リトレイス

作者:ふじもりみきや

 あなたが寂しいと笑ったので。……笑ったので。
 私は、この海から離れることができなかった。

 永遠に繰り返される波音。海水浴の季節はもう終わっている。
 防波堤からの灯りと、天には驚くぐらいに冷めた銀の月。
 夜に慣れた目には、その灯りでも十分だった。
「……ねえ。どうして人は、忘れることが出来ないのかしら」
 波打ち際で少女は呟く。足元の白い柴犬が不思議そうな顔で彼女を見上げていた。夜の海は寒く足を浚う波は冷たい。けれどかまわず彼女は遠く離れた海岸を見る。そこには男が立っていた。
 男の視線は遠く海の上の月を眺めている。少女は深呼吸をひとつする。いつものように犬と共に海岸を歩いて挨拶をして通り過ぎる。そのために一歩、砂を踏む。
 春の終わりごろから何十と繰り返されたその光景。同じささやかな時間。彼は毎日この海を訪れたし、少女も毎日この海岸を散歩した。
 ……正直に言って。彼女はこの名も年も知れぬ男に恋をしていた。
 そして、かわしたほんのささやかな会話の中で、男の恋人がこの海で命を落としたのも知っていた。
「私に、何か出来るのかしら。私は、どうすればいいのかしら」
 歌うように彼女は歩を進める。きっといつもと同じように、今夜もただ挨拶をして別れるのであろう。いくら呟いても何も出来ぬまま。何をしたいのかもわからぬまま。だって……、
 しかし今日は違った。不意に彼が少女のほうを向いた。見逃すはずなんてない。なぜだか急に吼える柴犬を無視する。胸が途端に早鐘を打つ。
 遠目では彼の表情は見えない。けれども何か叫んでいるのはわかった。それであんまりに犬が吼えるので彼女は振り返って……、
 その背後から、聞くはずのない馬の嘶きを聞いた、気がした。


「海は……独特のにおいがありますから」
 萩原・雪継(まなつのゆき・en0037)はそんなことを言って笑った。
「そういえば萩原は海辺の生まれだったかな」
「そう。もう殆ど覚えてないんですがねー。子供の頃は毎日母と散歩をしていたそうです」
 浅櫻・月子(朧月夜のヘリオライダー・en0036)の言葉に雪継は頷く。子供か。なんて月子も軽く笑った後で、
「子供の頃の思い出というのは、あれで案外侮れないぞ。……それは兎も角。『シーホース』という種類の屍隷兵を知っているか?」
「……いえ。名前で察するに、海の馬ですか?」
「そう。屍隷兵だからそこまで一体一体は強くないが、同時に8体ほど現れる。さほど知能があるわけではないので、周囲にいる人間を襲うだけのようだな」
「それだけ聞くと対処しやすそうな相手には見える……けれど」
 あたり。と月子はひらりと手をふる。そしてけれど、と即座に否定を入れた。
「人間を見れば即座に襲い掛かる。迎撃に失敗すると被害が出るぞ」
「知能がなく無差別である点に注意すること……かな」
「そのとおり」
 頷いて、月子は人差し指を立てた。
「海岸に一般人は二名。少女と柴犬。少しはなれたところに男がいる。どちらも波打ち際にいて、少女のほうが出現した馬たちに近いから真っ先に狙われる可能性が高い」
 男のほうも、無視は出来ないだろうが、と前置きしつつも月子は話を続ける。
「先ほども述べたように、現れるシーホースは八。統率も取れていないし、さっきも言ったとおりそれほど強くはないが数が多いので注意してほしい」
「予想外の行動を取る可能性もある……と言う事ですね?」
「うん。逃げることはないだろうけれど、無差別に攻撃するからたちが悪いな」
 とはいえそれほど苦戦もしないだろう。というのが月子の分析である。
「まあ、基本を抑えれば戦闘事態は問題ないだろう。気をつけていっておいで」
「解りました。……けれども、現場は結構夜も、遅い時間ですね。こんな時間に何をしていたんだろう……」
 一通り確認して、雪継は首を傾げる。月子はそうだな、と、少し苦笑いをした。
「恋人を海でなくした男が毎夜現れる、というのは近所では割とみな知っている話らしい。少女は犬の散歩……まあ口実だろうが……のために通りがかったのだろう」
「……ああ」
「特に何の進展もなく、月日は過ぎているようだな。とはいえもうそろそろ冬になる。もし諸君らが彼女に話が出来たなら、そろそろ、夏の夢は終わる時間だと伝えてあげてほしい」
 いくらなんでも深夜の散歩は物騒だからな。と彼女は笑った。そうですか。と雪継は苦笑する。
「きっと、彼女は時計の針を進めたくないんでしょうね」
「うん? 君にしてはロマンチックな言い方だな」
「いや、なんとなく何ですけれど……」
 きっと彼女が好きになったのは、「死んだ恋人のことを思い続ける名も知れぬ男」だったから、
 そこに名前は、必要なかったんじゃないかと雪継は言って、
「けれども……少女もその男性も、きちんと名のある人だから。……助けましょう」
 一緒に頑張ろう。よろしく。と、そういって雪継は話を終わらせた。


参加者
西条・霧華(幻想のリナリア・e00311)
深月・雨音(小熊猫・e00887)
エリオット・シャルトリュー(イカロス・e01740)
エリヤ・シャルトリュー(影は微睡む・e01913)
カペル・カネレ(山羊・e14691)
月井・未明(彼誰時・e30287)
斬崎・冬重(天眼通・e43391)

■リプレイ

●リトレイス:漣の声
 波がまるで、オルゴールの音のようだった。
 深月・雨音(小熊猫・e00887)は潮風に鼻を震わせる。暗くて、息の詰まりそうに見える海。昼間とは明らかに違う顔。
「うーにゃ、難しいことは分からないけど、水中の月……水中のりんごみたいなものかにゃ?」
 わからない。と雨音は鼻の頭にしわを寄せる。そうだよねぇ。とカペル・カネレ(山羊・e14691)は少し困ったように笑った。きっとその思いを、順序だてて説明するのは難しくて。
「でも、美しくて美味しく見えても、きっと本物のほうがいいよにゃ」
「うん、それは思うよ」
 そうだ。そういう風に、本当に普通に生きられればそれは一番いいことだろうとカペルは頷くと雨音も笑った。
「それにしても、なんで敵、馬さんなんだろう……?」
 走りながら、ぼんやりと思ったことを口に出したのはエリヤ・シャルトリュー(影は微睡む・e01913)だ。
「シーホース……タツノオトシゴだったらまだかわいげもあったのにね。どこかの神話になぞらえたのかな」
 ふんわりとした口調に思わず笑って、ロストーク・ヴィスナー(庇翼・e02023)が答えてみる。それに同じようにふんわりとエリヤは笑った。
「タツノオトシゴ。……あ、それも確かに馬さんだね。ローシャくんさすがー」
「……」
 双子の片割れと友人との会話にエリオット・シャルトリュー(イカロス・e01740)はがしがし、軽く自分の頭を掻いた。いや、勿論二人とも信頼している。仕事仲間としてきちっとやるべきことはやる人たちであることはわかっている。……だが、
「……エリオットさん。顔、顔」
「え、そんな怖い顔してたか?」
「いえ、すっごく緩んでます」
 萩原・雪継(まなつのゆき・en0037)が若干呆れたように進言をする。それであわててエリオットは自分の顔をぬぐうような仕草をした。
 とはいえそんな会話も一瞬。砂浜を駆ける些細な波音のひとつに過ぎない。
 敵と悲劇はすぐ目の前に。それは誰もがわかっていた。
「なんにせよ、物思いには佳い夜だ。割って入るのは無粋というものだろう」
 そこだ。と月井・未明(彼誰時・e30287)が杖で指し示す。海の上に馬たちが出現したのが見て取れた。それらは少女のほうへと走っていく。
「……させない」
 だからその前に、未明は杖を振る。火球を海馬たちの中に叩き込んだ。
 嘶きのような声が上がる。それが悲鳴なのか威嚇なのかは斬崎・冬重(天眼通・e43391)にはわからない。だが、
「デウスエクスによる無差別な行動は許させはしない。……絶対にだ。これより任務に入る」
 いうと共にカラフルな爆発が発生する。
「私に出来るのは新たな悲劇を生み出さない事だけです」
 眼鏡を外した西条・霧華(幻想のリナリア・e00311)が飛び込んだ。美しい虹を描く蹴りを繰り出しつつ思う。……同じだ、と。同じだからと。そこまでは口に出さずに。少女の前庇うように飛び込んで、一瞬にして己が刃を振るった。
 きっと同じで。世界には同じような悲しみが溢れていて。
 だからこそ……そんな苦しみを増やさないために、彼女は今ここにいるのだから。

●リトレイス:海より来るもの
 波の音が聞こえている。まるで人を呼ぶように。
 危ない、と彼が言った気がした。……彼から、声をかけてもらうのは初めてだった。だからそれが嬉しくて。……けれど、その言葉を理解して思わず振り返った。
 影が目の前まで迫って来ている。危険な何かだということは即座に理解して。思わず悲鳴を上げる。……その瞬間、
 炎が目の前で弾け上がった。
「下がってください!」
 霧華が少女の前へと駆け込む。間一髪のところで蹄の一撃を斬霊刀で弾き飛ばした。
「へんしん! ぼくたちはケルベロス! そこはあぶないよ、こっちへ!」
 カペルもまたスタイリッシュモードでスタイリッシュに大変身して飛び込んだ。少女の視界から馬を隠すように立つと、
「だいじょうぶ。おばけはぼくたちがやっつけるよ。だから、ね?」
「……っ。あ、あの……!」
 わんこを抱いてカペルは手を引く。少女は戸惑うように声を上げたが、しばらくして事態を飲み込んだようだった。
「貴方も、ひとまずはこちらへ。大丈夫です」
 雪継も男性に声をかけると、男性のほうも頷いた。じりじりと離れる二人と一匹。わんこが吼えて興奮したように馬も嘶いた。いっせいに馬たちが同じ方向を向く。
「いや、なんというか……シュールだな」
 いっせいに突撃してくる馬たちに思わず冬重が呟く。投げる名刺を用意する。うっかり自分以外の名刺が混ざってしまうのはご愛嬌だが、ひとまずは気にしない。ボクスドラゴンのマグナスも回復準備だ。
 目のあたりに刺さって暴れるように前足を上げる馬に、ロストークが一歩前に出た。
「あ……っ!」
「大丈夫、止めてみせるから」
 それに気付いて少女が声を上げたが、すかさずロストークは応えて巨大な戦斧を振るう。その足を叩き切るようにして止めると、
「ああ。大丈夫だ、ここで止める。任せろ!」
 エリオットも鉄塊剣でその突進を受け止めた。目の前の壁に馬たちはいらだたしげに鼻息を荒らげる。
「はーい。ありがとう。お任せするねー」
 しかしまったく動じずエリヤはのんびりとした返答を。任せろというからには疑いなく任せてしまうつもりで怖くもなんともなくて、
「《我が邪眼》《閃光の蜂》《其等の棘で影を穿て》」
 自らの眼に浮かぶ蝶の姿をした魔術式と、自らの黒いローブに織り込まれた無数の魔術回路の一部。 そして自分の影の一部を蜂のような鋭い針を携えた異形蝶の群体に変化させた。
 いっせいに蝶が射出され足を止めさせる。続くように未明が砲撃形態に変化させたドラゴニックハンマーで、同じ馬の胴を打ちぬいた。
「一つ一つはそう強くないか……。いけるな。梅太郎も頼んだぞ」
 未明の言葉がトドメになったかのように、馬は傷口から砂のように霧散していく。ウイングキャットの梅太郎も任せろー。とばかりに一生懸命羽ばたいていく。
「そーだにゃ! このまま元気いっぱい、押し切るにゃー!」
 任せろ、とばかりに雨音も爪を鳴らす。本能がままに噛み砕きに行きたいのを若干堪えて天空より無数の刀剣を召喚した。
「くらうにゃー!」
 放つ。その頃には敵の状態も判明してきていた。
 倒された敵を含めて攻撃一辺倒の前列が四、中ほどに一。そして一呼吸遅れて後ろのほうからやってくる奴らはというと……、
 後方にいてた三匹の馬たちの口が開いた。嘶きかと思われたが……違う。口から赤いちらちらとしたものが見えて、
「……火、か……!」
 ロストークがさらに一歩友人を気遣うように前に出る。
「прикорм――さあ、こっちだ。僕はここだよ」
 万が一のこともあるとロストークがヒールドローンで後方を攻撃させる。ロストークのボクスドラゴンのプラーミァも同じくブレスを吐いた。それと同時に馬のほうも炎の息が一気に放たれた。
「大丈夫だ、いけるっ」
 エリオットもためらわずにエリヤの前に出て炎を払うように体で受け止める。エリヤは何か言おうと口を開きかけて……きゅっと唇を引き結んでやめた。
「ありがとう、にいさん。……なるだけ早く、終わらせようね」
「ああ……!」
 時空を凍結させる弾丸をエリヤは放つ。それにあわせるようにエリオットも鉄塊剣を同じ敵へと振り下ろした。
「大丈夫だ。この調子なら……」
 冬重が薬液の雨を降らせる。隣で冬重のボクスドラゴン、マグナスもまた属性インストールで回復を補った。
 敵の大体の位置取り、役割は割れた。攻撃方法も突進か、蹄での蹴り。そして火球の三つとなるだろう。回復も間に合いそうだという算段が立つ。……勝てる。
「はい。このまま順調に積み重ねれば、勝てます」
 霧華もまた同じことを考えて、斬霊刀の塚に手をかけた。抜いたと思ったのは一瞬で、その一瞬の間にどうと馬の巨体を切り伏せる。霧散するそれに構うことなく、視線を巡らせると、駆け込んでくる馬の突進を跳ね飛ばそうと地を蹴っていた。
「ありがとー。まかせたにゃ!」
 自分に向かってくる馬に構わず、雨音もまた爪を滑らせる。獣化した巨大な一撃に馬の体が半分に裂けた。……だが、まだ倒しきるにはいたらない。砂のような血を撒き散らしながら、馬はさらに前へ進もうとする。
「にゃにゃんと……!」
「心配ない……!」
 あとちょっと。惜しい! なんて声が思わず雨音から上がり、未明が前に出る。理力を籠めた星型のオーラと共に、敵の体を蹴り砕く。
「ただいまー。大丈夫、援護するよ」
 今度こそ馬が霧散する。そこにカペルが帰ってきた。ケルベロスチェインが味方を守護する魔方陣を描き出す。オルトロスのステラも戦闘に加わった。
 カペルは先ほどのことを思い出す。
『すぐに終わらせるから……おねえさんのこと、まもってあげてほしいの。待ってて!』
 そう、避難させたときに男性にいうと、男性もしっかり頷いていた。あの場所なら大丈夫だろう。……むしろ恋も何もなさそうだけれど。
「すみません、遅くなりました」
「ううん、みんな大丈夫にゃー?」
「はい、勿論」
 雪継もまた、幻惑をもたらす桜吹雪と共に前方の馬たちを斬りつける。
 仲間たちが倒され、馬たちが何かを感じているのかは解らない。ただ嘶いて退くことなくその歩を進めてくる。強くないとはいえ数は多い。……まだまだこれからだ。

●リトレイス:波に消される
 銃弾がばら撒かれる。雪継の掃射と合わせるように、カペルが手札を切った。
「太陽の王、我等を頂へと導かん!」
 吠え猛る二対の獅子。跪拝せよ、王に背く事叶わず。カペルの攻撃と共にステラが口に咥えた神器の剣で馬の首を刎ねる。
 ざらっと砂のように崩れて消えていく馬に、カペルは声を上げた。
「こっち、倒せたよ~」
「解りました。では後二体。いけますね」
 カペルの言葉に霧華が応える。吐き出された炎を体で受け止め目を眇める。
「うん。じゃあやっちゃおうか、リョーシャ、エーリャ」
「ああ。……エリヤ!」
 ロストークが凍気を纏うた戦斧を振り下ろした。それを潜り抜けようとする馬のすぐ傍で、
「蝕炎の地獄鳥よ、邪なる風となり敵を焼け」
 地獄の炎を足に纏わせエリオットは大地を蹴る。それと同時に鮮やかな煉瓦色の炎で構成された怪鳥は、炎を羽ばたかせて馬の傷口に激突した。
 闇夜にひときわ明るい光が輝く。エリヤはそれを見逃さなかった。
「うん、わかった、にいさん」
 一言。言うや否や触れたもの全てを消滅させる、不可視の「虚無球体」を放つ。それはエリオットとロストークの間を縫うようにしてぶつかった。燃え上がる炎すらも飲み込むように、それは馬を飲み込んで、消失する。
「んー。できたできた」
 にこっと二人の兄さんたちに笑顔を向けるエリヤ。
「んじゃ、後はこいつだけだな。……念のためだ」
 冬重が霧華の傷口を縫い上げる。最後まで気は抜かない、丁寧な仕事ぶりを待って、霧華も一歩踏み出す。
「ありがとうございます。……皆さんと、仕留めます」
「ああ。行って来い……!」
 その言葉を受けて、霧華は前に出た。最後の一匹が突進してくる。それを刀で受け止める。勢いは殺しきれずに体に衝撃が来る、けれど、
「お願いします……!」
 その体を受け止めながら足止めするかのように、霧華は刀で切り返す。雨音と未明が顔を見合わせる。
「まかせるにゃー!」
「ああ。ここで終わりだ……!」
 言いながら、未明は手を開いた。手の中に握られていたもの。花氷一片。空色薄翅三枚。喜雨砂一握り。薄花晶の透部を五つ。綿蜜適量。水合に溶いて氷室に一晩。保存の際は丸い硝子壜に薄花晶の余りを敷き、持ち運ぶ時間に応じて花氷の追加を。
 蓋を開ければ烟る彼我。霞がかった大気の向こうがわ。気付いたときには……、
「もう遅い」
 きみの目には、なにがうつる。淡々とした声と共に一瞬、周囲は静寂に包まれる。そしてそれを破るように、
「さくさく・くろー・すらっしゅ!」
 叫び声と共に獣の爪が閃いた。長いつめのすばやい引っかき傷は無数で。雨音の爪は最後に残った海馬を引き裂く。傷口からその体が崩れ落ちる。
 砂に紛れるともはやその形は残らない。まるで一瞬の幻のように、海から来たものは再び海の中に消え、塵となって砂の中に沈んでいった……。

●リトレイス:君を呼ぶ声
 そして波の音が戻った。
 否、世界は変わらずそこにあった。波も月も変わらずあった。……のだ、けれど。
 少女も、わんこも、男性も無事である。ありがとうと、お礼があって。そして、
「あの……」
 口を開いたのはロストークだった。声をかけられて、男は何か? と首を傾げる。こんな時間に海に来るなんて、などと一通りの前置きをした後で、
「ちゃんと眠れているかい? ……くれぐれも、足元には気を付けて」
 心配だったから。違う事件だけれども、似たような境遇に陥った人をロストークは知っている。だから思わず、そんな言葉を言ってしまった。
 ロストークは左掌の矢傷痕を静かに握りこむ。その、違う事件でついた傷だ。相手の答えはわかりきっていたけれど。
「……ありがとう。でも、大丈夫」
 もう少しだけこうしていたいのだと、男は言った。果てのないもう少しだけ。まるで永遠へ続くかのような言葉。
 少しはなれたところでそれを聞いて、ぽつんと霧華が呟いた。
「去年見てし、秋の月夜は照らせれど……」
 古いうただ。万葉集の。亡き妻を思ううた。恋しいといううただ。
「過去に想いを馳せて立ち止まる。それはきっと、誰もが同じなのでしょうね……」
 だから。と、霧華は小さく呟く。自分にも、それが悪だと言うことは出来ないと。
 だって……、
「ううー。でも。……でも」
 そんな、彼らの様子に。少しはなれたところで少女と共にいた雨音は言いかけて、黙る。そんなことをいっていいのかと。悩むように、苦しむように。
「はかないものを憧れるのはうーん、分からなくもないけど、やっぱり人は夢だけではダメかにゃ……」
 雨音は恋には疎くて。どう声をかけていいのかわからなくて。ただ、このままではよくないと。その思いだけは強かった。
「と、とりあえず、りんご食べるにゃ? 一緒に食べるといいにゃ」
 彼女が恋を進めるにせよ、諦めるにせよ。彼がそれに頷くにせよ、頷かないにせよ。
 こんな、ただ何度も何度も繰り返すだけの夜は……。
 戸惑うような少女の顔に、未明は一呼吸つく。
「……」
 口に出しはしないけれど、自分も恋した『彼』を見失ったまま生きている。だから時間を先に進めたくない気持ちも判る、けれど。
「……死は永遠だ。でも、先を変えられるのは、いま生きているひとだけだよ」
 軽く少女の背を押すように、未明は言った。
 望んでいても、いなくても。きっと決断しなきゃいけない日が来るからと。
 歩き出す少女の背中に、未明はそっと呟く。おれは止まったままで良い、と。
「どっちにせよ……若いな」
 冬重がぽつんと呟く。どれが正義かなんてわかる話ではないのだけれど、自分の娘より少し年上、な少女の姿は思うことがないわけでもなくて。
「こういうとき、大人は見守るしかないのだろうか……」
「……」
 雪継は返事をしない。ただ静かに遠くの二人を見つめている。
「どう進むか、終わるかはお二人さん次第。だがね、そこに居ただけで命を奪われる終わりは違うだろうがよ」
 なんとなくエリオットは言う。男性と会話をしているロストークに目をやると、ロストークも気付いたようにこちらの顔を見た。少女が男性のほうに来ることに気付いて、ロストークが入れ替わるようにこちらに歩いてくるのをなんとなくおかしげに見やる。
「不意の終わりの道でなく、良い道行を照らさねばな」
「……うん」
 エリオットの言葉に、エリヤも小さく頷く。
「考える時間、思い出に向き合う時間は、もうちょっと必要だとおもう。……でも、死んじゃったらそんな時間もない」
 だから助けた。助けることが出来た。
 だからこそ、このまま……。
「海辺に思い出があっても、会いたいひとがいても。海にひきこまれておしまいはだめ……」
 これからも。前を向いて歩いてほしいなんて。とても最後まで口に出してはいえないけれど。エリヤがそう思って月に視線を向けると、エリオットも軽くその頭を撫でた。
「……さ、行こうか。これ以上は野暮になるから」
 戻ってきたロストークが笑う。問うようなエリアの視線に、大丈夫だと思うけれど、と、優しく微笑むと、エリヤもそう、と小さく頷いた。
 波の音がしている。カペルはぼんやりと海に浮かぶ月を見つめる。
 いつの日のことだっただろう。
(「彼女も、海が好きだった……」)
 あのひとも。お師匠さまも同じ目をしていた……。
(「ぼくは、もう知っている」)
 その言葉の意味を。誰に向けられたものかを。
 答えはくれなかったけれども、今ならきっと、わかるから。
「知ることはこわいこと。でも、痛みに寄り添うことはできるから……」
 カペルはそっと少女の背中を見やる。男性に向かって話しかけている彼女を見守る。
「ね、おねえさん。ぼくも、がんばってる最中なんだ……」
 だから、どのような結果になったとしても、どうか……。
 祈りに答えはない。ただ波の音が周囲に響いていた……。

作者:ふじもりみきや 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年10月14日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 4
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