大菩薩再臨~拳の語らい

作者:天枷由良

●御前崎市にて
「ビルシャナ大菩薩再臨の為、より多くのグラビティ・チェインを捧げるのだ――」
 そう告げて、役目を終えた蒼衣のビルシャナは消滅する。
 後に残されたのは――力と使命を託されたのは、同じくビルシャナの二体。
「衆合合切衆合無。大菩薩再臨を果たすには如何とす、同胞よ」
 鋭い眼光と格闘家らしい風体のビルシャナが問う。
「衆合合切衆合無。決まっておろう。――殴るのだ! ひたすらに!」
 燃え上がる炎の如き姿のビルシャナが答える。
「やはり拳か! 我らが拳こそ大菩薩再臨に繋がる方策か!」
「そうだ拳だ! 拳に勝る説法なし! 拳に勝る経文なし!」
「ならば殴ろうッ! この偽らざる拳にて遍く真理を伝えよう!」
「そうだ殴ろうッ! 殴れば解決ッ! 万事解決するのだッ!!」
 それきり口を噤んで、二体のビルシャナは互いの拳をぶつけ合う。
 教義を実践すると、其処に嘘はないと示すように。何度も何度も。
 時に「おお」とか「うむ!」などと唸っているのは、蒼衣のビルシャナが齎した力によって、より強化された己の武力、腕力に驚嘆しているのだろうか。
 ともあれ、準備運動も兼ねた組手が終われば、二体は本格的に動き出すはずだ。

●ヘリポートにて
「竜十字島のゲート破壊。それに続くドラゴン勢力のミッション地域制圧。ケルベロスの皆の奮戦奮闘の甲斐あって、極めて順調に進んでいると思っていたのだけれど……」
 ミィル・ケントニス(採録羊のヘリオライダー・en0134)は、難しい顔で手帳を捲る。
「まだ制圧作戦が行われていなかった、八つの地域。それが全て『天聖光輪極楽焦土菩薩』というビルシャナによって破壊され、ドラゴン勢力のグラビティ・チェインも残らず奪われてしまったわ」
 その目的は、ビルシャナ大菩薩の再臨であるらしい。
「再臨に必要なグラビティ・チェインを得るべく、天聖光輪極楽焦土菩薩は幾らかの配下を生み出して、一般人のビルシャナ化、或いは既にビルシャナである者の強化などを行っているようだわ。彼らが大きな成果を得る前に撃破して、大菩薩再臨の芽を摘みましょう」

 今回、ケルベロス達が討ち取るべきビルシャナは二体。
 一方は『剛腕』と呼ぶ。正しくは剛腕鳥という名であり、何事も力任せに解決すれば丸く収まるという、力こそ正義が教義信条のビルシャナである。剛腕は鳳凰にも似た外見だが、しかしその見た目から想像もつかないほどの拳打の嵐で戦うようだ。
 もう一方は『不敗』と呼ぶ。正しくは東西南北中央不敗・絶対負けない明王という、名前からして凄まじい自信に溢れた敵だ。拳は嘘を吐かない。故に拳で語り合えば誤解など生まれない。故に拳のみで語るべしという教義で、独自の流派による格闘戦を行う。
「二体とも、御前崎市内の神社に併設された武道場に潜伏しているわ。其処で天聖光輪極楽焦土菩薩の遣わしたビルシャナに強化され、これから行動を起こそうというところに、皆は乗り込む形になるわね」
 時間帯は夜。天候は晴れ。月の灯りが差し込む武道場が戦いの舞台。
「戦い以外のことを考える必要はないわ。……ああいや、教義を揺るがすような行動とか、過度な称賛を送るとかでビルシャナを弱体化できるから、その辺りは頭を捻ってもらうべきなのでしょうけれど」
 一番気をつけるべきなのは、彼らの『力』そのもの。
「攻撃方法は非常に単純で、とにかく殴るだけ。でも単純だからこそ、それは強力強烈。何の備えもなく挑めば、たちまち打ち砕かれてしまうでしょう」
 ざっくりと言ってしまえば。最適な防具で身を守るのは当然として、グラビティによる妨害や防御・回復も怠ってはならないということだ。
「備えを怠らなければ、二体が相手でも必ず勝てるはずよ。頑張りましょう」
「うん。とにかく――大怪我はしないで勝てるように、頑張ろうね」
 ミィルはぐっと拳を握れば、作戦に同行するフィオナ・シェリオール(はんせいのともがら・en0203)も、ケルベロス達へと呼び掛けた。


参加者
セレスティン・ウィンディア(墓場のヘカテ・e00184)
熊谷・まりる(地獄の墓守・e04843)
レリエル・ヒューゲット(小さな星・e08713)
獅子鳥・狼猿(猟兵王かばおくん・e16404)
カッツェ・スフィル(しにがみどらごん・e19121)
ユグゴト・ツァン(パンの大神・e23397)
ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)
之武良・しおん(太子流降魔拳士・e41147)

■リプレイ


「素敵な夜ね」
 輝く月を仰ぎ見て、呟く。
 セレスティン・ウィンディア(墓場のヘカテ・e00184)が、白光を閉じ込めるかのように目を瞑る。
 そうして、傍らにステラ・ハートを伴ったまま、美しい景色の余韻に浸っていれば。
 聞こえてくる。
 耳に届く。
 ――まるで美しくない、鳥の鳴き声が。
「応!」だとか「破!」だとか、辛うじて言葉の形を成しているようにも思えたが、しかしそれは鳴き声と呼ぶべきだろう。
 だって、煩い。
「あれが無ければ、もっといいのだけれど」
「すぐに収まるでしょ」
 カッツェ・スフィル(しにがみどらごん・e19121)がニヤリと笑う。
「二度と鳴けなくなるんだから。ねぇ、黒猫?」
「うわぁ、おっかないなぁ」
 茶化すようにぽろりと零してから、フィオナ・シェリオールはそれを至極後悔した。
 けれども時すでに遅し。カッツェは愛鎌を撫でる手を止めて、意地悪そうな視線で相棒の頬を引き攣らせる。
 他方、之武良・しおん(太子流降魔拳士・e41147)は神妙な面持ちでナックルガードを填めた。
 それは先だって打倒した者の遺物。奇しくも此度と似通った教義を掲げていたビルシャナの名残。
 この籠手で殴打された時、全てを力任せで解決しようとする時代錯誤なビルシャナ達は、己を貫き通せるのかどうか。
 それを確かめるべく、しおんは強い敵意を滲ませながら歩を進める。
 向かうは神社の片隅。
 鳥の鳴く、武道場。


「バカが来た。じゃないカバが来た!!」
 いよいよ踏み込んだ戦場で、獅子鳥・狼猿(猟兵王かばおくん・e16404)が第一声を放つ。
 中身はさておき、勢いのある言葉は四つの瞳を引き付ける。
 その射抜くような視線に物怖じせず、狼猿の脇から一歩前に出たのはユグゴト・ツァン(パンの大神・e23397)。
「さて。私が母親だ。故に貴様等は仔だと認識せよ」
 何が何やら。宣言は味方さえも困惑させるが、しかしユグゴトには好都合。
 さらに己の語るべきを語るべく、その口をゆっくりと開き――。
「――ッ!」
 新たな言葉が紡がれるよりも先に、ビルシャナが動いた。
 拳で語れば誤解なし。殴りつければ全て解決。
 そんな教義を掲げる彼らが、襲撃者の語り切るまでをのんべんだらりと待つはずもない。カバ云々にしろ母云々にしろ、一時では理解の及ばぬ事を宣うケルベロスを一先ず殴ってみようとするのは当然のことだ。
 とは言え、それは突発であっても突飛ではない。どうあっても必ず“殴る”へと帰結する敵に反応するのは難しくなく、剛腕の振り上げた拳はカッツェが、不敗が腰だめから突き出した一発はラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)が、それぞれ盾として受け止めてみせる。
 重い、重い拳撃は骨身だけでなく空気までも震えさせたが、ただの一撃で倒れるほど二人も柔でない。
「良いよね、力任せ。難しい事考えなくて済むし、話の通じない奴は殴り倒した方が早いし。――躾って、大事だし」
 最後の一言で後方のキャスケットを脅かしつつ、カッツェが不敵な面構えを見せれば。
「悪くねえよな、拳で語るのも。……自慢の拳、いいじゃねえか」
 ラルバも言って、ニッと笑いながら語らおうと――つまりは反撃に転じるべく、不敗を押しやってから気合と共に正拳を打つ。
 途端、闘気から変じて広がる重力の波は、ビルシャナ達を痛めつけるまではいかなくとも、一度引き下がらせるには充分。二羽は連れ立って板張り床を軽く蹴り、大きく間合いを取る。
 その最中にも言葉が発せられることはなかったが、拳で語り合えるだろう存在を前に、ビルシャナ達は何処か楽しげな表情を浮かべていて――。
「ちょっと待った!」
 そのまま無言の応酬が始まるかというところを、レリエル・ヒューゲット(小さな星・e08713)が大声で制した。
 無粋な乱入だと言わんばかりに、敵が鋭く睨めつけてくる。
 けれども、この機を逃せば次が在るか分からない。
 半ば焦燥じみたものに突き動かされるまま、レリエルは訴えかけた。
「拳で語る事が正しい正しくない以前に、普通ビルシャナに殴られると死ぬでしょ! 理解も誤解もする暇無く!」
「……それが?」
 不敗が短く問い返す。
 その声からは、不本意かつやむなく応じた、という雰囲気がありありと感じ取れた。
 けれども拳で語らうつもりのないレリエルには関係ない。むしろ、これ幸いとばかりに言葉をぶつけていく。
「壊しちゃったらそれは解決したんじゃなくて、永遠に解決出来なくなるだけじゃん!」
「……語る強さを持たぬ者の詭弁に過ぎぬな」
「つ、強さだけが正義なら、力を奪われて消えた仲間の事は死んで当然だったと?」
「力なき者が消えるのは自然の道理であろう」
「じゃあ自分より強いビルシャナが明らかに逆の事言ってたらどうするの?」
「殴る。その後に残った者が、真の強者であるというだけだ」
「……っ!」
 非常に腹立たしい事ではあったが、口角泡を飛ばしても成果なし。
 レリエルは拳を握る。それを目に留めたビルシャナ達もまた、拳を構えて――。
「はいはい。ビルシャナさん達に質問ー」
 またしても幕開けを遠ざけたのは、熊谷・まりる(地獄の墓守・e04843)のやや間延びした声。
「拳、拳、って言ってるけどさぁ……君らのそれ、手羽先じゃないの?」
「……」
 ビルシャナは冷ややかな視線を送る。
 それを感じているのかいないのか。まりるは尚もゆるゆると続ける。
「『殴る』を辞書で引くと『拳や棒などで相手を乱暴に強く打つ』と出てくるけど、拳が無いから殴るって当てはまらないよね? 君らの教義、そもそも前提条件からして成立しないよねー。あーやーしーいー」
「……」
「あれ? もしかして何も答えられないー?」
 捻り出した無邪気さを添えて煽り、反応を待つ。
 ともすれば論破か――と、そんな期待は脆くも崩れ去った。
「嘆かわしい。弁舌に逃げた末路があれよ、不敗」
「応とも剛腕。やはりケルベロスなど、悟りの境地には程遠い犬畜生よ」
「……はぁー?」
 其処まで罵られる謂れはない。
 反論しようとするまりる。それを気迫で制して、ビルシャナは続ける。
「この拳を見てくれのみで嘲るなど愚かだと言っておるのだ」
「然り。それも本来ならば拳にて叩き込むところ。敢えて、敢えて愚か者の土俵に乗り、言葉で答えはしたが……」
 それきり口を噤んで、二体のビルシャナは構え直した。
 これ以上の問答に手も足も止めたままで付き合うつもりはない、という意志の表れだろう。
「ま、結局そうなるよねー」
 成り行きを見守っていたカッツェが、一つ息を吐く。
「……いいぜ。力こそ正義、拳で語れってんならやってやる!」
 ラルバも腹をくくったか言い切って。
「ただし……やるからには本気で行くぜ、てめえらに負けるつもりはねえぞ!」
 哮り、威嚇するかのように竜の尾を立てる。
「くはは。この不敗を前にして負けるつもりはないと。面白い!」
「貴様のような者を捻じ伏せてこその剛腕よ! さあ、語ろうではないか!」
 そうしてぶつけ合った拳だけに、全てを解きほぐす真実が宿る。
 教義の実践に相応しい好敵手見つけたりと、ビルシャナ達は二人のケルベロスに狙いを絞った。


 そして拳で語らうべき者以外は、ビルシャナにとって無に等しい。
 ステラの現出させた淡い睡蓮を伴って、セレスティンが喚び出す枯骨。それが語る刃物の美しさが右から左へと受け流されれば、まりるの繰り出す大器晩成撃も、レリエルのウイングキャット“プチ”が飛ばした光輪も、ユグゴトが伸ばす蔓も、ビルシャナ達はまるで意に介さない。
 ならばと、狼猿が間合いを詰めて。
「カバぱーんち!」
 などと宣いながら、拳でなく蹴りを見舞う。
「どうだ、拳も嘘ついたぞ。フェイントという名の嘘をなッ!」
「……戯けが」
 単なる技術だと、ビルシャナは気に留めない。
 攻撃そのものが効いていないのか、といえばそうではない。ケルベロスのグラビティは確かに不敗と剛腕を傷つけて、少しずつではあるが死へと近づけている。
 けれども負傷だとか、己の死だとか。そうしたものは悉く些事でしかないのだ。己の開いた悟り、教義に狂える二羽の闘士は、その拳と同様の愚直さで、語らう価値を認めた相手に迫っていく。
「協力関係を結ぶかどうか決めるのに、二人で実際に殴り合ったの!?」
 乱戦の最中、レリエルが叫んでみるも、これは暖簾に腕押し。
 彼らが大菩薩再臨という使命を帯びて共に在るだけでなく、それを力と共に託された後、互いの拳をぶつけ合っていたことは予知からも明らか。問いに敢えて答えるならば是であるが、敢えてと前置きせねばならないような問いに、二匹が言葉を尽くすことはない。
「何事も殴って解決、だもんな」
 剛腕が振るう幾度目かの拳を受け止めて、ラルバが呟く。
「力こそ正義、簡単でいいじゃねえか。それに言うだけあって、力も本物みたいだな」
「当然よ」
 火の鳥の如きビルシャナは微かに笑う。
 釣られるように、カッツェも――幾らかの嘲りを込めて笑う。
「力で解決? 力こそ正義? それじゃあ、なんでお前たちより強いドラゴンは滅びかけてんの?」
「……?」
 カッツェは先頃、話の通じない奴は殴り倒した方が早いなどと、教義に一定の理解を示していなかっただろうか。
 言葉の意味よりも先に、剛腕の拳には疑念が滲む。
 それを受けずして察したか、カッツェはあっけらかんと言う。
「ああ、ごめん。鳥頭だからさ、何言ったかすぐ忘れちゃうんだよね」
「力なき者が消えるのは自然の道理と申しただろう」
 不敗が割り込み、笑うでもなく怒るでもなく、ただ拳を打ちつけてきた。
「女、貴様も見所あるように思えたが、伝わらぬか」
「ん? ああ、大丈夫。分かる分かる。言葉なんて要らないよ」
 本気の一撃。全力の拳で語れば誤解なし。
 そしてわだかまりなく真意を伝え合えば、昨日の敵は今日の友だ。
 教義を肯定するように、カッツェは愛鎌――でなく、竜骨の籠手に降魔の力を宿して叩き込む。
 それから、吼える。
「……巫山戯るなよ? そんなに簡単なら、どんなデウスエクスとだって共存してるよ!」
 豹変とさえ呼べる態度の変わりっぷりに、さしもの不敗も理解が追いつかない様子。
 しかし、カッツェは攻勢を緩めない。同調するような素振りを見せた教義を、不敗ごと潰さんばかりに腕を振り、竜骨で打ち叩く。
「どれだけカッツェが殴り合ってると、殴り合ってきたと思ってるの?」
「……」
「知らないでしょ。分からないでしょ。そりゃそうだ。今だって、これだけ殴りつけたって、カッツェとお前は分かり合えてないでしょ!」
「……ならば殴り続けるだけよ!」
 何度目かの打撃を防いだ不敗が、お返しとばかりに掬い上げるような一撃をカッツェの腹へと見舞う。
 鈍い音に内臓を揺さぶられる感覚。僅かに遅れてやってくる不快な味。
 けれど、それらを無理やり身体の奥底に押し込めて、また竜骨の籠手を振る。あまりに真正面からの殴り合いを見過ごせず、フィオナがヒールドローンをぶち撒けては見たものの、さすがに割っては入れない。
 だが、程なくしおんが仕掛けたことで、一応の区切りはついた。
 遠間からちょっかいを出して、ビルシャナの拳を惑わそうというのが彼女の、そしてケルベロスの立てた作戦の一つ。それは困難なものでなく、しおんは成功を確信して様子を窺った――が。
「……甘く見られたものよ」
 しおんの様子から狙いを掴んだか、不敗はため息交じりで言う。
「我らの拳は真理の拳。己が意志にて振るうものであり、激情に振り回されるものではない」
「然り。況して語らうつもりのない者に振るう拳など在りはせぬ」
 平たく言えば、そんな手は通用しないと。
 そう断じてから、ビルシャナはこれまでと同じく、盾役の二人だけを見据えた。


 ……が、ビルシャナ達の矜持も、世界の理だけは曲げられない。
 執拗に続けられる後衛からの挑発じみた攻撃。
 それは確実に、着実に。
 剛腕と不敗を蝕み、戦いを彼らの望まぬであろう形へと変えてしまった。
「語らねばならない相手が、いつも拳が届く場所にいると、いつから誤解していました?」
 方々からの攻撃に行く手を阻まれて、拳の振り下ろす先を見失ったビルシャナ達にしおんが言う。
 反論はない。
 ――いや、剛腕にも不敗にも言いたい事はあるだろう。
 けれど、それを拳で以て語ろうとする彼らは、恐らくこの先、何一つ語れない。
「腕だけじゃリーチが足りなくってよ」
 もがく敵をセレスティンが嘲笑すれば、刺すような視線が送られたが、それだけだ。
 拳はどうにか届く距離にある彼女よりも、決して届かない彼方を目指す。
 或いは、敵でなく同志を叩く。セレスティンの放つ華麗な剣戟に惑わされたビルシャナ達は、舞い飛ぶ薔薇の中で互いを番犬と見間違えて拳を振るう。
 そして全力を打ち合った瞬間。偽らざる拳は真実を明らかにするが、気づいた所で失った力は戻らない。
「殴る相手を間違えたら元の子もないわね」
 また嘲笑うセレスティン。
 しかしビルシャナ達は彼女の口を塞ぐことも出来なければ、徒労を止める術さえ持たない。
「あー、揚げたての手羽先食べたいなー」
 不意にまりるが呟くも、その戯言を封じる手立てさえない。
 封じられなければ妄想は膨らむばかりだ。甘辛系でもスパイシー系でもいい。どちらにしてもごまは多めに振って、その揚げたてに齧り付いてから、冷えたレモンスカッシュを流し込む。
 そこまで考えても、まりるは危険になど晒されない。
 むしろまりるが危害を加える側だ。もはや剛腕などという二つ名も虚しいビルシャナの脇から、一瞬のようで永遠のような切なさを味わわせるという拳打を一つ。
 果たして効果は遺憾なく発揮されたかどうか。口を閉ざしたままの敵からは中々窺い知れなかったが、ともあれダメージを積み重ねたことは確か。
「永かった 戦いよ さらばーッ!!」
 などと叫びながら繰り出された狼猿の超必殺技によって、床に叩きつけられた剛腕の身体は限界を超えた。
 その死に際も密やかなもので、灰のように崩れる遺骸を横目に、狼猿は言う。
「宙返りできない河馬は唯の馬鹿だ。だからオレッちは爪を隠すのさ」
 まるで意味が分からない。しかし誰も気にしていなければ、そもそも分かる必要もないのだろう。
 何より、敵はまだ一匹残っているのだ。それを脅威と呼ぶかはともかくとして。
「……おのれ……」
 事此処に至って紋切りの恨み言を零す不敗。
 そんな敵に、ユグゴトはついに語らぬまま終わるかと思われた話を持ち出す。
「貴様に昔話を――」
 そうして語られたのは、彼女と宿敵の物語らしい。
 曰く、人間と番犬が居た。
 人間は番犬を酷く恨んで在り、ある日筋肉こそが至高だと毘盧遮那に覚醒した。
 覚醒した人間は番犬とその同胞達を襲撃し、鏖殺を実行する。力任せの蹂躙は番犬『以外』を滅ぼし、毘盧遮那は満足して信者を増やして――中略。
 さて、毘盧遮那は今日も信者と一緒に鍛えに街へ。
 されど其処に現れたのは複数の番犬。番犬達の『連携』に呆気なく崩された毘盧遮那は、自らの存在を『無』に還されましたとさ。
 どうだ、と問われたらビルシャナでなくとも答えに窮する長口上。其処から得るべき教訓は『異常な暴力は自らの破滅に直結する』だとユグゴトは言うが――どうにも不敗の反応がよろしくないのは、単に余裕がなくなっているからだけではあるまい。
 しかし真正面から殴り合うつもりがないのなら、もはやビルシャナの教義など瑣末事だ。
 拳を振るうことさえままならない敵を、淡々と叩く。
 道半ばにあって既に事後処理の様相を呈していた戦いは、危険も油断も波乱もない。
 程なく不敗を名乗るビルシャナは、唯一にして最後の敗戦で、その生涯を閉じた。


 闘魂溢れるビルシャナが滅べば、武道場には静寂が訪れる。
 差し込む月明かりが常人離れした応酬の痕跡を映し出す。それを埋めようとラルバが闘気を練り、幾人かの仲間も動く。
 修復はごく僅かな時間で済んだ。いよいよ以てこの場に留まる意味もなくなったケルベロス達は、一人また一人と武道場を後にしていく。
 其処に達成感やら感傷やら、何にせよ特別なものはないように見えた。ビルシャナ側には大菩薩再臨という大願あっての行動も、ケルベロスからすれば所詮、星の数ほどあるビルシャナ勢力の事件の一つでしかなかったのだろう。
 それでも去り際に、カッツェは不敗の散った場所を振り返る。
 拳で語れば誤解なし。討ち果たした敵の教義は、何故だか靄のように薄く、心を覆っているような気がする。
「……フィオナ! 反省!」
「なんで!」
 唐突な呼び掛けに当然の抗議が為されたが、その無意味さは双方が知っている。
「今日は手羽先の美味しいところにしよう」との提案に生返事をして、首根っこを掴んだフィオナをずるずると引きずっていくカッツェは、もう戦場を振り返ることもなかった。

作者:天枷由良 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年7月30日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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