筆断ち

作者:犬塚ひなこ

●憧れと現実
「絵が上手くなりたいな……」
 自室のベッドに寝転がり、少女は絵の参考書の頁を捲っていく。技法やモチーフなどの実用的な内容が並ぶ様を目で追いながら少女は溜息を吐いた。
 机の上には鉛筆や絵の具や筆、白い紙。だが、肝心の絵はまだ描かれていない。
 参考書を閉じた少女は本棚から好きな画家の画集を引っ張り出す。そのとき、乱雑に積んでいた本の上から一枚のリーフレットが滑り落ちた。それには近所の文化センターで行われるアートフェスタのことが書いてある。
 絵画にアート、書道まで、描く又は書くことに重点を置いた催しらしい。載っている作品はどれも美麗な絵や文字ばかりで、リーフレットを拾った少女は羨ましそうな瞳で紙面を見つめる。
「楽して素敵な絵や字が描けたらいいのに。そうそう、こんな絵とかいいなー!」
 言葉ばかりで練習の絵すら描こうとしない少女には向上心が足りないようだ。
 そんな彼女の傍に不穏な影が忍び寄る。
 その正体は表情を隠すほどの深いフード付きの外套を着込み、顔にモザイクを身に纏ったドリームイーターだ。あなたは誰、と少女が驚きの声を上げた刹那、夢喰いは一瞬でその命を奪い取った。
「絵が上手くなりたい。その心とあんたの身体、私が貰ったわ」
 途端に夢喰いの姿が死した少女と同じものへと変わっていく。少女に成り変わったそれは机の上にあった絵筆を手に取り、ふとリーフレットに視線を落とす。
「これからは私が夢を叶えていくわね。とりあえずは……そうね、このアートフェスタとかいう催しに居る絵描きの腕を千切って奪うのが良いかしら」
 そして、少女の亡骸に背を向けた夢喰いは外へと向かった。人の腕を奪って自分の物とするなどという歪んだ形で夢を叶えられると信じて――。

●絵と書の腕
 もっと素敵な絵を描きたいと望む少女がドリームイーターに目を付けられ、その存在は夢喰いに成り変わられてしまった。この夢喰いは対象を殺してその人の姿になり、近場で襲う人物を見つけて襲ってドリームエナジーを奪った後、夢に該当する部位を奪って去っていく性質を持っている。
「忌々しき事態でにゃんす。既に被害が出てしまっていて心苦しくはありますが、このまま夢喰いをのさばらせておくという選択はありませぬ!」
 事件を予見していた天淵・猫丸(時代錯誤のエモーション・e46060)は被害者の少女を悼みながらも、元凶となった存在に憤りめいた感情を抱いた。そして、猫丸は集った仲間達に事件解決の協力を願い、ヘリオライダーから伝え聞いた情報を語ってゆく。

「夢喰いが狙うのは近隣の小さな文化センターで行われている最中の、あーとふぇすた……絵画や書道の催しでにゃんすなぁ」
 それはホールで絵や書の展示が飾られるタイプのイベントらしく、なかには実演コーナーもあって作家本人が訪れていることもあるという。
 幸いにも、此方は夢喰いが無差別に作家を襲う前に駆け付けられる。
 事前に避難を行ってしまうと夢喰いは別の場所に向かってしまって補足できなくなる為、フェスタを開催させたまま玄関ホールで敵を迎え撃つ作戦が有効だ。
「わちき達がホールで敵を倒せば催しは続けられますゆえ、絶対に取り逃しはしない所存で! 全力で戦う他ないとへりおらいだーさんからも聞いているでにゃんす!」
 もちろん最初からわちきもそのつもりでしたり、と付け加えた猫丸は手にしていた筆状のペイントブキを強く握り締めた。
 敵は願望や憧憬の力を魔力に変えた攻撃や、武器と化した筆から絵具の弾を放つ攻撃を行う。強敵ではあるが、力を合わせれば勝てない相手ではない。
 また、ケルベロスは一般人に比べて夢の力が大きい。ドリームイーターは絵の才能を求めているようなので、絵や書を嗜む者やそういったスキルを扱う者を狙って攻撃してくる可能性が高いだろう。
 その性質を利用すれば上手く戦えると話し、猫丸はゆっくりと息を吐く。
 たとえ敵を倒せたとしても夢の元となった少女の命が戻ることはない。猫丸がその悲しみを言葉に出すことはなかったが、僅かに伏せられた猫耳と尾が哀悼を語っている。
 そうして、猫丸は改めて顔をあげた。
「手当たり次第に人を襲って欲しいものを奪うなど、そのような夢喰いのやり方は許せませぬ。どうぞ、皆々様のお力添えをお願いしたいでにゃんす!」
 命を奪われた少女の弔いとして、そしてこれからを生きる作家達の未来の為にも。今こそ自分達が番犬としての力を揮うべきときだと感じ、猫丸はしっかりと仲間達を見つめた。


参加者
イェロ・カナン(赫・e00116)
八柳・蜂(械蜂・e00563)
アイン・シュヴァイニッツ(ウェアライダーのガンスリンガー・e02920)
阿守・真尋(アンビギュアス・e03410)
未野・メリノ(めぇめぇめぇ・e07445)
ザンニ・ライオネス(白夜幻燈・e18810)
鮫洲・紗羅沙(ふわふわ銀狐巫女さん・e40779)
天淵・猫丸(時代錯誤のエモーション・e46060)

■リプレイ

●対峙
 芸術の秋に相応しい催し、アートフェスタ。
 穏やかに賑わう会場には今、悪しき夢喰いの魔の手が迫っている。
 既に避難が終わった玄関ホールにて、仲間共に敵を待ち構える八柳・蜂(械蜂・e00563)は今回の相手を思い、そっと呟いた。
「綺麗な絵、描けたらいいなって思った事もあります、が……」
 自分は平々凡々なのしか描けないですから、と口にした蜂だが、すぐに首を振る。その傍らにはイェロ・カナン(赫・e00116)が立っており、軽く肩を竦めてみせた。
「絵心は無いけど、本人の手を伝って描かれたものじゃなきゃ意味がないってことくらいは俺にも解かるわ」
 イェロの言葉に天淵・猫丸(時代錯誤のエモーション・e46060)とザンニ・ライオネス(白夜幻燈・e18810)も頷き、その通りだと同意を示す。ザンニも自分には絵を描く技術がないけれど、と話しながら夢喰いの行いは間違っていると断じた。
「絵に対する情熱だとか、自分を表現する腕前だとか、見ているだけでも凄くてカッコいいものだと思うので……」
「何はともあれ、速いところ倒してイベントを元通りにしないとね」
 阿守・真尋(アンビギュアス・e03410)は一般客達が避難する奥のホールを見遣る。鮫洲・紗羅沙(ふわふわ銀狐巫女さん・e40779)も倣って同じ方向を見ると、アートフェスタの鮮やかなポスターが見えた。
 本来なら楽しく賑わうはずだった催し。其処に現れる危機について事前に説明しているとはいえ、来場者は少なからず恐怖を抱いているだろう。
 それを払拭し、未来を守るのが番犬としての役目だ。
 いつ敵が訪れても良いよう身構えていたアイン・シュヴァイニッツ(ウェアライダーのガンスリンガー・e02920)は顔をあげ、入口に視線を向ける。
「来たか」
 アインの声に反応した仲間が其方を向くと、モザイクを纏う少女が玄関に現れていた。イェロと蜂、そして匣竜の白縹が警戒を強める。未野・メリノ(めぇめぇめぇ・e07445)もミミックのバイくんと一緒に戦いへの思いを抱き、敵を見据えた。
「あれ、何だか物々しいわね。でもいいわ、絵が上手いなら誰だっていいもの!」
 ドリームイーターは口の端をつりあげて禍々しく笑う。
 その姿は命を奪われた夢主のもの。メリノは夢喰いに複雑な思いを抱いた。
「その命と姿を奪うだけではなく、夢を歪めて叶えるべく命を求めるだなんて……」
 ――絶対に、させません。
 ゆっくりと、それでいて強く告げられたメリノの言葉には決意が見える。紗羅沙も絶対に敵を倒す気概を見せ、夢喰いの前に立ち塞がった。
「これ以上先には進ませません~、お引き取り願いますね~」
「たりぃが、戦いとなりゃ容赦はしない」
 紗羅沙に続いて口をひらいたアインが銃を構えて戦闘態勢を整える。猫丸は相手が自分達に狙いを定めたことを感じ取り、憤りを言葉に変えた。
「少女の命を奪い、あまつさえその心までも喰らい、歪めるなど……」
 筆を手にした猫丸が宙に文字を描けば、華麗に舞った書の軌跡がメリノの身体に必勝祈願代わりの加護を与える。
 そして、筆を握り直した猫丸は強く言い放った。
「わちき、少々頭にきておりまする。それゆえに成敗させてもらうでにゃんす!」

●憧憬
 宣言と共に戦いの始まりが告げられ、両者の視線が交差する。
「ふふん、その腕を千切って貰っちゃうんだから!」
 夢喰いは猫丸を中心にして狙いをつけ、絵具弾を撃ち出した。即座に真尋が猫丸を庇い、バイくんがメリノの前に飛び出す。
 真尋は上手く受け流したが、ミミックはカラフルな色に染まってしまった。バイくんは後で洗わないと、とそっと思ったメリノは敵に視線を向ける。
「凶行を止めるためにまず、精一杯強めに殴りますっ」
 重力鎖を織り上げて生み出したのは指先大の魔力の塊。えい、と懸命な力を込めてそれをメリノが殴り抜けば鋭い一閃が迸り、雷撃の如き痛みが夢喰いに与えられる。
 ザンニは周囲を少しだけ見渡した後、それまで肩に乗っていた青い目の鴉を杖に変えた。杖を構えたザンニが念じると浮かんだ紙兵達が仲間達を守るように舞う。
「これ以上進ませて被害を出さないよう、善処するっすよ……!」
 いくら後で直せるとは言っても元通りにはならない。だからこそ建物も人も傷付けさせはしないと心に決め、ザンニは床を踏み締めた。
 続いて攻勢に出た蜂は地獄の炎を燃え上がらせる。
「腕を千切るなんて過激ですね。結構痛いんですよ、切られるの……」
 なんて、と左腕から更に激しい紫炎を放出した蜂はひといきに駆け、敵を穿つ。灰色の髪を靡かせて身を翻した蜂が敵との距離をあければ、其処にイェロが放り投げた黄金の果実の加護が巡ってゆく。
「悪いが、夢は夢のまま終わってもらわないとな」
 千切るなんて勘弁、と片目を瞑ったイェロ。その間に白縹が攻撃を受けたバイくんに己の属性を授けて癒した。
 アインは腕先だけを獣化させ、瞬時に敵との距離を詰める。
 喰らえ、と短く告げたアインの一撃は重圧となり、夢喰いの身を深く抉った。更にはメリノとバイくんの連携攻撃が放たれる。
 アイン達の攻撃が上手く効いていると感じた真尋はライドキャリバーのダジリタに突撃するよう願う。そして、紙兵を散布する真尋は素直な思いを口にした。
「上手い人の腕を盗んでも操るのは自分なのだから、絵の上手い人から何かを奪おうと意味がないと思うのだけれど」
 だが、ドリームイーターにとっては奪う方法こそが唯一。
 紗羅沙は許せないという気持ちを抱き、幻影の火球を頭上に創りあげてゆく。
「今日は塩対応で参りましょう~」
 封神の狐焔は無数の炎となって陣を形作り、夢喰いの足止めとなった。その隙を狙った猫丸は筆を眼前に掲げて己の重力鎖を込める。
「未だ未熟とはいえ、爺様より天淵流師範代を継いだ身! この腕と書にかける思い、力としてみせましょう!」
 凛と響く声と共に筆の軌跡が夢喰いをなぞり、身体が突き崩されるかのような衝撃を与えた。その攻撃で一瞬だけ揺らいだ少女夢喰いだったが、猫丸の腕に目掛けて願望の魔力を解き放った。
 だが、猫丸が敢えて筆捌きを見せつけるのも敵を引き付ける為。
 お願いするでにゃんす、と猫丸が身を引く。するとダジリタが機銃を掃射して敵の前に走り込み、真尋が身を挺して仲間を庇った。
「羨ましいという気持ちのためだけに仲間を倒させるわけにはいかないの」
 激しい痛みが真尋を襲ったが、これも役割分担のうち。すぐに唇をひらいた真尋は癒しの歌を紡ぐ。青き歌声が戦場に響き渡り、傷は瞬く間に塞がっていった。
 足りぬ分はザンニが癒しの霧を広げ、補助としていく。そしてアインが敵の頭を狙って銃弾を放ち、他の仲間達も追撃を加えた。
 夢喰いとの戦いが繰り広げられる中、攻撃の機を得たイェロは相棒を呼ぶ。
「白縹、お願いできる?」
 匣竜に問いかけたイェロは、同時に黒液を捕食形態に変えて迸らせた。白縹は何処か渋々ながらも確りと竜の吐息を放って敵に宿る不利益を増幅させていく。
 彼らの連携に目を細めた蜂はヒールで床を蹴る。軽い身のこなしで天井近くまで跳躍した蜂はまるで翅があるかの如くひらりと宙を舞い、夢喰いに腕を伸ばした。
「さぁ、おいでなさい」
 蜂が甘く囁くと黒き影めいた大蛇が蜷局を巻き、毒を孕む牙を剥いて襲い掛かる。それを受けた敵は苦しそうな声をあげた。
 メリノはそんな相手を見つめ、何処か悲しげに頭を振る。
 決してメリノは敵に言葉を向けようとしなかった。何故なら目の前の相手は最早、『彼女』ではない。語りかけても諭しても何の意味もないとメリノは知っている。
 ただ、残念だった。最初の一歩を踏み出す前に楽に夢が叶えばなんて他愛もない願いのために全てが夢食いに奪われてしまったことが。
「背中は皆さんにお任せします、ね」
 仲間達に声を掛けたメリノはバイくんと一緒に機を合わせ、杭打機に込めた氷結の力を揮った。鋭い衝撃が敵を貫く最中、アインが素早く銃口を向ける。
 眼光鋭く敵を見据えたアインの指先が引鉄をひいた。
「いくら抵抗したって無駄だ」
 弾丸が標的の腕を貫き、悲鳴があがる。アインは二撃目を打ち込もうと更なる構えを取り、其処に猫丸も続く。
「ふん、何を偉そうに!」
「それ以上かの少女を愚弄するのであれば……我が一筆のもとに斬り捨てさせて頂きますゆえ、どうかご覚悟を」
 喚く敵に向けて猫丸が放った凍結光線は標的を穿った。だが、一見は冷静に見える猫丸の動きは僅かに精彩を欠いている。戦いに影響はない程とはいえ、裡に燻り続ける憤りが彼をそうさせているのだろう。
 紗羅沙は仲間を気にかけながら、禁縛の呪を解き放っていく。
「どうして夢主さんの命まで奪うのでしょう。努力をせずに対価は得られないのは事実です。ですが、怠惰な望みというのは命まで蝕むものなのでしょうか……?」
 疑問を言葉にしても答える相手はいない。
 ザンニは悲しげな瞳を敵に向け、自らも攻勢に入った。
「奪って手に入れようとする夢喰いとは永遠に分かり合えないところっすねぇ」
 それゆえに倒す他ない、とザンニは電光石火の一閃を放つ。一撃は確かな痛みとなって夢喰いに巡り、その身を大きく揺らがせた。

●終幕
「うう……楽して力を奪えると思ったのに、こんなの予定外だわ!」
 夢喰いは怖気付いて一歩後ろに下がった。
 相手が逃げ腰になっていると気付いたメリノは駆け出す。真尋もダジリタに視線を送り、自らも床を強く蹴って跳躍した。メリノとライドキャリバーは相手を逃がさぬよう、素早く背後に回り込んで退路を塞ぐ。
「逃げる気かしら。そうはさせないわ」
 そして、ダジリタに驚いた敵へと真尋は縛霊の一閃を叩き込んだ。すかさずアインが銃弾を撃ち放って敵の足止めを行い、猫丸も凍気を纏わせた杭打機の一撃で夢喰いの身を凍りつかせる。
 二人の連撃に紗羅沙は目を細めた後、少女の姿をした夢喰いを瞳に映した。
「たとえ、どんな事情があったにせよ、夢主の冥福をお祈りいたします。その為にはあなたには消えて頂くしかありませんね~」
 そして、幻影の炎を巻き起こした紗羅沙は敵を着実に弱らせていく。
 対する夢喰いも前衛を巻き込む魔力を放ったが、それも無駄な抵抗に等しかった。
 更にイェロが重力鎖を紡ぎ、其処に合わせて白縹が敵に体当たりを仕掛ける。イェロが力を放った次の瞬間、白い指先が刃を撫ぜた。
「――手を貸して。あの歪んだ夢に、終焉を」
 甘い吐息は凍えるほどに冷たく、剣に恩恵の証である霜を落とす。イェロが放った一閃は一瞬。結晶の柱めいた残滓が戦場を彩り、夢喰いに鋭い痛みを与えた。
 蜂はイェロ達が作った隙を狙い、敵の死角に回り込む。
「夢の元の子が生きていたなら……一緒に、絵を描く練習できたのにね」
 叶わぬ思いを言葉に変え、蜂は月光を思わせる鋭い斬撃を放った。それによって夢喰いが甲高い悲鳴を響かせた。
 ザンニは敵がもう少しで倒れると気付き、仲間に呼び掛ける。
「あと少しっすね。アインさん、一緒にお願いするっすよ」
「そうだな、遠慮なくぶっ放してやろうか」
 確かな答えに頷いたザンニは鋼を纏った拳で敵を殴り抜いた。そして、間髪いれずにアインが激しい銃弾を打ち放つ。
 猫丸も最期が近付いていることを感じ取り、筆をおおきく振り上げた。
「さあ、一切合切をお返し頂きましょうか」
 その身も心も、貴殿が象ろうなど分不相応甚だしい。何処か冷ややかな声が落とされた次の瞬間。裁きを下すかのような捌筆が振り下ろされ、夢喰いの身を断つ。
「こんな、はずじゃ……」
 呻く少女は既に虫の息。イェロは哀れみの混じる視線を向け、蜂と真尋は後を仲間に託す為にメリノを見つめた。
 バイくん、と相棒を呼んだメリノはミミックを先行させ、重力を再び織り上げる。
 歪められてしまった夢は最早叶えるに値しないものとなっている。だから、と顔をあげたメリノは一気に力を解放する。
「……せめて、これ以上の悲しみを広げないためにも。此処で、止めてみせます」
 そして――夢喰いの躯を貫いた魔女の一撃は戦いを終結させた。

●記す思い
 少女が崩れ落ち、その手から絵筆が離れた。
 姿を奪っただけの夢喰いの身体は塵のように消えていき、後に残ったのは夢主の元から持ち出された筆だけ。
 真尋が絵筆を拾いあげ、メリノとバイくんもそれを覗き込む。
「ただの筆に戻ったみたいね」
「そう、みたいです。遺品ということになるのでしょうか」
 少女の持ち物だった筆を見つめたメリノ達はそっと冥福を祈る。猫丸とアインも肩を竦め、夢喰いが倒れた場所を静かに見下ろした。
 ザンニと紗羅沙は戦いで荒れた玄関ホールに癒しの力を施し、避難していた人々に危機は去ったと告げてゆく。
 まもなくアートフェスタも再開されるらしくザンニは一先ずの安堵を抱いた。
「誰も怪我なく、無事に催しが再開出来る様子なら何よりっすね」
 そして、紗羅沙は一足先に会場へと歩を進めた。
「まあ~、本当に色々なものがあるのですね~、書道の展示も~」
 もしかすれば夢主の少女もここに訪れていたのかもしれない。弔いはできないが楽しい時間を過ごすのが餞になるかもしれないと考え、紗羅沙はそっと願った。
 イェロも白縹を伴い、蜂を誘って会場へ足を踏み入れる。
「折角だから少し覗いていこうか。芸術の秋! って、丁度良いだろ?」
 現代アートに絵画、砂絵から版画。イラストに書道。
 様々な人が思いを込め、描き記した作品は見事なものだ。メリノやアイン、真尋とザンニも其々に会場を見てまわった。
 はなちゃん、と白縹を悪戯っぽく呼んだイェロが指し示した場所には小さな竜が可愛らしく描かれた絵が飾ってある。
「家に帰ったら描いてあげよっか? そんな遠慮しないで……うわ、スゲー嫌な顔」
 或る意味で微笑ましいやりとりが交わされる中で蜂が興味をひかれたのは書道の体験コーナー。ぜひどうぞ、とスタッフに誘われる蜂の傍ら、イェロ達がそれを見守る。
「筆で描くの初めてかも。綺麗に見えればいいけど……難しい」
「はっちー、なかなか!」
 半紙に記された蜂の字は細く頼りなくもあったが、それもまた彼女らしいと感じたイェロは明るく笑った。
 その近くでは猫丸が袖を捲り上げ、爺様に仕込まれた筆捌きを披露せんとして張り切っている。荒々しくも繊細な書法、それこそが猫丸が継いだ天淵流。
 少しでも誰かに伝わることがあれば亡き爺様も喜ばれるはず、と猫丸は筆を取る。
「さて、わちきが書くのは……」
 猫丸は真剣な眼差しを紙に向ける。
 そして一筆ずつ、迷いなく記されていく文字は――。

 『一念通天』

 固い決意を抱いて一心に取り組めば、努力は必ず天に聞き届けられる。そんな意味を持つ文字はまさに、これからの未来を示すに相応しい力強いものだった。

作者:犬塚ひなこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年10月14日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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