれば随分とさっぱりしているように思えるのに。
 遠い異国を知るラウルからすれば、そうでも無いようだ。
「ジメジメだよ」
 ラウルが肩を上げて窓の外を見やれば、なんだか庭を彩る草花も元気が無さそうに見える。
 そうだなあ。
「……うーん。よし、水遣りをしよう!」
「んえ!?」
 そういう訳で、水やりです。
 シズネの手を引いて庭に出れば、暑くて茹だりそうな日差し。
 ぬるい風はとても涼しいとは言えぬ。
「うへぇ……、あっつう」
「水を撒けば、マシになるよ」
 泣き言を漏らすシズネの横で、ゆるく笑って。
 ホースの準備を終えたラウルが、空にめがけて水を放つ。
 シャワーのように降り注ぐ水しぶきに光が照り返し、生まれたのは――。
「あ、シズネ、見て! 虹だよ!」
 色鮮やかに輝く、七色の光。
 ぱっと目を輝かせて、ラウルが指差し振り向いた、その瞬間。
「お! すご……」
 しゃわーっ。
 シズネに降り注ぐ冷たい水。
「……?」
 呆気にとられたシズネは、ぱちくり瞬きを一つ。
 黒い髪からぱたぱたと雫が溢れ。
「やりやがったなー!」
 水を張ったバケツを持ち上げたシズネは、中身をラウルへとぶちまけ。
「わっ」
 ばしゃりと音を立てて、一気に二人共ずぶ濡れ、濡れ鼠。
 シズネが悪戯げに笑い、どこか得意げな表情を浮かべるが。
「隙あり!」
 ホースを持っているラウルは強い。
 指先で絞った激しい水流が、シズネを直撃。
 服も、髪も、濡れていない場所はもう無い。シズネはぶるるっと体を震わせて、水を拭って。
「ちょっ、まっ! オレもホースほしい!」
 そうして始まったのは、水やり、もとい、水遊び。
 青空の下に色鮮やかな虹が幾つも生まれる。
 暑さなんて忘れて飛び交う水飛沫に、笑顔も弾け。
 ――なんでもない日だって、君とならいつだって特別な日になるのだから。

 毎年変わらぬ光景。鴉の宿り木亭のランチタイム。
 客の姿も少なく、翌桧はPCを広げて事務作業中。
「あすなろ、今日のまかないはサヤがお作りいたしますよ」
 なんたってサヤも来月で二十歳。いつまでも作られる女ではない、サヤは作る女となるのだ。
「……まぁ、店の物を壊さなきゃ何でも良いぞ」
 帳簿とにらめっこしながら応えた翌桧に、サヤはこっくり頷いて。
「ええ! だいじょうぶですよ、あすなろはどーんと待っていてくださいねえ」
 早速キッチンへと向かい、戦の準備。
 今日のメニューも、オムライス。
 だいじょうぶですよ、サヤはレシピを守ります。
 チキンライスはケチャップたっぷり、バターを落としたフライパン。
「……できました!」
「……料理は化学っつーのに、なかなかうまくいかないモンだなァ」
 サヤのアンサーは、炒り卵withトマトリゾット。
 小器用な方ではあるのだ。しかし、お料理の経験と勘とセンスと素早さ等が足りない。
 卵が固まらない内に優しくトロトロに仕上げる筈が、ボロボロにしてしまい。
 何故か出てきた水分でリゾット化したご飯は、下の方が焦げている。
「構成要素はおおよそあってません?」
「うーん、構成だけでいえばこうなるのは納得できるが……」
「……いったいなにが違うんでしょーねえ?」
「センスっつーか、……完成品を思い描けばこうはならん気がするのだが」
 うぬぬと呻くサヤに、翌桧は肩を上げて一口味見。
「……味付けの方向性はそれほど間違ってないから、反省を生かしながら、見てくれだけでも多少マシに作れたら良いんだが。もっかい作れ、もっかい」
「りとらいがんばります……」
「まずはライスだな、どうしてこんなにベチョってなってんだよ」
 二人並んでお料理教室。
「……つー訳で、お前ら皆食ってくれ」
 急遽招集された皆に、声を掛ける翌桧。
 そういう訳で、本日は鴉の宿り木亭に失敗サヤオムライスが量産されてしまった訳なのです。
「し、失敗はしていま、せ、……す……うおお……」
 多少マシになった炒り卵ご飯の上に、サヤは呻きながらケチャップで花丸を描く。
 だいじょうぶですか。

 ひかりが、ひかっている。
 まぶしい。
 ――いたい。
「……早苗、どこだ……?」
 頭痛が痛い。
 窓より漏れはいる光が、光って酷く眩しい。
 ああ、なんでこんなに頭が頭痛で痛いんだろう、昨日は、何を?
 思い出せない。
 紅い瞳を擦って、ルルドは腕を伸ばす。
 今は、ただ。
 彼女は、どこだ?
 立ち上がろうとすると、酷い頭の頭痛が痛んで立ち上がる事が出来ない。
「さなえ、……さなえ?」
 呼んでも彼女の返事は無い。
 いつも一緒に、いるはずなのに。
 昨日だって、……昨日、何が……?
「――……嘘だろ、早苗、……早苗? どこに、どこに行ったんだ!」
 倒れそうになる体を何とか引き止めて、倒れたままこめかみから響く頭痛の痛みに頭を抱えたルルド。
 叫ぶ、求めて、呼ぶ。
 まさか、まさか、まさか。
 彼女の身に何かあったのだろうか?
「さな、さ、早苗! 早苗ええええええええ!!!! 返事を、返事をしてくれッッ!!!」
 慟哭。
 叫べば叫ぶほど酷くなる頭の痛み、わんわんと頭蓋骨の中身がシェイクされるような気持ち。
「……ルルド、うるさい……」
 床下に転がるルルドをべちんと叩く狐の尾。
「水なら冷蔵庫から勝手に飲むのじゃ……、わしは寝る……」
 転がったビールの空き缶。
 散乱するつまみ。
「……はっ」
 ルルドの駄目になりきった脳に戻ってきた記憶。
 昨晩、自宅で行われた楽しい晩酌。
 気づけば呑みすぎ、二日酔い。
 結果、二人共酷い頭痛に襲われる羽目と相成ったという訳だ。
「ルルドもあんまり騒いでるとげろげろしちゃうぞ、大人しく寝るに限るのじゃー……」
 既に吐いてきた宣言をする早苗。
 床に倒れたまま、ルルドは彼女の尾をぎゅっと抱きしめて。
「……そうか、呑みすぎたのか……、み、水だ……、水をくれ、さなえぇえ……!」
「……うるさい。冷蔵庫にあると言っとるのじゃー……」
 早苗は塩対応。
 尾を抱くルルドの顔を、再びぺちんと尾の先が叩いた。
「さ、さなええー」
 ルルドさん、自分で飲みにいった方が良いですよ。

 古い日本家屋。
 歴史を重ねてきたこの家屋は今、若き夫婦の住処となっている。
「スイカ、切れたよ」
 縁側で腰掛け涼む冬真は、灰青に白い麻の葉模様の浴衣姿。
 スイカの皿を抱えた有理は白地に紺の撫子柄の浴衣。
 ゆっくりと彼の元へと歩み寄り。
「ああ、ありがとう」
 団扇を傍らに置いて。
 微笑む冬真は、ぽんと自らの膝を叩いた。
「有理、一緒に食べよう。――こっちにおいで」
 それは、いつもの合図、こくりと頷く有理。
 それは、とてもとても嬉しいこと。
 抑えきれず溢れるゆるい笑み、いつでも頬がすこうし染まってしまう。
 そうして、夫の膝の上に収まる有理。
 少しでも傍にいたいから、夏でも変わらない有理の『特等席』だ。
「食べさせてくれるかい?」
 愛らしい冬真のおねだり。
 そのおねだりが嬉しくて、微笑ましくて、愛らしくて。
「ええ、喜んで」
 有理は微笑んで、彼の口元へとスイカを運ぶ。
 しゃくりと小さな水音。
 暑いのが苦手な冬真だが、二人で過ごしているだけで元気になるような気がする。
 きっと彼の愛しい妻が、彼の体調を気にかけてくれているからだろう。
「お返しに、有理もどうぞ」
「うん、ありがとうね」
 今度は有理の口元へと、スイカを差し出す冬真。
 あーん、しゃくり。
 一口齧ったお返しのスイカの味は、とっても甘くて瑞々しい。
 きっと、スイカ本来の甘さよりも、もっとあまーく感じているのかもしれない。
 甘えて、甘やかして。
 二人の心地よい時間。
「……ねえ、有理」
「ん?」
「いつもありがとう、愛しているよ」
「……うん、……私の方こそ、傍にいてくれてありがとう」
 交わす口づけ。
 何度伝えても足りない愛の言葉を、少しでも伝えられるように。
 すき、すき、すき、だいすき。
 貴方を一番、愛しています。
 来年の夏も、こうして幸せな時間を二人で過ごせるように。
 ――愛おしい願いを籠めて。

 来週には始まる新学期。
 夏休み、最後の週の水曜日。
 小さな耳鳴りに似た音が、小さく機内に響いている。
 沖縄と背にして空を飛ぶ鉄、飛行機の中。
 ぐんぐん小さくなってゆく家、走る車。
 ふたりで過ごした、あの浜辺。
「あ、あそこは穴場だったあの海辺かな?」
「夏休み中なのに人が少なくて過ごしやすい海辺だったろう?」
 席に座って並ぶあかりと陣内は、窓を覗き込み。
「今年もあのお店のグルクンはとても美味しかったね」
「……あの店の唐揚げは、本当に味が変わらなくて良い」
 二人が言葉交わす間も、どんどんと小さくなって行く島影。
 街並み、海。
 ――陣内の両親の暮らす島。
「………あの辺がご両親のお店かな?」
 今年もとても良くして貰って、本当に足を向けて寝られない。
 あかりは窓の奥を覗き込んだまま。
「どうかなあ、……そこまではわからないんじゃないか?」
 言葉ではそう囁きながらも、知らず陣内は目を凝らしている。
 あの懐かしい家を探して。
 そして見つけた屋根の色は、確かに見覚えがある色に視えて。
 陣内は細く細く息を吐いた。
「……いつまで元気でいてくれるかな」
 ぽろりと陣内の口より溢れた言葉。
 目を見開いて、言った本人が一番驚いた様子で彼は瞳を瞬かせる。
 ――一昨年には、一緒に訪れる事の出来なかった場所。
 去年は、一緒に訪れる事の出来た場所。
 家族、故郷、記憶、思い出。
 陣内が自分には何もないと思うのを、やめる事ができたのは。
 明日や来年のことを、考えるようになれたのは。
 ――上京して十年以上経ったこの頃。
 なんとなく『故郷』や『家族』、そんなようなものを実感し始めたような気がするのは。
 全部、全部。
 あかりがいたからだろう。
「……」
 瞬きを二回重ねるあかり。
 タマちゃんの声――おとうさんの声にとても似てるね。
 ……なんて思いはするが、口には出さない。
 その代わりに蜂蜜の瞳を細めて、あかりは首を傾げる。
「ねえタマちゃん。……来年も、会いに行こうね」
「そうだな」
 ――来年も、会いに行こう。
 きっと今年と変わらない笑顔で迎えてくれるだろうから。

作者:絲上ゆいこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年8月29日
難度:易しい
参加:16人
結果:成功!
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