──ユア、ユア、と。
何かに呼ばれた気がした。
そしてその何かを識っている気がした。
気のせいかも知れなくて、全ては夢が見せた幻なのかも知れないけれど。月の綺麗過ぎる夜に月岡・ユア(孤月抱影・e33389)は空を翔けていく。
そんなはずはないと、思うことも出来たのかも知れない。
でも確かに誰よりも知っている声だと思ったのだ。
黒翼で降り立ったのは美しい丘。
ひとけも何もなくて、ただ満月を見るためにあるような場所。ユアはそこで先刻垣間見えたはずの姿と声を探していた。
「いるの? ユエ──」
呟く声は問いかけるようでも、懇願するかのようでもある。決して、幻なんかであってほしくないから。
だから宵闇のようなその黒髪が見えたとき、ユアは自分の視界が滲むのが判った。
溢れようとするそれを必死に御して、何とか目の前を見つめる。そっと佇むのは可憐で儚げで──いつまでも記憶に残っているものと、何一つたがわぬ少女。
「ユエ……っ!」
髪には清らかな白い菖蒲。背中にも、ユアと対象的な白妙の翼。
見紛うはずもないと思った。
無二の存在。あの故郷の中で唯一互いに信じ合えた存在。
死んでしまったはずなのにどうして、なんて今は考える由も無く。
「来て、くれたんだね」
笑顔で彼女は言う。けれどその言葉は狂気にも似た色を帯びていた。
それは深い殺意。
「ずっと、救われなかったよね。でも大丈夫。もう何にも苦しむことなんてない」
死ねば救われるから、と。彼女は歩み寄る。
「死んでしまえば──僕が殺せば、全部から救われるから。だから、殺されて」
「……僕を、殺す……?」
ユアは少しだけ、信じられぬ心で声を零す。
夢だろうか、現だろうか。今も滲む涙で、月の輪郭が茫漠としていた。
「月岡・ユアさんが、デウスエクスに襲撃されることが判りました」
夜半に響くイマジネイター・リコレクション(レプリカントのヘリオライダー・en0255)の声音は、ほんの少し静かなものでもあった。
現段階では敵と接触はしていないが──時間の猶予は無いという。
ユアが既に現場の丘におり、連絡も取れない状況から、一対一で戦闘が始まってしまうまでは避けられない。
紛れもなく、ユアの命が危機だということだ。
「今から出来ることは、急行して戦闘に加勢することです」
合流までは、時間のラグはある程度生まれてしまうだろう。それでもユアを危険から救い、戦いを五分に持ち込むことは可能だ。
「ですから、皆さんのお力をお借りしたいのです」
現場は自然の中にある丘。
広々とした所で、周囲に人の姿はない。敵も人払いをしているのだろうか、少なくともこちらが一般人の流入に気を使う必要は無いだろう。
「皆さんはヘリオンで到着後、合流し戦闘に入ることに注力して下さい」
周辺は静寂。視界も悪くはないはずなので、ユアを発見することは難しくないはずだ。
「彼女を襲った敵ですが──死神、みたいですね」
個体としては『月歌姫・ユエ』という名で識別されていたようだ。
どこかユアと似た面影を持つようでも、それと相反するものを宿しているようでもある、不思議な少女という印象を抱かせるだろう。
詳しい目的は不明だが、ユアの命を狙っていることだけは事実らしい。
だからこそ放っておくことは出来まい。
「ユアさんを助け、敵を撃破するために……さあ、出発しましょう」
参加者 | |
---|---|
戯・久遠(紫唐揚羽師団の胡散臭い白衣・e02253) |
シャーリィン・ウィスタリア(千夜のアルジャンナ・e02576) |
遊戯宮・水流(水鏡・e07205) |
深緋・ルティエ(紅月を継ぎし銀狼・e10812) |
クレーエ・スクラーヴェ(白く穢れる宵闇の・e11631) |
桜庭・萌花(蜜色ドーリー・e22767) |
鍔鳴・奏(あさきゆめみし・e25076) |
月岡・ユア(孤月抱影・e33389) |
●冥闇
望月の景色は歪んだままで醒めない。
だからそれが現実だと判って、心が怯えた。
「殺されてって……ユエ、どうして……っ」
息ができない程胸が苦しくて、月岡・ユア(孤月抱影・e33389)はただ言葉を求める。
一番逢いたい人に逢えたのに。
これはきっと望んだかたちじゃないから。
なのにユエはどこまでも、優しい狂気に満ちていた。
「そうすれば救われるから。そうすれば、ずっと一緒にいられるから」
嫋やかに手を翳し、霊魂の刃を放つ。
ユアは逃げるように避けた。攻撃を返すなんて浮かびもしなかった。
彼女に刃を向けるなんて自分には赦されないから。
けれど掠められた傷が、殺意が、ユエが“変わった”事を否応なしに知らしめる。
「ユエ……、誰が蘇生を?」
「僕は死神。僕をこうしたあの人の所にいるの」
「……。死神……。そん、な。あいつ、なの」
ユアは呆然と、そして血が滲む程に拳を握りしめていた。
思い至るのは一つの存在。妹を殺した死神。絆を壊した元凶。
「教えてもらったんだよ。殺せば救えるって。永遠に一緒だって」
「それが、理由……」
そんな救いなんて、嘘に決まってると思った。
だからこそユアは運命の残酷さを理解する。彼女が唆されていて、その存在が後ろにいるのだとすれば、自分がやるべきことは?
(「またユエに死を与えろというのかっ──」)
出来ない、と思った。
月の旋律が体を縛る。その感覚にも抗う気持ちが生まれなかった。
ユエは微笑んで、鋭い刃を形作る。
「死に愛されて、生に嫌われて。救われなかったよね。でもすぐに解放出来るから」
「……。僕、は……、救われなかった……」
嗚呼、そうかもしれない、とユアは思った。
──君がいない世界に生きてても、僕は、生に心を抉られていくばかりで。
──唯一である君を護れなかったのに生きているから。
ずっと己が憎くて堪らなかった。
黒い願望が浮かぶ。
でも君に殺されるなら、本望か。
「だって君は、僕の神様だから。この命、捧げたい」
言葉に、ユエは頷いて手を伸ばす。
だが透明色の刃は、まるで硝子のように砕け散った。
唸る風。耀く翠色。
月闇を翔けた鍔鳴・奏(あさきゆめみし・e25076)が旋転し、霊魂を蹴り砕いていたのだ。
「間に合った! 心配させんなっ!」
「一先ず──そこまでだ」
ユアが虚ろな瞳を向ける中で、銀色も死神へ奔る。
深緋・ルティエ(紅月を継ぎし銀狼・e10812)。獰猛に肉迫すると、相手が反応できない内に拳を叩き込んでいた。
ユエが後方へ下がると、桜庭・萌花(蜜色ドーリー・e22767)が駆け寄っている。
「ユアさん、無事? 助けに来たよ」
せっかく繋がったご縁、みすみす手放してはもったいないからね──なぁんて。
その声音にも、皆の顔にも、ユアはどこか茫然とした顔を見せていた。
「みん、な……。僕、は……」
「ユアちゃん……」
遊戯宮・水流(水鏡・e07205)はその表情に、胸に刺すような痛みを覚える。
瓜二つの彼女の姿が何を意味するのか、見ただけで分かるから。
やりきれないと思った。
それでもそこにあるのが戦いなのだと知っている。
だからシャーリィン・ウィスタリア(千夜のアルジャンナ・e02576)も、ユアの傍らに寄り添っていた。
「ユア、貴女を癒やさせて。貴女を、護らせて」
夜に溶ける声音が、全て伝わるとは思わない。
このふたつの月が辿り着く末に、憂いを感じないではいられないから──それでも、宵の娘は血の癒やしを与える。
クレーエ・スクラーヴェ(白く穢れる宵闇の・e11631)の心も同じだった。故に死神となった彼女へ立ちはだかる。
「例えゆあさんにとって大事な妹だろうと、戦うよ。友人を奪わせて、たまるか」
「そうだよ。……ごめんね、ユアちゃんを連れて行かせるわけにはいかない」
暁・万里が向けた言葉も、静かで、揺るがぬ意志の顕れ。
「僕の救いを、邪魔するの?」
菖蒲の少女は、ただ狂気を鋭くしていた。
彼女には全てが枷。だから月の歌を聴かせてあらゆるものを蝕もうとする。
だが、ルティエがそこへ跳んで応戦。
その間に、戯・久遠(紫唐揚羽師団の胡散臭い白衣・e02253)も軽い柔軟をして──死戦の為の準備を始めていた。
「正念場だ。気合い入れていくぜ──術式開始だ」
揺らぐ白衣に金色の闘気を纏う。
飄々とした面持ちを隠しながら、眩く闇を照らすのは雷の壁だった。
「先ずは守り。次は頼むぞ」
それに頷いたクレーエは生命の力を淡い霧にしてユアを癒やす。それが少しでも支えになればと、そう願って。
奏が霊力の護りを仲間に重ねれば、萌花も星の加護を皆に与える。
「ん、これで準備は大丈夫そーだよ」
「──うん」
水流は頷いて奔った。ユエがユアを攻撃しようとしていたからだ。
少なくともそれは防がなくちゃならないと思った。だから一度瞑目して──飛来した刃を弾き、彼女へと蹴撃を加えていく。
●月光
ユエが宙へ後退すれば、皆はその間に魔力を、刃を携えて迎撃の態勢を取る。
仲間が集い、戦いには光明が見え始めていたことだろう。
それでもクレーエは不安な心で隣を見つめる。
「ゆあさん、大丈夫……?」
「僕、は……」
弱々しい声。
ユアは震えて、その場に膝をついている。心は、それを自覚するだけだった。
「ユエに刃を向けるなんて、やっぱり無理だ……」
「──そう、だから。僕に殺されれば良いの。それで救われるから」
ユエは降り立ちながら言う。それが唯一の答えであるというように。
水流は首を振った。
「死が救いとは限らないんだよ。ユアちゃんが大事だっていうなら、殺しちゃだめだよ。どうして、それが分からないの?」
「君達こそ、分かってない」
ユエは刃のような視線を向ける。
「他に救いなんてない。僕から彼女を奪わないで」
そして──彼女から僕を奪わないでと。まるで濁りのない声で訴えた。
愛の顕れでありながら、それは確かに狂信であったろう。
だからこそ奏は、頷かない。
「ユアから妹さんのことについては、色々聞いていたんだ。だからこそ、譲れない」
「ええ。貴女がユアの「全て」でも。この月の輝きを奪うことは──どうしても、赦してあげられないのだわ」
シャーリィンも静謐な言葉に固い意志を含んでいた。
自分はユアの揺り籠。
傷だらけで、それでも世界を望み始めた、うつくしい彼女を災厄から護る夜宵だから。
「なら、全部殺すだけだよ」
ユエが返すのは、あくまで殺意だった。霊魂を浮遊させ、けしかけようとする。
そこへ奏は殲剣を唄っていた。
朗々と響いて止まぬ歌。絶望を許さぬ旋律は、冷たい夜闇の温度をも変えてしまうような声で、攻撃を自身に引き付けるものだった。
奏が傷を負えば、治すのは久遠。小雷を刃の如く操り、呪いも苦痛も引き裂いて癒やしてみせる。
ただ、その傷の深さに敵が強者であることも感じ取っていた。
「厄介極まりないな」
久遠はその上、あの少女がまだ力を出し切っていないと直感している。ユアへ向けた能力があると、勘付いている。
「気をつけろ、敵は幻惑を得意とするタイプだ」
「幻惑じゃないよ。これは正しいことに気づくための歌」
応えるようにユエは唄った。
それは命を詠う歌。
元は希望を齎す為の詩であり旋律だったのだろう。だが今それは、呪縛のようになってユアの心に入り込んでいく。
一緒に行こう、と惑わすように。
「ユエ……。そう、だね、僕は」
ユアは模糊とした意識で頷こうとした。
何者からも背を向けて、後ろを向いて、希望を捨てるように。否、ユアにとってそれは一瞬、確かに希望だったのだろう。
だから触れていた刃を手放そうとして──。
「ユア! 後ろを向くな! 前を向け!!」
ルティエの声が茫洋とした静寂を裂く。
ゆら、とユアは視線を動かす。そこにロゼ・アウランジェの常磐の瞳があった。
「そうですよ、ダメです……引き摺られては! 思い出して、貴女の歌を──!」
響く歌声。光と虹を詠うポルカは何より二人の思い出だった。
「ロゼ、さん……」
「なあユア。君の大事な人は君の死を望むのかい? それは本当に君の大事な人の思いなのかい?」
ステラ・フラグメントも優しく語りかける。
意識すると明るみに出るのは、残酷な現実でもあったけれど。でもそれは確かにユアに自問を与えた。
そして黛・馨はユアに問いかける。
「妹だか何かしらねぇが、月鏡。お前はどうしたい」
「僕、は……」
「判っているのだろう。戦え」
──本当に愛しいと思うのなら、今ここで、他の誰でもない君の手で幕を閉じろ。
覚えのある、誰かの声も呼びかけた。
咲宮・春乃は星の光を降ろして、ユアの意識を澄み渡らせる。
「ユアちゃんを、守るから。精一杯、力になるから、だから──負けないで」
「……大変だろーけどさ。もうこうなったら、覚悟して選ばなきゃね。彼女との狂気か、ここにいるみんなとの未来か」
萌花はとんとんと地を踏みつつ、変わらぬ口ぶりでやるべきことを伝えた。
「大丈夫。あたしたちが支えるから、どーぞ後悔のないように彼女と向き合って」
それきり地を蹴って、ユエへと接近。攻撃を阻害するように打撃を打ち込んでいく。
ユエは魂を操って退けようとした。
だが久遠が壁となって通さない。
「俺が落ちん限り、ユアを倒せるとは思わんことだ」
「ゆあさん、傷はすぐに治して見せるから」
クレーエは夜色の花を舞わせていた。
美しくて夢のようなそれは、けれど夢を覚まさせるかのように。呪縛も何もかもを全て清めていく。
ユアも分かっていた。
戦わないと、彼女はあの狂気に呑まれ続けるんだと。
そして、それは赦すわけにはいかない。自分が生きてる事が赦されなかったように。
迫りくる魂の刃。それを、水流が白銀の刃で受け止めていた。
「ユアちゃん。このままじゃ、ユエちゃんは救われないよ」
「ユア、お前が愛した人は、お前が後ろを向くことを喜ぶようなやつなのか!!」
ルティエも飛電の大狼を放って応戦している。視線は前に、心と声はユアに向けて。
「分かって、る」
手放しかけた月光の刃を、ユアは握っていた。
定めだなんて一言で表したくはなかった。心はずっと惑っているから。
でも今自分が出来ることは、それを振るって手放さないことなのだ。
「だから、ユエ、僕は──」
月明かりに雫が一粒、落ちる。
でもユアは止まらず、黒翼で羽ばたき白翼の少女へ翔けた。
その背を押すのはシャーリィンの詠う夜告げの謳。
深い慈愛に抱かれるように、力を得たユアは剣閃を奔らせる。少女に刻まれたのと同じくらいの痛みを、自分の心に感じながら。
●ふたり
少女は血を流さない。
表情の中に苦しさを交えて、ただ足取りを重くして──懊悩を表現していた。
「僕を、斃すの? 僕はただユアを、救おうとしているんだよ」
それを判ってくれないの、と哀しむように。
声音には褪せない狂気がどこまでも侵食していた。
「……俺達が何を言っても無駄、というのは分かってる」
奏は呟いて、静かに続ける。
「けれどこれだけは言わせてもらうぞ。ユアは……キミを大事に想っている。昔も、こうして対峙してる今も」
「そうよ。ユアにとって貴女の存在だけが世界だった」
シャーリィンも、ずっと傍で見てきたから分かる。
(「その絆は、「己が為の願望」を、いつの日か血濡れた砂塵の果てへと諦めたわたくしには──眩しく、尊い……ひかり」)
ひとつだったものを引き離した世界に、時には怨嗟を唄うこともあったはずだろう。
それでも。
「護れなかった後悔と、一人で生きていることへの負い目に潰されそうになりながらも……ユアは、諦めなかった。いつか月の半身……貴女へ届くようにと「唄」を諦めなかったのよ」
そのことだけを、どうか忘れないでいて、と。
伝えたシャーリィンの心に、ユエは俯く。
けれど頷きはしなかった。
「それならずっと僕といればいい」
「お前は、そうしたいんだろう。だけど俺が、俺達が大事にしたいのは──ユアだ」
奏は引かずに言った。そして光で羽ばたいて、容赦することなく攻撃の手を加えていく。
ユエは月を唄って諦めなかった。けれどその美しさも、甘い心地も、シャーリィンは花風に散らして夜の冷たさを保ってみせる。
霊魂が飛んできても、萌花は惑わない。かつんと廻って見せながら、淡い光を撃ち出して超常の力を路傍の石へ変えていく。
「無駄だよ。あたしたちも、譲らないからさ」
萌花はふとユアを見た。
多分、彼女から絶望が消えたわけではないだろう。
どろどろに渦巻くような感情を抱けるその絶望を、萌花は少しだけ美しいと思っていたけれど──彼女がそこから歩み出るなら、その手助けをしてあげたい。
水流も、これが希望を生む戦いじゃないのだとどこかで判っている。
自分にも大好きな弟と妹がいる。故に、その気持ちも辛さも理解できるから。
「……」
自分は彼女を殺せない。だから水流はただ無心に、放たれる音像を切り裂いていった。
ユエはそれでも命の歌を重ねてきた。
どこまでも、欲するものを求めるように。
しかし喰代・弥鳥も音を奏でてユアを護っていく。
「俺は君を死なせたくないよ、ユアちゃん。君が笑っていてくれたら嬉しいから」
今は無理だったとしても、いつか。君を大切に想う人に笑えたらと思うから、と。
音の渦の中を、久遠も駆けていく。
一度だけユアに振り返った。
「花道は俺達で作る。その想いを直接ぶつけてこい」
「……」
ユアは少しだけ佇んでいた。
でも、一歩ずつ歩み出す。
クレーエは光を零す青い鳥を飛ばし、そこに護りを施していた。
Sict《Ein blauer Vogel》。ここにいる者も、いない者も。全てのユアを思う気持ちと大切な思い出を結集させて──創り上げた『想いの盾』を与えるように。
「るてぃえ」
その声に頷いたルティエは前へ駆け、剣撃を放っていた。自身の背を見せるように。ユアを前へと導くように。
ユアの歩幅には躊躇いが消えなかった。でも、それも標にして歩を進めていく。
俯きそうになれば、リーズレット・ヴィッセンシャフトが声を贈った。
「貴女は一人じゃないから。前を向いて、ユエさんの命を貴女が救ってあげて」
同時に、ヴィヴィアン・ローゼットはそれを月の歌で、送り出す。
清廉な音の中で、丸越・梓も最後に言った。
「──いってらっしゃい、ユア」
ユアはそっと頷いて、ユエの前に立った。
「ねえ、ユエ」
はっとするような彼女を、ユアは見つめる。
「僕は、まだ生きるよ。皆がその理由を作ってくれたから」
「ユア……」
呟く彼女に、ユアはごめん、と言った。
「君を護れなかった僕が世界に生きている事。どうか……赦して」
自分は罪深いと思った。
だから、この身に秘めし故郷に恐れられた禁断の術で、君を葬ろう。
身を晒したユアへ、ユエは刀を突き刺していた。最期までユアを求めるように。
その傷から黒い刃が顕現していた。
最大の禁忌にして最禍の呪術──創傷、終焉刻。
「此の痛みで、全て終わらせて終おう」
禍々しく、あまりに鋭い刃。ユアはそれによって、ユエの心臓を確かに穿っていた。
愛してると、そう伝えながら。
存在が薄らいでいくユエは、それに言葉を返せはしない。けれど消えゆく前の表情は、どこか安らかに見えた。
霧散する魂が、十字架──死魂ノ宝に吸い込まれていく。
月下に静寂が戻っていた。
夜風の中を、ユアは振り返る。
そこにあるのは儚い微笑みだった。
「……ごめん」
皆を悲しませるね、と。呟いて、それからユアはふらりとくずおれる。
シャーリィンは物言わずユアを受け止めた。
傷だらけの、お月さま。消え入りそうな程、儚いと思った。
クレーエがヒールをかけると、奏も詠唱銀──癒やしの歌を唄う。
「……命に別状はなさそうだが。傷は残るかもな」
久遠はそう言った。
それでもユアは命を失わず、確かに生きてそこに居た。
ラピッド・ラッドピットは、かける言葉も気持ちも、機械仕掛けの自分が理解しきれているか判らない。でも、涙を見せながらユアをぎゅっと抱きしめた。
「頑張ったね」
「……ああ、本当に、よく頑張ったね。身を切る方が遙かに楽だったでしょ?」
比良坂・冥の言葉を、ユアはぼうっとした意識で聞いている。
今でも多分、絶望は変わらない。
辛い気持ちを考えたら底がない。
だから今の自分がどうなっているのか、言葉には出来ない。
でも、この自分の手が、唯一出来る事をやったのは事実だった。
そっと傷に触れた。そして十字架に触れた。そこに温度があるという気がする。
水流はそれを見てどこか、不思議と安心するような気持ちだった。
奏は最後に周囲にも歌を唄う。
魂、記憶、感情、その全てを癒せるように。
萌花はそんな皆を見守っていた。ユアにはお疲れ様、頑張ったね、と小さく声に出して。
風が吹く。ルティエはユアに近づいた。
「一緒に、帰ろ?」
「うん──」
ユアは景色を見つめる。
そこには何者の残滓もなく。ただ月がとても綺麗だった。
作者:崎田航輝 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:なし |
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種類:
公開:2019年2月14日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 4/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 1
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