綻びへ蕾む

作者:皆川皐月

「三宅くん、そろそろ休憩にしますよ」
「はぁい!今行きます!」
 使い古し草臥れたエプロンを纏った老人が、思い思いに草花芽吹く庭へ声を掛ける。
 すれば、未だ声変わり前らしい少年が蔦薔薇の向こうから跳び跳ね手を振った。
「へへ……先生の淹れた紅茶、楽しみだなぁ」
 くふくふと嬉しそうに笑いながら、少年――三宅・東輔は眼前の薔薇へ薬液を散布する。
 春となった今時季、薔薇はまだ咲かない。
 今はそう、病気や虫対策に葉の裏から薬液を掛けて手入れをしてやる時期なのだ。指先で揉んで、緩み過ぎた蕾があれば勿体ながらず摘み取ること。
 薬液は上から掛けるのではなく、根に近い下の葉の裏から順に一吹き一吹きしっかりと散布すること。ずるも撒き忘れも、あってはないけない。先生が教えてくれたことは沢山あった。最初は分からないことも、忘れてしまうドジも沢山したけれど、今は。
 任されたこの一角が花を付けたのは初めてだった。
 上手くやったつもりで枯らしてしまったり、使いすぎては薔薇に負担だろうと勝手に考え薬液を少なくしたせいで虫がつきそうになったり。様々あったが、今年はとうとう花を付けたのだ。
 ただ庭を覗いていただけの自分を招き入れ、沢山の知識を授けてくれた先生にお礼がしたい。もう先は長くないから、自分の為に好きなように使いなさいと何をプレゼントしても上手いこと言いくるめられ、気付いたら手元にかえってきている。
 が。
「この薔薇ならきっと、先生も喜んでくれるはず」

 上手に咲けよ―――そう微笑む少年の頭上、薔薇の蕾へ妖しげな花粉が舞う。
 人を喰らえと花狂わせる花粉が、ふうわりと。

●四月の薔薇
「こ、れは……!」
「そう、噂の場所をとうとう発見しました」
 目を見開いたフィーラ・ヘドルンド(四番目・e32471)が耳先を赤くしながら震わせれば、その耳へ漣白・潤(滄海のヘリオライダー・en0270)が囁きかける。
 小さなメモには『純喫茶 薔薇色』の文字。
 酷く密やかに賑わう少女二人へ、集まったメンバーを気遣ったドルデンザ・ガラリエグス(拳盤・en0290)がこほん、と咳払い一つすれば、笑顔と正反対の涼やかな顔が返ってきた。
「皆さん、お集まり下さりありがとうございます。フィーラさんが心配された通り、都内住宅街にある薔薇が攻性植物と化し、近くに居た少年一人を取り込んだまま人を襲おうとしています」
「……阻止、しなきゃね」
 きりりとした潤とフィーラの様子に口を出すものは誰もいない。
 が、ちらちらフィーラが手元のメモを確認するのを横目に、静々と話は進んでゆく。
「攻性植物は赤薔薇が一体のみ。配下は無く、世話をしていた少年一人を取り込んでいます」
 イングリッシュガーデンを模した庭は都内の住宅街にありながら広大。
 丁度開けた東屋近くの薔薇を世話していた少年が取り込まれたのだと、潤は言う。
 攻性植物と化したばかりの薔薇は、ただ本能のままに行動するという。
 異常なほど鋭く成長した棘による刺突。濃密な香りによる惑わし、根を使った足払い。たった一体なのが救いだが、問題は――。
「捕まってる子……助けるには、ヒールしながら、だよね?」
「はい。フィーラさんの仰る通り、ヒール不能ダメージを蓄積させての撃破が救出の鍵になります」
 そう、と頷いたフィーラは静かに目を伏せたのち、ぽつりと。
「……大丈夫。薔薇も、その子も守って、この喫茶も、楽しめる」
「はいっ。大変な戦いになるかもしれません。ですがどうか、宜しくお願い致します」
 ひらりと揺れたメモ『純喫茶 薔薇色』は現場の庭と共に在る店だと潤は言った。
 隠れ家的だが穏やかで、紅茶とプリンの美味しい店だとも。事が全て上手く運べば、乾杯には黄薔薇色の菓子が相応しいことだろう。


参加者
隠・キカ(輝る翳・e03014)
輝島・華(夢見花・e11960)
フィーラ・ヘドルンド(四番目・e32471)
空野・紀美(ソラノキミ・e35685)
アベル・ヴィリバルト(根無しの噺・e36140)
カロン・レインズ(悪戯と嘘・e37629)
終夜・帷(忍天狗・e46162)
星奈・惺月(星を探す少女・e63281)

■リプレイ

●願わくは
 庭は春に満ち満ちていた。
 芽吹く若芽は瑞々しく、常緑の葉さえ春緑となって客人―ケルベロス―を迎えている。
 眼前に広がる、自然な風を装いながらも整えられた庭の姿にカロン・レインズ(悪戯と嘘・e37629)は人知れずほうっと感嘆の息を吐き、足元でカチカチと歯を鳴らすミミック フォーマルハウトも煌めくエクストプラズムで葉に触れてはぴょんと跳ねて喜んでいた。
 美しすぎる庭に赤すぎる違和感が一輪。
 春風を受け揺れる花の異形の姿は、カロンが何度瞬きしても消えることは無かった。同じ春風に遊ばれた蜜色の髪越しに、カロンは琥珀色の瞳を伏せる。
「……こんなこと、誰も望んでいなかっただろうに」
「うん……東輔のバラ、きれいだもん」
 ぎゅっと、大切な大切な相棒 玩具のロボット キキを抱きしめた隠・キカ(輝る翳・e03014)が件の東屋横で覚束ない足取りで揺れ動く攻性植物を見ながら呟く。
 彼の少年が心込めた薔薇の花一輪、今や育てた主人を喰おうとする悍ましい花と化している。本当ならただの花であるはずだった。ただ真っ直ぐな想い注がれた花。今はもうその面影さえ攻性植物は食っていた。何故なら、頭頂部に抱えた一際大きな蕾の色はキカの瞳に妙に艶めいて映るのだ。不思議と、ぞっとするほど。
 キキを強く抱きしめたキカの傍ら、並び立った輝島・華(夢見花・e11960)と空野・紀美(ソラノキミ・e35685)も無意識に眉を寄せていた。未だ咲かぬながら艶めかしい蕾。まだ花であった頃に散布された薬液を滴らせた葉を揺らし、根を蠢かせ前進しようとする――赤というには赤すぎる薔薇。
 相棒 ライドキャリバーのブルームの座面を撫でた華が隣を見ずに、ぽつり。
「人を食み咲こうなど、気が早すぎると思いませんか紀美姉様」
「うん。そーいうのは、ぜーったいだめだと思う。だって――……」
 “きっと、とーすけくんが咲かせた薔薇のがきれーだもん”。
 紀美もまた、青褪めた三宅・東輔を抱いた薔薇から目を逸らさずに華へ言葉を返す。
 二人の思いも此処へ集ったケルベロスの想いも同じであった。
 本来なら動くはずの無い花――三宅・東輔を喰らった攻性植物の蕾が揺れる度、終夜・帷(忍天狗・e46162)も違和感を覚えていた。
 すいと射干玉色の瞳滑らせ周囲を伺えば、今、この場で咲く花は少ないことに気づく。無意識に寄る帷の眉。思いたくもなかったが帷の鼻が感じる甘く濃厚な香りは、やはりおかしいのだ。
 改めて静かに、すんと鼻を鳴らして空気吸えば鼻腔を通し肺へ落ちる花の香。嫌に甘い、花の香。二度目ともなれば歴戦の感が脳裏で囁く。これは東輔を喰らわんとする奴が、更なる贄誘わんと発す香りだと。
 帷は瞳を伏せて口布を上げ、ゆらりと利き手を振るう。黙して、ただ空気払うように。すれば、滴る様に伸びたケルベロスチェインを静かに庭の石畳みへ落ちた。
 低くも静かな声が、告げる。
「始めよう……」

●この声を、
 奔った銀鎖。浮かぶ守護方陣。
 皆々長丁場の戦いになることを前提に守備を重ねんとすれば、後方からまるで夢のように美しい光の蝶が盾の加護齎す羽ばたきと共に前衛陣への肩へと止まる。
 ふう、と掌に集めた光へ生命の息吹贈ったフィーラ・ヘドルンド(四番目・e32471)が囁いた。
「……――どうか、守って」
 願うは全て。
 東輔も、東輔を救わんと集まった皆も、全て。
 祈り込めるフィーラを横目に、アベル・ヴィリバルト(根無しの噺・e36140)は鋼を一刀抜く。
「赤薔薇の赤は、血色じゃねぇ。だから――」
 狩りと食事の時間だ、とアベルは龍を呼び起こす。
 アベルの一閃は冴えた色。乗せた藍紫の龍は、本能のままに奔って、奔って、貪欲に瑞々しい葉を食い千切る。
 更にその傷口へ重ねられたのは流星の一蹴。鎌首擡げた薔薇を横目に、星奈・惺月(星を探す少女・e63281)は酷く落ち着いた瞳を瞬かせた。
「東輔の努力……傷つけさせたり、しないから」
 込めた想い強く踵振り抜けば、切り落とされた葉が瞬く間に萎れ腐って消えていく。

 デコレーション満載のルーンアックスを、大きな蕾へ叩き下ろす。
「もーっ!……ごめんね、痛いよねぇ」
 どうっと叩き込まれた刃の痕が、赤鮮やかな蕾に深々と刻まれた。
 近くで見えた青褪めた東輔の顔に紀美は唇を噛みしめた。苦しそうな顔、浅い呼吸。未だ安定はしているが、少しでも早く救出せねばと紀美はルーンアックスの柄を握りしめる。
 キカもまた静かに東輔の呼吸に集中していた。
「きぃたちが、絶対に死なせない――東輔、ちゃんと先生にバラをわたさなきゃ」
 ちゃんと咲かせて、ちゃんと渡すこと。
 植えた時からそう願い込めていた東輔を助けんと、キカは七色の釣り鐘花に煌めき実る黄金を一つ空へと解き放った。すれば、前衛陣の頭上に飛んだ黄金の果実が眩い光をもって魔除けの加護を与えてゆく。
「さ、頼んだよフォーマルハウト」
「行きなさいブルーム、伝えた通りです」
 カロンの言葉に飛び出したフォーマルハウトが勢いよく根に食らいつけば、細い指で座面撫でた華の送り出したブルームが追うように根を引き潰していく。
 カロンの指示は東輔救出のためフォーマルハウトの愚か者の黄金を封ずること。
 華とブルームの約束もまた、東輔を傷付けないようにするためデットヒートドライブを使わないようにすること。それぞれの相棒たちは二つの約束と共に、巨大なる花へ牙を剥く。
 ドルデンザ・ガラリエグス(拳盤・en0290)が皆々に倣うように前衛陣の頭上へ銀の粒子を降らせれば、華も合わせるようにライトニングロッド 叩いて治す杖の先端に湛えた電気を前衛陣の対身体異常対応雷壁の構築へと回す。
「おじ様、皆様の回復は私とフィーラさんが。サポートをお願い致します」
「はい、ありがとう華君。宜しくお願いします」
 華の分かりやすくも簡潔な言葉にドルデンザは頷いて、長丁場に備える癒し手達は神経を張り詰めさせていく。
 葉を切り落とされた赤薔薇の傷は未だ浅く、多少青褪めた顔をしている東輔の呼吸は安定している。幸運なことに前衛陣へ送られたキカの果実の加護は満遍なく行き渡っている――ならば、と断じたのは一瞬のこと。カロンは静かに携えたライフルのスコープを覗き引き金を引いた。
「君のこと、必ず助けます。だから今は少し、耐えてくださいね」
 祈る様に囁いたカロンの声を背に、帷は地を蹴る。
 柔らかくも堅牢な盾の加護に、僅かに肌泡立て引き締める雷壁の加護。きろきろと視界の端で瞬くオウガ粒子が、帷の視界を明瞭に晴らす。そうして幾重にも重なった加護はしなやかな帷の体を温め、引き戻したケルベロスチェインへ心の奥底から沸き立つ零の怒りを雷の如く伝えていく。
「庭師の夢は、潰させない」
 淡々とした言葉。幽かな風切り音。
 爆ぜた雷の火花を、赤薔薇は見ただろうか。瞬きより速き加速で投擲された鎖の先は、誰一人の視認許すことなく茎とは思えぬ太さと相成っていた部分へと突き刺さっていた。帷の指先が鎖を引いた瞬間に爆ぜた怒號雷撃が茎の表皮を焼き切り、赤薔薇の全身を痺れ伴って駆け抜ける。
 声帯があれば激しい悲鳴を上げ、のたうっただろうが、赤薔薇は苦し気に蠢いた後、返すように鋭い刺突で帳を貫く。
「……っ、」
「とばり」
 重なる盾の加護が、腹の中央狙った棘を逸らす。
 それでも脇腹を貫通する痛みに呻いた帷を包んだのは、背後から飛んだフィーラの放った夜色の葉雨。塞がれた傷口通し防具の力削ぐ呪いの解除と同時に塞がれた傷口から手を放し、再び帳は前へ立つ。
 帷の傷癒したフィーラと息を合わせて踏み込んだアベルは東輔越しに薔薇を見た。
 虫食い一つない葉。丁寧に散布された薬液。栄養蓄えた花蕾。
 どこを見ても気合いを入れ手塩にかけたということが、分かる。分かるからこそ、今この花を断たねばならない。纏ったバトルオーラ Zu verfolgenを燃やして一歩。
「ふっ―――」
 アベルの短い呼吸は、達人の域。
 踏み込みながら呼吸と空気に抗うことなく足を振り抜けば、鎌首擡げた蕾の側面を深く打つ。
「――負けんなよ」
『っ……ぅ、あ、せ――、せ』
 東輔の唇が“せんせい”と動いたのはその時だった。
「だめ……っ、カロン!」
「ええ、大丈夫――……どうか今だけは、私の話を」
 咄嗟に声上げたキカがカロンを呼ぶ。
 すれば、煌めく風を伴い揺れる黄金の鐘が鳴る。空気を揺らし伝搬させる、語り手の魔法。少しずつ言葉変わりながらでも口伝えに語られる、祝福と幸運と―――今日この日だけ、少年の命救わんと願い込められた鐘が響き渡る。
「諦めない君へ、僕からの魔法を贈ります」
「そう、東輔は頑張りやさんだから……きぃも、」
 守るよ。
 耳を擽ったのは、夢を紡ぎ出し癒すキカの柔らかいソプラノ。
 傷癒えた分、根へ食いつくフォーマルハウトが再び歯を立てたことで、戦いは再開した。
 紀美がキカを見る。出た合図は“いっていいよ”と簡単に。
「おっけー、まっかせて!惺月ちゃん、いける?」
「ん、大丈夫。……紀美、あわせるよ」
 ィン――と、惺月の指先がバイオレンスギター Melody Starを爪弾く。集中する時は音楽に乗るのが良い。こつこつと惺月が面をノックすれば合わせて紀美がステップ。軽やかに飛び越えた蠢く根を背に、腰に携えた小瓶の栓を抜く。
「いーっくよー!」
「……その棘、もらうね」
 紀美の腰元から飛び出したブラックスライムが赤薔薇の茎を喰らう。
 静かに瞼上げた惺月の瞳が赤薔薇を捉えた瞬間、伸びきった棘がボッ――と弾け飛んだ。
 二人の放った戒めが今まで幾つも重ねられた戒めと複雑に絡み合い、赤薔薇を締め上げる。
 瞬間――、ごうと地面が蠢いた。
 浮いた石畳が爆ぜる。その下、まるで別の生き物のようにぐねぐねと蠢いたのは赤薔薇の根だ。都合良く根と花の間にいた紀美ごと前衛陣を引きずり込まんと、奔る。
「きゃっ」
「空野さんっ……!フォーマルハウト!」
「いけません、ブルーム!」
 根に食いついていたフォーマルハウトがカロンの声に従うや、エクストプラズムで紀美の足元を持ち上げてぽーんと跳ばす。ライト点灯させたブルームが足場を継ぎ、狙うは脱出。
 当の紀美はといえば、驚いた面持ちのまま。咄嗟に帷が引き上げ逃した瞬間、唸り上げる根は海の如く。
 手始めに根が襲ったのは傷だらけのフォーマルハウト。容赦無く破砕。次いで帷が砕けぬと分かれば、その足首に根を絡ませたままワザとらしく吐き飛ばす。更に、邪魔をしたことを許さないと言わんばかりに、ブルームの一輪へ執拗に根を絡め縫い留めた。
 花が笑う。
 呻く東輔の声苦しげなことさえ、喜々として。

 誰もが東輔を助けたいと願った。ゆえに攻性植物を癒す術は足りていたがあと一歩、癒せぬ傷を刻む術が、あと一歩。
 しかし心は揃っていた。
 癒すべき時を見極め奔走するキカとカロン。体を張り守る帷とサーヴァント達。体を張る彼らを護らんと画策する、フィーラと華。東輔のため刃を振るう紀美。的確に役目を全うするアベル。
 今、自身に何ができるのか。
 惺月の脳裏を過ぎった一曲が、自然と弦を爪弾かせる。微かな始まりは鼓動の様に、自然と紡いだその歌は――悠久のメイズ。
「まだ、終わらない……ちゃんと、東輔も、庭も、返してもらう」
 伸びやかな声が紡ぐ奇蹟願う禁歌は、耳無き薔薇の心さえ捕らえてみせた。
 重なり合った戒めが重たげな音を立てて薔薇を抑え込む。
 今と声上げたのは誰だったか――大きくなりすぎた花の影から音も無く飛び出した帷が、揺らぐ影に鋭く手裏剣を突き立て縫い留める。
「――捉えた」
「ああ、こりゃ随分と良い位置だ」
 アベルがわらう。
 振るった如意棒 Zerstorungは抵抗する棘の先端を片端から折り丸くして。赤薔薇が身をよじる。嫌だと、やめろと、不意打ち狙わんと伸ばされた根一本。アベルの足目掛けたそれは、フィーラの禁縄禁縛呪が捕えていた。
「させない、から」
「そうだよ!お世話してくれたとーすけくん、殺させたりなんてしないから!」
 人差し指と親指を銃の様に構えた紀美が、叫ぶ。
 東輔の想いも、心も、邪魔させない。ぜったいいや!と想いを込めて。今日の為に整えた爪先には赤とは対のような白薔薇とベースの夜空に射手座の魔法。
「つぎは、とーすけくんの番だよ!」
 心と同じく真っ直ぐな一矢が、寸分違わず花を射抜く。

●咲くまでひみつ
 東輔が目を覚ました時、ほんの少し幻想的になった庭が出迎えた。
「あーっ!とーすけくん起きた!」
「えっ……?あ、っと、お客様ですか?」
「ちがうよ。あのね、東輔は――」
 事情を説明したのはフィーラだった。聞いた東輔は一瞬驚いた顔をしたものの静かに受け入れ、ぽつり。
「もう薔薇は……」
「だいじょうぶ。東輔のバラは、きれいだよ」
「ええ、お顔お上げになってください」
 キカが袖を引き、華が優しく背を撫でる。見上げた先、柵を整えたドルデンザと帷が離れた場所には艶々の薔薇が生き残っていた。
 目を見開き唇を震わせ涙する東輔に、喉を鳴らして笑ったアベルが眦緩ませ肩を叩く。
「頑張ったお前さんの薔薇に、手出しなんざさせないさ」
「ばら、ありがと、ございっます……!!」
 泣き腫らした目のまま店へ行けば、驚いた“先生”が冷えたプリンと甘くないミルクティーを淹れ、東輔をカウンターに座らせた。慌てて奥に引っ込んだと思えば熊のぬいぐるみを東輔に抱かせ、まるであやす様に諭すように語りかけている。しかし東輔は“手入れ中に転んだところを、お客様が助けてくれました”の一点張り。
 挙句、“先生、お客様に――”と動こうとすれば先生は即座に座らせて。“転んだ今日は大人しくしていなさい”と。
 親子かと見紛う二人に、微笑みが伝搬した。

 フォーマルハウトに瞳があれば、紀美と同じくらい輝かせていたことだろう。
 カロンのサンドイッチをじっと見つめた後、行儀よく椅子に座る姿に華達はこっそり微笑み合った。まるで幼子のようだと。
 皆々手元にお茶が揃った所で硝子ぶつかる涼やかな乾杯の音。
 紀美達と花の話の傍ら、プリンとミルクティーに舌鼓打っていた華はふと隣を見た。すれば、喉鳴らしたドルデンザがミミックに手を伸ばしている。乾杯後にカロンから貰ったサンドイッチをエクストプラズムの中へ沈めたことが気になるのだろう。
 と、いつのまにかドルデンザの背後に居たカロンがぼそり。
「ドルデンザ様、噛まれますよ」
「っ……?!」
 息飲み手を引くおじさん。エクストプラズムで“?”を作るミミック。一瞬の静寂。
 冗談ですとカロンが微笑んだ瞬間、一部始終を見ていた華は吹き出してしまった。すれば、なになに!と興味津々の紀美とキカ。その流れを止めようとドルデンザは四苦八苦。
「ふふ……やっぱり、みんなと一緒、うれしいね」
 くふくふ密かに微笑んだキカの瞳が、差した春陽にゆるく透けた。

 切ったばかりの髪を、千鶴はくるり指で絡める。
 向かいの帷は涼しい顔で、淑やかな雰囲気漂う店に少し落ち着かない。
「千鶴……俺はお勧めのミルクティーとプリンにしようと思うが――」
「……プリン!わ、私もすごく食べてみたい!あ、でも……帷さんのと別の、選んでもらっても、いい?」
 迷っちゃうの、と瞳伏せた千鶴の言葉に帷が思案したのは少しのこと。頼んで暫し、千鶴の前には薔薇の如く絞られたクリーム冠頂く紅茶プリンが震えていた。
「す、すごい……!帷さん、一口……いる?」
 感嘆の息吐いた千鶴がそっと問えば、目は口程に物を言う帷がこくりと勢いよく頷いて。
 私にも一口ちょうだい?と小首傾けた乙女の願いは、唇の受け止めた銀匙が全て。

 フィーラが惺月とアベルと共にメニューと睨めっこしていたのは先程までの話。
 今は、真白い皿の上で天鵞絨の如く艶やかなソースに絡めたハンバーグに舌鼓を打っていた。ナイフを入れる度に立つ湯気さえ味がしそうな気がする。
 一口噛みしめれば肉汁が口内を満たしていた。後味に感じる赤ワインの濃厚さと独特の旨味と苦みに大人の特権を感じながら、視線をソファ席隣に座るアベルへ。
「アベル、おいしいね」
「ん、そうだな」
 瞳をとろりと緩ませて、フィーラが差し出したハンバーグはソース滴る前にアベルの口へ。一足早いがカラメル零れる前にフィーラの唇へ冷えた銀匙から絹舌触りのプリンが届けられる。
 ミルクティーの氷が遊ぶ、穏やかな一時は二人のもの。
 かろりとミルクティーの氷が揺れる音を聞いた時、惺月が振り返ったカウンターに東輔一人だったのだ。配膳と調理に追われる先生を目で追う背を叩いてしまったのは、無意識。
「君は……あの、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして……東輔は、お花に詳しいの?薔薇が一番、好き?」
 何気なく話始めたのは花のこと。これなら話し易いかと考えた惺月の勘は、当たっていたらしい。
「うん。男だから、あんま花の話してくれる人居ないけど……薔薇は、種類が豊富でね」
 ぽつぽつと続く会話。
 静かなクラシック流れる店内で惺月と東輔の会話は花から花言葉へ、贈り方への相談へ。無表情ながら瞳に感情写す惺月に東輔は自然と微笑んで。

 流れゆく穏やかな時間は、日が傾くまで。

作者:皆川皐月 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年4月21日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 0
 あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
 シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。