星のうたごえ

作者:小鳥遊彩羽

 まるで、海に星が降ってきたような光景が、広がっていた。
 優しく海岸を染め上げる幻想的な青い輝きは、海蛍達が放つ光。
 海岸にはその海蛍を見に多くの人が集まり、神秘的な光にただ見入っていた。
 ――そこに。
「夜でもこんなに獲物がごろごろしてやがるたァ……地球ってのは面白ェ所だなァ」
 ゆるりと海岸に足を踏み入れた巨躯の男――一人のエインヘリアルが、下卑た笑みを浮かべながら星宿す剣を抜く。
 響き渡る悲鳴。瞬く間に、平穏は惨劇へと塗り替えられた。
 白い砂浜は赤く染まり、つい先程まで生きていたはずの人々が、瞬く間に斬り捨てられ、あるいは叩き潰されて、物言わぬ屍と成り果てる。
 逃げ惑う人々を無差別に襲いながら、その巨体――エインヘリアルの男は、高らかに嘲笑っていた。

●星のうたごえ
「このままでは人々の命も、美しい景色も失われてしまうことになる」
 エインヘリアルによるそれらを阻止してほしいと、トキサ・ツキシロ(蒼昊のヘリオライダー・en0055)はケルベロス達へ自らが予知した事件について語り始めた。
 舞台は海沿いのとある街。そこでは毎年夏になると海岸に多くの海蛍が現れ、まるで地上に現れた星空のような幻想的な光景が楽しめるのだそうだ。
 暗闇の中、海岸を幻想的に染め上げる青い輝きを見に、その日も多くの人々が海岸へ訪れていたのだが、運悪くそこにエインヘリアルが居合わせるのだという。
 過去にアスガルドで重罪を犯し、罰としてコギトエルゴスムにされていたエインヘリアルだ。放置すれば多くの人命が無残に奪われるのは想像に難くない。
 急ぎ現場に向かい、このエインヘリアルを撃破してほしい――そう、トキサは言った。
 エインヘリアルが現れるのは、夜の海岸。海蛍を見にやってきた人々で賑わっているが、人々の避難誘導に関しては警察に既に要請済みだ。ケルベロスが現れれば、すぐにエインヘリアルは意識をこちらに向けるだろう。よって人々の避難は警察に任せ、皆は戦いに集中して欲しいとトキサは続けた。
 エインヘリアル自体は、油断さえしなければそれほど苦戦せずに倒せる相手だろう。そう説明を終えてから、トキサは小さく息をつき、改めて皆を見やった。
「戦いが無事に終わったら、海蛍を眺める時間もあるだろうから。折角だから楽しんでくるといい」
「素敵な光景を楽しむためにも、しっかりと頑張らないと、ですねっ」
 フィエルテ・プリエール(祈りの花・en0046)も、光景を想像したのか微笑んで――からすぐに表情を引き締めて、しっかりと頷いてみせる。

 空には宝石を散りばめたように瞬く星。そして地上――海には、降ってきた星のように優しく揺れる海蛍の光。
 それはきっとこの世のものとは思えないほど、美しい光景だろうから。


参加者
深月・雨音(小熊猫・e00887)
燈・シズネ(耿々・e01386)
リィンハルト・アデナウアー(燦雨の一雫・e04723)
森光・緋織(薄明の星・e05336)
御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)
羽鳥・紺(まだ見ぬ世界にあこがれて・e19339)
紺野・雅雪(緋桜の吹雪・e76839)

■リプレイ

 水面を優しく染める、コバルトブルーの輝き。
 幻想的な光景に見入る人々の元へ、突如として現れた招かれざるもの――エインヘリアル。
「夜でもこんなに獲物がごろごろしてやがるたァ……地球ってのは面白ェ所だなァ」
 にやりと口の端を釣り上げた男が、星宿す凶刃を罪なき人々へ向けたその時――。
「こんなに綺麗な光景なのに、気にもせずに剣を振り回すなんて、ロマンってものがわかってないんだね!」
 闇に射す光のように凛と響いた森光・緋織(薄明の星・e05336)声。
 そして、同時に戦場へと雪崩れ込むいくつもの影。
「ケルベロスにゃ! あんたの相手はこちらだにゃ!」
 頭一つ分大きく跳ねた深月・雨音(小熊猫・e00887)が、流麗に踊るように迷いなく懐へ飛び込み、エインヘリアルの心臓目掛け神速の突きを繰り出した。
 ギィン、と鋭い音が鳴り響き、雷の霊力を纏わせた雨音の刀は弾かれる。
 だが、間髪を容れずにラウル・フェルディナンド(缺星・e01243)が見えざる引鉄を引いていた。
「静かな海に星が燈る此の場所が狩場、ね。お前……獲物に狩られるなんて想像もしてなかっただろ?」
 緋織から託された破壊のルーンの力を得て、存分に哭けと告げた唇を不敵な笑みが象る。同時に放たれた無数の銃弾が、踊るような軌跡を描いてエインヘリアルの元に降り注いだ。
 毀れ落ちる星々は戦場を彩る驟雨の如く。続け様に地を蹴った燈・シズネ(耿々・e01386)が、青鈍の鞘から夜風を纏い閃く刃を抜き放つ。
「せっかく海蛍の綺麗な夜だってのに、てめぇみたいなのをブスイなヤツって言うんだろうな」
 吐き捨てるように告げ、懐へ踏み込んだシズネは緩やかな弧を描く斬撃を見舞うと、
「……っ、この、犬共がァッ!」
 冴えたる刃の鋭さに顔を顰めたエインヘリアルが、叩きつけるように星剣を振り下ろした。
「させないよっ!」
 シズネを叩き潰さんばかりの重い斬撃を受け止めたのはリィンハルト・アデナウアー(燦雨の一雫・e04723)。骨が軋むような衝撃にも構わず、口元には強気な笑み。そのまま影の斬撃を刻み込めば、重なる戒めにエインヘリアルが眉間の皺を濃くするのが窺える。
「せっかくの綺麗な場所なのに悪いことしようなんて、許せないよね!」
 勿論、どこであっても悪いことは駄目だけれど。リィンハルトはきっと表情を引き締めて、空を翔けるように飛ぶ翼猫を呼ぶ。
「ミンちゃんもみんなを守って!」
 リィンハルトの声に応えるように、黒猫のミントが赤い翼を羽ばたかせて穢れを払う風を招き入れる。後方からフィエルテ・プリエール(祈りの花・en0046)が賦活の雷光を清涼な風に重ねてリィンハルトへ迸らせる一方、癒し手として立つ紺野・雅雪(緋桜の吹雪・e76839)は星剣を掲げて。
「守護星座よ、仲間を護る力となれ!」
 高らかに声を響かせ、雅雪は後衛の仲間たちを守る星を描き出す。
「今日ここに人が集まっているのはお前の為ではない」
 海も人も傷つけさせはしないと確固たる意志を瞳に宿し、御堂・蓮(刃風の蔭鬼・e16724)は半透明の御業を己の身に下ろした。
 皆を守る命を受けて駆けるオルトロスの空木が神器の瞳でエインヘリアルを睨みつけると、宵闇を照らす篝火の如くその身体が燃え上がる。
 それを見つめながら、蓮は静かに続けた。
「自然を楽しむという情緒はお前には理解できまい。……とっとと消えて貰う」
 真っ直ぐに伸ばした手を力強く握り締めれば、その動きに合わせて御業が巨躯を鷲掴みにする。
「ぐっ……!」
 直後、何かに縛られたかのようにエインヘリアルが身を強張らせた。
「……夜の静謐なひと時を血で染め上げようとは、何とも無粋なことを考えつくものです」
 エインヘリアルの動きを阻むように現れたもの。羽鳥・紺(まだ見ぬ世界にあこがれて・e19339)が暴き出したのは、エインヘリアルの心の奥底に深く穿たれた楔のような、恐怖。実体となって現れたそれを忌々しげに見つめるエインヘリアルが、剣を振るって払おうとするが、――祓えない。
 目を背けても意味のない、いつだって、心の何処かに潜んでいるもの。それに翻弄されるエインヘリアルを冷めた眼差しで見つめながら、紺は淡々と告げた。
「速やかに返り討ちにいたしますので、――お覚悟をと言ったところでしょうか」

 緋織が放ったブラックスライムが大きく膨れ上がり、エインヘリアルを丸呑みにする。
 攻防が続く中、いつしか大音量で鳴り響いていたサイレンはぴたりと止んでいた。ちらりと背中越しに振り返れば、人々からエインヘリアルを遠ざけるよう意識して立ち回っていた甲斐もあり、彼らの避難が滞りなく終わったらしいことに緋織は安堵する。
 ――ならば、後は全力を尽くしてデウスエクスを滅ぼすのみ。
 己の享楽のためだけ無差別に命を屠る重罪人ならば尚のこと、その存在そのものが、地球というこの舞台には相応しくないのだから。
 ゆえに、シズネは淡々と告げる。
「さっさと退場してもらうぜ」
 忌々しげに舌を打つ男がケルベロス達を見て何を思っているかはわからない。だが、例え守りを崩せても、固く繋いだ心を断ち切ることは出来やしないのだ。
 シズネの獣化した手足から放たれる重い一撃が、エインヘリアルの鳩尾を強かに打つ。そこに加わるのは薄縹の風と流星の煌めき纏うラウルの蹴り。立て続けに攻撃に晒された男が、半ば乱暴に剣を白砂に突き立てた。
「ッ、この……!」
 男の星剣が光を帯びて、獰猛な牡牛のオーラが波のように押し寄せる。
「大丈夫、僕達がみんなを守るの!」
 リィンハルトだけではなく、ミントも空木も盾として心を奮い立たせて。リィンハルトは懸命に戦う彼らを包む凍てつく氷を、癒しの雨で優しく溶かす。
「もうーエインヘリアルって本当に何時も迷惑かけてくるやつだにゃ。こちらはあんたらのごみ箱じゃないにゃ!」
 自慢の尻尾をぴしぴしと振りながら頬を膨らませる雨音に、エインヘリアルが鼻で笑い、
「タヌキが何かほざいてやがるなァ?」
「雨音はレッサーパンダにゃ! タヌキなんかと間違えるなにゃ!!」
 途端に威嚇するようにぼわーっと尻尾を逆立てた雨音が放ったオーラの弾丸が、物凄い気迫と共にエインヘリアルへと迫り、喰らいついたりもして。
 その時、神器の剣を確りと口に加え疾駆する空木と斬り結ぶエインヘリアルの様子をつぶさに見やりながら、蓮は懐に忍ばせていた手のひらサイズの鉦吾――にしか見えないスイッチに指先を触れさせた。
「――ッ!?」
 同時に爆ぜたのは、エインヘリアルの身体にいつの間にか貼り付けられていた不可視の爆弾。何が起きたのかとケルベロス達を睨みつけるエインヘリアルを、直後に紺が放った魔力の礫が撃ち貫く。
(「海蛍か、海の中に輝く星空みたいだな」)
 まるでケルベロス達の背を押すように煌めく美しいコバルトブルー。
「オーロラの輝きよ、皆に力を分け与えてくれ!」
 その芸術性が分からないとはエインヘリアルも愚かなものだと雅雪は胸中で独りごちながら、前衛の皆を極光めいた光で癒す。
 敵の機動と命中を着実に削ぎ落としながら、攻撃を畳み掛けていくケルベロス達。
「にゃー!」
 未だ怒りの収まらぬ雨音が獣化した両手から絶え間なく肉球パンチを打ち込む様は、まるで小さな猛獣のようで。柔らかくて高反発、触り心地の良い肉球は、けれど戦いの場にあっては極限まで鍛え上げられた武装の一つ。
 内勁により内側から肉体を粉砕される衝撃に、エインヘリアルがたまらずごふりと血を吐き出した。
「……動かないで」
 囁くように命じた緋織の左の眸が魔力の紅い光を帯びてエインヘリアルを見つめる。
「おほしさまの力、これ以上悪いことには使わせないんだよっ!」
 夢現の瞳に囚われ硬直したエインヘリアルへ、軽やかに地を蹴ったリィンハルトが空色の翅揺れる爪先で大きな星を刻みつければ、ミントが尾を飾る金の環を飛ばし、空木が地獄の瘴気を解き放った。
「くれてやる……行け」
 古書を紐解き、蓮はそこに宿る思念に己の霊力を絡める。刹那、エインヘリアルの足元から現れた影の鬼が、その首を掴み心の臓を抉るように鋭い爪を繰り出した。
「が……ッ、」
「そろそろ終わらせてあげましょう」
 紺が放つのは、熱を持たない水晶の炎。最早為す術もなく切り刻まれるだけのエインヘリアルへ、ラウルとシズネが同時に迫った。
「狩られる立場に回った気分はどうだ?」
 もっとも、エインヘリアルが答えるよりも先に、そのいのちは終わるのだけれど。
 青鈍の鞘に納められた刀、その柄に手を掛けながら懐へ飛び込むシズネに合わせ、ラウルが繰り出すのは幻の薔薇が舞う華麗な剣戟。ふわり、潮の香に混ざって薔薇が薫ったような心地を覚えながら、シズネは刀を抜き、そして、再び鞘に納めた。
「ラウルの一撃は効くだろ? ――それじゃあ、そのままおやすみだ」
 冴えたる星彩に刃が耀いたのは一瞬。そして、それで全てが終わっていた。
 視認可能な居合いの一閃、それから後を追うように刻まれた無数の斬撃が、エインヘリアルの魂を断つ。
 そのまま白砂の上に仰向けに倒れたエインヘリアルの、光を失くした瞳が、夜空に煌めく星を映し出し――。
 そして、エインヘリアルの身体は夜風に溶けるように音もなく、世界から消え失せた。

「うーにゃーあー、海が、海が光ってるにゃ!」
 戦いが終わり、元の平穏を取り戻した砂浜で。
 雨音は初めて見る不思議な景色に大興奮した様子で尻尾をふわふわと膨らませつつ、靴と靴下を脱いで駆け出した。
 柔らかな砂の感触が擽ったくて耳も揺れる。素足で砂浜をぴょこぴょこと歩きつつ、リボンのように青く煌めく海に時折スマートフォンのレンズを向けて。
「本当に、本当にすごいにゃ!」
 声を弾ませながら、雨音は撮り溜めた写真を今胸の内に溢れる想いごとメールに添えて送るのだった。
「……海蛍か、こんな綺麗な景色を見られるのも滅多にない事だな」
 ヒールの幻想の光と重なり、より幻想的な雰囲気に包まれた砂浜の片隅で。雅雪は一人、楽しげに目元を和らげながら海蛍の光に見入る。
「プリエールさん、お疲れ様です」
「はい、お疲れ様です、紺さん」
 人々も、海蛍達も、この手で守り切れたことに安堵しつつ、紺は共に戦ったフィエルテへ声を掛け、それから地上に煌めく『星』を目に映す。
「地上にもこれだけ星があるなら、星座を描けそうです。あなたなら、どんな星座を描きますか?」
「私ですか? そうですね……うさぎや、犬、猫……動物でしょうか。紺さんはどうですか?」
「私が思い描くのは……本の星座でしょうか」
 他愛ない言葉を交わし別れた後、紺は改めて海へと向き直る。
 蒼い光が静かに、寄せては返す波に揺れている。こんなに幻想的な光景は、きっと滅多に見られないから。
 だから、紺は思うのだ。時間が許す限り、この蒼色の世界に浸っていよう――と。
「青くて凄く綺麗ですね……!」
 蒼い、――蒼い海蛍の輝き。
 葛篭・咲がそう言って瞳を輝かせる傍らで、緋織は目の前の光に目を奪われ、呆然と立ち尽くしていた。
 波に揺れて揺蕩う光は、それ自体が星のようで。見入る内に胸の内から溢れる想いを、緋織はそのまま口にする。
 ――ひょっとしたらあれは、重力に引かれて落ちた星なのかもしれない。
「オレ達の先祖が、遠い空から地球にやってきたみたいに。……なんて、ロマンチック過ぎるかな……」
 ほこほこと、星空が水に映るのとはまた違った景色を楽しんでいた咲は、不意に隣から届いた声に何とも言えぬ表情を浮かべて緋織を見やった。
「わぉ……流石にロマンチスト過ぎません? セリフがくさいですよー」
「……って、そんな風に言う~?」
 やだー、とふざけて手をぱたぱたさせる咲に、むむっと膨れる緋織。その反応に咲は少し笑って、のんびりと歩き出す。
 そういうことを言いたくなる気持ちも、咲にはわかる気がした。
 けれど、茶化しでもしないとさすがに恥ずかしくて居た堪れなかったから。
 二人、並んで。海蛍の煌めきを辿る内に、互いの顔には自然と笑みが綻ぶ。
 輝く命の光、それが見せてくれるこの綺麗な景色を、しっかりと目に焼き付けて帰れたら――それが、何よりの幸せ。
「フィエルテちゃん! 良かったら僕とミンちゃんと一緒に海蛍みない?」
 リィンハルトとにゃあと鳴くミントのお誘いに、フィエルテは喜んでと微笑みを。
 空のきらきらも、海のきらきらも綺麗で、リィンハルトの瞳もきらきらと輝く。
「ゆらゆらまたたいて、ふふ、歌ってるみたいだね。ね、フィエルテちゃんは空と海 どっちのキラキラが好き?」
 翼猫のミントは青い光に興味津々と言った様子でぱたぱたと宙を飛んでいるけれど、手を伸ばしたりする気配はなく。それを見たリィンハルトはくすりと肩を揺らし、笑って。
「ミンちゃんはお水苦手だしお空かな。僕はね――どっちも!」
「私は……、私も、どちらのきらきらも好きです」
 視線交わせばいっしょだねと溢れる笑み。
 目の前に広がるのは、自分達の手で守り抜いた美しい風景。
 地上には揺らぐ青い煌めきが、そして空には無数の瞬く星の煌めきが満ちる場所。
 潮騒を聞きながら、二人と一匹、三つの影は、ゆるりと波打ち際を辿ってゆく。

 海蛍のひかりが燈る浜辺で、ふたり。
 瑠璃の天蓋から零れたような地上の星を、瞳に、心に映す。
 その光は永遠ではなく、いつかは消えてしまう、命の色。
 寄せては返す光の波が、悲しみや寂しさや怖さを遠い所へ連れ去ってくれたらいいのに。
 そう思いながら、シズネは月が消えてしまった日と、いつかの自分へ心を馳せる。
 ――『彼』の名を呼んで見届けたあの日も、星が綺麗な夜だった。
 月の標の代わりはいなくて、星は缺けたまま。
(「……オレは、」)
 缺けた星を照らす太陽になろうと――そう思ったのは、いつからだろう。
 自分自身までも染められてしまいそうな冴えるような青の世界で、ラウルは漣に揺蕩う海蛍の光の軌跡を視線で辿る。
 愛しい人が欠けた灰色の世界。そこでシズネと出逢ってから共に重ねてきた日々は、いつだって幸せな色に満ちて、笑みが咲いていた。
 ――だから怖いと、ラウルは胸裡に湧く感情を音にする。
「君が俺の傍から居なくなってしまったら、再び色づいた世界の彩が儚く消えてしまうんじゃないかって、……俺は、心の何処かで恐れてるんだ」
「……オレだって怖い」
 灰色の世界に沈むことなく彩を離さずにいてくれたことを嬉しく思いながらも、シズネは震える手を取った。
 怖いのは自分も一緒だと、伝うぬくもりに託して。
「ねえ、シズネ。君は……喪うことを怖いって思ったことはある?」
 ラウルの澄んだ瞳が、シズネを真っ直ぐに捉える。
 繋いだ手に、どちらからともなく力が籠められる。
「幼い頃のオレはきっと何も持ってなくて、喪ったものの大きさに気づかなかった。でも……」
 シズネもまた、青い光に照らされてもなお暁を燈す瞳でラウルを見つめながら、胸裡に溢れる確かな想いを口にした。
「今のオレは知っちまったから、幸せを、おめぇを失うのが怖いんだ」
 山に囲まれた場所で育った蓮水・志苑にとって、海はあまり馴染みのない場所だ。
 それこそ、訪れたのは指を折って数えられる程。
 その数える程の海にこうして共に訪れるのは何度目だろうと、志苑は傍らに立つ蓮を見やる。
 蓮の真っ直ぐな眼差しに、籠められた熱。その意味を理解しているからこそ、志苑は受け止めることが出来ずに、視線は自ずと青く輝く幻想的な海へ。
「綺麗……貝なのですよね。こんな風に光るなんて不思議ですね」
「ああ、綺麗だな……」
 蓮は静かに、志苑に寄り添う。
 芽吹き、綻んだ想いが実を結ぶことが叶わなくとも。
 それが志苑を苦しめる重荷になっているとしても。
 後悔したくないから、いつまでも待つと蓮は決めたのだ。どれほど時間がかかろうとも、彼女が、答えを出してくれるその時まで。
 ――寄せては返す波の音が、耳の奥で響く。
 隣に感じる熱に、志苑はいつか願ったことを思い出す。
(「……ほんの少しだけ、今だけ、お傍へ」)
 あの時も、海だった。何れ訪れる定められた未来を、そこに彼の姿はないと知っていたから。
 けれど、今は――『答え』を知るのが、まだ、怖い。
(「……ごめんなさい」)
 謝罪は音にならぬまま。悲しい程に美しい、幻想的な青い光を見つめながら、志苑は蓮の手をそっと握る。
 蓮は迷わず、その手を握り返した。
 青く輝く海も、青い光に照らされた彼女も。どちらも美しいけれど、気がついたら儚く消えてしまいそうで。
 握った手に、蓮は強く力を込める。何があろうとも決して離さない――そう、想いを籠めて。

作者:小鳥遊彩羽 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年7月8日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 7
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