門出の翳り

作者:深水つぐら

●門出
 柔らかな入り陽に頬が仄かな色を帯びた。
 少年は聞こえ始めた歌声に欠伸をすると座っていた椅子から立ち上がり、眩しそうに窓の外を眺めた。その先に見える体育館では同学年が集い、旅立ちの式が厳かに続いている。校内がよく見えるこの第二美術室は彼にとって格好のサボり場所であり、それも今日で終わるのだ。
「あー、俺ってホントワルだねぇ……」
 これまで授業やイベントをサボって高みの見物をしてきた。特にそれ以外の事はしていないが、それでも教師にとっては不良に見えているはずだ。そう思いながら少年――高橋和人(たかはし・かずと)は伸びをする。
 透明人間の和人。そんなあだ名もなかなかに誇らしい。誰も探しに来ないし注意もしないんだから――。
「見つけたわよ、不良。私が更生させてあげる」
 不意に掛かった声に和人は一瞬固まるがすぐに振り向いて瞬きをした。彼の目に映るのは眼鏡を掛けた如何にも風紀委員然とした少女だ。
「ここで作戦を練っていたのね。あなたのような不良はきっと卒業式で大暴れして皆の注目を集めるつもりなんでしょう、なんて酷いの!」
 その言葉は和人の胸に閊えを生んだ。
 大暴れ、注目、それは――問い返す前に少女は和人と視線を合わせると瞳に妖しい色を見せた。
「そうでしょう。だってあなた、本当は『透明人間』だなんて嫌なんだから」
「……そうだ。俺は、俺は大暴れして……超目立つ不良になるんだよ!」
 叫んだ瞬間、少女――イグザクトリィという名の夢喰いは己が手を揺らした。
「そういう事なら、私が手伝ってあげる」
 胸の閊えを貫く様に少女の手が鍵を穿つ。
 貫く音はしなかった。金色に輝く巨鍵が引き抜かれた瞬間、身を崩した和人の足元からはゆらりと立ち昇る影がひとつ。
 それが継ぎ接ぎだらけの少年の姿を模るとゆっくりと教室を後にした。

●門出の翳り
 全国の高校を襲うドリームイーター。
 尻尾の掴めない複数の夢喰いが関わるその事件は未だに発生し続けていた。ギュスターヴ・ドイズ(黒願のヘリオライダー・en0112)が見たという予知もその事件のひとつであり、カラン・モント(華嵐謳歌・en0097)が情報をまとめた仕事だった。
「ええト、それデ和人サンは?」
「第二美術室で倒れたままだ。ケルベロスの到着はドリームイーターとの接触後だな」
 つまり、新たなドリームイーターが誕生した後に現場に到着する。なるホド、と頷いたカランは、ギュスターヴの言葉を自分のメモ帳に書き写して、改めてこの事件が『不良への強い憧れを持っていた生徒』に関するものだと分析を続けた。
「となるト、これマデの事件ト同じデスから、夢の源泉でアル『不良への憧れ』を弱める言葉をかけレバ、弱体化が可能デスネ」
「ああ、今回の場合ならば不良になるのを諦めさせる言葉でも良いし、不良そのものに嫌悪感を抱かせるようなものでも構わん。ドリームイーターの中に眠る和人の信念を揺るがせられれば力を削げよう」
 今回の場合は『不良は人並外れたことをして注目されてカッコいい』という思い込みから憧れに繋がっているようだった。
 その目的の達成の為に、生み出された歪な肉体を継接ぎにしたドリームイーターは卒業式の行われている体育館に乱入し暴れまわろうとしている――ケルベロス達が接触できる場所は第二美術室を出た廊下になるだろう。被害者は第二美術室の中にいる上に、最上階の特別教室である事、式典の最中という事で人払いは不要だ。その代わり、タイミングと建物の構造により真正面からの攻防となる。
「一応、挟み撃ちなどの策は場所とタイミングが重要だな。その場合は戦力の分断の上での戦闘になり、不利は必至だろうが残りの戦力が合流すれば逆転は可能だ」
 分断のメリットは奇襲及び逆転劇が可能という程度だろうか。『逆転劇』――その言葉にカランがぱっと顔を上げてにっこりと微笑んだ。
「ハイ! 私がお手伝イに入るノでもしそノ作戦で行くナら大丈夫デスヨ!」
 どうやら今回の仕事にはカランも同行する気満々のようだ。そんな様子の彼女にギュスターヴは溜息を吐くと、改めてどうするかはケルベロス達に任せると続けた。
「今回の敵で気を付けてほしいのは、服装にしろ立ち回りにしろ自分よりも『目立つ者』に狙いを定めるところだな。ターゲットにされると冷静さを失わせる様に仕掛けてくる」
 作戦を練る上でその事がどう影響してくるか――真正面にしろ挟み撃ちにしろ、メリット・デメリットはよく考えておきたい。
 そこまで話を進めると、ギュスターヴは改めて一同へと向き直る。
「せっかくの門出だ。それを邪魔する為に燻る少年の心を利用するのは許し難い」
「デスネ、しっかリやっつけちゃイまショウ!」
 ギュスターヴの言葉に元気よく返事を返したカランは、気合十分にぱぱんっと手を打つと不敵な笑みを浮かべて声を上げる。
「だっテ私達は希望デスかラ、ネ?」
「……ああ、よろしく頼む」
 お決まりの言葉を取られた黒龍は苦笑すると、改めてケルベロス達に視線を投げた。


参加者
リリウム・オルトレイン(星見る仔犬・e01775)
ウィッカ・アルマンダイン(魔導の探究者・e02707)
火岬・律(迷蝶・e05593)
白井・敏(毒盃・e15003)
ナクラ・ベリスペレンニス(ブルーバード・e21714)
草薙・ひかり(往年の絶対女帝は輝きを失わず・e34295)
款冬・冰(冬の兵士・e42446)

■リプレイ

●祝辞
 あの頃の生き方を閉じ込めるには些か季節が寂しくなった。
 微かに拾えた歌声は止み、代わりに流れたのは朗々と響く祝いの言葉だ。
 ――卒業生の皆さん、本日はご卒業誠に――。
 遠く聞こえた言葉をよそに歪な体を引きずる様に進んでいく。その存在に白井・敏(毒盃・e15003)は頭を掻くと胸の底から息を吐いた。
「じゃまくさいなあ……」
 眼前に迫る夢喰いの背景に敏はとんと興味が無い。それでも他人様に迷惑かける事を是とは違うと思えば尻拭いをする事が面倒だった。そんな彼の隣で眉根を顰めた草薙・ひかり(往年の絶対女帝は輝きを失わず・e34295)は不快感を露わにしていた。
(「なぜ最近の子は卒業式だの成人式だので悪目立ち狙うのか……まぁ私達の頃もか」)
 そんな感想を抱きながらひかりは肩に掛けていた豪奢なガウンに手を添えて不敵な微笑みを見せる。『目立つ者』を狙うのならばこの絶対女帝の装いに適うものはいまい。
 そんな女帝の前で敵へ静かに視線を送るガイスト・リントヴルム(宵藍・e00822)の姿があった。金色の瞳が見止めた夢喰い──この存在を生み出した者は一体どうしたらこれほどまでの歪みを持つのか。
(「格好良いとは何であろうな」)
 その憧れは答える人によって違う。当のガイストならば生き様、特に己に恥じぬ生き様と言えよう。幾星霜を経ようとも変わらぬ道を歩み、その背に想いを抱いてくれる者がいるならば良しとする。その気概は聊か気恥ずかしさがあるものの望みとしては悪くない。
 そんな武人の思考を遮ったのは見慣れた大きな翼だった。
 ふわふわの髪の海にリボンとの花を遊ばせたナクラ・ベリスペレンニス(ブルーバード・e21714)は、相棒であるナノナノのニーカと共に微笑みを向けた。
「さあさ、鬼さんこちらってね!」
 言って片眼を閉じたナクラが告げれば、ようやくケルベロス達の存在を認識した夢喰いの頭部が振動するとばっかりと鬼歯の生えた唇を開ける。次いで響いた咆哮に『鬼ごっこ』の始まりとなった。
「さあ合流地点まで引っ張るぞ!」
「あいよっと」
 告げたガイストの背に敏の手から伸びた雷鳴が閃く。授かった底上げの力にさらに上乗せをかけたのはひかりの放ったケルベロスチェインの守護魔法陣だった。攻守に受けた祝福を持ってドラゴニアンが間合いを詰め、三つに折れた如意棒がその手を捌いて打ち込まれる。
 どっと硬い音がした直後に呻き声が聞こえその直後に斑の繭がガイストを包んだ。苦悶の声を上げる間に吸い取られた知識の力が身へ僅かな痺れを生む。だがそれも長くは続かない。
「まだまだだよ!」
 高らかに告げたナクラが黄金に輝く果実を宿らせ、更にはナノナノのニーカがハート型のバリアを展開すれば最前線を守る者達へ浄化の癒しと抗う力を強化していく。
 戦いの場を整えすぐに敵へと向き直れば、先ほどの衝撃で倒れたのか地べたに伏せたまま敵意を露わにしているのが見えた。その姿にガイストは得物を構えたままで口を開く。
「本当に其方がしたかったことなのか? 眼の前にぶら下がった釣り糸に食いついただけであろう」
 ──ならば、其方が目指しておるものとは真逆なのではないか?
 唐突な言葉ではあった。だが、その意味を眼前の異形は理解していると確信があった。だからこそナクラは話を継いだ。
「そう、本当にいいのかい?」
 目立ちたい気持ちは悪いものではない。誰だって多かれ少なかれ誰かに見ていてほしいし、自分の存在に気付いて欲しい。それを肯定した上で改めて問う。
「お前が暴れて卒業式をぶち壊したら楽しみにしてた奴は傷つくぜ。お前はそいつ等の心に傷や軽蔑として残りたいの? 違うだろ?」
 ただ、透明人間と言われることが嫌だっただけなのに。
 零した言葉は僅かだが夢喰いの動きを鈍くしていた。何か考え苦悩する姿──その様子に敏は声を上げる。
「和人ぉ、そんなにワルがエエんやったらヤクザになれよ。どないや?」
 瞬間、張り詰めた空気が場に渡るもどこ吹く風と蠱惑の言葉を零していく。
「どっちみち行き着くところはいずれそこやろ。クスリ捌くか?シノギ稼ぐか?ひひ。地味~であぶな~いお仕事や」
 そうして男は銜えていた煙草を噛むと楽しそうにへらりと笑った。彼のくたびれたジャケットと奇抜な柄のシャツが妙にその煽る言葉を際立たせていく。
「……半端もんはすぐに死ぬ。ええんやでぇ? そういう奴の汁啜ってワイら生きとんやから。仲間になろうや? 骨の髄まで浸かる覚悟があるんやったら、な」
 そうして男は噛み潰したタバコを吐き捨てさらに笑った。
 地味で危ない――けれどもそんな泥水を上手く啜って生きている者。毒の盃とはよく言ったものである。されど微笑みの意図が相手に伝わらなければ弱いものだ。その上でワルという憧れに落ち掛けた者をすでにワルに身を置いていると自称する者が誘えば話は変わってくる。蛮勇と無謀は異なり後者に溺れたからこそ誘う行為はリスキーだった。
 聞こえた遠吠えは歪な夢喰いの身をさらに膨らませた。直後に斑の獣は獰猛な狼の様に四つ這いで地を駆ける。その口から吐かれたのはこれまでの中でも濃い斑。その色が敏を覆うと貪欲に体を蝕み冷静さを削いでいく。
「こんダボが……!」
 ──校庭の木々が新たな期待に胸を膨らませ──。
 いつの間にか旅立つ者への言葉が代わる頃に、天から伸びた釈迦の糸は切れようとしていた。

●送辞
 ──校庭の木々が新たな期待に胸を膨らませ──。
 遠く聞こえるのは在校生のものだろうか。幼さの残る声に混じり微かな衝撃音が聞こえていた。
「情報取得……ん、こっち」
 目の中に地図を浮かび上がらせた款冬・冰(冬の兵士・e42446)は道を示すと素早く階段を上っていく。次第に近づく音や学校という慣れた環境が現場である事に興奮を隠せないリリウム・オルトレイン(星見る仔犬・e01775)は、短く息を切らせながらきょろりと周囲を見回した。
「もうちょっとですか!」
「だと思います」
 答えたウィッカ・アルマンダイン(魔導の探究者・e02707)はちらりと窓の方に顔を向ける。どうも先の一際大きな音が気になったのだ。そうして素早く階段を駆け上がる後をカラン・モント(華嵐謳歌・en0097)もまた追い駆ける。そのすぐ後ろで一行の殿を務める火岬・律(迷蝶・e05593)は進む間に見た高校の教室に己が過去の面影を見た気がした。その時に得た決別――それを門出というならばどんなものも意思と決断があればいつでも下す事ができるはずだ。それは自分にも当てはまる事だったから。
 腑に落ちた腹持ちを抱えやや翳る春陽の落ちる踊り場を上る。
 瞬間、上の階の廊下に見覚えのあるドラゴニアンの姿が滑りこんできた。その青い竜鱗には幾多にも赤い花と線が引かれ、滴り落ちながら散っていた。それは絶妙な間であった。律とドラゴニアン──ガイストの視線がかち合い、互いに状況を悟ると得物を構えて唇を引いた。
「あ、みっけえっわきゅ!!!」
「わあっ、しーデスヨ!」
 思わず声を上げたリリウムの口をカランは慌ててもふもふ肉球お手々で塞いでしまう。リリウムは最初こそ抵抗したもののお手々のしっとりもふもふ感に魅了されほわっとした顔のまま大人しくなった。これが垂れた感じのパンダと同じしっとりした毛並みの力である。
「あっリリウムちゃんおもち肌デス」
「はみゅ~、むみゅ~」
 そのままもふもふお手手でほっぺをこねられては、当のリリウムもせっかくの頭脳プレーのやり直しをよーきゅーする事も忘れていく。そんな二人の横を素早く走り抜けたのは赤き魔導の探究者ウィッカだった。
「ほらお仕事ですよ」
 告げたウィッカは再度戦場へと走ったガイストの背を追っていく。その柘榴の瞳に映ったのは集中的に攻撃を受ける敏の姿――。
「やらせません」
 きっぱりと告げたウィッカは空中で素早く五芒星を切り己が足に魔力を込める。そうして仕掛けた跳躍は流星の如く、ひらりと伸びあがった身がそのまま重力を込めて振り下ろせば夢喰いの肩に命中する。
 響いた声と崩れた身。咆哮というよりも苦悶と言える声の後に転がった相手を一瞥して冰ははふりと息を吐いた。
「この場合、救出? 兎も角……ヒカリ、お待たせ」
「ふふっ、そうかもね」
 馴染みのある言葉にひかりは血糊を拭いて払うと改めてチャンピオンベルトに手を添えた。そこに軽快に明るく飛んだのはナクラの張りのある声だ。
「さあさ真打登場ってね、なあ、ニーカ!」
 にっと相方を見た彼は頬に付いた血糊も気にせず微笑みを向けた。その様相に冰は改めて口元を引き締める。
 どのケルベロスの身にも赤く赤く夕焼け色の血がべったりと張り付いていた。決して返り血ではない事は切り裂かれた彼らの肌が示しこれまでの惨状を物語っている。特に酷いのは敏だろうか、不敵な笑みを浮かべてはいるものの肩で息を始めていた。
「とろこい、ワイらでおいしてしまうトコやったわ」
 言って歪な微笑みを見せた敏の目からは戦の光は消えていなかった。それが分かったからこそ冰は呟く。
「反撃に移行」
 言葉の後でケルベロス達の視線が歪な夢喰いへと集中する。
 戦を廻すのはこれからだ。

●答辞
 とめどなく溢れる思い出を溶かした別れの言葉が流れていた。
 ――早や三年、もう旅立ちの時が迫っています――。
 発つ鳥は後を濁さず。されど尾が水面に残すのはひと筆で描く未来への道筋だ。その美しさを掻き乱す様に異形な身を震わせた夢喰いはひと際大きな咆哮を発する。
 それが仕切り直しの合図となった。
 律の腕に這う石蕗は陰翳と冠した名のままに青黒い蔓をしならせて宿主の腕に黄金の実を結んでいく。その輝きは最前線の者を守ろうと瞬く間に渡り枷を得ぬ様にと覆っていった。
「リツ、支援感謝」
 その返事を聞く暇も有らばこそ。一足飛びに間合いを詰めた氷の手が『光り輝くもの』として刃を見せる刀を振った。それは緩やかに昇る月身の如し──鮮やかな斬撃が夢喰いの肩を斬り上げれば続けとばかりに煌めきが追った。
 冷たく凍える一光はウィッカの放ったものである。
 次の瞬間に弾けた光は硝子の割れる様な音と共に氷を生み出し砕けていく。その痛みはいか程か。叫びながら仰け反る相手に改めて相手と対峙したひかりは今度こそと希望を込めて口を開けた。
「無関心より嫌われる方がマシなつもりだろうけど、ホントにイイの? それで」
 喚き散らし、暴れ散らし、猟犬達へ敵意を剥き出しにする夢喰い。その『根底にある者』へと尋ねたのだ。その呼びかけに再び動きを止めた事を知ると、今度はリリウムがうんっと小さな気合を口にして息を吸った。
「悪いことをしたら目立つことは出来るかもしれないです。でも、それってすごいとか、かっこいいとかじゃないのです」
「そう、優等生も不良も、印象の積み重ねによって判断される。暴れれば、確かに注目は集まる。目立ちもすると思われる。しかし、印象の薄い者が唐突に行えば、余人が狂人と断ずるのは明白」
 リリウムの言葉に冰が改めて言葉を重ねていく。
 そうなのだ。卒業式を暴れて壊すという事は悪目立ちであるのだ。その行動は刹那でありいつかは誰も見てくれなくなるものである。これまでの様にサボるだけならば、推奨はしないにしろさほど迷惑にはならないが大事な卒業式で大暴れというのは非常に迷惑だ。
 そう思っているからこそ、ウィッカもまた同じ様に言葉を紡いだ。
「不良はカッコイイから注目されるのではありません。むしろそれは逆で、カッコ悪いから注目されるのです」
 つまりそれは。
「ルールを守ることもできない人に迷惑をかけるだけのみっともない存在であるから、珍獣を見るような眼で見ているだけですよ」
 改めて『事実』を突きつける。それは『彼』──和人が最も恐れていたものではないか。
 完全に歩みを止め苦悩しながら頭を掻き毟る夢喰いへ律は静かな視線を送っていた。その手は得物を構えたまま僅かに弄んでいる様にも見えた。
「……人並外れてカッコイイのは人並以上の稀な場合であり人並以下が下される評価は大抵マイナスです」
 ひゅっと喉が鳴る音が聞こえた。夢喰いの口はさらに大きく裂けて律の方へと向けられる。男の口が紡ごうとしているのは敏と同じ不良という概念の行き付く先だ。律自身も和人の意思が半端なものなら砕いてしまいたいと思っていたのだろう。
 だからこそ言葉を進める。
「それでも突き進むというなら人を暴力で支配し踏みにじり人間性を捨て、非人道の一部となる事です。知人友人家族は例外なく」
 非道に落ちるという事を噛み締めさせる。選ぶのは和人自身である。
「それが出来ずして……悪として人並以上になれますか?」
 男は出会う者に影響されて変わることもあると知っているからこそ願っている──。
『ぞ、ん、な……ごど……デギ……』
 くぐもった声は大きく開けられた口がばくりと食べてしまった。くちゃくちゃと咀嚼する音が聞こえ、それが何なのか理解する。だからこそ襲い掛かろうとした夢喰いへひかりは迷いもせずに飛び込んだ。
 解き放たれた特大の斑が瞬く間に眼前へ広がった。それは女のふくよかな四肢を裂き、浸し、精神を破却しようと荒れ狂う。
「私の、プロレスの世界では、ヒール、悪役は憎まれ役を買う事で、相手の魅力を引き出すから仲間に信頼され、一目置かれるの……」
 荒々しい痛みの中でひかりははっきりと相手の顔を見た。歪な人型の中に在る筈の想いへ呼び掛ける為に。
「同じ様に、この私を手こずらせて魅せて! そしたら、『この私』がキミを『一人の男』として心に刻んであげるよ!」
 刻むという事は誰かの心にとめてもらえるという事だ。それは無視──透明人間にはならない。それが決定打として届いたのだろう。ぐらりと双方の体がぐらついた所で、すぐにナクラと敏がひかりのみへ癒しの力を解き放つ。
 代わりに前へ出たのはぴょこんと数多の詫びアホ毛を携えた二天一流ならぬ天然御免のリリウムだった。今度はこちらとばかりに生み出した物語が鮮やかに賑やかに飛び出していく。
「このえほんはとってもとっておきですよー!」
 微笑む少女は今日も花丸、されどその力は夢喰いを縛り上げて苦痛を与えていく。
『オオオッオオオオオ!!』
 それは誰の声なのか。歪な顔の目らしき部分から涙が流れる様を見てガイストは息を吐いて吼えた。
「人々の視線を集めるならば、別の事をせよ。派手に構える必要はない!」
 善き行いは必ず誰かの目に留まる。その事実を纏う龍の爪牙が掻き乱す。
 それは夜を、闇を、統べてこそ知りうる斬撃なり。
 龍の歯牙に慕われた歪はその腹に巨大な斬撃を孕んだ。

●門出
 衝撃は猟犬達の耳を穿つと眼前の壁に蜘蛛の巣を生んだ。
 それは瞬く間に全体へ渡ると叫ぶ暇もなく崩れていく。そうして出来た大穴にリリウムが慌てて駆け寄り心配そうな声を上げる。
「やっつけられました……?」
「そのようデス」
 同じく舌を覗いていたカランの答えに一同が様子を見てみれば、夢喰いの体はさらさらと崩壊を始めていた。これで一件落着だ──そんな安堵の空気の中でウィッカは夢喰いから視線を離さずに浮かんでいた憂いを口にする。
「学園ドリームイーターは先日一体が撃破されましたが、この事件を起こしたイグザクトリィもこれ以上被害者が増える前に早く倒したいものですね」
 確かにこのままにはしておけないだろう。ならば出来る事をするのみだ。
 次への標的に逸る心地を抑えて律の提案で現場の原状回復をしようとした時、体育館の扉ががらりと音を立てて開いた。
「なんだ……爆発?」
「わ、瓦礫か?!」
 見れば地上には数名の教師らしき人々がこちらを見上げて騒いている。その数名がこちらを指差すと『和人か』という声がした。恐らくは彼がこの場所に居ることを普段から知っている先生だったのだろう。
「あら、ちょっと声をかけた方がいいわね」
 言ったひかりが教師達へ自分達がケルベロスである事ともう事件は解決したと告げると安堵の雰囲気が広がった。同時にその中のひとりが心配の顔で走ってくるのが見える。
 その姿にナクラは思わず笑みを零した。
「なんだ。和人はちゃんと寄り添ってくれる人いるんじゃん」
「そのようだな。彼奴の行く末、彼奴の周りの者達は確りと見ておるぞ」
 ガイストもまた微笑むと今はまだ倒れているであろう少年のいる教室へと視線を向ける。
 騒ぎのせいで中断した様だが卒業式はまだ続けられそうだ。その最後に駆けつけてくるなんて印象的な事は度胸が無ければできない事だろう。だからこそ、まだ気絶している和人の背中を自分ケルベロス達が押してやりたい──そう思うナクラは改めて美術室を覗き込む。そんな様子を見た敏は面倒そうに口元の血を拭うと息を吐く。
「くだらんことすな。……頭下げてとっととカタギへ帰りな」
 それは敏なりの餞なのだろうか。やはり興味がないと言う様に男の視線は窓へと向けられていく。窓の外は大木に育った桜の木の頭が見えていた。その淡い花びらに沿う様に仰げば尊しと歌う子らの声がする。
「これから何になれるかは、貴方次第」
 願うなら和人が良い生を掴める様に。
 冰の零した呟きを春風は笑い門出を祝う様に流れていった。

作者:深水つぐら 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年3月22日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
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