忌焔、燃ゆ

作者:朱凪

●始まりの場所
 足が向いたのは、偶然だったのだろうか。
 辿り着いたのは、かつて生家のあった場所。
 そこには今なお──なにも、無かった。
 鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)と同じ、狐の耳を持った男以外は。
「やぁ。……よく来たね、ヒノト」
 柔らかな樺茶色の瞳が、喜色を帯びて細められる。
 相反するようにぎりりと奥歯を噛み締めながらも、ヒノトも口角を上げる。
「どうしてだろうな。此処に来れば会えるような気がしたよ。……イニティウム・マグナ」
「さすがは『彼女』の導きの石色の瞳を受け継いだだけはある──ということかな。だけど淋しいな。昔のように『父さん』と、そう呼んでくれていいのに」
「誰がっ……!」
 反駁しかけたヒノトの前で、男は右の拳を軽く握る。途端、呪文もなく燃え上がる、禍々しい黒の焔。
 ──あ、れ……?
 ずきん、と。脳裏に走る、鈍い痛み。
 違う。これは違和感だ。
 ずっとずっと、『思い出して』からもずっと、胸に巣食っていた、それ。
 男はニィ、と笑う。父なら絶対に浮かべない類の笑みだ。吐き気がする。なのに、父の声が言う。
「大体のことは偉大なる術の前では些末事だ。さあ見せておくれ、……おまえの焔を」

●忌焔、燃ゆ
「……ッ、不甲斐ない……!」
 鉋原・ヒノトの危機を仲間に告げて、暮洲・チロル(夢翠のヘリオライダー・en0126)は小さく首を振った。
「俺も、アンテナを張っては居たんです。でも、防げなかった。これが宿縁だと、そう言うのでしょうか」
「まだ間に合う。急ごう」
 呻く彼に、ユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)が短く告げる。その平らな声の奥に潜む熱を感じて、チロルもようやく息を吐く。
 場所は開けた場所。周囲に避難が必要になるような一般人は居ない。
「敵は、イニティウム・マグナと言う名の死神。敵の攻撃は黒い焔……詳細は判りません。……以前、彼の前に現れたイニティウム・アルスと行動を共にしていたことから、今回も彼と縁の深い方の肉体を奪った存在であるかと思われます」
 今もヒノトとは連絡が取れない状況が続いている。
 ヘリオンの予知を以ても彼らの元に辿り着くのは、彼らがあいまみえてしまった後だ。
「何故なのかは、俺には判りませんが……少し会話を交わしたあと、ヒノト君はひどく取り乱しているように視えました。戦闘行動自体には、支障はないはずです。けど、」
 そこで言葉を切って、チロルは集まってくれたケルベロス達へと視線を合わせた。
「Dear達の支えが、必要です」
 よろしくお願いしますと頭を下げてから、幻想帯びた拡声器のマイクを口許に添える。
「では、目的輸送地、『始まりの場所』。以上。……、」
 続く言葉は、紡げなかった。


参加者
鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)
三和・悠仁(憎悪の種・e00349)
相馬・竜人(エッシャーの多爾袞・e01889)
ティノ・ベネデッタ(ビコロール・e11985)
尾神・秋津彦(走狗・e18742)
ペル・ディティオ(破滅へ歩む・e29224)
鮫洲・紗羅沙(ふわふわ銀狐巫女さん・e40779)
丸越・梓(月影・e44527)

■リプレイ

●糾
 黒い焔に、鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)の肌が粟立つ。
 かつて対峙した、母の肉体をサルベージした死神は、生前の母が使った術を編んだ。
 けれど今、父の肉体を持つ死神が宿す焔の色を、ヒノトは知らない。
 ──だって父さんの術は、
 つよかった。けどこんな、恐怖を抱かせるものじゃなかった……!
 揺らぐ瞳を嗤うように男は嘯く。血色のまじない文字の滲む繋縛の布を泳がせて。
「大体のことは偉大なる術の前では些末事だ。さあ見せておくれ、……おまえの焔を」
「些末事だって? その声で戯言を吐くことが許されると思うなよ!」
 表層の言葉だけを捉えヒノトは牙を剥く。見たことのない術と、父の身体。母の言葉通り『視て聴いたことを信じる』のならば、あれは。
 ──父さん『まさか』違うよな? 『あれは』死神が『父さんの』身体を『術で』、
 ──『本当は』……?!

「……ッ俺の手で、殺してやる……!」

「ヒノト、アカ……!」
 信じたい想いと信じられない気持ちが綯い交ぜになってぐちゃぐちゃになって。吼えた狐の耳に、決して大きくはない、しかし芯の強さを感じる声が届いた。
 弾かれるように振り向いたヒノトの目に飛び込んだのは黒。次いで強く背を圧す掌の感覚に、彼はようやく己の身が震えていたことを知った。
「あ、ずさ、ティノ……」
「ヒノト。助けに、来たぞ」
 もう大丈夫だ。告げてティノ・ベネデッタ(ビコロール・e11985)は添えた掌に更に力を籠め、丸越・梓(月影・e44527)も力強く肯いて死神を見遣った。
「その身体は彼らの大事な人のものであり、彼らもまた、その身体の主の大事な者たちなのだろう。──お前が好きに扱っていい道理はない」
 彼の言葉に「!」ファミリア・アカが懸命にフードを引っ張っていたことにも、ヒノトはようやく気付く。ひとつひとつ視野が広がって、強張っていた身体が解きほぐれていくのを感じる。
 彼からの視線を受け、口許をひき結んだ鮫洲・紗羅沙(ふわふわ銀狐巫女さん・e40779)もまっすぐな視線を返し、尾神・秋津彦(走狗・e18742)は縛霊手の拳を強く握った。
「ああ親子水入らずだったか知らんが、文字通りお邪魔するぞ?」
 張りつめた空気の中、敢えてそれを読まずにペル・ディティオ(破滅へ歩む・e29224)が口角を上げるのに、「違うだろうが」相馬・竜人(エッシャーの多爾袞・e01889)は不機嫌を隠さない口調で吐き捨てる。
「なァ、おい……鉋原がテメエをなんて呼んだよ。ちゃんとテメエを名指しで呼んだだろ。親父を呼んだ訳じゃねえんだ。だからよ」
 いっそ緩慢な動作で髑髏の仮面の奥からイニティウム・マグナを睨めつけ、宣する。
「コイツの父親面してんなよ……!」
 燻る感情は等しく、三和・悠仁(憎悪の種・e00349)の眉間にも小さく、けれども確かに刻まれている。
 姿形に声と取り繕ったところで、それだけでは『人』には到底届きはしない。……届きはしない、が。
 ──……随分と、質が悪い。本当に、随分と。
「……対象は『死神』一体。これより、援護に入ります」
 抑え込んだ声音は淡々と、けれど地獄の宿る右眼に怒りを燈す。
 仲間達の姿にただ目を瞬くヒノトのローブをくいと引いてユノ・ハーヴィスト(宵燈・en0173)は小さく告げた。
「きみはひとりじゃないから」
 その後ろには駆けつけた仲間の冴月色の、藤色の、夜色の、薄氷色の、望月色の、晴空色の──他にもたくさんの双眸が、『心配』と『信頼』のいろを宿して強く肯く。
「……そう、だよな」
 ぐちゃぐちゃだった心の中に居たひとつの想いを、ようやく見つける。不恰好に歪みそうな口許を笑みに象って、ヒノトは杖へと変化したアカを手に、だから告げた。
「ありがとう、みんな! 力を貸してくれ!」

 腕を振り抜く動作で奔った黒焔の帯が前衛の仲間達を襲い、「くっ、」躱し切れず肩口を灼かれながらも梓が一閃した刃を、狐の男は素早く膝を沈めたかと思えば跳んで避ける。
 間髪入れずティノがユノへと回復の指示を出す向こう側で死神は素足で地をにじり、前髪の間から炯と樺茶色の双眸を光らせた。その表情に、
 ──よく似てる。……人であった頃は優しく穏やかだったのならと、思う程には。
 オウガメタルの輝きを放ちつつアリシスフェイル(e03755)はそう感じ、勲(e00162)も思いを同じくする。そして男の紡ぐ声音だけは変わらず、穏やかで。
「おいで、ヒノト。また共に研鑚をしよう」
「……っ!」
 伸ばされた手。『違う』。判っている。覚悟も決めた。それでもなおヒノトの心が揺れる。だってあの掌のあたたかさを、魂が憶えている。
 くしゃりと歪んだ顔。その肩をとんと叩くのは、数多の緋色の蝶を纏う景臣(e00069)。藤色の瞳はひたと前に据えられて。
「──貴方に、火人は殺させはしない」
 静かながら強い声が告げるのに「ヒノト、手を貸すわ」メロゥ(e00551)も続く。自らも邂逅した迷い星を思えば、きっと彼にとって今は、訣別のとき。
「……彼を──あなたの父様を、救いましょう」
 ぽぅと光が導となって道を拓くように、包み込む温かさは銀狐巫女の秘術【幻楼燈火】。
 傍にいる大事なひとへ迷わず手を差し伸べられるよう。想いだけでは届かない、届く限り照らせる光となるため。紗羅沙はこの力を得たのだと信じているから。
「進みましょう、ヒノトさん」
「ああ、ヒノトは目の前の相手に集中しろ。眼前の相手は……もう違う存在だ。お前の手で救ってやれ。それが遺された者の役目なのだから」
 かすかに震える語調は、ソロ(e01399)のヒノトを思うがゆえに。
 仲間達から息吐く間もなく次々と繰り出される攻撃を、掠め受けては紙一重で避ける死神の毛足の長い尾がゆらりと揺れる。ちっ、と鋭い舌打ちをひとつ、竜人はくるりと『凶討』を手首で回した。
「お膳立てはしてやるからちゃんと当てろよ。……当てなかったら後で指さして笑ってやるからな」
「ふふん、それは避けねばな」
 視線交わし、狙った敵の足許。軽い足取りで跳んで躱した中空の狐に「!」追いすがる、ペルの流星を纏う蹴撃がしたたかに決まるコンビネーション。
「……っ、」
 体勢を崩した死神はくるりと身を捻って着地すると同時に、鉤爪の形にした手を振り抜いた。再び黒の焔が低く地を舐めるように奔り──ヒノトの前へと飛び出した秋津彦の一身を灼いて空へと立ち昇った。
「秋津彦!」
「なん、の……! 焔とて狼の剣牙は怖れず!」
 ひょう、と『吼丸』で風切り火の粉を払い、強く地を蹴り敵へと迫る。月の光をなぞり、閃かせる刃は過たず死神の身を裂いた。
 ごぅ、とその身から黒い焔を巻き起こした敵から身を退いた秋津彦へ、蒼の地獄が取り巻く。それは緋創。悠仁の中に燻り続ける憎悪の一端。
「──良い夢を」
 奮い立つ気力に「かたじけない!」再度青眼に刀を構える姿に安堵したヒノトの傍らで、眠堂(e01178)が「いつかのワイルドハント、」ぽつりと言う。
「暴走した『お前』の片腕には、あれに似た焔が在ったような……いや、」
 気の所為か、と告げる彼の言葉に、またずきりと頭が痛んだ。

●咎
「やれやれ……」
 小さくかぶりを振りながら、何度目かの黒の焔が疵口に華と咲く。幾多の攻撃で鈍った脚も腕の動きも、癒えていく。けれども積み重なった疲労は隠し切れない。
 悠仁と紗羅沙、ふたりの中衛達が仲間の攻撃が確実に狙いを定められるよう支援に徹し、駆けつけてくれた仲間達の黒焔による幻惑を防ぐべく働きかけてくれた手厚い回復によって地獄の番犬達は死神の策に翻弄されることもなく戦いを有利に進めることができた。
「今回の我は生憎白い焔は見せられそうにないのでな、代わりに雷を見るといい」
 零距離でな!
 握った拳に留まる白雷ごと叩き付ける白く眩い雷光の災拳──ホワイトショックを見舞い弾けた閃光に、白々とペルの白い衣装が夜空の下に眩く照らされる。
「が……っ」
 胸を押さえて荒い息を吐く姿に小さく眉をひそめながらも、ヒノトはなにもない始まりの場所を見渡して言葉を紡いだ。
「なあ、『父さん』。家も庭も、アオやミドリ達も……なにもかも。本当にぜんぶあの日、燃えちまったんだな」
 ネズミの姿に戻ったアカが肩の上で『父』の姿を見つめているのを感じる。やはりなにか感じるところがあるのだろうか。
「昔の俺が妙に病気がちじゃなかったら、禍を退ける力を持っていたら……そしたら。他の未来も有り得たのかな」
 『届かない』と知っているただの感傷。自嘲にも似た消えない悔恨。
 けれど、
「……はは。まだそんなことを言ってるのか、ヒノト」
 『父』は嗤った。
「なんだって……?」
「思い出したんだろう、あの日のことを。よく考えてもみなさい。どうして部屋で寝込んでいたはずのおまえが、『燃える家』を見ることができたのか。どうして我々があの日おまえを連れて『行けなかった』のか」
 ずきん。
 ずきん、ずきん、ずきん。
「ま、さか」
 『父』の腕に宿った黒い焔。ワイルドスペースで視た、蒼い焔。
 記憶の中、生家を絡め取った焔の『いろ』は。
「まさか……っ!」
「未だ完全には至らない術だが、視るといい。答えは此処にある──」
 揺れる瞳に、死神はただ嗤って両手を広げる。「!」彼と『父』の対話を邪魔しないよう沈黙を保っていた仲間達の中、秋津彦が叫ぶ。
「鉋原殿!」
「──鸞」
 『父』の背後に現れた、大きな翼に長い尾を持つ、黒い焔の鳥。いっそ美しいほどのその姿は長い頸をゆるりともたげ、鋭い嘴が昏い眸がヒノトを捉え、そして羽ばたく。
 舞い上がり、勢いを乗せて急降下して、
「ボサっとしてんじゃねえ!!」
「っ竜──……!」
 黒い焔の鳥がヒノトを思いきり突き飛ばした竜人を呑み込んだ。
「が、ぁ……っ!」
「今癒す!」
 焔に巻かれて膝をつく彼へとすぐさまティノの全身から湧き上がった癒しのオーラが縒り集まって、竜人を覆っていく。
 ばさり、重い羽ばたきの音をひとつ、黒の焔鳥は夜空へと掻き消えるのを、ヒノトはただ見送った。脚が手が震えて、頭が痺れたように働かない。
「ヒノト、」
 無防備な彼を敵から庇うように位置取った梓と秋津彦が隙を衝かさぬよう立ち回る。
 理由もなく、唐突に理解してしまった。あの禍鳥は父が生み出した術であると。己の知らない父の顔があったことを。
 その恐ろしい術を──己が継いでいることを。
「違う、違う、違う……っ!」
 ──違う、俺の、俺達の術は、誰かを傷付けるためのものじゃない!
 必死で言い聞かせるのに、揺らがない確信が彼の喉を締め付ける。耳を塞ぐようにして、滲む視界に我を失いかけるヒノトに、けれど思いきり体当たりした人間がいた。
「っ?!」
「ヒノト!! ワタシが居るのよ! ヒノトの隣には、ワタシがいるの!」
 振り向いた彼の視界に、エルピス(e16084)の晴空色の強い光を宿す瞳が飛び込む。
「あ……」
 彼を護るように景臣と夜(e20064)も傍へと駆け寄り、藤(e20564)が彼の手を握って「ヒノト」呼んだ。ただそこにある想いは『親友の意思に添いたい』、ただそれだけ。
 ──……辛いよね……。
 両親のことも、尊敬している彼の気持ちも覚悟も、判るつもり。だからこそ強く願う。
 力になりたいと。ひたと見据えた夜色の目。
 躊躇っていたところをリティア(e00971)に促されたクィル(e00189)も逆側の手をそっと握って、肯く。
 震える狐の肩を叩いて勲も困ったように望月色の瞳を緩める。
「忘れるな、お前はお前だ。記憶の奥底にある断片がどれだけ受け入れ難くとも……、俺にとっては今のお前こそが全てだ」
 ──絶望の底に居た俺を、お前が掬い上げてくれたんだ。
 今度は俺が、お前を支える番だ。静かに告げる声は優しく、力強く。「そうそう」眠堂も背を叩いて笑って見せた。なにがどうあれ、いつでもその背は護ると。
「大丈夫。お前の培った術を信じろ。あの闇に易々と掻き消えるような焔じゃねえだろう」
「……!」
 マンダリン・ガーネットの瞳が見開くのに、紗羅沙は両の手を胸の前で握り締める。
 彼の抱えている多くの想い、闇は、彼女の想像に及ぶものではないのかもしれない。だがそれが竦んでしまうような昏い底闇だとしても、
 ──私はもう、決めたのです。
 上げた視線の先で、夜の冴月色の双眸がひたと彼を見据える。
 ずっと探していた『仇』へ立ち向かう決意は固まっているのに、いざとなると怖い。まだ弱虫の子供のままなのかな、と。俯いていた少し前の彼が、脳裏に浮かぶ。
 ──自らを省みれる君は真っ直ぐで純粋な少年であり、
 ──なにもかもから面倒だと目を逸らす大人よりもずっと大人。
「だからこそ、君の選び取る未来を俺は信じているよ」
「決めたのはお前さんだぜ、鉋原……日和るなよ──行けッ!」
 少し前ならば、親が子を、子が親を、なんてことは認めたくもなかった。けれど彼はもう自分で選んだ道を歩いている。だから邪魔はしない。吼える竜人に応じるように、ティノも肯く。
「例えヒノトの力が忌むべきものだったとしても……ヒノトから貰った力で僕は癒しの力を揮るう。この光は、人を助ける光の焔だ。僕がそれを証明する」
 前も言っただろう、と。煌めく双眸の視線はまっすぐに。
「『己の目で視、耳で聴いた』なら、なにをすべきか、もう解る筈だ」
「ああ……ああ、そうだな……!」
 例え『始まり』がなんであったとしても。
 今、こうして声を掛けてくれる仲間達がいる。
 顔を上げたヒノトの姿を確かめて、梓は静かに瞼を伏せる。
「──シス」
 小さく呼ばわると同時に夜の帳を引き裂いて現れた巨狗が鋭い牙を剥いて死神へと喰らいつくmemento mori──バディ。
 彼の相棒が闇に溶けるのと入れ替わりにしゃん、と鞘鳴り。
「葬頭河まで見届けましょう──彼岸の先へは独りにて」
 秋津彦の絶殺の妖気を籠められた斬撃は目にも止まらぬ迅さで敵の魂を刈って。瞬時焦点を失った樺茶色の瞳、零れた鮮血とふらつく脚。更に棍を繰り出そうとしたペルを、
「……待ってください」
 悠仁は手を伸べて留めた。終りの近さを、誰もが悟った。
 『彼』もそれには気付いているだろうに、それでも右手はまだ、黒い焔を帯びる。
 ぐちゃぐちゃだった心の中に見付けた、ひとつの想い。願い。
 仲間達からの視線を受けて、ヒノトは小さく肯きありがとうと零して、そして。

「ッ……父さん……!」

 父の身体を、抱き締めた。
 最期を悟った手負いの獣は、低く唸りながら焔の巻いた腕で彼の首根っこを掴むが、ひしとしがみつく彼は離れない。いやだと首を振って、涙に滲む声も隠せず腕に力を籠めた。
「この九年、ずっとずっと寂しかった……! もう離したくない……!」
 じりじりと皮膚が灼ける熱さも痛みも、胸に空いた空白に比べれば。
 小さく肩を震わせるその姿に、誰もが足を縫い止められて動けなかった。
「けど……母さんが待ってると思うから」
 無理やりに笑みを作って見上げた、父の顔。焔を纏う右手が強張って、軋むようにぎこちなく動いて──「へっ……?」ヒノトの頬を軽く抓った。

 ──ほぉら、泣き虫。

 そこに視えたのは、どこか悪戯っぽく、けれど優しく微笑む──父の笑顔。
「あ……」
 同時に脳裏に閃いた、生家での記憶。
(ほぉら、泣き虫)
(な、ないてない!)
 いつだったっけ。確か、庭で父さんと術の練習をしていて、うまく行かなくて。
(途中で気を抜く癖が抜けないな、火人は。いつも言ってるだろう?)
 指先が離れる。僅かの間、瞬いたヒノトは「……へへ、」目許を乱暴に袖で擦った。
「……──『すべて最後まで見据えなさい』……だったな、父さん」
 よくできました、と言わんばかりにそっと髪をなぜた温かさは、掌か、それともただ焔の熱気だったのか。もはや、判らないけれど。
「アカ」
 一歩下がって、開いた両手。ヒノトの声に応じて肩から飛び降りたアカがくるり身を変化させる。両の手の中央で輝く、赤水晶のロッドが灼熱の炎を帯びる。
 環(e22414)を初めとして多くの仲間がその締めくくりに力を寄せてくれたがゆえに、ふたつの炎の球は朱の中に黄金を宿して父を送る──フェルカエンテクス。
「……俺に術を教えてくれて、ありがとう」
 朱い炎の中で瞼を伏せて微笑んだように見えた父の姿は、炎と共に空へと消えた。

●逑
 ほら、こんなこともできるようになったんだ。
 紡いだ中空の粒子は、氷のカンパニュラを成す。それを静かにその場に供えるヒノトの傍で、ティノも大地へと祈りを捧げる。
 ──もう、焔で友の心が焼かれぬように。
 ぱち、と目を開いたヒノトの前に、掌が差し出される。手の主は、夜だ。
「……お帰り」
「うん、ただいま」
 その手を取って立ち上がった彼に、勲も視線を巡らせて笑いかける。
「此処がお前の生まれ故郷か。親御さんとアカとお前の四人で漸く帰る事が出来たんだな」
 なあ、とアカの鼻先をくすぐる彼に、ヒノトも笑みを返す。それを見ていた環は少しだけ眉を寄せて口許を緩めた。
「我慢はしなくていいんですよ。思いっきり頑張ったあとは、思いっきり甘えてください」
「そうだぞヒノト!」
「ええ。ヒノトさん、どうか貴方には生きて欲しい、こんなにも光がいるのですから」
 エルピスと紗羅沙も告げる。寄り添う仲間、敢えて場を去る仲間、そして見守る仲間達の優しさすべてに、ヒノトはまた視界が歪むのを感じる。
 そんな彼の頭を柔く撫でる掌。
「──お帰り、火人」
 微笑む藤色の瞳は景臣のもの。その感触に、さっきの温かさが蘇る。
「ただ、いま」
 ああ、また父さんに笑われる。そう思うのに、鼻の奥がつんと痛くて、熱い雫が頬を伝うのを止められない。
 そんな彼の手をもう一度握って、クィルが言う。
「……鸞は、蒼い炎を纏う鳳凰の一種、だったと思うんだ」
 ぱちり、涙を睫毛に乗せて瞬く彼に、金蘭の彼はふにゃりと笑う。
「それってつまり、──あおいとり、だと思うのは甘いかな」
「……っ、」
 希望的観測かもしれない。真偽のほどは判らない。それでも。それでも。
 ──なあ父さん、真に極めたかった術は『それ』なんだろ?
 大粒の涙は、温かさを伴って溢れ出て。
 大切な人々に囲まれてヒノトは、子供みたいに泣きじゃくった。
 ──終ったよ、終ったよ、
 そう、ただ吼えて空に届けるみたいに。

 ──安心してくれ。その術も、俺が必ず継いでいく。

 これからはまた、この始まりの場所から、踏み出して進んでいくから。
 今だけは許してくれるよな、……父さん。

作者:朱凪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年11月12日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 2/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 3
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