虹色ライアー

作者:朱凪

●手に入らないはずのもの
 とある日の午後。
 光の翼を持つ少女は、鱗の翼を持つ青年に訊いた。
「今年は、どうするの」
 語尾は上がらないけれど、それは彼女にとっての疑問文。紅茶のスコーンを齧っていた彼は手を止めて、「そうですねぇ」と林檎のジュースをひと口。
「失せもの探し……なんて、どうでしょう」
「きみがこの前にしたような」
 軽く首を傾げるところから、これも彼女の疑問文なのだろう。彼もこくりと首肯を返す。
「……失くしたものって。見付けられたとき、とても嬉しいでしょう」
「失くしたのが、大切なものなら」
「失くした、と気付いた時点でそれは大切なものなんですよ、Dear」
 うっすらと笑みを刷いて再びスコーンを齧る姿に、光の翼を持つ少女はそれを少し下げ、もう一度首を傾げた。
「僕は記憶を失くした。……それが大切だったのか、まだ判らない。……きみにもあるの」
 失くしたもの。
 少女の無垢な問いに、彼はそぅと瞼を伏せた。影とダンスを踊る幻燈機の前で、聴こえるかもしれなかった『懐かしい声』は。
 彼は無意識に首に下げた翠の蝶へ指を滑らせた。
「……失くしたことのないひとなんて居ませんよ。でも、これからだって失くしたくない」
 だからこうしましょう、と彼はいつも通り穏やかに笑った。

●初めましてから始めよう
「大切なものを、失くしたことにしてしまいましょう」
 暮洲・チロル(夢翠のヘリオライダー・en0126)はそう言った。
 当然、集まってくれたケルベロス達は首を傾げる。ユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)は黙ってそれを見守りながら、抹茶ラテをストローに吸い上げる。
 チロルは一枚の地図を取り出して、一点を指差した。
 そこは広い公園──のように見える。
「梔子という花を知っていますか? 低木樹で、鮮やかな緑の葉に、白くて甘い香りの花を咲かせる樹です。この公園は、その樹で、迷路を作っているんですよ」
 もちろん、チロルが述べた通り、梔子の樹の高さは決して高くない。1m程度が普通で、高くとも2m程度になるので、見通せないということはない。
 だからこそ。見えるのに、届かないという状況が生まれる。
「……意地が悪いね」
「悪戯心、と言ってもらいたいですね」
 ユノの率直な感想に、チロルはただ笑う。それでね、と。
「誰と会っても、『初めまして』と挨拶をして、初対面を装いましょう」
「装う」
「ええ。本当に初めましてだったらいいですけどね。俺がDearに会っても、きみが他の大切な友人に会っても」
 それはつまり、『これまで』を失くしてしまうという嘘。
 よくよく見知った相手と初対面のやりとりを続け、新しい関係を築いたって構わないし。
 これまでとは違う一歩を踏み出したっていいし。
 大切な大切な『これまで』を噛み締めて、嘘を投げ出してもいい。
「嘘を投げ出して『これまで』を取り戻すためには、入口で配っている梔子の造花を相手に渡してくださいね」
 それで嘘はおしまい。失くしたものを取り戻すことができる。
 そんな彼の不可思議なお誘いに、わくわくした顔があるだろうか。それとも首を捻る姿があるだろうか。
 それでも彼は、ただ幻想帯びた愛用の拡声器を撫でて、口許にマイクを添える。
「では、目的輸送地、嘘吐きの庭。以上。……初めましてから、始めましょう」


■リプレイ

 思い返すだけで、口許が緩んでしまう。
 定命化したばかりで文字通りに真っ白な彼女に軽率に近付いて、声を掛けた。
 きっとあのときから既に、惹かれていた。
 左手の薬指に光るルビーを撫でて、シルヴィアは自然と逸る足取りで梔子の迷路を行く。鮮やかな緑の中で白い髪を見付けたときには、眩しさに思わず目を細めて。
 跳ねる鼓動に呼吸をひとつ。
「絹のような肌だね。よかったら暖かいお茶でもどう?」
「、」
 振り返るイムゼナ。想像通りの口説き文句に微笑みが浮かぶ。──あの頃はナンパの意味も知らなくて。そう、しばらくは『シルヴィアさん』と呼んで。今ならくすぐったくなってしまいそう。
 けれどあの頃とは違う、まっすぐ向けられる大好きな青空色の双眸の柔らかさに、含まれる甘やかさに、湧き上がる愛おしさを抑えられるはずもなく。
「まあ、絹のようだなんて……ええ、喜んで」
 差し出された手を取るその手に光る、婚約指輪。シルヴィアが捧げた名。視界に入らないはずもない、愛の証。
 だから彼女は彼女を見つめ、笑った。
「初めまして。ところで、愛してます」

「あれ」
 ここはさっきも、通ったような。
 緑と白の生垣迷路。どちらを向いても甘い香り。
 似たような場所、似たような景色。忘れたふりなどではなく、これは、本当に。
「あ」
 思わず声を上げたのは、見慣れた姿を見付けたから。振り返った相手の顔に、今日の趣旨を思い出す。
「はじめまして。同じドラゴニアンだったのでつい声を。俺はキース」
「ああ──初めまして、俺はチロルと言います」
 本当だ、と宵色の瞳が目に留めたのはキースの目尻の竜の鱗。彼は気にした様子もなく、くしゃり黒髪を掻き回す。
「先程もこの道を通ったと思うのだが……」
 軽く口角を緩めて見せればチロルも軽く翼を上下して小さく笑った。
「では、一緒に迷いましょうか」
「ああ。道に迷って景色を楽しむのもひとつかもしれないな」

 たおやかな花に指先を触れ、ヨハンは逞しい指に僅か苦笑する。仲間にも伏せていること。──花が、好きだということ。
 花、だけではない。
 ──もし僕がケルベロスでなかったら。
 ──戦士として生まれ育った記憶と誇りをなくしたら。
 勇ましく戦う仲間を、多くの悲しい敵を……戦場で輝く魂を、傷付く心を、見ずに済んだのだろうか。
 悔いはない。けれど憂いは焔の虹彩に微かに滲む。
 ゆらゆら黒い尻尾を揺らし、見えているのに進めないもどかしさにうずうずしていたファファは、ヨハンの白衣に瞳を輝かせた。
「初めまして! あんたはケルベロスか?」
 飛び出してきた娘に当然、ヨハンは瞬き。それでも是と応じれば、ファファは満面の笑みで彼の両手を取って振った。
 黄熱病から救われたと。そう言う彼女に、ヨハンは緩やかに首を振った。
「僕は黄熱病の殲滅には、」
「ネコチャはケルベロスに救われたんだ! だから、ケルベロスのみんなはネコチャの恩人だ!」
「、」
「あの時受けた恩は一生忘れないぞ! いくら感謝しても足りないくらいだ!」
 まっすぐで、翳りなく。告げる少女の言葉は、揺れる彼を温かく打った。
 ヒトは変わる。それはどこか寂しいけれど、──そう恐ろしくはないのかも、しれない。
「……花、綺麗ですね」
 素直な気持ちでぽつり零せば、少女も大きく肯いた。

 逸る気持ちが、駆け出した。
 気付いたことがあるんだ。
 ──俺は千梨の隣が、自分で思っていたよりもっと、大好きだったって。
 だからな。
 探偵の視界に飛び込んだ、青い花。
「こんにちは、千……じゃなくて、初めましての人!」
「初めまして、勿忘草の人」
 跳ねた心は、得意な嘘で誤魔化して。
「えっと……初めましてさんの隣は何だかとても安心するな! その、例えばなんだけど、初めましてさんは自分の隣に、どんな人がいたらいいなって思う?」
 離れていた間に気付いたことがあって。期待孕んだ夕焼け色の瞳に千梨はだから、素直に応えた。
「隣は、どんな相手でも構わないんだ」
 「、……そ、そっか」どこか淋し気に少女が笑うのも、探偵は敢えて視野に入れない。
「……だが隣では無く、懐に入れてしまいたいと願う相手ならば、居た。もし捕まえられたら、もう逃がさないな」
 造花の梔子を弄ぶ彼にラグナは顔を跳ね上げ、けれどまた、視線は落ちて。
「その誰かは、きっとすごく、幸せ者だな」
「ああ、幸せだと良いな」
「!」
 髪に梔子がそっと差され、零された続く言葉に更にまんまるになる、夕焼け色。
 ──待っているよ。

 揺れる白銀の長い髪。
 迷子すら楽しんでいる少女に視線を奪われたけれど、言葉は喉に引っ掛かり、その刹那に絡んだ視線。
「こんにちはお嬢さん、あなたもこの迷路に囚われておいでで?」
「ええ、そう、……なんです」
 小首傾げて応じたエルスの指先は、無意識に清士朗の手に触れてぴくりと震えた。
「出口までご一緒にどうかな?」
 清士朗はその指に気付かぬふり。彼の青い瞳にエルスは瞼を伏せ、ふたりで梔子の迷路を歩き出す。
「……お兄さんは、誰かに似てるとか言われたことない?」
「ん、……」
 あの時、あの場所で消えた仲間の顔と、声。いえ。それよりも前にも──、ひきあう魂がきっと震えている。
「……ああ。あの時も、一人ではなかったから」
 ──あの一歩を踏み出せた。
 触れた指先は、いつしか繋がれていて。
 『あの時』傍に在った温もりと、今繋いだ手に造花の梔子を添える少女のそれは、違うけれど。
 同じように造花を渡し、清士朗は微笑んだ。
「……やはり元々のエルスが一番だ」
「たとえ顔が、声が、記憶が、全部変わっても──私はいつも、ここにいるよ」

 あ。
 ぴくり揺れる、熊の耳。
 緑の中の光る羽に。クママスクに牙を隠し、もごもご告げる「……はじめまして」。
 ペリドットをまんまるにして、なにかを探しベーゼの足許へと視線を走らせる姿に、彼はマスクの内側で小さく笑う。
 だって、本当に初めましてなんだ。
 ヒト型で逢うのは。
「……一緒に迷ってもいい?」
 ユノは未だ目を丸くしたまま、やっと肯いた。
 けれどふたり並んで歩を進めるほど、互いに訊きたいことが浮かんでは揺らいで。
 ……淋しくて。
「おれ、ずっと、全部、忘れちまいたかった」
 苦しいコトも、恐いコトも。だから忘れた、ハズなのに。
「……変っすよね。ユノとの『これまで』は、……なくしたくない、なんて」
「っ僕も、やだ。絶対やだ」
 差し出しされた毛むくじゃらの掌ごと、造花の梔子に少女は飛びついた。

「初めまして」
「はじめましてっ」
 深い緑と目の醒める白の中。甘い香り漂う、まるで魔法みたいなそこで、ふたり──メイとイズナは出逢い、笑顔で挨拶を交わした。
「逢いたいひとが居るの。忘れちゃったんだけど」
「わたしも! だからめいっぱい楽しみながら探そうと思って!」
 少女達は跳ねる足取りで迷路を行く。
 あっち? それともこっち?
 迷い進む先に見付けたのは緑の翼。だからほんのちょっぴり、背筋を伸ばして。
「ええとええと……初めまして!」
「はじめまして!」
 元気なふたりに、青年は初めましてと恭しく一礼した。
「わたしイズナ。あなたは?」
「俺はチロル。迷路は、楽しめてますか?」
「私はメイって言うの。ふふ、梔子の魔法の中で迷っちゃって、でもそれもすごく楽しくて満喫してたところ」
「それは、なにより」
 ──そういえばわたしチロルとちゃんと話したことなかったかも。
 常より気安い様子で肯く彼の横顔にイズナは思い、「あ」メイは声を上げる。
「そうそう、私ね、人を探してるの。プレゼントを渡したいけど、何処にいるのかな……」
 だからもう行かなきゃ。お話をありがとう、なんて悪戯めいて。イズナと共に差し出す梔子の造花。
「お誕生日おめでとうございます、チロルさん!」
「おめでとう! えへへ、忘れてなんていないからね!」
 メイから添えられた小箱は空色硝子のボールペン。
「ありがとうございます、Dear達。では御礼に、出口までエスコートを」

 ──梔子の迷路で『はじめまして』……なんだか絵本のお話みたいだ。
 アンセルムは腕の人形を抱え直す。だとしたら、昔みたいに。
「……こここんにちはー、あなたも遊びに来たんですかー?」
 耳に届いたのは、明らかに強張った声。見ればいつもだったら体当たりのひとつでもしてくるはずの娘がめいっぱいにお陽さま色の瞳をうろうろさせて、その後ろでは先に逢ったらしい青年が笑みを浮かべる。
「はじめまして。エルムとお呼びください」
「私、環って言いますー、せせせっかくだし、一緒に出口探しません?」
 耳がぴこぴこ、尻尾がそわそわ。環の様子に釘づけのエルムの視線に湧き上がる笑みを懸命に耐え、アンセルムは無表情に努めて『声』を出す。
『はじめまして、素敵な方たち。私に名前はありませんが、こちらには名前があります。アンセルムと呼んでください』
「喜んで、」
 ──お人形さんが動いてる……。
 無表情無表情、
「……だーっ、やっぱ無理ぃ! 嘘って知ってても寂しいですー!」
「そこ。笑ってるのは判ってますよ?」
「っふ、ごめんごめん。ふたりの反応が楽しくて……」
 環とアンセルムの限界は、ほぼ同時。環が全力で造花を押し付けたときには、彼は口許を押さえて顔を背け、肩を震わせていた。
「アンちゃん、言いたいことは自分の口で言ってくださいよー! エルムさんも寂しくなりましたよね!? ねっ!?」
 振り返った環の言葉に、やりとりのさ中に感じていた微かな痛みをエルムも知覚し直す。
「……これが『寂しい』なんですね」
「ごめんって」
 嘘はおしまいにして、仲良く楽しもうか。

「初めまして、お嬢さん。迷ったのかな?」
 見付けたのは、小さな姿。コロッサスの姿を認めて、ぱあっと輝いた瞳は既に瑞樹の嘘が吐けない性格を如実に示していたけれど。
 初めまして、とやや緊張した声を返せたことに安堵し、彼の顔を見上げる。
「コロッサスさんは迷路が得意なんですか? ……──あ、」
 ぱぱぱっ、と頬に昇る朱。演技なんて程遠いミスに思わず俯いて顔を隠しながら、瑞樹はそっと梔子の造花を差し出した。それをコロッサスの瞳が愛おし気に見遣って、その手から花を受け取り、己の分も彼女へと手渡した。
「どうだろう。でも大切な人を見つけるのは得意かも知れないね」
 だからもし、と微笑んで。
「本当に記憶を無くしても、もう一度瑞樹と出会って……また好きになるよ」
「っ、わ、私も。コロッサスさんの事を忘れたりなんかしません……」
 まだ、頬は赤いけれど。
 でも、静かに、まっすぐに。
 瑞樹はひたとコロッサスの瞳を見つめ、「、」彼は言葉を呑み込んだ。代わりに零すのは、ひと筋の感謝。
「……ん、ありがとう」
 ──愛している、は。
 今は、まだ。

 逢魔が時。黄昏霞む緑と白の色彩、甘いあまい香りの中。
 ブーツの踵が軽やかなステップを踏む淡い色の娘の姿は夜の視線を縫い付け。出逢う君は、『私』は。──さぁ、何方が『魔』だろう?
「──初めまして、」
 無い帽子を外し胸に掌添えて恭しく一礼した彼に、アイヴォリーは微笑う。
「初めまして、あなたも全部忘れたの?」
 なんて幸いなんでしょう。囀る天使の小さな翼が嬉し気に揺れる。
「約束も科せられた罪も忘れた私は、もう帰らなくたって、いいのだもの」
 そうですかと返す夜の炯と光った冴月の瞳に浮かぶのは憂いではなく。
「右は過去。左は未来」
 うたうようにそれぞれに差し向けた掌。
「君はどちらの路を選ぶ?」
 ──なんてね。相好崩して見せれば『魔』は霧散した。自由な選択を迫るふりして、失くせやしないと言外に伝える、やわい棘。だから娘は「どうしてでしょうね」首を傾げた。
「こんな自由をずっと望んでいたのに」
 そのショコラ色の瞳は挑戦的に輝いて。
「自由より欲しいものが──あるような気がするのです」
 そして娘は、男の両手を諸手で掴んだ。

「出会えなければそれはそれまで、なんて。偶には戯れもいいでしょう?」
「案外お前も少女趣味……いや、何でもない」
 口許押さえて見せた社に、けれどレティシアはにこり笑って迷路の中へと歩き出す。
「そう、女心にはいつまでも乙女心がひと匙入っているものですから」
「そうだな、女ってのはいつまで経っても乙女なんだったな」
 咥えた煙草を揺らした社も口角を上げ、女の後ろ姿を見送って。一服終れば動き出す。
 ──ああ言うくせに、見つけて欲しがるのもまた乙女ってことかね。
 ならそれを追うのは狩人か、あるいは。
 幾許かあと。
 出会ったふたりの「初めまして」は親し気でありながらも距離を保つ。名は? 好きな酒は。じゃあ──……。
 このまま、やり直したら?
 交わしたのは視線だけ、答えは迷路の中。
「ところで、私どうやら迷子のようで。……このまま現実まで連れ帰ってくださいませんか?」
「もう終りか」
 差し出された造花に在りし日の互いの姿が胸の奥、澱となる。
 おかえり、ただいま。手に手を取ってふたりはまた、歩き出した。

「おにいさん、はじめまして」
 指先から毀れた白の花弁を、別の色はないものかと拾い歩いていたサイガは、ちょこんとしゃがみ込んだ白い少女の長い耳の手前で指を止めた。
「しゃべった」
「喋るぞ。なにしてるの」
 よければ、ご一緒。しませんか。
「手伝ってくれんなら」
 はらはら。言う傍から、拾い集めた白をティアンの上に降らせ男は歩き出す。瞬いた彼女はそれを改めて拾い、彼を追った。
 名前は? ──クロガネでもサイガでも。
 お仕事は? ──この通り。掃除? 雑用? そーかもな。
 記憶をなぞる『初めて』達はなんだかくすぐったい。
「好きな人は?」
「ハ。初対面のヤツにいつもそんなん聞いてんの?」
 ませませチャンじゃん。振り返った鼻先に突き付けられた造花に、今度はサイガが瞬く。
「? ……ああ」
 遊びだったっけ。記憶はいつも地獄に呑まれて消えて、いつも通り。だけど。
 ──毎日別の生き物だといつか言った君を少しずつ知って、憶えて。
 いつそんな日が来てもいいように。ティアンは瞼を伏せた。
「こんにちは」
「こりゃドーモ、」
 はじめましてこんにちは。

「っと、悪ぃ。考え事しててな」
 ぶつかった姿に咄嗟に謝罪して、グレインは相手を見上げる。穏やかな宵色の三白眼が、くすくすと笑み浮かべて見ているのがよく動く己の耳だと判ってはいるけれど。
「あー、その、何だ。そう、あんたによく似た人の事をな」
 苦しい言い訳重ねる彼に、チロルは悪戯っぽく口角を上げた。
「ナンパの常套句ですね?」
「! ──ああそうだな。そういうことにしよう」
 そんなつもりはもちろん欠片も無いけれど。
「よく似た、というよりあんたの事だったのかもしれない。良かったらお茶でもどうだ?」
 ほんの少しの自棄で演じてみれば、チロルは改めて彼に名を訊ねてから。
 応え瞬く彼に、敢えて造花を胸ポケットに仕舞った。
「ならこの佳き日のご縁ですから。行きましょうか、──グレイン君」

 またね、と笑ったきみが愛らしくて。……すこし、憎らしい。
 演技だとしても。片時でも俺を忘れるのかと思うと。
 ──気に食わないねぇ、もの。
 宵色のコート翻し、チヨはめろを呑み込んだ迷路へ駆けた。いつも追うばかり。けれど、今日なら──。
 咲くのは探し物じゃない梔子ばかり。
 梔子色のワンピース揺らし、めろは空っぽの掌を虚しく眺めた。花に埋もれてしまってもきっと彼なら見付けてくれる。……見付けて、欲しい。
「!」
「はじめまして、お嬢さん」
 つよく捕らえられた手首。振り返れば、愛しい夜鷹。
「俺は、きっと。ずっと前から。きみのことが、欲しくて堪らなかった」
 まっすぐ見据える青朽葉の双眸に、少女は淡く微笑み梔子を差し出した。
「それがめろの答えだよ」
 ──胸に秘めた愛。
 どうか、暴いて欲しい。あなたの心に、咲いて欲しい。
「めろの愛も命もぜんぶ、あげる。……だから、めろがどこにいても探しだしてね」
「……俺の女だ。どこへ逃げようと、みつけてやるよ」
 代わりに手渡す──俺のしあわせ。
 例え全てを忘れても。必ずきみをこの腕の中へ、奪いに行く。

 たくさんのものを、一緒に見た。
 たくさんの想い出を、共に紡いだ。
 出逢った頃はまだお酒も呑めない齢だった。
 こうして離れていても、彼の黄昏の瞳は鮮やかに咲いていて、ラウルは自然と緩む口許をそっと隠す。
 だから。
 梔子の迷路の向こう側へ飛び出してきた姿に「シ、」いつもの反射を慌てて呑み込み、戯れを楽しもうと微笑み浮かべて。
「……初めまして」
 そう音に乗せた途端。
 すべてが冷たく凍り付いた気がした。
 ──あんなに、わくわくしてたのに。
 そのたったひと言が、シズネの耳に紡いできた糸がぷつりと切れる音を届けた。
 ──このまま失くして取り戻せないんじゃないかと、怖くなっちまったんだ、オレは!
「~~ッ! そっちに行くから動くなよ! ぜったいだぞ!」
 生垣越しに押し付けられた、梔子。
 指を指して、何度も確かめるみたいに振り向いて、怒鳴って、──誤魔化して。
 大切な君に、会いに行くから!
 彼の想いが、ただの造花から溢れるみたいで。
 その温かさが、凍り付いて褪せかけた世界を再び鮮やかに彩るのを感じるから。
 ──早くはやく、きみにふれたい。
 

作者:朱凪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年6月3日
難度:易しい
参加:28人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 10/キャラが大事にされていた 0
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