心弾む春、根のあるところに緑は茂る

作者:ほむらもやし

「嗚呼なんてこった、よりによって、どうしてこんなタイミングでデウスエクスが……」
 仕方ない。でも、やることは精一杯やろうよ。
 ここは山中にある美術館。
 広いギャラリーには、40余名の画家や研究者の大作や作品、数百点が展示されている。
「うーん、べつにいいよ。こうして皆の作品が一堂に集まるなんて壮観だし」
 集まったメンバーはある先生に師事した、生徒という共通項を持つ。
「というか、おまえ、卒業制作でもそれやってたよな——」
「まあまあインスタレーションも絵画表現のひとつだろう?」
 作品も研究も夢中でやっている間は、外野の反応は目にも入らない。
 それは皆似たようなものだった。
 本当に好きならば挫けることも諦めることもない。
 本当に好きだけど挫けてしまった者もいる。
 画家も作家も自身の中にある完成形と現実の差違との境界を越られるよう、一所懸命に力を尽くす。
 一所である、時間は有限であり、一生を掛けられる余裕など誰にも無い。
 午前9時30分、開場時間を過ぎて30分が経過したが、誰も来ない。
 やはり道を破壊されてしまっては、そうそう辿りつけるものではない。
「それはそれとして、2時間の迂回路を歩いて来てくれる人がいるなら、すげえ嬉しいし、感謝しないとな」
「どうやら、カードゲームで遊ぼうとか。言ってる場合じゃ無い——」
 だらし無さそうな風貌の男は立ち上がり、真面目そうな背広の男の肩を軽く叩く。
 そしてギャラリーの中をゆっくりと歩き始めた。

「箱根の山中にある、自然豊かな美術館がデウスエクスの襲撃を受けてしまいましたの」
 ナオミ・グリーンハート(地球人の刀剣士・en0078)はそう言うと、共に救援に向かってくれる者を募る。
 一番大きな被害を受けたのは谷に架かる橋。
 美術館は、この橋を渡れば、登山鉄道の駅からすぐ辿りつける距離だったが、橋が使わなければ、谷を迂回するしかなく、到着には数時間を要してしまう。
「幸い、人的な被害はありませんでしたわ。それから、美術館の建物や収蔵、展示作品群は無傷でしたので、急を要するわけではありません——が、良かったら共に参りましょう!」
 橋や道など被害を受けた場所にヒールを掛ければ、以前と同じように簡単に辿りつけるようなる。
「ケルベロスの役目がなければ、私にもやりたいことはありましたのよ」
 ヒールさえ終えれば、展示されている絵画作品を鑑賞をするのも、画家や研究者と話をするのも自由。
 新緑が萌え、花が咲き誇っている、春の一日、ヒールを終えたあと、どのように楽しむかはあなた次第。
 今日があなたにとっても、良い日となりますように。


■リプレイ

●野外散策
「チャチャっとしたら、意外に早く終わったな」
 この日、集まった9人のケルベロスの活躍により破壊された橋は、何事も無かった様に元通りに修復された。
 果たして、美術館には歩いて5分で行き来できるようになった。
 お礼とか歓迎とか、堅苦しいことよりも、休日を楽しみたい。エリアス・アンカー(鬼録を連ねる・e50581)は、交久瀬・麗威(影に紛れて闇を食らう・e61592)連れだって、彫刻のある庭の散策を始める。
「野外に展示ってのも、なかなか無いよな? 遠くに見える山や雲も作品の様に見える。確かに室内と違ってスケールがでかい」
 普段と違うは堕天使の如き言葉使い。失った記憶と地球での新しい体験、微妙に違う思考の重なりがそうさせるのか、単なる気分的なものかはエリアス自身だけが知ること。
「芸術云々はよく分からねぇが、自然の物じゃ無くて、人の手で作った——そうだな俺的に言えば、変な形の物だということぐらいは分かるぜ」
「変な物って、何だよ? 具体的に言わないと。さっぱり分からないぞ」
「確かに……。ようするにだな、おっ、あの平たい奴なんか、でかいステーキっぽくないか!」
「いや、あれは彫刻じゃなくて、美術館の建物だろう?」
「……え、俺だけ?」
 国立西洋美術館のように建物自体が見所である場合も少なくない。ゴミ箱ひとつも意図無く置かれている者はないのだから、そこにあるだけで楽しめるものを見つけたなら、それはそれでお得なことだ。
 天気は快晴、陽射しを返す若葉の緑が黄や橙、赤といった様々な表情を見せている。
「本当に沢山の彫刻があるのですね。——あの独特の形はどこかで見たことがありますの」
 武田・克己(雷凰・e02613)と並んで歩いていた、カトレア・ベルローズ(紅薔薇の魔術師・e00568)が目を細める。なぜだか分からないけれど、彫刻のフォルムを見ているだけで楽しく、クスリと吹き出してしまいそうな気分になってくる。
 それがフランス語でデフォルメという表現手法であり、その意味がポーズや形状を単純にしたり強調したりすることと知っていれば、なぜ強調されたかという疑問を抱き、意図を想像することできる。
 刹那に思考を巡らせつつ、美術が学校で学ぶ教科に含まれている理由が、2人ともに、なんとなく分かったような気がした。
「まあ、こういうの、俺はサッパリわからないつもりだったが、なんと言って良いか——実物を見れば、分かったような気がするのは不思議だな」
「私も同じようなことを考えていましたわ。展覧会の作品の方も楽しみですわね」
 実は、屋外に並んでいるのは、美術や図工の教科書にも掲載されているような有名な彫刻家の作品や現在活躍している造形作家の作品、美術館の学芸員たちも、調査や研究を深めるだけではなく、その成果が意義のあるものとして世の中に受け入れられるよう戦っている。

●展覧会場にて
 エリアスに分厚いステーキと称された美術館の建物内部、広大なギャラリースペースの一画に人が集まり、賑やかな気配ができあがっている。
 主に出品者とその関係者が、ギャラリートークという真面目なイベントのために集まっているのだが、端から見れば、まるで同窓会気分で駄弁っているという、誰でも近づきやすい気軽な感じだ。
「そうか、卒業しても続けている連中はこんな感じか」
 玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)は少し複雑な気持ちを抱きつつも、近づいて見る。
 だらしない身なりの者もいるが、堅い雰囲気が漂っている者が多い、大学の教授や中高の教諭という雰囲気だ。美術作品は好きで制作するものと思われがちだが、趣味の範疇で大作を制作するのは困難を極める、研究だという周囲の理解を得られなければ、あらゆる意味で活動は厳しい。
「私は並んだ作品を見るよりも、こうして描く人を見られる方が面白いよ」
 月杜・イサギ(蘭奢待・e13792)は無邪気に言う。
 絵画を見たって、自分にとって意味のある違いなど分かりはしない。
「阿蘇山と霧島山の違いって何だい? どちらも活火山だ。絵にすれば同じように見えるし、こんな描き方をしてあったら絵か風景か何かのオブジェか、明るいか暗いか——すらも、見るだけでは分からないよ」
「ふぅん。……うん、まあ、確かに物だしね」
 毛糸の帽子を被っただらしない身なりの男が、後ろを振り向くと呟く様に言った。
 その一言には、絵画を純粋に物質としてみれば、色の粒子である染料や顔料をメディウムと称する糊で布や紙などの画面に接着したに過ぎない。それらの塊を風景であるとか、光であるとか闇であるとか言うのは、人間が脳内で想像し、解釈しているだけというような思考が含まれているかも知れないが、そこまでは語らない。授業ではないのだから。
 と言うわけで、その想像力の源である人の方に興味が行くということは自然なことである。
「物としてはそんなところだろう。でも、俺にとっては、絵を描くことが、快感だったかな」
 ふと、真摯な表情を見せる陣内に、だらしない風貌の男は穏やかに目を細めて、前の方に向き直す。
 そんな、短いやりとりに、イサギは首を傾げている。
「んん、誤解を恐れずに言えば——描くことから逃げ回っていた時期に、空から天使が堕ちてきた」
 陣内はそう言いながら、相棒のウイングキャットを掲げるように抱き。
 思わず夢中になったよ。
 あんなに綺麗な生き物が目の前にいて我慢できるわけがなかった。
 ああ、あの夜のことかと、イサギは直感した。
 正直『綺麗だ』なんて俗っぽい賞賛は聞き飽きていたけれど、身体は痛いし無理な姿勢で、つなげたばかりの傷口からは血も出ていたはずなのに、顔を上げろやら羽を広げろやら……。
「君のことは、初めて見る種の変人だと、あの時は思ったさ」
「久しぶりに自分に正直になれたんだ、お前が俺の家にいる間は、ひたすら快感に耽る、それでいいんだと思ったんだよ」
「やっぱり変人だよ」
 揮発する松脂の芳香と油彩に含まれるワックスの独特の匂いを思い起こしながら、同時に、さりさりという描線を引く音、脱げとか脱げないとか、言い合いをしたこと、度数の高い酒に記憶が飛んだこと、五感に残る様々な記憶が走馬灯の如くに駆け巡る。
「うん、絵を描くことこそが、俺にとって、紛れもなく、快感だった」
「でも、楽しかったね」
 そう、辛み苦みばかりを味わったような記憶に流されがちだけど、陣内にとって、心が躍る瞬間も、確かにそこにはあった。

 世の中に広め、知らせたいことがあれば、大きな声で口に出して、SNSに書き込んで公開すれば良い。
 応えて貰いたい、日々の思いや気持ちであれば、友だちにだけ打ち明ければ良い。
 では、本当に大事にしていることは、どのように扱えばいいのだろう。

「ロンドンにいた頃は、よく美術館行ったけど、日本に来てからは美術館行く機会もあんまなかったし?」
 日本美術は全然詳しくないなと、桜庭・萌花(蜜色ドーリー・e22767)は首を傾げる。
 西洋画と呼称するのは、物の見方や表現手法の傾向を分かりやすく表すためのことだから、日本人が西洋の手法を使って描いた日本画とも言えるのだろう。
「あ、あの人知ってる、テレビにでてた裸の女の人を描いてる人だ」
 近衛・如月(魔法使いのお姉ちゃん・e32308)の指さす先には、パーマのようなくせ毛のある白髪頭のおじいさん。
「そうなんだね、ということは、やっぱりこのヌードって奥さんがモデルだよね」
「でも、あんまり似てないよ。絵の中の人は、奥さんと違って眼鏡もかけていないし……」
「どうだろうねぇ、どう思う」
 ちょうどマイクを持って話していた白髪のおじいさんが、萌花と如月の方を見てから、ゆっくりと微笑んだ。
 その脇でかなり美人の奥さんが、苦笑いを浮かべる。
「変な絵——女の人は全然似てないし、男の人は攻性植物みたいなのに食われているように見えるし……、なんで右腕が無いのかも分からないの……。書いてある数字も、飾りなのか、意味があるのかも分からない……、でも、大きな犬さんは、すごい優しそうなの……」
 テレビでみたおじいさんに向かって、如月は目に入ったものを、見たままに言ってみた。
「この頃は確かに、管理職の仕事が多くて、絵を描く時間がなかったからねぇ」
 別の方向からも入るツッコミにも応じつつ、番号は教職員のIDであるとか、ひとつひとつを解説することはしないが、おじいさんはのらりくらりと疑問を潰して行く。
「私、なんとなく、わかったかも。もなちゃん」
「そっか、よかったねー。やっぱり人がモチーフの作品は、興味が湧くよなー」
 言いつつ、さりげなく、萌花は如月の小さな手を、強く握ってくる。
「うん、やっぱりこれ、おじいちゃんの自画像なのよぅ」
 言葉には出来なかったが、何となく、周囲にある漠然とした、善とも悪とも分からぬそれに侵食されながらも、愛する者たちと共に生きているんだという力強い気持ちがそこにあるような気がした。
「あ、そういえば、この犬、ゴールデン・レトリーバーだよね、どうして?」
「その選択権は——私にはありませんから」
 萌花のなにげない問いかけに、おじいさんは即答すると満面の笑みを浮かべ、開場は笑いの渦に包まれた。
 感動体験や強い思いがどんなに素晴らしく人類に価値をもたらすものであっても、心の中にしまいこんで飾っておくだけでは誰も分からない。美術とは心の中にある事象を目に見える方法のひとつ。
 即ち、自分の最も大事なものを、正直にさらけ出すことが出来なければ、作品とはならない。
「テレビでみる博物館の絵って、堅苦しい気がするけど、だいぶイメージが変わった……かも?」
 ここにあるのは、誰にも媚びない作品ばかり、好きならば好き、嫌いなら嫌いなままで良い。
 作品への姿勢として、好きになる努力も、嫌われない努力も、しなくていい自由な場所だ。

「鉛板をボルトで固定しているのか、こうなってくると、洋画というのは何でもありなんだな」
 絵に顔を近づけていた、エリアスは感心した様に腕を組んで後ろに一歩下がる。
 少し離れて、遠くから見れば、軽く柔らかい布のように見えるのに、実際は重い金属の鉛というミスマッチがどういうわけか、心の中に引っかかる気がした。
 需要が欲する快いものを供給し、賞賛を得たいのならば、アーティストや研究者になる必要は無い。
 エディターやマーケターとなって、消費者の希望を叶えるほうが幸せになれるだろう。
 自分の一番大切なものを晒した結果、誰にも認められないという、経験は誰にだってあるはず。
 どんな酷い目にあっても自分の好きが変わらないなら、不器用な生き方も悪く無い。
「麗威の描いているのとは、違う雰囲気の作品もあるな」
「絵を描くと言う文化は、本当に奥深いなあ、こっちの風景も、その不可解な絵を描いているのと同じ作者のようだ」
 麗威の言葉を確かめるように、エリアスは絵の右下に貼られたキャプションを見ると、そこには第二次侵略期の始まる2015年の8月よりも前、2011年の春に、福島県の五色沼を描いた作品であると分かる。
「……こんなに美しい青光を放つ湖が、この国にはあるのか」
 美しすぎる青に一抹の不吉さを覚えつつ、麗威は作者である男のほうを見る。意外にもぱっとしない感じの背広姿のおっさんだった。
「地球人の人生など、たかだか80年ほどなのに——。積み重ねられた文化とは恐るべきものなんだなぁ……」
「たかだかと言われますが、80年は意外に長いです。そして、命が限られているからこそ、人間は本当に大事なものだけを、未来に引き継ごうとする——のかも知れませんわね」
 地球の文化は奥深いと感心する麗威に、ギャラリーに遅れてやって来た、ナオミ・グリーンハート(地球人の刀剣士・en0078)は、何とは無しに言った。
「わ、本当に、綺麗……景色も描かれてる人もすぅって目がいっちゃう……」
 如月もまた、五色沼を描いた青に目を奪われる、そして萌花もまた。
 100年後にここに展示されている作品の全てが保管されているかどうかは分からないが、もし幾つかでも受け継がれる物があるなら、現在を保存するものとしての価値が生まれる。
「克己も、こっちに来てみて下さい、面白い絵画とかありますわよ」
 ギャラリートークの人ごみから離れた、カトレアの声に克己は導かれる。
「お、どんな絵だ?」
「こういう絵ですわ。じつは、何が価値なのかは、想像できないですけど、とても心に響く感じがする——つまり、素敵な絵画ですわね」
「価値の有る無しが分かるより、そういう風に誰かの心に響いて残る物があるなら、いいんじゃねぇかな?」
「そんなものかしら?」
「たぶん。それが作者にとっても、いちばんうれしいんじゃないかな——と俺は思うな」
 克己の考えに、目を細めて同意を送るカトレア。
「うまいこと言いますの——なら、私、克己と二人で居る様子を、いつか絵画として描かれてみたいですわね」
「そうだな。俺も、何時か描いてもらいたいな」
 描く側も描かれる側も幸せになれる方法はある。
 絵描きも、ケルベロスも、自分が何者であるかを履き違えずに、前を見て、前に向かって歩き続ける点では同じだ。
 絵描きは描いた命に、ケルベロスは戦いで奪った命に、いつだって堂々と顔を向けられる、生き様をする。
 皆で修復した橋を渡って、観光客たちが、少しずつ美術館にやって来る。
 ——作品を発表する機会を守ってくれてありがとう。
 出品者の誰もが、手を差し伸べてくれたケルベロスに抱く、伝えたい気持ちだ。
 作品には、本当に大切な気持ちが存分に詰め込まれている。

 建物の外から強い風が吹きぬけて行く音がした。
 風に引き千切られたた若葉が、柱のように巻き上げられて、5月の強い陽射しに照らされていた。

作者:ほむらもやし 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年5月7日
難度:易しい
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 1
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