羽搏く蝶々

作者:犬塚ひなこ

●妖精族の復活
 機械めいた装飾がひしめく宮殿にて。
 第七の魔女・クレーテはくすりと笑み、は手にしたコギトエルゴスムに魔女の力を注いでいく。すると其処から蝶の翅を持った妖精が其処から現れ出でた。
「さあ、これでコギトエルゴスムから復活したりんね♪」
「蘇生に加えて拠点の迷宮化まで、かたじけない。この恩に報いぬ余ではないよ」
「そりゃ当然りん♪ せっかく遊興とルーンの妖精をゲットしたんだから、ばりばり役に立って貰うりん♪ キミりん達は、ボクりん達魔女と相性バッチリりん♪」
「……ならばまずは、同胞を戻すため、グラビティ・チェインの獲得に赴くかな」
「そうりんね、手伝うりん♪ そろそろボクりんも牛脱いで、本気出しちゃうりん♪」
 そして、第七の魔女は今まで被っていた牛の被り物を脱ぎ捨てる。
 その素顔を露わにした、彼女の真の名はグレーテル。その背後にはパッチワークの魔女の生き残りである第二の魔女・レルネと第四の魔女・エリュマントスも控えており、新たな企みの為にタイタニアを見つめていた。

●妖精を信じる少女
 或る夜。とある家の屋根裏部屋。
 少女は天窓から夜空を眺めながら絵本のページを捲った。其処に描かれていたのは御伽噺の妖精の絵。それが彼女のただひとりの友達だ。
「ねえ、今夜は星が綺麗だよ。あなたもほら、見て」
 絵本を掲げて天窓に近付けた少女は不意に妙な気配を感じて振り返る。
 すると其処には蝶々めいた翅を持つ少年が立っていた。それは何処か絵本の妖精に似ていて、少女は傍と気付く。
「あなた、もしかして……絵本から出てきてくれ――……かはっ……!?」
 少女は嬉しそうな表情を見せて妖精に近付くが、その言葉を言いきる前に血を流して倒れた。それは急激にグラビティ・チェインを奪われたことによる症状であり、妖精の少年は哀しげな表情を浮かべる。
「ごめんね。僕には力が必要なんだ」
 倒れた少女に手を翳した少年はその身にささやかなヒールを施す。
 そして床に落ちた絵本に視線を向けた後、彼は蝶の翅を羽ばたかせた。天窓から夜空へと飛び去った彼の行方は知れず。ただ、空には星々が煌めいていた。

●夢の力
 リザレクト・ジェネシスの戦いの後、行方不明になっていた『宝瓶宮グランドロン』。
 其処に繋がる予知があったとして、雨森・リルリカ(花雫のヘリオライダー・en0030)はケルベロス達に招集をかけた。
「妖精を信じる純真な女の子のグラビティ・チェインが奪われたことで予知が繋がりましたです。現れたのは妖精八種族の一種だと思われます」
 実体化した妖精型デウスエクスは少年少女の夢の中に埋め込まれていたコギトエルゴスムから復活したらしい。どうやら充分な力が溜まった段階でデウスエクスが実体化するように仕組まれていたらしい。
「夢の中にコギトエルゴスムを埋め込むことからみて、事件の背後にはドリームイーターが関わっているはずです。でもでも、詳細はまだ分かっていないのでございます」
 リルリカは僅かに俯き、ちいさな溜息をつく。
 幸いにも出現する妖精型デウスエクスに被害者を殺す意図はなく、予知の少女が倒れた後にヒールまで行っている。しかし、だからといってこのまま放置することはできない。
 視えた光景は未来のこと。
 それゆえにまだ今の時点では件の妖精は復活していない。
 そう話したリルリカはどうすれば事件を阻止できるかについて語ってゆく。
「どうやら妖精を信じる純真な少年少女でなければ、妖精型デウスエクスを復活させることはできないようなのです。ですので、女の子に実際に会って『妖精から興味を失う』ように仕向ければいいのです」
 そうすれば妖精復活は不可能となり少女からコギトエルゴスムが排出される。そのままそれを確保することが出来れば今回の任務は達成となる。
「女の子のお名前はユキちゃんというらしいです。彼女はよく図書館で妖精の本を読んでいることも分かりました。まずは皆様も図書館へ行ってお話をしてきてくださいませ」
 ユキは純真なので話しかけること自体を怪しむことはない。
 また、彼女は身体を動かすことは苦手で物静かな性格。動物図鑑や植物図鑑などの本をよく読んでいることも分かっている。
 図書館でそのまま会話を行っても良いが、外に連れ出したり別の場所に遊びに行くことも可能なので、何処でどうやって何をするかは自由となる。
「ユキちゃんは本当に妖精さんが大好きで、妖精なんていない・妖精は酷い奴だといった説得は逆効果みたいでございます。ですが『妖精よりも興味を惹かれるもの』が出来れば良いと思うのです」
 例えば興味を引くものをプレゼントしたり、妖精よりも面白いことを話してあげたり、体験させてあげるのも良いかもしれない。
 考えることは多いが、これは逆に言えば繊細一隅のチャンスでもある。しかし、注意事項もあるのだとリルリカは告げてゆく。
 もし説得に失敗した場合――つまり少女が妖精を一番好きなままだと、彼女の中から妖精型デウスエクスが生まれてしまう。そしておそらく、相手は戦闘を行わずに撤退しようとするだろう。
「相手は復活したばかりでそれほど強力なデウスエクスではないみたいです。撤退する前に攻撃を叩きこめば撃破することはできるのですが、それだとコギトエルゴスムを得ることはできません」
 妖精型デウスエクスが出現してしまった場合、撃破するか見逃すかについては現場の判断に任せるとリルリカは告げる。また、攻撃を行わないならば一分程度の会話をするタイミングが生まれると予想される。
 妖精は此方を警戒するだろうが戦意は持っていない。それゆえにどう話をするかが今後の鍵となる切欠になるかもしれない。
 何にせよ、如何するかは現場に向かった者次第。
 少女と妖精の行く末は今、ケルベロス達にすべて委ねられている。


参加者
結城・レオナルド(弱虫ヘラクレス・e00032)
メロゥ・イシュヴァラリア(宵歩きのシュガーレディ・e00551)
繰空・千歳(すずあめ・e00639)
カルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)
櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)
ルト・ファルーク(千一夜の紡ぎ手・e28924)
死道・刃蓙理(野獣の凱旋・e44807)

■リプレイ

●絵本と図鑑
 静謐な図書館で少女は本を眺めていた。
 隅の机で動物図鑑を広げていた少女、ユキは何かの気配を感じて顔を上げる。
「ユキさん」
「……?」
 自分の名を呼ぶ声に驚いた少女は本棚の影から歩いてくる白いライオン――結城・レオナルド(弱虫ヘラクレス・e00032)の姿に目を丸くした。
 白獅子は後をついてくるように促す仕草をして、仲間の待つ本棚の裏へと誘う。
「だ、だれ?」
 ユキがおずおずと問いかけると繰空・千歳(すずあめ・e00639)が微笑む。
「こんにちは、ユキちゃん。今日はね、私たちと一緒に動物園へ行って欲しくて、お誘いに来たのよ。色々と教えてもらえたら楽しそうだわ、なんて。どうかしら?」
 動物図鑑をよく見ている女の子がいると聞いて、と告げた千歳に続き、変身を解いたレオナルドも仲間と共に自己紹介をして軽くお辞儀をする。
「驚かせてすいません。ユキさんと一緒に遊んでみたくて声をかけました」
 そして、メロゥ・イシュヴァラリア(宵歩きのシュガーレディ・e00551)は本を抱えたユキと視線を合わせ、ルト・ファルーク(千一夜の紡ぎ手・e28924)も安心させるように快い笑みを見せる。
「動物、好きなんだよな?」
「うん! 妖精さんのほうが好きだけど動物さんも好き」
 ルトが問うと少女は頷く。
「それなら皆で動物園に行ったら、きっと楽しいわ。メロたちに、色々教えてくれる?」
 メロゥはファミリアの白梟のミラを伴って柔らかな笑顔を向けた。同様にカルナ・ロッシュ(彷徨える霧雨・e05112)も同じ白梟のネレイドを伴っており、ユキは興味深そうに二羽を、そして千歳の隣でぴょこっと踊る鈴を見つめる。
「今日はお天気もいいし、大勢で行く方が良いはずです。どうでしょうか?」
 カルナも外を示して問いかけた。
 だが、ユキは腕の中の本――おそらく自分の持ち物であろう妖精の絵本――を強く抱きしめて目を輝かせた。
「本当に私達も一緒に行っていいの?」
 達、と彼女が言ったのは本の妖精も一緒に数えているのだろう。アンゼリカ・アーベントロート(黄金騎使・e09974)はそれが気になったが、妖精を夢見る少女を否定してはいけないとわかっている。
「大丈夫だよ。君の知っていること、頑張って動物についてお勉強したことを是非私達に教えて欲しいな」
 アンゼリカが願うとユキは首を縦に振った。
 櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)は軽く屈んで動物図鑑を差し出す。
「この図鑑……手に入れたはいいが俺は面倒臭がりでな」
 誰かに読んで教えて貰えれば助かると話した千梨は、どうかな、と聞いてみる。するとユキは自分の絵本と図鑑を見比べて、首を横に振った。
「ううん、私にはこの子がいるから持てないよ」
「そうか、分かった」
 千梨は穏やかに答えると一先ず図鑑を仕舞い込んだ。死道・刃蓙理(野獣の凱旋・e44807)はここからが自分達の仕事だと気を引き締める。
「本も良いですが、実際に見て、触れてみるとまた違う色々な事がわかりますよ……」
「わあい、それじゃあよろしくおねがいします!」
 本当に素直な子なのだろう。メロゥとカルナはそう感じ、千歳も安堵を抱く。
 アンゼリカはまるで王子様のように少女の手を取って優しい微笑みを向けた。
「それでは、勤勉なレディを素敵なZOOにご招待しましょう」
 嬉しそうに歩き出したユキの後ろ姿を刃蓙理が見守り、ルトもその後に続く。
 きっと、少女に必要なのは外の世界を知ること。
 自分の目で見て実際に触れ合ってみることで初めて分かることある。自分がそうだったから、と顔を上げたルトは思いを言葉に変えた。
「世界は広いからな。その楽しさを教えてあげられたら――」
「ああ、きっと悪いことにはならん」
 同意を示した千梨は妖精の端くれとして、予知された未来のようにはさせないと心に決めた。
 そして、一行は動物園へと向かう。

●いざ、動物の園へ
 風は少し冷たいが、穏やかな春の陽射しが暖かい。
 入口から少し進んだ先には三方向にがあり、其々が別の区画に続いているようだ。
「こっちだ、皆!」
 パンフレットを片手に園内を見渡すルトは少年らしい笑みを浮かべ、道が肉食獣と草食獣、そしてふれあいコーナーに続いているらしいと告げる。
 成る程、と刃蓙理は其々の道を見て園内の雰囲気を確かめた。メロゥはアンゼリカと手を繋いだ少女を手招き、行き先を指差す。
「ユキちゃん、どの動物を見たい?」
「じゃあライオンさん!」
 するとユキはちらりとレオナルドの方を見てから肉食獣の檻の方を示した。きっと最初に出会ったときの印象が強いのだろうと感じ、メロゥは口元を緩める。
 其方へ歩いていく最中、ユキが此方に問いかけた。
「皆も動物さん、好きなの?」
 するとミミックの鈴が、すき! と示す形で両足をぱたぱたさせ、ライオンめいた形のエクトプラズムを形作ってみせる。
 千歳とカルナは鈴の様子に小さく笑みを交わし、自分達も好きだと少女に告げた。
「好きな動物、猛禽だとハクトウワ……」
 カルナが問いに答えようとすると、白梟のネレイドがゴスっと彼の頭を突く。その勢い押されたカルナは鷲と言いかけた言葉を慌てて修正した。
「シロフクロウです!」
「ええ、ネレイドは可愛いものね」
 千歳が淡く笑み、カルナの肩に乗っている白梟を指先で撫でる。心地良さそうに目を細めたネレイドを見上げたユキはふふっと笑った。
「白梟さんはお昼でも動ける梟なんだよね」
「だからこうして一緒に居られるんだね」
 ユキの言葉にアンゼリカも興味深くネレイドとミラを見つめる。フクロウの萌えポイントは羽毛やもこもこした脚。普段は膨らんで大きく見えるが実際は細い。
「ふとっちょに見えて意外と軽くて、可愛いよね」
「うん! ねえ、お兄さんの好きな動物さんは?」
 アンゼリカと談笑するユキは千梨に質問をする。すると千梨は近くの檻を示して、あれだと答えた。
「お兄さんはもふもふの猫科が好きだぞ。でもヒョウとジャガーの違いが判らん。アレはヒョウ……チーター?」
「あはは、さっきの図鑑を開いて。えっとね、これだよ」
「成程……面白い生態だ」
 首を傾げる千梨に先程の動物図鑑を開いてもらった少女は楽しげにページを指差す。
 ふむ、と頷いた千梨にユキが自分の知識を告げていく。そんな中、メロゥは二人の楽しげな様子をカメラで捉えた。
 シャッター音にやや驚いた様子でユキが顔を上げ、千梨も頬を掻く。
 何をしてるのかと不思議そうな少女にメロゥはそっと笑って、カメラを傾けた。
「ユキちゃんが楽しそうだったから、その姿をたくさん写真におさめたくって」
「わあ、じゃあ動物さんと皆とも撮って欲しいな」
 あとで印刷して届けるから、と告げた彼女にユキは心底嬉しそうに答える。そしてすっかり打ち解けた様子で千歳とカルナを引っ張り、ライオンの檻の前でにっこりと笑った。
 更にシャッターが切られた、そのとき。
「ヒエッ」
 ライオンの吠える声が響いた後、レオナルドの悲鳴が重なった。
「怖かったのですか?」
「い、いえ、怖くないです!」
 刃蓙理が問いかけるとレオナルドは首を振る。怖かったのがばればれだ。しかし刃蓙理も檻から距離を取っており、其処には猛獣に近付かないと決めた強い意志が見えた。
 ユキはそんなレオナルドと刃蓙理を見ておかしそうに目を細める。
「それじゃあ小さな動物博士に解説をお願いしていいか?」
「いいよ。ライオンさんの群れはプライドって言われててね――」
 ルトの願いに対し、語り始める少女は実に楽しそうだ。
 色々な知識や動物達の好きなところを話し、見て回る時間はきっと忘れられない楽しい思い出になるはず。
 実際にルト自身も戦いを気にせずにいられる時間を楽しんでいるようだ。
 本人は気付いていないようだが、千歳とカルナは少年もまたユキと同じように今を満喫しているのだと感じていた。
 しかし、少しだけ少女に関して気になることがある。
 ユキは図書館からずっと妖精の絵本を片時も離さずにいる。刃蓙理もそのことが気にかかっていたが無理に引き剥がす選択はしてはいけない。だから、と刃蓙理は自分の思いをユキに告げていく。
「凄いと思いませんか……? 猛獣と呼ばれる動物と私たちは既に共存共栄……一緒に暮らしているのです」
「うん、初めて間近でみたけどすごいね!」
「まぁ……アレです。ユキさんも彼等の生態をもっと識る事で、もっと仲良くなれますよ……。私なんかより、ずっとね……」
 はしゃぐユキに刃蓙理はゆっくりと語った。
 自分達の役目は妖精を忘れさせることではなく、それと同じくらい好きなものを作ること。刃蓙理と千梨は頷き、この時間を何よりも楽しいものにしようと心に決める。
 そうして暫し、様々な動物を見て回る一行。
 ルトは猛禽類のコーナーで隼を存分に眺め、メロゥはアンゼリカとユキ、そしてレオナルドが大蛇に驚く姿をしかとカメラに収めた。動物の話をたくさんして、大昔には人間よりも大きなペンギンがいたという知らなかった話に時には驚いたりと和気藹々とした時間が流れていく。
「あっちはふれあいコーナーだって!」
 行こう、と駆け出したユキの後を追って仲間達も歩き出す。
 楽しい時間はまだまだ続く。そう感じながら――。

 それから、もふもふでふわふわな時間が訪れる。
 餌をあげようとしたヤギに突撃される千梨とルト。動物の友をフル活用してうりうりとヤギの背を撫でて可愛がり、懐かれる刃蓙理。
 ウサギを両腕に抱いて目を細めるカルナ。手触りが硬いと言われて拗ねる鈴を慰める千歳。ネレイドとミラが近くの木枝に止まる様を見上げるメロゥ。
 たくさんのヒヨコに群がられるアンゼリカ。何故か小さな子供にもふられ対象として大人気だったレオナルド。
 そして、メロゥから借りたカメラでその光景を撮るユキ。
「楽しかったね!」
 先程までのことを思い返し、少女は休憩コーナーの一角で大きく伸びをした。
 周りには皆が用意してきたお菓子やお茶が広げられている。
「たくさん回ってお腹が空きましたね」
 刃蓙理は動物クッキーを齧り、カルナも温かい紅茶を楽しんだ。ネレイドの性別を当てるクイズに正解したり、千歳から動物型の飴を貰ったりとユキもご満悦。
「飴細工、僕も欲しいです」
「メロもいただいてもいい?」
「では俺も……!」
 カルナにメロゥ、レオナルドまでが飴を希望する様に千歳は笑う。
 その様子を微笑ましく眺めるアンゼリカも甘いチョコを食べて幸せ気分だ。
「甘い物は心を幸せにする、幾つになっても♪」
「本当だね。私、今日はいっぱい幸せだったよ」
 ユキはそっと話す。
 両親が忙しくて殆ど外に遊びに出掛けたことがなかったこと。妖精の絵本は両親に貰ったたったひとつのものだということ。
 そうだったのか、とルトは静かに頷く。
 少女はきっと広い場所に出る切欠がなかっただけなのだろう。そして今日、彼女は本の世界とは違う外の世界を知った。
「ね、また一緒に遊びに行きましょう?」
 メロゥがふわりと語りかけると、ユキはまた遊びたいと頷く。
 嬉しいこと、楽しいこと。
 まだ知らないことを、これから知っていける。ひとりよりも誰かと分かち合う方が、うんと幸せだということは語らずともきっと伝わった。
 それにきっと、踏み出すことを知ったユキがいつか、たくさんの友達に囲まれる光景も見られるはず。こんなに明るくて素直な子なのだから間違いない。
 そんな中、少女はおずおずと千梨に願う。
「あのね、さっきの図鑑……やっぱり貰っていい?」
「うむ……重畳重畳。ああうん、勿論。良い先生への御礼だ、有難う」
 共に図鑑を眺めた思い出が恋しくなったのだろう。頷いた千梨は図鑑を手渡した。
「ありがとう、大切にするね!」
 其処で初めて少女は妖精の絵本を傍らに置き、動物図鑑を大切そうに抱く。
 そのとき、ユキに異変が起こる。
「あれ、ちょっとお昼寝していいかな。楽しいのに、なんだか疲れちゃって……」
 そういって少女は急に目を閉じた。
 すると不意に淡い光がユキから溢れ、その場にコギトエルゴスムが現れる。
 番犬達は顔を見合わせ、此度の任務が成功したのだと感じた。
 しかしこれは少女にとっては小さな変化に過ぎない。好きなものが増えたというたったそれだけ。けれどそれは、蝶々が初めて羽搏いたときのような素敵なこと。
 そして――。

●星空は何も語らない
 時刻はもう夕暮れ時。動物園も閉園を迎える頃。
 目を覚ました少女はそろそろ家に帰らなきゃ、と告げて帰り支度を始めた。
「ばいばい、皆。今日は本当に楽しかった!」
「こちらこそご一緒してくれてありがとう!」
 アンゼリカは明るく笑って手を振り、絵本と図鑑を抱えて嬉しそうに駆けていく少女を見送る。またいつか、と手を振り返すレオナルドの傍ら、ルトの手には排出されたコギトエルゴスムがあった。
「これが蝶の翅を持った妖精の核か」
「復活はしなかったが、殺すことにもならんかったな」
 千梨は安堵めいた思いを抱き、核を見つめる。刃蓙理は少女が見えなくなったことを確かめた後、あ、とちいさな声を上げてルトの手元を見遣った。
「妖精の事をすっかり忘れてましたが……ま、これから識っていけば良い事ですかね」
 この状態では会話はおろか核となった者自身の意思を問うことも不可能だ。刃蓙理は軽く肩を竦め、きっと知る機会も訪れるはずだと感じた。
 そうしてメロゥはコギトエルゴスムに手を伸ばして触れる。
「あなたは、復活した未来でもユキちゃんを殺さなかった。だから信じてみたいの」
「そうね、やさしい妖精だと良いわ」
 メロゥの思いに千歳が目を細めると、鈴もそうだと良いと示すように跳ねた。
 カルナは夕闇から宵色に変わる空を振り仰ぐ。あの少女が信じていたように妖精が優しいものであると願いたい。今は何も出来ないが、カルナも妖精の行く末を案じていた。
 アンゼリカも仲間と同じように空を眺め、一番星を見つけた。
「蝶々の妖精が仲良く出来る子達だと良いね」
「解り合えれば僥倖ですね」
「ただ倒すだけじゃない、対話の道もあるかもしれないな」
 アンゼリカが呟いた思いにカルナが頷き、ルトはコギトエルゴスムを見下ろす。
 そうして次第に宵空に星が瞬き始める中、レオナルドは思いを馳せていた。
 事件は未然に防がれたが、この裏には夢喰の魔女が関わっているに違いない。嘗てのレオナルドの仲間――今はもう居ない彼や彼女達は未だ、胸の中で生き続けている。
 自分の全てを奪ったパッチワークの魔女がどういうつもりかはわからない。だが、レオナルドの中には確固たる思いが宿っていた。
「妖精と魔女、グレーテル。必ず奴等の企みは俺が潰してみせる」
 決意は強く、意志は固く。
 此処から動き出す運命の行方はまだ、誰も知らない。

作者:犬塚ひなこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年2月26日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 3/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
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