大菩薩再臨~起てと呼ぶ鬨

作者:譲葉慧

 野草が生い茂る中からまだらに覗く、むき出しの地面の所々から、欠けたコンクリートの土台が顔を出している。昔ここに建物があったという名残だ。
 だが、この放置された遺構を訪れた人の目に一番に入るのは、その手前に掲げられた、くどすぎる程の『立ち入り禁止』の表示だろう。
 次いで目に入るのは、碑だ。そこには日付、そして幾人もの人の名前が刻まれている。
 その名前の一つ一つを赤い一双の眼が追っていた。その眼差しは愛おしむように柔らかだ。
「この地で尽きた魂たちの名……儚いものですね」
 名前を追い終えた彼女の嘴から紡がれた言葉には、限りある命への憐みが滲んでいた。
「気は済んだか。始めるぞ」
 その言葉を遮るように、彼女の背後から男の声が投げかけられる。声の主は、ばさばさと音を立て、翼の中から経文を取り出して開いた。と同時に辺りに妖気が立ち込める。
 彼女は妖気を受け止めるように、赤みを帯びた艶やかな羽を微かに拡げた。身に纏ったローブが妖気に圧され、微かな衣擦れの音を立てる。
 妖気が彼女を包み込んだのは、ほんの一瞬だった。乾いた砂に水が染み透るごとく、貪欲に彼女の中に取り込まれてしまったからだ。
「力が湧きあがって来ます……勇ましい魂たちを同胞に迎えるのに、まさにふさわしい力」
 陶然と己が得た力に浸る彼女に構わず、彼は経文を閉じ、さっさと歩きだした。
「その次なる同胞を探しに行くぞ。一刻も早く、ビルシャナ大菩薩の再臨を……」
「探しに行く必要はありません。私達は同胞をここで出迎えるのです」
 彼女は羽で碑を示す。そこに刻まれた日付は、まさに今日この日であった。

 ヘリポートは、天聖光輪極楽焦土菩薩によるドラゴンの拠点への攻撃により騒然としていた。竜十字島のゲート破壊により、増援を得られなくなった拠点は敢え無く焦土化してしまったのだ。
「ビルシャナ共に、してやられたな……」
 マグダレーナ・ガーデルマン(赤鱗のヘリオライダー・en0242)は苦々しい表情で腕を組んだ。
「ドラゴンという一大勢力の力が削がれたのだ。他のデウスエクス勢力に動きがあって然るべきではあったが、よもやドラゴンから奪ったグラビティ・チェインでビルシャナ大菩薩の再臨を狙うとは……天聖光輪極楽焦土菩薩、といったか。奴の企みは阻まねばならん」
 そこで組んでいた腕を解き、マグダレーナは傍らのヘリオンの壁に、日本地図を貼りつけた。天聖光輪極楽焦土菩薩に破壊された箇所に印がついている。
「これら破壊された場所にいたドラグナー、竜牙兵、オークが、ビルシャナ化している。そいつらは、ビルシャナや人間に力を分け与え、より強力なビルシャナに仕立て上げるのだ。そうして作り上げられたビルシャナ達が、ビルシャナ大菩薩を再臨させるという筋書きのようだ」
 日本地図に次いで、マグダレーナは何処かの地図を貼りつけた。ケルベロスの一人に、そこは何処かと問われ、彼女は福岡県宗像市付近だ、と答える。
「宗像大社……竜牙兵どもが占拠していた地だったか」
 マグナス・ヒレンベランド(ドラゴニアンの甲冑騎士・en0278)の言葉に肯定の眼差しを向け、マグダレーナは説明を始める。
「戦場となるのは宗像大社から少し離れた場所だ。かの地が竜牙兵どもに奪われた時、犠牲になった人達が住んでいた所でな、今は危険区域と境に慰霊碑が建てられている……そこにビルシャナ2体が現れる」
 そして更に、マグダレーナは戦場付近の空撮写真を張り付けた。画像は少しぼやけているが、草や木が繁っている地の際に慰霊碑が建っているのが確認できる。大きな起伏もなく、全力を出して戦えそうな土地に見うけられる。
「戦うだけなら易いが、当日犠牲者の家族や知己が、故人を偲ぶために、危険な情勢の中慰霊碑に向かうようなのだ。節目の日らしくてな。ビルシャナ共は彼らの誰かをビルシャナ化させるつもりで待ち構えている……ただ」
 ただ? と聞き返され、マグダレーナは問うたケルベロスに顔を向けた。
「彼らが戦場に現れるのは、ビルシャナとの交戦からしばらく後なのだ。だから、やりようはある。それまでに決着をつけるか、あるいは人々に向けられたビルシャナの甘言を阻むか。ビルシャナは人々へ攻撃を行わんから、怪我の心配は不要だ」
 速攻撃破、人々の説得、どちらを選んだとしても、ケルベロスなら実行可能だとマグダレーナは言った。
「ビルシャナには主義主張がある者が多いと聞く。かれらはどのような理で人をビルシャナ化させるのだ?」
 マグナスの問いに、マグダレーナはうむ、と深く頷いて見せた。
「今回相対するのは『立ち上がる者の母』というビルシャナと、竜牙兵がビルシャナ化したものの2体だ。立ち上がる者の母は、ケルベロスのように自分も強くなりたいと願う者に、力を与えようと囁く。元竜牙兵の方は、淡々と戦闘を行うだけだ」
 デウスエクスによって大切な人を喪い、しかし戦う力を持たない者にとって、立ち上がる者の母の言葉はどう聞こえるだろうか……?
 ふと考えこむ者もいる中、マグダレーナは少し笑った。
「案じることはないぞ。立ち上がる者の母は力を得たばかりで、まだ精神的な脆さを抱えているようなのだ。やり方次第で、その信念を揺らがせたり、逆に図に乗せたりもできそうだ。そこを突けば、有利に事を運べるかもしれないな」
 そう言い、一息ついたマグダレーナは時計を見た。そろそろ刻限かとごちてから、ケルベロス達を見まわした。
「これまでにビルシャナ化した人は枚挙にいとまがない。ビルシャナは現状でも危険な奴らだが、今回の相手は、より強く人を惹きつける力を身に着けている。それを仕損じれば……そして、もしビルシャナ大菩薩が現れたなら……わかるな?」
 最悪の結果についてマグダレーナは具体的には告げず、ヘリオンの搭乗口をそっと撫でた。
「ビルシャナ共から、人の自由意思を守ってくれ。本任務はビルシャナの撃破が目的だが、守るべきものは、それなのだ。よろしく頼む」
 その言葉が終わるのを見計らったように、ヘリオンの搭乗口が開き、ケルベロス達を迎え入れた。


参加者
ティアン・バ(いのり・e00040)
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
相馬・泰地(マッスル拳士・e00550)
落内・眠堂(指切り・e01178)
レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)
慈次・スラッグ(己を問え・e45239)
賛然・スラッグ(己に問え・e45240)
 

■リプレイ


 宗像大社は、旧い女神三柱を祀る地だ。ドラゴンが神代の伝説を知っていたかどうかは定かでないが、力が集まる地だからこそ、ここを拠点としたのだろう。
 竜十字島のゲートが破壊されたことにより、ドラゴン勢力は地球での活動が困難になった。幾つかの拠点は奪還され、いずれはこの宗像大社も奪還できるだろう……そう思われていた矢先に、力あるビルシャナである天聖光輪極楽焦土菩薩により、ドラゴン勢力に占拠されていた幾つかの地域が焦土と化した。
 天聖光輪極楽焦土菩薩は、得たドラゴン勢力のグラビティ・チェインで、ビルシャナを生み出した。ドラゴンのグラビティ・チェインをビルシャナや人に分け与え、より強力なビルシャナへと変えるための存在だ。そうして力を得たビルシャナ達は、ビルシャナ大菩薩の再臨へと動き出すのだ。
 菩薩累乗会以降、彼らは、虎視眈々と動くべき機を狙っていたのだろう。そうしてドラゴンが弱体化したと見るや、他のデウスエクスに先んじて動いたのだった。
 宗像大社もまた、焦土と化した地の一つであり、付近にビルシャナが現れるという予知がなされた。降下するケルベロス達の眼下に、焦土化した大社周辺の光景が広がっている。
「大神の娘神を祀る地を、こうとはな。許しておけぬ所業」
「私達の縁の娘の育った地でもある。この鳥どもに仕置せねばな」
 慈次・スラッグ(己を問え・e45239)の言葉を、流れるように賛然・スラッグ(己に問え・e45240)が継いだ。ビルシャナを一掃してやっと、人の手に取り戻す途が開ける。
 荒れた地上に降り立ったケルベロス達は、戦場となる場所へと移動をはじめた。立ち木は人の丈程度の高さ、下草ばかりが長い。高さのあるものは、ドラゴンによって薙ぎ払われ、破壊されて失われたままのようだ。
 それでもやっと伸びた樹が裂かれ、生木が露わになっているのを、ティアン・バ(いのり・e00040)は見た。ほんの僅か、その眼が細められる。
(「ドラゴン共め」)
 己が仇のドラゴンは討った。そしてこの地のドラゴン勢力も失せた。しかしドラゴンのグラビティ・チェインを継ぐビルシャナが現れたのだ。デウスエクス・ドラゴニア。如何に姿を変えようとドラゴニアの眷属は魂の最後の一欠までも探し出し、滅する。
 すべて燃え尽きた後の灰色を宿す瞳に、激情の波立ちはない。それは既にティアンの中で確と定まった事柄であったのだ。
 やがて、踏み固められた道に出た。この先に戦場となる慰霊碑がある。道とはいっても、人一人通れるかどうかという幅だ。相馬・泰地(マッスル拳士・e00550)は裸足に伝わる地面の感触を確めた。
「ドラゴンのグラビティ・チェインを利用したビルシャナ大菩薩再臨計画……放っておくわけにはいかねえな」
 地面は堅すぎず柔らかすぎずで、戦うには程よい具合だ。分厚くなった泰地の足裏の皮膚は、凸凹などものともしないが、戦場の地面は足と馴染みの良いほうがいい。
 直ぐに前方に慰霊碑が見えてくる。その前には人の型ではない二つの影が佇んでいた。泰地は大地を蹴り、影に向けて疾走する。
「あいつらの増え具合ときたら、ねずみ算式だからよ!」
 ケルベロス達は、周囲の気配を探りながら、泰地の後に続く。今は人の気配はない。7分後、慰霊碑を訪う人が現れるはずだ。ビルシャナは、大切な人を亡くし悼むために訪れた人達に甘言を弄し、ビルシャナ化させようとするだろう。それが成功したならば、犠牲者の連鎖を生み出してしまうことになる。
 応酬は、2体のビルシャナとケルベロス、両者だけで行う。その為には高火力による速攻で、ビルシャナを沈める必要があるのだ。


「私は『立ち上がる者の母』です。強き魂を持つ方々」
 戦の構えを取ったケルベロスに対し、立ち上がる者の母は耳に心地よい声で名乗りを上げた。直ちに襲い掛かるような様子ではないが、ケルベロスの戦意を感じ取り、誰から崩そうか見定めているのはわかる。
 対照的に、竜牙兵が元となったというビルシャナは、鋭い風切羽をあらわにしている。早く目障りなケルベロスを片付けたいという風情だ。
 だが、ビルシャナより一手速く、落内・眠堂(指切り・e01178)が護符を取り出した。眠堂が依る神に随う風たちへ向け、詞を声に乗せると、白い護符に、うっすらと渦巻く墨色が浮かび上がる。それがはっきりと風巻の形となると同時に、周囲の風がビルシャナの周りに一挙に集まって螺旋を描き、斬り裂き、足元を抉る。
 この荒ぶる風たちは戦場のどこであれ、己が性のままに吹きすさぶ。だから相手がどのような間合いを取ろうとも届く。ビルシャナも、立ち上がる者の母も、取っている間合いは遠くも無く、かといってケルベロスの懐に寄るわけでもないようだ。2体共、グラビティすべてが到達する間合いにいる。
 眠堂は、立ち上がる者の母達への距離を詰める、藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)に眼差しを送った。慣れた手つきで眼鏡を外した彼の瞳の、藤色の淡い光が応えるように揺らぐ。
 ならば、高い攻撃力を誇る近接グラビティで仕掛ける――景臣はビルシャナの目前へと肉薄した。葬刃の突きが羽毛を抜けて手応えを残す。散った羽根の隙間を縫うように追撃の刃をビルシャナに見舞う。
 2体とも、搦め手で攻めてくるという。特にビルシャナは人を操る危険なグラビティを使用するとも。先にビルシャナを倒す、それがケルベロス達の狙いだ。葬刃が引き抜かれるとほぼ同時に、ビルシャナの風切羽が景臣はじめ、間合いを詰めたケルベロス達の足元を切り刻み、幾人かの足運びを不確かなものにする。
「あなた達は、その身で、ここを訪れる人々と私を隔てようとしていますね。何故ですか?」
 立ち上がる者の母は、羽で印を結んだ。燐光が発せられ、被ったヴェールがふわりと浮いた。光は彼女とビルシャナを包み、傷口を塞いでゆく。
「当たり前だろ。人々にただ力を与えて戦うように仕向けるだけでは、余計に死者が増え悲しむ人が増えるだけだ。お前、それをわかりきってて言ってるんじゃねえのか?」
 泰地はビルシャナの法衣を白く輝く左手でがっちり掴み、引き寄せた。至近からビルシャナの脇腹に、黒い闇をまとった右手の一撃を叩き込む。手応えが身体の芯まで伝わってきた。このビルシャナは身躱しや守りに優れているわけではなさそうだ。だが、今の時点では、彼の必殺技と言える疾風斬鉄脚を完全に入れられるかは半ば賭けだ。戦況の推移を待たねばならない。
「戦いに生きるあなた達こそ、わかっているのではないでしょうか? 力がなければ、この争いに満ちた世界で、戦う事ができません。しかし求めても力を得られぬ者がいる。私は彼らに力を授けようとしているのですよ」
 立ち上がる者の母は、少し驚いたように目を開き、そう応えた。
 ケルベロスは、デウスエクスを葬る力を持つ。グラビティ以外では、常人が即死するような状況でも死なない。力に目覚めた切欠は人それぞれだ。大切なものの喪失、力への渇望、想いの強さ、心身の鍛錬、血脈……だが、同じ境遇の全員がケルベロスとして目覚めるとも限らない。そこには何の因果もない。いや、何か別の因果のもとにあるのか。
 ある男はかつて、その人智を越えた因果により、力に目覚めた。そしてその後に全てを喪った。
 ある男……レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)は、ドラゴニックハンマーを大口径の砲へと変形させ、照準を定めた。爛々と燃える右腕の銀炎が、砲全体を包み込み銀色に輝かせる。狙うのはビルシャナだったが、レスターは横目で立ち上がる者の母を見遣った。彼女は、挑発でもなんでもなく、純粋にケルベロスへ問うている。
 無力を嘆こうと、後悔しようと、怒り憎もうと、そして憎むべきものを屠り、山のように死骸を積み重ねても、埋まらない虚。復讐なのか、デウスエクス殺戮への衝動なのか、ふとした瞬間に目的と手段が入れ替わった己を見出し、それを是とできず、さりとて戦場から退き、復讐を人の手に委ねることもできない。前にしか進めぬ一本道を、己に抗いながら往くレスターにとって、慰霊碑を訪れる人々の想いは想像できるものだった。
(「彼らの諸々の想いはおれが背負う」)
 己がものとしたその想い、ビルシャナ共に渡しはしない――轟音を立て、ドラゴニックハンマーから発せられた砲弾がビルシャナを襲う。着弾点から拡散した力場がビルシャナを覆い、その一挙一動に絡み阻害する。
 緒戦の戦場で、賛然・スラッグは、無言のまま、この地に縛られている無念の気配を探った。ケルベロスの言葉に立ち上がる者の母がなんと応えるのか、さして興味深い結論は得られないだろうと半ば確信していたが、その言い分だけは聞き届けておこうと思ったのだ。それよりも、残された思念……かつてこの地で犠牲となった者達の末期の念が、何と自分の魂を揺さぶることか。
 その念を、癒しの魔力へと変じて、ビルシャナの風切羽に裂かれた仲間達へと送る。念の力は足元の切り傷にも届き、その痛みを軽減する。
 次いで、慈次・スラッグも言葉を発さず、ゾディアックソードを地面に向けて一旋させ、夜空の星の陣を描き出した。立ち上がる者の母の慈母のごとき表情は、人の心の何たるかを知った上でのものではないだろうと半ば確信していたが、その表情の移り変わりは見届けておこうと思ったのだ。星光に縁取られた陣は、星の並びに籠められた魔力を発し、前線の仲間達にビルシャナ達の操る妖力の余波から守る力を与える。
 賛然・スラッグと慈次・スラッグ二人が送った力でなお、不調が残る仲間に向けて、マグナス・ヒレンベランド(ドラゴニアンの甲冑騎士・en0278)がオーラの塊を放ち、浄化する。ビルシャナの風切羽による不調は、それでほぼ解消した。
 その様子に、ビルシャナは忌々し気に経文を開いた。地を這うような声で唱えられた呪言が、泰地を襲う。眩暈に似た感覚があり、戦場に見える影の存在がどこか曖昧に感じられる。この影のうち、共にヘリオンから降り立った仲間は誰だっただろうか……?
 優れた攻め手であったが故に狙われた――彼の拳や脚が、万が一仲間に振るわれたなら大きな痛手となる。急ぎ呪言の余韻を浄化しなければならない。
「力を持つ者には相応の責任が伴います。誰かを殺せば、第二の自分が生まれるかも知れない。倒した誰かの家族に斬られるかもしれない」
 景臣は此咲を抜き放った。立ち上がる者の母は、浄化の淡い燐光をまとっている。グラビティ・チェインを受け入れた刃で斬りつけると、陽炎のように燐光が揺れたが、全てを散じるには至らなかった。
「……故に復讐は終らない。その負の連鎖を続ける事が目的ならば、僕はこれを否定しましょう」
 口調は静かだが、己が存在を楔として深く深く地に打ちこんだがごとく、確と揺るぎない言葉であった。力持たぬ者、故に喪い、しかし託すしかない者の想いは、かつてそうであった景臣にも覚えのあるものだった。しかしその景臣の想いも、分かったつもりの独りよがりかもしれないのだ。
 それを知って尚、立ち上がる者の母の問いに景臣は応えた。人が一度力を得、デウスエクスを断ったとして、一つの存在を殺したことには違いない。その事実は一生、彼あるいは彼女に附き随う。それを易く肯じてよいものか。
「私たちと往くことで、力を得た同胞は、戦う意義を見出せるのです。征く道が見える者に、もう迷いなどない……そうでしょう」
 眠堂は裂帛の気合と共に、身体に纏った気を放出した。力を願い、しかし得られず殺されていった人がいた。その人がこの場にいたならば。浮かんだ思いを散らすが如くの気合だった。それは泰地へかけられた惑わしの呪いを吹き去った。
「征く道といったな? その道とやらは結局、お前の信者になって人を辞めるってことじゃねえか。ただ教義のために使われる、都合のいい人型だ。今からここに来る人らの心……恨みにせよ悲しみにせよ、それを縛れない。けどな、彼らの望みは何であれ、お前の信仰なんかのために、見失わせるわけにはいかねえよ」
 己の信仰を否定し、反撥した眠堂に向けて、立ち上がる者の母が険しい眼を向けた。狙いを定めるつもりか。その狙いを分散させるため、レスターは、声を上げる。
「人が欲する力ってのはそんな単純なもんじゃない。力を得た先に目的があるから欲するんだ。奪われたくない何かが、奪いたい何かが。そういう全部を失って得る力なんぞ何になる。お前の教義が救うのはお前らだけだろう」
 その一言一言は、レスター自身の衝動を縛る為の軛でもあった。言葉という型に力を揮う衝動をはめ込んで、自らを人間という形に留めておく為の、そして近しい者に自分の性を気取られない為の……。
(「この力」)
 レスターの「力」という言葉を聞き、ティアンは片手を胸に当てた。胸元からは炎が零れている。闇色にしては青く、青色にしては仄暗い、寒々と濁った炎。
(「この力があってよかった」)
 戦場に居る眠堂と景臣、そしてレスター。今は戦場にいない大切な人達と……喪われ、おぼろげな何時かの誰かの面影がよぎった。強くなりたかった。そしてもっと強くなりたいと思える。一緒にいたい人達のために、自身がそう願った故のことだ。
「力が必要なら、自分で勝手につかみ取る」
 黝の炎がはぜ、立ち上がる者の母の周りへと燃え広がってゆく。この炎の檻は囚われ人を苛み、その動きを留める。炎の照り返しをも呑み込む灰色の瞳が、立ち上がる者の母をただ見た。
「お前は、いらない」
 ティアンの言葉を聞き、ビルシャナが立ち上がる者の母の様子をちらりと伺ったのを、景臣は見た。苛立たし気なのは、惑わされるなとでも言いたいからだろう。だが、口に出せばケルベロスの言葉に揺らいでいるのを認めてしまう。実際立ち上がる者の母の動きには緒戦ほどの切れがない。
「惑っているのですか? 隙が……」
「ほざけ、人間が!」
 実は仲間へと向けた景臣の言葉を遮るように、ビルシャナは経文の呪言を向ける。守りに立つ景臣にとって、それは狙い通りであり、着ている朔風も呪言の力を阻害する作りだ。
 ビルシャナが次の攻めへ向け、間合いを取ったその場には、その動きを読んだ泰地が回り込んでいた。ビルシャナの眼に見えたのは、光の弧だけだった。身体を抉るように叩き込まれた強烈な質量と、光が同じものだと認識できないまま、その視界が暗転してゆく。何も見えなくなって初めて、それが死にゆくことなのだとビルシャナは知ったのだ。
 泰地の疾風斬鉄脚により、ビルシャナは絶命し、残るは立ち上がる者の母のみとなった。慰霊の人々が現れるまでの残り時間半ばといった所だ。
「私は立ち上がる者の母……強き者達よ、私は立ち上がる弱き者達の守護者なのです」
 ケルベロス達と慰霊の人達を別の存在という、彼女の言葉はどこか言い訳じみていた。ビルシャナとは衆生遍く救うのが目的といわれている。慈次・スラッグと賛然・スラッグには、もはや論じるに値しないと思えた。
「ふうむ?」
 二人の声が重なる。
「お前は彼らが弱いと思っているのか? 彼らは私達を動かす大きな力を持ち、私達は彼らの賛同無くして動けない。私達妖剣士は力に喰われた同胞を殺し殺されてきた。賛同なければただの人殺しだ」
 先に口火を切ったのは慈次・スラッグだ。賛然・スラッグも問い返す。
「お前は彼らに力を与えどうしようというのか? お前から力を得るという事はデウスエクスとなり地球を蹂躙し、憎まれることと同義である。自らの憎み厭う者となる事を誰が望む。憎む者と同じく魂を食らいたいと誰が思うのか」
「黄泉路に旅立った者や大切に思う者達は」
 そして再び、二人の言葉が重なった後、各々の言葉に枝分かれする。
「そのような業を背負わせることを望むだろうか?」
「人を破滅に追い込む所業を善とするだろうか?」
 一人取り残され、隙も生じた立ち上がる者の母に、仲間達の攻撃が集中している。彼らの使用技は、攻撃威力を念頭に選りすぐられており、ビルシャナが残した呪言の影響も、この頃には完全に浄化されて、仲間達の状態も改善していた。
「お前が唄う希望はただの欺瞞、まやかしだ。追悼し敬服せよ痴れ者」
 二人のその宣告の直後に、一発の銃声が響く。鋭く風を切りながら戦場を跳ねる弾が、ついに、立ち上がる者の母の胸を貫いた。力を失い崩れ落ちる彼女の前に、鈍く光る鋼の銃を構えたティアンが立った。
「力なき正義は、無能ではありませんか。故に、私は正義を為している……」
 銃声がもう一度響いた。弾は存在ごと空に融けてゆく彼女をすり抜け、地面を穿った。
「お前は、いらない」
 もう一度、ティアンは言った。


 慰霊の人々の姿が見えたのは、戦いが終わった直後だった。常ならぬ雰囲気に、彼らは何があったのかを問うたが、ケルベロスは戦いがあった、とだけ告げ、各々去ってゆく。
 慰霊碑の前で、この人達が何を想い、願い、誓うのか……それは、彼らだけの自由な心だ。そして、その心に従い彼らが何を為すのか。今は不確かかもしれないが、いつか芽吹くかもしれない可能性、今日の戦いでケルベロスが守ったのは、そんな未来へ向けての一片だった。

作者:譲葉慧 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年6月21日
難度:普通
参加:7人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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