かげろう

作者:ヒサ

 夜明けまではまだ暫しかかる、暗い時間。足早に自宅を目指す森光・緋織(薄明の星・e05336)は、その手前の公園を突っ切るべく足を踏み入れた。
「──こんばんは」
 中ほどまで来たところに、夜闇から出でた如き黒衣の男の姿があった。
「な、……、──っ」
 無人だった筈のそこに突如現れたようにも見えたその相手に、緋織は目を瞠る。これは、このひとは──いや、彼はヒトなどでは無いと、緋織の唇が緊張にきつく結ばれた。何故なら薄く笑うその男は、ドリームイーター。
 男は青年の反応に、くつりと笑みを深めた。冷めたその視線は、薄紅の瞳を射抜く如く。
「見苦しいことだね」
 唐突な言。青年の心深くを覗き冒すかのような低音は、嘲りめいた色を帯びていた。
「虚勢、偽り、上辺だけの笑顔……生き難くはないのかい」
「そん、な……こと」
 反射的に口を開いて、けれど、緋織の声が掠れる。無い、と否定を言い切ったって良かった。今の己は、かつてとは違う。そう言えるだけの経験、温かく強い感情、そうしたもの達を、もう知っていたのだから。
 なのに竦んでしまうのは。自覚して、けれど笑い飛ばす事も容易くは出来なくて。
「──暴いてあげよう、君の『本当』を」
 彼の逡巡を見透かす如くドリームイーターは言って、その手を広げた。

 緋織を助けて欲しいのだと、眉間に皺を刻んだ篠前・仁那(白霞紅玉ヘリオライダー・en0053)が言った。郊外だから、というわけでも無かろうが、やはり連絡はつかない様子。
「場所は街外れの公園……いえ、広場? 取り敢えず、障害物はほぼ無さそうよ」
 寂れた場所ではあるが、街灯は生きているという。青年らの他に人影も無く、彼らのもとへ駆けつけ助勢するのは、ケルベロス達ならば難しいことでは無いだろう。
 敵は、胸にモザイクを宿した一体のドリームイーター。肉弾戦よりは術を用いて戦うタイプのようだ。耐久力よりも攻撃力の方に注意が必要となろうか。
 そう、視たものを思い返しつつ言葉を終えた仁那は、一つ息を吐いて。
 皆が無事に済むように、と、ケルベロス達へ後を託した。


参加者
シヴィル・カジャス(太陽の騎士・e00374)
落内・眠堂(指切り・e01178)
スノーエル・トリフォリウム(四つの白翼・e02161)
木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879)
森光・緋織(薄明の星・e05336)
葛篭・咲(珈琲ロマン・e12562)
アクレッサス・リュジー(葉不見花不見・e12802)
砂星・イノリ(ヤマイヌ・e16912)

■リプレイ


 敵の手が翻り、斬撃が森光・緋織(薄明の星・e05336)を襲う。咄嗟に防御し負傷を抑えはしたが、肌の奥に刻まれた痛みは彼を苛んだ。
 一人で応じるには厳しい相手である事は、視れば判る。だが青年に退く気は無い。たとえ刺し違えようとも此処で、と。彼は足に力を籠め跳ぶと、蹴り技を仕掛ける。黒衣の腕を打ち据え、されど男はなお笑んだまま。
「なるほど……抗う程度の強さはある、と」
 その声に、緋織の瞳が揺れる。
(「僕はただ」)
 だが青年は、口の端を上げて微笑みを返した。
「ねえバロンス。僕が一人の時に来てくれて、ありがとう」
(「──な僕──……を、──てくれる優しいひと達を」)
 外の世界に触れ、人に触れ。慈しまれて赦されて、音の形を忘れつつあった言葉の破片が、胸の奥深くに漂う。己を、優しい彼らをも傷つけるその棘は、普段ならば、蓋をしておくべきモノ。
 けれどこの時ばかりはそれが、彼を奮い立たせる力と成る。
「ここで君を止めて、皆を護るよ」
「君の本質は……だが──」
 誰も巻き込まずに済むのならばそれが最善。誰も傷ついて欲しく無いと、そればかりは強く思う。その澄んだ意志は、敵の声にとて揺らがない。
 だから、肌を肉を灼く熱線にも耐えられる。抗うために鎌を振るう。今の己は、眼前の敵を阻むためのもの。ゆえに果たすまでは倒れるわけにはいかないと彼は。
「緋織、もっと周りを見てください。此処なら……いつもなら、俺達が来たことにだって、もっと早く気付けるでしょう?」
 しかし、その決意をこそ真っ向から押し留める如き凛とした声があった。青年の前を塞ぐよう広がる一対の翼の向こうには、風が刃と荒れて葛篭・咲(珈琲ロマン・e12562)の体へ傷刻む鈍い音。
「さ……き、」
 傷が、と案じて揺れる緋織の声。刹那顧みた青い瞳が微笑んだ。
「貴方を失くさず済むのなら、この程度」
「二人とも、無事だな!?」
 とはいえ、全てを語るだけの余裕は無い。次いで駆けつけた者達の声が被さって、各々が状況を、屠るべき敵を確かめる。
 応戦に動く敵の腕を叩き斬る如く突撃したシヴィル・カジャス(太陽の騎士・e00374)に続き、木霊・ウタ(地獄が歌うは希望・e02879)が放つ炎が獲物を縛す。害意が散らされたその隙に、砂星・イノリ(ヤマイヌ・e16912)が癒しの歌を響かせた。耳を打つ祈り謳う声に目を瞠った青年が、戸惑い交じりに瞬きを。だが、零れる事をやめ正しい巡りに戻る血に熱を取り戻した指が、しかと鎌の柄を握った。
「久しいな、緋織。こんな形じゃ無けりゃもっと良かったが」
 手早く片付ければ良いかとばかり落内・眠堂(指切り・e01178)は笑んで鎖術を織る。
「怪我はもう大丈夫そうかな? 助けに来たんだよ」
 緋織の傷を確かめたスノーエル・トリフォリウム(四つの白翼・e02161)はマシュを癒し手の補佐にと遣りつつ得物を構える。
「よく耐えててくれたな」
 アクレッサス・リュジー(葉不見花不見・e12802)は友人らをその身で護るよう前へ。
「緋織に手を出して貰っちゃ困るんだ。これ以上好きに出来ると思わないでくれよ」
「ぎぅうう──……!」
 そして敵へと語りかける彼の声は、常と同じ平静さを保ったもの。だが、治癒を為す彼へ付き従うはこは、主の胸中を代弁するかのよう、彼女らしからぬ威嚇の唸りを発した。
「……ぁ」
 緋織の唇が、言葉にならぬ声を零す。現れた仲間達をその目に映す。見知った顔も多い。護りたいと願ったその時、思い浮かべた顔もあった。『仲間』である、それだけで微笑み掛けてくれる、強い意志の体現者も。
 息が詰まる。胸が痛む──温かく、震える。
 煩わせた、なんて罪悪感が軋んで、けれどそれでも。
「ありがとう。……力、借りるね」
 当たり前のように、共にと寄り添ってくれる皆の姿。緋織は煙る視界に気付き今一度目を瞬いて、掠れた声で微笑んだ。


 敵が放つ熱線の標的となったのは、はこだった。回避を試みるより早くに迫るそれを、代わって咲が受ける。
「すまん、助かった」
「いえ、俺なら……」
 身を穿つ衝撃は纏う礼服が軽減し得た。淡く焦げた裾を翻し青年は機敏に反撃へと動く。
「マシュちゃん、砂星さんを手伝って、皆を助けて欲しいんだよ」
 スノーエルの声に応じた柔らかく温かな力が彼の傷の痛みを和らげる。刀二振りを携え駆ける青年は、獲物を捉えそれを振るう。斬撃が夜を薙ぎ、欠けたる胸を斬り開く。
「皆、行けそうか?」
 その眼で以て敵を視て、ウタが問うた。同様にして首を捻ったのは前衛達。
「なんとか、かな」
「確実にとなると、もう少し助けが欲しいところだ」
「解った、任せとけ」
 敵は既に傷の苦痛に囚われつつあった。彼を苛む荷重を更にと、射手たる青年は鋸刃を唸らせる。抉られ零れるモザイクが呪詛に沈む。全てを子細には知り得ずとも、着実に歩を刻んでいることは判る。ゆえにケルベロス達は手を緩めることを拒む。凍弾が爆ぜ、炎弾が盛り、幾重にも苦痛を。地を蹴ったシヴィルが剣を振るい、敵の態勢を崩す。
「覚悟するがいい、デウスエクス。私は人々を護る騎士、森光殿のことも必ずや護ってみせよう」
 間近で視線を交わし、彼女は告げる。その声に、追撃に切り込む緋織の瞳が微かに翳った。だがそれは束の間のこと。
「彼と共に戦う為に集った私たちだ、負ける筈が無い!」
 鮮やかに連撃が決まったのを見、彼女は屈託無く胸を張る。
「森光殿。私たちが、あなたのご友人らが、あなたを想い此処に居る。その絆の力を見せてやってくれ!」
 護る者と護られる者、だけでは無いのだと。手を引くような、それでいて背を押すような声は、熱く強く燃えるようで、緋織は眩しげに目を細めた。
「頑張るね」
「十分だ」
 生真面目な声に、眠堂がからりと笑んだ。
「緋織ひとりに背負わせねえ為に俺達が居る」
 気負うなと、頼れと──その意味なら彼はもう知っている筈と。たとえば以前結んだ縁はそう象られ、今ここに、同じ色をした優しさが彼へと還るために在るから。
「っ、……ありがと」
 改めて示されて、束の間呆けた緋織の唇は、それでも今、伝えるべきことをと望み微笑んだ。より正確には、伝えたいこと。だって返せるものなどそうは無い。
(「あとは、誰も……僕も、酷い怪我なんてしないで済むように、出来るだけを」)
 何も失わぬままの勝利を。そのためにこそケルベロス達は気遣い合い、声を掛け合う。
 クルーン、と呼ぶ声と共に銀の光が散って、成された加護にイノリが微笑んだ。
「あとはもう少し守りを固めたいとこだけど……」
「ならそれは俺がやろう。皆の怪我はイノリに頼んじまうことになるけど」
「ありがとう、助かるよ。任せて、皆が思いきり戦えるように頑張るから」
 アクレッサスの申し出に少女の顔が輝いた。白い手が赤華の杖を振るい雷を壁と織り上げて行く。その背を見上げた目が束の間空を仰ぎ、月に手を伸べる如く光を紡ぐ。
(「思いっきり、やっちゃってね」)
(「援護……は、ウタくんや落内さんにお願い出来そうだから、私はダメージを稼ぐ手伝いをするのが良さそうなんだよ」)
 仲間達を、特に多くの傷を引き受ける盾役達を見、スノーエルは思考する。友人が、臆さず己が手で立ち向かおうと言うのなら、自分はその道行きを助ける者で在れたら良いと。彼に寄り添わんとする皆が頽れることの無いように。詠唱を口中に紡ぎ彼女は竜炎を放つ。
「──揺らぎうつろう想いなど、容易く堕してしまうだろうにね」
 身を灼かれながらも吐かれた敵の声が、揶揄めいた。
「そう言う自分はどうなんだよ」
 敵のモザイクを見遣ったウタの声が突きつける。
「虚勢や葛藤の何が悪い? 見栄張ってカッコつけるから挑戦出来て、悩んで苦しんで足掻くから成長出来るもんだろ、人間ってのは」
 時を重ね、あるいは共有し。だからこそ今があるのだと、此処に居るのだと、ケルベロス達は知っていた。
「緋織さんは優しくて、一緒に居ると楽しくて、笑顔の素敵な人だ! お前なんかに──」
「──貴方なんかに、緋織の何がわかるんですか」
 イノリが怒気を露わに吼える。咲の声は冷たく静かに。頭の奥は種々の想いに荒れていて、けれど理性で律して彼は意識を研ぎ続ける。
「彼が懸命に生きて進む、その邪魔などさせません」
 見えないものがある。言えないこともある。捩れた感情とて自覚済だ。けれどそれでもその奥に、真っ直ぐに澄んだ願いがあることを、彼は解っていた。
(「失くしたくない。助けたい。……それだけは、絶対に嘘ではないですから」)
 彼を傷つける敵など赦してはおけない。それも肉体をに留まらず、心をも弄ぶなど。それはこの場に集った者達が各々抱く想いだったろう。
「友達を助けるのに理由なんて要らないんだよ」
「なに、無闇に苦しませたりはしねえさ。逃がすつもりは無いってことだけ、解っててくれりゃあ良い」
 彼らが揃った以上、最早手の届かぬ敵では無い。傷を負えども彼らの戦意は折れることなど無く燃え盛る。
 全力で、最後まで──最期まで。求める終わりのためにと突き進む。


 敵を捉えることへの不安は既に無い。だが守りに関しては、どれだけ手を尽くしたとて過ぎることは無いだろう。杖持つ側とは逆のそれ、鎖を繰るためでは無く翻る眠堂の片腕に銀の色が絡み、その手を護る。であれど振るうべき力は阻むこと無く打ち出して、敵の身へと衝撃を。意識と体にズレを、存分に力を振るうことなど不可能に──呪いを操る射手相手には、どれだけ重ねれど過分な筈も無い。
(「傷つけさせやしない」)
 肉体とて、同胞のそれを壊させてなるものかと彼は。踏み越えて歩むべき、歩み得る『先』があることを知っている。傍らに携える杖を指先でそっと撫でた。
「はこ」
 そうして、手伝いをとの声に応え赤竜が熱で以て敵を苛む。精密に狙われなどしては危ういことを承知で、だからこそ急ぎ決着をとケルベロス達は攻め続けた。攻撃手達が己が務めに集中し得るギリギリのところにしかし踏み留まり続けられているのは、支える者達の力あってこそ。炸裂する害意の前に身を晒し、盾役達は傷を負いながらも倒れることを拒み、彼らの手伝いをも受け癒し手らは治癒を巡らせる。
「もう向こうも結構痛い筈、叩いて来て欲しいんだよ」
「承知した」
 幾度目か冷気を御したスノーエルの声に応え、シヴィルの剣が敵の傷を抉り裂く。看過し得ぬほどの傷と呪詛に敵が修復を望みモザイクを操るならばそれも良い。その隙にとアクレッサスとイノリとマシュで手分けして、癒せる傷を片端から塞いで行く。
 その傍らでは、ウタのギターが裁きを謳い敵を絡め取る。眠堂の指が翻り炎を散らし、新たな呪を奏で綴る。跳んだ緋織の蹴りが敵を穿ち、咲が振るう刀が霊刃を放つ。
 前衛を駆ける青年二人は各々抱える屈託ゆえにこそ敵の気を惹きがちで、だからこそ見守る年長者は彼らを気遣い護りをと望む。広く長く伸びる黒鎖が赤く艶めき陣を重ねる。礼の言葉を返す声は──何の心配も無いと判る強さ。そのまま進めと、背は預かると、眼鏡の奥に金瞳が柔らかく笑う。
「貴方になど負けるものですか」
「皆を傷つけた分は、返して貰わないとだから」
 抗い競れど、終わりは不可避。少しずつ、けれど着実に、ケルベロス達は敵を追い詰める。
「お願い!」
 託す声と共に、戦意をより煽る月光が爆ぜた。受けてシヴィルが地を滑るよう敵へと迫る。敵が放った熱線が彼女の肩を貫き、けれどその勢いは殺されること無く剣は重く振るわれた。敵を地へと叩き伏せて、縫い止める如く圧して。
「緋織、やっちまえ!」
 追撃に踏み込んでいた一人は、死に瀕す敵をその目に映した。薄紅色が揺れて、唇が躊躇って、けれど確かめるよう、声を。
「……やっぱり、僕は皆が大事で」
 ──でもだからこそ、潰えるならば独りでと。
 なのに、貪欲な己の存在を自覚して疎んで。
 なのに、それで良いのだと赦してくれる人達が居て。
 慕う気持ちは抑え難く、与えられるものに安らぐ心はしかし恐れをも抱く。
「でも、今皆が傍に居てくれることを嬉しいって思う」
 震えた音は、それでもはっきりと形を成した。己を苛む矛盾を孕みながらも、己の為に嘆いてくれさえするであろう人の温もりを知る今となっては『まだ共に』と願う。
「だから、ここで──」
 緋織が鎌を振るう。刃は敵を切り裂いて、その命を過たず吸い尽くした。


 場が静まってまず、イノリがシヴィルの傷の治癒に走った。皆で手分けしてヒールを施し、各々無事を確かめた。
「…………、……大事なくて良かったです」
 緋織の負傷と疲労を確かめて、咲が呟く。何よりもまず、望んだ結果を得られたことへの安堵を口にした。
「……うん」
 各々刻む鼓動は正しいままに緩やかに。その傍に揺れる友情の形があることならば互いに知っている。だからこそ交わす言葉は少ないまま、それでも、護れたそのことを喜んだ。
「お疲れ様。よく頑張ったな」
 皆の手当が済む頃、アクレッサスが二人へと笑い掛ける。白い頬に血色を上らせて笑う見慣れた顔は寄せる信頼ゆえにあどけなく、疲労を吐き出した呼吸の続きに形作られる淡い笑みは上品に、それぞれ応じた。
 戦いに巻き込まれひしゃげたベンチと街灯は手早く治したが、熱に萎れた野花等はそうも行くまい。眠堂は杖から変じたオコジョと共に頭を捻り、動ける者達で手当を手伝う。折れた樹枝類は飛べる者で接げた。
 緋織にとっては馴染んだ景色である筈だからと、出来る限りを尽くし。一段落する頃には結構な時間が経っていたが、ケルベロス達の顔は晴れやかだった。
「皆、無事で良かったんだよ」
 スノーエルが笑う。ヒトのみならずと柔らかく。
「うん……皆、何から何までありがとう」
 緋織の声は僅かなれど、涙に滲んだ。
(「此処なら……皆が懸命に生きるこの星でなら、あんたの不足も埋まるかな」)
 ウタがそっと、鎮魂を紡ぐ。抑えたギターの音が、白み始めた空へと溶けて行く。
 悩み、迷い、それでも未来へと歩み続けんとする者達を、夜明けの光が照らしていた。

作者:ヒサ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年12月31日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 2
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