硝子海月と星の夜

作者:柚烏

 時の流れとは無情なものだ。忘却は、何かを喪ったものにとって救いであると同時に、喪われた存在にとっては本当の死を意味する。
 此処、郊外にそびえる遊園地も、既に廃墟となって久しく――在りし日の姿を覚えているものも、今となっては僅かなのだろう。かつて大勢の人々で賑わいを見せた場所だからこそ、無人となれば一層寂しさは募る。
 ああ、今夜は星が綺麗だ。錆びた観覧車が風に吹かれてきぃきぃと軋んだ音を立てる一方で、色あせた回転木馬は二度と動き出すことは無い。
 ――と、其処へ。星明りにぼんやりと浮かび上がるように、何処からか現れたのは硝子のように透き通った怪魚だった。ゆらり、ゆらり――深海から浮かび上がったかのような彼らの、夜風にたなびく尾はまるで海月のよう。青白い輝きを放ちながら、泳ぎ回る軌跡が描くのは魔法陣か。
 やがて浮かび上がる光の中心に、召喚されたのは鋼の機械生命体――ダモクレスだった。鋼鉄の身体から幾つも伸ばされた脚ゆえに、彼もまた何処か海月を思わせたが――その姿に知性の色は無く、ただ戦う為だけに存在するのだと否が応でも感じさせる。
 過去の傷痕を思い出させてやろうと言うように、忘却の彼方から亡者はやって来て。夢に浸れる廃遊園地は、悪夢の舞台へとその姿を変えていった。

「退廃的な遊園地で、星空に硝子海月の死神を発見――なんて、まさか本当にあるんデスネェ」
 寝癖のついた髪をくしゃくしゃと掻き回しながら、四葩・ネム(合歓・e14829)は欠伸をかみ殺してぽつりと呟く。はい、と彼に頷く笹島・ねむ(ウェアライダーのヘリオライダー・en0003)は、更に詳しい情報を皆に説明していった。
「場所は茨城県の郊外、既に閉鎖された遊園地跡です。其処で死神の活動が確認されました」
 死神とは言え、それはかなり下級の存在で、浮遊する怪魚のような姿をした知性をもたない型だ。深海魚の如き異形の美を持つ彼らは、硝子のようにうっすらと透き通って発光しており――そのひれはまるで海月のように、ゆらゆらとうつくしく波打っているらしい。
「でも、その姿に見惚れている訳にはいきません。この怪魚型死神は、第二次侵略期以前に地球で死亡したデウスエクスを変異強化した上でサルベージして、戦力として持ち帰ろうとしているようなのです」
 恐らくデウスエクスをサルベージすることで戦力を増やそうとしているのかもしれないが、これを見逃すことは出来ない。ケルベロスの皆にはこれを防ぐため、奴らの出現ポイントに急いで向かって欲しい――ねむはそう言って、ぺこりと頭を下げた。
「変異強化されたデウスエクスは、ダモクレスが一体です。丸い鋼鉄の身体から複数の脚が生えている形状で……蜘蛛とか海月を想像して貰えると分かりやすいかなって思います」
 このダモクレスは知性を失っており、本能の赴くまま襲い掛かってくるようだ。攻撃手段はレプリカントやバスターライフルと似たようなものを扱うらしい。そして更に、怪魚型の死神が3体現れるが――彼らは単純に、噛み付くことで攻撃を行うとのこと。
「なお、現場周辺への一般人の立ち入りは禁止されていますので、周囲を気にせず戦うことが出来ます。……もっとも、既に足を踏み入れるひとも居ないみたいなんですけど」
 其処まで説明して、ねむはそっと吐息を零した。死したデウスエクスを復活させ、更なる悪事を働かせようとする死神の策略は許せない――どうか過去の亡霊を、静かに眠らせてあげて欲しいと。
「忘れないことは大事デスガ、忘れた方が良いことだってありマス……それはさておき」
 かりかりとサプリメントを齧りながら、ネムはふと思いついたように言葉を紡いだ。無事に戦いを終えられたのなら、弔いも兼ねて廃遊園地を少し散策するのも良いかもしれない、と。
「郊外にありますから、きっと見上げる星空は綺麗デスヨ。だから――」
 たまには追憶に浸るのも良い、そう言ってネムは瞳を細め、その口角をそっと上げた。


参加者
星詠・唯覇(片翼の導き唄・e00828)
シェナ・ユークリッド(ダンボール箱の中・e01867)
海神試作機・三九六(ザクロ・e03011)
真月・勝(ただの探偵・e05189)
アルルカン・ハーレクイン(道化騎士・e07000)
四葩・ネム(合歓・e14829)
エルエル・エルル(ミスト・e16326)
ラーラレイ・リリー(ニンフ型百合式量産機・e17449)

■リプレイ

●廃遊園地は深海に眠る
 どれくらいぶりデショウ、と四葩・ネム(合歓・e14829)はぽつりと呟き、嘗て華やかな装飾に彩られ――今は寂しく色褪せたゲートをゆっくりとくぐった。
(「もう遊べる歳でもアリマセンガ……懐かしいデス。手を引かれて来たことが何度あったでショウネ……」)
 其処は、忘却と言う名の海に沈んだ廃遊園地。ちかちかと瞬く夜空の星は、まるで深海から見上げた水面に煌めく、光の欠片のよう。
「廃れた場所に、ひかる……捨てられた此の夜は、深海に似ています」
 静かに夜空を仰ぐ、海神試作機・三九六(ザクロ・e03011)の茫洋とした相貌は何処か、全てを呑み込んでゆく海を思わせて。けれどその星の瞳は、無機質な光を湛えて眼前の敵をひたと見据えていた。
「……ひそりと、死が細く息をしている」
 詩のように囁かれた言葉に相応しく、廃遊園地に現れたのは硝子の海月魚の姿をした死神――そして彼らの手で蘇った、鋼の海月のダモクレスだ。静かな星の夜に、密やかな暗躍をする彼らが繰り広げる幻想的なその光景は、遊園地の寂しさと相まって奇妙なほどにうつくしかったけれど。
「過去の亡霊は、静かに眠らせてしまわなければ」
 道化じみた大仰な仕草で一礼した、アルルカン・ハーレクイン(道化騎士・e07000)の口元が優美な笑みを形作る。その言葉に頷くラーラレイ・リリー(ニンフ型百合式量産機・e17449)も、寂びれた遊園地の夜空に泳ぐ硝子の海月魚に心奪われていたようだったが――戦いのことを忘れまいと、慌てて金の髪を揺らしてかぶりを振った。
「海に沈んだ遊園地を、海月が泳いでいるみたいで素敵なのに。はー、本当にダモクレスや死神じゃなければいいのにっ」
 さっさと倒して景色を楽しみましょうと、勝気な笑みを見せるラーラレイに、アルルカンも銀の刀を抜くことで同意を示す。
「ロマンチックな舞台ではありますが、相手がデウスエクスとあらば真面目にお仕事しないといけませんねぇ」
「今回は寂寥感たっぷりの遊園地でくらげ獲りです。死者は夢の世界から出てはいけないものですよ」
 おっとりとした物腰で呟くシェナ・ユークリッド(ダンボール箱の中・e01867)は、舌足らずな中にも非情な射手の本性をちらつかせていて。一方で透き通った硝子の如き死神を前に、憎悪の炎を燻ぶらせていたのは星詠・唯覇(片翼の導き唄・e00828)だった。
「こんなに綺麗な星空のもと、憎き相手の同族が現れるとは……な。だが……まぁ、とにかく滅するのみ」
 失われた故郷の光景がふと脳裏に過ぎるが、表面上は冷静を装いつつ――彼は静かに自身へと言い聞かせる。
(「いくら憎い相手の同族が目の前に居るからと言って、冷静さを忘れてはダメだな。感情のままに動く弱い自分ではならん」)
 そして――葛藤しているのは、真月・勝(ただの探偵・e05189)もまた同じ。敵を認め、どす黒いモノがその胸に蠢くが、彼はそれを抑える為のいつもの『呪文』を唱えるのだ。
「さぁ『依頼』を始めようぜ!」
 宵の海を泳ぐ海月、その月と星の光に照らされた姿は妖しくも綺麗で、まるで死後の世界を見ているようだとエルエル・エルル(ミスト・e16326)は思った。ゆらゆらと生と死のはざまを漂い、その境界線を曖昧にしていく怪魚たち――何処かに誘うようなヒレの動きにエルエルは一瞬見惚れるものの、直ぐに首を振って武器を構え直す。
「僕もいつか空の上に還る身だけれど、それは今じゃないんだ。……悪いけれど、もう一度眠ってもらうよ」
 この光景を、一夜の夢で終わらせる為に――彼の唇が、祈りを囁くように微かに震えた。
(「――Rest in Peace」)
 安らかに眠って、と。ひそかな死の吐息が夜気に染み渡る中――墓碑に刻む手向けの言葉は、まるで彷徨う彼らを導く綺羅星の輝きのようだった。

●溺れゆく鋼の蜘蛛
(「怪魚は異常付与を行う攻撃手段を持たない……ならば」)
 ――皆が、先ず狙う相手は既に決まっていた。ヨレたスーツ姿からは想像出来ない機敏な動きで、勝は身を翻して変異強化されたダモクレスに狙いを定める。その指先から高速で放たれた石礫は、機体の砲身を砕いて澄んだ音色を奏でた。
「戦えます、戦います。さあ、」
 三九六が内蔵されたミサイルポッドから、大量のミサイルを周囲に降り注がせて――上手く麻痺が付与されることを祈りながら、ラーラレイも彼女に続いてミサイルの雨を降らせる。
「さぁ、皆さんを支えるのは私たちの役目デス」
 一方でネムは霹靂の杖を翳して雷の壁を構築、アルルカンは霊力を帯びた紙兵を縛霊手の祭壇から散布して、仲間たちの耐性を高めていった。
「鋼の海月、いや地に這うならば蜘蛛なのか……」
 ぽつりと呟きつつ唯覇は地を蹴り、摩擦によって生み出された炎を纏う脚を一気に叩きつける。其処へシェナが、プリズムの輝きを秘めた光弾を射出――その闇穿つ光条はダモクレスに着弾すると同時に、麻痺をもたらす火花を放った。
「……そこですね」
 狙いすました一撃をまともに受けたダモクレスは、金属の咆哮を響かせながらミサイルを一斉に発射して反撃に移る。空を泳ぐ死神怪魚たちも、ひらりと舞い降りては次々と、その牙で獲物を喰らおうと襲い掛かって来た。
(「やはり……意図的に優先して庇うことは無理か」)
 盾として皆を守ろうと動く勝だが、庇えるかどうかはその時のタイミング次第なのだと改めて痛感する。前衛に降り注ぐミサイルを凌いだと思う間もなく、怪魚の牙が三九六のウイングキャット――三三三の毛並みを朱に染めて、彼はフゥと体中の毛を逆立てて威嚇をした。
「大丈夫、僕も守る……守って、みせる」
 喰らいつかれた腕にぎゅっと力をこめて、エルエルの握りしめた黒鎖が素早く地面に展開する。その鎖が描くのは守護の魔法陣で――三三三も邪気を祓おうと、その背の翼をゆっくりと羽ばたかせた。
「こんなところに、素敵な人と来てみたいなぁ……って景色を楽しむのは、戦闘が終わってからにさせてもらうわ!」
 炎や弾丸が乱れ飛ぶ戦場に居ることを意識し、直ぐにきゅっと表情を引き締めたラーラレイは、己の役割を果たそうと薬液の雨を降らせて傷を癒していく。痛いの痛いの飛んでけと、ネムもおまじないを呟きながら気力を溜めて一気に回復を行っていった。
 ――どうやら敵は全て前衛のようで、此方の近接攻撃が届かないと言うことは無いし、一気に巻き込むことも出来る。その事実を確認した唯覇は胡弓を手に、何処かもの悲しい歌を奏で始めた。
「苦しみを与えよう……」
 その歌の名は、オリオン鎮魂歌――生に対し悲観的な彼の旋律は、精神を抉るような苦しみを聞くものに与え、更に深い眠りへと堕とす。その歌こそ、死を弄ぶ死神たちに捧げるには相応しいだろう。
「どうやら貴方は、少しは楽しませてくれそうだ」
 放たれる鋼蜘蛛の光弾の合間を縫って、高笑いをしながらアルルカンが非物質化した斬霊刀を振るう。霊体のみを斬るそれは、ダモクレスを容赦なく汚染し破壊して――更にラーラレイのオルトロスであるシアンが、地獄の瘴気を敵群に解き放って毒に侵していった。
「今回は耐える戦いだ、しかし――……」
 其処まで呟いた勝は、その口の端を微かに上げて笑みを浮かべる。ああ、この身で護る仲間の、何と頼もしいことか。ダモクレスが凍てつく光線を放ち、自身を氷で蝕もうと――ラーラレイがすかさず回復に動き、医術を駆使した緊急手術を施してくれる。
「絶対、誰も倒れさせないっ」
「眠れ……今この時に、てめぇの居場所はねぇ」
 魂を喰らう降魔の拳が、鋼の装甲すらも易々と砕いた。其処へ躍り出た三九六が、急速にその生命を失いつつある存在――その生命のひとかけらさえも呑み込もうと、そっと手を伸ばす。
 ――夜が、夜がと乙女は囁く。その腹部の辺りから溢れるのは、星空のような液体で。夜、闇、深海――幾つもの言葉が浮かんでは消えていき、其処にはきらきらまたたく星々もまた、存在しているのだった。
「どうぞ、おやすみなさいませ」
 優しく抱き込む、まっくらなやみもまた、かいなのよう。沈んで溺れて、お眠りなさい――全てを包み込む声が夜に響いて、ダモクレスは生命が生まれ還っていくわだつみに、ゆっくりと抱かれて呑み込まれていく。
 ――そうして彼の存在は溺れ、眠るようにして消滅していった。

●硝子海月と忘却と
「一体ずつ、確実に……ですね」
 これで残るのは、死神怪魚のみ――シェナが呟き、禍々しいナイフが更に怪魚の傷口を複雑に切り刻む中、エルエルの放つ手裏剣は螺旋の軌跡を描いて硝子の鱗を引き裂いていく。
 ふわふわと海月のように波打つ尾にふと、過去の光景が見えたような気がして――彼は一瞬翠の瞳を瞬かせたが。けれど何も語ることは無く、只物憂げな視線を送るのみに留めた。
(「忘れること、過去に記憶を置いて行くことって寂しいこともあるけれど……僕たちが未来に生きて行くためには、必要なものだよね」)
 ――前に進む勇気を、夢を見る希望の一つが忘却なのかなと、エルエルは思う。だから。
「……未来を守るために、忘却の中に還ってもらわないとね」
 その時、シェナの放った光弾がはじけ、夜に沈む廃遊園地を鮮やかに浮かび上がらせた。綺麗な火花を飛ばしながら、ぱりんと硝子が砕けるような音を鳴らして、海月魚ははらはらとその形を失っていく。
「星月夜に海月とダンスと言うのも、なかなか洒落てマスネ」
 戦況を窺いながら攻撃に転じたネムは、何処か楽しそうに呟き怪魚たちと戯れた。電撃杖から雷を迸らせ、彼はすっと爬虫類めいた双眸を細めて囁く。
「さあさ、見せて下サイ。クラゲの心臓は何処に在る……?」
 そんな中アルルカンが想いを馳せるのは、この忘れられた地に相応しい忘却について。時を止めれば、歩み続けるものへと干渉できず、正者が積み上げていく歴史の中に埋もれてゆくだけ。――忘却もそれに等しいことだと、彼は思った。
「見つけられるのが自分だけかもしれなくとも、受け入れがたいと目を背け、結局掬いもしなかった。……そんな歴史を繰り返したくはないところですけども」
 ――はらはらと夜風に舞うのは、白から黄に変わる淡い花弁の幻想。姿のなき歌声に合わせて舞う、無音の剣舞を繰り出して、アルルカンは優雅な笑みを牙を剥く死神へと向けた。
「硝子か海月か、その身の硬さ私にも味わわせて下さいな」
 その感触をじっくりと味わうように彼は刃を走らせ、そうして次々と悪夢の欠片は砕け散っていく。
「……せめて、この夜空のもとで滅してやろう」
 そして最後、まるで落ちる星のような唯覇の蹴りが、空泳ぐ怪魚を地上へと叩き落とした。

●想いは廃墟に降り積もる
 ――とても綺麗な命デシタ。ネムがそう言って、黙祷と感謝の祈りを捧げていった。
「子供達が楽しむ筈の場所で、過去に何が起きたのか……傷跡を辿りながら遊園地を見て回るのも乙なものデス」
 ネムの言葉に頷くラーラレイ達は、軽やかな足取りで訪れる者が居なくなった遊園地を見て回っていった。やはり閉鎖された遊園地は不思議、と彼女は思う。誰もいないし動いてもいないのに、子供の楽しそうな声や観覧車やジェットコースターが、動いているような気がするから。
「……こうやって誰もいなくなったのに、形が残るって悲しくて寂しい」
 そう、此処は本当に、ゴーストにも会えそうだとエルエルは頷いて――しかし不思議と怖くないのは、彼が育った国の風習のせいだろうか。
「あるいは、この星空のせいかな」
 ぽつり。呟いて見上げた空、その視界の端で星が一つ流れた気がして――彼は流星の尾を追いかけて流れ落ちた片割れの星のことを、ふと思い返してみたのだった。
「ここの星は綺麗だ、な。……故郷を思い出す」
 星を信仰する一族に生まれた唯覇は、昔の名残で星空を見上げては左胸に手を当てる。それは一族独特の祈りの姿勢で、過去を偲ぶ大切な儀式でもあった。
「星の加護のお陰で、今日も生き抜く事が出来た。また明日も生きれれば良い」
 一方で夜空を翼で駆けて、煌びやかだった屋根の上など普段は行けない所もふらふらと見て回っていたのはシェナだ。闇に溶けるような黒猫さんが似合いそうな光景だと、そんなことを思う彼女が最後に辿り着いたのは、動かない観覧車のてっぺんだった。
「……勿忘草、忘れないでって言わんばかりのお花ですけど。どうしてわたしの髪に咲くのが勿忘草なのかは、忘れてしまいました」
 ――きっと此処で一番空に近い場所で、シェナはひそりと自問する。忘れちゃって良かったんでしょうかと、きれいな星空にこっそりと聞いてみた、その答えは彼女の心のみが知ることだった。
(「忘れない事は大事だが、忘れた方が良い事もある、か」)
 そんな言葉を思い出しながら、勝は壊れた遊具の柵に寄りかかって辺りを見渡す。と、其処に遊具から笑顔で手を振る妻と娘の姿が――そして破壊と炎の海の中でこと切れた二人の姿が重なって、彼はその光景を振り払うように夜空を仰いだ。
「俺にとって何方が何方なのか。わかりきった事か、何方も……」
 ちいさな呟きと共に一筋の紫煙が、ゆっくりと空に吸い込まれていく――。
「記憶の忘却は、過去への帰還を意味します。無くすのです、すべて、まっさらに」
 星の良く見える丘にぽつんとひとり、三九六は佇み胸に手を当てて、廃墟が物語る忘却について自分なりに考えていた。星はらむ夜は深海に、生命に死に似ていると思いながら――きっとレプリカントである自分は、姿すらも変わることだろうと、けれどそれも悪いことでは無いと呟く。
「自分には未だ、記憶の重要性が理解できません。忘れることで成されることがあるなら、それも大切でしょう」
 ――けれど、しかし。彼女の心に生まれるのは、微かなさざ波だろうか。
「……いえ、やはり分かりません」
 被害に遭った場所を修復するより、朽ち果てるままにした方がこの遊園地にとっても幸せか――アルルカンはそう呟いて、何処か自嘲気味に笑った。
「色褪せないものは、切り取られた思い出の中にだけ。記憶と現実は如何様にも姿形を変えてゆく……のは残酷なことだろうか」
 ――星空の下を歩み、ライトを片手に誰かの記憶を追い駆けていく。動かない観覧車、音楽のないメリーゴーランド、錆びて鉄柱が剥き出しになった看板。それは月明りが一層、美しく引き立てる世界の姿だった。
(「どうか、楽しかった思い出ばかりは忘れないで」)
 朽ちていく過去の世界、そして現在を生きる者たちへネムはそっと祈りを捧げていった。ああ、どうか、出来ることならば。
「戦うばかりが生きるではなく、安らかな眠りが貴方のもとにも訪れますように――」

作者:柚烏 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2015年11月22日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 3
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