宵の街歌声通り

作者:崎田航輝

 通りに入れば、歌声が響いてくる。
 空に踊る旋律は夜を彩って──とろとろと揺れるガス灯の光までもが音楽に瞬き、そこを幻想空間に変えていた。
 ──あの場所へ行けばいつだって生きた音楽に出逢えるよ。
 そんな風に謳う人もある、とある街角がある。
 煉瓦造りの壁が絵画の如く美しい一本の道。いつからか街の中で、路上で音楽を奏でる者の聖地のように見なされるようになった場所だった。
 アマチュアの音楽家だけでなく、プロの歌手や嘗てここでスカウトされた者がふらりと現れて歌って帰ることもあるという音楽の宝箱。
 立ち寄れば歌声が耳を擽ってくる、そこは通称“歌声通り”。
 この夜も数人の歌い手がそこで曲を紡いでいた。
 壁と建物に反響して歌声は美しい色を得る。等間隔に立てられたガス灯は演者のシルエットを淡く照らし、一つ一つを特別のステージに変えていた。
 だから今宵も少なくない聴衆が足を止める。
 何度も訪れている者や興味を惹かれた者、心持ちは様々だが、皆が一様に奏でられる音に耳を傾けていた。
 だから人々は始め気づかない。そこに音を解さぬ異星の巨躯が現れたことに。
「歌、か? ……下らねぇ。切り合いこそ最高の娯楽、だろ?」
 そんな呟きの後に、振り下ろされた巨剣が血潮を散らせてから初めて悲鳴が響く。
 その頃にはもう、その大男は喜色と共に人々の只中にいた。
 刃が踊るたびに命は絶えゆく。ガス灯が倒れて、月明かりばかりが横たわる人々を照らしていた。

 歌の響く街角で、異星の戦士が人々の命を狩っていく。
 イマジネイター・リコレクション(レプリカントのヘリオライダー・en0255)は、その事件の概要を語り始めていた。
「異星の戦士……つまりは、エインヘリアルのことです」
 アスガルドで重罪を犯した犯罪者。
 コギトエルゴスム化の刑罰から解き放たれたその一人が送り込まれる事件だと言った。
「放っておけば人々の命が危険でしょう。そこで皆さんの力をお借りしたいんです」
 場所はとある街角の道。
 音楽が美しく響くところで、街も路上ミュージシャンを歓迎していることから日々演奏者が訪れる場所だ。
 事件の起きる今宵も、アマチュアの歌い手や聴衆が訪れるのだといった。
「ここにエインヘリアルが現れるのですが……今回は聴衆を先に避難させてしまうと、予知がずれて敵が来なくなる可能性があります」
 なので聴衆がいる状態で待ち構え、敵の出現後に避難させることになるだろう。
 尚、事前に危険を伝えるとパニックになる可能性があるので、それを行わず現場に紛れこむ方がいいという。
「普通に聴衆に紛れていてもいいですが……人々は音楽に集中しています。なのでとっさの避難がスムーズに進みにくい可能性はあるでしょう」
 一つの案として、事件時には路上ミュージシャンとして演奏しておいてもいいという。
「予め注目を集めておけば、敵が現れた時に避難の言葉を伝えやすくなるでしょう」
 今夜演奏する予定だったアマチュアミュージシャン数人だけには、既に連絡を取ってある。事件時に新たな演奏者などは現れないので、こちらが望めば、現場にいる演奏者をケルベロスだけに統一することも出来るといった。
「そうすれば避難呼びかけもスムーズに行くでしょう」
 数人で距離をおいて広域に警戒してもいいし、一箇所で警戒しても良い。どちらでも問題なく避難させられるだろう。
 無論、通常のやり方で警護をしてもいいだろう。適宜作戦を練ってください、と言った。
 避難が進めば後は戦うだけ。無論弱い敵ではないので十分な警戒を、と続けた。
「音楽と夜の時間を、ぜひ守ってくださいね」
 イマジネイターはそう言葉を贈った。


参加者
九石・纏(鉄屑人形・e00167)
シャーリィン・ウィスタリア(千夜のアルジャンナ・e02576)
ルピナス・ミラ(黒星と闇花・e07184)
兎塚・月子(蜘蛛火・e19505)
凍夜・月音(月香の歌姫・e33718)
エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)
ココ・チロル(箒星・e41772)
藤林・絹(刻死・e44099)

■リプレイ

●夜に歌う
 蒼い夜に、灯りと煉瓦の色が映える。
 美しい歌声通りへ、シャーリィン・ウィスタリア(千夜のアルジャンナ・e02576)は視線を巡らせていた。
「夜に似合う、素敵な場所ね」
 ネイビーブルーの髪に月の瞳。淡い光の中で夜色を強める宵の娘は、どこか目を惹く。
 だけでなく、そこが歌い手の立つ舞台だからこそ既に衆目も集め始めていた。
 凍夜・月音(月香の歌姫・e33718)も灯りの下に歩み入り、月色のロングを煌めかす。
「声も心地よく響くわね」
「ええ。きっとここデ、様々な音楽が生まれたのでショウ……」
 エトヴァ・ヒンメルブラウエ(フェーラーノイズ・e39731)もその横に控えつつ、魅力的な通りだ、と思った。
 だからこそ、しかと守るために。クラシックギターを携えて準備を整える。
「街並みと美男美女が、また絵になること」
 と、兎塚・月子(蜘蛛火・e19505)は感心を浮かべて見せていた。それから場を取り巻く仲間にも小声を使う。
「気ィ取られて敵ィ見逃すなや──あたいあのへんおるから」
 指したのは屋根の上。そのまま月子は高台へ上って警護の態勢をとった。
 皆も持ち場に付き準備は完了。
 月音はそこでシャーリィンとエトヴァと見合う。
「じゃ、始めましょ。普段は酒場で歌っているのだけれど……今夜は、特別よ」
 すっと息を吸い、夜に声音を乗せ始めた。
 人々が静寂になったのは歌声の美しさのせいでもあろうか。紡ぐのは落ち着いたバラード。ジャズの色も含むメロディは色香も漂わせた。
 シャーリィンはバックコーラスを乗せる。
 華美なハーモニーではなく、静けさの中で耳朶を撫ぜる、儚げで──同時に何処か危うげな唄声。
『──』
 歌を後ろから彩るだけで、歌詞はない。けれど曲に深みを加えるのは、声だけで己を表現できるだけの力があるからだろう。
 元より、唄はシャーリィンが生まれ持った能力のひとつだった。
 けれどそれは己や周囲の狂気を開放する為の術。だから唄も心も大勢の人々へ向けたことはなく──控えめに声を添えるのが、今のシャーリィンに出来ること。
 それでも魅力を増した夜曲は人々を魅了していた。エトヴァがギターのアルペジオで歌を飾れば、聴衆はその美しさに一層惹き込まれていく。

(「できれば厄介事無くこの場にいたかったな……」)
 九石・纏(鉄屑人形・e00167)は観客に紛れて警護を続けている。
 表情はあくまでマイペース、けれど三人の音楽には聴き入ってしまう魅力を感じた。
 少し離れた場所に立つ藤林・絹(刻死・e44099)もまた、ぼうっとした蒼の瞳の内奥に、音楽を楽しむきらりとした光を宿している。
(「いつぞやもストリートライブを経験しましたが──近くで聴く音はやっぱり違うものですね」)
 だからこの環境を失わせるのは惜しい。
 その心が、視線に異形の影を捉えさせた。
 それは闇夜から現れてくる巨躯の姿。
「……来ました」
 と、絹は素早く携帯で連絡する。
 アイズフォンで受けたエトヴァも、迅速。二人と視線を合わせ、月音が殺界を広げると同時に自身はフェスティバルオーラを展開した。
「……続きはあちらで行いマス、速やかに移動ヲ。ここは危険ですのデ」
 言葉を受け、人々は移動を開始する。
 僅かでも惑いや不安を見せる者があれば、シャーリィンが心を込めた声音を向けた。
「再び、この場に歌声が響くように。わたくしたちが護りましょう──ですから、怯えずに生きることを諦めず、安全な場所へ」
 月の光を纏ったその姿は文字通りの、宵の姫。美麗な見目と、言葉にも人々は背を押されてゆく。
 流れる人波へ声をかけていくのはココ・チロル(箒星・e41772)。口調は静かながら、真摯で真っ直ぐに。同時に人々への射線を塞ぐ位置にしっかりと立っていた。
「振り返らず、逃げて、ください、ね」
「今はとにかく、自分達の身の安全を考えて下さい」
 声を継ぐのはルピナス・ミラ(黒星と闇花・e07184)。隣人力を駆使して淀みない誘導を行っていた。
 道を歩む巨躯、エインヘリアルは程なく近づいてくる。
 だがその意識を引いたのは逃げる人々ではなく。月子の仕込んであった虹色に煌めく照明弾だった。
 巨躯の視線が向いたところで、次いで眩い光が差す。それもまた月子による、銀粒子によって作り上げたスポットライトの輝き。
「さて、VIPのお出ましだぜ……ちゃうか。まーなんでもええわ、“特別待遇”には変わりないねゃからな」
 すたりと着地する月子に、巨躯は目を細めていた。
「ずいぶん派手な出迎えだな。俺が欲しいのはショーじゃなくて、切り合いだぜ?」
「ならば、私達に、お付き合いいただきましょう」
 と、眼前に立ちはだかるのはココ。纏も頷いていた。
「そういうことだ。逃げてる人切るより、楽しいだろうよ」
 瞬間、纏は高速の踏み込みを見せ、拳を握り込んでいた。
 放つのは『ショックメッサー』──打突と同時に腕部からマニピュレータを伸ばし、高圧電流を流し込む一撃。
 閃光のような衝撃に一歩下がる巨躯は、笑ってみせた。
「面白ぇ。やってやる。勝つのは俺だがな!」
「……いいえ、こちらだって、負けません!」
 剣を振りかぶるエインヘリアルに、ココも低い姿勢で疾駆していた。
 平素の穏やかで優しい空気からは窺えぬほど、機敏で素早い動き。ふわ、と一房だけ色濃い前髪を風に揺らすと、ゼロ距離で一撃。拳の打撃で巨体にたたらを踏ませる。
 この間に月音はオウガ粒子を撒き、絹は紙兵を媒介にして呪詛を周囲に展開、邪を呪う力を与えて仲間を守護していた。
 ふわり、と。シャーリィンは嫋やかに翻って光の魔法矢を撃ち当てる。唸る巨躯へ、ルピナスは接近。黒の花柄の靴で跳躍していた。
「この一撃を、その身に受けて凍えなさい!」
 灯りに燦めくのは、鋭い冷気。
 氷片を纏いながら蹴り下ろした一撃は、氷嵐を生んで巨体の足元を氷に固めていく。
 着地したルピナスは柔らかな雰囲気を崩さぬままに、攻撃の手を緩めない。
「御業よ、敵を焼き払いなさい」
 星の描かれたカードを取り出して御業を解放すると、燃え盛る流星を招来。エインヘリアルを輝く炎で包み込んでいった。
 火の粉を払いながら、巨躯はそれでも笑んでいる。
「最高じゃねぇか。ここにてめぇらの血の海が広がれば、言うことねぇな……!」
「──無粋な男ね」
 こんな良い夜に、と。
 月明かりを背に高く跳んでいた月音が降下する。瞬間、月下香の薫りを漂わせながら流麗な斬撃。巨躯の首筋を斬りつけた。
「無粋と言われる心当たりは、ねぇな!」
 エインヘリアルは心外とばかりに波動を放つ。だが盾役がそれを防御してみせると、エトヴァはそっと口を開いた。
「ならバ……歌ヲ、届けまショウ。魂を震わす、響きヲ、あなたにも」
 紡ぐ歌はここではない異国の香りを感じさせるもの。半音を移行する節はどこか優しく、不思議な響きも含んで波動を消し、仲間を癒やしていく。
「路上ハ、招かれざる客にも音色を届けマス。ここハ……そういう場所なのデス」
「歌なんて……下らなねぇなッ」
 巨躯はあくまで攻撃を狙う。が、そこへ唸るエンジン音。ココのライドキャリバー、バレが横合いから巨体へ体当りしていた。
「バレ、そのまま行くよ!」
 ココの声に応えるように方向転換したバレは、連続でスピン攻撃をして敵を巻き込む。
 同時に後方へ跳んで足場となると、跳躍していたココがフットレストを蹴り上がってさらに上方へ。巨躯に直上から強烈な拳を叩き込んだ。
 エインヘリアルはふらつきながらも剣を振り回す。
 が、それが黒い揺らめきに絡め取られた。
「無駄ですよ」
 それは絹から立ち昇る呪詛そのもの。
 色濃い呪いが零れるたびに、絹の肌に刻まれた紋様が薄く熱を帯びる。それを感じながら、絹は尚濃密な呪詛を拳に固めて一撃。
 巨躯の体内へ闇の塊を打ち込み、その内奥から生命を蝕んでいく。

●剣戟
 ガス灯の火が小さく瞬く。
 それを目障りそうに見上げ、エインヘリアルは呻いていた。
「歌だとか、歌う場所だとかよ……そんなの、切り合いに比べりゃ些末なことだろ」
 剣戟こそが最高の娯楽なのだから、と。巨躯は嘯く。
 ルピナスはそっと息をついた。
「歌の素晴らしさを理解できないなんて、何とも風情の無いことですね」
「ああ。何を最高の娯楽とするかは勝手だが。それを押し付けるのは迷惑だ」
 纏が静かに言えば、絹も頷く。
「斬り合いを望むなら闘技場にでも何でもいけばいい。本来、ここはそういう場所ではないのです」
「……どこでも出来るのが、剣戟の良いところだろ?」
 巨躯は剣を支えにして立ち上がる。
 そこにあるのはただ欲望に塗れた、獣じみた表情。
 言っても無駄かと纏が目を伏せると、ココは既に地果斧──故郷の森の『さいはての樹』より鍛え上げた戦斧を携えている。
「あくまで、この素敵な夜の邪魔をなさると、言うのなら。逃しはしません、ここで、眠っていただき、ます!」
 奔る刃の一撃は痛烈。縦一閃に、巨躯の脳天を割るほどの衝撃を与える。
 そこへ月音がナイフで切り込むと、エインヘリアルは唸りながらも鍔迫り合った。
「……てめぇだって、思うだろ? こういう死戦こそ、最高だってな」
「そうね、勿論嫌いではないけれど。でも最高の娯楽には程遠いわ」
 月音は怯むでも無く言ってみせる。
「食事に遊戯。それに、男と女の関係。楽しみなんて、星の数だけあるでしょう?」
 ──女の楽しみ方を知らないのなら、抱いてあげても良いのだけれど。
 そう続けてからふと微笑んだ。
「でも生憎、音楽に理解の無い男は好みじゃないの。ごめんなさいね?」
「……馬鹿にしてくれやがる!」
 一歩下がって剣を振り上げる巨躯、だが月音はそこへ刃を翳し、闇の鏡像を映して巨体を蝕んでいく。
「さ、今のうちよ」
「では、わたくしが行かせてもらいますね」
 踏み出したのはルピナス。とん、と軽やかなステップを踏んで接近すると、手元に烈しく渦巻く螺旋の力を収束させていた。
 それを懐へ突き出して掌打。烈風に巻き込むように巨体を後退させてゆく。
 エインヘリアルも倒れず、がむしゃらに走り込み剣を振り下ろした。
 が、纏がその衝撃を抑えてみせると、エトヴァは『Ein Resonanzwort』──青空のヴィジョンを伴った声を響かせて治癒する。
 ココも『癒の策・堅忍』によって丸薬を創り出していた。
「美味しく、召し上がれ」
 優しい甘味を持つそれは傷を浄化させるように回復。
 次いでシャーリィンの傍らの小竜、ネフェライラが治癒の属性を輝かせれば纏の浅い傷は完治している。
 月子は拳を打ち鳴らし、大きく息を吸っていた。
「さて、粋も解さン輩はそろそろご退場ってモンだえ」
 吹き付けるのは地獄化した体内に由来する超高温の吐息、『是故空中』。獄炎の温度に包まれた巨躯は、苦悶の声を漏らす。
「……粋くらい、分かるさ。静かな夜に殺し合い、これが最高って事だろ……ッ」
「──きっと貴方は、識らないのだわ」
 シャーリィンは呟く。
 夜に眠る昏いもの。夜に潜む深いもの。児戯のように暴れるだけでは触れることのないものが、宵に奥には内在していると。
 だからシャーリィンは、か細い指で巨躯を絞首した。
 それは『葩喰』──土蔵篭りの瞬間的な怪力と、忌血がもたらす狂気のカタチ。
 力が骨と筋を破壊する。同時に忌血を介して敵の精神を狂気で侵す。
 エインヘリアルはそこで初めて深い夜を目の当たりにしたように恐慌に陥り暴れ出した。
 その四肢を、蛇の如く奔る黒い影が縛り上げる。
 絹の『黒縄』。呪詛によって作られた縄は、文字通りにエインヘリアル自身の呪詛となって内外からその自由を奪っていく。
「この土地自体が一つのステージであり設備なんです。欠片も、壊させはしません」
「ぐうぅ……ッ」
 巨躯は満身創痍になっても、尚剣を取ろうとあがいた。纏はそこへ躊躇わず杖を向ける。
 自分の日常と平穏さえ大丈夫なら良いと、纏は普段はそう言って憚らない。けれどそれは自分に自信がない故だとも判っている。
 赤の他人だって救えるなら救いたい。だからそこに魔力を煌めかせた。
「これで、終わりだよ」
 真っ直ぐに飛来した衝撃はエインヘリアルを貫き、跡形も残さずに散らせていった。

●歌の夜
 戦闘後、皆は通りを修復した。
 美しい景色を取り戻した道を、ココは見回す。
「これで、大丈夫、ですね」
「演奏会……続きはできそうでしょうか?」
 ルピナスが視線を遠くにやっていると、呼び戻した人々も帰ってきていた。
 絹はそれを見ながら頷く。
「折角の夜。一般の方の思い出を、怖いままで終わらせる必要はありません」
 アンコールをお願いできるならぜひとも、と言った。
 月音は頷く。
「それなら、今夜は引き続き此処で歌いましょうか」
 言って歌声を響かせ始める。人々はまたそれに聴き入り、夜の時間を過ごしていく。
 シャーリィンはそっと藍色の空を見上げる。
 夜が元の彩を取り戻したようだと思った。だから視線を下ろし、静かに歩んでいく。

 月子はすぐ側の静かな店に寄って、響く歌に耳を傾けていた。
 テーブルには深い赤の注がれたグラス。
「そいじゃ、勝利の美酒……もといブドウジュースでも呷ろうかいや」
「音楽に乾杯」
 隣の纏がグラスを合わせる。
 纏は飲めないことはないが酒はあまり強くない。けれど聞こえてくる歌に耳を傾けると、心地よく酔うのはこのような気持ちだろうかと少し思った。
 月子は杯に口をつけ、静かに笑みを作る。
「秋の夜長にただ目ェつむって耳だけ使て、ゆったりまったりってのもええもんや」

 夜にさらりと、蒼穹の髪が靡く。
 エトヴァは歌声通りに残り、ガス灯の一つの元へ歩んでいた。
 ここで多くの人が歌っていった。だから自分も歌ってから帰ろう、と思った。
 先刻はギターを握っていたエトヴァの、その歌声に人々も興味を示す。そんな視線も感じつつ、エトヴァはメロディを紡いだ。
『──』
 声は深く、温かく。宵闇に沈む空に輝く、一番星の如く──或いは蒼天に突き抜けるような透明度をもって、よく響く。
 煌めくけれど、眩さだけではない。
 包み込む感触を持った、耳を、心を惹き付ける声だった。
 曲はボサノヴァ。幾分スロー寄りのミドルテンポで、リズムを刻むコードが声を彩る。
(「……良いものですネ」)
 路上演奏は好きだ。
 響き、光、出逢い。
(「風に触れ、人の営みある場所デ、人ヲ、音楽ヲ、この星に在る事を讃う……」)
 そんな経験が出来るから。
 一瞬一瞬が、世界と触れる貴重な思い出になる。だからエトヴァは歌った。
 ボサノヴァは甘く切なくも、美しい人生と情熱を奏でゆく。
 ──俺の情熱は此処にある。
 清廉な声音が空に昇る。煉瓦と灯りと月明かり。歌を祝福する街角が、朗々と歌声を反響させていた。

作者:崎田航輝 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年10月16日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 1
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