朧日鱗、夜煌の夢~ラシードの誕生日

作者:東間

●八月某日
 ラシード・ファルカ(赫月のヘリオライダー・en0118)は悩んでいた。
 自室で一人パソコン画面を見つめ、キーボードをカタカタ、マウスをカチカチ。
 ――灯籠流し、アイス。今年は……どうするかなぁ。
 英語でぶつぶつ言いながら、思いついたものを片っ端から検索にかけてはスクロールして、次のページを見てと繰り返す。たまに気になったホームページをブックマークするが、これぞというものはまだ見つかっていない。
 ――うーん。
 唸った後、テーブルに置いていたスマートフォンを取ったのは何か思いつくかもしれないという“思いつき”。写真フォルダを開き、これまで撮ったものをフリックしながら見ていく中、フリックしていた指が去年の夏で止まった。
 ――……。
 画面を見つめる事、暫し。ラシードはアドレスバーにとある神社の名を打ち込むと、一気に表示された検索結果の上位にアクセスして。
「おお」
 日本語なのか英語なのか、本人もよくわからない驚きの声をぽとりと落とした。

●朧日鱗、夜煌の夢
「光る夜咲睡蓮の咲く泉があっただろう? 今年はあそこへ行こうと思って」
 以前ラシードがそこを訪れたのは、ケルベロスたちにヒール修復の依頼が来た為だが、今回は完全な私用。誕生日を過ごす為。
 日本に単身赴任中の男は、どうしてかというとこういうワケさとタブレットを見せた。
 某神社の泉に元々咲いていた夜咲睡蓮が、過去に施されたヒールの影響か、花と同じ白く優しい光を放つようになった。かの泉には今年も夜限定の幻想風景が生まれているのだが。
「泉を泳ぐ、光る魚? 怖い、というより何だか神秘的ね」
「夜だけでなく、お昼もとは……不思議な事って、意外と増えるんですね」
 首を傾げた花房・光(戦花・en0150)と、ぱちぱち瞬きをした壱条・継吾(土蔵篭り・en0279)は、揃って『光る魚』の動画を見つめる。
 映っているのは、澄みきった水中をゆるり泳ぐ魚が二匹。しかし一匹は、体全体をほわりと白く発光させていた。泳ぐ姿は隣の魚と同じだが、水面に浮かんでいた小さな葉へと口を寄せた時、輝きがふわりとほどけて魚も消えてしまう。
「幻じゃないかって話が出たんだけど、水面は揺れていたし消えた後も影があったろう? だから実体はあるみたいなんだ」
 宮司のSNSでは、『光ったり消えたりする、透明人間ならぬ透明魚と思う事にしました。今のとこ悪い事は起きてないので大丈夫でしょう』――と、おおらかさ全開。
「で、こういう事になってるならみんなに知らせておきたいなと。昼の泉も公開されているのなら見てみたいし、あと……夜の泉もね」
 そう言って微笑んでから、「出来る事は泉を見る事」と明るく笑う。
 泉を見られる場所は、泉と向かい合う形で造られた長い長い回廊のみ。泉の向こう側には森と空だけが広がっており、余計なものは一切無い。
 昼の泉は透明度の高さに加え、太陽の陽射しを受けてその美しさをはっきりと見せてくれる筈だ。揺れる水草、波紋、泳ぐ魚――光る魚。全ての姿と、その影までも。
 夜になれば、真っ暗な世界に夜咲睡蓮がそっと灯る。
 溢れる光によって黒一色だった泉は仄かな青を帯び、真っ暗な森と夜空にはその色が静かに被さって。そして泉に付けられた別の名、『境界の泉』と呼ばれる由縁を――夜咲睡蓮の向こうに“何か”を“見る”かもしれない。
 不確かな影や、心に強く残る誰か。
 それは、見た人によって変わるようだ。
「人によっては怖いかもしれないけど、素晴らしい風景なのは確かさ。ずっとそこに居たいくらい……っていうと、アレかな」
 大丈夫、ちゃんと帰れるよ。
 潜められた声。けれどそれは、すぐ笑い声へと変わった。


■リプレイ

「おめでとう。40になったの」
「そう、40」
 ラシードがニッと笑えばティアンの長い耳がぴょこり揺れた。
 日本で40歳は何と言ったか。ええと――そう、不惑。
「……ラシードは、泉の向こうに何か見えても、惑わない?」
 何かが、大切な相手が見えてしまったらと、去年ティアンは顔も上げられなかった。
 そして今年も惑ってしまいそうだと分かっていたから、
「今年だって昼に来てしまった」
 冗談交じりに話そうとしたが口角を上げるのは失敗したらしい。だってラシードの笑顔に気遣いが滲んでいる。
「俺の秘密を教えようか」
「秘密?」
「心の準備ゼロ。“彼女”がいた時どうなるか、これっぽっちもわからない」
 くしゃり笑う目が見る先、水底を行く“居る”証である影をティアンも追う。
 見えるかもしれないのにはっきり居ると言えぬ、境界の向こう岸。
「昼と夜とでまるで正反対だな、この泉は」
「撮るのかい?」
「うん、うまく一緒に写したい。写真なら、燃やして向う岸におくれるだろう」
 シャッター音の後、確かに届きそうだと、声がした。

 光って消えるも、確かにそこにいる不思議な魚。
 わくわくが抑えられないノルが、手を繋いだグレッグを半ば引っ張るように向かった泉は、陽射しの下で清らかな風景をありありと見せていた。
 去年と違う昼の泉。澄んだ水中を軽やかにゆく魚は、身全体を白く輝かせている。煙のように光を解いては、また、ふわふわきらり。
「あ、いた! ほらグレッグ!」
「ああ」
 指さし笑う度にグレッグと目が合い、陽の下で柔らかに微笑む姿が嬉しくて。
 知らせてくれるノルの無邪気な可愛らしさが愛おしくて。
 幸せそうに。和やかに。二人は声を弾ませ笑い合う。
(「去年見た、夜の不思議な景色も素敵だったけど」)
(「去年見た幻想的な景色も綺麗だったが」)
 同じ場所が紡ぐ、異なる時間帯、異なる景色。どちらも確かな魅力を放っていて――それ以上に、こうして二人で見る景色が。今が。何にも勝る輝きで心に刻まれる。
 この世に“同じ”ものは一つとして無いけれど、“共に歩む愛しい人”は決して変わらない。だからこそ掛け替えのない幸せになる。消えては現れる魚のように、これからも確かなものとして、傍に。

 ラシードに祝辞を贈り別れた彩希は、紅蓮と共に回廊を歩く。
 夜に咲き、夜を白く照らす睡蓮たち。
 この彼岸と此岸を分かつ泉で、もし逢えるなら――。いや。目の前に広がるのは幻想的な風景だけだ。
「とても綺麗だね」
 けれど“向こう”に鮮やかな赤を見た気がして、思わず振り向いた。浴衣の後ろ姿。いつの間にか追い越してしまった小さな背。あれは、茜色の空の中で見た弟の――。
「ワンッ!」
 紅蓮の吠え声が心を引き戻す。少し、ぼうっとしてたらしい。
「……ごめん。もう少し、見て回ろうか」

 ロコが隣を行く足に尾を絡めると、気付いたメイザースは静かに笑った。片方だけ広げた翼でロコを包み込む。
「シアン。大丈夫、怖くないよ」
 互い動揺せぬよう、離れぬよう。心を察したそのお返しにロコは少し笑い、相槌を打つ。そうして共に“境界”へ目を向ければ、白き幻想の先にその姿はあった。
 去年は屍の、今年は自分の影。その表情は分からないけれど。嗚呼、でも。
(「呼ばないんだね。お前はずっと僕を待つけれど 暫し猶予をくれたの」)
 手招かず、ぽつりとただそこに。
 メイザースは懐かしい人影に目を細めていた。
(「――あぁ、やはり君か」)
 どう出るかと思っていたが、見えるのは驚いたような顔。そして。
「メイザース」
 隣を見れば自分を心配そうに見る目。大事な子には逢えたかなとそっと頬に触れてきた手に――軽く抓られる。
「こら、痛い。大丈夫、置いていかないよ。というより……追い返された、のか。よそ見をしている場合じゃないだろう、なんてね」
 いつか“そちらへ渡る”時。
 いずれ欠けたものを“迎えに行く”時。
 その時は、今隣にいる存在も、共に。
 それまで涙とおやすみと太陽は言い、月は温かいくせ、灼けるような光の傍。

「そういえば、僕、自分のことをあまり話しませんでしたね」
 カグヤは夜咲睡蓮の淡い輝きから隣の鬼灯に目線を移す。鬼灯は普段自分の話というものをあまりしない。だからカグヤは優しく微笑んで、聞かせてください、と言った。
 その優しさに嫌な思いをさせないよう、鬼灯は言葉を丁寧に選びながら語っていく。幼少期の事。家族を失った理由。自分を形作る、過去というものを。
「色々ありはしましたが、これでも幸せなんですよ? だって、仲間や友人ができ、なによりカグヤさんに会えましたから」
 一目惚れだった。恋仲になりたい。ただ――初恋だから、どう恋仲になればいいのか分からない。
 真っ直ぐな告白にカグヤはぱちりと瞬きをして、そして微笑んだ。どう恋仲に、だなんて。
「わたくしにもよく分かりませんけれど……一緒に考えていきましょうか」
「はい、お付き合いの条件はカグヤさんの希望に――」
「それを含めて、一緒に、よ」
 腕を絡め、早速夜のデートを。女性慣れしていない鬼灯の反応は初々しく――そんな二人を夜咲睡蓮が優しく照らしていた。

「今年も一緒に来られたなあ」
 日中の仕事を終えた光流とウォーレンを不思議な泉が一年ぶりに出迎える。月日と共に強さも重ねたとはいえ、いつ『あちら側』から手を振る立場になるか。光流の目は自然と今いる『こちら側』へ。
「あれ? 何だかずっと僕を見てない? 気のせい?」
 光る魚の影を探し、天の川の星めいた睡蓮をぼうっと見ていたウォーレンは、天の川泳ぐ魚の仲間入り気分からドキドキ気分。咎めてるのではないよーという声に光流は頷く。
「いや、ちゃんと花も見てるで? 君の笑顔も俺にはほんのり光って見えるさかい」
 もしかしたら、光流への気持ちが光っているのかも。そう言われたら。
「君の肩越しに見よか」
 後ろから抱き締めればどちらも一緒に見られる。けれどウォーレンからは光流の顔が見えず、少しばかり残念でじたばたする。
「僕も見たいー」
 その温かさに実感した。
「君も『こっち側』におるんやな」
「こっち側ー?」
「俺はどこにも行かへんて。俺の顔はこの後にでもゆっくりじっくり、な?」
 何の話だろう。けれど今、光流が悪い顔をしてるというのは、ちょっとわかるウォーレンだった。

 一歩ほど、僅かにずれて歩く長い回廊は色々なものを朧にしそうで、しかしヴェルセアは噂の真偽関わらず己には無関係、とラスキスの横顔越しに泉を眺めている。ラスキスが、そんな男の顔色を横目で伺うのに慣れたのはいつからか。
「ほら綺麗でしょう」
「まァ、そこそこ『見られる』ナ」
 指した先、無音でそよいだ幻想的な景色の向こう。
 そこに“何か”を“視た”のは女の方だった。
「あ、」
 視線、思考、心。懐かしい面影に全てを奪われたラスキスの両手が手摺に乗る。
「行くのカ?」
 そのまま連れて行かれそうだった後ろ姿へ差した、淡泊で白けた一声。
 ――お前という物語を観劇させてもらうとは言ったガ、ここで閉幕ってンなら半端な舞台だったナ。
 凪いだ水面が乱れたような刹那、肩越しに交わった冷たい碧。
「……っ、」
 ラスキスは勢いよく踵を返し、胸元に飛び込んだが、男の両腕は決して自分を抱いたりしないとわかっていた。温もりを一方的に寄せ――己の手で縋るしかないと思い知る。
「いい子ダ、ラスキス。最後まで退屈させないでくれヨ」
 ヴェルセアは愉悦に嗤って“それ”を許容する。
 何せ、さっきの顔は泉よりよほど美しかったから。

 長く地下の秘密墓地に籠もる彼の、意外な一面が見られるんじゃないか。
 久しく見ていなかった夜空を見上げるアレクサンドルと共に、イヴァンは僅かな悪戯心と“今”への進展に希望を抱いて――。
「とても綺麗だね……」
 神秘と幻想が寄り添う風景を、スマホではなく目に焼き付けていた。
「ん……綺麗、だね……」
 ぽつり零した横顔を密かに見れば、どこかいつもと違っていて。その手をそっと握る。
 静寂の中、隣のひとを思うその目に――ふわり。見えた『彼女』がイヴァンの心を押し、握った手から伝わる体温が、アレクサンドルの心を落ち着かせる。
(「あぁ……なんて……――」)
 こんなにも綺麗なものが夜には在ったのに、なのに思い出してしまうから、苦手だからと籠もっていた自分を。キミは、好いてくれるだろうか。
 今日は、彼となら大丈夫かもと思っていた。でも今は本当を告げる恐ろしさが胸の内から溢れそうで――それでも。
「ねぇ、ヴァニューシャ……オレの話聞いてくれる?」
「……うん、きくよ、聴かせて」
 溢れていく“本当”を、微笑みが受け止める。
 そうして咲いたものは――。

 設定再確認後、カメラ越しに見る夜咲睡蓮は肉眼で見た時にも負けぬ美しさ。
 エリオットは感嘆の色を目に浮かべながら花を、泉全体を撮りながら境界の話に納得して――ふと、視界の端に捉えた朧な影に懐かしさを覚えた。
 カメラを下ろすも、肉眼に映るのは夜に輝く睡蓮ばかり。片手に持ったまま改めて探しても、白手袋をはめ、聖職服を着た笑顔の老人は見つからない。
 亡き恩師は教え子と睡蓮のどっちを見に来たのか。もう聞けやしないが、もし幻だとしても、見られただけで、教え子であるエリオットはちょっと嬉しかった。
(「なぁじいさん」)
 俺は元気にやっているよ。

 人の少ない場所に三脚とカメラを据え、けれど水面ばかり眺めていたキソラはラシードを見かけると笑顔でシャッターを切る仕草。
「オメデト40歳! 楽しんでる?」
「ありがとう40歳だ! 少し緊張してる」
「そっか。……今年も、やっぱり見えたら嬉しい?」
 何となく“境界”を見遣れば隣に立つ気配。会いたくて来たからという声はかすかで、そっと窺えば視線は水面に注がれていた。
「キソラは、今も本物がいいのかい?」
「ン、今でも同じ」
 幼い頃の記憶は殆どない癖に、灰色だった世界に色彩を取り戻した瞬間の事はハッキリ覚えている。だからこの目に映る彩が好きで。映るものが一番で。
「ケド今はほんの少しだけ……ナンて顔してイイか分かんねぇし。触れも話せもしないなら意味あんのか分かんねぇケド」
 もう自分しか知らないあの頃の自分を、少しだけ――見れたら、なんて。
「……願ったら、見られるんじゃないかな。去年の俺がそうだったから」
 だから、と笑う男へ、キソラはそっかと言い――ニヤリ。隣を見る。
「ところでなンで名前で呼んでくれたワケ?」
「えっ。……いや。いいかなーって」
 友人だと思ってるけど駄目デスカ。
 緊張気味の声に、ニシシと笑う声が重なった。

 幽世と現世の境が曖昧になった世界が白き花彩に浸る。星が生まれ燈るようなその先に、ラウルが幾度となく想う唯一が朧に佇んでいた。柔らかに顔を綻ばすその人へ、ラウルもそっと笑みを零す。
(「――ありがとう。俺は、ちゃんと幸せだよ」)
 シズネもまた、二度目の世界で二度目の邂逅を果たしていた。
 あの時本当は見えていた。誰も見えなかったなんてウソ、ラウルにはお見通しだったのかもしれないけれど。
 此度も会った人影に今度こそ目を背けはしない。逸らさぬ瞳へ、兄へ、ばいばいと手を振られた気がした。
(「……ばいばい、スズ」)
 妹の行き先が、この泉のような場所でありますよう。
 振り返し願う兄と、伝えた男は、望む姿と会えたのだと互いに感じ取る。
「おめぇは、追いかけなくていいのか?」
 なんて言いながら、シズネは繋いだ手を弛める様子はなく。その手にラウルの手が重なった。その予定はまだない。彼女と、隣で輝く黄昏色が生きろと願ってくれるからと言って、微笑む。
「だから、この手を離さないでね。俺も決して離さないから」
「当ったり前だ!」
 この身が枯れたって願い続ける。
 その時も誓い籠めた手は繋いだまま――星のように燈し続けよう。

 お三方でどうぞと祝辞と共に贈った日頃の礼、和菓子詰め合わせに笑顔になった男と別れた後、最中は仄かに青灯す泉を眺め、得心した。
(「――嗚呼、なるほど」)
 黒を照らす白き輝きの向こうは別世界のよう。
 いつだってその世界に、越えられない境界の先に憧れた“誰か”がいた。
 ――もしも。
 越えられていたら。あの手を掴めていたら。
 ――もしも。
(「今そこに、キミがいるなら――」)
 見えた影へ無意識に手を伸ばすが、ふ、と微笑って立ち上がる。
 立ち止まったままでいたら何も掴めない。あの場所に囚われ続けていても、この手は憧れに届きはしない。それは当たり前の、事だった。
(「帰ろう」)
 境界の手前ではなく、守りたいものが待つ場所へ。

 光を発し、夜を、泉を照らす花。幼少時に読んだ物語のような風景を目に出来るそこは、この世の物とは思えぬ不思議な場所。
「此方の泉の噂話はどう思われますか? 本当に何か現れるのでしょうか」
「さてね、どうだろうな」
 志苑の問いにそう答えた蓮だが、共にゆるり歩きながら眺める泉はまるで境世。そう思わせる雰囲気は十分。
 水で隔てた対岸に、心に残る誰かの姿――そうあって欲しいと願う心が見せるのか。一瞬でも彼方と“繋がる”のか。
「判る気がします」
 例えそうでなくとも“そうあった”と、一瞬でも逢えるのであれば。
 微笑浮かべた志苑の足が止まり、“境界”の先を見る眼差しに蓮のそれも重なった。
 光の中、水面が揺らいだような刹那。花灯り足りぬ先へと目を凝らした志苑の体が、一歩前に出て。
 ぱしり。蓮は白い手を掴み、軽く後ろへ引く。
「……いや、何となく」
 ――違う。何となく、なものか。
 取った手を握る。
「もう居ない大切な誰かの影を見ても……行ったりするなよ」
「行きませんよ、大切な人が沢山居るのに置いて先になど」
 温かな手を確りと握り返し――柔らかな微笑を咲かせた。

 暫し睡蓮の先を眺めていたサイガは、ん、と僅かに口を動かす。相変わらず何も見えやしない。
 オッサンの方はと目線だけ隣へやれば、男は白色の向こうを見つめていた。少しの安堵と何かしらの感情が交ざった顔を見て、邪魔しないどいてやろうと口を閉ざす。
(「まァ、例のキレーなドレスが似合うヤツだろ。一目お目にかかりてえもんだが」)
 亡くした伴侶もエルフなのだろうか。実家の写真から良家のイメージがあるが、街一番のしっかり者と見せかけ似たもの同士だったかもしれない。
 なんて考えていたからか、朧気な白が長髪翻す影に薄っすら見えてきた気もして。
 だが、永く心に残る事を向こうは喜ぶのか。悲しむのか。
 ――ふと、朧が動いた。気がした。
(「……今のは俺にもわかった。うまいモンでも食ってイイ夢見ろよ、だな」)
 去年よりかマシなもん奢ってやっから。それでいいだろと、祝ってやれぬあちら側の影、その跡へ告げるように横目にして。
「腹減ったし甘いもんでも食わね?」
「お、いいね」
 二人が回廊を行った後、ふつりと白がひとつ、解けて消えた。

 手を繋ぎ歩く回廊の向こう、昼の不思議を内包した夜の泉はより幻想になっていて。見惚れる有理だが、どうしても気に掛かるのは手を繋いだ冬真の事。
 だって去年は酷く寂しそうな瞳をしていた。今年は――あれ?
 瞬きする妻に気付かず、冬真は再び弟の名を呼びそうになり――あれ?
 あっち行け。
 一瞬見えた姿はそう言わんばかりに手を振っていたような。一年で随分と扱いが酷くなっていないか。釈然とせぬまま隣を見下ろすと、いったい何がと心配そうに見上げる有理がいた。
(「ああ……今隣にいる大切な人を考えろってことかな」)
 手を握り返す大きな手の温もりと向けられた微笑みに、有理も微笑んだ。
 よかった。もう寂しくないんだね。
「ねぇ有理、突然だけどキスしてもいいかな?」
 隣にいられる事が嬉しくて仕方ない。
 握り返してくれる温もりと花のような笑顔が、愛しい。
「うん。キスして、冬真」
 有理もぎゅっと手を握り返し頷いた。
 幾度でも触れ合って、味わって、愛と幸せを確かめて。
 これからもずっと――惹かれるままに、二人一緒に。愛を重ねて幸せを紡いでいく。

 境界だけでなく、長い回廊も世界から切り取られた境界のよう。宵闇に逸れぬようにと差し出されたクロヴィのエスコート、指先をメリノは少し照れながら握り返す。
 ほ、と灯る白が現すのは一面に咲く睡蓮の輪郭。夜闇に広がる景色で、回廊にメリノの軽やかな足音が紡がれれば、クロヴィはその音に微笑んだ。
 ひそやかに滲む光。囁きかわす導に相応しそうなその傍で今日は沢山話をしよう。
 共に出かけた先の風景、花の彩。夜咲睡蓮のように、楽しかった思い出が咲く。睡蓮の灯は“境界”のように永遠と隔てるものではなく、二人の大切な思い出を呼び、楽しかった日々を尽きる事なく浮かばすもの。
「だから寂しくないわ。ケルベロスの鎖を手放す貴女へずっと幸せが共にあるよう、願っているから」
 ぱちぱち瞬き繰り返したメリノは、目から一雫零しながら、ずっと傍にいてくれた姉のようなクロヴィへ、今まで見守り幸せを願ってくれた感謝を咲かせた。
「私も、大好きな貴女に幸せが共にあることを願っています、ね」
 行ってきます、クロヴィさん。
 伝う雫を掬い、応えの代わりに笑みを返すクロヴィの指先でほのかに煌めく雫は――きっと、永遠の灯。

作者:東間 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年9月15日
難度:易しい
参加:26人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 4
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