春尽くし、美味尽くし

作者:七凪臣

●ご飯は白いご飯以外許しません
 日に日に、春の訪れを目で、肌で、鼻で感じられるようになる季節。
 早咲きの桜が満開を迎えた小山の中腹に居を構えた、小さな庵で事件は起きた。
「炊き上がったお米の、何と美しいことでしょう!!」
 全身真っ白な羽毛に包まれた男だか女だか分からない――とどのつまりがビルシャナが、白いくちばしを大きく開いて、ぴーちくぱーちくがなりたてる。
「一粒一粒がつんと立ち、きらきらと輝く様はまさに至高の宝石」
 白い右翼をばさぁとやって、閉ざされた庵の扉をビルシャナはどんどん叩く。
「甘く香り高く、つややかに、うるわしく」
 白い左翼は取っ手に差し入れ、がたがたがた。
「つまり、白米は。そのまま頂くものなのです!!!」
 ビルシャナが力尽くで扉をこじ開けようとしている庵は、最近話題の出汁茶漬け専門店。
 海を臨む立地に、桜も満開とあって日中ならば客足が絶えることない繁盛店。
 されど今は、早朝六時。
 目覚めたばかりのお天道様が、水平線からようやく顔を覗かす時間帯。
 同時に、午前八時の開店を前に仕込みが慌ただしくなる頃。昔懐かしの釜に火が入り、つやつやのご飯が間もなく炊き上がろうかというピンポイントタイム。
「貴き白米に余計な手を加えるなど言語道断! ご飯は白いご飯以外許しません!」
 ご飯は白いご飯以外絶対に許さない明王は、えぇいと庵の扉を蹴り破る。
「このような邪道な店に天誅を下すのです!!」
「「「おー」」」
 かくしてご飯は白いご飯以外絶対に許さない明王とその配下となった九人は、出汁茶漬け専門店へ押し入り、破壊の限りを尽くすのだった――。

●確かに白いご飯は美味しいけれど
「というのが僕の視た未来です」
 事のあらましをつらつら語ったリザベッタ・オーバーロード(ヘリオライダー・en0064)は真顔で言い連ねる。
「確かに白いご飯は美味しいです。僕だって感動しました。でも、ご飯にはいろんな食べ方が許されているじゃないですか」
 おにぎりだって日本の文化。オムライスやカレーライスだって捨てがたい。ああでも卵ご飯は最強だ――と、つい熱が入ってしまったところでふと我に返り。
「今回、皆さんにはこの『白いご飯以外絶対に許さない明王』を倒して欲しいのです」
 仕事モードのスイッチを入れ直す。
 敵は最近話題の出汁茶漬け専門店に目をつけたらしく、ご飯の炊きあがりの頃を狙って襲撃をかける。連れる配下は、呑みの終わりを茶漬けで締めていそうなサラリーマンが三人に、子供のお弁当用に毎日おにぎりを握るのが面倒になってきたっぽい主婦が三人と、お米に一家言ありそうな和装のご老人が三人の、計九人。
 今はご飯は白いご飯以外絶対に許さない明王の主張に賛同して行動を共にしているようだが、離反させられないわけではない。
 ビルシャナ以上の強烈な主張や、インパクト抜群な訴えを届ける事で、戦わずして無力化する事だって出来るし、ビルシャナをぶっぱすれば元の生活にお戻しすることも出来る。
「白いご飯を否定する必要はありませんからね? 美味しいですから。でもそれだけじゃないってのを、分かって貰えれば良いと思うんです」
 配下は少なくなくなればなっただけ、戦いも有利に進みますと言い添え説得の指針をケルベロス達へ示し、リザベッタは戦場となる庵についてをもう一語り。
 場所は街から少し離れた小山の中腹。居はひっそりと構えられているが、繁盛店だけあって駐車場は広い。
「早い時間帯ですから、一般の方々が巻き込まれる心配はありません。皆さんはこの駐車場でビルシャナを迎撃してください」
 まずは配下を一人でも減らすべく――可能ならゼロに――、説得と言うかインパクト大な訴えが必要になるだろう。とは言え、その間もビルシャナは遠慮なく攻撃を仕掛けてくるだろうから、対策は怠れない。
 だが裸の王様にしてしまえば、あとは遠慮なくぼこ殴りにすればいいだけだ。ビルシャナとなった『誰か』に届く声はない。『誰か』には心置きなく自分の主張を貫いてもらうことこそ、手向けとなる信じよう。
「真柴さんの危惧が的中してしまいましたね……」
 全ては真柴・勲(空蝉・e00162)の予想通りであったとリザベッタは頷き、そうそう、と一緒に話を聞いていたラクシュミ・プラブータ(オウガの光輪拳士・en0283)へ水を向ける。
「ラクシュミさんは出汁茶漬けはお召し上がりになったことは?」
「いえ、まだです」
「それは良い機会です。この専門店、今は春のフェアをやっていて限定メニューがあるそうなんです」
 一つは、桜鯛の鯛茶漬け。鯛茶漬けとまとめても、種類は二つ。炊き上げた鯛めしに焼いたアラから取った出汁をかけて頂くものと、白いご飯に濃厚ごまだれに程よく漬けた鯛の刺身をのせたものに、これまたアラからとった出汁をかけて頂くもの。
 花見鯛、桜鯛とも言われる産卵前の真鯛は、脂が乗って実に美味。それらを用いた出汁茶漬けは、言わずもがな。
 もう一つは、春の山菜出し茶漬け。からりと揚げたフキノトウに、つくしの甘味噌を添え、澄んだカツオの一番出汁をかけて頂くもの。独特な苦みが春を感じさせる大人な一品だ。
 最後の一つは、一足先に春を迎えた南の島――奄美大島の郷土料理である鶏飯。細くほぐした鶏肉に、錦糸卵。干しシイタケを甘辛く煮付けたものに、食感がぱりぽり楽しいパパイヤのお漬物と海苔、ネギをご飯の上に乗せ、鶏のお出汁で頂くという一品。
「まぁ、美味しそう」
 顔を綻ばすラクシュミに、リザベッタもにこりと笑むと、同じ笑顔をケルベロス達へも。
「開店時間には少し早いですが。無事にお店を守り切ればこれらを存分に味わうことが出来ると思います。しかも夜明けの海と桜つき。お願いしてもいいですか?」
 そんなヘリオライダーからの誘いに、否やを唱える必要はあるまい。


参加者
イェロ・カナン(赫・e00116)
霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)
真柴・勲(空蝉・e00162)
レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)
ケイト・バークレイ(蛻の心臓・e14186)
斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)
楠木・ここのか(幻想案内人・e24925)
金剛・小唄(ごく普通の女子大学生・e40197)

■リプレイ

「許しません、許しません!」
 白飯色の羽毛で全身を覆う、ご飯は白いご飯以外絶対に許さない明王が配下を連れて庵の前へとやって来る。
「……明王の名前が長いですね? もう『白飯』と呼びましょう」
 斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)が言うと、白飯は「おぉ」と円らな瞳を輝かせた。
「何と恐れ多いことを……あぁ、でもこの私こそが白飯――」
「ただの時短です」
 きぱっと朝樹が幻想を切って捨てても、白飯は聞いちゃいない。
「我こそが白飯。皆、白飯を崇めるのです!!」
「「おー」」
 ――ダメですね(にこ)。
 言って聞くなら、ビルシャナになぞなってはいまい。
 いざ、白飯炊き上げ開始!
 手順は、初めちょろちょろ中ぱっぱ(説得完了までは)、赤子泣いても(攻撃喰らっても)、蓋取るな(反撃は控え、強化回復に努める)!

●哀愁
「白米とは世にも尊き――」
「確かに白米は美味……」
「霧島さん、気を確かに!」
 白飯の妖しい導きに霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)の視界がくらりと揺れたところへ、すかさず楠木・ここのか(幻想案内人・e24925)がくるりくるりと浄化を舞う。ブリキ人形のようなテレビウムのアジュアもここのかに倣って応援動画を流せば、奏多の意識もすっきり元通り。
 朝樹も自浄の加護もつ光壁を展開している。その上に重ねる守りへ、ケイト・バークレイ(蛻の心臓・e14186)が「手間だな」と歯に衣着せず漏らすと、真柴・勲(空蝉・e00162)は「その分、朝飯が美味いさ」とケイトが撒いた銀の粒子に黒鎖の動きを沿わせた。
 ケイトのライドキャリバー、ジムはエンジンさえ唸らせずに黙している。
 炊飯作戦は忍耐が必要なのだ。
「ちょっと大人しくしていて下さい」
 押し寄せんとする配下を金剛・小唄(ごく普通の女子大学生・e40197)は懸命に押し留め、そんな小唄へ尻尾にドーナツを飾る翼猫の点心は清い羽搏きふぁさふぁさ。
 火加減(つまり下準備)はだいたいこんなところだろうかとイェロ・カナン(赫・e00116)が口火を切ったのは、レスター・ヴェルナッザ(凪ぐ銀濤・e11206)が紙兵を撒いた頃合い。
 箱竜の白縹がつんとそっぽを向き乍らも硝子の属性で盾役らを守ったところで、サラリーマン達へ気安く語り掛ける。
「そこのお兄さん、今からお仕事? それとも朝帰りなんかね、お疲れ様」
「ほんとお疲れ」
「マジお疲れ」
「毎日しんどい」
 労いに中年手前の男たちが、イェロが描いた守護星座の向こうでこくこく頷く。どうやらとってもお疲れの御様子だ。長くまともな朝食などは食べてはいまい。ビール片手の夕飯だけが、せめてもの愉しみだろう。
 漂う哀愁に、アラサー・イェロはそっと寄り添う。
「忙しい朝だからこそ片手で頂けるおにぎりとか。呑みの締めに、さらっと食えるお茶漬けとか美味いでしょ。……あ、チャーハンとかも良いよな、ビールによく合うし」
 リーマンず、首を縦に振りかけ、ぐっと堪えた。チャーハンの下りで半ば落ちかけた。でも、彼らとて意地(?)がある。しかし、
「想像してみてくれ、仕事で失敗した日だ」
 上司に怒られ、客に責められ、同僚と反省会という名目で飲みに行く。酒精で心の凹みを誤魔化し、次の大事な取引に向け気合を入れ直す――アラフォー・レスターの訥々とした弁に、一人が「うっ」と顔を押さえた。他の二人も涙ぐんでいる。
「飲み終えて目の前には食い終わった後の鍋。〆は卵と飯を投入した雑炊にするか、それか出汁茶漬けを別に作ってもいい」
 三人の脳裏には、レスターの語る光景がまざまざと浮かぶ。
「優しい味が疲れた胃に染み渡る。まるで餓鬼の頃故郷でお袋が作ってくれた様な……そんな、味だ」
 嗚呼。実家へも長く顔を出していない。父さん母さん、元気かな――日頃無骨な男の、むしろあなたの言葉が胸に沁みます、な訴えに、男たちの頬を幾筋もの涙が伝い始めた。
 今度の週末、実家に帰ろう。
 無理ならGW、それがだめなら夏休み……いや、年末年始?
(「あ、ヤバい?」)
 真っ黒なお仕事モヨウをイェロは察し、すかさず合の手を挟み込む。
「そういう時こその、ひと手間。時間がなけりゃ、実家から手製ふりかけでも送って貰えばいい」
 全ては勿論、白いご飯があってこそのものだけど。加えた手間に、美味さは増し増し、日々の辛さもしのげる。
「「ううっ」」
「ちょっとオレ、母さんに電話してくるっ」
 白飯を大事にしつつ、サラリーマンならではの情に訴えたイェロとレスターの口撃の前に、男三人衆はさらりと敗北。哀愁引きずり、白飯(明王)の元を去っていった。

●ママンの愛
 これだから男は駄目なのよねぇ、とか冷たい目をしていた主婦っぽい女たち。
 ――お弁当作りに疲れました? なんとか映えとか狙ったんでしょうか? そりゃあ疲れます! お子さんもカラフル大好きですしね!
 毎日白ご飯だったら、ご飯の方が可哀想。赤飯炊き込みご飯万歳のここのかの『なんとか映え』にぐさっと心をぶっ刺された。
 その明らかな顔色の変化を、今日は女子力全開女子大生モード(身に着けたエプロンは点心とお揃いだ!)の小唄は見逃さない!
「分かります。今どきのお弁当の、いっぱい飾らなくちゃダメと言う文化は、ちょっと私もね……」
 小唄に労いの肩ぽむされた女たちの顔が「我が意を得たり」と輝く。
「そうなのよ! だから白ご飯は最高――」
「本当にそれでいいんですか? 白いご飯だけでは、お子さんががっかりしませんか?」
 ――ぐさぁ。
 ここのかの弱点ド直球な一撃に、主婦っぽい女たちの顔色がまた変わる。
「きっとお子さんたちは後になって思うんです。あの黄色いご飯や赤いご飯、好きだったのになぁ、って。こんなことならちゃんとお母さんに言えば良かった――」
 ――美味しかった、って。
 雨の昼休み。薄暗い教室の片隅で白いご飯が詰まったお弁当箱を開けて打ちひしがれるセーラー服の少女の幻影を背負い――気分の問題――ここのかはお母さん達へ切々と訴えた。
 すっかり『母』の顔となった彼女らの顔面は、白飯より白い。彼女たちは矢張り、母なのだ。自分より、子供が大事なのだ。
「やっぱりお子さん達へ、美味しいものを沢山食べさせたいですよね?」
 小唄の確認に、母たちは無言でこくこく。そう、そんな彼女たちへの小唄のお勧めは――、
「そういう時こそ、炊き込みご飯です!」
 ここのか一推し炊き込みご飯!
「おかずとご飯の完璧なマリアージュ。組み合わせは無限、毎日何が入っているのかなという楽しみもあって! あ、私。試作してきたんですけど、味見してもらえますか? こちらはグリンピースとソーセージの、そしてシジミとワカメ、あとこちらは鶏肉と椎茸の……」
 腹ペコ点心と一緒になってエプロンひらひらさせる小唄が、可愛らしいお弁当箱の蓋をパカパカ開けると、ここのかもお母さん達も、もう夢中。
 作るのもほぼ炊飯器任せとくれば、救世主降臨待ったなし。
「お味、如何です?」
「これ隠し味に何?」
「お味噌です。レシピ、要ります?」
「頂戴!」
「カレー風味もいいわね。人参も細かく刻めば――」

「流石の女子力ですね」
 最早、ただのお料理談義の場となっている女たちの様子に、朝樹はほっこりと目を細める。
 女性三人の心が白飯(明王)から離れた事は明々白々。ならばと、朝樹も謳う。
「因みに僕は梅干しと青菜を乗せるのが好きですね」
 白の大地は宛ら雪景色、朝陽の如き眩い赤が清々しい草色を覗かせる春の情景。
「ほぅ」
 朝樹の紡ぐ美しくも尊い光景に、和装の老人たちがぴくりと耳を欹てる。お主、なかなかやるな――と、いったところだろう。
 されど。
「野菜も塩分も摂れ、茶を注げば忙しい朝の時短に――」
 朝樹の続いた弁に老人たちの目がくわっと見開く。
「塩分じゃと!?」
「うぬは世界の推奨摂取量を知っておるのか? 一日たったの六グラムぞ」
「塩分は高血圧の敵と心得よ、若造!」

 ――ケルベロスたちの前に今、最強の敵が立ちはだかる!

●白飯の行方
「一杯の白飯、ただそれだけで御馳走であった時代があると聞く……」
 喰らうのです! とか、熱々です! とか。白飯(明王)が飛ばしてくるご飯攻撃をレスターや小唄、アジュアと共に凌ぎながら奏多は人生の諸先輩へ最大限の礼を以て相対する。
 今でこそ食文化は多様になったとはいえ、それら全ては時代を作り続けて来た方々の努力の賜物だと。平和の証で、進歩の軌跡であるとの奏多の弁に、気難しそうな和装の老人たちは「うむ」としたり顔で頷く。
 時代の先駆者たる彼らは、若者――老人らから見れば、三十路の奏多はまだまだひよっこ――からの敬意に弱かった。というか、そこで捻くれる程、人が悪くないのだろう。
 つまり。
「竃炊きから炊飯器へと変わっても、米が旨いことは変わらない。ならば、手を加えるくらいで、果たして米の貴さが変わるのでしょうか?」
 徹底的に『米』を崇め、貴ぶ奏多の訴えには「ぐぅ」と押し黙った。
「例えば出汁茶漬けも、伝統の継承であり進歩の象徴であるのに。本当に邪道なんでしょうか?」
「伝統は大事じゃ」
「受け継ぐこともよきこと」
 ――あと、伝統とか継承とかいう言葉に弱かった。
「お主もなかなかやるな」
「勿体ない評価、ありがたく。何はともあれ、俺は美味こそが大事だと思うのです」
「それな」
 奏多が達した結論へ、老人たちが否やを挟み込む前に、勲が同意を重ね更に畳みかける。
「俺も朝餉は米と漬物と味噌汁さえあれば十分だと思ってるクチだし」
 漬物の下りだけは、先の朝樹との遣り取りを鑑みて、若干小声で(耳の遠くなったお歴々にはきっと聞こえていない)。
 そして勲は、言う。爺さん婆さんの一家言にも興味はあるが、時には雑炊や釜飯が恋しくなる日もあるだろう、と。
「胃に優しい七草粥や、暑い日に食べる冷茶漬け」
 成程、これらはご老体を労わる事にもなる品々。
「春らしい彩りの散らし寿司は気分が華やぐし」
 そして此方は、変化の乏しくなった日々にこそ鮮やかさを増す花。
「つまり、だ。米料理は四季の味を楽しむのにうってつけ。団子や白玉もあれ米で作られてるしよ」
 要約すると、好物が沢山ある方が人生は愉しいということ。
 その方が長生きだって出来る――そう訴えた勲は、老人たちがそわそわと落ち着きをなくしたことに気が付いた。
 そっと腹をさする仕草をしている者いる。おそらく、あれこれ料理を思い浮かべさせられ腹が空いてきたのだろう。何せ、早朝だし。
 と、なれば。
「私自身、碌に料理もせず、甘味ばかりを摂食しているが。そんな横着者にも茶漬は簡単、手軽に作ることが出来る」
 今の今まで、たいして興味もない風だったケイト。直球で茶漬の魅力を皆々へ叩き込む!
「時間がない主婦や会社員は勿論、方々も重宝される一品だと思うのだが。旬の食材や今一番食べたい具材を添えて好みの出汁をかけるだけなのだから」
 そしてケイトは、ちらりと庵へ目を向ける。何気なく惹かれたように、されど明らかな意図をもって。
「時に、腹の虫は鳴らないのか? 彼の庵からはこんなにも良い出汁の香りがしていると謂うのに」
「っ、くう」
 一人の老翁が膝をついた。
「いかん、もう限界ぞ」
 一人の老婆が、ふらふら庵の方へ歩き出す。
「待て、抜け駆けは駄目だぞ」
 それをもう一人の好々爺が追いかける。
 空腹は何物にも代え難いスパイス。斯くして白飯(明王)は全ての配下を失ったのである。

「やぁ、厳しい戦いでしたね」
 涼しく笑う朝樹に、ラクシュミは「勲さんの最後の一撃は、素晴らしかったです」と目に星を散らす。
 ぼっちになった白飯(明王)など、抜かりなく策を整えたケルベロスの敵ではなかった。
 結果はほぼほぼ瞬殺。
 皆さん、朝っぱらからお疲れさまでした。後はゆるりと朝餉をお楽しみ下さい。

 追記。
 本格的戦闘開始に際し、小唄はいつものゴリラ獣人姿へ変身しました。やっぱりこっちが落ち着くネ!

●それぞれの春
 蕗の薹の仄苦さは、春の蒼さ。
 味覚で感じる季節の移ろいに、朝樹の口元が綻ぶ。
「美味しいですね」
 栗尽くしに続く縁のラクシュミへ告げると、本当ですねと一も二もなく是が返る。
 米が旨いのは道理で、一汗の後なら更に旨いのもまた道理。
『海苔もり出汁だく正義だ』
 いつになく熱い風情の奏多に勧められ、ラクシュミの手元には鶏飯が。パパイヤの漬物の歯触りを楽しむ女の様子に、奏多も全ての美味へと感謝し、たっぷりの鶏出汁を纏った白飯をがっつりかきこむ。
「いただきます!」
 何を選んだものかとメニューと格闘した末、小唄の前には春の出汁茶漬けがずらり。小丼で半分こにしてもらった点心も、うみゃうみゃと嬉し気だ。
 老人たちは、サラリーマンに主婦らも加わり、庵の中は大盛況。配膳に忙しない店員たちも楽しそうで。朝樹は広大な屋敷でぽつんと摂る食事の味気なさを噛み締め――甘い味噌を溶かしたお出汁で『日常』を腹の奥へ押し戻す。
 輝く米の美しさだけでは足り得ぬ、一流の料理人の品でも満たし得ぬ、埋める欠片が、此処にはある。
「……追加注文、可能ですか?」
 窺うような朝樹の尋ねに返る応えは、満面笑顔の『喜んで!』。そこへすかさず奏多が鶏飯を推せば、また一笑い。

「おいひい……」
 先の尖った長い耳を上下にぴこぴこさせてここのかは感動に浸る。炊き込みご飯も美味しいけれど、桜鯛のお刺身はぷりぷり食感を残しつつ、お出汁とさらり。
「はわぁ……っ、おいしいよ~!」
 連れるビハインドのユエにも半分こしながら、ユアも『初めて』かもしれない鯛の味わいに大はしゃぎ。
 温かな朝食に華やぐ女子卓。窓の外には桜の向こうに海が輝く。
「去年の夏にね、友達とバーベキューをしたの。その時にちょうど流れ星が見れてね?」
 キラキラと美しい夜空だったとユアが思い出に花を咲かすと、「ここのかさんは? 何かある?」と水を向けられた年頃の娘の頬がぽぽぽっと色付く。
「海……きらきらした王子様と、一緒に……」
「おうじさま?」
「なっ、なんでもありません!」
 桜と海と乙女たちと。世界はロマンチックで出来ている。

 桜咲く海を眺めながら美人さんとの朝食は、最高のご褒美――とはイェロの弁。
 こちらこそ、男前な人とご一緒出来てとても幸せ――とは蜂の弁。
 春は眩いくらいに美しく。つまり早起きは、得。
「はっちーの鯛茶漬けも、スゲー良い香りするなぁ」
「……ん」
 普通に食べても絶対美味しい鯛飯を、香ばしさを足した旨味たっぷりな鯛のお出汁で頂く贅沢に、蜂の頬が緩み。そんな蜂の表情こそが何よりの美味と思うイェロは、ささっと自分の膳を取り分けにかかる。
「良ければこれも食べてみない? ほろ苦いけど、俺は好きなんだよなぁ」
 よそわれた二等分にされた蕗の薹は、蜂にとって初めての味。
「……これが、春の味」
 確かに少し苦めではある、けれど。春を味わっていると思えば、不思議と内側から芽吹く心地。
 外界は早朝、まだ肌寒い。しかしガラス窓越しの朝日は柔らかく、腹を満たす春は染み入るように温い。
 束の間の二度寝も良さげ。良い夢だって見られそう。

 奢りだから好きなものを頼めと男に言われ、少女は鯛飯の茶漬を択んだ。
「お前も沢山食え。朝飯は大事だぞ」
 ティアンの華奢ぶりが気にかかるレスターは、すっかり親の眼差し。
「流石に君みたいに二椀は食べられない」
 明らかな子供扱い。でも、それがティアンの裡にすとんと収まる。理由は分からないけれど。
 互いに海育ち。好みも似るのか、レスターはティアンと同じ鯛飯の茶漬に、今度は薬味を入れて春を味わい――、
「風流だな」
 分かった様な口ぶりで、降りしきる花弁の向こうの海を見た。
 過日の色にも似る鮮明な青に、仇に未だ至らぬ焦りが疼く。だのに、廻り来た春は、同じ彩を映す者が隣にいるだけで、何故か穏やかにレスターの目に映る。
「そうだな」
 男の視線を追った娘は、是を頷き。同時に、思う。
 ――君のいる曇天の下のあの海も、元はこんな青だったろうか。
 願わくば、取り戻せますようにと。ティアンは穏やかな春の朝に祈った。

 小柱と甘海老の掻揚茶漬は、ふわり香る優しい味わい。
 確かに店主の腕は確かだ。
「だが六杯はどうかと思う」
「いや、軽いだろ?」
 ケイトの白い眼差しにも、米粒一つ残さず桜鯛の茶漬を食べ尽くした勲はけろり。今頃、勲の胃の中では胡麻の風味を纏った刺身が泳いでいるかもしれない。
 然して二人は、海を見下ろす桜並木をゆると歩く。
「最近、お前といると。波に揉まれた硝子片の様に、研ぎ澄ましてきたものの角が取れて……」
 自分が自分でなくなってしまう気がすると、ケイトは呟きを花弁に紛らわす。
 一緒は、悪くないのだ。悪くはないが。
「少しだけ、怖いんだ」
「あのなぁ、前も言ったろ。何で作られていようが、お前はお前だ。角が取れてまるで違う形になろうが、俺にとってお前はお前以外の何者でもなくて……」
 赤い唇が零した恐れを、男は肩を竦めて一蹴し――続く言葉を、ぐっと飲み込む。
 ――変化を戸惑う様すら甚く、なんて。素直に吐露出来るほど勲は若くない。
 頭上は我が世の春を歌う満開の桜。
 しかし老けた蕾が花開くには、何かが足らぬ。
 光となり、熱となるものは、すぐ傍らにあるというのに。

作者:七凪臣 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年3月23日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 1
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