名前のない月患い

作者:銀條彦

●盈月の陣
 皓々と、真円の月が春の夜闇へ光と影とを落とす。
 月光に照らされながら螺旋の女が描いたその魔法陣は秘儀へと……目指す高みにへと到る為の、試みの一つ。
 ぞぞり、ぞぞと、輝ける夜の『力』は月影から染み出すが如くに病魔達を喚び寄せる。
「セントールの復活はケルベロスの邪魔により失敗したがコギトエルゴスムはこういう使い方も出来る。 ──狂月の病魔達よ、神造デウスエクスとなり、我らがマスタービースト様へ至る、道しるべとなれ」
 彼らの身に宝石を埋めたのち野へと放った螺旋忍軍ソフィステギアの金瞳は、遥か遠く、かなた高く……。

 ぴょんぴょこと軽い足取りに兎耳揺らして少年は自宅を抜け出した。
 人型の兎ウェアライダーである彼だったが、普段はもっぱら、その純白の長耳も丸尻尾もひっこめたまま。カワイイは男子中学生にとって断じて褒め言葉ではないのだ。
 だが満月の夜だけは違う──そわそわと獣の部位を解放して夜歩きしたい衝動が彼を突き動かす。
 ごくごく軽度の狂月病なのではと両親は言っていたが尻尾穴を開けたランニングウェアに身を包んでひとっ走りもすれば概ね満足できるものなのだから病気呼ばわりは大袈裟だと、彼はさして気にも留めていなかった。
「まー、たま~にちょっとだけ吼えたりもしたくなるけど……ウサギってそもそもどう吼えるんだ??」
 すっかりと通い慣れた道をぼんやりと駆け足する間の、たあいのない自問自答。
 川べりの道々を照らす外灯沿いの、中学生なりに選んだ安全な夜道での夜歩き……というか夜走りにその日は思いもかけぬ危難が降りかかる事となる。
 人気のすっかり途絶えた夜道で少年の行く先にふらりと現れた人影の列。あちらも、夜のジョギング一行かと挨拶の声を掛けようとした兎の少年は思わずその赤眼を見開いた。
 そこに立っていた獣人の大男達が、手に手に、大剣とも鋏とも鋸ともつかぬ凶悪な巨大武器を構えていたからだ。
「……ヒッ……」
 よくよく眺めてみれば焦点の合わぬ虚ろな眼、大量の涎とともに口元から漏れる唸り声、左右でくっきりと分かれた半人半獣部位、と、どう考えて尋常な一団ではなかった。
 恐怖に足を止める事なく兎の少年は機敏に踵を返して逃走を始めた……だが、その全能力をデウスエクスにも迫ろうかという域にまで高められたモノ達の脚力に到底敵う筈も無い。
 皓々と、真円の月が落とした光と影に咆哮が呑まれてゆく──。

●さまよえる獣たち
 セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)は妖精8種族の一つ、セントールを蘇らせて自軍の戦力として取り込もうとした螺旋忍軍の計画が阻止できた事をケルベロス達に報告し感謝を述べて労った。
「ですが、螺旋忍軍達はセントールのコギトエルゴスムを使って新たな作戦を開始したようなのです」
 セントールを確保する螺旋忍軍勢力は、何らかの方法で実体化させた『狂月病』の病魔にセントールのコギトエルゴスムを植え付け、神造デウスエクスモドキとでも呼ぶべき戦力に仕立てあげてしまったのだ。
「どうやらウィッチドクターの力をまったく用いず実体化を果たした様なのですが……」
 あるいは、と、自信なげに前置いた上で。『狂月病』は元々は神造デウスエクスであったウェアライダーが定命化した事によって初めて発生するようになった特殊な病魔である為、ウィッチドクターの理とは全く異なる実体化の手段が存在したとしても不思議ではないのかもしれないとセリカは推測を口にするのだった。

「次の満月の夜に、只の一般人であるはずのウェアライダーがこの病魔型神造デウスエクスに襲撃されると予知されたのです」
 ヘリオライダーからケルベロスの依頼は当然その救出である。
 被害者はジョギング用に整備された川沿いの小道を走る不運な中学生1人で、他に人影は全く見当たらなかったという。
「この少年を事前避難させるわけにはいきません。もしもそれを実行してもより救出が困難な別のウェアライダー襲撃事件へと替わってしまうだけなのですから……そして今回はそれだけでなく襲撃発生後に改めて彼をその場から避難させる事も出来ないのです」
 エルフのヘリオライダーはいっそう表情を曇らせる。
 ひとたび戦闘が始まっても病魔達がウェアライダーの少年へ攻撃を行う事はないらしい。
 だが、もしもウェアライダーがその場から逃走した場合、病魔達もその後を追って自動的に移動してしまうらしくこの自動追尾はいかなる手段をもってしても阻止する事は不可能なのだそうだ。
「そして……この少年は戦闘開始から約8分後に重度の狂月病を発症し病魔達の戦闘能力を飛躍的に高めてしまう──と、予知されました」
 故に、できうるかぎりの短期決戦で決着させる事が望ましいのである。

「螺旋忍軍達は、神造デウスエクスを生み出したというマスタービーストに纏わる技術をも有しているのでしょうか……いずれにせよウェアライダーを脅かしセントールを利用する、このような作戦を見過ごす事はできません」
 あるいはウェアライダーを襲撃して殺害する事でマスタービーストの秘儀を再現しようとでもしているのであろうか。
 ──いまだ謎も多いが今できるのは、守るべき者を守り、救える者を救うのみ。
 困難な戦いへと臨み、準備を開始したケルベロス達にヘリオライダーは深々と頭を下げるのであった。


参加者
稲垣・晴香(伝説の後継者・e00734)
吉柳・泰明(青嵐・e01433)
フィスト・フィズム(白銀のドラゴンメイド・e02308)
フィー・フリューア(歩く救急箱・e05301)
輝島・華(夢見花・e11960)
泉宮・千里(孤月・e12987)
七宝・瑪璃瑠(ラビットバースライオンライヴ・e15685)
リティ・ニクソン(沈黙の魔女・e29710)

■リプレイ

●問わず語りの月
 皓々と、夢も現も照らされ澱んで光も闇も浮き沈む。そんな真円の夜に。
 兎は跳ねる──何を視て?

(「狂月病と向かい合おう、自分のことをよく知ろう。 ──そう思えたからこそ今のボク『たち』はここにいる……」)
 ライオンヘッドな白髪と短めの兎耳に降り注ぐ満月の中。
 仲間から遅れまいと懸命に駆ける七宝・瑪璃瑠(ラビットバースライオンライヴ・e15685)の足元から伸びた影が揺れる。
 夜の河川敷、外灯下で立ちすくむ兎耳の少年の前には既に『神造』モドキの群れ。
「落ち着け! 私達はケルベロスだ、助けに来たぞ!」
 猟犬達が戦闘域へ着くより前にウェアライダーの震える足が踵を返そうとするのに気づいたフィスト・フィズム(白銀のドラゴンメイド・e02308)が吼えるようにそう呼びかける。
 割り込みヴォイスの声量は恐慌状態の少年をこちらへと向けさせるのに充分なもの。
 今にも駆け出そうとする姿勢はそのまま、思わずといった様子で眼を遣った少年は駆けつけてくる集団の存在に気づいた。
「ケ、ケルベロスが……、っ!?」
 少年の眼にまず飛び込んで来たのは稲垣・晴香(伝説の後継者・e00734)の、はちきれんばかりの胸元をこれでもかと強調する刺激的なリングコスチューム姿であった。
 ちなみにこの時彼が凝視したのはクラスメートと何度か観た配信動画で見覚えあった、勇ましくも麗しい晴香の顔の方である。念の為。
「突然こんなことになってそりゃ驚くし逃げ出したいに決まってるよね。でも……今はここが宇宙で一番安全よ。それは、私が、キミを、絶対に、守って魅せるから!」
 ダイナマイトモード漲らせた晴香から月光すら圧して輝く無数の粒子が振り撒かれ、居並ぶ自他の感覚を研ぎ澄ませる。
 ケルベロス達は病魔の牙から少年を守り庇おうと皆その間に割って入ってゆく。
 フィストや晴香を始めとした何人かのケルベロスが使用した防具特徴はその発動タイミングを一つ誤れば時間制限強いられる中での貴重な初動の1分を潰した可能性もあったが……開けた河川敷、かつ、外灯が整備されて離れた場所からでも視認しやすかったというロケーションがギリギリの事前使用を可能としていた。

 ──月光ならぬ淡き光の援けを得て、夜闇に閃くは剣刃の二重奏。
 真正面から斬り込んだ狼からの重き『夜刄(ヤシャ)』の一太刀と、それとは対照的な、踊り踊らせて敵を翻弄するかのような狐からの『煙霞(エンカ)』の剣筋を出会い頭に叩き込まれたのは最も少年に肉薄していた病魔だった。鮮血の代わり刀傷から飛び散る黒靄。
 訳の分からぬまま危地に陥った少年は訳が分からぬままながらもどうやら命拾いは出来たようだと安堵し、無力な一般人として当然その場から離れようとした。
 だが、彼を助けると言ってくれたケルベロス達から次に飛んだのは予想外の制止。
「逃がしてやりたいのは山々なんだが、悪い」
 刀を納めた狐……泉宮・千里(孤月・e12987)が月厭うかの如く華舞う番傘をくるりと翳し、もう一方の狼たる吉柳・泰明(青嵐・e01433)も狐の言葉の後を接いで何処までも少年だけを自動追尾する敵の性質をできるかぎり手短に告げれば、いったんは取り戻されようとしていた少年の落ち着きは瞬く間にまた恐怖にとって変わられてしまった。
「そんな……っ」
「この場から逃げても敵が追ってくる。怖いとは思うけど……ここに留まってて」
 酷を強いるは承知の上でリティ・ニクソン(沈黙の魔女・e29710)言い添える。
 蒼きエアロスライダーを駆って加速したレプリカントはまず傷負う個体に追い討ちを掛けた上で敵前列全体をその機動性を以って掻き乱してゆく。
「怖くて逃げ出したいのは当然だよ! でもでも、次はボクたちが助けに入れるか分からないし、逃げた先の両親たちを巻き込みたくもないよね?」
 少年の心に寄り添おうと懸命な瑪璃瑠は、逃亡を禁じるのではなくその逃げ込み先を両親よりも自分達の──ケルベロスの背中の後ろへ変えるべきだと促してみせた。
 よくよく見れば少年と同年代らしく少年よりもずっと小柄な兎のウェアライダーの少女の説得と獣の部位を前に、少年の足は、少なくとももう自宅へ向かおうとはしていない。
 何処までもデウスエクスにつけ狙われ続けるという恐怖を、それに家族達まで巻き込んでしまいたくはないという恐怖が上回ったからだ。
「ボクたちを信じてここで見守っていて欲しいんだよ!」
 そして、彼個人に降りかかった危難もきっとこの場で断ち切ってみせるとケルベロス達は強く説き、その力を以って証明してゆく。
「兎がどう吠えるか、教えてあげるんだよ! ──むぃぃぃイイイイイ!!!」
 瑪璃瑠の喉から振り絞られた兎の咆哮はハウリングの魔力伴い、月夜、高らかに。

 ポポンとはじけた春吹雪を背に、花運ぶ箒がぐぐんと翔けて病魔の足元を掃って除ける。
 ケルベロス達が序盤に採った方針は敵前列への足止めを絡めた集中砲火、あるいはそれらと斬り結ぶ味方前列を優先しての攻撃支援。
 ライドキャリバーは前者、自身は後者をと、担う役割をサーヴァントと分け合った輝島・華(夢見花・e11960)は青菫の瞳で少年に微笑みかける。
「不安でしょうけれど私とこの子……ブルームがいますから、どうか頼って下さいね」
 唯一のメディック務める者として戦況全体を見守るべき身では少年から片時も眼を離さず、とまではいかぬだろうが、それでも適う限りはずっとその傍らでと決意する少女もまた少年とそう齢は変わらない。
 わかったと頷いて震えながらも勇気振り絞る少年に応えたのは、紅き篝火の雨。それが初動で唯一、早期決着の布石として病魔後衛列を襲った攻撃だった。
「ありがとう。必ず倒すから、僕らを信じて此処を動かないでいて」
 眼にした者の居住まい正す追風纏い、赤頭巾姿のフィー・フリューア(歩く救急箱・e05301)がジャマーの位置から杖を振るえば、たちまちに、火炎魔法が悪しき獣姿の魔を次々包み込む。爛と輝くイエローグリーンの双眸に灯ったその光は、怒り。
「……狂月病ね。ごく軽度の子を無理矢理に悪化させるとかふざけてるの? しかも、このウィッチドクターの前でやろうだなんていい度胸だね」
 人の在り様も病の有り様も歪める秘儀とやらに対する憤りは今や完全に『病魔』に対するレプリカントの知識欲を凌駕していた。
「螺旋忍軍の企みごと、台無しにしてあげる!」

●名付けられた獣たち
 妖精の玉埋め込まれた『病魔』生まれの『神造』モドキは外見もまたちぐはぐで右半身は人の身を思わせる外見だったが、5体並んで大剣構えたそのどれもが右や左の区別なく獣性剥き出しの形相を浮かべていた。
(「狂月病、か。謎の多い病気だが神造デウスエクスだった頃のウェアライダーと何か関係があるのか?」)
 盾として対峙するフィストの思考はすぐさま中断を余儀なくされる。彼等の口から洩れていたまるで意味を為さぬ不快な唸り声がいつしか高く長い遠吠えへと変じてケルベロス達の心身を苛んだからである。
 猟犬の前後列へと発された4体分の『月吼』の大半をフィストや彼女のウイングキャットであるテラ、そして晴香を加えたディフェンダーが引き受けた。
 既に傷深い前衛の1体はあたり照らす月光を啜るような仕草で再生と攻撃力増強とを果しており……そして残る1体が控えるは後列、全身を覆う猛火が更にその面積を増すのもかまわず振り下ろされた牙剣が狙った先は他ならぬその炎の発生先、唯1人の中衛であるフィーだった。
 炎と赤の激突は必至と思われたその只中へ颯爽と飛び込んだ影もまた、真紅。
「短期決着殲滅戦、この際望むところです!」
 鍛え上げられた細腕一本を高々と掲げ、真正面から『黒牙』の威力を受け止めたのは晴香である。空いたもう片方の指先から味方ジャマーを死守すべく放たれたのは金剛の護り。
 短期戦、故にこそ晴香は持てる闘技の数々を果敢なる防御と支援の為……仲間の為に発揮し続けている。
 そして残る盾は、守から攻へ。
 狂獣達の牙と咆哮とにしたたか抉られども己が回復に廻らずとも自陣前衛のいずれもまだ耐えられると踏んだフィストは、敵陣で最も消耗深いクラッシャーの1体に狙いを定めパズルの魔力を解放してゆく。
 喪われし種族の秘宝がゆっくりと浮遊して辺りを雷気に染めれば、刹那、端正なる白鱗の龍人にひときわ獣じみた毛並みを纏わせた。まるで傍らを旋回し敵の胸板に爪立てた純白の翼猫を思わせる姿へと転じたまま撃ち放たれた稲妻の竜影は、病魔の1体を轟と呑みくだし跡形も無く消し去った。
 役目を終えたドラゴンサンダーがパズルへと帰すと同時に転がり落ちる小さな宝玉。

「まずは1体……あなたは運がいい。今回は最高の助っ人が揃ったから、私も楽できそう」
 防盾を押し立てた戦闘姿勢を保ちつつ開始された砲撃は竜砲弾。
 怯える兎の少年が勇気づけられほっと血の気を取り戻しつつあるとバイザー越しにちらと確認した後、リティは顔色一つ変えぬまま、あえて冗句めかした大言を口にした。
 ケルベロス達はかわるがわる、恐怖や緊張をほぐす為の言葉掛けを少年へと欠かさない。
 ──何よりその、心を、繋ぎ止める為に。
「寄って集って子を狙うたァ、随分な不良共だ。テメェらの仲間入なんざ御免も御免」
 鮮やかに牙刃を捌いた千里は返す刀で雷刃突を繰り出し敵の喉笛を深々と貫いた。
 肉のものとも影のものとも知れぬ手応えと共に、戦いの昂揚とは全く異なる不気味な熱がヒリヒリと彼の心身へと流れ込む。
 得体知れぬ『それ』を払い除けるように月下躍るは傘の華。『それ』は決して不快では無いという感触こそが何より不快で、必死に抗って……だがおくびにも漏らさず保たれる飄と涼やかな貌。
「狂える病にゃ荒療治を――否、滅却を」
 一方で千里と信交わし肩並べて戦う泰明もまたウェアライダーであったが彼の身に狂月病の症状が顕れた事はいまだ1度も無い。
 しかし彼の身近に患う者は多くその苦しみの様は痛い程に知る……知りながら何も出来ぬという己の苦以上の辛さと彼もまた闘い続けて来た。
 なればこそ、今その病にこの刃届くというのであれば。
「迫る魔の手は必ず打ち払う――護り通すと、誓おう」
 濡羽色の長き髪が月光を弾いて広がり、吸い込まれる様な降魔の一太刀のもと造られた魂諸共に病魔の器が、また一つ、断ち割られる。

「ボクは生きる、ボクは生かす! 仲間も、ウェアライダーも、妖精たちも!」
 その願い叶える為のアンビバレンツ・デッドオアアライブ、眼前の獣群喰らう一撃を繰り出すライオンラビットの少女。喰らい癒す狂月の牙はみるみるとその力を奪われてゆく。
「『データリンク・エスコーター起動』。不足するデータは……経験でカバーする」
 解析と並行して敵陣撹乱に努めるリティからも畳み掛ける蹴撃。
 眼力もってしても命中率の様な正確さで敵体力を見極める事は困難である。
 だが、恐らくはほぼ個体差は無いと思われる同種敵5体の内2体を仕留め終えた今この場に限るならば、残す敵についてのおおよその残体力も目星をつけられる。
「後一撃ってところか、頼んだ」
 もはやクラッシャーの破壊力を見舞うまでも無い、あと一押しで倒せると判断したが為に千里は最後のクラッシャーのトドメ役を晴香へと譲った。
「私の投げから逃げられると思ったら、大間違いよ! 病魔退散、バックドロップ!」
 ……筈なのに、ディフェンダーからの攻撃がオーバーキル引き起こすたァどういう了見だとからり笑いながら零す黒狐の声に『伝説』の後継者たる女子プロレスラーはガッツポーズと満面の笑みで応じるのだった。
 残すは度重なる『救急箱』からの炎で消耗する敵2体と約3分の猶予。

 ──『彼』の為に引き起こされた騒乱など置き去りに……ぼんやりと。
 いつしか赤き眼は焦がれるように天の真円だけを見上げていた。
 兎の少年からもはや恐れの色は完全に影を潜めており、それ自体はケルベロスにとっても有利でこそあれ何ら不都合は無い。だが──。

「気を確かに! 君を、君の物語を、病魔なんかに明け渡しちゃダメだっ!」
 月にすら噛み付く勢いでフィーは少年に呼び掛け続けた。
 相棒を始め、彼女にもまたウェアライダーの友は多く存在する。もしも彼女達までこんな風にされたらと考えれば到底許せるものではなかった。
「僕達は、助けるんだ……絶対にっ!」
 闘気受けた武術棍は闇討ち祓う白閃を奔らせるに相応しい形へとその姿を変える。
 炸裂したフィーの斉天截拳撃が4体目を脳天から打ち砕いた頃にはアラームが残り2分を告げていた。
 残す敵は今なお延焼を続ける炎に塗れた敵スナイパーが1体のみ。状況は悪くない、が、悠長にもしていられない。
 支援も撹乱も回復も後まわしに置いての総攻撃が開始され、メディックとして味方を支え続けた華もまた。
(「お姉さんとして頼って貰えてとてもとても嬉しかったのです……」)
 常よりお世話になっているフィー姉様を始めとして頼もしい年上ケルベロスに囲まれるのがもっぱらな幼き少女にとって、己の背中が頼りにされる体験は新鮮で誇らしくて。
 だから兎の少年から失われつつある正気を取り戻したいと花の少女は必死で……。
 月夜の戦場を春の香で満たして吹き荒れる『天花の花吹雪(テンゲノハナフブキ)』。

「ボク『たち』はむしろ感謝してるんだよ。でもね、だからこそ……狂月病を利用し、妖精やウェアライダーのみんなを利用しようとするのは気に入らないんだよ!」
 瑪璃瑠たる少女『たち』……薄緋の瞳のメリーと金の瞳のリルは、とびきり高く十五夜の天へと跳ねる。
 ユメは泡沫、ウツツも刹那。唱和された双子座の声と声はゆっくりと交わり、
「夢現十字撃・改め」
「真名……」
 やがては全きひとつと化して獣神へ到らんとする標を淡く示し……だが、
「「ムゲン・クロノス!!」」
 光刃と硬剣から生み出された十字斬撃砲火に灼かれた神造擬いの終焉と共に『刻』は再び永遠に閉ざされるのだった。

●夜夜なべて
 その後フィーとリティによって計5つのコギトエルゴスムが回収され全ての無事に瑪璃瑠はほっと安堵の息を漏らす。
「……俺……あれ?」
 重症化前に全ての病魔型神造モドキを倒した甲斐あってか、少年もすぐさま正常な意識を取り戻してゆく。
「お疲れさん。美味いもんでも食べてゆっくり休みな」
 千里からは労いの菓子のポンと手渡され、
「一緒にいてくれて、信じてくれてありがとう。本当に良かった……」
 真っ先に駆け寄った華の横からフィーが少年の勇気に助けられたのだと讃える。
「うん、よく頑張ったね! 君はカッコイイよ。自信持って!」

 喜び合う者達を、今度こそ帰路歩み出した兎を──月はただ皓々と、照らすのみ。

作者:銀條彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年4月7日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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