夜に沈む

作者:ヒサ

 深い夜の中。闇に淡く爆ぜるのは殺意、ざわめく樹杖は雷を帯びて獲物を狙う。
「……やっと、会えた」
 星空の下、エトヴィン・コール(澪標・e23900)は憂いの色を乗せて微笑んだ。対峙するそのひと──否、今は死神となり果てたその相手へ呼び掛ける代わり、彼もまた得物を握る。
 応じる如く死神の唇が弧を描く。寄り添う頭骨が嘆くに似て呪詛を吐く。その毒をやり過ごして青年は、対峙するその姿、その様に、きつく口を結ぶ。
「……今度は──」
 冷たい静けさの中、彼の戦意は吐息と零れた。

「エトヴィンさんを助けて欲しい」
 篠前・仁那(白霞紅玉ヘリオライダー・en0053)がケルベロス達へ乞うた。街から離れた海沿いの人気の無い場所で、青年は死神とまみえるのだという。
 その死神はサルベージされた死者だろうとのこと。ケルベロス達が扱う技と同等のものを多く用いるという。
「彼女の方も、エトヴィンさんに執着している……のかしら。戦うことに積極的、に見えたけれど──」
 視たものを思い返しながら首を傾げる仁那は、しかしかの死神がたとえば生前の彼女と同じように不足無く言葉や思考を御し得るとは思い難いとごちる。
「……とは、いえ。彼女がどんなつもりで居るにしろ、彼一人で応戦するのは危険だわ。だから、あなた達の力を貸して欲しいの」


参加者
メイア・ヤレアッハ(空色・e00218)
春日・いぶき(藤咲・e00678)
キース・クレイノア(送り屋・e01393)
シィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)
サイガ・クロガネ(唯我裁断・e04394)
ヴィルベル・ルイーネ(綴りて候・e21840)
エトヴィン・コール(澪標・e23900)
ウーリ・ヴァーツェル(アフターライト・e25074)

■リプレイ


 星灯りに抱かれた彼らを見つけることはケルベロス達には容易いことだった。刀を抜くエトヴィン・コール(澪標・e23900)の姿に、死神と対峙する彼の様に、覚悟の色を見てキース・クレイノア(送り屋・e01393)は己が足を止めると共に魚さんをそっと制止した。
 死神が杖に術力を込めエトヴィンへ迫る。青年はそれを、敢えて、無防備に受けた。長身に大きく傷が走る。
 爆ぜた肌の下、青年の体の中。には、赤く濡れた血肉があるだけだ。視点を記憶で補完して、サイガ・クロガネ(唯我裁断・e04394)は唇を歪めた。彼の目に映るのは友人の背と血に汚れた黒い砂、死神の白い顔。
「ごめんね、エマさん」
 エトヴィンの舌は、久方ぶりにその名を乗せた。
「旦那さん返してあげたいけどさ、もう僕の中には居ないんだよ」
 吐息が謝罪をもう一度。
(「きっと、探してたろうにね。……ずっと、会いたかっただろうに」)
 その声にか、流れる赤色にか。女の唇は呆けたかのようほどけていた。だがほどなく、再びの笑みを形作る。
 それは刃に似て。まるで、未だ死なぬならば至るまで、とでも、定めた如く。
 杖を握る死神が術を行使すべく跳び退る。だが開かんとする距離を即座にエトヴィンが詰める。その様に、ヒトのカタチを借りて出でた厄災へ抗う意志を見て、春日・いぶき(藤咲・e00678)はそっと安堵を吐いた。彼へと治癒を為すべく術を繰る。
「コハブ、エトちゃんをお願いよ」
 メイア・ヤレアッハ(空色・e00218)は自身の小竜を前線へ送る。青年にとっては必要なことなのだと思えたから一度目は息を殺した。でもこれ以上となれば見ていられない。だから彼女達も動く。
(「本当は、痛いのも、苦しいのも、一度だって」)
 友を想うからこそ唇を噛んだ。想うからこそ、その心に添いたくて。指輪を抱く手を翻したシィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)の術が光の盾を結ぶ。それがエトヴィンの身を護る為に輝く頃、ウーリ・ヴァーツェル(アフターライト・e25074)は、息も継がずに得物を打ち合わせんとする二者の間に割り込んだ。彼女の体に死神の雷撃が爆ぜる。
「うりちゃん、」
 癒しの力に包まれながらエトヴィンが目を瞠る。阻まれ次撃を試みる死神を仲間の蹴りが叩き伏せるのを視界の端に映した。居ることも、きっと彼ら彼女らの優しさも、青年の心の奥底は把握していて。それでも道を塞がれては戸惑いが零れ。
「エトのピンチと聞いてはな」
「物理的に引き裂かれそうだなんて話じゃあね」
「……そっか」
 口々に伝えられる理由にひとまず頷いた。その彼と周囲へ、盾に鎖にと護りが敷かれる様を確かめ、であればとヴィルベル・ルイーネ(綴りて候・e21840)の杖は後衛へと壁を織る。それに共闘の意志を見て。エトヴィンは、この状況が調うに至った経緯を察し、この場に現れた彼らの心を推し量り、更には姿を見せぬ代わりに無事の帰還を待ってくれているであろう者達の存在にも思い至る。
「ありがとうね。──取り敢えず今はエマさ、ううん、この『死神』を倒さないとだから……みんなの力を貸してください」
 けれど微笑んで見せられたのは最初だけ。傷を塞げたことで盾役の許しを得て開かれた道を急ぎ駆けて、彼は『敵』へと踏み込んだ。依頼の声は、息苦しげに掠れた。
 だがそれでも、それは過たず最後まで紡がれた。太刀筋もまた、迷い無く。
「はい、お任せください」
「エトの思うようにしたら良いよ。頑張って」
 だからこそ、その背を見る者達は微笑んで、あるいは気負い無く、応え得た。


「先に言っといてくれりゃ骨でも何でも詰めとけたのにな」
「えー、溺れない程度にしといて欲しいかなあ」
 標的へと蹴りを入れたその足で砂を蹴立てる傍らにサイガが笑う。視線を寄越されてエトヴィンは束の間思案するよう虚空を流し見た。
「エトヴィンさんは悪い狼さんじゃありませんもの、退治なんてさせませんから」
 死神に相対するシィラは緊張に冷える指をきつく拳に握り込み、凛と胸を張る。
「そうよそうよ、エトちゃんは悪い狼じゃなくて悪いわんこなんだから」
「そちらに掛かるんですか」
 断言するメイアの声は常と同じ色。応じて夜気を震わせた吐息が緩んで、この場に未だ余分に漂っていた張り詰めた色が、程良く散った。
 いぶきの指が宙を薙ぎ、温い灯が揺らめき踊る。寄り添う色は熱を孕み、脅威へと立ち向かう彼らを護る。
「魚さんは彼女を焼いてやれ」
 携えた陽の花の毒牙を目覚めさせながらキースは後方の神霊に指示を出す。ひたすらに、となったとて、射手として動くならば不可能では無いだろう。
 だがそれは敵も同様。ケルベロスらが動きを読めども逃さず捉え、狙い澄ました攻撃を浴びせ来る死神に、エトヴィンを護ったコハブが唸る。青年を執拗に追わんとする彼女へと怒りを示す如く。敵の動きへの警告を発したメイアは己が相棒の想いを酌んで労った。
「エトちゃんのこと、お願いね。──いぶきちゃん、お手当てお願いして良いかしら」
 応じ頷いた癒し手は、傍らのテレビウムと共に治癒を紡ぐ。全員が無事であるように、友が思うまま在ることが叶うように、精一杯の援護をと。
 続き、ウーリの祈りが不可視の手を生む。その力に身を縛られた死神の、術を操る手は肉体を走る衝撃に一度跳ねた。彼女が御した頭骨の毒が漂って、けれどヴィルベルの術にて巡らされていた雷の護りが瞬いてその棘を和らげ行く。
「お写真よりかイイね、おねーさん」
 重く振るった斧を受けた杖越しにサイガは死神を見据える。殺意に口の端を上げて、獲物を未だ屠れぬ焦燥に笑声を零す白い女。友曰くの十年強を正しく経はしなかったその姿は、ひどくいびつだった。エトヴィンを求める如く歩を刻み踊る彼女を阻むべく、シィラが彼女へと迫り銃口を向ける。火を噴く音が夜を打ち、弾は獲物の懐をこじ開けて、その身を抉る為の凶器が届く助けとなる。横へと薙いだ少女の腕が思うさま打ち払った。
「わたくし個人は、あなたに恨みも何も無いけれど」
 為した彼女は詰めていた息を吐き。
「エトちゃんをあなたにはあげられないわ」
 己がここに居る意味を、改めて言葉へと。大切に想う友の為、更には同じように彼を想う皆の為。目指すものは、願うものは皆同じで、今宵の理由の全てが彼で、だからこそ思い切り戦える。
「そうだな。エトが居なくなってしまっては、とても困る」
 共にやりたい事はまだまだ沢山あるのだと、キースが。決着もついていないし遊びにも行きたいし、とごちる声は、未来を当たり前に信じて力強く。
 だから今、彼らはこの場を共に乗り越えるべく。
「力の限りお支え致します、そのお体はわたし達が護れます。だから、どうか」
(「どうか、貴方が悔いず済むように」)
 彼の為に、己の為に、出来る事をするだけだ。銃手の祈りが空を舞う。治癒を阻む毒をヴィルベルが敵へと放つ。目指す先へと迷わず向かう助けとなれたら良い。行き先は、退かず前を往く黒狼任せだけれど。
(「歩み寄るも背を向けるも、やりたいように」)
 何故ならそれはきっと当事者たる彼こそが己ですべき事で、彼自身にしか出来なくて。赤く揺れる瞳に情が滲むのを翠の双眸は映した。だが彼であればと信ずるに似て手は伸べぬままに、それでも竜人の瞳は見守るかのように。
 きっと叶うと彼は見る。敵の攻撃は命ごと刈り取らんとばかりの鋭さだけれど、それが心の臓に届く事などなかなか無い。その害意からは盾役達が、穿たれたとて癒し手達が、砕かれれどなお残る加護が、彼を、彼らを護り支える。てつちゃんの画面は賑やかな応援を映し続けていて、暗い夜を明るく照らしていた。
 刀を携えエトヴィンが死神へと踏み込んで、眼前に爆ぜる雷に迎えられる。苦痛の中を刃で以て貫いてその切っ先で肉を抉る。間近に白い面を見て、けれどなびく白と緑の奥の瞳は瞼に隠れたまま。
「……『どうして』『貴方が』」
 白く干涸らびた唇が呪詛を吐く。記憶の奥に鮮やかな痛みに青年は束の間目を伏せる。
「僕だけじゃ、きっと足りないよ」
(「奪ったものを贖うには……僕一つきりじゃ、あなた達二人にはとても」)
「だから、最期まで背負ってくしか無いのかなって」
 引き摺ったとて手放さず、囚われ続ける道をと決めた。だからまだ死ねないのだと彼は、彼女に背く。
 そうしてやがて白い姿は傷に汚れて苦鳴を吐いて、荷重に重く沈む細腕をからがら持ち上げて。この時、死神が翻した杖は自身の為に雷を帯びた。冷たく錆び行く体をそれでも繕い動かす姿を見、ケルベロス達の瞳は翳る。
「ワンコ一匹殺して、何が変わるん」
 ウーリの言葉は答えを待つ為のものでは無いけれど。仮に『彼女』の望みであったとて今となってはもう、と不可逆を想えば声は乾く。その手に拳を握り加速して、敵の護りを砕く力と成した。
 無粋なことをと、いぶきもまた静かに怒っていた。過去を掘り起こして瘡蓋を剥がすどころか抉らんとする死神らの悪辣さは、今を生くる者には枷としかならなかろう。血の通う仲間達の為に彼は熱を繰る。夜の冷たさに挫ける事の無いようにと願う。友の強さを、たとえその裡に何を抱えようとも膝を折らぬ事を選んだその意志を、邪魔などさせぬと。
(「貴方がそう選んでくださったから、僕達は全力でお手伝い出来る」)
 彼らもまた、寄り添う事を選んだ。だからあとは押し通す。キースが銀纏う拳を打ち込む。態勢を崩した敵へとサイガの手が触れた。
「ちいとばかし遅かったんじゃないか。仮に残ってたって腐ってるだろ」
 それほどの過去からの呪縛を憐れむにも似て、ゆえにこそ声は淡々と言を捨てる。捉えた白肌の下に獄炎が冷たく燃え広がる。かつて一度失われた命はされど、二度目が間近に迫るその苦痛に喘いで声無き怨嗟を吐いた。茨を喚ぶ為に開いた頁をけれどヴィルベルは閉じる。そうして代わりに治癒の気を練り上げた。それは危機感ゆえでは無くて。
「エトヴィンさん。どうか、貴方の手で」
 『その時』ゆえだからと、シィラも静かに促した。かつて己を助けてくれた彼の為に、彼のように、彼女もまた報いたいと願う。冷えた彼の頬が、仲間の心遣いに礼を告げるも揺らぐ声が、そのまま凍えてしまわず済めば良い。
(「それに『彼女』も、きちんと終われたなら」)
 そして、黒狼もまた願いを抱く。『彼女』を愛する伴侶の傍へと。
(「死神の玩具になんて、もう」)
 逃さず終える為に腕を伸ばし刀を振るう。捉え、払い、その手で肉を断つ。風圧と衝撃にはらはらと、白花めいて彼女の色が舞う。
「──エセル」
 小さく呼ぶ声は苦痛に、終焉の色濃さにひび割れた。
「さようなら」
 その体が、唇が紡いだ離別を彩るのは、敵意を映す為にあった『笑み』では無く。ただ透明に澄んで──大切な、ことを、綴るようにゆっくりと、淡く熱を灯し。
 伸べぬ届かぬ指先は薄紅に温んで骨を抱き。肉体が壊れるに合わせ、白砂に消えた。


「──んで、エトも埋まっとく?」
 サイガが問うたのは、かつて交わした言葉を思い出してのこと。
「んー……お墓に持って行きたいかなって」
 だがエトヴィンは、ごめんね、と曖昧に笑う。表情は未だ少々不器用に。
「そ」
 鉄色の炎が消える。短い応えはごく軽い。面白がるような突き放すような信じるような赦すような。過去を越えて今を得て、未来を捨てないだけのやる気があるならそれも良い。
 そうして一息吐けば、静けさの中に誰かが空腹を訴えた。確かにお腹空いたねえと納得の声をあげる一名もまた大差ない状況ではあるようだが、七名と三体の方は特に、件の報せを聞いてから心配やら何やらで夕食どころでは無かったことだし。
「あぁそーいやエトくん、ないないした分の肉増やさねえとじゃん」
「そだね、お肉食べたいなー。うりちゃん奢ってー?」
「へぇ、人にたかるとかええ度胸やね」
 夕色の半眼が長身を睨む。それはほどなく伏せられて、緩んで解けた。
「──まぁええけど。食べんと生きてかれんしね」
「奢りいぇーい。タダ肉いぇーい。買って帰るよりは食べに行く方が面倒無いかな」
「あ、エトヴィンさんの分だけじゃ無いのです……?」
「ええよ、みんな纏めてご馳走したる。でも行き先はえっちゃんが決め」
「はーい。焼肉屋さんで良い?」
「美味い店を頼む」
「でしたらお言葉に甘えて……の前に、まだ痛むところのある方は教えてくださいね」
「もうみんな大丈夫かしら? あとはいっぱい食べれば元気元気よ」
「ウリセンパーイ、ボク野菜も食べていっすかー」
 奔放に会話が交わる中。目的地への道順を皆へと伝えるエトヴィンの背を眺めたメイアは、だらりと垂れたままの黒狼の尾に手を伸ばした。
「──痛ァ!?」
 そしてその持ち主は毛を数本毟られて悲鳴をあげた。少女の手が黒長毛を握りしめた拳を胸に抱く。
「わたくしを心配させた罰としてこれは頂くわ!」
 驚き顧みた青年の顔を、彼女の瞳がじっと見上げた。
「……ごめんね」
「いいえ」
「貴方を無事に助けられて良かったです」
 交わる視線が優しい色をした。伸べた手を受け容れてくれて嬉しいと、いぶきが微笑みを添えた。エトヴィンが俯いてしまっていたら今この時は無かったと皆が解っていて、至り得た今を皆が少なからず喜んでいた。
 だからエトヴィンは、ようやく、
「──有難うね。きっと一人じゃどうにもなんなかった」
 そう、柔らかく目を細め皆を見詰めた。
「ええ。皆で一緒に帰りましょうね」
 受けてシィラが安堵を零す。一人も欠ける事無く共に、改めて明日へと足を向ける。まず大通りへ、と導くエトヴィンの足も軽やかに。

 ただ。最後に一度だけエトヴィンは、残して行くひとを顧みた。
 『物』は、何も遺らなかった。見下ろした砂に、彼女が頽れたその跡だけがあった。
 彼はそれを掌で掬い、海へと放る。零れた分は、遠からず波が連れて行くのだろう。
(「命はやがて、海へと還るんだって──」)
 胸中に思い出を辿る。彼も彼女もきっと、と、かつて少年であった青年は。
「……母さん」
 さよなら、と応える声を囁いた。

作者:ヒサ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年2月12日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
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