●ダモクレスの影
伊豆諸島沖。
停泊中の地球深部探査船『ちきゅう』の船内にて。
「わかりました。ご協力に感謝いたします……それにしても、海底熱水鉱床に着目したのは正解でしたね」
フローネ・グラネット(紫水晶の盾・e09983)が船員からの報告に頷いてそう言うと、ウォーレン・ホリィウッド(ホーリーロック・e00813)も、普段のおっとりとした口調のまま導き出された結論を口にした。
「そうだね。数年前の資料と比べてみると、明らかに資源量が激減している……ということは、資源採掘基地が存在する可能性がとても高いと考えて良さそう、かな」
「けれども、これ以上近づけばこの探査船がダモクレスに攻撃される危険性も高くなります。探査船での調査はこのあたりで打ち切るのが得策かと思います」
同乗しているレクシア・クーン(咲き誇る姫紫君子蘭・e00448)がそう提案し、紗神・炯介(白き獣・e09948)が皆の顔を見回してから口を開いた。
「あとはケルベロスの仕事、ということだな」
●強行調査作戦!
「海底基地破壊作戦の後も、大勢のケルベロスたちが調査を続行してくれてたんだ。その成果が出そうだよ」
ヘリオライダーの安齋・光弦が集まったケルベロスたちにそう告げた。
「ウォーレンさん、フローネさんたちのチームから、かなり有力な情報が届いてるんだ。彼らは海洋研究開発機構の協力のもとで、地球深部探査船『ちきゅう』に乗り込んで調査活動をさせて貰ってた。具体的には、海底熱水鉱床に着目して探査活動を行ってたんだよね」
海底熱水鉱とは、熱に融け易い金属の含まれた溶液の湧く、言わば海底の鉱山である。
「で、彼らは最終的に、伊豆諸島海底部の海底熱水鉱床に大規模なダモクレスの資源採掘基地『クロム・レック・ファクトリア』が存在する可能性が高い、という報告を上げてくれた」
ダモクレスが資源を採掘し、それにより戦力増強をはかっている可能性を示唆する調査結果だ。より具体的な調査が出来れば、ダモクレスとの戦いがかなり有利になる。
ただし、これ以上は探査船の乗組員を巻き込むわけにはいかない。ケルベロスによる強行調査が必要な状況である。
「深海、しかもダモクレスの基地に赴く、かなり危険な調査だけど……成功すれば成果は大きい。是非やりとげて欲しい」
いつになく真剣な顔で光弦が言う。
「それでね。現時点では残念ながらまだダモクレスの基地の存在するかもしれない地域は絞り込めていない。かなり広大な範囲だと言わざると得ないんだ。深海という探索に不向きな場所である事もあって、基地の発見はかなり難しいと思われる……けど」
ここからが、ケルベロスにしか出来ない強行調査だ、と光弦は身を乗り出した。
「ダモクレス側は、ケルベロスが基地に接近してきたことを察知すれば迎撃の戦力を送り出してくるはずだ。それを利用すれば、資源採掘基地の所在を割り出す事は可能だと思われる」
もちろん、一番良いのはダモクレスに発見されずに、敵の基地の位置や規模などを把握できることだ。しかし広大な範囲の探索ゆえに、慎重になりすぎれば何も発見出来ずに終わってしまうことも考えられる。
「君たちには体を張ってもらうことになっちゃうけど、最低限、敵の迎撃部隊を引きずり出して確認してから撤退する事が出来れば、資源基地に対する攻略の確実な足掛かりになるはずだ。調査のやり方は様々あるから、よく話し合って選んで欲しい」
大きな一歩を踏み出す為の危険な任務。方針を話し合い、団結してこそ成功を得られるだろう。
「君たちの接近を派手にアピールして、敵の防衛部隊を呼び寄せるのはまず確実な一つの手だ。敵拠点に近づきすぎずに逆に誘き寄せるようにすれば、ある程度の敵の位置や戦力は把握できるだろうし、比較的安全に撤退ができるからね……一方で、敵の基地に近づけば近づくほど、基地の正確な位置とか戦力規模とか、基地攻略に有益な重要情報を得ることが出来る。もちろん見つからずに敵の基地に接近するには相応の工夫が必要になるし、当たり前だけど基地に近い場所で敵に発見されたときの撤退は困難になる。目標を定めて、それに合わせて作戦を立てて動いてね。頼んだよ、ケルベロス!」
●スミスリフトより、北へ
(「……では、手筈通りに」)
(「ええ。そちらも充分お気をつけて」)
アリッサム・ウォーレス (花獄の巫竜・e36664)のハンドサインに同じく視線と手の動きでそう返し、レクシア・クーン(咲き誇る姫紫君子蘭・e00448)がふわりと泳ぎ出す。彼女と共に動き出した五人のケルベロスもまた、油断なく、けれど探索行動を行っているという事実自体はまるで隠すことなく進み始めた。
(「さて、向こうはどう出てくるか」)
敢えて探索していることを隠さないという行動方針は、即ち探索される側にとっては確実なプレッシャーとなる。相手とて拠点を隠し通すために隠密を最重視して動いてくるだろうが――さて。暗い水底に目を光らせつつ、レスター・ヴェルナッザ(凪の狂閃・e11206)は思案するようにひとつ息を吐き出した。
事前に伊豆諸島海底部の鉱床や地下資源の分布地図を確認し、ファクトリアの存在する可能性が高い地域を絞り込んでいたこともあり、ケルベロス達はさほどの迷いもなく進んでいく。北へ、北へ。さらに北へ。目ぼしいものがないこと、また敵の気配がないことを都度確認し合いつつ、彼らは泳ぎ続けていたが、やがて。
(「ストップ」)
後続に向けて『止まれ』のハンドサインを出し、七種・徹也(玉鋼・e09487)が右手側を示す。素早く愛用の武器に手を伸ばしたレッドレーク・レッドレッド(赤熊手・e04650)が、ゴーグルの下の目を見開いた。
(「団体さんか。数は三、四……五体」)
彼の立てた指の数に頷き、近付く敵を見据えたフローネ・グラネット(紫水晶の盾・e09983)が、ふと何かに気付いたように目を凝らした。あの機体のデザインは、まさか――。
(「ディザスター軍団!?」)
まっすぐに切り込んで来ようとする薄紅色の影がふたつ。その後ろに続き、砲口をこちらに向け続ける緑色の影もふたつ。そして、深海の暗さに紛れて視認しづらいが、彼らの指揮を執っていると思しき漆黒の機体も確かに。その姿は、フローネ、そしてケルベロス達がかつてまみえたダモクレス部隊『ディザスター軍団』のそれと非常によく似通っていた。
(「……来ますわ!」)
赤松・アンジェラ(黄翼魔術師・e58478)を、そして共に陽動に動いたケルベロス達を守るように、シャーマンズゴーストの『バッドボーイ』が薄紅のダモクレスの眼前へ泳ぎ出る。ほぼ同時に、ダモクレス達の武装もまた唸りを上げた。
●海底に隠されしもの
水中戦のはじまりを、隠密担当のふたりのケルベロス、アリッサムとアリス・ティアラハート(ケルベロスの国のアリス・e00426)はやや後方から確かめていた。先に相方のほうへちらりと目をやったのは、アリッサム。
(「……見ましたか。今の敵部隊の移動ルート」)
(「はい……陽動班の皆さんを、大きく迂回しておられましたように、見えました……」)
それはつまり、彼らが出撃してきた拠点とは反対方向からケルベロスに襲撃を仕掛けたということだ。その意味を、ふたりはすぐに理解する。
(「もしも皆さんと全員で探索に向かっていれば、例えこの戦いに勝利しましても……」)
(「敵の襲撃方向から拠点の位置を類推……いえ、誤認して、そちらに向けて探索を続けてしまっていたかも知れませんね。そうなれば、まさしくあちらの思うつぼでした」)
もっとも陽動班と隠密班を分けて探索を行うというケルベロス側の作戦により、その思惑は破られた。ファインプレーに幾分胸を熱くしつつ、けれど動きはあくまで慎重に、アリッサムとアリスはダモクレス達が陽動班を襲ったのとは逆の方角へと泳ぎ出す。
その後しばらくは、陽動班がダモクレスとの交戦を開始するまでとそう変わらない景色が続いた。
だが、やがて前方の海底に大きな亀裂が走っていることに気付いたアリスが、そちらに向けて指をさす。ひとつ頷き、アリッサムもまた、そちらに向けてフィンを打った。そして、ふたりはもう一度顔を見合わせ、同時に亀裂の底を覗き込む。瞬間、アリスははっと目を丸くした。
(「あれは……まさか、巨大拠点がふたつ……!?」)
(「片方は資源採掘基地で間違いないでしょう。もうひとつは……形状から考えると、魔空回廊に近い性質がある……のでしょうか?」)
一対の腕、そして無数の電極。どこか禍々しさを感じさせる機構を備えた、巨大な歯車にも似た円形の巨大拠点を睨むように、或いはもっとそちらをよく見ようとするように紫色の瞳を細めて、アリッサムはそう考察する。
(「恐らくですが、先日破壊した海底基地が元々地上との中継拠点だったのでしょう。それがなくなったことで、派遣されてきたものですか……」)
(「資源採掘基地だけでなく、あの特殊拠点も撃破することができれば……私達がダモクレスさんに与えられる打撃は、致命的なものに……!」)
ぐっと拳を握ったアリスだったが、ふとその手に違和感を覚え、視線を動かす。特に何があるわけでもない。ただ、興奮のためと言うには妙に熱を感じすぎる。ここが熱水鉱床だということを差し引いても、だ。
(「あ……基地に近づけば近づくほど、お水が熱くなってます……?」)
隣を見る。あの場所に何かあるのだろうかとでも言うように首を傾げたアリッサムが、次の瞬間警告するように竜尾をしならせた。
(「いえ、違います! これは……私達が通ってきた海も含めて、どんどん海水温が高くなっているんです!」)
本能的に危機を覚え、ふたりは一瞬で上方へと羽ばたくように泳ぎ逃げる。けれどその回避行動すら嘲笑うかのように巨大な何かが、瞬間ふたりの身体を捕らえていた。
「ぐ……っ」
「これ、は……!」
自分たちを掴み取り、今にも握り潰そうとしてくる力に必死に抗いながら、アリッサムとアリスは敵の姿を確かに目にする。それは炎と歯車に包まれた、あまりにも巨大な右手のかたちをしていた。
手型ダモクレスの指が開き、ふたりの肉体が辛うじて自由を取り戻す。だがそれは、逃走のチャンスを得たとは言い難かった。その証拠に、機械仕掛けの指が取っているのはどこからどう見ても攻撃の予備動作だ。ケルベロスとしての眼力が、それをかわして逃げに出るのは限りなく困難だと非情にも告げている。
到底ふたりで相手取れるような敵ではない。さりとてあの手がそう簡単にこちらの逃走を許してくれるとも思えない。頬を強張らせつつなおも身構えるふたりに向けて、巨大な手のダモクレスは五指を動かし、威圧するように歯車を鳴らした。
『アソコデ戦ッテイル六体ノケルベロスハ捨テ駒デアリ、本命ハオ前達二体。ディザスター・キングノ目ハ誤魔化セテモ、五大巧ニハ通ジヌノダ』
「……!」
言うなり海中とは思えぬ速度で迫ってきた一撃が、今やふたりの眼前まで迫っていた。
●攻勢機巧
ほぼ同時刻。
「これで……最後ですっ!」
フローネの叩きつけた拳が、黒いダモクレスの胸部にあった石を叩き砕く。コマンダー、と敵の間で呼称されていたその機体は、死に抗うかのように武器を持ち上げ、フローネの額に向けようと二、三度腕を震わせたが、やがてその動きすらも完全に停止した。最後の敵が海底に沈んだのを確認して、レッドレークが赤熊手を肩に担ぎ上げる。
(「こいつらが襲ってきた方向に、奴らがいる……のか?」)
同じことを考えかけたのだろうレクシアがそちらへ視線を巡らせかけ、はたと振り返る。今、確かに反対側の海底が明るくなった。ケミカルライトで出せる光量ではない。ならば、この光は。
(「……グラビティ!」)
(「隠密班のふたりが危険ですわ!」)
徹也とアンジェラが顔を見合わせ、一瞬で導き出したその答えを確かめ合う。その時間すら惜しいと言うかのように、レスターが、レクシアが、全速力で泳ぎ出す。
(「……間に合え!」)
参加者 | |
---|---|
アリス・ティアラハート(ケルベロスの国のアリス・e00426) |
レクシア・クーン(咲き誇る姫紫君子蘭・e00448) |
レッドレーク・レッドレッド(赤熊手・e04650) |
七種・徹也(玉鋼・e09487) |
フローネ・グラネット(紫水晶の盾・e09983) |
レスター・ヴェルナッザ(凪の狂閃・e11206) |
アリッサム・ウォーレス(花獄の巫竜・e36664) |
赤松・アンジェラ(黄翼魔術師・e58478) |
●『攻勢機巧』日輪
熱い。
海の中、それも深海の底という本来なら冷たいはずの場所で、身を焼かれるほどの熱さに包まれるなんて。アリス・ティアラハート(ケルベロスの国のアリス・e00426)の思考は一瞬ひどく静かになった。五感が全てバラバラにしか作用していない感覚。しかしそれも秒すらない間のことだった。アリッサム・ウォーレス(花獄の巫竜・e36664)が目の前で吹き飛ばされる様が視界に入ったと同時、アリスはやっと、自分もまた巨大な手の打撃で弾き飛ばされたのだということを認識する。
ゴォッ、と突然耳元に轟音が流れ込み、止まっていた世界が動き出す。
(「……アリッサムさん!」)
対流に巻き込まれながら、必死に伸ばした手と手がしっかりと繋がれる。互いの青と紫の瞳を瞬時に覗き合い、無事を確かめる。大丈夫、危険は想定の上だ。防護は固めてきている。
皆が来てくれるまで持ちこたえればいい。ふたりの目に絶望の色はなかった。
まずはアリスが手傷を回復すべくゴボリと気泡とともに裂帛の叫びを吐き出した。
(「ここは……何としても、持ちこたえなきゃです!」)
(「ええ、必ず……皆さんと帰りましょう」)
ズキリと痛む腹部を抑えてアリッサムも地獄の炎で全身を覆う。それにしても、一撃でこの威力とは。だがここで朽ちる訳にはいかない。暗い海の中を照らすのはケルベロスの魂の輝きのみ。
(「……私たちは、負けない!」)
グラビティの目映い輝きは、仲間たちに届いただろうか。考える間もなく、巨大な手は次の攻撃に打って出る。
『仲間ヲ待ツ心算カ。デハ、果タシテドコマデ耐エキレルカ、実験シテヤロウ……』
相変わらず海水温は上昇し続けている。それが眼前の敵の発する熱によるものだということは疑いようもない。不安の波が瞬きをするごとに押し寄せる。
『食ラエ』
続いての砲撃が水中をうねり、爆炎の弾丸がアリスめがけて炸裂した。
このままアリスとアリッサムを逃がさずいれば、他の六人も自然こちらへ戻ってくる。そう察した敵はじわじわとふたりを追い詰めていく。
そこへ。
ドゥッ、と水の中に振動が走る。
(「間に合った!」)
レッドレーク・レッドレッド(赤熊手・e04650)とレクシア・クーン(咲き誇る姫紫君子蘭・e00448)がほぼ同時に放った砲撃が、敵の眼前で炸裂した。しかし歯車がその軋みを止めることはなく、いよいよもってその焔は燃え盛る。先からの攻撃により海中には不規則なうねりが発生しているが、その圧を裂くようにして六人のケルベロスたち、そしてライドキャリバーのたたら吹き、シャーマンズゴーストのバッドボーイが救援に駆けつける。
『……ネズミガ、漸ク到着カ』
フローネ・グラネット(紫水晶の盾・e09983)が遠距離から大型キャノンの狙いを定め、二門から同時に放たれた黄昏色のビームは深海をかき混ぜる。
(「おふたりとも、ご無事で」)
フローネの眼差しに、双眸を細めさえしてアリスとアリッサムは応じる。
(「皆さん……来て下さったんですね……!)
(「……いかんな」)
レスター・ヴェルナッザ(凪の狂閃・e11206)がアリッサムの傍に走りこみ、シールドを張り巡らせた。無事とはいえ、ふたりの傷は決して浅いとは言えない。七種・徹也(玉鋼・e09487)もまた同じことを感じて頷き、アリスに気を送る。
(「連戦になるが……頼んだぞ」)
徹也の意思を受け、たたら吹きは猛然と接敵する。先までの戦いとて決して容易なものではなく、そして眼前の敵は得体の知れぬ殺気を放ち続けている。
(「大きな手ですが、捕まるわけには参りませんわ! 逆に釘付けにして差し上げます……」)
赤松・アンジェラ(黄翼魔術師・e58478)が舞う如き動きで両手を広げ、オウガ粒子が海の泡の如くケルベロスたちを包み込む。その輝きの奥で、巨大な右手はケルベロスたちを睥睨し、やがて邪悪な機械音声がその場に響きだした。
『我ガ名ハ『攻勢機巧』日輪……『五大巧』ガ拠点『バックヤード』ノ守護者』
(「『バックヤード』……この特殊拠点とは別に?」)
襲撃に遮られた思考を再び繋ごうとアリッサムが眉根を微かに寄せた。
(「この巨大な手はバックヤードの守備機、そして『五大巧』とは、そこを治める者、ということでしょうか……」)
(「……」)
敵の姿を見据えながら遠い記憶の断片、ほんの砂の一欠片が耳の奥に挟まるような感覚をレッドレークは覚えていた。
ケルベロスたちの思索を遮るように海が揺れる。
『『バックヤード』ノ機密、貴様ラ諸共ココデ握リ潰シテクレヨウ!』
●温かい水
恐るべき速度で接近した、右手こと『攻勢機巧』日輪が、歯車の軋みとともに激しく撓い、その指でケルベロスたちを水圧の壁に叩きつけるように掻いた。
(『ぐッ……ぅ!』)
まともに食らったレッドレークが歯を食いしばる。アンジェラがその対流に巻き込まれた瞬間、徹也が体ごと飛び込みその熱から彼女の体を引きずり出した。
(「くそ、届かなかった、か……」)
片手にアンジェラを抱きかかえたまま左腕を伸ばしたものの、徹也の目の前でバッドボーイは消滅してしまう。口惜しげな徹也の胸元に、アンジェラがそっと手を置いて謝意を伝える。
間一髪その攻撃を避けたレクシアが、極力冷静に戦況を見極めようと努める。
(『まともに戦えば勝てない……無理に撃破を狙うよりは』)
ここにきてレクシアはバイオガスを使うには敵との距離が近すぎることを覚る。既に戦場にある敵に対しての煙幕としての役目は果たされない。
(「……使ったところで」)
遮蔽物の何もない深海でガスをばら撒けばそれこそ敵増援に対してご親切にもここにいます、と宣伝しているようなものだ。瞬時に判断し、レクシアはそのまま流れるように攻撃動作へと移る。撃破は狙わなくていい、攻撃を重ねて敵が隙を見せるのを待ち、撤退。
(「流れは変わりません、参ります!」)
(『情報を持ち帰らないことには、元も子もないからな!』)
レクシアが蒼い燐光を放つ翼で水を掻き、流星の如く日輪へ蹴り込むのに、体勢を立て直してレッドレークが並ぶ。二人が軌跡を描いて衝撃を与えた、そこへ。
(「解放せよ、サファイア・グレイブ―――雷の如く!」)
フローネが蒼玉色の槍を構えればその穂先には紫電が宿り、振るったそこからは蒼を纏って嵐の如く荒ぶる閃光が迸り、日輪の歯車へと絡みつく。
(「動きは速いですが……着実に当てていけば!」)
必ず好機は訪れる。そう信じたフローネが凛として仲間の顔を見渡した。アリスがコクリと頷いてケルベロスチェインを生き物のように操った。
(「こうして皆で攻撃を重ねれば……『攻勢機巧』さんがいくら強敵でもきっと!」)
既にディザスター軍団三基との戦闘を終えてここに来ているケルベロスたちの判断は冷静だった。深追いはせず、今の時点で得た情報すべてを全員揃って確実に持ち帰る。慎重に安全に事を運ぼうというのが共通認識。
(「可憐な青は、幸福の兆し……」)
アリッサムが成功の花言葉を持つネモフィラの花を散らして、深海を照らす青を舞う。
誰一人、欠けることなく作戦を遂行する。信頼し合うチームであればこそ、心はそれでひとつになった。レスター、徹也、アリッサムの三人は特に仔細に仲間の負傷具合に気を配り、ヒーラーであるアンジェラをサポートした。恐るべきは、敵の攻撃力。遠距離から正確無比の狙いを誇り、避けることは難しい。治癒と防御を繰り返しながら、相手の綻びを狙う。
(「生憎、俺様はお前の手中に入る気はないぞ!」)
真朱葛を音もなく拡げるレッドレークは、身に受けた傷を皆に覚らせまいと強気な姿勢を崩さない。気になることは山ほどある。だが今は皆と共に帰還することに集中を、と己に言い聞かせる。
(「焔よ……私の、空色の焔よ……羽ばたいて……皆のために!」)
燃え盛る右手の色を変えてやるべく、アリスが祈るように翼を広げると、その明るい金髪に、空色のアリステアの花が咲き乱れる。
(「必ず全員無事で生還して……情報を持ち帰ります。私たちのココロはお前たちダモクレスに負けはしない!」)
フローネのアメジストの瞳が熱を帯びる。蒼暗い深海をケルベロスたちそれぞれの思いが彩った。対して『攻勢機巧』日輪もまた、集中砲火と爆炎、そして恐るべき力でケルベロスたちをまとめて薙ぎ払う破壊攻撃を繰り返す。距離を取っても正確に無慈悲に繰り返される攻撃に、アンジェラが気力を奮う。
(「死なせません。全員で帰るのです。さぁ、舞いなさい『黄金翼』!」)
ギリギリの激しい攻防。永遠とも思えるその緊張感の中、ついにその時が訪れる。日輪の攻撃が海底へと逸れ、砲撃がケルベロスたちを見失ったかのように乱れたのだ。
『……、……』
(「今だ!」)
攻撃の失敗するこのタイミングをケルベロスたちは待っていた。全員一斉に戦場を離れんと、アリアドネの糸を頼りに同じ方向へと撤退を開始する。足も折れんばかりに、力の限りフィンを蹴り、戦場を離脱せんとする八人。
しかし。
『コノ海ノ中デ……我ヨリ逃ゲラレルト思ウテカ』
遮るものとてない海の中で、敵をただ黙って見逃す『攻勢機巧』日輪ではない。全員で固まって移動するならこれ幸いと全速力で回り込んでケルベロスたちの行く手を遮り、次ぐ一手はここで情報封鎖を完成させるべく、全エネルギーを集中した最大攻撃。
『一人モ逃サヌ。貴様ラノ探索ハ終ワリダ!』
(「避けろ……皆!」)
(「きゃぁぁぁっ!!」)
徹也の伸ばした手は無情に空を掴んだ。
●望みを繋ぐために
(「くそっ! こいつ……!」)
殿にいたレッドレークが思わず舌打ちをした。
(「ごめんなさい……間に合わなかったです」)
意識を失ったアンジェラの元へ泳ぎ寄り、アリスがその体を支える。
その時、海底全体がもう一息沈み込むような重苦しい緊張感と気配が場を包んだ。
増援、来るとするならばそれは。
(「……ディザスター……今、来られては……!」)
フローネはその気配を直覚して肌を緊張させた。
『コレ以上ノ抵抗ハ無駄ダ』
(「このままでは、誰も……誰も帰れません」)
本能がレクシアに呼びかける。重要な情報を持ち帰る、その使命を果たそうというよりも何よりも、現状では仲間全員の命が失われる可能性すらある。
この命に代えても足止め役を果たしてみせる。
祈るような思考と同時、レクシアの中で何かが音を立てて砕け散る。
蒼。深海の底よりも尚暗い蒼がレクシアの体から海中へと流れ出す。自分が自分であるための大切な何かを自ら手放してでも今欲するものは、仲間を守る力のみ。
『ァ……』
次の瞬間、機械音とも悲鳴ともつかぬ音が戦場を劈いた。共鳴するように響くそれは、レクシアの魂の叫びなのだとフローネが愕然と目を見開いた。
(「レクシアさん……!」)
レクシアの麗しい顔は蒼い陽炎のようなもので閉ざされ、一体それが本当に彼女なのかどうかすら疑わしい。だがその意志は仲間達にはっきりと伝わった。
『自我ヲ捨テタ命……興味深イデータトナルカ? ダガ』
(「……今のうちに!」)
背に地獄の蒼翼を羽ばたかせ、レクシアは日輪へと一直線に突っ込んでいく。
暴走した仲間の姿から視線を離せずにいるケルベロスたちに『攻勢機巧』日輪はレクシアを押しのけて尚、襲い掛かるではないか。
『此処デ貴様ラヲ逃スト思ウカ! 全員仲良ク海ノ藻屑トナルガイイ』
(「あの子の覚悟、絶対無駄になンざさせねェ……!」)
徹也が飛び出し、放たれた集中砲弾の前にその身を投げ出した。フローネを狙ったそれを防ぎきった徹也の四肢から、ガクリと力が抜ける。
(「まずい!」)
レッドレークが傷ついた体を奮い立たせて身を翻し、敵の弾道が乱した水流をかき分けて蹴りつけ、再び距離を取る。
(「なんて無茶なことを……」)
既にたたら吹きを失い、壁役として使い果たした徹也の体が沈みかけるのを、泳ぎ着いたアリッサムがぎゅっと抱き留めた。
(「……これでも尚、止まらないと言うんですの……?」)
力の入らない体で、アンジェラが無念そうにそう思うのが伝わるのか、抱きかかえるアリスの手にも不安げに力が入る。
『死スベシ、ケルベロス共!』
更なる追撃が来る、と、身を固くしたアリッサムだったが。
ガギィン、と重たい音を立てて日輪の歯車が軋んだ。敵の体に叩き込まれたのは巨大な爪。纏うのは地獄より逆巻きし冷たい銀色の炎。
『オォオオッ!』
(「レス、ター……!」)
徹也が薄く開いた目に映ったのはレスターであり、先まで共に戦っていたレスターではなかった。
瞳の銀色はあまりに暗く、竜の尾は怒りを発するかの如く波打った。それでも未だ残る自我を振り絞ったレスターは白髪を煙のように靡かせ、日輪に組み付いた。アリスの空色の瞳が歪む。
(「あ、あ……レスターさんまで……!」)
『逃ガサヌ……邪魔ダ、貴様ラカラ破壊シテクレル!』
レクシアが放った水晶石は、姿を変えてなお眩しく暗い海を照らしつけた。それは紛れもなく彼女が彼女である証の蒼色。
しつこく仲間を追おうとする敵に、レスターの右腕が追い縋った。発光する銀色の蛍火はまるで『早くここを離れろ』と言わんばかりに静かに冷たく、そして美しく輝いた。
さしもの『攻勢機巧』日輪も、二体の暴走ケルベロスを相手にしてはその追撃を止めざるを得ない。
誰しもが心も体も傷つき果てた中、フローネは意を決して戦場に背を向けて泳ぎ出す。
(「……撤退します! 皆さん、私に続いて!」)
誰も彼女を冷たいと思う者などいなかった。アリスがアンジェラを、アリッサムが徹也を抱きかかえて泳ぎ出す。
『ネズミ共、何ヲシヨウト貴様ラニ勝機ハナイ!』
嘲るような敵の声に返す言葉もない、と、フローネがほぞを噛む。だが、たとえこの場で敗北を喫そうとも、まだケルベロスがダモクレスに負けたわけではない。
(「クロムレック……」)
じくりとした痛みとともに、レッドレークの脳裏を過ぎるその名。その名にかけても、己を賭して血路を切り開いてくれたレクシアとレスターのためにも。
(「絶対に生きて帰るッ……! そして俺様は必ずお前達を探し出す! 絶対だ!」)
レッドレークは誓いとともに赤熊手を振りかざし、僅かでも援護をと砲弾を放ちつつ撤退していく。
(「生きてさえいれば、反撃の機会は必ずある筈ですもの……」)
最後に勝つのは、私達……アリッサムは再戦を誓ってぎゅっと拳を握りしめ、自らを励ますかのように竜尾で水を打った。
深海を照らすグラビティの輝きが遠くなっていく。失意に浸る暇はない。次の大きな戦いのために彼らは泳ぐのだった。
作者:林雪 |
重傷:なし 死亡:なし 暴走:レクシア・クーン(暁に咲く姫紫君子蘭・e00448) レスター・ヴェルナッザ(銀濤・e11206) |
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種類:
公開:2018年10月22日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 31/感動した 2/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 5
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