勇なる者への鎮魂歌

作者:小鳥遊彩羽

 ありふれた日常が、崩れてゆく音がした。
 放課後の学校。硝子の割れる音に混ざって響く悲鳴。
 部活動に励んでいたはずの生徒達が逃げ惑う体育館の中を、獲物を探すように赤い瞳をぎらつかせながら歩く、悍ましい異形の女の姿があった。
「――きゃあっ!」
 女が手繰る鎖の先で、黒い獣が唸り声を上げる。異形の手から逃れようとして転んでしまった女子生徒を、女はそのまま、巨大な蛸の足で踏み潰そうとした。
 その時――。
「やめろっ!! 生徒に手を出すな!!」
 倒れた女子生徒を庇うように、一人の男性教師が立ちはだかったのだ。
 大の大人であっても、敵うような相手ではない。
 だが、教師は逃げることなく、勇気を振り絞って異形へと立ち向かおうとしていた。
 勇気あるその行為を目の当たりにした異形の死神は、愉しげに目を細める。
「その勇気、気に入った。我ら姉妹の計画の為、お前の勇気をサルベージさせてもらう」
「うわあああっ……!!」
「先生……っ!?」
 女子生徒の目の前で教師は黒い獣に喰い破られ、一瞬にしてその命ごと噛み砕かれた。
 そして、教師の身体は死神の手によってサルベージされ、瞬く間に新たなる異形――屍隷兵へと変貌を遂げたのだった。
 新たに生まれ落ちた屍隷兵に、死神――『暗礁の死神』ケートーは告げる。
「――お前と同じ勇気ある者を殺して、私達に捧げなさい」

●勇なる者への鎮魂歌
 死神によるサルベージ事件が起こると、トキサ・ツキシロ(蒼昊のヘリオライダー・en0055)はケルベロス達へ告げてから、唇を噛み締めた。
 けれどすぐに小さく首を横に振り、予知の内容を語り始める。
「事件を起こす死神の名は、『暗礁の死神』ケートー。……生きた人間の魂をサルベージして殺害した後、その亡骸を屍隷兵にして人々を襲わせるという手段を取るんだ」
 事件の舞台となるのは滋賀県のとある高校。校内では多くの生徒や教職員が逃げ惑っており、その中でケートーの手によって生み出された『ウツシ』と呼ばれる三体の屍隷兵が、それぞれ別々に襲い掛かろうとしている。
 避難した生徒や教職員達の救護活動は警察と消防が引き受けてくれているが、校内は屍隷兵がいるため、ケルベロスでなければ手が負えない状況だ。
「これ以上の被害が出ないように、速やかに屍隷兵の撃破をお願いしたいんだ」
 三体の屍隷兵は、それぞれ校舎二階の廊下と体育館、そして別棟の図書館にいる。
 最も逃げ遅れている者が多いのは校舎だ。一階にいた者達は避難できたが、二階から上にいた者はさらに上の階に逃げたり、教室の扉に鍵を掛け、机でバリケードを作るなどしてやり過ごそうとしている状態にある。
 図書館に残っているのは、生徒達を避難させるために最後まで残った司書教諭と図書委員の生徒が数名。館内に人が出入りできるような窓はなく、屍隷兵が入り口を塞いでいるため逃げられずにいるようだ。
 体育館は広く、入り口も複数箇所にあるためほぼ全員が避難しているが、屍隷兵にされたのが生徒からの信頼も厚い教師だったためにショックで動けずにいる生徒や、ステージの裏に身を潜めている生徒が数名残っている。
 校舎と図書館、及び体育館はそれぞれ隣接する形で建っており、校舎からは渡り廊下で繋がっているので、移動自体は難しくない。
 そして、この別々に行動している三体への対処を同時に行うことが、今回の作戦においては求められる。よってまずチームを三つに分割し、生徒や教職員達の避難誘導を行いながら屍隷兵の足止めや撃破をしていく、もしくは三体を纏めて一箇所に誘き寄せて戦うなど、どのような作戦を組み立てるかが重要となる。
 なお、生徒と教師を屍隷兵にした『暗礁の死神』ケートーは既に姿を消しているため、取り残された生徒や教職員達の身の安全の確保と屍隷兵の撃破に全力を注いでほしいとトキサは言った。
「ウツシは勇気のある者を探して殺そうとする性質がある。だから上手くその性質を利用することで、被害が抑えられるかもしれない」
 その方法とは、言動や行動で勇気を見せつけること。ウツシは勇気を感知するような特殊な能力などは持っていないため、目の前で勇気を示す必要があるが、ケルベロス達を勇気ある者と認識すれば優先的に襲い掛かってくるだろう。
「辛いものを見ることになるかもしれないけれど、……ケルベロスとしての勇気と力で、どうか、残された人々を救ってほしい」
 トキサはそう言って説明を終えると、皆をヘリオンへと誘った。


参加者
ギルボーク・ジユーシア(十ー聖天使姫守護騎士ー十・e00474)
エルス・キャナリー(月啼鳥・e00859)
藤波・雨祈(雲遊萍寄・e01612)
藤原・雅(無色の藤浪・e01652)
土岐・枢(フラガラッハ・e12824)
蓮水・志苑(六出花・e14436)
七宝・瑪璃瑠(ラビットソウルライオンハート・e15685)
アレックス・アストライア(煌剣の爽騎士・e25497)

■リプレイ

 騒然とする校内へ、ケルベロス達は三手に分かれて突入した。
 屍隷兵が出現しているのは、校舎、図書館、そして体育館の三箇所。この内、体育館へ向かったのは土岐・枢(フラガラッハ・e12824)とエルス・キャナリー(月啼鳥・e00859)だ。見渡せば――否、見渡すまでもなく、その『異形』の姿は見て取れた。
「お前の相手は、僕たちがしてやる!」
「彼らに手を出すなどさせない! あなたの相手はこちらです!」
 屍隷兵の姿を確かめるや否や、枢とエルスは勇ましく声を張り上げる。
 今にも泣き出しそうな顔で、逃げ遅れていた女子生徒が二人を見た。同時に、重そうな下半身を引き摺るように振り返った屍隷兵――ウツシへ、枢は地獄化した右腕に宿る炎を踊らせて。
「使うしかないか、この力を――!」
 拳に高重力を生み出し、枢は屍隷兵を力任せに殴り飛ばす。二人を敵と見定めたウツシは、すぐに体勢を立て直して枢へと喰らいついてきた。鋭い牙に襲われながらも、枢は未だ避難出来ずにいる生徒達へと叫ぶ。
「僕たちケルベロスに任せて、今のうちにすぐにここから離れて!」
 彼らが希望を齎す存在だと知っているから。意を決したようにステージの裏から飛び出してきた生徒達が二人に感謝の意を示しながら、女子生徒を伴って外へと退避していった。
「我が魂は破軍の邪炎、常世の悪を焼き尽くさん」
 エルスは自らの魂を媒介に、虚無から引き出した黒い炎ですぐさま傷ついた枢の肉体を再生させる。
「心配なく、メディックの誇りに賭けて、貴方をしっかり守るわ」
 エルスの力強い言葉に枢も頼もしげに頷いて、二人は改めて屍隷兵へと向き直り。
「……私がいる限り、この人は倒させないよ」
 そして、エルスは鋭く屍隷兵を睨め付けながら言い放った。
「ケルベロスの戦い、良く見ればいい!」

 一方、図書館にはアレックス・アストライア(煌剣の爽騎士・e25497)と七宝・瑪璃瑠(ラビットソウルライオンハート・e15685)が駆けつけていた。
 扉は壊され、館内も荒れ果てている。どこかで息を潜めているであろう逃げ遅れた者達はすぐには見つけられなかったが、屍隷兵の姿は一目瞭然であった。
「もしお前が勇気ある者なら、尋常に勝負されたい!」
 アレックスは声高に叫ぶと、天秤の星降る剣を閃かせた。
「我は女神の騎士にして裁定者。彼の輝きを以て汝に相対す――」
 詠唱に応えるように天秤の結界が姿を見せる。すると、形を持たない天秤の秤に載せられた罪や呵責の重みが、物理的なエネルギーとなって屍隷兵へと伸し掛かった。
 翼猫のディケーも戦う意志を翼に乗せ、澄んだ風を戦場に呼び込む。
 いつか消えるべき自分がまだここにいるのに、勇気ある彼らが殺されて屍隷兵にされるなどあんまりだ。そう瑪璃瑠は思い、屍隷兵の咆哮に苦しげに眉を寄せながらも、堪えるように噛み締めていた唇を開いた。
「信じてるよ、アレックスさん。君に、ボクの命を預けるんだよ!」
 瑪璃瑠が見せたのは仲間を信じ、己の命を託す勇気。そうして屍隷兵へと向き直った瑪璃瑠は、覚醒させた意識のチャンネルを切り替えた。
「――詠唱圧縮。門よ開きて、夢現を繋げ!」
 瑪璃瑠の紡いだ閉塞を打破する魔法の力で、アレックスは視野が開けていくのを感じる。そうしてふと視線を感じて振り向けば、カウンターの下に隠れていたらしい女子生徒がそっと窺うように見ているのに気づいてウインク一つ。
「必ず護り抜いてみせるから、信じていて」

 そして、残る四名は最も多く逃げ遅れた者が残る校舎内へと。
 昇降口から一気に階段を駆け上がれば、今まさに教室の扉を蹴破ろうとしていたウツシの姿に、蓮水・志苑(六出花・e14436)は素早く白雪の桜が刻まれた真白の刀を抜き放った。
「其処から先へ、行かせる訳にはゆきません」
 志苑の胸中を満たすのは、裏で手を引いているのが死神だという事実に対する常にも増して強い想いと、既に犠牲者が出ているという現実に対する痛み。
 けれど今はこれ以上の悲劇を止めるのみと、志苑は緩やかな弧を描く斬撃を見舞った。
 藤波・雨祈(雲遊萍寄・e01612)は左手の親指を噛み切り、指先から溢れ出た血を自らの影に落とす。
「絡め取れ、影法師」
 血と言葉によって解き放たれた影が波打ち、地を這いながら屍隷兵の元へ向かって、腕に足にと絡みついては締め上げた。
(「勇気とか、……そゆの、柄じゃないしなぁ」)
 けれど、結った後ろ髪は本気の現れ。これ以上被害を拡大させないために来たのだから、後は力を尽くすのみ。
「僕も勇者の家系、ジユーシアの名を継ぐ者。勇気ある者に罪を犯させぬよう、ここで止めさせてもらいましょう!」
 ギルボーク・ジユーシア(十ー聖天使姫守護騎士ー十・e00474)は家に代々伝わる槌をドラゴニック・パワーの噴射で加速させ、ウツシへと叩きつける。
(「勇気ある者を狙う、か……ある意味、理に適っているのかもしれませんが」)
 だからこそ、ケルベロスとしては尚更見過ごす訳にはいかないだろうとも思いながら、ギルボークは次なる手を繰り出すために構えた。
「――これ以上、此処にいる者達に手を出す事は許さない」
 藤原・雅(無色の藤浪・e01652)は凛と告げ、廊下で立ち往生していた生徒を庇うように立つ。
 演技も交えた振る舞いに内心自分らしくないと思いつつも、そのまま生徒へ落ち着いた声で避難を促してから、雅は凪いだ眼差しで屍隷兵を見つめ、けぶるように鈍く輝く白銀の刀に無数の霊体を憑依させて斬り込んだ。
 刀身が魅せるのは淡い藤色の光沢。傷口から汚染されていく感覚にか、屍隷兵が苦悶と怨嗟の咆哮を上げる。
「ヴ、アァアッ――!」」
 守りの術も盾役も存在しない中、直に受けた攻撃は想像以上の威力を伴って前衛の三人を襲う。
 だが、四人が火力に重きを置く超攻撃型の布陣で臨んだのも、素早くこの戦いを終わらせて次の戦いに向かうため。現に四人の最初の攻撃を受けた屍隷兵は、それだけで既に深手を負ったと言っても過言ではなく。
 ゆえに屍隷兵は体勢を立て直すべく自己再生に手を費やし、それが大きな隙となった。
「皆さん、参りましょう」
 志苑の声に三人も頷き、構える。ウツシが固めた守りをギルボークが即座に超硬化した竜爪で砕き、雨祈が降る星の煌めきを纏わせた重い蹴りで的確に動きを鈍らせて。
「凍れる白雪、散らすは命の花」
 舞うように踏み込んだ志苑が冷気の桜と共に歪な身体を斬り裂けば、屍隷兵がバランスを崩してその場に膝をつく。
「……心を利用されてしまった者達には気の毒だが、仕事をさせて頂くよ。すまない」
 稲妻を纏わせた細身の鋭い刃で、雅は迷いなく屍隷兵の心臓を貫いた。
「ガ、アッ、……ァ、」
 貫かれた箇所から屍隷兵はぐずぐずと崩れ落ちてゆき、やがて在るべき場所へと還るかのように消え去った。

 屍隷兵の撃破を確認した四人は、教室内に残る生徒達へ避難を呼び掛けつつ、事前に決めた作戦に従い、更に二手に分かれて図書館と体育館へ向かった。
 地獄の炎弾で屍隷兵の生命力を喰らい、自らの力へと変えながら立ち向かう枢。
(「――大丈夫、まだ行ける」)
 そんな枢へ更に浄化の気を送りながら自らの心をも奮い立たせていたエルスは、不意にこちらへと近づいてくる足音に振り返った。
「枢さん、エルスさん、お待たせしました!」
「どうやら、そちらは無事に終わったみたいだね」
 息を切らしながら駆け込んできたギルボークと雨祈の姿に、枢とエルスは校舎の屍隷兵が倒されたことを知る。
 攻撃の型で一気に畳み掛けた校舎の四人の戦いとは違い、ディフェンダーとメディックという守りに重きを置いた二つの足止め班の編成は、堅実であるがゆえに危機的な状況に陥ることもなく、増援の二人を迎えることが出来ていた。
「ギルボーク様、雨祈様、ブレイクをお願いします!」
「――了解、」
 エルスの声に応え、雨祈は自らの内に眠るグラビティ・チェインを破壊力に変え、オーラに絡めて叩きつけた。
 守りの力が砕かれる手応え。再生したはずの傷に綻びが生じたのを確かめ、すぐさま枢は得物を手に踏み込んでいく。細身の身体で軽々と無骨な大剣を振るい、屍隷兵の身体に溶けぬ氷刃を植え付けて。
 攻撃手の二人が加われば、戦いは一気に終わりへと向けて加速してゆくだろう。そう判断したエルスは、熱を持たない水晶の炎を展開させて屍隷兵を切り刻んだ。
 屍隷兵となった以上は仕方のないこと。とは言え、デウスエクスの犠牲となった人を斬らねばならないのはギルボークには気が重く。
 しかし、放っておけば彼らにさらなる苦しみを与えることにもなる。
(「どうか、その魂が安らかに眠れるよう……」)
 祈りを込めて、ギルボークは自らに受け継がれた刀を構えた。
「ボクの、光……」
 愛しき人を想うことで集中力を極限まで研ぎ澄まし、ギルボークは一瞬の抜刀術による目にも留まらぬ一太刀を繰り出した。
 苦しげな声と共に屍隷兵の身体から噴き出す鮮やかな血の色に雨祈はほんの少しだけ眉を寄せてから、けれど何事もなかったかのように屍隷兵を見やり、二本の如意棒を百節棍に変えて怒涛の乱打を見舞う。
 痛烈な打撃を受けてその場に膝を付きながらも、ウツシは、残された命全てで抗うかのように牙を剥いた。
 魂の叫びにも似た牙を受け止めた枢の胸を満たすのは、彼らを助けられなかった、間に合わなかったことに対する後悔の念。
 だが、まだ止められる悲劇を止めるために枢は己の力を解き放ち、高熱を発する爪で屍隷兵を引き裂いた。
 枢の右腕を補う地獄の炎が激しく燃え上がる。
 心臓まで焼き尽くされた屍隷兵の身体はゆっくりと崩れ落ち、溶けるように消えていった。

 時を同じくして、図書館にも校舎での戦いを終えた志苑と雅が到着する。
「志苑さん、雅さん!」
「お二人共、大事はありませんか」
「おかげさまで何とか。先生と生徒さんも先程避難してもらったよ」
 声を上げる瑪璃瑠に志苑が二人と黒の翼猫を見やると、アレックスが笑顔でひらりと手を振って応じる。
「……無事で良かった。じゃあ、こちらも終わらせよう」
 雅も小さく頷き、改めて屍隷兵へと向き直ると、次の瞬間には懐へ踏み込み、藤色纏う刀に己のグラビティ・チェインを乗せて、守りの力を断ち切っていた。
「ガァッ!?」
 悍ましい身体に開いた幾つもの口が、悲鳴に似た声を反芻させる。獲物を探すように床に散らばった本の山を踏み締めるウツシの背後にアレックスは素早く回り込み、ディケーがウツシ目掛けて鋭い爪を閃かせるのに合わせ、透き通った水晶の弓から妖精の加護を宿した矢を放った。
 逃れようと跳ねる屍隷兵を追尾する矢に続き、向けるのはせめて苦しみが長く続かぬようにと想いと力を注いだ切っ先。志苑は雷の霊力を纏わせた刀で神速の突きを繰り出し、屍隷兵の防御を削ぎ落とした。
「君もきっと勇気ある者で。誰かを守ろうとしたり、立ち向かって行ったんだろうね」
 瑪璃瑠は悲しげに、祈るように一瞬だけ目を伏せ、そして屍隷兵の姿を確りと見定める。
 魂を奪われ、肉体までも理不尽に奪われた目の前の『誰か』を想いながら、瑪璃瑠は自らの勇気を言葉に変える。
「……君に、敬意を。でもだからこそ、君が手を汚す前に。ボクたちが君を討つ!」
 犠牲者である屍隷兵から目を背けないことも、勇気だと信じて。瑪璃瑠は獣化した手足に重力を集中させ、高速かつ重量のある一撃を放った。
 吹き飛ばされ、本の山の上に落ちた屍隷兵は既に満身創痍。だが、その身に刻まれたデウスエクスとしての業は、戦いを止めることも逃げることも許さない。
 響いたのは、嘆きと恨みを綯い交ぜにしたような怨嗟の声。盾としてそれを引き受けたアレックスは堪えるようにぐっと唇を噛み締めて、天秤の星剣を再び高く掲げた。
「――今まさに審判の時。汝、悔悟せよ。これより全て、汝より出でて還る物!」
 罪と呵責を載せた天秤の裁定が、ウツシへと重く伸し掛かる。
 天秤の重みに呑み込まれ、押し潰されてゆく屍隷兵。
 今だけは目を背けることなく、一つの命が失われてゆく様をじっと見つめながら、瑪璃瑠は願うように呟く。
「……せめて、その哀しみだけは置いてって」
 やがて、救いを求めるように伸ばされた異形の腕もまた、砂のように崩れ落ちて霧散した。

 戦いで荒れた校内に、幻想的なヒールの光が灯される。
 屍隷兵へと変えられた三人以外の全員が無事に避難を終えた校舎の外では、ありふれた日常を壊した現実を受け入れられないまま、呆然とする者達の姿も少なくはなかった。
(「人々の勇気を……何に悪用しようというのか」)
 エルスの腕の中で声を上げて泣いているのは、体育館に居た――目の前で教師を屍隷兵に変えられた生徒だ。志苑も悲しげな表情で、けれど女子生徒へと願いを込めて告げる。
「どうか、元の姿だけを心に焼き付けていていただきたいです。そして、彼の方は、とても勇気ある方でいらっしゃったのだと」
 デウスエクスが学校を襲うという今回の状況に枢は自身の過去を重ねながら、枢は小さく、後悔を滲ませた声で呟く。
「ごめん……来るのが遅すぎた」
(「……勇敢な者の勇気、……人の感情を狙う、か。……果たして何を企んでいるのやら……」)
 雅は思案を巡らせながら、屍隷兵が暴れていた校舎を、そしてその遥か向こうにある夕暮れの空を見上げた。
 同じようにギルボークもまた、この事件を引き起こした死神の目的に思いを馳せる。
 死神がサルベージしてきたのは、少なくとも死者だけだった。なのに、今回は生きた人間の心――勇気をサルベージし、その肉体を屍隷兵へと変えた。
(「ドラゴンへの実験も屍隷兵化のようなものですし、生者を自ら死者へと変えることに何らかの意味があるのか……?」)
 答えの出ない問いばかりが、浮かんでは消えてゆく。
 仲間を癒し、敵を傷つけた己の手を見下ろし、瑪璃瑠はぐっと掌を握り締めた。
 自分に勇気があるとは思わない。だからこそ、強く思う。
(「勇気の末路がこんなのだなんてボクは……嫌だ」)
「……久しぶりに、気分の悪い依頼だったな」
 アレックスは犠牲になった三人を悼みながらも、かつて、定命の者となる以前に己の手で奪った幾つもの命を想い、これ以上の悲劇は繰り返させないと決意を新たにし。
 月喰島で初めて相対した時から、屍隷兵に対して出来ることは一つしかないと雨祈は知っていた。
 一刻も早くとどめを刺して、楽にしてやる――ただ、それだけ。
 ――それと、罪なき彼らを屍隷兵に仕立てた者達を潰すと、心密かに思うだけだ。
 その為に、自分達――ケルベロスが居るのだから。

作者:小鳥遊彩羽 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年11月9日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 6/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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