ア・ラブ・コラプト・ダークネス

作者:鹿崎シーカー

 枯れ葉を蹴散らし、息を荒げて柊・弥生(癒やしを求めるモノ・e17163)は夜の森を駆け抜ける。木漏れ日めいて差し込む月の光に照らされながら、いくつもの樹木とすれ違う。立ち並ぶ木々の先、開けた場所へ踏み入れた瞬間、弥生は口元を押さえて立ち止まった。
「うっ……!」
 爪先でぐちゃりと音がし、思わず後ずさる。足元を見下ろすと、靴にべったり付着した紫色の泥の一部がずり落ち、汚泥にまみれた鳥の頭蓋骨をさらけ出した。
「…………っ!?」
 目を見開いて蹴飛ばした骨が宙を舞い、森の中に開かれた空間を飛翔した。
 そこは、一面紫色の泥沼であった。木々のひとつとして存在せず、ところどころに動物の骨が浮いている。泥の上には濃紫色の霧が満ち、周囲を取り囲む樹木を徐々に変色させていた。そして弧を描いて飛ぶ頭蓋骨が落ちた場所、泥沼の中心地に立つ痩せた青年。白い猫耳を生やした黒髪に、カジュアルな服装からのぞく土気色の手。揺れる白い猫の尾を呆然と見つめ、弥生は口元を覆う両手を下ろしつぶやく。
「……テン……?」
 風が吹き、葉擦れの音が辺りに響く。泥沼の中にたたずんでいた青年が肩越しに振り返り、枯れた瞳が弥生を捉える。死人めいた表情の彼は、囁くように声を発する。
「ヤ……ヨ……イ……」
 直後、彼の体から噴出した紫色の霧が弥生に向かって襲い掛かった。


「……うむーん……」
 資料の束から顔を上げ、跳鹿・穫は難しい顔でうなった。
 とある森林の中で、柊・弥生(癒やしを求めるモノ・e17163)が死神に襲撃を受けるとの予知が入った。
 死神の名は『テン・ルノワール』。元は死病を患った猫のウェアライダーの青年だったが、死神によってサルベージされ、デウスエクスとなってしまったらしい。
 このままでは弥生が危ない。今すぐ現場の森へ救援に向かってほしいのだ。
 現場は森の奥深く、紫の霧に覆われた泥沼のような空間となる。この泥沼はテンの能力の副産物で、正体は腐り果てた動植物の死体。テンはこの泥と自身から発生した『死病の霧』を操って戦う。霧はデウスエクス化に伴って生まれた能力であるため、当然ながらケルベロスにも有効で、非常に強い毒性を持つ。彼を倒せば霧と霧の毒は消滅するものの、その強さ故にケルベロスでも長くは保たない。
 幸い、テンの身体能力は一般人よりも低い。霧の毒と足場の悪さを念頭に置きつつ、上手く立ち回るべきだろう。
「まぁ……お互い何か思うところがあるみたいだけど、さすがにこの状況は放っておけない。急いで助けに行ってあげて!」


参加者
ディークス・カフェイン(月影宿す白狼・e01544)
戯・久遠(紫唐揚羽師団の胡散臭い白衣・e02253)
リディア・リズリーン(想いの力は無限大・e11588)
音琴・ねごと(虹糸のアリアドネ・e12519)
黄檗・瓔珞(斬鬼の幻影・e13568)
ソル・ログナー(陽光煌星・e14612)
アリシア・マクリントック(奇跡の狼少女・e14688)
柊・弥生(癒やしを求めるモノ・e17163)

■リプレイ

 深い森の中で柊・弥生(癒やしを求めるモノ・e17163)は立ち尽くす。目前に広がる紫色の霧と沼。その中央にたたずむ青年を見つめる瞳が、切なげに揺れた。
「何で……何で……ここに居るのよ……テン! ねぇ! テンでしょ!?」
 テンの無感情な目が弥生を見やった。音と紫煙を上げて腐っていく芝生に向かって、弥生はふらふらと歩き出す。
「なんで何も言ってくれないの……? ……本当に? 本当に死んだの? ねえ、何か言ってよ……!」
「……待て、待て」
 弥生の首根っこがつかまれた。弥生を引っ張ったディークス・カフェイン(月影宿す白狼・e01544)は、身をよじって振りほどこうとする彼女をしっかりと捕まえる。
「離して……!」
「……待て。素で向かっても、足を取られるだろう。短絡に走るな」
「だって、だって……! テン! ……テン! お願い……答えてよ……何で置いていったのっ! 何で一緒に……っ……」
 必死で伸ばす弥生の腕を、彼女の隣に歩み出た。音琴・ねごと(虹糸のアリアドネ・e12519)が下ろさせる。手近な木に背を預けて唐揚げを頬張る戯・久遠(紫唐揚羽師団の胡散臭い白衣・e02253)の傍からアリシア・マクリントック(奇跡の狼少女・e14688)、反対側の木陰からソル・ログナー(陽光煌星・e14612)とリディア・リズリーン(想いの力は無限大・e11588)が顔を出す。彼らを背にして、ねごとは優しく言い聞かせた。
「やよち、落ち着くにゃ。一人で先走るのはだめにゃよ」
「おばあちゃん……でも……」
 口を開きかけた弥生がはたと沼地に目を向けた。静かにたたずんでいたテンが右手を持ち上げ、弥生に伸ばす。弥生がためらいがちに手を伸ばし返した瞬間、テンの全身が濃紫色の濃霧を噴出! 一気に飲み込みにかかる霧の前に黄檗・瓔珞(斬鬼の幻影・e13568)が飛び出し刀を引き抜いた。黒く染まりゆく白刃を片手に、一歩踏み込む!
「逆巻き、斬り抉る」
 渾身のひと振りが黒い暴風を引き起こし毒の霧を吹き飛ばした! 押し流された霧から現れるテンを油断なく睨みながら、瓔珞は穏やかに言った。
「駄目だよ弥生さん。彼は、もう彼じゃないんだよ。ちゃんとお別れをして、帰してあげよう?」
「……っ!」
 くしゃりと顔を歪める弥生の左右をソルとディークスが駆け抜ける。ディークスは白竜の意匠と水晶の頭部を持つ長柄の槌を振りかぶった。
「死の沼か……酷い匂いだな。だが」
 沼地に槌が叩き下ろされ、沼地が瞬間的に氷結していく! テンは足元を過ぎて沼地全体に及ぶ氷を気に留めず、再度紫の霧を放出。首に下げたガスマスクを着けたソルは、背負ったバックパックを迫り来る霧に投げつける。霧の中、カバンからばらまかれた手榴弾が一斉起爆! 霧が巨大な氷塊に変わると同時、ソルは背後の弥生に怒鳴った。
「いつまでグズってンだシャキッとしろ! それともアイツを、まだ地獄にいさせるつもりか!」
 へたり込んだ弥生はうつむいたまま唇を噛む。頬に涙を伝わせながらもを立ち上がり、飛び出す!
「うあああああああああああああっ!」
 直後、沼中央の氷塊が爆散して再度霧が広がり始める。構わず突撃していく弥生の後方、久遠は眼鏡を外して金色のオーラを身にまとう。
「さて、術式開始だ。皆、注意しろ。ケルベロスでも危険な毒という話だからな。特にアリシア。素手であれに触るなよ」
「アリシア、とべる! だいじょうぶ!」
 遠吠えしたアリシアが、手近な木を駆け上って頂上からジャンプ! 飛来したカラス型兵器の胸元に収まった彼女は沼地の中央に急降下しながら喉を鳴らして威嚇した。
「なかま、いじめる、だめっ!」
 開いたカラスの口内から迫り出したキャノン砲が光線を放った。だが、スケートリンクめいて凍りついた沼地のあちらこちらで亀裂が入り、タコじみた巨大な泥の触手が複数噴出! 一本目がアリシアの光線を防ぎ、二本目が猛進する弥生を襲う。弥生の前に滑り込む久遠!
「やらせん」
 広げた両手を掲げ、雷の障壁を展開! 稲妻のバリアに当たった触手が破裂するのと同時、幕のように裂けた壁を飛び越えた弥生の両隣にリディアと瓔珞が並んで走る。紫の霧が迫る中、リディアの体をオレンジ色の粒子が覆う。
「道を、開けてもらいますよッと!」
 片足で急ブレーキをかけ、引き絞った片手に粒子を球状まとめて霧に投擲! 霧の中に突っ込んだ橙色の光球は爆発して霧を千々にふっ飛ばし、まき散らしたオレンジの粒子で弥生達を招き入れた。僅かに薄れ、また濃くなる霧の奥でテンは右手の平を上向けて指を動かす。氷の足場を砕いて現れる泥で出来たテンの分身! 走り出す数体の泥人形を目指し、瓔珞は跳躍。振り抜いた片足に黒い炎を燃やし回し蹴りを繰り出した!
「はッ!」
 蹴散らされ、泥人形蒸発! 後続の分身を一体、二体と蹴り焼く彼の足首を、足場から現れた泥の手が引っ張る。体勢を崩す瓔珞に飛びかかる泥人形をねごとが直上から瓦割りパンチで粉砕! 足元を凍らせながら駆け抜ける弥生に、ディークスが声をかける。
「柊、跳べ」
「!」
 跳躍した弥生の足元を横薙ぎの泥触手がすり抜ける! そのまま自身に向かってくる触手を前にして、ディークスは青白い光をまとった。
「死は常に傍に……風に溶け、花開かん」
 指を打ち鳴らすディークスからブリザードが吹き荒れた。途中で止まり凍てついていく無数の触手と氷粒になった霧をかき分け、弥生はテンまで一気に駆け寄る。
「テン……テぇぇぇぇぇンっ!」
 弥生の声に、テンは半分霜焼けに覆われた顔で何事か呟く。彼のすぐ背後の氷が大きく隆起し、無数の氷片をまき散らしながら泥の巨人が出現! 三対六本の巨大触手が大上段から弥生に振り下ろされた所へリディアとねごとが突っ込んでいく!
「やよち、伏せるにゃ!」
「そうはいかねえですよっ!」
 ジャンプからのハイキックが左右の触手束をそれぞれ迎撃! 直後にテンと八人を囲むように現れた分身と触手、四方八方から襲撃。その上空を旋回するアリシアのカラスが砲門に光を溜めた。
「なかま、いじめる、だめっ!」
 カラスの砲門が何度も火を噴き、泥と分身を順に爆散させていく。巨人の背をとったカラス兵器は流星めいた急降下で巨人を貫通し、アリシアを解放。ナイフをくわえて錐揉み回転するアリシアを、テンの両足かかと付近から噴き出した二本の触手が貫いた。両脇腹を射抜かれ氷の地面に落下する!
「うぎゅっ!」
 アリシアが氷の大地に打ち据えられた。傷口から紫色の煙を昇らせる彼女を横目で捉えたねごととリディアは、崩壊する巨人の触手を蹴り返す! 泣きそうな顔で跳躍したテンの懐に飛び入り、右の拳で殴打!
「うああああああああああッ!」
 涙を振りまきながら霜焼けた頬を張り、胸元に右拳を打ちつける。腕を振り回し繰り返し殴りつけながら、弥生は幼子のように訴えた。
「どうして置いていったの! あんな、あんな手紙だけで納得できるわけないっ……今更出てくるなら置いてかないでよ! 初めから一人にしないでよ! なんとか言ってよ……!」
 決死の連続攻撃を受け、よろめくテン。次に顔を上げた彼は振り下ろされた弥生の拳を握り、彼女を優しく抱きしめた。
「え……」
 目を見開く弥生を抱いたまま、テンはさらに濃霧を放つ! 凍るより早く広がる霧へ走ったソルは、落ちていたバックパックを拾い上げ、中身の手榴弾を周囲に散布。霧に紛れて増加する分身や触手ごと霧を爆破し、垂直跳躍!
「毒は面倒だが、対策さえ出来ればどうと言うことはない。悪いが俺は用意周到でな! 借りるぞアリシア!」
 滞空するカラスを蹴って高度を稼ぎ、虚空にまいた手榴弾に連続キック! 空爆じみて各所で爆発が起こって霧が吹き飛ぶ沼の中央、充血した両目から血を流す弥生と彼女の髪をなでるテンの姿が露わになる。テンの胸倉にしがみついてなんとか体勢を維持しつつ、弥生は血を吐いた。
「こふっ……テン……」
「弥生さん!」
 新たな触手の攻撃を潜った瓔珞が片手を振り上げる。放られた手裏剣が大きく円弧を描いてテンの両肩に命中。テンの両腕から力が抜けたところで、久遠は黄金のオーラを励起させて疾走! 取り落とされた弥生を拾ってすれ違う久遠と、彼を追って飛び出す二体の泥人形! 白衣に手を伸ばす分身に、虹色のオーラをまとったアリシアがタックル! 泥を頭から被った彼女は久遠に叫ぶ。
「くおん! はやく、やよい、なおす!」
「わかってるさ……回復は引き受ける。お前も調子が悪くなったらすぐに言え」
 弥生にオーラを流す久遠にテン三本の触手を放つ! だが触手の根元に巨大な水晶塊が落下して破壊。振り返るテンの視界に、片腕を掲げるディークス!
「止めるぞ。過去は変えられず死者は戻らない。それでも乗り越える為に必要なら……」
 ディークスの頭上に水晶塊が五つ現れ、飛翔! テンは巨大結晶の砲弾の軌道を新たに伸ばした触手で打ち据えて変え、さらに呼び出した触手をディークスへけしかける。両膝を曲げ、ふと足元を見下ろした彼は目を細めた。ディークスの足首を捕らえた泥の腕!
「…………しまった」
 押し寄せる三本の触手の直撃を食らい吹き飛ぶディークス! 次いでテンが真上を見上げると同時、上空のカラス兵器に乗ったソルめがけて四本の触手が対空射撃めいて放たれる!
「ち……!」
 舌打ちしたソルは取り出した戦槌を手に機械カラスから飛び降りた。蒸気を噴出するハンマーを振り回して先んじて来る二本を殴って破壊し、三本目の突きをかわして触手の上をサーフィンめいて滑走! ブーツの底で泥を散らしながら跳躍して四本目を回避する彼のハンマーが大剣に変形。大上段に振り上げ斬り下ろすを繰り出す!
「はァッ!」
 縦一閃がテンの左肩を真っ直ぐ斬り抜く。大きく後方ジャンプし、分身と触手の反撃をバク転で掻い潜るソルの後ろで、脳天に叩き下ろされた触手をクロスガードしたねごとが全身に虹色のオーラをまとった。両脚を踏ん張り、咆哮!
「んにゃああああああああああああああッ!」
 触手を跳ね返した瞬間ねごとを中心に虹色の波動が拡散! 光は迫り来る触手や分身を吹き飛ばしつつ仲間達に燃え移り、毒に侵された傷口を癒やす。体を包む虹色のオーラを両手に収束させて光のギターを顕現させたリディアの隣で、ねごとは周囲に虹の光を集めて作った用箋を無数に展開!
「うちの孫を泣かして、あまつさえたぶらかすたぁホントにふてぇ野郎だにぃ! そのくせだんまり決め込むたぁね!」
「死神のせいで何も言えないんなら! その心ひとつでも弥生さんに届けます!」
 リディアの調べと歌声に乗ってテンに殺到していく。無数の用箋と眩い光が彼を飲み込み、閃光を放って爆発。久遠とハートボタンの上着を着たテレビウム、狸めいた子猫の介抱を受ける弥生は、薄目を開いて戦場中に舞い散る粉雪じみた光のひとつに手を伸ばした。手の平に触れた光が柔らかく輝いて、青年の声を響かせる。
『会わずに、死ぬつもりだった』
「テン……?」
 彼女の赤くぼやけた視界に、白光の中に立つテン。
『病気が酷く隠せなくなったから悲しませたくなくて逃げ出した。それでも……どんなに醜く歪んでも、もう一度会いたかった。愛した人だから。……ごめん、ごめんな。泣かないでくれよ。愛しい人。駄目だよ僕の元に来ては。もう死んだから。それに、今の君の為に力を尽くしてくれる人が居るんだろ。それでも、一緒と言ってくれるなら。昔のように隣で笑ってくれるなら、僕は……』
 徐々に薄れていく光の中で、テンが顔を上げた。弥生を射抜く深淵めいた死者の眼差し!
「君を連れて逝こう。やよい、一緒に……昔のように遊ぼうよ」
「なっ……」
 リディアとねごとが絶句する一方、アリシアと瓔珞がテンを前後から挟撃! 黒い稲光を帯びた刺突と口にくわえられたナイフが届く寸前、テンの周囲の氷が放射状にひび割れて崩壊! 沼全体に広がった亀裂の各所から大量の泥が噴出し、触手の形を取ってアリシラと瓔珞を引きずり込んだ。同時に猛烈な速度で噴霧される毒の霧!
「このッ……!」
 崩れる氷床に足を取られかけたねごとが虹色のオーラを放出し、血反吐を吐いて立ち上がったディークスは炎をまとった棍を投げ放つ。毒の霧が蒸発し、吹き散らされて消えるも二人を足元から伸びた触手が絡みつき、汚泥に引き込んだ。同じく泥にまとわりつかれ足掻くリディアから、オレンジの粒子が嵐のように吹き荒れる!
「ソルさんっ!」
 粒子を浴びたソルの顔に禍々しい紋様が浮き上がり、手に漆黒の槍が顕現! 縛られながらも無理矢理体を動かして投げられた槍は一直線にテンへ向かうが、一列に立ち並んだ泥人形を六体貫き七体目の胴を射抜いて静止した。歯噛みしたソルは肩越しに呆然とする弥生を見やる。
「早く立て。救ってやれるのは一人だけだ。悪夢から、解放してやれッ……!」
 一瞬で沼に沈むソル。ほぼ無人と化した沼を絶望的な表情で項垂れる弥生。芝生を握りしめ、肩を震わせる彼女に触手が襲いかかった!
「テン……私は、私は…………っ」
 割り込みをかけた久遠が両手を掲げ、雷のバリアを張って防御! 触手に殴られるたびバチバチと火花を散らす盾を支えつつ、弥生を諭す。
「気をしっかり持て弥生。お前の意思で、お前の思いの丈をぶつけるんだ」
「……っ!」
 弥生はぎゅっと目をつぶり、歯を食いしばって走り出した。一歩踏み出すごとに泥を凍らせ、襲いかかる触手の群れを打ち払い、頭から泥を被って疾駆する。あふれた涙が泥に汚れた頬を伝って後ろに流れるのも構わず跳躍! 追いすがる泥の触手を片っ端から回し蹴りで蹴散らしながら着地、足場を凍らせてわずかに残った距離を詰めていく!
「うわあああああああああああああああああっ!」
 弥生の手に伸びた光が長大な縫い針に変化し、清らかな光を宿す。血が出るほど握りしめたそれが、テンの胸を貫いた。沼地中に生えていた触手や分身が爆ぜて散り、テンは針を深々と突き刺す弥生にもたれかかる。彼の耳元で、弥生は涙ながらに告白した。
「さようならテン……愛、してる……」
 穏やかな微笑を浮かべて頷いたテンが、泥となって溶け崩れていく。流れ落ちるかき抱き、弥生は空に慟哭した。


「っぷはぁ!」
 凪いだ泥沼から顔を出した瓔珞が、足を引きずるようにして芝生に上がる。小脇に抱えた泥まみれのアリシアを下ろして彼女の頭に手を置くと、泥は綺麗さっぱり消え去った。不快そうな顔で体を震わせ、犬めいて足で首をかくアリシアを余所に自分の泥を落とした瓔珞は溜め息を吐いた。
「はー……酷い目に遭ったねぇ……」
「無事で何よりだ」
 端的に返すディークスは、リディアの調べを聞きながら木の根元に視線を投げた。ねごとが膝を抱えてうずくまる弥生に寄り添い、優しく頭をなでていた。弥生は魂の抜けたような表情のままねごとの胸元に頬を埋め、されるがまま。彼女の泣き腫らした目を眺めていた久遠が、ふと声を上げた。
「腹へったな。帰って飯にしようと思うんだがよ、皆でバーベキューってのはどうだい。ちょうど常連の患者さんから良い肉もらったんだよな」
「お、いいねえ。じゃ、おじさんも何か作ろうかな」
「くおん! アリシア、おにくたべる!」
 同意する瓔珞と、久遠の白衣を引っ張るアリシア。騒ぐ三人を背にして、ディークスは弥生に歩み寄った。
「柊」
 屈み、弥生の虚ろな目と視線を合わせる。
「辛いことかもしれないが、これで良かったんだ。……今、お前の傍に、お前を必要とする人がいると、解っていてくれ」
 ねごとはふっと微笑むと、立ち上がって弥生の手を引いた。
「好きなだけ食べて飲んで、元気だすにゃよ。あやつも本当は、やよちに幸せに生きてほしいって思ってるはずにゃ。やよちがいつまでも凹んでちゃあ、報われないにゃよ」
 手を握られたまま、うつむき気味に目を逸らす弥生。しばしの沈黙の後、彼女は目を擦りながら立ち上がった。
「…………ありがと」
 ねごとの顔が満面の笑顔に変わる。
「さ、帰って晩御飯にゃ! やよちの食べたいもの、なんでも作ってもらえるみたいだしにゃ!」
「黄檗、買い出しやら準備は手伝えるか」
 目下で盛り上がる仲間達。その光景を上から見ていたリディアは演奏をやめて光のギターを消し去った。枝からソルの隣へ飛び降りて手を後ろに組み、沼地に向き合うソルの背中に呼びかける。
「これで一件落着ですね! バーベキュー、折角だから晩御飯ごちそうになっちゃいましょう!」
 ふと立ち止まり、リディアは不思議そうな顔でソルを振り返った。返事が無い。
「……ソルさん?」
 黙って紫煙をくゆらせていたソルは、リディアの方を見ぬまま治療キットを投げ渡す。危うくキャッチした彼女に向かって、押し殺した声で言った。
「後からぶり返しても不味い。一応、これで治療しとけ。俺は先に行く」
 怒りをたたえた表情で、ソルは火のついた煙草を指先で弾く。宙をくるくると舞った煙草は沼地の中心に落ち、じゅっと音を立てて鎮火した。

作者:鹿崎シーカー 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年11月16日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 8
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