朱鷺色の人生

作者:藍鳶カナン

●時の珠
 美しい桜が咲き誇っていた。
 桜色と呼ばれる淡い淡い桃色よりはもう少し、ほんのりと紅を差した薄紅色。
 街郊外の屋敷を抱擁するように朱鷺色(ときいろ)の花々を咲きあふれさせる庭木の桜、ここに住まうひとに訊ねればその品種の名前を教えてもらえたのだろうけれど、あいにくと冬からこの屋敷にはひとの気配が絶えたまま。
 けれど今、招かれざる客が屋敷を訪れていた。
 外から鍵を弄って開かれたのだろう窓から桜が舞い込む書斎で、機械脚を持った宝石――コギトエルゴスムがそこにあった銀の懐中時計の蓋を開く。
 蓋の内側では朱鷺色の瞳の少女が微笑んでいた。
 何年も前に動かなくなってしまったと思しき時計、けれどそれからもずっと大切にされ、丁寧に磨き込まれてきたと察せられる品。蓋の内側の写真は少女の姿と見えたけれど、その長い人生を感じさせる眼差しが、彼女がドワーフの老婦人であることを物語る。
 硝子で透かしみえる時計の内部機構では、彼女の瞳と同じ朱鷺色の宝石が煌いていた。
 歯車の回転の摩擦に耐えうる硬度の高い合成ルビーが部品に使われるのはよくあること。コギトエルゴスムはその懐中時計に融合し、やがて写真の彼女と何処か似た、銀色の身体と朱鷺色の瞳の機械人形に生まれ変わる。
 機械の少女は新たな身体の作動状態を確かめるよう、暫く書斎に留まっていた。
 けれどそれも、庭を通って玄関先にやってきたひとの気配を察するまでのこと。
 母娘と思しき二人連れだった。手にはこの家のものらしき鍵。
「ねぇママ、おじいちゃんこの家にはまだ戻らないんでしょ? 何しに来たの?」
「だっておじいちゃん、退院したらそのまま別荘にいって療養しましょうって言ったら、『わしゃ朱鷺子(ときこ)が一緒じゃないと行かん!』って。ほら、時計技師だった朱鷺子おばあちゃんが作った懐中時計のことよ」
「もー。入院中は『病室になんぞ朱鷺子を連れて来られるか!』とか言ってたくせにー」
 ほんとは寂しかったんだ、と少女がくすくす笑う。祖父が亡き祖母を愛し、その形見たる懐中時計を大切にしていることを擽ったくも嬉しく思う声だ。
 母娘の瞳も朱鷺色だった。鍵を開け、扉を開いた二人の朱鷺色が最期に映したものは。
 彼女達の命とグラビティ・チェインを求める、銀色と、朱鷺色の――。

●朱鷺色の人生
 ――これを私だと思って、懐に抱いていて。
 きっとそんな言葉とともに贈られた懐中時計なのだろうと思えば、
「とても御主人を愛していて、そして愛されているのね、朱鷺子ちゃん」
 織原・蜜(ハニードロップ・e21056)の紫水晶の瞳に自然と柔らかな光が燈った。
 けれど彼が憂慮した通り、愛しきひとの遺した形見として壊れてもなお大切にされていた懐中時計がダモクレスとなる事件が予知されたからには、座したままではいられない。
「その朱鷺子さんが遺した時計が彼女の娘と孫を殺す、なんて最悪の事態が回避できたのは蜜さんのおかげだね。連絡がついたから二人は大丈夫。近隣にも避難勧告済みだから……」
 後はあなた達に、このダモクレスを撃破してもらうだけ。
 天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)がそう語り、
「終わらせてあげて。彼女が誰かを手にかける前に」
「ええ。させない。させやしないわ、そんなこと。――絶対に」
 皆へ願えば、真っ先に頷いた蜜が、そうよね? と仲間達に微笑んだ。
 現場への到着は、敵がまだ書斎にいる間のこと。
「あなた達はヘリオンから直接庭へ降下して。気配を察知すれば敵も庭に出てくるからね。玄関でなく書斎のほうに回ってくれれば、窓から出てくるはずだよ」
 このあたり、と見取り図を示す遥夏。大きな庭の中でもひときわ開けた処で、そこでなら戦いの妨げとなるものもない。
 叶うなら壊れたくはなかった――そんな懐中時計の想いのようなものを受け継いだのか、敵は護りに長け、損傷と状態異常を修復する回復機能を備えている。
「攻撃は、時計の針を撃ち込んで麻痺をもたらす技と、標的に『自分自身の幸福な思い出を投影させる』範囲魔法。この魔法を受けると記憶の中の幸福な思い出の幻が見えて、それに浸りたくなる、足止めの術だね」
「……何だか分かる気がするわ。きっと『おじいちゃん』がその懐中時計を抱いて、何度も朱鷺子ちゃんとの思い出を胸に甦らせていたんじゃないかしら」
 朱鷺色の幸福を、何度も、何度も。
 紫水晶の瞳に何処か遠い、けれど幸福な光をひととき宿した蜜が視た幸せの彩を知る者は恐らくいない。だが、すぐに溌剌とした笑顔を仲間へ向けた彼と、皆の決意はきっと同じ。
「行きましょう、皆。愛しい時の色を、血の色に染めないために」
 敵を倒せば懐中時計も消滅するだろう。
 けれど、愛しいひとの形見が、愛しく思い返せるもので在り続けられるように。


参加者
シル・ウィンディア(蒼風の精霊術士・e00695)
イブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)
ムジカ・レヴリス(花舞・e12997)
織原・蜜(ハニードロップ・e21056)
イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)
左潟・十郎(落果・e25634)
マヒナ・マオリ(カミサマガタリ・e26402)
クラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)

■リプレイ

●朱鷺色の時間
 春の陽射しを連れて降り立つ先は、朱鷺色の花霞に抱きすくめられた屋敷の庭。
 主不在の屋敷で待つのは、彼の懐、ハートの傍で日々を刻み寄り添ってきた懐中時計だ。彼の亡き妻が手ずから生み出し、今もその名で、朱鷺子と呼ばれて愛しまれる大切な形見の品だモノ――とムジカ・レヴリス(花舞・e12997)は胸を弾ますけれど、
「ね、朱鷺子さんを玄関でお迎えするのはどうカシラ?」
「そっちで戦うと絶対あの玄関脇の桜を傷めちゃうよ! 書斎のほうへ行かなきゃ!」
 朱鷺色の花咲く桜の樹々に護られた玄関へ向かおうと皆を促す彼女を、花木もその実りも愛しむイズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)が引き留めた。
 予知情報を基にしたヘリオライダーからの要請とは異なる行動を取れば、想定外の事態や被害を招く危険性があるのは皆が識るところ。話し合っている暇はない。この庭に降下した時点で相手は此方の気配に気づいているはず。
 迷わずイブ・アンナマリア(原罪のギフトリーベ・e02943)は白薔薇咲く髪を踊らせ、
「窓が壊されるかもって心配ならしなくていいぜ、ムジカちゃん!」
「ええ。予知情報で聴いたとおり――ほら!」
 書斎側へ駆けるイブに続く織原・蜜(ハニードロップ・e21056)が明るい笑みと眼差しでその先に大きく開けた空間を示して見せた。広々としたそこでなら屋敷も庭木達も傷つける恐れはなく、そして。
 予知の光景の通り、書斎にコギトエルゴスムが侵入した時点で『窓は開かれている』。
 開かれた窓から銀色の少女が軽やかに庭へ跳び出してきたのを認めれば、
「来たよ、皆! ――この流星の煌き、受けてみてっ!!」
 白銀の翼咲く靴で春風を翔けて、シル・ウィンディア(蒼風の精霊術士・e00695)が狙い澄ました流星となって降り落ちた。直撃したその威を交差した両腕で半減させてぴょこりと跳び退った敵、触れれば冷たいだろうその姿が愛らしく感じられるのは、少女のなりである所為か、蘇芳染めを思わす柔らかな色彩の瞳の所為か。あるいは、
 ――時計の抱く家族への愛情ゆえか。
「……大事な思い出を、禍事に染めちゃ駄目だろう?」
 応えはないと識りつつ優しく窘めるよう少女へ語りかけ、左潟・十郎(落果・e25634)は前は俺が、と仲間へ告げると同時に術を編む。
「ならワタシは後衛に。アロアロはイズナに祈りをお願い!」
 淡い輝きで前後衛を包み込んだのは十郎とマヒナ・マオリ(カミサマガタリ・e26402)が贈るエクトプラズムの加護、南国の花めくたてがみを震わす臆病なシャーマンズゴーストも唯一の中衛たるイズナへ加護の祈りを捧げた、瞬間。
 少女が空中に顕現させた、幻の時計の針がめぐる。
 後衛をめがけ、きらり、きらりと朱鷺色の光が降りそそぎ――。
 咄嗟にマヒナを庇ったクラリス・レミントン(夜守の花時計・e35454)の視界のすべてを森の木洩れ日で彩った。新緑の煌きに思わず眼を細めれば、当たり前のように現れたのは、故国を発ってからずっと逢っていない父と母。頭を撫でて、抱きしめてくれる二人の笑みと大切に愛しまれる幸福感。それらは勿論旅立つ前の思い出で。だけど、
 ――もういいかな。
 宿敵を倒し、父との約束を果たした時にそう思ったことを、見透かされたみたいで。
「……大丈夫だよ。いつまでも、子供ではいられないから」
「その調子だぜ、クラリスちゃん!」
 今日という日の花を摘め、と秒針までもが歌う銀の懐中時計を抱きしめて、世界を愛する者達へ歌を贈れば、眼前の世界を愛しむ恩恵を受けたイブが纏う光の文字が躍った。綴られ翔けた気咬弾が銀色の少女の胸へ届けば、確実な狙撃点を獲った蜜の轟竜砲が少女の軽快な足取りを鈍らせ、春の空へ舞ったムジカが鮮麗な一蹴を見舞う。
 だが、
 ――琴ちゃん……!!
 星の煌き纏う竜の槌から彗星のごとき砲撃を放ったシルの傍らに、朱鷺色の光から変じた少女が寄り添った。黒髪の少女の頬が薔薇色に染まればシルの頬にも、左手薬指の指輪にも熱が燈るよう。一緒に笑みを咲かせて、大好きと伝えあって、そして――。
「シルちゃん、針が来るわ!」
「いや、通さない!!」
 幻に足を鈍らせる彼女へ銀色の腕が向けられる。蜜が声を張ったのと十郎が大きな白衣を翻したのはほぼ同時、撃ち込まれた大きな時計の針、己が身で受けたその威を紺青のリネンシャツで大幅に殺し、先の加護で痺れも克服して、彼は流体金属の粒子を解き放った。
 神霊が十郎へと祈りを贈れば、マヒナは幻の影響が残る後衛陣へエクトプラズムの加護と癒し手の浄化を重ね、九尾扇の幻影を三重に纏ったイズナが更に扇を踊らせる。
「援護するね、蜜! ばっちり決めて!」
「ありがと、イズナちゃん! 任せて!」
 贈られたのは幾重もの幻影、搦め手を強めるそれらを連れて、蜜は掌に生み出した極小の星を撃ち込んだ。煌くカプセルは銀色の喉に爆ぜて神殺しのウイルスを振り撒いて、そこへクラリスの手で杖から戻った黒兎が跳び込んでいく。
 ――形見の記憶が、故人の想いが、誰かを傷つけるなんて。
 あってはならない。
 強く萌す想いはきっと皆も同じ。魂に刻まれた教えごと十字架を握り込んだまま、イブは薔薇の刻印咲く大鎌で少女の護りを穿つ。
 恋しい記憶は、溺れるものではなく――。

●朱鷺色の夢幻
 輝きが溢れだした。
 空中に幻の時計が見えた、と思った時にはもう、眩くも優しい光が降る樹々の傍にいた。大切なひと達がイズナを呼んでいる。もう名前も思い出せない皆との遠い幸福の中、輝きを燈す果実を両腕に抱え、満面の笑みで皆を迎えて。
 神々にエインヘリアルが叛旗を翻す前のアスガルド。
 もう戻らない、楽園の日々。
「でもわたしは立ち止まらない、その想いを超えてゆくんだから!」
「幸せな思い出は足を止めるものじゃない、ワタシもそう思うよ!」
「うん、それでこそイズナさんだよっ!!」
 唯一の中衛たる彼女に確実な浄化を、と織り上げたマヒナの光り輝く花輪にふわり首元を彩られた瞬間、戦乙女は己が光翼を強く輝かせた。頼もしさに破顔したシルが流星の蹴撃で銀色の少女を退かせた隙に、
「ムジカ! わたしの焔を連れていって!」
「勿論ヨ! イズナちゃんの想いも連れていくわネ!」
 琥珀に光を燈すかのごとき金色の焔、イズナの掌から贈られた煌きで幾重にも力が高まる様を感じつつ、ムジカは舞踏靴に灼熱の輝きを連れて銀色の少女へ躍りかかる。彼女が罪に穢れることを誰も望みはしない。そして、幸せな時に抱かれたまま、留まって――なんて、酷く魅惑的ではあるけれど。
 足を止めては、いられないから。
 胸に沁む光景だった。
 朱鷺色の桜が春風に舞う庭で、朱鷺色の光を呼び水にした幸福な思い出を甦らせるたび、須臾の間それに包まれた皆の眼差しがより強く前を向く。
「……眩しいわ。とっても」
 少しだけ眦を崩すよう笑んで、蜜が銀色の少女へ向けたのは電光石火の蹴撃。
 時計から生まれた少女の裡で歯車が麻痺に軋む。針は止める事が出来るのに。
 ――どうして時は心を置き去りにして、残酷に動き続けるのかしら。
 ひときわ優しい朱鷺色の光が銀色の少女を包んだのは、そのときだった。
 幾つもの傷が、幾つもの縛めが消えてゆく。
 だが、神殺しのウイルスに冒された喉元から再び銀色の少女に罅が咲く。
「ワタシ達も、できるなら壊したくない……でも、止めさせてもらうね。だって――」
「今のアナタの状況、朱鷺子さんだってきっと望んでないモノ!」
 誰にも癒しが必要ない機を掴んだマヒナが引くは神聖なコアウッドから作りだされた弓、逃れんとする少女を追尾する矢を追うよう、十郎の流体金属で冴えた感覚のままにムジカも刃のごとき蹴撃を閃かす。
「行けるかしら、クラリスちゃん!」
「うん、行ける! ごめんね朱鷺子さん、ちょっと痛くするよ」
 ――ゆめゆめ、わするることなかれ。
 一瞬で狙い定めた蜜が神殺しの星を撃ち込み、続け様にクラリスが微睡むような三拍子で詠唱を口遊む。星の重力に惹かれる命なれば、いつか必ずさよならは訪れる。然れど予知で語られた終わりは拒まずにはおれないから、地から溢れる蝶の竜巻で銀色の少女を呑んだ。極彩色の翅の煌きが少女のいのちを奪い、癒しを阻む。
 刹那、空中に幻の時計が顕現した。
 標的は前衛陣、きらり、きらりと朱鷺色の光が降りそそぎ――。
 一瞬でムジカの世界が鮮やかな輝きと華やかな音楽に満ちた。
 懐かしい潮の香り、陽気なひとびとが笑う港町。誰より愛したひとの手が、何より愛した競技ダンスの世界へムジカを誘う。けれど『彼』の手は取らず、小指にガーネット煌く手を握り込んだ。亡きひとでなく、小指に同じ煌き燈すひとの手を取って、幸せを刻んでいく。
 足を止めるということは、アタシが終わってしまうということダカラ。
 翻る薔薇色のストラ、振り返った大切な面影にイブの眦が緩む。
 神父様に慈しまれ育まれた日々は今も愛しく胸に燈るけど、還りたいと望む迷いは宿敵とともに淘汰した。懐かしく思いはすれど、恋しさは今、別の面影に咲く。
 柔らかな白が十郎の視界を覆った。
 風に揺れた白衣、それを纏ったひとが、育ての親が穏やかに笑いかける。
 ――お前はうちの子なんだから。
 分厚い手で頭を撫でられれば、あの日へ、子供の頃へ還った気がした。胸に初めて萌した『家族』の実感が、擽ったくて、嬉しくて。
「……甘い夢に浸る脆弱さは、いっとう嫌いなんだがな」
「僕はこう思ってるぜ。恋しい記憶は溺れるものではなく、飾るものだ……ってね」
 ――神父様の遺した十字架が 今も僕に強さをくれるように。
 仄かな苦さを滲ませた十郎の呟きにそう続け、イブは神父様の十字架を手に、今誰よりも恋しく思うひとを連れて、絶大な威力を乗せた歌声で銀色の少女を抱擁する。幸せな記憶は大切に心に飾って、新しい幸いへ手を伸ばす。
「飾る、か。そんな考え方もあるんだな」
 浸るでも溺れるでも、仕舞い込むのでもなく。
 熊の爪痕を繕い紫苑の繍で彩った己の鞄へと思いを馳せたのも一瞬のこと。吐息で笑んで十郎は、己が影から溢れた闇色の群狼を銀色の少女へ奔らせた。
 いつか、叱責せずとも前に進める己になるために。

●朱鷺色の人生
 春風に舞う桜より優しく、朱鷺色の魔法の光が降りそそぐ。
 然れど幸福な幻を更なる光へと昇華するように、マヒナの舞に導かれた癒しと浄めの花が光とともに舞い降りる。
「誰の足も止めさせないよ。幸せな思い出は、前に進むための力になるものだから」
「だよね! 思い出に浸ってばかりじゃもったいないもの!」
 ――これから先は、もっともっと、とっても大切なものがあるんだからっ!
 光の花が降る庭を駆けるシルの心を高揚させるのは、前へ歩む想いとイズナから贈られた金色の煌き。炎に、水に、風に、地に。そして光と闇へ呼びかければ六芒の輝きが光の剣に収束し、真正面からの眩い剣閃、そして死角からのもう一閃が、少女の体勢を大きく崩す。
 輝く歓喜と幸福だけに満ちて包まれて、そのまま死ねたら、どんなにか――。
 昔の自分ならきっとそう願い、今もそれに憧れる少女がクラリスの胸奥に住んでいる。
 だけどもう、愛され護られるだけの子供ではいられない。そして。
「小さな頃の私みたいに、救ってほしいと願っている誰かの為に奇跡を起こしたいから」
「素敵ネ。きっと叶うワ、クラリスちゃんの願イ!」
 妖精とミストルティンに祝福された靴で前へと駆け、撃ち込む輝きは幸運の星。夢は必ず叶うノ、歌うような詠唱を連れたムジカの蹴撃が銀色の少女へいっそう鮮麗な罅を咲かせ、彼女を狙った時計の針を己が腕で受けとめつつ、十郎もまた羊革の靴先から撃ち込む幸運の星で、更に少女の護りを打ち破る。
「たとえあなたが、思い出の品がなくなっちゃうとしても、わたし達が終わらせるから!」
 三重の幻影を連れたイズナが跳び込み、波打つ刃を躍らせれば、銀色の少女へと刻まれた幾多の禍が跳ね上がった。
 銀色の少女の硬い護りを破り、癒しの威を激減させ、狙いも力も、搦め手さえも高めての戦い。自陣の護りも癒しも連携も隙なく調えたケルベロス達の攻勢が、悲劇が生まれる前の終焉を確かに手繰り寄せる。
 だから、幸福を映した幻に、マヒナは微笑みながらも弓を手放さなかった。
 明るく碧い海、南国の島で優しく楽しいひとびとに囲まれ、純白の翼を広げた日々。
 戻りたいと思ったことがないと言えば嘘になるけれど、愛しい紅玉の眼差しを夜明け色の眼差しで見返す今を、新たな縁を紡いだ皆との日々を、大切にしていきたいから。
「あの日々を糧に、ワタシは進んでいくね」
 放たれた妖精の矢、その弦音に蜜の心が震えた。
 朱鷺色の光の紗がふわり開けば、鏡映しのごとき顔が微笑んでいて、遠く暖かな幸せへと魂を連れていくよう。物心つく前から姉と手を繋いで眠った日々。春陽のごとくあたたかな安らぎに満ちて一日を終える幸福感を、この指はまだ覚えているのに。
 最期に繋いだ手は、彼女にとって温かかっただろうか。
 たとえ訊ねても、眼の前の笑顔から答えは返らないと分かるから。分かってしまうから。
「――これは、幻なのね」
 癒しでなく攻めに出たマヒナ。終わりが近いのは蜜の眼にも明らかだったから、穏やかな笑みとともに指先を掌で包んだ次の瞬間、彼は刃のごとき蹴撃で銀色の胸を貫いた。
「どうして彼女は悲しい記憶ではなく、幸せな記憶を見せようとするのだろうね」
 朱鷺子の優しさ、『おじいちゃん』の想い。
 懐中時計がダモクレスに変じてもなお、それらは冒されなかったのだと、そう信じるまま歌声を紡ぐ。暖かに心を包む夜闇に星がめぐり、希望と幸福を燈すイブの歌に恋しい面影が添う。普段は呼ばぬ、彼の真の名を想う。
 ――僕も送れたらいいな、彼とともに、朱鷺色の人生を。
 新たなさいわいを積み重ねていく歌に抱かれ、銀色の少女のすべてが消えていく。
 けれど。
 大きな花のごとくひらりと舞った何かへ伸ばした蜜の手に、一枚の写真が舞い降りた。
 懐中時計に抱かれ、然れど時計の部品ではない――朱鷺子の、写真。

 朱鷺色の桜が舞う庭の一角に、仲睦まじく、奥方の見た目だけは若い老夫婦の姿が見えた気がして、おやすみ、と野暮はせぬよう、胸裡だけで十郎は紡ぐ。桜色のハンカチで大切に写真を包み、玄関に置いてくるわね、と蜜はさりげなく皆に背を向けた。
 幻がいっそう鮮明にした姉の笑顔と、喪失感。
 慟哭したくとも泣き叫んで吐きだせば手離してしまうようで。
 だから私の――俺の代わりに泣いてくれと桜に願う。涙代わりの花に包まれればきっと、笑って皆の許へ歩きだせるから。今はただ、密、と愛しい名を辿って。
 ――貴女に逢えた人生を、愛しく想う。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年4月10日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
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