清き風のゆめ

作者:ヒサ

 アルバイトを終えた帰り道。シェーロ・ヴェントルーチェ(青空を駈ける疾風・e18122)は、違和感に夕空を見上げた。郊外に近づく場所とはいえ静か過ぎる。行く先を見れば人通りも少ない気がした。
 ゆえに、なのだろう。真っ直ぐ帰る気になれず、大きく迂回する。荒れて寂れた区域に入って暫し、人気の無いその空き地で彼は、他者の気配を捉え足を止めた。
「……誰だ?」
「名を告げる意味はあるかしら──?」
 答える代わりにとばかり、少女が姿を現した。
 それは、胸にモザイクを抱くドリームイーター。携えた四つの鍵が、言葉よりも雄弁に、彼への害意を示す。
「私が欲しいのはあなたの想い。記憶。感情。私がここで名告ったとて、あなたはそれを忘れてしまうかもしれません」
 少女は穏やかな声で言い。少年の反応を目にしつつも、動じた風無く続けた。
「シェーロ。その無垢なる心を暴く事を許してください」
 彼女が伸べた手の先。力を振るうべく、鍵の一つが瞬いた。

 シェーロの危機を、篠前・仁那(白霞紅玉ヘリオライダー・en0053)はケルベロス達へ報せた。
「彼自身、予感のようなものもあったのかしら? ひとの居ない……殆ど廃墟のような場所に相手を誘導してくれたようだから、周りのことは気にしなくても良さそうよ」
 但しそれは敵も同様。かのドリームイーターは、幾本もの鍵を自在に操り術を駆使して戦うという。鍵と対応している攻撃は、予測自体は難しくないだろうが、だからといって防げるとは限らない──油断は禁物。
「敵は彼に……その心、人格、あるいは記憶、かしら、そうしたものにこだわっているように見えたわ」
 そのため、敵に狙われ易いと思われる彼が無事で済むよう、解決を願いたいとヘリオライダーは言った。


参加者
天導・十六夜(逆時の紅妖月・e00609)
樒・レン(夜鳴鶯・e05621)
シェーロ・ヴェントルーチェ(青空を駈ける疾風・e18122)
八神・鎮紅(夢幻の色彩・e22875)
四方堂・幽梨(義狂剣鬼・e25168)
清水・湖満(氷雨・e25983)
天瀬・水凪(仮晶氷獄・e44082)
風祭・古都樹(剣の鬼という程じゃない・e51473)

■リプレイ


 空気が歪んで、爆ぜる音が耳を打つ。跳び退り衝撃を和らげて、シェーロ・ヴェントルーチェ(青空を駈ける疾風・e18122)は少女へと向き直る。
「久し振り……って言うのも変な話だけど」
 彼の言に、敵は虚を衝かれたかのよう一度、目を瞬いた。
「ええ、なんだか不思議ですね」
 そうして彼女が微笑む。その表情だけならば、年格好相応のただの少女のよう。白く曲線を描くその頬のすぐ傍に、刀と鍵がぶつかり合って澄んだ音を立てる。
「でも、三度目は無い方が良いかな」
「あなたがその胸を晒してくださりさえすれば」
 聞けない相談が音に放られ、同時に赤い鍵が炎を広げる。熱が辺りを染め上げて、少年は医術を為す。
「あの時は街が目当てなのかとも思ったけど……今回ここでって事は、多分違うんだよな」
 牽制に舞う鍵群を刀であしらいながら彼は、敵へと目的を問い掛けた。
「『どうせ忘れる』ってのはやっぱ無しが良いな。知らないまんまじゃ覚えるも忘れるもないだろ」
 紫色の鍵が瞬く隙をかいくぐりようやく一太刀浴びせ得て、息を詰める彼女とすぐ傍に視線を交わし。
 すれば少女の瞳が微か、迷う如く揺らぐのが見えた。
「少し、考えさせてください。何をどう伝えるべきか……」
 茨が出でる。結論が出るまでに彼が死ななければ、とでも言うかのよう。彼の胸を目指し荒れるそれが、
「──『心を奪う』なんて聞けばロマンティックだけどさ」
 貫いたのは、ジャージに包まれた四方堂・幽梨(義狂剣鬼・e25168)の腕だった。
「けど、やり方が気に入らないんだよねぇ」
 刀に斬り払われた茨が崩れて噴いた彼女の血に、八神・鎮紅(夢幻の色彩・e22875)が目を瞠る。
「ゆうちゃ──幽梨さん、あまり無理は」
「刀を振るうには支障無いよ」
 狼狽える友人を宥める彼女の傷を、樒・レン(夜鳴鶯・e05621)が急ぎ癒す。シェーロの体に残るそれは、天瀬・水凪(仮晶氷獄・e44082)と風祭・古都樹(剣の鬼という程じゃない・e51473)が。
「シェーロは大事ないか」
「ああ、うん、ありがとな。でもなんで皆ここに」
「仲間が危ないと聞いては見過ごせませんよ。助太刀しに参りました!」
 青年の問いに頷いた少年の疑問へ、拳を握った少女の答えが明瞭に。光盾を紡いだ娘が静かに頷きを添えた。
「そうやね。あの子の好きにさせるわけにはいかんもの」
 刀を抱いたまま敵を見据えた清水・湖満(氷雨・e25983)の所作ばかりはたおやかに。形代に籠める加護は仲間を想い優しく、されど強く。
「そっか、助かるよ」
 少年は今一度、朗らかに礼を告げる。
「不穏な因縁には終焉を。──天導を染め上げろ」
 天導・十六夜(逆時の紅妖月・e00609)が刀を抜く。刃が纏う気が、戦いの激化を報せるよう色を深めた。


「────……」
 水凪の喚ぶ声が深く沈む。足元が揺らめいて、敵へと枷を。湖満が御した紙兵が舞う中を、幽梨と鎮紅は得物を携え駆ける。白鞘から抜かれた刃が弧を描き、鎮紅が振るったナイフは柔らかな色を纏い魔刃を成す。敵の動きを捉え、鍵が纏う魔力を削ぐ。
 されど抗い瞬く赤色が、熱を織る。敵のほど近く、広範囲を染め上げるその上を、古都樹が跳んだ。標的の死角で薄紅の刀を振りかざし、力任せに振り下ろす。敵の身へと届かせるのは刃よりも衝撃。その一刀は何より地を揺らし、獲物を翻弄する。
「逃がしませんよ。今回、私の役目はお手伝いですから」
「……必ずや、シェーロを護ろう」
 その為に、集う害意を散らす。水凪の手が翻り、きらめく指輪が光剣を紡ぐ。新参の異種族をも受け容れるこの星、それを回す日常、それを護る同胞の危機──伝え聞いたその理由はただそれだけで、命を懸けるに足る十分だ。鴉抱く長刀を振るう少女に合わせその友が、彼女達が護るべき少年が、風を御し敵へと与えた傷を広げる。
「青いの来るよ、気を付けて」
 鍵の動きを見、警告を発した幽梨が鞘を握る。直後言葉通りに鍵の一つが瞬いて、白く蒸気が生じた。補助に動く後衛の目が眩む。
「オン・──」
 俊敏性を活かす武装を纏ったレンは、その幻惑から逃れる事に成功していた。射手達の為に彼の手は急ぎ癒しの印を。
「お気を付けください、上手く防御しないとこれ、動けなくなってしまうかも」
 深く傷ついたがゆえに萎えかける己の体を叱咤しつつ、古都樹が皆へ注意を促す。敵もまた射手と。
「やったら補助は私も力入れるよ。古都樹と水凪はシェーロ達を手伝ったげて」
 急ぎ、確実に。彼女達の力が必要だと、湖満が後衛を顧みる。
「……心得た」
 彼女達の手は、捉え、圧して、砕いて、切り拓く。前衛達が憂い無く立ち向かえるように。
「天導流・竜蹴墜!」
 重ねる形で十六夜が為した足技は重く。堪らずよろめいた敵へと刀使い達の追撃が打ち込まれる。
 ただそれでも、敵の──少女の仕草に、表情に、感情の色は薄い。苦痛や屈託など元から持たぬかのよう、ただじっとケルベロス達を見詰める。
「欠けたるからこそ求めるか」
 ふと。レンの問い掛けは、憐れむかのように紡がれた。
「……ええ。ただ、私にとっての彼は──」
 応じて敵は口を開き、けれど、言葉は接ぐものを探すように途切れ。
「──いえ、抱きながらも見えていない事にこそ価値があるのに、それにこそ意味があるのでしょうに、私が歪めてしまうような事を迂闊に口にするわけにはやはり」
「やから言うて力ずくで、て……それも十分歪める行為やと思うけど」
 湖満の声がおっとりと柔らかく、しかしはっきりと嫌悪を囁いた。
(「それが本当なら……あの子がそれを取り出せるんなら、その時は見えるんやろか……?」)
 その裏に、仄かな夢を見つつも。助けるべき人にそんな事を許すわけにはいかないから。
「──覚えてない事があるのは、俺も解ってるんだけどさ。それは多分あげられないやつだし、そのうち自分で思い出すよ」
 何故なら、シェーロ自身が言うのだ。お前の手は借りないと。
(「あの子に会えたら、その時は思い出したいな──謝らなきゃ」)
 それは、いつかの夏に彼が口にした願いだった。師と友人達と水の匂いの傍、日陰と蝉の声の中。願いは願いのまま淡く、記憶は相変わらず頼りないものだけれど、それでも彼はこれ以上忘れたくないと、紫煙にも似た苦い残滓を大切に抱き続けている。
「ああ……。やはりあなたは綺麗ですね、シェーロ」
 その様に、ドリームイーターは眩しげに目を細めていた。


 緑の鍵が風を生む。破裂音が狂わせた知覚はしかし、紙兵の加護が正す。
 ゆえに怯む必要など、ケルベロス達には無い。前衛達の攻めは苛烈に。攻防を重ねる間に無視し得なくなり行く疲弊は、癒し手のみならず射手達もが細やかに補い支えた。
「大人しうしておいて」
 音無く敵へと距離を詰めた湖満が刀を抜き放ち、振るう。その刃が為すのは終わりへの加速。獲物を縛り繋ぎ、重く鈍い的と成すために。シェーロの斬撃は鋭く敵の肌下に痛みを残し──足掻く敵へは、十六夜が。
「さぁ。綺麗な華よ、咲き乱れろ」
 振るう刀は神速の。風斬る音は花散らす嵐にも似た。今は、敵を追い詰める事のみを追求したその技は、少女に苦鳴の息を零させるに十分。痛いとただそれだけで、眉の一つも寄せぬ彼女の様ばかりは、変わらなかったけれど。
 幾度目か、青く瞬く鍵が力を放った。場を染める蒸気の色を、幽梨がその刀で斬り払う。
「あたしにはそれは効かないよ」
 茨生やす紫のそれであったならば、そうも言ってはいられない事は身を以て知っていたが。身軽に回避を為した彼女は低く言い捨てて、間を置かず敵へと迫る。
「抜き打つ──!」
 眼鏡の奥の瞳が鋭く、敵の動きを見定める。研ぎ澄まされた意識も呼吸もその瞬間は刀を振るうための部品と化した。寂れた道端に散らかるがらくたを巻き込む風圧は、
「──断ち切ります」
 水術の影響を振り切って舞う友の姿を眩ませるため。鎮紅の片腕から溢れる魔力が揺らめいて、迎撃に花を散らす。
 重ねられた攻撃に息を切らしながらも敵は反撃を紡ぐ。だが、散る炎に肌を灼かれれど、ケルベロス達の歩みは止まらない。
「光盾よ、金剛力士を映せ」
「痛いのは飛ばしてしまいますから、お任せを!」
 レンが成す質量持たねど輝く盾が、颶風生む古都樹の拳が、仲間達を支えて護るから。
(「案ずる必要が無くば」)
「……頼むぞ。彼女を捕まえていてくれ」
 皆の様子に安堵し目を伏せた水凪はその意識を地へと向ける。望まぬ『次』など無いように──望む結末を少年が掴めるように、祈る。
 表すならば信頼と。同胞である、ただそれだけでも繋がり得る彼らの様を見。死へと追い込まれ行くドリームイーターは、それでも、微笑んでいた。
「欠けていながら……欠けているのに、あなた達は……強く、美しいのですね」
 蝕まれた心を必死に繕って。苛烈な日々を生き抜いて。見失った過去に迷い。夢を見る自由すら与えられなかった日々を越えて来た者も居た。未だ癒えぬ傷をも抱え、それでもなお己が足によって、しかと立つケルベロス達へ、彼女は夢見るような瞳を向ける。
 敵意など無いかのような、子供のような無垢な表情。それでも彼女は、人の敵たるデウスエクスだけれど。
「違う形で会ってたら……なんて仮定してみても、意味は無いけどさ」
 憎むべき敵ではあれど、シェーロの気性は憎悪ばかりを燃やせない。彼女は討つべき敵であるとの認識によってのみ、衒うことなく刀を振るう。
「見聞きしたこと、経験したことには全部、意味があると思うから……俺は、お前のことだって覚えていたいよ」
 欠けた心も、埋まらぬ記憶も、助けてくれる手があった事も、その全てに価値があるのだと。失くしたものの痛みを知覚しながらも、それとて無為ではないのだと。晴空を映したような少年の瞳は強く、迷い無く。
「──シェーロ。…………あなたが、そう、言ってくれるの、でしたら」
 対照的に。少女の声はここに至り初めて、恐れるかのように震えた。
「一つ、わがままを聞いてはくださいませんか」
 それは迷い子めいて力無く、浅く乱れる吐息に掠れながら。
「私はただの潮風に過ぎませんが。あなたが赦してくださるのなら、あなたの心の片隅に、私を」
 名をつけるのならばきっと、不安。乞うような瞳の色に、馴染みのない幼い感情に、彼女自身はきっと、気付かなかったろうけれど。
「ああ。覚えとく」
 当たり前の事のよう、少年が頷いたのを見。揺れる瞳の緊張が、ほっと緩んだ。

「響け──」
 少年の声に応えるのは、澄んだ音。
 約束。思い出。絆。金属の色して瞬くのは、言葉ならぬ声で語るもの達。星に似て幾重にもきらめく力は、神殺しの刃となる。
 彼と彼女とこの場において、正しき終わりのために。星光が流れ、彼女を焼き尽くすかのように眩く輝いた。
「記憶のラベルにはどうぞ『クラリーチェ』と。……今はあなたに憧れる、女の名を」
 初めはもう少し違う想いだったのだと、胸に未だ幾つもの欠落を抱える少女は微笑んだ。


「襲撃者としてよりも彼女個人として思い出に残りたかった……という事でしょうか」
「……墓標のようなものか」
 気遣わしげに顔を曇らせる古都樹の呟きに、水凪が視線を巡らせた。シェーロの手にはしゃらり、ひそやかな音を零す名残の四つ色が遺されていた。
「──かの魂に安らぎと重力の祝福を」
 レンの声が静かに祈りを紡ぐ。夢の痕は何よりも、看取ったケルベロス達の記憶の中に。
「そんなに空っぽだったんかな」
 仲間の手で修復されて行く周囲の景色を見遣り、元のそれによく似た寂れた街並みを目に映しつつ幽梨はごちた。記憶の欠けを自覚する彼女としては、かのドリームイーターの気持ちが解るような気もしたけれど、それでも認めるには彼女の芯たる義が邪魔をするゆえに、声は情を孕まぬ平坦な色をした。
「寂しかったのだとしても、最期はきっと……」
 彼女の傷を癒しながら、鎮紅はほのかな笑みを見せた。未だ果て得ぬ自分達にはあの結末は受け容れ難くとも、あの少女は僅かなりとも充足を得たのではと。
「──シェーロが無事で、良かったね」
 被害のほどを確認し、繕い終えて、湖満が微笑む。彼が損なわれず済んだ事を喜ぶ想いは本心で。
(「たった一瞬でも知ることができるのなら、差し出しても……なんて、思うてしまうのは……。……ひとのやったら、護らな、傷つけさせたらだめ、て、思うのに」)
 『ある』筈のものが『ない』感覚は、『在った事』すら見失わせるほどの闇の色。不安に焦れる思いもまた同じく本音。欠けた事への歯痒さがあるとすれば、それは本人にしか解り得ないこと──彼女の思考は矛盾を孕みながらも両立してわだかまる。
「ああ、大事なくて何よりだな。お疲れ様」
 彼女が口にした気遣いの言葉に、十六夜が応えた。此度の邂逅を乗り越えた少年の背を一瞥し、青年は多くをは語らず帰路へ。
 済んだ、などとは未だ思い難い。少年にも、彼自身にも、あるいは、仲間達にも。越えねばならぬ障害はきっと幾つもあって、人々の盾たるためにも、立ち止まる暇は惜しむべきなのだろうと青年は、夜に染まり行く空を仰ぐ。
 暮れの静寂は揺らめく幾つもの想いを孕み。今日此処に一つ、結ばれた縁を見届けた。

作者:ヒサ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年10月1日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 4
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