落陽

作者:藍鳶カナン

●落陽
 彼方に眠りゆく夕陽が、美しく紅葉した樹々の針葉を赤銅色に輝かせた。
 冬を迎えても緑を湛える針葉樹も多いが、綺麗な円錐のかたちを成す樹形ですらりと天を目指し、まっすぐ伸びたこの郊外の道路の両端にずらりと並んで見事な並木の景観を見せるこの樹々は、遅く紅葉してゆっくり葉を落とす落葉針葉樹、メタセコイアだ。
「和名は――検索完了。そう、曙杉だったね」
 きらり、きらりと赤銅色の落葉を零すメタセコイアの幹に凭れ、そう呟いた青年の掌上に透ける立体映像が浮かぶ。だがそれはメタセコイアではなく、この並木道にイーゼルを立て華やかに色づいたメタセコイア並木の絵を描く娘の映像だった。
『知ってる? 和名は曙杉って言うの』
『曙杉って言うの』
 鮮やかに油絵具が重ねられていくキャンバスから顔を上げた、二十歳ばかりと思しき娘が自慢気に、けれど愛嬌たっぷりに語る光景が繰り返される。レプリカントのアイズフォンと考えるには高度すぎる機能。見る者が見ればすぐに気づいただろう。
 彼はレプリカントではなく、アンドロイド型のダモクレスだった。
「クレプスキュールはこの国の人間社会に潜伏せよ――。そう、この指令を遂行するために収集したデータのひとつだ、これは。僕はデータの確認をしているだけ」
 言い訳じみた言葉を口にしたけれど、彼は無意識らしい仕草で左胸を押さえた。まるで、胸の奥で偽りの鼓動を刻む機構が軋んだとでも言うかのごとく。
 だが、次の瞬間。彼の内部機構が真実、軋みをあげる。
「君、は……死神、か――!」
 大きく見開かれた彼の眼。夕陽色の瞳に映ったのは、黒衣の死神。
 全くその気配を察知できなかったのは青年が思索に沈んでいたからか、あるいはそれだけ圧倒的な力の差があるからなのか。押し付けられた球根のごとき何かがずぶずぶと彼の裡に沈んでいく。微笑した死神の唇が『指令』を紡ぐ。
 さあ、お行きなさい。
「グラビティ・チェインを蓄え、ケルベロスに殺されるのです」
 了解、新たな指令を受領――そう呟いたクレプスキュールの両腕が、鋸刃に変じた。

●落葉
 黄昏を意味するその言葉が、彼に与えられた機体名だったのだろう。
 この日の黄昏が、クレプスキュールにとって最期の黄昏となる。
「死神という存在は、本当に――」
 酷なことをする、と呟いた藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)の眼鏡が滑らかな所作で取り払われたのは、彼が戦う意志を固めた証だろう。見逃せば、青年アンドロイドが顕した刃が夕陽でも紅葉でもない血の赤に染まる。それに、
「識ってるひとも多いよね、彼が大量のグラビティ・チェインを得た後に死んだなら」
「ええ。死神の強力な手駒にされる――それも、看過するわけにはいきません」
 皆へ事件予知を語った天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)が続けた言葉を引き取って、景臣はしっかりと頷いた。
 黒衣の死神が青年アンドロイドに埋め込んだモノは、『死神の因子』。
 大量虐殺でグラビティ・チェインを蓄え、ケルベロスに殺されたデウスエクス――それをサルベージし、より強力な手駒を得るというのが死神の目論見だと思われる。
「偶々このメタセコイア並木に誰もいなかったのと、景臣さんが危惧してくれてたおかげで周辺への避難勧告が間に合ったからね。ヘリオンで急行すれば、彼が、クレプスキュールがまだそこにいる間に捕捉できる。そして、あなた達なら、彼が誰かを殺す前に撃破できる。そうだよね?」
 黒衣の死神は既に姿を消したあと。
 クレプスキュールは両腕の鋸刃でチェーンソー剣のグラビティを揮い、攻防ともに優れた戦いを見せるだろうと遥夏は語った。勿論敗北するわけにはいかず、ただ勝利するだけでもまだ死神の目論見を打破するには足りない。
 死神の因子を埋め込まれたこのデウスエクスを倒すと死体から彼岸花のような花が咲き、その場から消えて死神に回収されてしまうという。
「だけど、彼を充分に弱らせて、大ダメージを与える一撃で命を絶つことができたなら――彼の体内の『死神の因子』も破壊することができる」
「因子を破壊されれば死神の回収も不可能になる、そういうことですよね?」
 当然、そのつもりで臨みます、と応え、景臣は仲間達を見渡した。
 独りで成せることではない。けれど、皆とともに戦えるのならば。
「力を貸してください、皆さん。死神の目論見を断つために、そして」
 落陽に光に染まり、赤銅色に煌く針葉が落ちる世界で。
 黄昏の名の青年を、死神のくびきから解き放つために。


参加者
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)
ゼレフ・スティガル(雲・e00179)
メイア・ヤレアッハ(空色・e00218)
エヴァンジェリン・エトワール(白きエウリュアレ・e00968)
藍染・夜(蒼風聲・e20064)
イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)
風鈴・羽菜(シャドウエルフの巫術士・e39832)

■リプレイ

●落葉
 遠ざかる燈火みたいだ。
 冬空から跳ぶ刹那に見た夕陽をそう感じたからだろうか。煤色の影纏う雲を朱金に煌かす黄昏の陽射しを突き抜けて、美しく紅葉したメタセコイア並木に抱かれた路面へ降り立ったゼレフ・スティガル(雲・e00179)、彼が琥珀レンズ越しに見た赤銅色の落葉が、篝火から溢れて舞う火の粉のごとく強く煌いたのは。
 けれどその瞬間、真実、鮮烈な緋に燃え上がった炎の斬撃が襲いくる。
 精鋭たるゼレフですら捉えきれぬほどの俊敏さ。両の腕の鋸刃で薙ぐ凄まじい斬撃と猛る炎を盾として受けとめ、翻る裾についていた誰かのふわふわ冬毛を零しつつ、
『……来るのが早いな、ケルベロス』
「それが持ち味でね。――こんにちは、それとも、こんばんは?」
 霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)は青年型アンドロイドと真っ向から向き合った。夕陽色の瞳、光の加減で茜を帯びる夕闇色の髪、成程『クレプスキュール』だと思わせる相手。
『まだ早い。僕はもっとグラビティ・チェインを蓄えてから』
「識っている。その指令を、止めに来た」
 氷青の双眸で彼を見据え、その言葉を遮るよう解き放つ流体金属の粒子を吹雪かせれば、
「必ず、アタシ達が護りきるから。景臣さんとゼレフさんは、思うままに、攻めて」
「ええ。わたくしもコハブも、ばっちり援護しちゃうんだからっ」
 間髪容れずエヴァンジェリン・エトワール(白きエウリュアレ・e00968)も冬の陽や月に掛かる光暈めく粒子で前衛に超感覚の覚醒を促し、メイア・ヤレアッハ(空色・e00218)が指揮棒の如く揮う星彩の剣が幾重もの星の聖域を燈す。白き冬毛のボクスドラゴンが奏多へふわふわな癒しを注ぐ様に微笑した瞬間、
「今日の要は君達だからね。黄昏の先、終焉の宵へ――その先の暁へと連れていくために」
 俺がこの黄昏の、先駆けとなろう。
 藍染・夜(蒼風聲・e20064)は驚嘆すべき身体能力で彼方まで跳び退った標的をめがけ、己が竜槌で天津風を巻き起こした。轟と哭く風と翔けるは竜砲弾、
「見蕩れるのも結構ですが、油断は禁物ですよ、ゼレフさん?」
「はいはい、眺めるのは後にしますとも。――頼りにしてるよ、皆」
 彼の、クレプスキュールの足先が砕け、機械の破片が散り煌く様を超感覚で捉えた刹那、藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)は相棒へ笑みと軽口残し、己が技量を冴ゆる凍て風と成して標的へと斬りかかる。軽口で応じながらもゼレフは狙撃手たる夜の一撃も辛うじての命中と見るや、後衛陣へ流体金属の粒子を降り注がせた。知らず琥珀の裡の目を細めれば、黄昏に撒いた銀の吹雪もまた、彼の視界で火の粉めいて煌いて。
 ――散り零れて消える輝き。それを逃さず掬えればと、どれほど希ったことだろう。
 途端に奏多を取り巻いた木の葉は赤銅色の落葉ではなく、癒し手の浄化を孕む魔法の葉。
「あのダモクレスさんはもしかして、心を持ちかけていたのでしょうか。だとしたら」
「うん、切なくて……悲しいね。だけど」
 彼に燈る炎も痛みも霧散させた風鈴・羽菜(シャドウエルフの巫術士・e39832)の言葉に頷き、イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)も真白な外套の上を流るる銀の輝きで幾重にも前衛陣を包み込んだ。
 ――もしも、少しでも、彼に想いが残っているのなら。
 其々に想いを抱いて駆ける戦場、冬の黄昏に曙杉立ち並ぶ世界は、酷く美しかった。
 光と影が幾重にも交錯する。等間隔に聳える樹の影が傾いた陽射しに長く長く伸びる中、逆光を背に跳躍した相手が振り落とす刃の軌跡に白きダチュラを咲かせる天使が躍り込む。爆ぜ散るエヴァンジェリンの血が舞い煌く落葉をも濡らすが、その不吉な赤を覆い隠すよう奏多が七色の爆風を巻き起こす。
 けれど彼の、彼女の血に濡れたクレプスキュールの刃は強く景臣の眼に灼きついて、彼は大きく間合いを取った標的のそれを目当てに追いすがる。菫青石の双眸に差しているだろう藤色の彩、それが『死神』への私怨ゆえに熾火のごとく煌くのを自覚しつつ。
 冴え渡る超感覚をもってしても完全には捉えきれない相手。
 だが、夕陽より眩くイズナの御業から迸った炎弾を青年が鋸刃で断ち割った刹那、
『……っ!!』
「捕まえたよ。さあ、景臣」
「ええ。逃しは、しません」
 墨色の靴先に銀の流星を燈した夜がクレプスキュールの肩を確実に捉えて彼を蹴倒した。跳ね起きた瞬間には冴え冴えとした銀月の刃が迫り来る。空の霊力凝らす景臣の直刃が肩の傷を斬り広げれば星の重力がいっそう強く青年を絡めとり、
『まだ駄目だ、僕はまだ――!!』
「まだ、何をしたいの?」
 喰い込む刃を引き抜くよう跳び退った青年アンドロイドを空色髪を靡かせた天使が追う。
「ねぇ、あなたはだぁれ? クレプスキュール? それとも」
 ――それともただの、死神のお人形なのかしら?
 暖かな陽色の瞳が彼の夕陽色を捉えた途端、メイアの掌上で硝子の小瓶のごとくに凝った冷気がその指先から撃ち込まれた。魔弾の凍て星は、回避せんとする青年を惑わず追いかけ左の胸を深々と貫き、極小の金平糖めいた煌きを振り撒いて。
 黄昏に、誰そ彼どきに、彼の胸から溢れた光を躍らせた。

●落陽
 遠く影色に沈む山々はまるで夕陽の褥のよう。
 波打つ起伏に落陽が触れれば朱金の輝きが稜線をなぞり、ひときわ色味を増した陽射しが美しい紅葉をいっそう深く煌かす。光と影も滲んで融け合い始め、広い路面へ柔く描かれた並木の影絵に、激しい剣戟の影絵も融けるように躍った。
 黒き護りごと景臣を引き裂かんとした斬撃に身を挺し、幸福の衣でその威を大きく殺したエヴァンジェリンが蒼の戦旗を浚風に振り翳す。舞い散る落葉が磨いた銅貨の煌きみたいに光って戦旗と風に、流れて。
「ねぇ、美しい景色ね。アナタが、アナタの心の種を蒔いた人が、見ていた、この景色は」
『心の、種?』
 横薙ぎの斬撃の反動も活かし彼女の視界から掻き消えんとする標的を咲かせた翼で追い、銀の槍で彗星の軌跡を描いてダチュラの毒纏う刃で貫けば、その言葉にか花の麻痺毒にか、一瞬動きを鈍らせたクレプスキュールの左右を矛たる二人が捉えた。
「上手いたとえだね、エヴァ君」
「本当に。その種が芽吹く様を見守ることができたなら――どんなにか」
 幸福だったろう。彼も、自分達も、そしてきっと、心の種を蒔いた、彼女も。
 指の合間から零れ落ちてしまった未来に苦笑する様さえ同じ。鏡面の、銀月の刃を二人が突き立てた刹那、ゼレフの刃に導かれた獄炎が景臣のそれと重なり螺旋を描いて、芽吹きを奪われた青年アンドロイドを絡げ、その命を、燃やして。
「死神のせいで終わっちゃったんだね。……想いも、残ってないのかな」
「いや、恐らく、想いは――」
 炎の螺旋から力尽くで逃れて跳んだ彼を追って、歪な稲妻型に変じた刃を揮ったイズナが刻まれた災禍を跳ね上げる。彼女に応えた言葉を途切れさせたのは機を捉えた奏多が瞬時に意識を凝らせたから。眩い光点の如く凝縮した魔力が爆ぜれば、クレプスキュールの右腕の刃と脇腹が予想以上に大きく抉れた。メイアの凍て星から萌した思考が確信の実を結ぶ。
「魔法か」
「同感。魔法が弱点だね。……皮肉だな、俺の持ち技で一番効くのが、これとは」
 端的な奏多の言葉に首肯した夜の竜槌が風を裂く音が嘆きを唄うよう。袖口からふわりと零れた箱竜の抜け毛が胸裡の苦渋を微かに和らげてくれるけど、彼が叩き込む魔法の一撃は青年の『進化可能性』を奪って凍結させるもの。
 氷粒煌く風を翔けたのは羽菜がエヴァンジェリンへ贈る癒しの気、だけど。
「あのダモクレスさんをきちんと解放してあげなければなりませんね」
「だからこそわたくし達は、最期を景臣ちゃんやゼレフちゃんに託さなきゃならないの」
 彼を真実解放するためには、死神の因子を破壊するためには何を為すべきか。
 誰もがそれを理解し意識を研ぎ澄ませ、全てをそのために積み重ねているのに羽菜だけがそれを全く意識していない。機会があれば攻撃するつもりでいる羽菜は戦いの終盤に浅慮で一切合切を台無しにしてしまいかねず、察したメイアは機先を制して簡潔に彼女へ告げて、遠き山々の稜線の如く波打つ刃をクレプスキュールに奔らせた。
 魔法攻撃を主軸に据えれば戦場の風が辿るは加速の一途。
 縛めで次第に挙動を鈍らす彼の攻撃を護り手達が防ぎ、凄絶な駆動音を伴う斬撃で加護が破られれば即座に新たな加護を重ねて更に攻め立てる。殆どが精鋭陣、そして箱竜を除けば全員が斬撃に備えた防具を纏う番犬達は決して戦線を崩さない。
 彼をまっすぐ撃ち抜くメイアの凍て星を追いかけ、透けるイズナの御業から翔けた炎弾が黄昏の青年に三重の炎を燈す。その両腕の鋸刃が交差した刹那、受けるのではなく押し返す勢いで跳び込んだ奏多が炎の斬撃に己が身を抉らせる。
 狙われたイズナの後方に、樹があったから。
 気づいたクレプスキュールが微笑んだ。
『そうか、君達もメタセコイア達を傷つけたくないんだ。良かった。それなら、安心だ』
 彼が見せた安堵の笑みは人間社会に紛れるためにプログラムされたものなのか、それとも胸の裡から浮かんだ『何か』ゆえに自ずと綻んだものなのか。
 ああ、どうか。
「なあ。死神の指令……アンタの中にはもう、本当にそれだけか?」
『それ、だけ、とは?』
 後者であってくれと希う想いごと奏多が鋼の鬼纏う拳を打ち込めば、跳び退る機を逃した彼を捉えてゼレフが刃を揮う。
 黄昏の青年が曙杉の並木で出逢った娘。
 言の葉の曙を、心の曙を彼に燈した娘。
「気がついたら、もう、そのひとしか見えなくなっていたんだろう?」
『……!!』
 耀う鏡面の刃に日毎褪せゆく記憶を抱えた己の羨望を映して斬り込む達人の一撃。肩から右胸に刻まれた傷から氷を零し、なのに左の胸を庇うよう間合いを取った青年を夜が追う。
「クレプスキュール。其の痛みは――君の胸を軋ませる想いは、『恋』だ」
『――……これが、恋……なの、か?』
 僅かな間は己が裡の情報すべてを総浚いしたからなのか。驚愕と戸惑い、未知への怖れ、あまりに鮮烈であまりに痛みを伴うそれらに見開かれた青年の双眸、夕陽色の瞳に己が映る様は正しく鏡映し。禁断の想いを証す指輪から咲かせた光の刃で斬りつける。
 痛くて苦しくて切なくて、眩んで溺れるほど眩く、甘くて。
 夜自身ショコラの天使に出逢うまで識らなかった、識ろうとしなかった――それが、恋。

●黄昏
 眩い黄に咲き誇るひまわりの中、死神が齎す深紅の蝕に見舞われた少女。
 彼女を世界に還した一昨年の夏には具体的なかたちを持たなかった想いが、二度の鳴門と秋の邂逅を経て奏多の裡で明確な輪郭を持った。眼裏に灼きついた父の姿、胸にこだまする黄昏の残響。そして今、冬の黄昏に言の葉と成す。
 俺は、死神が――。
「心底、気に食わない」
「……だろうね」
 理性も知性も萌し始めた恋さえも残ったままなのに元には戻せない、黄昏の青年を奏多の眼差しが捉えた刹那、今を手繰る銃口が閃光を灯し銀を媒介に生成された弾丸が彼の鳩尾を撃ち抜いた。繋がれた機を掴んだのは残響の終焉を見届けた夜、澄んだ宵闇にも似た天藍の霧を織り上げれば、触れえぬ霞が神経を冒す柵となり、餞の如く美しくクレプスキュールを抱擁する。
 黄昏、宵、そして迎える曙の光に。
 ――死出の旅路でまみえておいで。
「出来ることなら、アナタに埋め込まれた死神の因子だけ、除いてあげたかった」
 唇から零れたのが叶わぬ夢だと識っている。
 彼に萌した恋が喪われておらずとも、元には戻れぬ彼がもし彼女を見つけたなら、死神の指令のままに彼女の命もグラビティ・チェインも奪うのだろう。その胸を軋ませながら。
 だから捨ておけない。見逃せない。ゴメンねと囁きながらエヴァンジェリンが掌で触れた瞬間、クレプスキュールの裡で螺旋の魔法が爆ぜ、衝撃で破砕された氷片もその身を抉る。
 唸りをあげた鋸刃を箱竜が受けとめた途端、燃え上がった炎が彼自身を灼いて。
 終焉が間近だと悟ったメイアが銀の吹雪を贈る。
「景臣ちゃん、ゼレフちゃん。どうかどうか、お願いね」
「任せるね、この想いを、持っていって……!」
 散ってしまったのならわたしがクレプスキュールの想いを集めなきゃと思っていた。
 だけど彼の裡にちゃんとそれが留まっているのなら、イズナが託すのは自分自身の想い。掌上にきらきらと踊る光が金色の炎を成せば、戦乙女の少女はそれをそっと景臣へと贈って彼の心に力に幾重もの熱を燈す。
 七色の彩風で奏多が、光暈の輝きでエヴァンジェリンが、更にその背を押して。
「任せて、もらえますか。彼を壊した尊いものを、血で穢さぬうちに」
「勿論。君が因果を感じたなら、どうか君の手で」
 きっと彼は『壊れる』はずだったのだろう。
 蒔かれた心の種、その殻が罅割れ、裡から心が芽吹いて、めざめて。
 辿れるはずだった光に溢れる路を断たれたのはクレプスキュールも景臣も同じ。相手こそ違えど、旅路を歪めた存在がともに死神であるのなら。
 彼へ向けて幽けき紅の獄炎を躍らせたのはあくまで景臣、ゼレフは景臣の術に己が心を、炎を添わせ、融け合う炎が地獄の彩を胸に沁みる黄昏の彩に変える。景臣の魔法が絶大なる威力で、声音が穏やかな響きで、青年を抱擁した。
「黄昏はいずれ終わりを迎える。さあお休みなさい、クレプスキュール」
 彼が緩やかに膝をつく。両の刃がひとの腕の形に戻る。
 奏多が息を呑んだ。

『曙杉って言うの』

 彼の掌上に燈った映像で、絵筆を持った娘が愛嬌たっぷりに語る。
 褪せぬ思い出くらいは連れていくといいさと吐息でゼレフが笑み、繰り返す映像の音声を消さぬよう、メイアがそっと囁きかけたなら。
「もうあなたは誰にも縛られないの。だから」
 ――おやすみなさい。自由な心で夢を見て。
 彼が微笑んだ様に見えた、その時にはもう。完全に解放されたクレプスキュールは黄昏の光に融けて世界へ還っていた。

 落葉がまるで、灯色の涙の様。
 奏多がそう形容した美しい黄昏の並木の世界を、エヴァンジェリンとメイアがそれぞれのスマートフォンに映して撮って、胸にも大切に仕舞い込んだ。夕陽を見ると感傷的になると聞きますがと微笑する景臣に頷く奏多、彼に箱竜が身を擦り寄せる様に眦を和ませたなら、夜もすりすりされる。コハブったらまた二人に、とメイアの声があがれば、釣られるように皆の笑みも零れて。
 誰からともなく樹々を振り仰げば、きらきらと煌きながら落葉が舞い降りてきた。
 落葉した樹々にはやがて雪の花が咲いて、春には瑞々しい緑を芽吹かせるだろう。
 幾度も黄昏と曙を巡り、廻りゆく時の何処かで。
 世界に還った彼と彼女の想いが交差する日が来るようにと、誰かが祈り、誰かが願った。

作者:藍鳶カナン 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年1月9日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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