ゴースト・イン・ザ・ウィンタープール

作者:OZ

●ゴースト・イン・ザ・ウィンタープール
 青春というものを謳歌するには、時折、明確な間違いというものが必要なのだと、例えばそのタチバナリョウコという少女は思っている。
 リョウコは良子と書く。読んで字のごとく、良い子であるし、書いてもやはり良い子となる。
「名は体を表すぅ!? ふざ、けん、なーっっ!! 私は……ッ」
 リョウコは叫んだ。
 こっそり――限りなく勇気を振り絞って――忍び込んだ、立ち入り禁止の屋上で。
 煙草を吸ってみようと思ったのだ。とはいえ買ったものではない。どこかの不良か、あるいはこの頃バレバレなのにも関わらず後退しはじめた生え際を隠している、生徒に不人気な男性教員か。
 誰が落としたものかはわからないが、悪い子になりたいリョウコにとっては、その煙草の箱を拾ったのは、実に『良い切欠』というものだった。
「よし……、よし。吸うぞ……!」
 箱を開ける。残量は十分だ。教員が休憩スペースでくゆらせている煙草の煙を、いい匂いだと思ったことは一度たりとしてないが、リョウコの鼻に届いた、火のついていない煙草の香りは、どこか不思議と心地良いものに感じられた。
 一本取り出してみる。
 まじまじと見つめる。
 そこではたと気付く。
 火がない。
 さすがに、比喩も何もなく、火遊びするほどの度胸は彼女にはない。屋上に忍び込むのももちろんだが――そもそも、置き去りになっていた煙草の箱を持ち去るのだって、うんざりするほど良心が邪魔をしたのだから。
「こんなところで喫煙だなんて、不良の鑑ね」
「っきゃあ!?」
 唐突に声を掛けられて、リョウコは半ば跳ね上がった。
 誰、と問う前に、リョウコの前に姿を現した――見覚えのない女生徒は言う。
「あなたは更生すべきよ。……このままだと……いいえ、もしかしたらあなたはもう、既に……煙草に万引き、喧嘩。あまりに刹那的。なんて悲劇なの」
「は――」
 憂うような瞳を向けられて、リョウコはぽかんと口を開けた。
 だが、そこから、少し斜め上の方向へと、自尊心というものがむくむくと育ってゆく。この目の前の――誰だか知らない女生徒は、自分のことを不良だと思っているのだ!
「そ……そうよ! そんなこととっくにしてきたし!」
 嘘である。
「そーね! 次はそう、今の時期は使われてないプールあたりで、ひ、火遊びでもやっちゃおうかなって思ってるところよ! 止めるつもりなら止めてみなさいよ、風紀委員、さん? の――」
「いいえ」
 その『風紀委員らしき姿をした見知らぬ女生徒』は、にこりと笑った。
 リョウコは気付く。女生徒が手に持っているものは何だろうか。演劇部からでも借りてきたのだろう、大ぶりの鍵のような。
「これでも、手伝ってあげようって言うつもりなの」
 一歩後ずさったリョウコの心臓目掛けて、女生徒は真っ直ぐに鍵を突き立てた。


 なんと申しますか、と、九十九・白(白夜のヘリオライダー・en0086)は相変わらずよく見せる苦笑と呼ばれるだろう表情で曖昧に首を傾けた。
「高校にドリームイーター、ですか。……この頃増えてきた報告ですね。ということで、俺からもその仕事依頼です」
「わたしが行っても、邪魔にはならない依頼か」
「ああ――」
 夜廻・終(よすがら・en0092)が訪ねたことに「大丈夫かと」と軽く微笑んで、白はケルベロスたちに改めて向き直った。
「今回ドリームイーターの標的になったのは、橘良子さんという女子生徒です。実に極々一般的な女子生徒……だったようで。よくある話ですね。良いにせよ悪いにせよ、『普通』と自覚がある時期に、不良に憧れを持つ……」
 白は少しばかり笑った。
「抑圧されるというか、自ら抑圧されているというか。はは」
「身に覚えでも、あるのか」
「――、さあ?」
 終が訊いたことに対して、白はほんの一瞬だけ言い澱んでからいつものように笑った。
「ともかく、今回はその『不良』の良子さんを退治してしまうのが仕事です」
 厄介なことにこのままだと、このタイプの敵は強力なようですと白は続ける。ただ、その源泉たる夢――『不良への憧れ』を弱めることができれば、ドリームイーターと化した『不良の良子』の弱体化させることも可能だと。
 説得か、とケルベロスの誰かが言う。
 白は頷いた。
「不良の良子さんがいるのは、鍵のかかっていたはずの……学校内のプールですね。冬季ですからね、そりゃ閉まってますよね。『本人』のほうは……屋上にいるようですが」
 こちらの『リョウコ』さんについても皆さんにお任せしますと、どこか含みのある言いかたで白は笑った。


参加者
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
コマキ・シュヴァルツデーン(翠嵐の旋律・e09233)
アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)
アトリ・セトリ(エアリーレイダー・e21602)
ナクラ・ベリスペレンニス(ブルーバード・e21714)
エレアノール・ヴィオ(赤花を散らす・e36278)
峰・譲葉(崖上羚羊・e44916)
犬曇・猫晴(銀の弾丸・e62561)

■リプレイ


 やたらと寒く空は高く、吐く息はそれでも白く濁らず、ただからりと、晴れていた。
 冬空のした、水の抜かれた学校のプールはからっぽだった。ただ、その場に染みついているのかもしれない塩素の匂いが、ほんの少しだけ香った気がした。
「ご機嫌いかが? 『ふつうの』リョウコちゃん♪」
 ひらと手を振って、ナクラ・ベリスペレンニス(ブルーバード・e21714)は口元を緩めた。声をかけた当人――リョウコからは、「ああん!?」と、やたら濁音交じりの反感が即座に戻ってきていた。
 その反応に思わず笑いが堪えきれず、ナクラが喉をくっくと慣らす。
「……笑っちゃうのは、なんか違う気もする」
「あー、……くっ、……ふふ」
 耐えられていない。ナクラは声をかけてきた夜廻・終(よすがら・en0092)に「そうだよな」と、やはり笑えてしまいつつ一言応えた。
「はー」
 大きく息を吐く。ごめんな、いきなり。ナクラはそう続けるともう一度朗らかに笑った。ナイフ未満の――バターナイフ程度だろうか。リョウコの目はそんな光を宿しつつ、つまらないと言うかのように、ケルベロス達を睨み据えた。
「ンだよ、センコーのおつかいかなんかかよ?」
「いえいえ、まさか」
 藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)が眉尻を下げた。伏せた眼差しはゆるくあったが、感情の底は見えなかった。
 ところで、景臣は言った。
「リョウコさんは、良心、というものをご存知でしょうか」
 リョウコは応えなかった。
 ただその単語が『きらい』だと、その目が語る。
「あなたのお母さんとお父さんという意味ではないですよ。ふふ、伝わっているでしょうが。良きこころ――そう書くもののほうです」
「ちなみに俺はよく知らねーぜ」
 喉の奥で笑って、峰・譲葉(崖上羚羊・e44916)が言った。
「……ちょっと違うかな。知ってるけど持ち合わせがねーのかも。俺がもってんのは……どっちかってーと『身勝手』だな」
 肩を竦めた譲葉は、「横から失礼」と歯を見せて笑って、そのまま一度口をつぐんだ。
「自分はもう、超えてきたなあ、そこ。……ねえ、同年代からは、何かない?」
「ん?」
 アトリ・セトリ(エアリーレイダー・e21602)に声をかけられ、アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)は目を瞬かせた。
「あ、そっか。リョウコはアラタと同い年くらいか!」
「ふふ。そうすると、同年代なら、わたくしもですね」
 エレアノール・ヴィオ(赤花を散らす・e36278)が微笑みを零す。
「『人生の対話』! しよう、リョウコ!」
 アラタが言い放った呼びかけに、リョウコはやはり酷く厭そうな顔をした。


「どうせ」
 だんと音がしてケルベロス達が居た場所が大きくえぐれたが、攻撃の予兆を察したケルベロス達に被害はなかった。
「『対話』しないと、てめーら相手する気もねーんだろ。うぜぇ」
「やー、拗らせてるねえ。役になるには口調から? そういうのはいいと思う」
 はははと軽く、犬曇・猫晴(銀の弾丸・e62561)は笑った。
「クソが」
「――『死ねよ』って続けないあたり、きみはほんと……」
 この先は言わないであげると、猫晴は笑う。
 ふふと、景臣が再びゆるく微笑んだ。
「リョウコさんが今いる立ち位置に近しい人。……そこを通ってきた人。まだ通っていない人。僕たちは様々ですが……」
「……共通するのは『すこし特別』なところかしらね」
 コマキ・シュヴァルツデーン(翠嵐の旋律・e09233)の言葉に、リョウコが顔を歪めた。
「これはたぶん、誤解じゃないと思うのだけれど。……ねえ、リョウコちゃん。あなた、本当に『わるいこ』になりたかった? 違うと思うの」
「ッるせえわババア!」
「バッ――」
 思わず一瞬怯んでしまったが、それはそうだ。高校生からしてみれば、とくに悪ぶっていたいのならば、年上など皆年増だろう。そこに思い至って、コマキは反応を苦笑に留めた。
「特別になりたかったのかしら」
 ちがう? とゆるく小首をかしげたところで、リョウコが唸るように――何かを言葉にしようとして、やめた。
「……言葉にならない? ふふ、……特別、っていうと少し、違うのかな。でも、自分から見るとね。リョウコさん、あなたは――たぶん」
 アトリが言ってから笑う。
「わるいこになってから、『良い子だったのに』って言われるのにも、耐えられないと思う」
「ふっ、ざけ……!」
「おっと」
 アトリに向いた敵意の塊に、アトリは胸の前で両手をひらひらとさせる。
「ごめんね。でもね、これは……少しだけでも人生のセンパイだからこそ言ってあげられること」
「その理屈だと、俺たちももーすこし説得力のあること言わないと」
 なあ? と猫晴と景臣に振ったナクラに、当人達は笑った。景臣に至っては半ば苦笑である。
「ケルベロスは年齢不詳すぎるのが多いからなあ」
 猫晴がさりげなく毒づいた。
「何の話だよ」
 譲葉が呆れたように目を眇めた。
「しっかし。青春の過ちとか、そーゆーの。そんなにいいもんか? やり直しできる傷もたまにゃあるけどさ。俺には――いまお前がやろうとしてるのは、『そっち』じゃないように思えるぜ」
「やり直しなんて」
「……必要ねー、って顔してんなあ」
 譲葉の言葉に噛み付いて返したリョウコに、譲葉はやはり苦笑した。
「ちなみに、終は? なんか言いたいことある?」
 ナクラの声に、終は顔を上げた。
 それからこの場の最年少ケルベロスはふるりと首を横に振る。
「……わたしはいいこだからな」
 特にない、と。淡々と、しかしどこか笑みを含んで言い放った終に、ナクラは再度吹き出した。
「いや、うん、……終、なんかほんとに吹っ切れたんだな。よかった」
「――ンなんださっきからてめーらふざけてんのか! 私は! 別に助けてもらおうとかごこーせつたまわろーとか思っちゃねーぞ! 寄ってたかって正義の味方面してんじゃ――ッ」
 激昂をあらわにまくし立てていたリョウコに、ふと気付いたように。
「あ。――そっか。それだ。それだよ! なあリョウコ。リョウコは……わるいこでもいいこでもなくて……わがまま? っていうか……『がんばってるよ』って言いたかっただけなんじゃないのか?」
 アラタが声を発した。


「いいこでいるって『普通』がリョウコにとって……っていうか、周りにとっての『普通』だったんだろ? そうじゃないよ、いいこでいるのって大変なんだよって。……いいこでいるのって『普通』じゃないよって。そう言いたかったんじゃ……ないのか?」
 アラタが本当に『ただの疑問』として発したそれに、リョウコは怯んだ。
「ああ、」
 なるほど、と景臣は笑う。
「そういう足掻きは、……はぁ、ふふ、少し面映い気持ちになりますね」
 けれどもだからこそ、と四十路の言葉は続く。
「ここであなたを見逃すわけにはいかない。端から見逃すつもりもありませんが。……あなたの自尊心は、良心の呵責と戦うことでどんどん堕ちるでしょう。いま、まさに戦っているからこそ。あなたはそれに勝たなければならない」
「そうね。『ふつうにいいこ』って、……本当にすごいことなんだから。年上として、それをあなたに教えてあげる」
 コマキは冗談交じりに景臣の言葉を継いだ。
 言葉に削られるように小さくなっていくリョウコの気配が感じられていた。
「あとは力技、ですわね」
 エレアノールがとんとプールサイドを蹴った。
「ッ……!」
「悪いことして、ドキドキするのは楽しいかもしれません!」
 クリームのような金髪を泳がせながら、それでもエレアノールが打ち込む打撃は強烈だ。咄嗟に防御の姿勢をとったリョウコが、一撃で軽々と吹っ飛んだ。
「でも、そのあとに返ってくる周りからの目は、つめたいですよ!」
「んだな」
 譲葉もまた気力を飛ばす。
「つーかな。ここ。入ってきたとき思ったが、カギ、超厳重じゃねーか。最近のガッコは警備厳重だねえ。いくつ超えてきたんだよマジで」
 仕掛け始めたケルベロス達の援護を行いつつ、譲葉は口角を引き上げた。
「こんな場所のカギ全部盗んできた……のか壊したかどうかはさておき、立ち入り禁止のとこに忍び込んできた時点で、度胸試しはもう十分だろ?」
「警備が厳重なのはねー……まあ、色々小うるさい世間様が増えたってとこかな」
 猫晴がどことなく遠い目をした。
「取捨選択が大変なのさ、『おとな』もね」
 だから、と元『普通の男』は続ける。
「自分の生活守るために、身の回りの損得勘定ばっかりしてて、だからこそ足元で泣いてる子の感情を見逃しやすい。でもね、リョウコちゃん」
「……あなたもやがて大人になる」
「悲しいかな嬉しいかなそうなんだよね」
 景臣の合いの手に、猫晴は笑った。
 それでも、と景臣は続けた。
「その『抑えつけられること』を知っているあなたは、きっと――あなたのような子に、きっと気付いてあげられる」
「そうね」
 アトリが打ち込みながら同意を示す。
「それは、とてもすごいことよ」


 爆ぜるように凪ぐように、ケルベロス達は少女の悲哀を引きはがす。
 悲哀――というより、迷いだろうか。リョウコ『だったもの』は防戦のようなものをしていたが、やがてぐっと唇を噛んだ。それはいま、屋上で寝ているリョウコ『本人』の状態を表しているのかもしれない。
「違和感も、憧れも。自分で感じられるようになってきたってのは、それはお前さんの個性が育ってきたからなんだぜ。だからさ、ちょっとえらそーに聞こえるかもしれないけど」
 なあ、とナクラは笑う。
「その成長をさ、自分で認めてやれよ」
「……ついもこの前少し成長したからな。褒めてほしい」
「ほんと吹っ切れたな!?」
 あとで撫でてやる、と、ナクラは終に向けて笑った。
「期待してる」
 多段に銃弾をばらまいて、終も笑う。
「……ッ、」
 ぐっと、リョウコだったものがケルベロス達を睨む。
「きらい! こんなの……ッちがうもん、痛いことされたくて、怒られたくて悪い子になりたいんじゃないわよ!」
「だからこそ」
 猫晴が笑う。
「きみはここで『叱られて』、次に進むんだよ」

 酷く淡々と雲が流れている。
 良子の鼻孔をやわらかい香りがくすぐった。
「あっ、起きたわね?」
「――へ、だ、だれ……」
 良子の顔を覗きこんでいた、随分と派手な緑色の髪をした女性が笑う。
「よかった。このまま冷え切っちゃったら風邪ひいちゃうわ」
「そーだぞー。インフルもまだまだフルフル気を付けなきゃいけない時期だぞ!」
 金髪の同年代と思わしき少女もまた言う。
「え? ……え?」
「タバコってさー。身体が不出来の子供だと、大人に比べて肺がんの発生率がすごいことになるの知ってた?」
「っひ」
 倒れていたらしい自分を認識した良子のかたわらにしゃがみ込んだ男も言う。良子が声を漏らしたのは、この男がやたらとパーソナルスペースに入り込んできたから故だ。
 ぱさりと、起こした身になにかあたたかなものをかけられて、良子はそちらを見遣る。
「大丈夫ですか?」
 ずいぶんと色気のある優男がいた。
「ひえ」
 良子から変な声が漏れたのはそのせいである。
 こざっぱりとした印象の女性と、おしとやかな印象の少女は、遠巻きに良子を見て、周囲を見回して目が合った際に微笑みをひとつ見せた。
「おう、殴って更生させなくてもよさそうだな。もう燻ってもなさそーだ」
「ヒッ、ふ、不良……!」
「言いぐさが酷すぎねーか?」
 ド派手なピンクの瞳が笑った。
「なあ、終。終は自分の名前ってどう思ってる?」
 ちなみに俺はいい名前だと思う、と、ずいぶんと軽い印象の高身長男子が言っている。その言葉を、撫でられながら聞いている満足そうな少女がひとり。
「これは、わたしの名前だから。……いいもわるいもないんだ。『わたしのたいせつなもの』だけどな」
 ふふん、と少女は誇らしげな顔をした。
 軽い印象の高身長男子が、なあ、と良子に声をかけた。
「ひゃい」
 何が起こっているのか頭の回転が追いつかず、良子はやはり変な声を出した。
「……きみの名前は?」
「――、」
 名乗っていいのか。
 この不審者たちに。
 そう一瞬逡巡したが。
「た、……橘、良子……です」

 やたらと寒く空は高く、吐く息はそれでも白く濁らず、ただからりと、晴れていた。

作者:OZ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年2月10日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 1
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