白銀の山

作者:東公彦

「お前には二つの道がある。一つはこのまま下り、人々に災厄を知らせる道。もう一つは迂回し災厄から逃れる道。選ぶといい。ただし時間はないがね」
 男は恐怖に声を出すことも出来なかった。眼前には常軌を逸した存在『デウスエクス』が立っている。一見すれば長身細身の男性だ。いや中東を思わせる褐色の肌と端正な顔も考えればモデルのようでもある。しかし酷い火傷の痕とぽっかり空いた左の眼窩が、何より醸し出す雰囲気が男性を異常な存在と定めていた。
 男は背を向けてシャイターンから逃げだした。脇道に逸れて迂回し、一刻もはやく安全な場所まで離れたい。口がカラカラに渇いて、冷や汗が止まらず、心臓の鐘がうち鳴り止まらない。
 そんな男を目で追いつつシャイターン『エミル』は溜め息をついた。
「起こした雪崩を制御することなど、誰にも出来ないさ」
 嘲笑し、エミルは白馬と名のつく雪山の背に炎弾を撃ちこんだ。容易に雪崩が引き起こり、扇の形に広がりながら他の雪を巻き込み徐々に大きく、樹々やコテージを巻き込みながら驚異的な速さで山を下ってゆく。エミルは漆黒の羽を広げて全てを覆い尽くした雪の上に立った。ちょうどそこには逃げ出した男が埋まっている。
「ああ、やはりダメか」
 エミルは溜め息をついた。
「誰か相応しい者がいるだろうか……」
 せっかくエインヘリアルにするのだ、見目麗しい者が良い。夕陽を浴び灼ける砂漠のような美しい瞳を持つ者がいたならば、その瞳を自分の左目に嵌め永遠を誓おう!!
「仕事ではなく私情であるが、それくらいは許されよう。このちっぽけな自由のために顎で使われているのだから、ね」
 エミルは生命の気配のない白銀の荒野を歩き出した。


「シャイターンが白馬の雪山に現れます。雪崩を引き起こして大量の人間を巻き込み選定を行うようですね。合理的ではあるかもしれませんが、人道的ではありませんね。デウスエクスに人道を説いても意味はないでしょうけど」
 疲れたような声でセリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)が頭を抱えた。ここのところ複雑な仕事が立て込んでいる、休む間もない。
「エインヘリアルを生みだすための選定は長野県白馬の雪山で行われるようです。当日のスキー場の来場者は800人ほど、前もっての避難は予知の変化に繋がるため敢行出来ません」
 難しい状況下ですね。セリカがひとり言のように口にした。
「人命を優先するのであれば敵の抑えは最小限に避難と雪崩の防護に力を入れなければならないでしょうし、戦いを優先するのであれば雪崩を止めることは出来ないと思われます。足場は悪いですし、敵味方問わず攻撃が逸れてしまえば新たな雪崩が起きるかもしれません。あまり考えたくはありませんけど……。敵は妖精弓に似た長弓を持っています。これは接近戦も出来るもので弓とはいえ遠近両用、甘くみると危ないかもしれません」
 ケルベロス達の顔を見て、セリカはぎゅっと自分の手を握りしめた。
「拾うために手を開けば、手の中の物は零れ落ちる。それが二度と戻ってこないとしても……ケルベロスの皆さんは選ばなければならないのでしょうね」


参加者
アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)
新条・あかり(点灯夫・e04291)
玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)
君乃・眸(ブリキノ心臓・e22801)
櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)
グレッグ・ロックハート(浅き夢見じ・e23784)
エリザベス・ナイツ(スターナイト・e45135)
ナザク・ジェイド(甘い哲学・e46641)

■リプレイ

「まだ確認出来ていない」
 君乃・眸(ブリキノ心臓・e22801)はアイズフォンで仲間達と連絡を取り合いながら、付近を巡回していた。まぶたの裏には幾つかの情報が絶えず変化しながら表示されている。
「ああ、職員やレスキュー隊員にはワタシ達の作戦、配置を伝達してあル。そちらは――」
 と言いかけて眸は言葉を切った。右眼を遠望に切り替えると、視界の先には黒煙が立っている。
「間違いない。雪崩がくる。開始してくレ」
 言葉短かに通話を切りあげ、眸は雪山を滑り下りる。
「雪崩だ! 急いで避難をっ」
 行き交う人々に警鐘を鳴らしながら。


 雪のように白い肌。くすんだ灰色の髪。アリシスフェイル・ヴェルフェイユ(彩壇メテオール・e03755)は誂えられた彫像と錯覚するほど白銀の世界に映えていた。ただし雪の妖精というには物騒にすぎる。巨大な鋏を模した双剣を振るいつつ、アリシスフェイルは躊躇なく踏み込んだ。
 容赦なく叩きつけられた蹴撃。だがエミルは防いだ腕で彼女の足を抱き放り投げた。雪上に着地するアリシスフェイルへ流れるように弓弦を弾いたが、
「たぁぁ!」
 大剣の一振りによって矢は勢いなく地に落ちる。追撃するかと思いきや、エリザベス・ナイツ(スターナイト・e45135)はその場に留まる。大剣を盾のごとく構えた途端、炎を伴った衝撃波が押し寄せ、エリザベスは顔をしかめた。
「攻撃を抑えつづけるっていうのも楽じゃないわね」
「だが、今は耐えるしかない」
 体に闘気を纏わせたグレッグ・ロックハート(浅き夢見じ・e23784)は身を盾として筈弓を受けた。虚しい音をたて刃は止まる。十字に組んだ腕を跳ね上げると、グレッグは返す刃を避けてエミルに組み付き、あらん限りの力でエミルの腕を上空へ逸らす。
 次の瞬間、掌から発射された炎弾が晴れ空へ昇り爆発した。
「間一髪ね」
 ひとりごちながらアリシスフェイルが剣を薙いだ。エミルを斬り抜け、更に一刀を浴びせんとするがエミルはグレッグの腹に膝を立て振り払って飛びずさる。
 双方に一旦の距離があく。エミルはくつくつと笑いを漏らし、
「向かってきたかと思えば動きがおかしい。君らが憂慮しているのは」
 腕を岩肌に向けた。咄嗟にエリザベスが腕の先へ飛び込む。
「雪崩か。人類の守護者も大変なものだ」
 エミルは炎弾を放つことなく悪意の笑みを浮かべたまま掌を明後日の方向へと向けた。逡巡したもののグレッグは動かざるをえない。しかして、掌はひと欠けらの熱量さえ生むことはない。だがエミルにとっての足掛かりは出来た。
 腕ひとつで二人を引き離したエミルは大地を蹴り、間隙を突いてアリシスフェイルに肉薄する。頭上からうなりをあげて迫る筈弓を転がるようにして避けるが、追って放たれた矢が脚を貫いた。歯を食いしばり悲鳴を殺す彼女を見て、エミルが満足げに鼻を鳴らす。
「オルヴォワール。お嬢さん」
 今度こそ紛うことなく炎弾が放たれた。炎弾は炸裂、爆炎をあげたが炎はアリシスフェイルの頬を舐めることはなく、もっぱらぶつかるようにして飛び込んできたグレッグに赤い舌を伸ばした。
 押し寄せる業火のなかにあっても瞳には強い意志が、失せることのない青い光がこもっている。
「諦めの悪い……」
 エミルは呟き、続けざま炎弾を放った。
「誰一人、命を奪わせる気はない」
 体の前で腕を交差させて組み、グレッグは爆炎に耐える。そして一歩。また一歩と重い足を踏み出した。
「愚かな」
 歩みを挫こうと攻撃は苛烈さ増す。炎は空気すら焦がし、度重なる衝撃に骨が軋み、肌が焼けただれる。だが数歩あとずさるもグレッグの膝が折れることはなかった。胸中の衝動に動かされるままに蒼炎は燃え盛り、グレッグは僅かにでも前進する。
 と、不意に閃光が飛来しエミルを撃ち貫いた。
「諦めるなんて冗談じゃないわ。できるだけ沢山、できるだけ欠けることなく護りたいの。私、欲張りだもの」
 白銀の銃身を支えるようにして膝立ちになり照準を覗くアリシスフェイルは、矢傷に集中をかき乱されまいと唇を噛みしめ引金を引いた。再び音よりも速く光線が突き刺さる。
 仰け反るエミル。その一瞬をついてエリザベスが飛び出した。閃光を背に懐へ潜り込み、脇をしめて大剣を払う。直線をなぞるように剣先がふれる。エリザベスは細心の注意を払いながら敵が筈弓を手放さぬよう立ち回る。
「はしこいお嬢さんだ。だが勝てない勝負をするものではないよ!」
「そんなのっ、わかんないじゃない!」
「お話しのところ、邪魔するわよ」
 二人の攻防にアリシスフェイルが加わると剣戟は常人では立ち入れぬ剣の舞とかわる。大剣が空気を震わせ、片刃の双剣が煌めき、筈弓が風のように薙がれる。しばらく雪原には干戈のみが鳴り響いた。
 エミルは舐めるような視線を二人に這わせる。
「流石はケルベロス、美しいね。……よし決めた。皆殺しにしよう。殺して、エインヘリアルにしてあげようじゃないか!!」
「お断りよっ!」
「お断りだわっ!」
 少女達は声を揃えて剣を振るった。
 力に逆らうことなく受け流しエミルは後方へ飛ぶ。手中に束ねた矢を握ると、もはや弓矢と呼称することの出来ぬほど巨大な漆黒の矢がうまれた。
「避ければ雪崩。受ければ死。さぁ、審判の時さ」
 誰もが死を覚悟した。だが、
 エミルが手を振り下ろそうとしたその時、一つの黒い影が飛び込んだ。


 山が嘶くと同時にケルベロス達は動き出した。それぞれが分担されたエリアで避難誘導を行い、人々を防衛ラインである左右の森林地帯へと促す。ナザク・ジェイド(甘い哲学・e46641)は雪上を苦もなく駆け回り、付近の人々へ声を届けていた。
「動ける者は下方の森へ。動けぬ者は声をあげるなり手をあげるなりしてくれ」
「急げど慌てず頼む。周りの者とも助け合ってな。なぁに、万一巻き込まれてもすぐ助ける。あっ、呼吸の確保はしっかりと、な」
 櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)がのんべんだらりと付け加えた。頼りがいのある戦友がいればこそだが、千梨の流れ雲のような掴み所のなさは正そうとしても正せぬ千梨の性質であった。
「この白妙の景色は馴染み深い。余り荒らされたくはないなあ」
 千梨が辺りを見回して不意に呟いたので、ナザクもしばし立ち止まった。
 雪はどこまでも美しく降り積もり、その跡形すらなく綺麗に消えてしまう。何も……残さずに。
「ああ。本当に美しいな、何よりも」
 ナザクの脳裏に浮かぶ女性の面影。ナザクの横顔を見て、千梨は余計なことは言うまいと言葉を返した。
「まったく、美しいモノが好きなら風流も解して欲しい所だ。……それにしても寒いなぁ」
「珈琲が欲しいところだな」
「ん、いいな。カレーもあるなら松に鶴だ」
「また1階のカレーか?」
「安いし、馴染みだからな」
 危急の時だというのにまるで二人の会話は日常の延長線上にあった。凹凸とでもいうのか、二人はなんとなしに馬が合う。
 不意にナザクの眼が細められる。千梨が視線を追うと、危なげなさまで男性が滑り降りてきていた。反射的に、ナザクは男性を抱きかかえ、素早く斜面を滑り降りて森へ入った。
「ここで待て」
「おいっ、本当に大丈夫なのかよ!」
 男性を下ろして戻ろうとするナザクの背に声が投げつけられる。振り返ったナザクが見たものは怯える人々の姿であった。災厄に抗う術のない人々が抱く不安はどれだけのものだろうか。なればこそナザクは一人々の眼を見て言葉をつむいだ。
「何があっても我々が助ける、心配するな」
 真摯な言葉は人々に届いただろうか。窺い知ることは出来ないがナザクは確信していた。希望が何よりも生を繋いでくれることを。
 そんなやり取りを視界の端におさめつつ、千梨は素知らぬ振りをする。詮索なんて無粋だ。花は秘すればこそ美しい。大抵の真実は残酷で、明かせば取るに足らぬ事ばかりだ。
「さて……と」
 千梨は符を重ね扇のようにして、凛とした挙措でくるりと回った。
 さぁ、仕事だ。


 抑え役の三人は無事だろうか。
 拡声器から幾度となく呼びかけが行われるなかで玉榮・陣内(双頭の豹・e05753)は考える。
 少数でデウスエクスを抑えるのは至難の技だろう。そして、極言すればケルベロスの仕事は人間の救助ではない。例え800人が死んでも、その後の1万に関わる事件を失くす。つまりは人類を生かす闘いが求められるわけだ。
 だが――。
「そんなのは、知ったこっちゃないな」
 陣内はケルベロス達の実情を知っている。彼らがどれだけ『命を守りたいか』も痛いほどに。
 自分の事を優しいなんて口が裂けても言えないが……あいつらの熱意に報いるくらいの度量はあるつもりだ。
「タマちゃん、眸さんが!」
 陣内に鋭い声がふる。
 木立の上に立つ新条・あかり(点灯夫・e04291)は雪崩に追われるように森へ突っ込んでくる眸の姿を捉えていた。両腕に親子を抱き、背に老人を背負って滑り降りてくる様はなんとも言えず滑稽だが、一つの命も漏らさんとする意志のようなものが如実に見てとれた。だが危うい。雪崩は速く、このままではもろとも雪に呑みこまれてしまうだろう。
「あっ――」
 更には山の背から必死に逃げる一つの影も視界に入る。それが人間であるとわかった瞬間、男は雪崩に呑みこまれた。
 考えるより速く体が動き、あかりは器用に木を伝って森を出た。
 気づき、陣内も後を追おうとしたが雪崩はもう目の前である。持ち場を離れるわけにはいかない。
「すぐに追う」
 ひとりごち、陣内は雪崩に備える。ウイングキャット『猫』はひとりでにあかりを追いかけた。


 雪崩は眸の背後に迫り、今にも彼らを呑みこまんとしている。真っ先に助けに出ようとした尾方・広喜だったが長身の彼を飛び越えてスバル・ヒイラギが雪崩の前に躍り出た。
「雪山だいっすきな俺としては、雪崩事故なんて許さないぜ!」
 アリシスやグレッグのためにもな。スバルが撃ちかけた狼の闘気は牙をむき雪崩に激突する。雪崩の勢いが弱まると、眸は好機とばかりに速度をあげて森に滑り込んだ。
「キリノ」
 助けた人々を放るとビハインド『キリノ』が見事にキャッチし地面におろす。
 眸は速度を殺して転回、腕を地面に叩きつけた。と、まるで鏡映しのように広喜も同じ挙措をとっている。違うのは眸のどこどこまでも怜悧な顔と、広喜の挑みかかるような笑顔か。
「雪に咲け、贖罪ノ花。カタストロフ」
「ガイアぁ!」
 成長などという言葉では生ぬるい。見る々間に幹が伸び、枝葉が生い茂る。ネモフィラは青い草葉のカーテンのように大樹の枝々へ蔦を伸ばす。宿主の生命を糧として攻性植物は群生、森はより巨大になり雪崩に立ち塞がった。
「ワタシ達が必ず雪崩を止めル」
 それは誰かに言った言葉ではない。眸が己に科した一種の誓いといえた。
「おぅ、必ずなっ」
 が、あまり純粋に広喜が返すので、眸の口元も自然にほころんだ。
 雪崩が押し寄せると大地が震え森が泣き声をあげた。熱帯雨林じみた陣内のガジュマルは複雑に絡み合って地面に足をおろし、そよぐことのない堅さで雪崩の勢いを流す。
 大樹のカーテンに激突した雪崩が雪煙となり冷気が流れこむ。陣内は首をすくめ、恋人が首に巻いたマフラーに口を埋めた。
 一方、左方の森のなかナザクの攻性植物はクスノキとして大地に根を張っていた。堅い樹皮を持つクスノキはあくまで要塞のように立ち塞がり雪崩に対抗してみせる。その木々を氷の蔦が這いまわる。
「月白く、雪白く」
 千梨は積雪に脚をとられることなく舞った。千梨が舞えば氷が躍る。舞に従い氷が這えば木々の間には幾重にも蔦葛が張り巡らされる。それは網のように雪の進入を防いだ。更には氷の蔦、その内側を縫って赤い花実が芽吹いた。
「僭越ながらお手伝いしマス」
 エトヴァ・ヒンメルブラウエが力を注ぐたび椿が森の中に色をつける。柔らかな香りが鼻孔をくすぐり、ゆっくりと人々の心を落ち着けてゆく。
 森の外周に添うようにして展開されたこれらの攻性植物はいわば堤であった。ケルベロス達は雪崩を大河の激流になぞらえて、その力を分散させるべく木々で支流をつくったのである。
 毛細血管のように広がり入り組んだ木々の支流に轟々と雪が流れ込んでいく。ひとたび支流に穴があけば雪は森の中を侵食する。誰一人、気を抜くことは出来なかった。
 攻性植物は貪欲に宿主の力を喰らい続ける。文字通り、命を削ってケルベロス達は力を与え続けた。見方を変えれば、この戦いは地球という星の自然、その猛威との力比べと言えるのかもしれない。
 結果として彼らがつくった堤は決壊することはなかった。ゆっくりと、しかし確実に雪崩は勢いを削がれ、遂にはずるずると這って積雪の一部となった。
「怪我人はレスキューに。俺達は雪崩に巻き込まれた人を探すとしよう」
 深く息をついてナザクが言うと、エトヴァがスノーモービルのエンジンを吹かした。


「みんな、大丈夫!?」
 エネルギーの力場を羽として飛んできたノルは、降下の勢いそのままに白鞘の喰霊刀を振るった。
「ノル……なぜここに」
「我儘言ってごめん」
 問いに答える暇はない。ためノルは短く返した。
 見目麗しい者なら、きっとグレッグの事だと思った。でも『夕陽を浴び灼ける砂漠の色』は『金色』だ。だとすればこいつのお気に入りは……。
「っははは! 本当に君たちは素晴らしいな、何よりも君のその瞳はぁ!!」
 筈弓で刀を絡めとりエミルがノルの結んだ髪を掴んだ。ずいと顔を近づけて金色の瞳を覗きこむ。
「ああ、いいな。美しい」
「っ放せ!」
 ノルがもがく。後ろ手をとったエミルは髪からうなじ、そして頬を撫ぜた。
「君を私の従僕としよう。だからその金色の瞳をわけておくれ」
 指が瞳へと向かう。と、
「放せ」
 遮ってグレッグがエミルの腕をつかんだ。
「この死に損ないが」
 満身創痍のグレッグを炎弾が打つ。凄まじい衝撃に黒煙があがりエミルは敵の死を悟った。だが、黒煙を突きさいて蒼炎に包まれた腕が再びのびる。
「ノルを放せ」
 腕はエミルの首を掴み、猛然と締め上げる。
「あぁ、あああっ! 炎が、炎がぁっ!!」
 燃え盛る炎を顔に感じると素っ頓狂な叫び声をあげエミルは飛び退いた。
「これって大チャンスよね!!」
 エミルの死角からエリザベスが突撃するのを見て、アリシスフェイルは魔女の夢、その一節を詠った。生まれいでたは茨の槍、魔力の棘は傷口から神経に根を伸ばし体を支配する。
「動きが鈍いんじゃない?」
 アリシスフェイルが腕を振るうと、柩の青痕が一斉に放たれた。
 同時にエリザベスが大剣を掲げ、一息に振り落とす。剣は筈弓を打ち壊し、槍は腕を貫く。が、エミルは大きく跳躍して空に舞った。胸の早鐘を鎮め、眼下の番犬に憎悪の視線をおくる。
「グレッグ……名は憶えたぞ。ノル、今度こそ君を迎えにこようじゃないか」
 タールの翼をはためかせ、黒き悪魔は雪山を去った。
「俺にとっての大切な陽だまりを。決して奪わせたりはしない」
 囁くと糸の切れた人形のようにグレッグは倒れる。
「お疲れ様、グレッグ」
 ノルはその体を愛おしく抱きしめた。


 あかりは息を切らして走る。冷たい空気が無遠慮に喉をつき咳き込むも足は止めない。なぜかしらん、雪上での移動を苦に感じることはなかった。いま見えている風景にもどこか既視感がある。
「なぁ~ぉ」
「ここが?」
 あかりは猫をのけてケルベロスチェインを慎重に雪下へ伸ばした。細い鎖が積雪を分け入り、その先端が雪でない何かに触れる。
 ここだ、間違いない。あかりは手にした武器を振りかざして――固まる。
 少しでも雪崩の可能性がある以上、危険な方法はとれない。
 意を決し、あかりは雪のなかに指を突き入れた。必死に手を動かして雪を掻きわける。当然ながらそこはひどく冷たく、指先の感覚がなくなるまでにそう時間はかからなかった。猫も一緒になって雪を掻いたが、少女の手にはあまりにも荷が重い行為であった。
 それでも彼女は手を止めない。指先から血が滲み、身が凍えるような風が吹いても、懸命に雪を掻き続けた。だが雪崩に巻き込まれた男性は僅かも見えてこない。
「もう、駄目なのかな……」
 自然と弱気な言葉が口をついた。そんな自分を情けなく感じ、あかりはガムシャラに腕を振り上げた。
「あかり」
 しかし腕は掴まれ、体は陣内に抱き寄せられる。彼の激しい鼓動が聞こえる。
「タマちゃん、ここに人が」
「わかった」
 陣内はあかりの手をマフラーで包み、代わって雪をかいた。猫が心配そうにあかりを見上げる。マフラーの温かさに涙が込み上げてきて、あかりは幾度も目尻を拭った。
「人は死ぬ」
 陣内は振り返らず語りかけた。
「救えない命に出会うこともある。自分の無力を噛みしめて、一歩も動けなくなるようなことも」
 凄惨な過去を経て今を生きるあかりにはこれからも禍福降り注ぐことだろう。いや、ケルベロスであれば禍こそ避けては通れないだろう。
「だがそれは今じゃないさ」
 陣内が埋もれていた男を担ぎ出した。あかりの膝がくだけて雪の上に尻もちをつく。寄り添う猫が優しい碧色の眼であかりを見上げた。
「お前が救ったんだ」
 白馬で起こった雪崩における負傷者は100名ほど、うち重傷者は3名。奇跡的なことに死者が出ることはなかった。

作者:東公彦 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年3月9日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 5
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