追想

作者:藍鳶カナン

●追想
 誰かに呼ばれた気がして辿りついた海辺は、夕暮れ刻を迎えていた。
 だが爛熟した夕陽も燃え立つような茜空も、ティアン・バ(切落・e00040)の背の彼方。彼女が見霽かす海、この国からは東海となる太平洋を抱く空は、深く透きとおる宵の藍と、美しい桃色に染まる。まるでブーゲンビリアの花の色。楽園の花の彩。
 けれど楽園の彩がティアンの目を奪うことはない。
 先日、今にも遥か水平線の彼方へと魂翔けしそうだった彼女の心を強く押し留める彩が、気づけばこの砂浜に存在していた。
 燃え立つ炎を思わす色の髪を持つ青年。
 夕凪の頃合ゆえに風はなく、なのにその髪が煽られるのは『彼』がうっすら纏う炎によるものか。鮮烈な髪からも鋭さに猛々しさを秘めた面差しからも、竜の角や尾からも、褐色の肌を彩る刺青からも目が離せない。『無い』はずの記憶の底から浮かび上がる面影。
 無意識にティアンは己がゆびさきで喉を撫ぜていた。喉が干上がっていく心地がする。
 良く識る姿。だが、決定的に違うものがあった。
 並外れた背丈。ティアンの倍はあるだろうそれが、眼前の存在の種族を示す。
 エインヘリアルだ。ならば、腕を覆うのは星霊甲冑(ステラクロス)か。
「選、定……された、のか?」
 漸く絞り出せた声。
 けれど彼女の問いには答えず、エインヘリアルは独り言めいた言の葉を落とした。
『俺に選定が叶うならば、お前をエインヘリアルにできただろうか』
 だが『彼』にその権能はない。夢想を振り払うように緩くかぶりを振って、『彼』はその眼差しでまっすぐティアンを捉えた。吐息のごとき声音で、続きを紡ぐ。
 いや、たとえエインヘリアルにできたとしても、不死なる存在に死を与えるケルベロスが存在する以上、奪われ喪われる可能性は無にはならない。
『それなら――この手で縊り殺して、完全に、我がものに』
 大きな手が伸びてくる。なのに彼女は時が止まったかのように立ち竦んでしまう。
 ああ。あの日、確かにこう思ったのだ。
 共に生きて共に死ねたなら、ティアンだって譬えようもなく幸福なはずだったのに。

●宿縁邂逅
 夕凪の頃合。されど、太平洋を望む浜辺に嵐が到来する。
「――いや、あなた達が嵐になってきて」
 事件予知を語った天堂・遥夏(ブルーヘリオライダー・en0232)がそう告げる。
 このままではティアンの命が、永遠の凪を、死を迎えてしまうから。
「勿論見過ごすわけにはいかないし、ティアンさんとは連絡がつかない。あなた達に救援に向かってもらう以外に彼女の命を救う手立てがないんだ。だから――今すぐ手を貸せるってひとは、このまま僕のヘリオンへお願い」
 空を翔けて向かう先は太平洋岸、夕暮れ刻の砂浜。
「誰にも邪魔されたくないんだろうね。敵が何か手を打ったらしくてさ、現場に近づく者は皆無。存分に戦って、そのエインヘリアルを倒してきて」
 敵とティアンの関係は現状では不明。
 だが、エインヘリアルが彼女に執着していることは明らかだ。
「敵の望みはティアンさんを縊り殺すことみたいだけど、あなた達が介入すればあなた達も攻撃対象になるはずだよ。星霊甲冑に覆われた拳の一撃は護りを砕く力があるし、生命力を奪う炎の攻撃や、炎の環で足止めする範囲攻撃も持ってる」
 攻撃の威力もかなりのもの。ポジションはクラッシャーだと思うと告げ、遥夏は悔しげに眉根を寄せて言を継いだ。
「無論、ヘリオンは全速全開で飛ばす。けれどどうしても、最初の一手には間に合わない。ティアンさんだって精鋭ケルベロスだ、敵の初撃だけですべてが終わるとは思わないけど、彼女が敵の初撃を受けた直後の介入になるって前提で策を考えて欲しいんだ。それに」
 彼女の心がどのような状態にあるか判らない、と遥夏は言った。
 一時の気の迷いだとしても、死んでもいいと思ってしまう瞬間があるかもしれない。
「けれど、万一そんなことがあったとしたって、あなた達はティアンさんの死を望まない。彼女を救援して、確実に敵を倒してきてくれる。そうだよね?」
 さあ、空を翔けていこうか。遥か水平線を望む、夕暮れ刻の砂浜へ。
 愛しむように己を縊り殺さんとする男と対峙する、煙色の娘の許へ。


参加者
ティアン・バ(君といきたい・e00040)
霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)
メイア・ヤレアッハ(空色・e00218)
春日・いぶき(遊具箱・e00678)
シィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)
サイガ・クロガネ(唯我裁断・e04394)
アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)
九十九折・かだん(スプリガン・e18614)

■リプレイ

●追想
 幾度手紙を燃やしただろうか。幾つの煙を空へ昇らせただろうか。
 死した愛しいひと達へ宛てた手紙をしたためるたび、火に焼べ天へ送ったつもりでいた。けれど、それらはすべて、何もかも。
 ――全部、届いていなかったと知った。

 如何な夕暮れよりも鮮やかな赤橙を映すひと。
 眼前の『彼』だけをまっすぐに見上げるティアン・バ(君といきたい・e00040)の視界の片隅に、遥かな海を抱く空の桃色が映る。
 女神の帯――ビーナスベルトと呼ばれるあの美しい桃色は、地球そのものの丸みや、影に拠って生まれるものだ。この星自身が見せてくれる、楽園の彩。
「地球は、愛せそうにない?」
『……愛しいものが奪われ、喪われることなど決して無い。ここが、そんな星だったなら』
 そう。と返した言葉は声にならなかった。
 大きな手が愛おしげに首に触れ、凄まじい力で縊りにかかる。頸椎が鈍い音を立てる。
 視界が真っ赤になったのか真っ白になったのか判らない。混じり合って楽園の彩になる。激しく脈打つこめかみ、明滅する意識。だがどうやってか『彼』の手から逃れ、ティアンは紙一重で残された僅かな力を振り絞って、跳んだ。
 ――すき、だいすき、
 爆ぜんばかりに溢れる恋情が、大好きなひとへ破壊を、死を齎すグラビティになる。
 けれど僅かな刹那に『彼』と、永遠の口づけを交わした。直後。
 夕凪の空から明るいターコイズブルーの星が降り落ちる。
「死なせない。嫌がられても嫌われても、わたくしはあなたを守るわ!」
 着地と同時に弾丸のごとく跳び込んだメイア・ヤレアッハ(空色・e00218)が、『彼』の鋼をも穿つ拳からティアンを護った。爆ぜる鮮紅の血飛沫。だが痛撃を防具で大きく殺して詠唱する禁断の断章、更に相棒たるボクスドラゴンの癒しも全て彼女に注いで賦活し加護を燈せば、続け様に響く声。
「遅い。あまりに遅いな王子サマ、ソイツならもう――俺が殺した」
『――!!』
 それは、この世で最も『彼』が聞き捨てならぬ言葉だった。
 ゆえに反射的に声の主を探したエインヘリアルへ、今しがた最大最強の挑発を叩きつけたサイガ・クロガネ(唯我裁断・e04394)の蹴撃が迅く、確かな流星となって直撃する。その命中率はぴったり八割、けれど完璧な型で決まった彼の初撃が生んだ隙を逃さずティアンの緊急手術にかかった春日・いぶき(遊具箱・e00678)は、
「ティアンさん! この衣装、防具じゃないんですね……!!」
 薄々察していたことを完全に確信した。
 華奢な身が纏う純白のドレスは何の力も持たない唯の衣服だ。防具で護られぬ彼女なら、精鋭ケルベロスであれば立ち位置と力量次第で一撃で倒しうる。まして敵が攻撃に特化したデウスエクスであるのなら、最初の一撃で『落ち』なかったのは奇跡以外の何物でもない。
 神業の如き魔術切開、強大な癒しの共鳴を呼ぶショック打撃。
 全力を駆使し癒せるもの全てをいぶきは癒したが、ヒールの効かぬ痛手には手が出ない。防具がない状態でのそれは格段に重く響く。けれど、それでも。
「迎えに来ましたよ、ティアンさん。貴女が望んで居なくとも」
「わたくしには貴女の望みを奪えない。だけど、貴女を喪いたくもないから――!!」
 波に濡れた砂浜にも不思議と軽やかに踵を歌わせ、友情が損なわれることも覚悟で彼女の壁となるべく駆けたシィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)の手で指輪が凛と輝いた。
 彼女の気高さそのままの光がティアンの盾となれば、間髪を容れず泡沫と花の香の裡から時空凍結弾が迸る。アイヴォリー・ロム(ミケ・e07918)にはふたりの口づけを見た途端に溢れだした涙をとめるすべはなく、なのに弾は確かに『彼』へ幾重もの氷を刻む。
 いつか聴いた恋の話ゆえに、朧に事情を察してはいても。
 刹那、夕凪の砂浜に凍てる樹氷を纏った森の樹が叩きつけられた。
 否――それは己が腕からヘラジカの角にまで絶対零度の凍気を纏わせた九十九折・かだん(スプリガン・e18614)が炎を纏うエインヘリアルに叩き込んだ重撃。けれど、その唇から零れた声音は軽くティアンに訊ねた。
「なあ。死にたい?」
「いいや。彼と一緒がいいだけ」
 君と生きたい。君と逝きたい。
 君と、いきたい。
 死のうが生きようが、何よりそれが、切なる望み。
 望みを掴みとるべく気咬弾を練らんとした瞬間、灰とも銀とも見える流星が翔けた。
「どーも。出張鍛銀屋ですよ、っと」
 正確無比な狙いで『彼』へと星の重力を叩き込み、霧島・奏多(鍛銀屋・e00122)は僅か一瞬、指輪も作る銀細工師としての眼差しを翻す。太い指だと聴いていた。ああ、その彼がエインヘリアルになったというのなら、『ひと』のフリーサイズでも追いつくまい。
「ああ、これなら、君に」
 奏多とサイガが『彼』を星の重力に繋いだと見れば即座にティアンは気咬弾を捨てた。
「君に、君の知らないティアンを見せてあげられる」
 だって次の瞬間にはもう戦えなくなっているかもしれない。だから左の胸から地獄の炎を燃え上がらせた。命中率五割のブレイズクラッシュを渾身の力で叩きつけ、届かせる。
 濁りながらも輝き燃え盛る黝い炎に、赤橙の炎を纏う『彼』が瞠目する。
『これ、は』
 その様を何処か小気味よく見つつ、
「一緒にいたいってんなら、ラストチャンスだな」
 ティアンにそう笑みを向けた次の瞬間、サイガは何もかもを斬り捨てるよう夕闇をも呑む大鎌を敵へ一閃した。己が彼女から奪い、彼女に渡したモノを思えば。
 コイツが死ねば俺も終われるか。
 ――そんな仄かな期待が、胸の最奥で熾火みたいに小さく光って、燻って。

●断想
 ティアンだけ死んだら君の勝ち。
 二人共死んだらティアンの勝ち。
 君だけ死んだら、彼らの勝ちだ。
 夕凪に嵐となるべく駆けつけたのは、力量的にも心情的にも『彼』の望みを阻むのならば最強とも言える面々だと一瞬で悟った。皆なら絶対に『彼』を倒す。一片の疑いもなくそう信じられる、ひと達。
 ――だからその前にちゃんとティアンの事、殺してくれなきゃ、嫌だよ。

 絶対ティアンに触れさせない。
 硬い決意を核にした三人と一匹の盾の布陣は極めて堅固だった。
 だが遂に、彼女を縊らんとした『彼』の手へ迷わず吶喊した箱竜が握り潰される。
「コハブ……! とても、とても偉かったの……!!」
「強かったな、偉かったな。後はお前の分まで私らが護るからな」
 消える相棒の真白な冬毛か舞う中をメイアの時空凍結弾が翔け抜けて、重い唸りをあげる駆動刃がかだんの膂力を乗せて『彼』の星霊甲冑を喰い破る。だが、盾の一角が崩れれば、綻びを繕うことは叶わずに。
 炎の波濤がティアンを呑んだ。
「まだです! 我儘を通します、僕は無責任に貴方を生かしてみせます!!」
 幾重にも重ねられた光の盾が彼女を紙一重で繋ぎ止め、迷わず左腕で抱きとめたいぶきが右腕のみで完璧な手術を施してみせる。ウィッチドクターの矜持を貫いて。
 けれどこの一撃でヒールの効かぬ痛手もまた積み上がる。こればかりはいぶきほど優れた癒し手がどれだけ死力を尽くそうとも、戦いの最中にはどうにもならない。
 木苺色の指先を翻すアイヴォリーの指輪から溢れた光が更に三重の盾をティアンに燈す。メイアが、シィラが、かだんが全身全霊で彼女を護る。だがティアン自身が決して退かず、積極的に『彼』を誘うのだ。
「ティアンに構ってくれないと、触ってくれないと寂しいよ」
『ああ、触れるとも。その命の、魂の芯までも』
 終に、『彼』の手が完全に彼女の首を捕えた。
 彼女を絶対的に我がものにする、愛しき軛。
 ティアンが『落ち』た、その瞬間。
「かえりたいのだとしても、ゆかせはせんよ」
 淡々とした声音とは対照的に、奏多が揮った竜の槌が嵐の如く咆哮した。
「行け! メイア!!」
「任せてかだんちゃん、たとえ背中を抉られたって、絶対ティアンちゃんは渡さないの!」
 轟竜砲で肩を砕かれた『彼』の手が緩んだ隙にメイアがティアンを奪い取る。腹の底から吼えたかだんが彼女達の壁となるべく吶喊する。辛うじて息のある身体を抱いて、メイアは飛ぶように後方へ駆けた。脳裏を掠めたのは穏やかに老いを重ねた『誰か』の優しい笑顔。
 あんな哀しい想いはわたくしの小瓶にはもう要らないの。
 生きて、ほしいの。
 ――結ばれてよ!!
 喉も胸も、魂までも裂けんばかりに叫びたいその言葉の代わりに、
「どうして最初から連れていかなかったの! 生きて笑う温もりを愛したのでしょう!?」
 アイヴォリーは声の刃に変えたいつかの彼の祈りを振り翳す。
 本来なら淑やかに揮う禍渦(ガランティーヌ)、でも今は頑是ない子供が癇癪をぶつける様に『彼』を滅多切りにして三重に凍気を渦巻かせ、魔法のバルサミコをぶちまけて。
 想い合う者同士が添い遂げる。
 そんな当たり前のことがどうして、どうして当たり前のように踏みにじられてしまうの。
「そりゃ、ここが地獄だからだ」
 言い捨てると同時にサイガは思いきり跳躍する。決してメイアを追う隙を与えぬように、『彼』の首めがけて大鎌を叩き込む。
 けれど本当は、戦う者の本能で全員が理解していた。
 戦場では誰もが駆け巡るもの。ゆえに後衛の後方などという場所はその存在そのものすら幻想のごときもの。そして、遠距離攻撃なら戦場内の『誰でも』狙えるのだ。
 完全に護るには戦場の外まで運ぶしかないが、
「それは……貴方の心を殺すに等しいことでしょうね」
 失って当然の意識を、意識だけを全身全霊で繋ぎ止めたティアンの切望を感じとりつつ、右手に理想、左手に幻想を握ったいぶきは『彼』へ刃の舞を贈るべく馳せた。
 死なせてあげたいと、生かしたいと思う心は五分と五分。
 けれど、真なる望みが、どちらでもないのなら。
 盾を減らすのは悪手かと一瞬脳裏を過ぎるも、皆と練った策のまま、シィラは己を盾から矛へと変え、ともすれば耽溺しそうになる甘い香を連れ戦場に舞う。甘い香を連れた相手が屍隷兵と識りつつ、山羊のマスクの奥に父を感じてその手を取ろうとした日。
 ティアン達が迎えにきてくれたから踏みとどまれた。
 だから、
「自分だけ抜け駆けなんて許しませんからね、ティアンさん!」
 戦場に絶対の安全圏が、楽園がないのなら、苛烈に果断に『彼』を攻め続けるまで。
 彼女にとどめを刺す機会も余裕も、それを為す力も命も。全て奪い去ってしまえばいい。

●落想
 一度目は竜。
 二度目は狗。
 望みはどちらも同じだった。二人が、二人でいるために。
 だが、望みを叶えるために戦場を駆けた愛しい姿は竜の暴威に呑まれ、今もまた、地獄の番犬達の牙によって愛しい姿が傷だらけになっていく。命の終焉へ、近づいていく。
 ――君に死しか齎せない己は、君の、死なのだろうか。

 砂に指を這わすことさえ叶わずティアンは、皆が『彼』を猛攻する様を見つめ続けた。
 完膚なきまでに防御を捨てて、命を擲つ意志を貫かんとしたティアンを護るという負荷が余りに大きすぎただけで、救援に駆けつけた面々は本来なら、このエインヘリアルを一切の犠牲なく倒せるだけの策も力量も持ち合わせていた。
 箱竜コハブが力尽き、ティアンが落ち、メイアも限界が近いが、それでも。
 最早、戦いの趨勢は決していた。
 砂上を炎が奔る。環を描いて前衛陣を取り囲む。
「その程度で僕の仲間を止められると思ったら大間違いですよ」
「ええ、止まるものですか! 参ります!!」
 挑むよう笑んだいぶきが癒しの水を舞わせたなら、飛沫に潤された仲間の髪に花が咲く。眼差しが熱帯びる加護も得て、銀の髪にブーゲンビリアを咲かせたシィラが跳ぶ。鋼の鬼に楽園の彩を映し、拳で星霊甲冑を突き破る。炎の環を踏み潰したかだんの角にも楽園の彩、そのまま降魔の一撃を蹴り込んで、声をかけた。
 なあ、赤髪の。
 独り占めできなくて苦しいな。
「大丈夫さ。ここにいる誰も彼も、あの子を不幸にはしないから」
『だからどうした。俺の届かぬ処でのあれの幸福など意味がない』
「ああ、ああ。そうだな、意味がないよな」
 自嘲するよう苦笑した拍子に奏多の胸元で青金石の胡蝶蘭が揺れる。
 もう手離せない。己の届かぬ処での『彼女』の幸福など意味がない。
 何故なら――それが恋だからだ。
 だが鮮烈な共感に貫かれてなお、『彼』を終わらせるべく奏多は愛銃を翻す。
 実を言えばティアンとの縁はささやかなもの。宝飾品店で行き合って、『彼』への指輪を作る約束を結んだ、そのくらいの。けれどまだ約束を果たしていないから。そんな身勝手でティアンを生かしたいと願うから。
 指輪より先に『彼』へ銀を贈る。
 軽い銃声。なのにエインヘリアルの左の胸が派手に爆ぜた。銀を媒介に生成された魔弾で絶大な痛撃を喰らった『彼』は相手の命を喰らう炎を放つ。だが標的は奏多ではなく。
 ――きっと、最初の、言葉のせいなの。
 察したメイアが叫ぶ。
「サイガちゃん……っ!!」
 けれど射線に跳び込む必要はなかった。彼女の声で己の鈍色の裾を翻し、サイガは大鎌で炎の波濤を断ち割った。信じるのなら本物。不意に浮かんだ言葉に口の端を歪め。
 瞬時に距離を殺して、黝い獄炎を燈した五指を『彼』の腹に捻じ込んだ。
 楽園とやらを俺は知らない。だが。
「次の逢瀬は二人きり、其処でするこった」
 赤橙の炎を纏うエインヘリアルが、夕凪の砂浜に頽れる。

 ――……!!

 喉を潰されたままのティアンの声無き叫びを受けとって、迎えにアイヴォリーが駆けた。汚れてなお白いドレスを纏う身体を抱いて、泣き顔のまま微笑んで。
「生きるよりも死ぬよりも、ただ彼の傍に居たかったと、教えてくれましたね」
 今なら痛いくらいにわかる。アイヴォリーも恋を識ったから。
 夜空に星を見つけただけで涙が零れそうになる、恋を。
 何故そうしようと思ったのか分からない。だが衝動のままにかだんは『彼』の腕から星霊甲冑を引き剥がす。波間に投げ捨てる。駆け戻ったアイヴォリーが『彼』の傍にティアンを寄り添わせる。縛霊手を外してやる。ふわりと『彼』までかかった彼女のヴェール、銀絲が綾織る淡いマリアヴェールの裡で、素肌の手と手が触れ合った。
 それは、死の間際の微かな痙攣だったのかもしれない。
 けれど。
「――……!!」
 ゆびさきが、からめられて。
 瞬きもせず、視界いっぱいに愛しい姿を映すティアンの眼前で、『彼』は世界に還った。
 残照の中に見た光景を心に灼きつけるよう、アイヴォリーは強く、強く目を瞑る。
 全てを、淡く透けるヴェール越しに見た二人のゆびさきも、すべて見届けて。奏多は緩く目蓋を伏せた。眼裏に思い浮かべるのは、彼女と『彼』と、二人に寄せ来る柔らかな波と、その波の真珠めいた泡。そうして形にするイメージは。
 約束の、指輪の。

作者:藍鳶カナン 重傷:ティアン・バ(灼き跡・e00040) 
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年11月11日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 16/素敵だった 12/キャラが大事にされていた 1
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