死の天使

作者:紫村雪乃


 一人の女が漆黒の髪をなびかせて路地を駆けていた。
 人間とは思えぬ疾走速度。それは一陣の疾風を思わせた。瞬く間に数百メートルの距離を走破する。
「ぬっ」
 突如、女は足をとめた。眼前の光景に息をのむ。
 血まみれの男が倒れていた。すでに息のないことは、男が流した血の量をみれば知れた。
 先ほど女は断末魔の声を耳にしたのである。それ故に駆けてきたのであるが――。
 女が男の断末魔の声を聞いたのは、ここからおよそ三キロメートルほども離れた場所であった。それで男の声を聞き届けた女の聴覚を何と評してよいか。
 そばに女が佇んでいた。ナースの衣服をまとった透き通るような白い肌の少女だ。大きな紅い瞳で男を見下ろしている。その瞳には何の表情も浮かんではいないようであった。
 少女は綺麗な顔をしていた。いや、綺麗すぎるといっていい。人間離れしているほどに。
 女に気づいたか、少女が向き直った。ナース服が朱に染まっている。男の返り血であろう。
 少女は手に鈍色の剣をもっていた。髑髏の柄の禍々しい剣だ。
「……お前がやったのか?」
 女が問うた。すると少女はこくりと頷いた。
「そう。わたしを殺そうとしたから。退魔師の分際で」
「死の天使……」
 女は声をもらした。彼女は少女のことを知っていたのである。
 死の天使。白衣の天使のような姿をしているが、その実は凶悪な戦闘力の持ち主で、退魔師を幾度となく撃退している死神であった。その魔手から唯一逃れ得たのが女であったのだ。
 そのことに少女も気づいたらしい。可愛らしい顔に微笑をうかべた。
「……楡金・澄華(氷刃・e01056)さん。久しぶりですね」
 死の天使がいった。
 刹那である。女は何の予備動作もみせずに一気に十数メートルの距離を跳び退った。ほっ、と死の天使が感嘆の吐息をもらす。
 女――澄華のみせた跳躍は疾走と同じく人間業ではなかった。それもそのはず、彼女は普通の人間ではない。ケルベロスであった。
 のみならず、澄華は忍びでもあった。上杉家子飼いの忍び集団である軒猿の末裔なのである。死の天使が感嘆したのもむべなるかな、だ。
「今度こそ逃しませんよ」
 死の天使は血濡れた美貌で微笑んだ。


「楡金・澄華さんが、宿敵であるデウスエクスの襲撃を受けることが予知されました」
 セリカ・リュミエール(シャドウエルフのヘリオライダー・en0002)がいった。
「急いで連絡を取ろうとしたのですが、連絡をつけることは出来ませんでした。一刻の猶予もありません。彼女が無事なうちに救援に向かってください」
「宿敵はどんな相手なの?」
 妖艶な女が問うた。和泉・香蓮(サキュバスの鹵獲術士・en0013)である。
「死神です。名前はわかりません。どうやら死の天使と呼ばれているようなのですが……武器は剣。喰霊刀のグラビティに似た業を使います。さらに剣風による衝撃波も。これは範囲攻撃となります」
「かなりの強敵のようね」
 香蓮はいった。セリカの表情が只事ではない。予知で彼女は何を見たというのだろうか。
「だからこそ、誰かがいかないと」
 香蓮はいった。そのような強敵相手では澄華も無事ではすまないだろう。
「澄華さんを救い、宿敵を撃破しなければ」


参加者
楡金・澄華(氷刃・e01056)
羽乃森・響(夕羽織・e02207)
帰月・蓮(水花の焔・e04564)
風魔・遊鬼(風鎖・e08021)
トリューム・ウンニル(碧き天災の運び手・e61351)
アルベルト・ディートリヒ(昼行灯と呼ばれて・e65950)

■リプレイ


 雪が降り始めた。まるで血の海を隠さんとでもするかのように。天も目を背けようとしているのかもしれなかった。
 その白く染まりつつ世界の中、二人の女が対峙している。一人は凛然とした娘だ。ケルベロスで、名を楡金・澄華(氷刃・e01056)といった。
 対する女はナースの衣服をまとっていた。透き通るような白い肌の少女だ。死神。死の天使であった。
「今度こそ逃しませんよ」
 死の天使は血濡れた美貌で微笑んだ。
 刹那だ。その姿がかき消えた。
 一瞬後、その姿はぬっと澄華の前に現れている。瞬間移動したとしか思えぬ接近であった。
 無表情のまま、少女は鈍色の剣を振り下ろした。髑髏の柄の禍々しい剣が避けも躱しもならぬ澄華をざっくりと切り裂く。
「何という踏み込みの迅さだ」
 呻きつつ、しかし澄華は反撃に移った。斬龍之大太刀『凍雲』を抜刀する。
「この斬撃、耐えられるか?」
 無数の蒼い光流が流れたた。超高速で舞う凍雲の剣光である。絶対零度の冷気を纏ったその一撃には、死神ですら無視できぬ絶大なる威力が秘められていた。
「なにっ」
 愕然たる声を発したのは、しかし澄華の方であった。縦横無尽にはしる疾風にも似た斬撃の尽くを死の天使は躱してのけている。
「くっ」
 澄華の顔が激痛でゆがんだ。死神ですら恐れるほどの威力を引き出すその技は、同時に彼女の肉体にも大きな負担を強いるのであった。
「……ここまでですか?」
 淡々と死の天使が問うた。別段、宿敵に止めを刺せることに感慨はないらしい。ただ紅い瞳だけがきらりと光った。
 びゅう。
 死の天使の刃が翻った。澄華に、ではない。澄華の前に飛び込んだ小さな影にむかって。
 凄まじい斬撃をあびて、その小さな影は地に叩きつけられた。優美な姿をもつそれは翼ある猫である。
 澄華を庇ったそれ。ウイングキャットであった。
「フォン!」
 叫ぶ声が響いた。死の天使の背後で。
 声の主は二十歳ほどの娘であった。雪が中においてもくっきりと浮かび上がる漆黒の衣服をまとっている。死神というのであれば、この娘の方がよほどそれらしかった。
 娘――羽乃森・響(夕羽織・e02207)は怖気の滲む金色の瞳を、何事もなかったかのようにうっそりと佇む少女の背にむけた。
 フォンはただのウイングキャットではない。それを簡単にたおしてのけるほどの力とは一体――。
「すまない」
 澄華が響を含めた五人の男女に声をかけた。
「よくぞ来てくれた。礼をいう。が、気をつけてくれ。その少女――死の天使の実力は洒落にならない」
「それは澄華殿の姿をみればわかる」
 女がいった。男物の袴を身につけた、すらりとした肢体の娘である。きりりとした美貌はエルフらしく人間離れしていた。
 名を帰月・蓮(水花の焔・e04564)というその娘は澄華と旧知の友であった。共に鍛錬を重ね、共に戦った間柄である。澄華の実力は蓮自身が一番良く知っていた。澄華を追い込むことができる者など、世にざらにあるとは思えなかった。
 蓮の指輪が光った。澄華の眼前に光の盾が現出、彼女の傷を癒す。
「俺はナース萌えとか、そういう趣味ないんで…」
 アルベルト・ディートリヒ(昼行灯と呼ばれて・e65950)が、やけにのんびりとした声を発した。着流しに、手には長煙管という出で立ちは雪見の散歩にふらりと寄ったよう。
 モノクルをつけた顔をフォンにむけると、アルベルトは顔をしかめた。
「と言ってる場合じゃないな。可愛い猫になんてことをするんだ。やけにケルベロスを狙う死神多くてうんざりだが……血まみれ悪趣味ナースにはさっさと地獄に帰ってもらうぞ」
 舞う雪に紛れるように白いものが舞った。アルベルトが放った紙兵だ。前衛に位置するケルベロスのそばに滞空する。
「宿敵との戦闘に割って入るというのは無粋ではあるかもしれませんが、勝つためならばそれを受け入れるの楡金さんでしょうからね。なので、遠慮なく戦わせていただきますね」
 声は空で響いた。声の響きが消えぬうち、声の主が襲撃したからだ。
 舞う雪を切り裂いて疾ったのは二十歳ほどの若者であった。大型の猫族を思わせるしなやかさをもつ肉体は澄華と似ている。
 そう、彼もまた忍びであった。名を風魔・遊鬼(風鎖・e08021)という。
 奇襲による一撃離脱。それが遊鬼の得意とする戦法であった。雷閃を思わせる刺突が死の天使を貫く。
 肉を貫く手応え。
 それを覚え、遊鬼は跳び退った。が、その同じ距離を死の天使もまた跳んだ。舞わせた剣が遊鬼を裂く。
 死の天使の顔にわずかに訝しげな表情がうかんだ。思ったほどの手応えがない。紙兵に邪魔されたのである。
 その時だ。死の天使は気づいた。煌く爪先から光流を迸らせて舞う人影があることを。
 それは目にしみるほど鮮やかな蒼い髪をポニーテールにした少女であった。挑みかかるような鋭い目つきが印象的である。
「え、神なの? 天使なの? どっち?」
 誰にともなく少女――トリューム・ウンニル(碧き天災の運び手・e61351)は問うた。別に深い考えがあって訊いたわけではない。いつもの単なる思いつきだ。
 過去もない。未来もない。あるのは、この一瞬だけ。それがトリュームの生き方であった。
 トリュームの蹴りが炸裂した。さすがの死の天使もたまらず後退する。
 その隙をつくようにギョルソー――ボクスドラゴンが動いた。己の属性をインストールし、遊鬼を癒す。
 それを見届けると、澄華は死の天使に刃のような視線を放った。


 以前は一人で相手をして煮え湯を飲まされた大敵。澄華にとっては文字通りの死神だ。
「天敵すら幾度も撃退する程の実力に背中を見せたが…今回は仲間がいる。一人でやろうとは思わん、今回は私達でお前を止めてみせよう」
 澄華がいった。その時、またもや紙兵が舞った。アルベルトだ。
 すると死の天使が澄華に襲いかかった。からくも響きがライトニングロッドで受け止める。が、ロッドがはじかれた。死の天使の刃の剣圧によって。そのまま死の天使が響を切り下げる。
「さすが死の天使。あれ、神だっけ?」
 トリュームの斬撃が死の天使の足を切り裂いた。が、少女の表情に乱れはない。
 ギョルソーが響を癒すべく動いた。死の天使の赤い瞳がちらりと動く。
 その眼前に澄華が飛び込んだ。呪われた昏い一閃が死の天使を薙ぐ。
 呪われた刃は死の天使の魂を啜ったはずだ。いや、死神に魂などあるのだろうか。
 瞬間、死の天使の背後に遊鬼の姿が躍り上がった。疾る光の刃は、しかし鈍色の刃で受け止められる。背をむけたまま死の天使が刃を背に当てたのだ。
 振り向きざま、死の天使が刃で遊鬼を貫いた。刃から流れる呪詛が遊鬼の魂を汚染する。
「はなれろ!」
 蓮が刺突を放った。稲妻のごとく疾った超高速のゲシュタルトグレイブが空を裂く。死の天使が跳び退り、槍の一撃を躱したのだ。
「う……ん?」
 死の天使が自らを見下ろした。純白であったナース服が朱に染まっている。返り血であった。
 だけではない。その朱は彼女自身が流した鮮血でもあった。そのことが死の天使には信じられないことであったのだ。
「どうだ、自らの血の色は。綺麗か?」
 アルベルトが問うた。すると死の天使が顔を上げた。綺麗な顔が吊り上がる。修羅の顔だ。
「それが本気の顔か」
 アルベルトの身体から銀光が噴いた。オウガ粒子である。銀光に包まれたケルベロスたちの感覚が研ぎ澄まされ、超人域にまで押し上げられる。
 刹那である。遊鬼が地を蹴った。再びギョルソーに癒され、戦闘力はまだ残されている。衝撃すらともなう迅雷の速さで接近、刺突を放った。
 躱せない。
 咄嗟にそう判断した死の天使はわずかに身じろぎした。あえて脇腹で受ける。そのうえで彼女は髑髏柄の剣を薙ぎ下ろした。
 ボクスドラゴンにより癒されたとはいえ、死神の攻撃を二度も受けたのだ。三度目は屠れる。そう判断したのであった。
 ざっくりと鈍色の刃が肉体を裂いた。鎖骨を切断、刃は肺まで到達している。
 ごふり、と口から鮮血が溢れ出した。遊鬼を庇った蓮の口から。
「お主は澄華殿も誰も殺せない…殺させない」
 ニヤリ、と蓮は笑った。
 彼女の生き方。それを一言でいうなら、護る、である。刀も、そして命までも、そのためにあると蓮は考えていた。たとえ死のうと、蓮は守るべき者のためにこれからも立ちはだかるだろう。
「今までお主が奪ってきた命の分…その重さを背負い、帰還叶わぬ冥府の底の底まで沈むがよい」
「うるさい」
 死の天使がいった。そして、はじかれたように跳び退った。迫る漆黒の顎門を見とめたからだ。が、逃れることはかなわなかった。漆黒の顎門が少女に食らいつく。
「はーい、動かないで……って、動けないよね」
 嘲弄するかのようにトリュームがいった。その通りだ。すぐには死の天使は動けない。
「もう終わりだ」
 澄華が跳んだ。
「一度は敗北した相手。だが、今回は前のようにはいかん。逃げるつもりはない。今回は私達でお前の首をもらい受ける」
「…ケルベロスなら、強い相手ならば、誰でも良いの…?」
 響が弓をかまえた。ひどくむなしい顔をして。
 死の天使が標的を殺す理由。そこには特別な理由も想いもない。感じられない。
 ただ、目標であるが故に殺す。あるのは冷徹な意思だけだ。そんな志を自身が抱けない事が、響には悲しくてならなかった。
「わたしは、死の天使みたいに強くはなれない…みたい。あなたは、強いのかもしれない。だけど、見境すら失ってしまったのなら、わたしも心を揺らがすことなく、唯、護るのみ」
 響は澄華の背をめがけて矢を放った。妖精の祝福と癒やしを宿した矢が澄華の背に吸い込まれる。
 その時だ。黒い顎門を死の天使が切り裂いた。返す刃を澄華にむけて薙ぎつける。が、澄華の方が迅い。
 呪詛をのせた呪われた一閃。死の天使ともあろう死神が、その一撃の美しさに見蕩れた。
 死の天使の首が刎ね飛んだのは次の瞬間であった。


「ありがとう」
 深々と澄華は頭を下げた。
「首が繋がっているのは、間違いなくみんなのおかげだ」
「仲間なのだから、当然よ」
 響が紙コップを差し出した。暖かい紅茶から良い香りが立ち上っている。
「澄華、皆、おつかれさま。ところで、なにか澄華にとって得られたものは、あった?」
「得られたもの?」
 少し考えてから、澄華は仲間を見回した。全員、修復の手をとめて紅茶を飲んでいる。まんぞきそうな笑みを顔にうかべて。
 仲間の大切さを改めて知ることになった。澄華は思った。
「何?」
 澄華の表情に響が気づいた。が、気恥ずかしそうに澄華は黙った。ただ小さく微笑んで。

作者:紫村雪乃 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年2月12日
難度:普通
参加:6人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 1/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 2
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