燻る胡蝶

作者:秋月諒

●熾火
 祭りを前に、松明が揺れていた。数日後に控えた祭りを前に、通りの飾り付けは進む。夕暮れ時に雪洞を持って、陽の時間と月の時間の淡いを行く。
「ーー……、さて」
 青年の眼鏡に、夕日が差し込んでいた。立ち並ぶ店の背は低く、秋の雲は空高く流れている。手など、凡そ届かぬ距離にただ一度だけ足を止めた火岬・律(幽蝶・e05593)は息をついた。店で出す新作で使う食材の調達はこれで問題は無いだろう。あとひとつ、ふたつ。出たついでに片付け置きたいものもあったが。
「どうしましょうか」
 ひとつ、声を落としたのは通りの静けさに気がついたからだった。不自然な静けさ。虫の声さえ潜むようなーー息を殺した静寂は、律に違和を告げる。殺意など無い。敵意など無い。されど、通りの先、倉庫街へと続くその場所に帰りを告げる鳥の声さえ響かぬのであれば。
「何方ですか。今日の面会の予約は無かった筈ですが」
 誰かがいるのは明白だ。
 足を止め、煙草に火をつける。ふ、と溢れた煙は風に流れーー、僅か律の斜め前で歪んだ。
「これはこれは! ご挨拶の前に気がつかれるとは、誠に申し訳ない!」
 忍んでいたのか、ただ身を潜めていたのか。
 謝罪を口にしながら高く響く声は饒舌というよりはお喋りという言葉が似合った。しゃらしゃらと飾りの鈴が音を零し、流れる雲が夕焼けを殺した。
「ーー」
 日の光が遮られた影の中、だが、律はその姿を見間違えることはなかった。銀を思わせる揺れる白髪。何処までもひどく楽しげに響く声。弧を描く口元と共に黒の仮面が映える。
「螺旋忍軍」
 雲の隙間から、ひたひたと夕日が迫る。夕暮れの赤。溢れた赤。
 声は、知らず低く響いた。手が腰の刃にかかる。チキ、と小さく溢れた音に螺旋忍軍はひどく残念そうに息をついて見せた。
「如何にも。あぁ、ですが此度の商談は不成立の模様」
 道化めいた嘆きをひとつ見せ、だが螺旋忍軍は笑みを零す。律の向ける気配にさえ、ひどく楽しげに、仕事ぶりをお見せしましょうと嘯く。
「あぁ、不要などとはどうか言わず。さぁさぁ、面白くなって参りました!」
 殺意を零し、笑みを零し。黒の液体を衣のように纏い螺旋忍軍ーー只野・サジは染まる指先を律へとーー向けた。

●幽蝶
「緊急の案件となります。皆様、お集まりいただきありがとうございます」
 レイリ・フォルティカロ(天藍のヘリオライダー・en0114)はそう言うと、集まったケルベロスたちを見た。
「火岬様が、宿敵と思わしきデウスエクスの襲撃を受けることが予知されました。急ぎ連絡を取ろうとしたのですが……、繋がりません」
 事態は一刻を争う。
 急ぎ、合流し救援を行う必要があるだろう。

 時刻は夕方。夜も近づけば、灯りも必要となる頃だ。
「幸い、現場は商店街の灯りについては問題なく迎えそうです」
 商店街では数日後に迫った祭りのために、準備が進んでいる。街路灯の数は然程多くはないが、飾りの雪洞が灯りとしての役目を十分果たしてくれるだろう。
「火岬様が、デウスエクスと接触したのはこの商店街の倉庫付近です」
 既に雪洞の飾り付けも終わり、商店街での飾り付けが本格化する中、倉庫付近に近づいてくる人はいない。一般人の出入りは元より制限されている区域だ。
「戦うには問題の無い広さかと。積み上げられた荷箱や、土嚢などが置かれているのでそちらには気をつけてください」
 周囲の人払いについてはお任せを、とレイリは告げた。
「荷箱や倉庫周辺の物品についても商店街の方へは私が話をしておきます。皆様は、火岬様との合流と戦いの方をお願い致します。
 そう言って、レイリは真っ直ぐにケルベロス達を見た。
 敵は一体。配下は無い。ブラックスライムを黒衣のように纏う螺旋忍軍。
「月の光のような、銀を帯びた白髪に黒の仮面を所持つけたお喋りな螺旋忍軍です」
 ケルベロスを相手に商談と口にして、次の瞬間には黒く染まった指先を向けて笑う。殺意と共に笑みを浮かべる螺旋忍軍だ。
「火岬様は、若しかしたら何かご存知かもしれませんが……。現状では関係は不明です。螺旋忍軍は最初こそ火岬様を狙いはしますが、劣勢となれば離脱を狙う可能性があります」
 包囲の他にひとつ、何か手があっても良いかもしれない、とレイリは言った。
「戦闘中であってもお喋りなのは変わらず、毒や炎などを巧みに操ります」
 その性質から見て、ポジションはジャマーで間違い無いだろう。
「攻撃は、ブラックスライムに似た黒い羽衣を使って喰らい付き。遠距離からは氷を纏う黒の槍。それと、幻の折り鶴を召喚することで、一帯を毒に染めます」
 黒の折り鶴はどろりと、と濃い闇が滴るという。

「行きましょう。まずは火岬様の元へ。援護と、戦いに」
 そこに因果があるのならば、尚更。思うがままに進めるように。
 夕暮れの町、知ってしまったのだから。一人きりでは戦わせられない。
「ヘリオンでの移動はお任せください。万事、間に合わせてみせますとも」
 さぁ、急ぎましょう。とレイリは言った。
「皆様、ご武運を」


参加者
真柴・勲(空蝉・e00162)
落内・眠堂(指切り・e01178)
スプーキー・ドリズル(レインドロップ・e01608)
火岬・律(幽蝶・e05593)
アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)
ケイト・バークレイ(蛻の心臓・e14186)
斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)
四十川・藤尾(厭な女・e61672)

■リプレイ

●夕暮れの相対者達
 闇が、夕暮れを割いた。
「さぁさぁ、面白くなって参りました!」
 喜色めいた声と共に放たれた解き放たれた影に、火岬・律(幽蝶・e05593)は身を飛ばす。闇に似た色とはいえ、殺意を交わして動けばーー十分だ。ぱさぱさと黒髪が揺れ、眼鏡越しに律は男をーーサジを見る。
「再演か」
 口の中、落とした言葉は果たして音となって響いたのか。翳る深紫の瞳が僅か、辿るような色彩を残す。昼と夜の端境。血の匂う赤幕の開く、転がった先、金交りの朱で塗潰された景色。
(「予感はあった。覚悟も」)
 靴先についた砂を払う。指先は自然と、流れるように柄へと辿り着いた。手に硬さは無い。握れるーー抜ける。
「鼠鳴くな……生憎だが、今の俺には幾つか貸し手がある」
 浅く、夕焼けに律は白刃を晒す。低く落ちた声に「貸し手と!」とサジの声が跳ねた。
「これはこれは面白いことを言う。君にそんな……」
 ものが、と続く筈の言葉が、足音と重なる。踏み込むそれは夕暮れの相対者達の者ではない。は、と顔を上げたサジの前、男は踏み込んだ。
「よぉ糞後輩、まだ斃ってなかったか」
 言葉と共に、空気が震えた。ガウン、と重く振り下ろされる一撃と共に火花が散る。ひゅう、と高く響いた音を、耳に届いたその声を律は正確に拾う。真柴・勲(空蝉・e00162)が、律とサジの間に割り込むようにやってきていた。

●再演
「おや、おやおやこれはまた! 救援というやつですか!」
 一撃に、た、とサジは距離を取る。ひら、と舞う指先が再び黒を纏おうとしたその場所に、白が降る。
「良く舌の回ることで。能弁も才能の一つだがこう悪辣では煩わしいだけだな」
 それは真白い札。札に描かれた紋が光りーーまがいの鴉が出る。八咫、と声が落ちる。落内・眠堂(指切り・e01178)の示す指先の向こう、連なる三連の矢は一陣の風となってサジに襲い掛かった。
「ーーっこれは」
 一陣が、肩を穿つ。バチ、と鈍く響いたそれは落ちた制約の音か。サジを一度静かに見ると、眠堂は律へと視線を向けた。
「手を貸すぜ、律。帰る場所も待つひと達も居るんだろ」
 それに、と眠堂は静かに笑った。
「俺だって、折角またアンタとの縁を辿れたのだから。帰路は必ず開こう」
「無事に帰られると!」
 口の端を上げたサジが両の手を伸ばす。踊るような指先が虚空を撫でれば、一羽、また一羽と幻の黒の折り鶴が姿を召喚される。
「染め抜け、鵺の群れ」
「来ます」
 解き放つ声と、警戒を告げる律の声はーー同時だ。無数の折り鶴たちが前衛の前、ぶわり、と濃い毒の闇に変わった。視界を染める毒はーーだが、律には届かない。
「通さない」
 アラタ・ユージーン(一雫の愛・e11331)が庇うように律の前に立っていた。
(「火岬の痛みがアラタと一緒とは驕らない。皆が、其々に違った傷みをもってる」)
 それでいい、それが愛しい。
 火岬や皆と会って変わったから。レプリカントになれたから。今、そう思うことが出来るんだ。
「難しいのは、アラタには解らん!」
 た、とアラタは飛ぶ。天高く飛び上がれば傷が痛む。血が落ちる。けれど少女は気にしない。夕焼けの空に虹を纏い、一撃を空からーー落とす。
「でも火岬を苛める奴は、アラタの敵だ!」
「ほう。これは面白い!」
 纏う闇さえ滴らせながらサジは笑うと忍びの纏う闇がーー蠢いた。タン、とアラタは身を上に飛ばす。追うようにサジがこちらを見る。
(「これでいい」)
 敵の視界で後ろに飛んで見せるのは撃鉄を引く音を聞いたからだ。
「That's original sin」
 一撃が、サジの腕を貫く。骨を砕く瞬間、破裂した紅が鮮やかに忍びの体を染め上げた。
「れは!?」
「……そのドス黒い指でリツに触るな、端から総て喰い千切るぞ」
 スプーキー・ドリズル(レインドロップ・e01608)の一撃だ。男の頬に浮かぶ黒い鱗が、常の穏和さを隠す。
「祭の準備で皆々の意気高揚せし折に水を差す無粋な輩。商談の力もたかが知れたものと存じます」
 一拍の後に、後衛の背にカラフルな爆発が生まれた。夕闇に泳ぐ爆風を、ひとさし、舞う指先で戦場から逃した斑鳩・朝樹(時つ鳥・e23026)は、口元笑みを浮かべる。
「お喋りと営業力はイコールではありません。愚かな犬はよく吠えるとそう申しますでしょう?」
 四十川・藤尾(厭な女・e61672)は細腕を振り上げる。手にしたのは竜の名を持つハンマー。砲撃形態へと変じたそれがーー空を、震わせた。
「えぇ、面白いですわね。飛んで火に入いる……寝惚けた虫はどちらかしら?」
 ゴォオ、と咆哮に似た一撃が、サジへと届いた。くら、と一瞬、踏鞴を踏んだ忍びが、こちらを見る。ざ、と見渡すようなそれに、気がついたか、と勲が息を零す。
「えぇ。包囲とは。ですがこの程度であれば……!?」
 紡ぐサジが、視界を揺らした。視線の行き先はアラタだ。何故、と零す忍びは、落とす息と共に自ら解を得る。
「ッ制約ですか。成る程意識を」
 零す声は低く、サジの足が止まる。その隙を逃すことなくケイト・バークレイ(蛻の心臓・e14186)は銃口を合わせた。

●燻る胡蝶
 砲撃がサジを撃ち抜いた。高い命中力から放たれた一撃に、庇いに出す腕は間に合わぬまま忍びは踏鞴を踏んだ。
「っこれは」
「はて、何処かで遭った事があったろうか。……否、気の所為か」
 低く響くサジの声に、ケイトは息をつく。
「嗚呼、逆ナンの心算はない。口の軽い男は好みじゃないんだ。人一人の人生を狂わせておきながらへらへらと嗤っている様な輩は特にな」
 三芝、とケイトは声を落とす。
「後衛に回復を。以降は状況に合わせて臨機に頼む」
「仰せの侭に」
 三芝・千鷲(ラディウス・en0113)は指先からオウガ粒子を零す。毒を纏う攻撃自体は面倒ではあるが、対応できないものでは無い。その対応の一つが、この加護だった。最も、サジも使ってくる事は理解していたのか。では、と笑う口元が紡ぐ言葉を律は聞く。
「砕きましょうか」
 声はどこまでも愉快に、笑うように響くというのに来し方を滲ませる。戦場に落ちる血の匂いに、律は息を吸う。
「感謝します、お礼は後程」
「形ばかりの謝辞なんざ要らねえよ。今月のバイト代に色つけて貰えりゃそれで」
 背で応じた勲の指先は、毒で染まっていた。だるい程度だと、勲は言う。確かに、そうだろうと思う頭はあった。あの一撃、滴る毒は面倒だが、ただの一度で皆を沈める程のものでは無い。
「……」
 剣戟を耳に、息を吸う。肺を毒す煙が、引き絞られた傷みを気休める。
「あの時とは違う」
 薄く、律は口を開いた。告げる為の声は、サジの視線を誘う。ほう、と笑う忍びの声を散らすように、黒雷が落ちた。
「俺が、お前を殺す番だ」
 雷光の主は手を伸ばし、真っ直ぐにサジを見据えーー黒雷を、解き放った。
「ーー!」
 蛇の様に雷は、サジへと絡みつき穿つ。一撃に、ぐら、とその身を揺らし、忍びは身を振るう。払う様に、伸びた指先が纏う闇を召んだ。
「黒衣よ」
 ぶわり、と闇は震える。黒雷を散らしたサジへと、勲は一撃を叩き込む。ーーだが。
「避けたか」
 サジの方が早いか。
 空を切ったそれに勲が息を吐く。これで届かぬのであれば、命中のあるものにすれば良いだけのこと。ゆるり、口の端を上げ、間合いを取り直したサジを、勲は冷たく睥睨する。
「……手前ェも手前ェでこんな糞餓鬼の人生弄んで何が愉しい」
「はは! それこそ」
 不意に低くめた声で忍びは言った。
「貴方に関係ないでしょう?」
 視線ひとつ、向けたそこをサジが飛ぶ。その距離は、確かに勲の間合いか。だが、着地のその場所は落ちる男の領域だ。
「上ですか!」
「遅い」
 身を、空より落とす。
 流星の煌めきを纏い、落下の勢いさえ利用して叩き込んだスプーキーの蹴りにギン、と重い音が響いた。
「お前にとってリツはどんな存在なんだ?」
「さて。お望みの様な言葉で語って見せましょうか?」
 嘲笑う様に響く声に、スプーキーは絶対零度の眼差しを返した。
「僕達と其方の価値観は異なるのだろう」
 一つだけ確かなのは、と息を吸う。
「僕はお前以上に、リツを必要としていると云うことだ」
「それはまた」
 声が、低くなる。ぶわりとサジの纏う闇が揺れる。
「つまらないことだ」
 直後。闇は鋭い槍となり、スプーキーを貫いた。

●迷蝶
「スプーキー!」
 穿つ、一撃に男は僅かに踏鞴を踏んだ。アラタの呼ぶ声が響く。
「回復しましょう」
「おや、間に合うと?」
 嘲笑うように上がる口元に、朝樹は「えぇ」と悠然と言葉を返す。指先は共鳴を纏う癒しの術を展開し、視線だけをサジへと向けた。
「絶対に逃がしはしません。貴方は此処で朽ち果てるべき黒き泥濘です。乾いて塵と消えなさい」
「は、これは手厳しい!」
 ならば、と身を前に倒したサジに、律が動く。
(「律さんは冷たい印象もあるけれど、本当は親切で優しい人。時々垣間見える心の奥はとても寂しげで……。その全ての根元がこの人だったんだね……」)
 私に出来る事は、精一杯支えること。
「どうか全力で戦ってね、律さん」
 掲げる黄金の果実は前に立つケルベロス達へと、メイは回復を紡ぐ。落ちた光に、踏み込む体が軽くなる。ゴウ、と炎を纏い、律の蹴りがサジに落ちていた。一撃、受け止めたそこで伸びる手に足だけを引いた男が刀を抜く。白刃を視界に、眠堂は駆けた。
「おや、右ですか!」
「よく喋るな」
 踏み込む、一歩に気が付いたサジが身を飛ばす。だがーーそこはまだ、眠堂の間合いだ。
「遅い」
 螺旋を籠めた掌が、サジに届いた。叩き込んだ一撃に、ぐら、と忍びは身を揺らす。
「螺旋ですか」
 成る程、と低く落ちた声が、次を紡ぐより先にケイトはハンマーを振り下ろした。竜の砲撃が、空を震わせた。
「……」
 己が識る火岬と云う男は、四角四面、冷静沈着、根暗な雇用主。
(「そして、自らの弱味は決して他人に見せない」)
 肩口、伝い落ちた血を払う様にケイトは軽く腕を振るう。
「口を割らせたいなら、銃口を突っ込んで無理矢理抉じ開けるし。歪な言葉を聴くのも辛ければ、よく回るあの舌を撃ち抜き黙らせてやる」
 落ちた血を踏み越え、踏み込み。足先を濡らしてケルベロス達はサジへと一撃を叩き込む。あちらが避ければ、その分、精度上げて。先に叩き込んだ攻撃で、敵の意識はアラタと律に向いている。包囲は完成しているのだ。まず、逃しはしない。完璧には取りきれぬ距離を、間合いと理解してしまえば敵の動きに翻弄されるばかりでは無くなる。
「全体、来ます。後衛です」
 朝樹の警戒が響く。ぶわり、と生じた黒鶴の中、藤尾は地を蹴った。身を前に、跳躍に流星の煌めきを抱いてーー落ちる。
「虚実は定かならずとも、律さんはわたくしのかわいいひとのひとつ。先程から熱心に見詰合って……わたくしのものに手を出されたようで」
 ガウン、と重い一撃が、サジに落ちた。ぐん、と跳ねる様にこちらを向いた忍びに藤尾は微笑む。
「不愉快……妬いてしまいます」
 囁く様に告げて、伸びる腕に藤尾は身を横に飛ばす。開いた斜線に踏み込み来るのは律だ。
「おや、理由でもお探しですか」
「何を」
 律の声が僅か訝しむように揺れる。その事実にサジは饒舌を尽くし笑った。
「無くとも世に理不尽は溢れてる」
 敢てなら、とサジは囁く様に告げる。
「君が僕の一番旧い記憶の俺に似ていたから」
「ーー」
 根の部分は同類と嗤われ、律は嫌悪を飲む。ならば尚更――。
「何故?」
 容認出来ずとも、お前の口で語らせる悪夢を幾千重ねてきた。
 踏み込んだ間合い、突きつけた刃にだがサジは笑った。
「積上げたものが崩れた瞬間、どんな顔をするか見たかった」
 芝居めいた口調で告げるサジに、体は半ば反射で動いた。向けた一撃は、だがその時初めてーーブレた。軽く避けていったサジが律に手を伸ばす。
「!」
 攻撃では無い。ただ届くと告げるそれは鎖状の電霆を纏う勲の拳によって払われる。
「……ッく」
 ゴウ、と爆ぜた一撃に、サジの体が浮く。ざ、と足を滑らせ、跳ねる様に顔を上げた忍びを見据えながら勲は律を見た。
「よく見ろ馬鹿。あれと手前ェが同類な訳ねえだろう」
 ありゃもうとっくに壊れちまってる。
「ただの、全てを喪った亡霊だ」
「呵呵。亡霊ですか!」
「お前が何処の何方様で、どんな理不尽な生を辿ったかは知らんが。手前ェのどす黒い闇の底に、こいつを呑み込ませはしねえよ」
「戯言を」
 笑い告げるサジが、両の手を掲げた。纏う闇が勲へと向かった。避けるにはーー奴の方が早いか。真正面、一撃受け切った男の前でサジは笑う。
「は、その程度で」
「その程度はどちらだよ」
「何を……!?」
 は、とサジが横を見る。だが、抜き払われる刃の方がーー早い。
「黙れ」
 スプーキーの刃が、緩やかに弧を描く。肩口、切り裂けば、距離を飛ぶ様に地を蹴った忍びの動きがーー鈍った。
「続こう」
 告げたのは、ガイストだ。冴えた剣閃を視界に、アラタは息を吸う。瞼を閉じ、取り出した小袋に息をひと吹き。
「……だいじょうぶ、大丈夫」
 精製した白い綿毛が、夕暮れの戦場に舞った。ふわり、と勲の頬に触れれば傷が癒える。立ち上がった姿を視界に、では、と朝樹は後衛への回復を告げる。
「お任せください」
「じゃぁ、メロは前を」
 言って、メロゥは回復を前衛へと紡ぐ。ぐん、とこちらを向いたサジに、身勝手な人ね、と少女は口を開く。
「そんな理由で、律を苦しめないで。律とあなたは、同じじゃないわ。あなたと一緒にしないでちょうだいな」
 つれていかせはしない。
 覚悟ひとつ、告げる様にメロゥはサジを見据えた。
「律は、メロたちがきっと守るわ」
「できると?」
「えぇ」
 悠然と答え切った、藤尾がサジの間合いへと飛び込んだ。距離を取ろうと、忍びは身を逸らす。だが、その距離を藤尾は飛ぶ様に詰めた。手には武器を落とし、振るうは超高速の斬撃。
「!」
「存分に喋り終ったなら芸人は潔く退くのが礼儀。身の程を弁えなさい」
「何を、何を何を!」
 夕暮れ時の戦場は、剣戟と火花を散らして加速する。落ちた血を飛び越え、滲む毒を払い、時にそのままにーー行く。一撃、確かに届ける為に。
「アラタはメイや、レイリやガイストやメロゥや料理も! 沢山が好きになった」
 この先も沢山の好きに出逢う。
「未だ恩を返してないぞ。火岬」
「ーーあぁ」
 息を吸う。たん、と強く、律は地を蹴った。間合いへと、己を運ぶ為。踏み込んだ足に、残る傷が朝樹によって癒される。
「母君の仇。悪戯に奪われた命という尊厳の報い。どうぞ存分に果たして下さいませ」
 伸ばす指先が、バチ、と空を震わせた。
「黒雷か!」
 震える空気に、距離を取ろうとするサジに眠堂とケイトが続いた。
「商談は終いだ、鼠男。番頭に売った喧嘩は我等従業員が買取り、そのにやけ面めがけて叩き返してくれよう」
「止めは手前ェで刺しな」
 銃撃お耳に、勲は律へと声を投げた。
「私怨だ仇討だ何だと大義を掲げ、我武者羅に生きる日々はある意味幸せで果たした先に何もない事を俺は知っている」
 ――だが、それでも。胸の裡に燻る澱を清算しなきゃ前に進めない事も重々理解してるんだ。
「お前も俺と同じタイプの馬鹿野郎だからな」
「……」
 返す、声は無かった。ただ、踏み込みに常の鋭さは戻っていた。薄く開いた唇で律は紡ぐ。
「吉祥には釜の鳴る音牛の吼ゆるが如し」
 大地が震える。夕暮れの空から、雲が散る。
「凶しきは釜に音なし」
「……ッチ」
 サジは、身を強引に振るう。転がる様に避けようとした先、地面に手をついたそこでーー。
「是を吉備津の御釜祓といふ」
 黒雷は、落ちた。
「グ、ァアア!」
 押し寄せる黒雷が、蛇の如くサジに絡み、穿つ。バキ、と螺旋の仮面に罅が入る。反撃に、伸ばす手はーーだが、闇を纏うことはできない。破れた心の臓に巣食うは怨みへと追落す悲哀か、引き摺り落す憤怒か。
「呵呵」
 ぐらり、とサジは身を揺らす。吐息ひとつ零すように笑いーーそうして律を見た。
「あぁ……」
 やがてゆるりと弧を描く、薄く開いた唇が夕闇に解けるように誰かの名を呼びーー螺旋忍軍・只野サジは消えた。

 夕焼けが夜の空に変わる。戦いを終えた体だけが、まだ熱を残していた。
「……」
 最後に砕けた仮面も破片ひとつ残すことは無かった。駆け寄ったスプーキーと共に瓦礫の中を探しても見たがーーどうやら、何一つ残す気も無かったらしい。ほう、と息をひとつ、律は零す。その傍に、ケイトもいた。
(「仇敵を斃したとて、行場のない思いが昇華されるとは思えん」)
 ――なればこそ、傍にいよう。と。
 朝樹のヒールで、周辺の修繕も無事に終わった。商店街への報告に行った彼が戻って来れば、帰りの時だ。空には月も見えてきていた。
(「見上げる月は煌々。律さんの積年の想いを祓って、明日へと歩み出せますように」)
 男のいた場所に、足を止めていれば、先に一服していた勲が煙草を差し出す。
「奢りだ」
「どうも」
 新しい煙草に火を付ける。焼香の代わりに、白い煙が空に伸びる。
「火岬。帰ろう、アラタ達の店に」
「……えぇ」
 世は飲み込め無ぬ事ばかり。だが伴に歩む異なる足音。今はーー心地良い。

作者:秋月諒 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年11月1日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 5/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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