襲い来る鋼鉄の拳

作者:一条もえる

 歳末の催しに、歌合戦と並んで格闘技が言われ始めたのはいつ頃からだったろうか?
 町外れにある小さなボクシングジム。そこにはテレビの中で華々しく活躍するようなボクサーはいなかったが、活気はあった。
「テレビ、楽しみッスね! どっちが勝つと思います? やっぱ王者の左が炸裂するんスかね?」
 ミットを叩いてはいるが、手よりも口を動かしていたのは金髪リーゼントという、強烈な外見の少年だった。
 しかし顔立ちには幼さが残り、言葉の端々にも素直さがにじみ出ていた。
「あー! 俺もいつか見に行きたいなぁ!」
「そうだなぁ……いや、口だけでも『俺も戦ってみたい』って言っとけよ、アツシ」
 相手をしていたトレーナーが苦笑する。
「そうそう! お前、見た目だけは強そうなんだからよ」
 先輩たちが笑うが、馬鹿にした様子はない。彼らもほとんどがアマチュアで、たいした戦績を残してはいない。しかし、練習には熱心な人たちである。
「いやいや……プロになれるかどうかもわからないッスから。とりあえず今、練習してて楽しいんで。
 それでいいッス」
 アツシが鼻をかいた、そのとき。
 安普請のジムを土台から揺るがす、激震が起こった。
「……くだらんな」
 揺れが収まったとき。玄関先に膝をついて着地していたのは、その姿勢であってさえ見上げなければならない、巨躯の男であった。
 くすんだ銀色の鎧に身を纏ったその男こそ、エインヘリアル!
「そのような怠惰な心で鍛錬をしていて、強くなれるものか!
 強くなれずして何が鍛錬か! 鍛えよ、激しく! 鍛えよ、敵を屠るために!」
 拳を握りしめたエインヘリアルはジムの壁を易々と砕き、アツシらの方へと近づいてきた。
「鍛えよ! そして殺せ! 鍛えよ! そして殺せ!」
「や、やるつもりッスか!」
 アツシは反射的に両手の拳を握りしめたが……それは蟷螂の斧にも似て、一瞬の命を繋ぐことにもなりはしなかった。
 エインヘリアルが拳を無造作に振るう。吹き飛ばされた体は一直線に壁にぶつかり、アツシは半身をめり込ませて絶命した。

「あぁ、確かによくやってますね、格闘技」
 白い手袋をはめた両手を打ち合わせたのは、朝比奈・昴(狂信のクワイア・e44320)。
「まさかエインヘリアルまで、それに触発されて現れたわけでもないでしょうが……」
「あぁ、狂風が勇敢なる若者たちの命を刈り取っていく……」
 是澤・奈々(自称地球の導き手・en0162)が、大げさに天を仰いで嘆いた。
「恐るべきは、エインヘリアルの拳。鋼鉄のごとき拳が、命を砕き……うひッ」
 蕩々と語っているうちに、想像が実感を伴ってきたらしい。ぶるりと身を震わせ、首をすくめる。
 出現するエインヘリアルの名は、『鉄拳のグレーゲル』。
 過去にアスガルドで重罪を犯した凶悪犯罪者らしい。どうやら、同胞を「鍛錬」と称して惨殺したことがあるらしいが……。
 ともあれ、これを放置すればボクシングジムにいる人々の命ばかりか、多くの人命が損なわれてしまうだろう。
 また、その恐怖と憎悪は地球で活動するエインヘリアルの定命化を遅らせることにもなりかねない。
 エインヘリアル側からしてみれば、失っても損にならない犯罪者である。帰るところもない敵は、どれほど傷つこうとも退きはしないだろう。
 もっとも、敵を叩き潰すことこそ生きがいとでも言うような『鉄拳のグレーゲル』ならば、たとえそうでなくても退かないに違いない。
 その男からすれば、和気藹々とトレーニングしているアツシらなど笑止千万。許しがたい存在ということなのだろう。
 ボクシングジムは街の郊外にあり、建物はさほど大きくないが敷地は広い。ほとんどは舗装されておらず、端には雑草も茂っている。余っている土地の一部を使って建てた、といった趣である。
 さほど広くはない建物が、練習生やトレーナーを含めて10人ほどがいる。敵は彼らを惨殺せんと狙ってくるだろう。
 幸い、現地に到着するのは敵が出現する10分ほど前だ。事情を説明し、混乱する彼らをなだめるには時間が乏しいが、なにか出来るゆとりはあるかもしれない。
「ぜ、ぜったいにかばわないといけませんね……!」
 奈々がガタガタと震えながらも、拳を握りしめる。

「えぇ。彼らに聖王女の恩寵がありますよう。そして……デウスエクスに聖王女の裁きが下りますよう」
 昴は長い睫毛を伏せ、手を組んで祈りを捧げた。


参加者
稲垣・晴香(伝説の後継者・e00734)
武田・克己(雷凰・e02613)
鋼・柳司(雷華戴天・e19340)
レミリア・インタルジア(咲き誇る一輪の蒼薔薇・e22518)
ヒエル・ホノラルム(不器用な守りの拳・e27518)
草薙・ひかり(闇を切り裂く伝説の光・e34295)
エレス・ビルゴドレアム(揺蕩う幻影・e36308)
朝比奈・昴(狂信のクワイア・e44320)

■リプレイ

●活気あふれるジム
「お願いです! しばらくの間、リングを貸してください!」
 目にも眩しい真っ赤なスーツと、落ち着いた黒のスーツ。稲垣・晴香(伝説の後継者・e00734)と草薙・ひかり(闇を切り裂く伝説の光・e34295)は対照的な格好で、体を直角に折り曲げんばかりの勢いで頭を下げていた。
 金髪リーゼントというインパクトのありすぎる髪型をした少年が、おずおずと指を指す。
「……もしかして、まさか、草薙ひかり? そっちは稲垣晴香?」
 男たちの目が、驚きで見開かれる。
 ひかりはニコッと笑みを見せ、
「今はごめんなさいしか言えないの! 何かあったら弁償するから……!」
 ふたりの必死の嘆願が功を奏したか、トレーナーは納得してリングを明け渡してくれた。
 それなのに、晴香はふてくされたように唇をとがらせている。
「ひかりねーちゃんの方が、先に名前呼ばれた」
「たまたまよ」
 言いつつも、ニヤリと笑うひかり。
「ぐぬ……このロートル! 一番は、私なんだからね!」
「ほほぅ……だったらかかってきなさいッ!」
「まったく、なにをやっているのか……」
 リング中央で力比べを始めたふたりを横目に見て、鋼・柳司(雷華戴天・e19340)がため息をつく。
「うずうずしてくるじゃないか。そうだろ?」
 と、武田・克己(雷凰・e02613)が笑う。
「『鉄拳のグレーゲル』……。どれほどの奴か、楽しみだぜ」
「そう、だな」
 鉄拳と言うからには、戦い方は拳によるのであろう。拳法家である柳司には、いろいろと思うところもある。拳を、握りしめてみた。
「鍛錬で己を鍛えることの大切さは同意できるがな。昴にも、わかるだろう?」
 ヒエル・ホノラルム(不器用な守りの拳・e27518)に水を向けられた朝比奈・昴(狂信のクワイア・e44320)は、頷く。
「わたくしの鍛錬などは、嗜み程度ではあるますが……それも信仰に必要ですから」
 彼女の行動の基準となるのは、常にそれである。
「自分が異端だと理解せず、他人に主張を押しつける……厄介なことです」
 さて、練習生たちは畑違いではあるが、目を輝かせてリング上のふたりに視線を送っている。
「……できれば、彼らには避難していただきたいところですが」
 敵の襲来まで、あと何分残っているだろうか? 事情を話し、かつ混乱と恐慌を起こさずに逃がすには時間が足りないであろう。昴はため息をつく。
「せめて、端の方に寄っていてもらいましょう」
 レミリア・インタルジア(咲き誇る一輪の蒼薔薇・e22518)が、「リングの側は危険ですので」などと適当な理由を付けつつ、アツシたちを避けさせた。
 彼らの視線が、昴やエレス・ビルゴドレアム(揺蕩う幻影・e36308)を、遠慮がちに往復していた。
 若者たちには、彼女らの、衣服からこぼれ落ちそうな肢体は刺激的すぎるのである。
 エレスはそれに気づいてはいたが、関心は向けず、
「是澤さん」
「はひッ!」
 ビクリと身を震わせて返事をした、是澤・奈々(自称地球の導き手・en0162)。
 エレスは苦笑しつつ。
「慌てなくても大丈夫ですよ。もしものときは、こちらの勝手口から逃げてもらいましょう。
 敵は礼儀正しくノックしてくるわけではなさそうですが、玄関の方から現れるみたいですからね」
「は、はい……!」
「頑張らないと、ですね」
 レミリアが、拳を握る。アツシたちもそうだが、奈々にも怖い思いはさせたくない。
 そのとき、ジムが凄まじい衝撃で揺れた。

●襲来
 アツシたちはたまらずよろめいて壁にしがみついたが、(奈々を除いた)ケルベロスたちはその程度で狼狽えたりはせず、表情を引き締める。
「……鍛錬を怠って、ただ他人の鍛錬を眺めているだけか」
 揺れが収まったとき、玄関先に膝をついて着地していたのは、その姿勢であってさえ見上げなければならない、巨躯の男であった。
「時間の無駄よ! 鍛えよ、激しく! 鍛えよ、敵を屠るために!」
 拳を握りしめたエインヘリアルがジムの壁を砕き、突進してくる。
「ひぃッ!」
 理解が追いついていなくとも、それが絶望的な存在ということはわかる。アツシたちは顔を真っ青にして、腰を抜かした。
「だ、だめです……!」
 奈々が慌てて庇おうとするが。
「お前は下がっていろ!」
 柳司がその背を突き飛ばす。もともと、ガクガクと膝が笑っていたのである。さほど強い力でもなかったのに痩せッぽっちの体はあっさりところがった。
 繰り出される敵の拳を、柳司はオウガメタルを纏った拳で受け止める。
 そのとき、ジム内に失われた面影を悼む歌が流れた。目を閉じ、歌うエレス。その歌声が、ケルベロスたちに力を与えていく。
 しばし目を閉じて聞き入った柳司だったが、すぐに目を開いて敵を睨むと、
「命を賭しての鍛錬だと? ふん、それを言う当人のやっていることが、一般人の虐殺とはな!」
 と、鼻で笑った。
「なに……!」
「命を賭した鍛錬が本当に必要だと思うのならば、かかってくるがいい!」
「命がけの修行したいなら、俺たちが相手してやるよ、でくの坊ッ! 後悔することになるぜ!」
 克己が直刀を抜き放ち、敵に躍り掛かった。
 雷の霊力を帯びた切っ先が、グレーゲルの肩を貫いた。
「どんな相手だろうと、ただ斬って捨てるのみ!」
「ぬがぁッ!」
 しかし敵はそれに怯みもせず、懐に飛び込んでくる。
 音速を超える拳の前に立ちはだかったのは、ヒエルだった。防ぎこそしたものの身体は吹き飛ばされて高々と宙を舞い、窓枠をぶち破る。
 だが、ヒエルはよろめきながらも立ち上がり、仲間たちに呼びかける。
「……お前たちの攻撃は、必ず当たる。これまで培ってきた経験が生きるはずだ!」
「えぇ。当ててみせます! 聖王女の加護、なによりあなたの援けがあれば!」
 微笑んだ昴の左腕が巨大な刃と化した。横一文字に薙払うと、敵の太股から血が飛び散った。
「ご安心ください、皆様はわたくしどもが必ず守ります」
 返り血を浴びて、昴は微笑む。
「お呼びでないチャレンジャーは、引っ込んでて!」
「地上最高のプロレスラー・草薙ひかりに、貴方の拳が届くかどうか。試してみる?」
 ダイナマイト変身した晴香とひかりが、お馴染みのリングコスチュームに変化した。
 コーナー上から指を突きつけ、晴香は仲間たちを『メタリックバースト』で鼓舞していく。柳司もそれに呼応して、オウガ粒子を放出した。
「ふん、そちらが王者のつもりか。笑わせる! 貴様らの鍛錬など、ままごとに等しいと教えてやろう!」
「なにが、鍛錬ですか」
「ぬ?」
 横合いから呆れたようにかけられた声に、敵は顔をゆがませて振り向いた。視線の先にいたのは、レミリアである。
「命を奪うのは、鍛錬なんかじゃない。貴方が殺したいだけでしょう!」
 敵はしばし、驚いたように目を見開いた。そして、ニヤリと笑う。舌なめずりするように、いやらしく。
「貴方という、人は……!」
 レミリアの顔が歪むのと同時に、彼女の宿した御業が炎を撃ち出す。
 しかし敵は、その炎を直前で避けた。背後のサンドバッグが炎にまかれ、爆発四散する。火の粉に頬を焦がされながらも、グレーゲルは拳を握りしめ、間合いを詰めてくる。
「ひぇ……」
 奈々が息をのむ音が聞こえた。怒りの形相を浮かべていたレミリアは、かえってゆとりが生まれたように微笑む。
「是澤さん。敵を防ぐのは私たちに任せて、援護をお願いします」
「は、はい!」
 慌てて頷いた奈々が、ケルベロスたちを順に、『真に自由なる者のオーラ』で包んでいった。
「その調子。怖くても、その恐怖と戦いながら前に立つ貴女の姿に、皆さんはきっと勇気づけられる……」
 完全に腰の引けた、へっぴり腰だが。
「と、思いますから」
 勇気を奮い立たせたかどうかはともかく、アツシたちはその隙に外へと逃れた。
 敵を迎え撃ったのは、ひかりである。
「さすがの大迫力、超ヘビー級ボクサーね。でも私だって、ヘビー級女子プロレスラーだよ! ちょっとだけね」
 拳を交いくぐって放たれた電光石火の蹴りが、土手っ腹に叩き込まれた。
 ベンチプレスを粉々にしながら吹き飛ばされたグレーゲルだったが、すぐさま立ち上がる。
「図に乗りおって~ッ!」
「その程度で逆上するのか。そのような怠惰な心で鍛錬をしていて、強くなれるものか!」
「黙れッ!」
 挑発された敵は、文字通り鉄拳をヒエルに叩きつけた。視界がぐにゃりと曲がったヒエルだったが、
「まだ、まだ! 守りたいから守る。それだけだ!」
 叫び声で自らを奮い立たせ、足に力を込める。
 その姿と敵とを見比べ、
「鍛えるのが好きな者同士でも、考え方でこうも違うものなのですね」
 と、エレスが首を傾げた。
「もちろん、素敵なのはヒエルさんの方ですよ。少しばかりの強さを鼻にかけている卑怯者なんて、お近づきになりたくありません。
 さぁ、幻影で心と体を癒します……!」
 血の流れ出る額が、傷ひとつない元のままの幻影に覆われる。それは視覚から精神に作用し、本当に傷を消していった。
「ほざけ。雑魚どもとつるむつもりなど、こちらの方こそないわ! 雑魚どものする鍛錬などで、勝てると思うな!」
 敵が繰り出した拳から猛然と、ケルベロスたちを喰らい尽くすオーラが放たれた。
「確かに、死合が拳士を成長させることはある。その宿業を完全には否定しまい……!」
 その圧力に引き裂かれ、柳司は顔をしかめる。
「だが、それは自発的な合意があってこそ。主張を押しつけての虐殺など、自身の心と拳を腐らせるだけだ」
 柳司のマインドリングから、光り輝く盾が出現した。その盾で敵の拳を押し返しながら、抜きはなった刀で敵の膝を割った。
「その主張が他者に通らないことことは、アスガルドでさえ犯罪者として扱われていることで、気づきそうなものですが」
「理屈のわからない『壊し屋』ってのは、本当に面倒だよね! 昴さん、そっち登って!」
「はい」
 ため息をついた昴と肩をすくめた晴香とが、目配せしあってコーナーポストから跳ぶ。
 流星の煌めきと重力を込めた跳び蹴り……いやさドロップキックが同時に、敵の胸板に命中した。
「動かないで!」
 叫ぶや、ひかりは敵の腕に飛びついて極める。気脈に指をねじ込むと、それだけで敵は身動きがとれなくなった。
「たく……」
 克己は、直刀で自らの肩を叩きながら舌打ちした。
「個人の力量を考慮しない鍛錬が、何の役に立つ!」
「それは雑魚の言い訳よ!」
 グレーゲルは力を込め、ひかりを振り払った。そのオーラが襲いかかる。
「ぐ……!」
 全身を引き裂かれながらも、克己は血塗れの床を踏みしめて前に出た。
「違うね。練習とは、基礎の絶え間ない繰り返し。それを疎かにして上達なんてないんだよ。その練習が、無駄になるものか!」
「ぬぅッ!」
 繰り出されたグレーゲルの拳を、克己は首をひねって避ける。その圧力だけで頬が避けたが、克己の顔には笑みが浮かんでいた。犬歯を剥き出しにした、獰猛な笑みが。
「デカい口を叩くだけあって、なかなかやるじゃないか。
 どちらの攻撃が当たるか……賭けに勝ったのは俺の方だったな!」
「まだ、それで終わりじゃありません!」
 克己の直刀が空の霊力を帯びて、グレーゲルを斬り裂いた。それに呼応するようにレミリアもまた懐に飛び込み、マインドリングから生み出した刃で影のごとく斬りつける。
「ぐ、おおお……!」
 傷跡をさらに抉られたグレーゲルは、さすがにうめき声を上げて尻餅をついた。

●鍛えよ、自らのために
 これがボクシングならば、蓄積されたダメージが回復するまではインファイトを避け、時間を稼ぐところであろう。
 しかしながらグレーゲルは、そんなことなどお構いなしに突進を続けた。
 ケルベロスたちは放たれるオーラをかいくぐるが、狙いを外したそれはリングをズタズタに引き裂いた。
「ぬおおおおッ!」
「ぐ……!」
 繰り出される拳を避けきれず、柳司が身体をくの字に折り曲げる。しかし、
「確かに、拳の威力はたいしたものだ……だが、それだけだ!」
 と、口の端から血を流しながらも敵を押し返し、自らは退いて間合いを取る。
「その身で知れ。雷華戴天流、絶招が一つ……紫電一閃!」
 振り下ろされた手刀から、雷の刃が放たれた。それは敵を袈裟懸けに切り裂くとともに、体内を駆けめぐる。
「お、のれぇッ!」
「……俺に言わせれば、お前の言う鍛錬も稚拙すぎる」
 ヒエルもまた、敵の攻撃を幾度も弾き続けた。
「なんだとッ!」
「貴様のように、強い者を倒すだけなら、ただ相手より強くなればいい。
 だが、強い者から他者を守る為には……相手を超えるだけの強さでは、全く足りないのだからな!」
 主の目配せに応じて、ライドキャリバー『魂現拳』が激しいスピンで襲いかかった。
「エレス! 攻撃は俺たちで受け止められる。大丈夫だ!」
「わかりました!」
 幾度もケルベロスたちの傷を癒してきたエレスが、如意棒を握りしめ、くるりと回す。
 瞬時にして倍以上の長さに伸びた如意棒が、敵の膝を打った。
「ちッ……!」
 グレーゲルは舌打ちして跳び下がり、
「弱い奴を守る必要が、どこにある! そんな奴は、鍛錬を怠る怠惰な輩よ! 踏みつけにするだけの、虫けらよ!」
「本当に、どうしようもない人……!」
「そこまでクズだと、遠慮がいらなくてありがたいくらいだぜ!」
 レミリアと克己とが、左右に散る。
「大地よ、地の底より沸き上がりその手を伸ばせ!」
 突如としてジムの床板が砕けて、そこから土が盛り上がった。
「うおッ?」
「大地を走る、彼の者の脚に!」
 致命傷にこそならなかったが、敵はよろめいて壁に手をついた。そこに、
「木は火を産み火は土を産み土は金を産み金は水を産む!」
 直刀を振りかぶり、大地の気を集約した克己が躍り掛かった。
「護行活殺術! 森羅万象神威!」
「ぎぃあああああああッ……!」
 すでに敵の鎧は、もとの色がなにであったか定かではないほどに赤く染まっている。いや、そもそもあちこちが砕かれ、すでに原形をとどめてさえいなかった。
 それでも敵は、幽鬼のごとくフラフラと歩み寄り、血塗れの拳を握りしめる。まさに満身創痍。しかし、その拳はいまだ、力を失ってはいないのだ!
「この……!」
 壁に叩きつけられた晴香は、血反吐を拭いながら立ち上がった。続いて繰り出された拳を身を屈めて避け、くるりと敵の背に回り込む。
 本来なら腰に回すべき両腕は、体格差のせいで太股にしか届かない。エインヘリアルの巨体が、果たして持ち上がるものか?
「どんな巨体でも、知ったことじゃないわ! 私の投げから逃げられると思ったら、大間違いよ!
 うあああああッ!」
 グレーゲルの巨体が持ち上がる。そして、
「ひかりねーちゃん!」
「えぇ!」
 右腕を振り上げて、ひかりがコーナーポストから跳ぶ。
「天から降りた女神の『断罪の斧』に、断ち切れないもの、打ち砕けないものなんて、存在しないのよ!」
 グレーゲルの首元に、強烈なラリアットが叩き込まれる。その衝撃のまま、グレーゲルは後頭部から床に叩きつけられた。ハイタッチを交わすふたり。
「おお、おおお……」
 それでも敵にはまだ、息があった。
「おのれ……こんなはずは、ない。鍛えよ、そして殺せ。殺すために、全てを捧げて鍛えるのだ……!」
 これがリングの上なら、テンカウントでKOだっただろうが。あいにくとここは、戦場であってリングではない。
「嗜みを怠惰と言われては、人生の全てをひとつのことに捧げなくてはいけませんね」
 床に伏した敵の前で、昴が小首を傾げて、ため息をつく。
「それができる人もいるのでしょうが……全員がそうだとは、思わないことです。全てを捧げないからといって、価値がないわけではないでしょう?
 私? 私は、全てを……」
 昴が微笑むと同時に、心臓のワイルドスペースが爆発的に広がり、左腕を、そして全身を侵していく。
 聖なるかな、聖なるかな。聖譚の王女を賛美せよ。その御名を讃えよ、その恩寵を讃えよ、その加護を讃えよ、その奇跡を讃えよ……!
 呪詛にも似た祈りの言葉とともに昴の身体は黒く淀んだ獣の姿へと変じ……エインヘリアルだったものは、ジムの床を汚す血溜まりと化した。

 ジムの損害は、ひどいものである。
 安普請の建物は、今にも崩れてしまいそうだった。ケルベロスたちは懸命に修復にあたる。アツシたちもよく働いて、瓦礫やゴミを片づけていった。
「……だいたい、片づいたでしょうか?」
「そうですね」
 レミリアとエレスは、奈々も一緒になって修繕を手伝った。
「ウッス、ありがとうございます!」
 その彼女らに、アツシは律儀に頭を下げる。
「……こういう、男臭い雰囲気は新鮮だなぁ」
「いやー、若い男子の熱視線は、若さを保つ特効薬だね!」
 などと、晴香とひかりとはのんきな感想を述べた。
「『楽しんで鍛える』……それも大切なことだ」
 ヒエルが彼らを見渡して、声をかける。
「やり方も目指すところも、それぞれでいい。これからも、自分の心に沿って鍛錬に励むといい」
「ウッス、肝に銘じておきます」
「ふふ……皆さんに、聖王女の恩寵がありますように」
 昴が微笑んで、祈りを捧げた。

作者:一条もえる 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年12月31日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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