七つの森の代筆屋

作者:秋月諒

●七つの森の白猫さま
 さぁ、迷わないようにちゃんと数えて。
 藤の裾を抜けて、七つの森を抜けた先にある真っ白な屋根のお店が白猫様の代筆屋。
 秘密の心を紡ぐために、秘密の想いを告げるために。
 赤い実をつけた木の枝を持って、呼び鈴を鳴らせば、ほら、白猫様が顔をみせる。
「代筆屋にようこそ、ってな。まぁ最近はあんま仕事もねぇけどなぁ……」
 どっちかと言えば、インクの方がよく売れる。依頼人のオーダーに沿って作る品だ。嘗て店に掲げた謳い文句も、今や白猫様のインクのお店なんて節も増えた。
「ガラスの瓶もそれぞれに。リボンもお選びしますってな」
「なーん」
「お前は相槌がうまいな」
 ひょい、と机に乗った白猫に、店主の青年は笑う。代筆屋としての仕事が少なくなっても、看板を掲げ続けるのはこの白猫と出会ったからかもしれない。ふ、と小さく笑う青年が看板をかけた店の向こう、古びた倉庫の中でそれは蠢いていた。握りこぶし程の大きさの、コギトエルゴスムに機械の足をつけた小型のダモクレスが、カチカチと足音を立てながら廃棄された電化製品の中に飛び込む。
「レッツファイアー!」
 そして、炎が倉庫から吹き出された。ガシャンという足音と共に、壊れた扉から姿を見せたのは機械的なヒールによって体を作り変えられた丸いストーブだった。

●七つの森の代筆屋
「丸っぽいフォルムのストーブは可愛いと思うのですが、レッツファイアーって燃えてますよね……」
「まぁ、暖まる前に燃え尽きそうなところはあるね」
 三芝・千鷲(ラディウス・en0113)の言葉に、むむむむむ、と狐の耳を揺らしたレイリ・フォルティカロ(天藍のヘリオライダー・en0114)は顔をあげる。
「ちょこっとでもどーんとでも、燃やされる訳にはいきません」
 そう言って、レイリは集まったケルベロスたちを見た。
「都内の山中にて、廃棄されていた家電製品のひとつがダモクレスになってしまう事件が発生することがわかりました」
 白猫様の代筆屋、と呼ばれる代筆とオリジナルインクの作成を行う店のある近くだ。倉庫は、店と地域の住民が使っていた古い倉庫でもう随分とそのままになっていたらしい。
「幸いにもまだ、被害は出ておりませんが放置することはできません」
 多くの人々が虐殺され、グラビティ・チェインを奪われてしまうことだろう。
「急ぎ現場に向かい、ダモクレスを撃破してください」
 敵はストーブ型のダモクレスだ。全体的なフォルムは丸みを帯び、球体状になっている。中央のボールのような部分に熱が灯り、取っ手のついた囲いは鳥かごに似ている。
「イメージとしては……、円筒型のストーブの球体バージョンというのが近いでしょうか。機械的なヒールを受け、その姿は大人ほどになっています。足元にはキャスターがつき、その動きは素早いです」
 それはもうカラカラとキャスターを動かしながら、炎を放ってくるのだ。
 熱風を浴びせる攻撃のほか、火球を放つなどその攻撃には炎がつきまとう。
「戦場となる場所はここ……倉庫のある森の中です」
 倉庫への荷の出し入れに使われていたため、空間としては開けている。長く使われていなかった為に、雑草が生えてはいるが足元に気をつけていれば先頭には問題はないだろう。
「付近の皆様と、代筆屋様への避難指示についてはお任せを。皆様には、ダモクレスの撃破をお願いいたします」
 それと、とレイリは集まったケルベロス達を見た。
「もし良ければ、無事に討伐を終えたら代筆屋さんを見に行きませんか?」
 避難指示のこともあり、この日は1日客が来ることもないだろう。店からの誘いでもあるのだとレイリは言った。
「オリジナルインクを作ったり、お手紙の代筆を頼めるそうですよ」
 代筆屋としての歴史は長く、今の店主は5年ほど前に店をついだのだという。
「勿論、全ては無事に討伐を終えたら、のことですが」
 皆を暖めるためにいたストーブに虐殺など似合わない。
「行きましょう。皆様に幸運を」


参加者
レーグル・ノルベルト(ダーヴィド・e00079)
ジエロ・アクアリオ(星導・e03190)
ラズリア・クレイン(黒蒼のメモリア・e19050)
左潟・十郎(落果・e25634)
デニス・ドレヴァンツ(花護・e26865)
天瀬・水凪(仮晶氷獄・e44082)
アレックス・アクロイド(物書き・e61588)

■リプレイ

●七つの森
 秋の、冷えた風が頬に触れた。晴れ渡った空の下、倉庫付近に鳥の声は無くーー思えば、虫の姿さえ見えなかった。
(「気がついている感じ、かな」)
 ほう、と左潟・十郎(落果・e25634)は息をつく。ガシャン、と聞こえた鈍い音に視線をあげれば、冷えた空気が一瞬、熱を帯びた。
「ギ、ギギ」
 軋んでいるのは足元のキャスターか。だが、鈍い音を立てながらもそれは動いていた。
 ストーブ型のダモクレスだ。
「丸いストーブ……可愛くて結構好みなんだけどな」
 地域や人に危害を加えるのはいただけない。
「やる気が暴走してるストーブ君は、ぱぱっと片付けてやるとしようか」
「ーーあぁ」
 唸るように響くダモクレスの声に、レーグル・ノルベルト(ダーヴィド・e00079)が視線を上げる。
「白猫様の代筆屋を守るために、さて一仕事であるな」
「そうね。短期で決着を目指しましょう」
 ローザマリア・クライツァール(双裁劒姫・e02948)が頷いたその瞬間、倉庫前の空間がーー変わった。
「来る」
「レッツファイアー!」

●熱の果て
 熱が、空間を破った。警戒を告げる声が重なり、前衛に叩きつけられた火球に十郎は声を上げた。
「回復をするよ」
「あぁ」
 応じたのは天瀬・水凪(仮晶氷獄・e44082)だ。一撃は前衛を焼いたがーー膝を折るほどの重さでは無い。火傷のような痛みだけが強く残っているか。
「……またあやつらか。叩き潰してもきりがないが、それでも都度やるしかあるまい」
 ダモクレス化の事件は後を絶たず、内心は少し辟易としているのだ。だが、放置が出来ないのも事実。するり、と水凪はその白い指先を伸ばす。
「……頼むぞ」
 その声に、大地が震えた。それは大地に潜む死者の無念を抽出する術。水凪の紡ぐ、死霊魔法だ。
「ファイ、ァ!?」
 不可視の一撃に、ストーブの飛び込む体が一瞬、止まる。ギ、と鈍く聞こえた音を耳に、十郎は猟犬の鎖をその手から零す。描く陣は癒しの術。淡い光の中、レーグルはその手を振り上げた。
「こちらは加護を。三芝殿、スナイパーにて積極的に攻撃を担って頂ければ幸い」
「仰せのままに。さて、熱いばかりも勘弁だからね」
 笑って三芝・千鷲(ラディウス・en0113)は熱を残る大地を蹴った。一撃に、ストーブが鈍い音を立てる。暴れるように距離をとったそこに、影が、落ちた。
「ファ!?」
「あぁ。悪いね」
 デニス・ドレヴァンツ(花護・e26865)は空で告げる。空中で身を返し、流星の煌めきを帯びた蹴りが、ガウンと重い音を響かせた。
「ファイ!」
「させません」
 凛とした、ラズリア・クレイン(黒蒼のメモリア・e19050)の声が響いた。瞬間、竜の咆哮に似た轟音が、ハンマーから打ち出される。ガウン、と一際重く、鈍い音が轟音の間から聞こえた。軽く浮いた身を、ストーブは無理矢理に起こす。あの体で、復帰は早いか。迷わず、ローザマリアは腰の二振りを抜き払った。
「焼かせはしないわ」
 二刀一対の刀が、なぎ払いと共に衝撃波を放った。
「ギ!?」
 キン、と堅音が響き、欠け落ちた鋼と共に一帯の熱量が一瞬、上がる。そのまま炎が拡散するようなことは無いのか、ざ、とジエロ・アクアリオ(星導・e03190)は周りを見る。逃げ遅れている人は、いないようだ。
「加減の分からぬ火遊びは危ないからねえ。はてさて、かかる火の粉は振り払わねばいけないな」
 今の所、回復が必要な程ダメージを負った者はいない。
「行こうかクリュ。後の楽しみの為にもね」
 ジエロの言葉に、クリュスタルスは翼を広げて応じた。
「お仕事だ」
 伸ばす指先が、一瞬、色を変えた。打ち出されたオーラの弾丸がストーブを叩いた。

●ストーブと森と
「ファイ!?」
 は、と顔を上げたダモクレスがこちらを向けば、クリュスタルスの炎がぶわり、とストーブに届いた。ダモクレスの抱えた火が色を変える。暴れるように身を振るう姿は、大きさこそ違和感はあるがアレックス・アクロイド(物書き・e61588)のよく知る暖房器具だった。
(「ストーブか、冬の必需品ではあるが……流石にダモクレスとなれば破壊せざるを得ないな」)
 すまないな、とひとつ紡いで、アレックスは魔力入りの特殊なインクにペンを浸す。
「……」
 それは作品に籠められた思念を具現化する創作者の術。
「後ろの正面、だ ぁ れ」
「!?」
 それは息遣い、耳元を撫でる暖かさ。振り返りたくなる衝動は、鋼の身にも届きその動きが一瞬ーー止まった。
 その一瞬を、ケルベロス達は逃すことは無い。熱が頬を焼いても、舞い散る葉に灯った熱を払うように前に出る。身を横に飛ばし、時にその拳で打ち破りーー腕を、足を、血に染めながら前にーー出る。
「ファイイアーストーッム!」
「切り払わせて貰おう」
 地獄化した炎の両腕を飾る巨大な縛霊手が、後方を狙った炎嵐を受け止めていた。壁役たるレーグルは顔を上げーー前に、出た。踏み込み行く竜の背を視界に、十郎は回復を紡ぐ。加護を重ね、使い分けてきた回復は誰一人怪我人を出してはいない。
「綻び、舞え――隠逸花」
 だからこそ今、再びの加護と癒しを選ぶ。
 清々しい香りと共に、白い大輪の菊が幾つも咲いては、舞う。白い花は、ストーブの零す熱にその姿を失うことは無い。
 後衛へと、癒しが届く。指先に、肩に残っていた痛みが消え、血だけが足元に残る。
「ファイ……!」
 低い声と共に、ストーブの意識が十郎へと向いた。回復手に気がついたか。だが、ストーブが動くより先に、デニスが行く。
「ーー味わってみるか?」
 影よりいずる月の如き銀色に輝く狼が、穹へと咆哮をあげる。飛ぶように前に出た男の、長く伸びた鋭い爪が、ストーブを切り裂いた。
「ギィイ!?」
「も、燃やされても負けませんからっ!」
 ぼろり、とストーブから破片が落ちる。鈍く光るそれに、ふと、ラズリアは気がついた。
「理力に弱い……?」
 高い命中力を持って攻撃していた娘の目についたそれ。確かめる方法をひとつ、ラズリアは手の中に持っていた。
「終焉の刻は来たり、星よ導け。あまねく戦禍を消し去り、安らぎを」
 それは体内に込めた魔力を一息に解き放つ魔術。
「我は再生を願う者なり!」
 渾身の一撃は、蒼き水晶の形を持ってストーブに届いた。
「ギィイイイイ」
 軋むような音と共に、火花が散り、一撃にストーブが大きく身を逸らす。手の中に返る感触に頷きながら、ラズリアは告げた。
「理力が弱点です」
「ならば続こう」
 告げたアレックスの誓いの心が、炎を呼ぶ。浅くだが、確かに届いた一撃を視界に、千鷲が踏み込む。炎と火花の散る戦場は、終わりへと向かい加速していた。
「では、私は回復を届けようか」
 かざす手は空に。前衛へと薬品の雨を降らせたジエロの前、ローザマリアが剣を抜く。その音に、ストーブが熱を向ける。
「ファイ……!」
「その温癒は誰かを暖める為にある――傷付ける為なんかじゃ、ないわ」
 だがその熱より、ローザマリアの斬撃の方がーー早い。叩きつけられる筈であった熱が、不可視の超高速斬撃に切り払われる。炎が割れ、一瞬にして消えたのを視界にレーグルは行った。
「これにて」
 ガウン、と重く、降魔の拳がストーブに届く。篭る熱など、気にせぬ程に地獄の炎を滾らせて。
「ギ、ギギ、ファイ、ファイア……!」
「二度目はあるまい」
 吠える、機械の声は空より響く声に打ち消された。は、と顔を上げるストーブを見下ろし、水凪は告げる。斧に刻まれたルーンが光を帯び、一撃は落とされた。
「ファイ、ア、レッツ……」
 その身に抱いていた炎が消え、くらり、と身を揺らしながらストーブ型ダモクレスは崩れ落ちた。

●七つの森の白猫さま
 どうやら、森を気にしながら戦ったお陰で被害は少なかった。少しばかりのヒールをして、一行は無事の終了と店を訪ねに代筆屋を訪れていた。

「なるほどのう。水凪嬢はそのインクをお求めかな?」
 興味深そうにインクを見ていたレオンハルトが、ふいに視線を上げた。書道は関係なさそうじゃな、と零す彼に水凪は頷いた。
「わたしは洋墨を新調しようと思っていたが、墨、とはいっても書道の物とは違うぞ?」
 差し出された色見本から、水凪は藍墨茶を選ぶ。
「偶には別の色で綴るのもいいと思ってな」
 勿忘草色の瞳をふ、と緩め紡ぐ彼女をチラリと見て、レオンハルトは店主へと向き直る。
「ご主人、ひとつ代筆を頼まれて欲しいのじゃがな」
 日頃の感謝を面と向かって口にするのは気恥ずかしい。さりとて、伝えずともわかるとあぐらをかくほど無礼にはなれぬ。ならばこそ、手紙だから伝えられることもあるじゃろう。
「せっかくの機会じゃ、水凪嬢も代筆を頼んでみぬか?」
 悪戯っぽく微笑めば、代筆か……、と声を落とした水凪が小さく首を振った。
「店主には申し訳ないがわたしは遠慮しておこう。やはり自分の言葉、自分の字で伝えたいのだ」
「まぁ、そういうこともありますよね。その分、こいつで何かあれば」
 からりと笑った店主が差し出したのは青のリボンがかかったインクの瓶だった。

「やあ、千鷲。お疲れ様だよ。良かったら、一緒に見て回らないか?」
「お疲れ様。あぁ、僕でよければ。何か探しているのかな?」
 頷いた千鷲に、デニスは嬉しそうに笑った。
「此処はオリジナルインクの作成が出来ると聞いて楽しみしていたのだよ」
 愛娘への土産にしたいのだと照れたよう笑みを浮かべ、デニスは顔を上げる。綴ることが好きなような娘には、どんな色が良いだろうか。

「その紫よりも深く、なんて贅沢を言うこと」
「俺の目よりも深い色のものと思ったが……難しい注文か?」
 小さく、首を傾げて見せたアレックスに、メルカダンテは息をついた。
「どれ、……眸をよく見せてください、アレックス。僭越ながら口出ししましょう。わたくしも、インクは好きなのです」
「そうか、なら嬢の勧めた色にしておこう」
 覗き込む先に青の瞳は色彩を見つけて、薄く口を開いた。
「夜森の明るみのような……深い緑のちらつく色がいい」
 紡ぎ落とされた声を最後に、すい、と顔を上げたメルカダンテが店主へと視線を向けた。
「用意できますか? 店主」
「おまかせください」
 店主が笑みを見せれば、なーん、と白猫の声が届く。一瞬、指先を止めた彼女を視界に、嬢は、とアレックスは口を開いた。
「青を探しているのか」
「普段から青色のインクを使っているのですが、だからこそ少し雰囲気の違うものを、と思いまして」
「なら、其方の眸も見せてもらおうか」
「……おまえが選んでくれるんですか? アレックス」
 瞬いた彼女に、アレックスはふ、と笑みを零した。
「その眸の青さはインクにしてもさぞ美しかろう」

「のんびりとオリジナルインクを作らぬか?」
「いいね。こういうのって、色の違いを楽しむものかのかな?」
 オリジナルって、と首を傾げる千鷲は、インクの種類を気にしたことが無いという。代筆屋そのものさえ不思議がっていた千鷲に、レーグルは静かに告げた。
「代筆は己の手では書けぬものや。あるいは、誰かに想いを伝えたいけれども、という方が利用されるのではないかな」
 我は、と男は吐息一つ零すように口を開く。
「手紙を出す相手はおらぬが文字を綴ることは嫌いではない」
 インクの色は夜明け直前の黒を選び、詳しくはお任せで、とオーダーしたレーグルに、ならばと店主は香水のように美しい瓶を選ぶ。夜明けの瞬間を閉じ込め、解き放つのに似合いの品を。
「伝えたいけれど、か」
 それなら、と千鷲は口を開き、独り言めいた言葉が一つ落ちた。僕にも記憶にあると。

 さてどんな色にしてやろうかと悩んでみれば、ふと思い出したのは白い花。
(「あれは……確か」)
 ユキノシタ。誕生日花、というらしい。
 並ぶ瓶からひとつ、ほとんど真っ白のインクを手に取り、淡紅をひと粒落として染めてみる。
 隣の彼は、もう色が殆ど決まっているらしい。ひとつふたつ、色を辿りクィルが見つけたのは深い青と、緑。混ぜて思い描くのは遥かな海。
「水、はきっと特別な筈だから。深い海を映すように、雄大な色にしたくて」
 紡ぎ落とせば、ひょいと白猫様が顔を見せる。真っ白な体にインク瓶を掲げてひとつ笑って、クィルはその青を見た。
「どうですか?」
 ふふん、と胸を張って見せれば、手元を覗いて伺うジエロは笑みを零した。
「綺麗だね」
 小さく笑みを零す彼の手元を覗いて見れば、ちょっぴり意外な色が見えた。
「ユキノシタ……綺麗な色ですね。僕、この色好きです」
 吐息を零すように笑って、クィルはこっそりと代筆屋にお願いする。手紙をひとつ。
 そうして、互いに知らぬまま、代筆を経て言葉は綴られる。今日の好き日に選んだ色で、届ける言葉はーー。
『――Dear my Hiero、僕のあなたへ』
『――Dear MINE、私の君へ』

「俺達もひとつ、作って貰おう」
 十郎はそう言って、夜を誘った。
「世界にたった一つのオリジナルインクか。手書きの手紙も此の世に一つのものだな」
 想いが綴られ、言霊になる。
 柔くひとつ笑みを零して、夜の視線が瓶を辿る。選び取ったのはころりと丸い達磨型。見れば、十郎も瓶を選び終えていた所だった。気泡入りの薄青硝子を手に、色のご希望は? と問う店主に、少し考えてから口を開いた。
「親しい人へ気軽な便りを書くのに心が落ち着く、優しい色を」
「承りました。そちらのお客様は?」
「そうだな。秋の暮れみたいな、夕陽に照る葉のような温かで深い色に」
 なーん、と聞こえたのは白猫様の相槌か。二人のオーダーに様々なインク瓶がテーブルに並べられた。そうして姿を見せたのは二つの色彩。
「……」
 連れの丸い小瓶を満たす夕陽色を見て、次いで自分の深海の様な藍の色を見て、十郎は思い立つ。
「ほら、これでこちらは夜の色」
 品良く耀く銀色を少々加えて貰い、仕上がった瓶を手に十郎は笑った。
「これでまた一筆書くよ」
 いつも沢山、宝物のような言の葉をくれる隣同士の“親しい人“へ。
「俺も此れでまた手紙を書こう。十郎、君のいろだ」

 きら、と差し込む日がテーブルにインクの夕日を描いた。
「インクのあの独特の匂いが致しますね」
 ほう、ラズリアは息をついた。こういう雰囲気はとても落ち着く。
「インクもお願いしたいですが……。あの、こちらに白いお猫様がいるって聞いたのですけれども」
「ん? あぁ、いますよ。ほら、そこの棚の上のとこに……」
「なぁん」
 名前を呼ぶより先に、ひょい、と瓶の間を器用に通り抜けて白猫が姿を見せる。ふさふさの尻尾をゆるゆると揺らす白猫に、ラズリアは目をぱち、と瞬いた。そう、実はインクよりも白猫様の方が本命だったりしたのだ。
「可愛らしいお猫様、私と遊びませんか?」
「なぁん? なぁ」
 そっと差し出した手には首を傾げて、とてとてとやってきた白猫様はすい、と頬をすり寄せた。

「カミリアでレイリに選んで貰った空色とピンクの天幕模様が表紙の日記帳。これに書き込むのに良いインクを作りたいんだ」
 綻んで話す少女に、あぁ、あの時の、と千鷲は頷いた。
「なぁ、どんな色のインクがいいかな? 三芝はどんな色にしたいと思う?」
 使い方によっても変わってくるだろう。
 アラタの問いに、そうだなぁ、と千鷲は少しばかり考えた。
「茶色、かな。金に似た」
 レイリちゃんが日記を選んだのなら。そこにキミが書くなら。
「キミの見たもの、アラタちゃんの目の色、って感じとかどうかな?」
 自分の日記に使う色は一色だった。選んだという訳でなく、日記をつけていた相手が使っていた色がそれで倣っただけのそれ。
「代筆屋というのも色々あるんだね」
「……代筆はな、多分手が震えたり、怪我してたり。思う様に気持ちを伝えられない人の気持ちも請け負ってるんだと思う」
「気持ち……、か」
 なぞり落とされた言葉に、少しばかり笑みが混じった気がしてアラタは顔を上げる。
「うん、興味深いね。本当に」
 この世界は想いで溢れている。

 背の高い棚を見上げれば、様々な種類の便箋が仕舞われていた。真っ白な便箋に、クリーム色。足を止めたローザマリアが、代筆の依頼を、と口にすれば店主は嬉しそうに頷いた。
「こちらにどうぞ、手紙の紙の種類も、インクもお選び出来ますので」
 ぴん、と尻尾をたてた白猫がこっちだと椅子の上でなぁん、と声をかける。小さく笑って、手編みのマフラーに添えるメッセージカードなのだとローザマリアは言った。
(「大切なあの人へ。最近、中々会うことも出来ず、誕生日のお祝いも言えず仕舞いだった」)
 その事を詫びる旨、そして遅ればせながら誕生日の祝福と。
「これからの幸福を心より願っているという内容で」
 ポーランド人であるローザマリアにとって、手紙で日本語を伝えるには一抹の不安が残るからだ。代筆を待つ間に、ブルーのインクを選べば、裏山からの風が優しく店に届いていた。
「風は、手紙も運びますからね」
 インクの香りも一緒に。
 笑う店主の肩越しに見えた先では、白猫様が機嫌よく声を響かせる。久しぶりの店へのお客様だ。ラズリアに尻尾で挨拶をして、ぱしゃりと一枚、メルカダンテの写真に収まる。代筆屋の白猫様もご機嫌に、無事に守られたその地で、今日も新しいインクと手紙が姿を見せた。

作者:秋月諒 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年11月11日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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