暮れゆく海と漣の音

作者:犬塚ひなこ

●海辺と水馬
 寄せては返す穏やかな波の音。
 水平線に沈んでいく橙色の夕陽。静かで落ち着いた自然の音色と、鮮やかな色合いの景色を前にしても少年の心は晴れなかった。
 海に沈む夕日を見つめながら少年が思い返すのは先程の電話でのやりとりのこと。
『姉さんのうそつき! 今日は絶対に一緒に星を見るって約束したのに!』
『ごめんね、レン。急な仕事が入っちゃって……来週には帰るから、ね?』
『やだ、今日じゃないと嫌だ! 姉さんなんて……大嫌いだ!』
 少年は溜息を吐き、砂浜の上で膝を抱える。
 あのまま電話を切って海沿いにある家を飛び出してきたのが現状である。この辺りは港以外は何もないが、その分だけ夕焼けや星空が綺麗に見えるのが自慢だ。
 こんな田舎にも良い所があると教えてくれたのは歳の離れた姉だった。
「姉さん……」
 市外で就職した少年の姉はときどき海沿いの実家に帰って来る。姉が大好きな弟は彼女の帰りをいつも心待ちにしていた。そして、姉とこの砂浜で夕陽と星空を一緒に見るのが一番の楽しみだった。
「大嫌いなんて言わなきゃよかった。でも、ひとりで星を見るのは寂しいよ……」
 仕事が大変なのも分かっている。きっと電話の向こうの姉は傷付いただろう。少年も頭では理解しているが寂しさからついあんなことを言ってしまった。
 次に姉が帰ってきたらちゃんとごめんなさいを言おう。そう心に決めた少年はもう一度おおきな溜息を吐いてから、ふと顔を上げる。
 何やら遠くから動物のようなものが数体、波打ち際を走ってきている。それらは夕陽で影になっていてよくは見えなかったが馬のような形をしていた。
「こんなところに馬?」
 どうして、と戸惑うレン少年は未だ知らない。それらが屍隷兵『シーホース』と呼ばれていることを。そして、自分が屍隷兵達によって殺されるという未来を――。

●ごめんなさいを言いたくて
 或る街の海岸にシーホースという種類の屍隷兵が現れる。
 ちょうどそのとき、海辺に居た少年が襲われる未来が予知されたと話した雨森・リルリカ(花雫のヘリオライダー・en0030)はケルベロス達に出動を願った。
「シーホースは知能があまりないようで、手当たり次第に人を襲うだけの存在みたいです。でもでも、このままだと被害が出てしまいます!」
 シーズンオフの海辺、それも日が暮れる最中ということもあって周囲には予知で見えたレンという少年以外の一般人はいない。しかし、シーホースは一番近くにいる人間を襲う性質がある。今からすぐに向かえば少年が襲われてしまう直前に現場に到着できるが、迎撃に失敗すると彼の死が確定してしまう。
「敵は全部で八体です。一体でもレンくんの方に向かってしまうと助けられないかもしれないので、皆さまで何としても食い止めてくださいです」
 リルリカが真剣な眼差しを向けると、話を聞いていた遊星・ダイチ(戰医・en0062)が任せておけ、と拳を握って宣言する。そして彼はひとつ提案を投げかけた。
 戦いが終わる頃にはおそらく空に星が見え始めているはずだ。
「無事に敵を倒し終わったら、レン少年を誘って海辺の星空を見るのはどうだろう」
 少年が本当に一緒に居たいのは大好きな姉かもしれない。だが、ケルベロス達が一緒に星を見ることで寂しさを少しでも埋められたら、とダイチは語る。それにきっと水平線から広がる星空は綺麗だ。
 リルリカはそっと頷き、是非そうして欲しいと微笑んだ。誰かと同じ景色を見て、同じ思いを抱くというのは何にも変え難いもの。
 そして、少女は祈るように両手を重ねて仲間達に願う。
「綺麗な夜の海と星空を見る為に、それから……レンくんが大好きなお姉さんにごめんなさいを言えるようになる為にも。皆さま、どうか力を貸してください!」


参加者
白羽・佐楡葉(紅棘シャーデンフロイデ・e00912)
神乃・息吹(虹雪・e02070)
フィー・フリューア(赤い救急箱・e05301)
レイラ・ゴルィニシチェ(双宵謡・e37747)
ルナ・ゴルィニシチェ(双弓謡・e37748)
影守・吾連(影護・e38006)
天羽・蛍(突撃戦闘機・e39796)
八刻・白黒(星屑で円舞る翼・e60916)

■リプレイ

●沈む陽と思い
 海から響く波の音と美しい夕陽の彩。
 暮れゆく景色を誰かと共に眺めるのはきっと穏やかな幸せの時間なのだろう。しかし今、心無い言葉を大好きな姉に告げてしまった少年の心は沈んでいるはず。
「大嫌い、なんて……相手も、自分も傷付ける嘘、だわ」
 神乃・息吹(虹雪・e02070)は思いを言葉に変え、掌を強く握り締めた。
 八刻・白黒(星屑で円舞る翼・e60916)は何かを考え込む様子の息吹にそっと視線を向けた後、少年の気持ちを慮る。
「喧嘩をしたままでは寂しいですから……仲直りをするためにもレン様の身も、その未来もお守りしなくてはなりませんね」
 そして、彼女達が仲間と共に向かうのは予知が視えたという海辺。
「見つけました、あの子ですね」
 白羽・佐楡葉(紅棘シャーデンフロイデ・e00912)は前方を指差し、俯いて浜辺に座る少年の影を示す。その声を聞いたレイラ・ゴルィニシチェ(双宵謡・e37747)とルナ・ゴルィニシチェ(双弓謡・e37748)は頷き合い、少年の姿をしっかりと捉えた。
「しっかり助けに行かなきゃ。ね、ルナルナ」
「そうだね、リラ。いっしょに星みられるよーにしないとね」
 双子の姉妹が思いを同じくする傍ら、匣竜のチェニャとヴィズも視線を交わしていた。
 砂浜の向こう側からは物々しい足音が聞こえてくる。襲うべき獲物を探して迫り来る屍隷兵達の気配に気付き、少年がはっとした。
 フィー・フリューア(赤い救急箱・e05301)はすぐさま距離を詰め、声を張り上げる。
「すぐ此処から離れて! ……大丈夫、陽が落ちる前には終わらせるからね」
「え? なに、あれ……」
「心配するな、俺が安全な所まで送ろう」
 戸惑うレンの腕を引いたフィーは安心させるような言葉と告げた後、遊星・ダイチ(戰医・en0062)に後を任せる。天羽・蛍(突撃戦闘機・e39796)は少年達が駆け出したことを確認したあと、メガホンを取り出してシーホース達へと叫ぶ。
「――ほら、こっちだよ!」
 きん、と空気が割れるような出力で放たれた音は見事に敵の注意を引いた。其処へ影守・吾連(影護・e38006)が立ち塞がり、凛とした声で宣言する。
「お前らの相手は俺達、ケルベロスだ!」
 言葉と共に竜翼を広げた吾連は味方の背後に色鮮やかな爆発を巻き起こし、更なる注意を自分達に向けた。吾連からの援護を受けた佐楡葉は掌の上でガジェットを転がした後、絶対零度の弾を敵の頭上に投げ放つ。
 それと同時にフィーが銃口を敵に向け、幾重もの弾丸を見舞う。
 夕焼けの中に氷の弾が雨のように降り注ぎ、それらは戦いの始まりを彩った。

●失くしたもの
 砂浜に夕陽が反射する中、何頭かが氷弾の嵐を掻い潜って来る。
 すぐにチェニャが敵の進路を塞ぎ、レイラが踊る様にステップを踏む。更にヴィズが仲間に己の力を分け与える中でルナが星の陣を描けば、レイラが描く点が煌めく線と成って戦場を翔けてゆく。
「こんなビジン袖にしてどこいくつもり? ルナルナ、回復まかせっかんね」
「センテヒッショー! いいよ、心配しないでガンガンいって」
 敵の気を引く攻撃を放ったレイラに応えたルナの力は前衛達に拡がっていく。
 吾連と蛍は水流を纏って突撃してくる屍隷兵の攻撃を受け止め、仲間を守る意志を固めた。その際に吾連は敵に悟られぬよう自分の背後を見遣る。
 レン少年とダイチは既に戦闘の射程外に退避終わっているようだ。息吹もそのことを確かめて安堵を抱き、縛霊手を構えた。
「イブ達が、絶対に守ります」
「うん、もちろんだよ」
 息吹の決意に似た言葉にフィーが頷きを返す。そして、息吹がシーホース達に向けて光弾を解放した。フィーはその中で一番ダメージを受けているだろう対象に向け、カラーボールを投擲する。
 一瞬、一体のシーホースに鮮やかな色が付着した。しかしすぐにその色は屍隷兵自身が纏う水流によって洗い流されてしまった。まずいかも、とフィーが目を丸くするが、白黒が大丈夫だというように首を横に振る。
「問題ありません。標的を揃えるくらいなら、何とか出来そうです」
 事前に決めていたのは同じ敵を皆で攻撃して各個撃破を目指す作戦。目視だけでも十分に狙いを合わせられると感じ、白黒は竜槌を掲げた。
 砲撃形態に変形させた槌から竜の咆哮を思わせる弾が解き放たれ、敵が穿たれる。
 佐楡葉もカラーボールが通じなくとも作戦に支障はないとして暗黒の魔力を紡ぐ。
「馬刺しに出来ないのは残念ですが。一頭残らず、この浜辺を三途の川の借景と心得て貰いましょう」
 見る間に無数の黒鎖が敵に飛翔し、その足を絡め取ろうと蠢いた。だが、やはりこれだけの相手を狙うには難があるらしい。それでも、と佐楡葉は何体かのシーホースの体力が削れている事実を確認する。
 蛍は仲間達の動きをしかと見守りつつ、仲間を鼓舞する爆発を重ねてゆく。
「仲直りの使者じゃなく死を運ぶなんて笑えない馬だね」
 そんなやつはいらないよ、と軽く頭を振った蛍の援護は着実な力となって巡った。蛍と同じく守りと癒しを担う吾連はふと先程の少年を思い返す。随分と気落ちしていた姿が気になるが、何よりも先ずはこの戦いに勝利しなければ始まらない。
「まだまだ、耐えられる……!」
 二体同時に迫る敵からの攻撃を受け持った吾連は痛みを堪え、身を翻した。溜めた気力で自らを癒しながらも吾連は更に迫り来る三体目からの蹄蹴に耐える。
 吾連の表情は硬く、フィーは彼の心に何かが引っ掛かっているのかもしれないと感じた。しかし、攻撃の手を緩めることはせずにフィーは愛用のバスケットに手を伸ばす。
 そして、忍ばせていた攻性植物に魔力が注がれた。
「あなた達、果実は好き?」
 好きじゃなくてもあげる、と告げたフィーのバスケットから急成長した枝葉が飛び出し、果実となって爆発していく。
 刹那、極光を放つ彩果に穿たれた屍隷兵が地に伏した。
 これで一体目、と蛍が倒した敵から視線を外し、次の標的を見つめる。二体目に狙いを定めた息吹は掌を広げ、黒太陽が呼ぶ絶望を解き放った。
「傷付いたまま、謝れないまま会えなくなるなんて駄目よ」
 口をついて出たのは誰への思いか。息吹の一閃がシーホースを深く貫き、大きな衝撃を与える。白黒は指先を敵に向け、意識を集中させた。
 どうやら敵はそれほど強くはない。数が減れば一気に殲滅できる好機も訪れると感じ、白黒は時空すら凍結させる鋭い魔力弾を放った。
「白羽様、今です。次の一手で倒してしまいましょう」
 佐楡葉ならばそれが出来ると信じた白黒が呼びかけると、同意を示す視線が返って来る。そして、佐楡葉が魔力を込めた一輪の薔薇は剣となって顕現した。
「あなたに咲くのは……そうですね、海色の花でしょうか」
 透き通った緋色の刃が幻影の薔薇を舞わせ、描かれる剣跡が敵を斬り裂く。月影にも似た一閃で二体目の水馬を倒すと同時に佐楡葉は魔力の剣を消し去る。
 しかし、その間にもシーホース達は容赦なく攻撃を行ってきた。
 敵に狙われた息吹を庇ったチェニャに、頑張れ、と告げたレイラは三体目の敵へと向けて駆け出す。
「チェニャ、そのままお願い。負けずにこの調子で少しずつ減らしてこ」
「ヴィズもガンバろね。まずチェニャの傷を癒してあげよっか」
 同様にルナも匣竜に声を掛け、ひとりと一匹は同時に癒しの力を紡いでいった。そしてレイラとルナは攻勢と癒しに分かれ、ステップを踏む。
 片や、祭壇座の序章。片や、双子座の序章。星のみちびきが描く光の陣が迸り、其々が炎の一閃と治癒の力となって巡った。
 それまで守護と癒しを担っていた吾連は敵を倒す好機が訪れていると気付く。地を蹴り、跳躍した彼は拳を強く握り締めた。
「レンとお姉さんがもう逢えなくなる。そんな哀しいことにはさせないよ」
 零の境地を乗せた一撃が三体目の屍隷兵を穿ち、戦う力を奪い取る。だが、前に出た吾連に向かって残っている五体が突撃してきた。
 蛍は傷付いた彼を倒れさせまいとして、独立機動砲台に手を掛けた。
「そうだよね、放っておけばレンさんとお姉さんの仲直りの機会が永遠に失われる。そういうのは私の趣味じゃないんだ」
 蛍の銃口から放たれたのは傷口を癒す薬品が込められた弾。瞬く間に吾連の身体に癒しが巡っていき、事なきを得る。
 足りぬ癒しはヴィズとルナが担い、蛍自身も仲間を守る盾となって立ち回った。
 誰もが皆、続く未来を見据えている。
 弟と姉。かけがえのない二人の絆を繋げていく為に、戦いは激しく巡っていった。

 海辺に炎や重力鎖が迸り、水流が飛沫となって弾け飛ぶ。
 最初こそ数は同等であったがこの戦いは圧倒的に番犬達の有利。
 先程のように攻撃が集中して危うい面もあったが、蛍達の癒しと守護の連携がしっかりと危機を遠ざけていた。
 ルナは今こそ攻めていくべき時だと感じ、傍らのレイラに呼び掛ける。
「リラ、皆で合わせていこ」
「ジャマだから燃えていなくなっちゃうといいよ」
 名を呼ばれたレイラはチェニャとヴィズを伴い、二匹の攻撃と同時に幻影竜の焔を解き放った。敵が動く暇も与えずに次はルナの竜焔が敵を包み込む。
 それによって四体目が倒れ、息吹は残る敵の様子を窺った。
「アナタ達も早々にお帰り願うのだわ」
 見れば敵は随分と消耗している。それも佐楡葉が敵が減ってきた時点で攻撃を零度の手榴弾に切り替え、着実に当てていたからだ。
「神乃様の言う通りです。あなた方の居るべき所は此処ではありません」
 白黒は竜槌を構えて近くの一体に狙いを定めた。其処から放たれた轟竜の砲撃が五体目の敵を打ち崩した。
 静かな笑みを仲間に向けた白黒は勝利を確信している。
 それはフィーと吾連も同じで、共に戦う仲間達の頼もしさが心強かった。フィーはガトリングガンを構え、友人に声を掛ける。
「吾連君、行ける?」
「大丈夫。フィーさんに続けて行くよ」
 その答えを聞いたフィーは弾丸を嵐の如く撃ち出し、吾連は竜の魔力を乗せた打撃を一気に放つ。この力は、この光は、誰かの願いを叶える為にあるのだと念じた吾連。その裡には変えられぬ過去の記憶が巡っていた。
 二人の攻撃によって六体目の屍隷兵が倒れる。
 佐楡葉も七体目を倒すべく虚無の魔力を生み出した。何となくだが浮かない顔をしている吾連の気持ちは分かる。何故なら佐楡葉もまた、同じような過去があったからだ。
「謝罪も感謝も、伝えられる内に伝えるのが一番ですから」
 私も義兄に、とだけ独り言ちた佐楡葉は漆黒の球体を解き放ち、瞬く間に敵の息の根を止めた。蛍はもう癒しはいらないと感じて自らも攻撃に移る。
「最後の一頭だよ。このまま押し切ろう」
 地獄の炎を砲台に纏わせた蛍は地面を蹴り、最後の敵を穿った。
 水馬が揺らぐ様を見つめたレイラとルナは後一撃で終わると察する。フィーと白黒は息吹に視線を送り、最期の一閃を託した。
 そして、息吹は魔力で創りあげた紫林檎を手にした。
「折角の綺麗な海辺に、星空にそぐわない……アナタ達なんて、お呼びじゃないの」
 さよなら、という囁きと共に悪夢が形を成す。
 やがて禁忌の罰に纏わりつかれた水馬が嘶き、戦いに終幕が齎された。

●浮かぶ星と海の聲
 日は暮れ、夜の帳が水平線まで下りていた。
 橙から薄紫へ、そして深い藍色に変わった空には星が煌めきはじめており、レイラとルナは揃って双眸を細める。
 チェニャとヴィズが鳴いた呼ぶような声を聞いて二人が振り向けば、ダイチがレン少年を連れて戻ってきている姿が見えた。佐楡葉の方にもチェザが駆け寄り、フィーと吾連の傍らには応援に駆け付けていた千がついている。
 白黒も周を迎え、蛍はレンにひらひらと手を振った。
 お疲れ様、と仲間の健闘を労うダイチに微笑みを返した息吹はおずおずと前に踏み出したレンにも優しい笑みを向ける。
「レンさんも、怪我はないかしら? もう大丈夫よ。良かったらだけど……イブ達と一緒にお星様を見ない?」
 同じく蛍も少年に歩み寄り、手を差し伸べた。
「どうかな、このまま別れるよりは良いと思うんだけど」
「一緒にいてくれるの? うん、お願い!」
 一人で過ごすよりはきっといいと蛍が誘うと、少年は大きく頷いた。
 そうして、海辺で時間が其々に流れていく。
 変わりゆく空の様子をじっくり眺める機会なんてあまりなかった気がする。そう話したルナはレイラと一緒に浜辺に腰を下ろす。
「空が変わってくときの色もいいね。ゆっくりしてこ」
「あれ、あの星は何だっけ」
 レイラは天を指差して問いかけた。チェニャも指先が指し示す方向を見上げ、ヴィズはルナの返答を待つようにその顔を見つめている。
「えーと、アンドロメダかな」
「ルナルナ、それホントに合ってる?」
「適当言ったの、やっぱりばれちゃうかー」
 緩いやりとりを交わしながら、二人と二匹は仲良く空を見上げていた。
 其処から少し離れた場所では周と白黒が星の巡りを穏やかに眺めている。周が水筒に入れてきた暖かい紅茶を入れて差し出すと、白黒がそれを受け取った。
 静かな微笑みを浮かべる彼女の手元からは仄かな湯気が立ちのぼっている。
「暮れるのが早くなって、冷えてきたね。寒くない?」
 問いかけた周は薄緑のストールを広げて自分と彼女で半分ずつで使おうと提案した。頷きを返した白黒がそっと空を振り仰いだことに気付き、周は頭上を指差す。
「白黒さん、星には詳しい? ぼくは目立つやつは覚えてて……あそこの低いのはオリオンだな。みっつのベルトが並んでる」
「天乃原様は、たくさんのことを知っていらっしゃいますね」
 緩やかに瞳を細めた白黒の声が、やさしい夜の空気に淡くとけてゆく。
 周は微笑みを返し、ふと思う。自分と彼女と同じ星が見れているだろうか。たとえ見れていなくても、ズレていてもいい。
 何故なら――この時間が、とても愛しいから。

「夜の海でまったりお星様鑑賞なぁん♪」
 貝殻を拾ったチェザがきゃっきゃと嬉しそうに砂浜を歩く数歩後ろ、佐楡葉は海に映る星を瞳に映している。
 先程まで薔薇色の空が蒼く暮れ泥み、夜の色へと変わる景色を見ていた。
「確かに、感慨深い光景でしたね」
「お星様がキラキラしてるなぁん。……金平糖みたいやぞ」
 じゅる、と舌を出して瞳を輝かせたチェザは風情より食い気優先のようだ。
「食欲しかないんかこの羊」
 思わず溜息を吐いてチェザの羊毛を引っ張る。しかし、それも彼女らしいと思い直した佐楡葉は彼女に視線を向け、帰路を示した。
「ま、遅くならぬうちに帰って晩ご飯にしましょうか」
「ぴゃい!! お皿を並べるのは任せるんだよー!」
 無駄な元気なチェザの返事が海辺に響いた後、二人分の足音と漣の音が穏やかな残響となっていく。
 浜辺の片隅では息吹と蛍、そしてレンが星を見上げていた。
「飲む? 暖かいよ」
「ありがとう!」
 蛍が温かい紅茶を差し出すと少年は嬉しそうに受け取る。そして蛍達はレンの口から直接、今回の経緯を聞いた。
「イブも昔、弟と喧嘩して大嫌いって言っちゃったことがあるの」
 息吹は昔を思い返し、ぽつりと語る。
 ごめんなさいと言えないまま弟は遠い所へ行ってしまった。あの空の向こうにでも居るのかしら、と腕を空に伸ばした息吹の瞳には深い後悔の色が見える。
 だからアナタにはごめんなさいと言って欲しい。息吹の思いを感じ取ったレンは首を縦に振った。蛍もしっかりと話を聞いた上でやさしく告げる。
「大丈夫、きっと仲直りできるよ」
「分かったよ。姉さんにちゃんと伝えるから」
「……良かった」
 少年の答えを聞いた後、息吹はファミリアのアダムと共に海岸を歩くことにした。
 弟を思い出したことで少しだけ視界が滲む。けれどそれは誰にも知られぬまま、息吹は暫し夜空を眺めていた。
「月は隠れちゃうけど、その分星がよく見えるね」
 手が届きそうなくらい、と手を伸ばしたフィーはそっと呟く。
 その声を聞きながら吾連がぼんやりと星に目を向けていると、いつの間にか傍に千の月色の瞳が視えた。どうぞ、とほうじ茶のカップを差し出す千は元気のない様子の吾連が気にかかっていた。
 しかし、事情は聞かない。きっと皆が様々な傷や想いを抱えているはずだ。
 千自身がそれを消すことはできない。だからせめて、共に星空を見上げる皆に優しい夜が来ますように、と千は祈る。
「……ありがとう」
 千から受け取ったお茶は温かくてほっとした。吾連が不思議と穏やかな気持ちを覚えている中、千はフィーにもお茶を渡す。
「フィーもどうぞなのだ。どら焼きも持ってきたから、食べながらお星さま見よ!」
 明るい千の笑顔にフィーの口許も綻んだ。フィーも吾連の様子は気になっていたが、無粋な質問はしたくなかった。だから、少しだけ思いを言葉にする。
「いま、ひとつだけ分かる事があるよ。それはね……今日の星空が綺麗だって事。それから、隠れても月は其処にある事」
「その通りだね。……ふふ」
 フィーの言葉に吾連が頷き、そして――今日初めて、彼が柔らかく微笑んだ。
 甘く温かな心地の中、見上げた星がいつもよりも輝いて見える理由はきっと、大切に思える人と一緒だからに違いない。
 そうして、漣の音が静かに響く夜のひとときはゆっくりと過ぎてゆく。

作者:犬塚ひなこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年10月13日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 3
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