暗闇に咲く白い花

作者:林雪

●暴れる力
 時刻は深夜を過ぎていた。
 公園を歩いて帰宅途中だったユウナは、片隅の公衆トイレに立ち寄った。
 弱くなっているのか、薄暗い蛍光灯の灯りの下で、鏡に顔を映してみる。ひどい顔だった。これからフミヤの待つ家に帰らなくてはならないと思うと、気が重かった。
 フミヤは元々、ユウナの働くガールズバーの客だった。熱心に通い詰めて口説かれ、サラリーマンだからという安心もあって付き合い始めたが、すぐにフミヤは本性を出した。
 お前は安い女、俺みたいな固い仕事の男とは普通なら付き合えない、体以外に取り得がない。頭の悪い女。
 そういう心ない言葉を、何の悪気もなく吐いた。耐えかねて別れ話を切り出すと『言い過ぎた』と謝るくせに、また翌日から全て忘れたように同じ言葉でユウナを蔑んだ。それを繰り返された結果、ユウナは無意識のうちに自分に対する評価を下げてしまっていた。
 ユウナは再び鏡の中の自分の顔を見つめた。ひどい顔だ。きっとまた安っぽいブスだと言われる。あいつの顔が見たくない。気分が悪い。
 無人の公衆トイレの中は、ひとりひっそりとこの世から消えるのに相応しい場所であると思えてきてしまう。
「死ねば、二度とあいつに会わなくて済むもんね……」
 その瞬間、鏡の中のユウナの顔の隣に白い顔が現れて、告げた。
『死ぬべきなのは、あなたではないはず』
「えッ?!」
『王女レリは、あなたがあなた自身を救う力を得ることを望んでいる』
 白いと見えたものは、仮面だった。その仮面のすきまから見える濁った目の色は、今のユウナにはとても落ち着いて見えた。ユウナの背後に立っている、浅黒い肌をした仮面の女が、普通の人間でないことはユウナにもすぐにわかった。女の正体はシャイターン。
『見なさい』
 女の指差した先にヌッと現れたのは、立派な体躯に白く輝く鎧を身につけた戦士だった。その小脇に抱えられている男は。
「フミヤ……?」
『この男はあなたの命をとても軽く扱った……そうでしょう?』
 シャイターンの女がそう言ったと同時、白い鎧の戦士はユウナに見せ付けるように、フミヤの体をトイレの床に放り投げた。無様だ、いい気味だと思った。今すぐに踏みにじってやりたい程度には憎かった。
 よく見れば白い鎧の戦士も女性だ。武器を手に、無言でフミヤを紙屑のように扱ったその姿は、今のユウナには凛として気高いものに見えた。ユウナは知らないことではあったが、目の前の戦士は第四王女レリが率いる『白百合騎士団』のメンバーである。
 見蕩れるユウナの腰をそっと抱き寄せて、シャイターンは囁きかけた。
『この力、あなたのものとしなさい。エインヘリアルになれば二度とあなたはこんな男に辱めを受けることはない。あなたは戦士だ』
「私は……戦士……」
 恍惚とした声でユウナは答えた。生まれ変われる、そう直感した。浅黒い腕がユウナを抱きしめる。白い鎧の女戦士に見守られながら、ユウナは人間としての呼吸を止めた。
 そして不思議なことに、次に息をしたときユウナの全身には力が漲っていた。
『殺しなさい。そしてグラビティチェインを奪い、この男の命をあなたの糧にするの……奪われた分を、自分の手で奪い返して』
 鏡に映ったエインヘリアルは、ユウナと同じショートボブの髪型をしていた。
 彼女は声に導かれ、何のためらいもなくフミヤの頭をグシャリと踏み潰したのだった。

●憎悪と正義
「新たなエインヘリアルの誕生を阻止して欲しいんだ」
 ヘリオライダーの安齋・光弦が資料を整理しつつ予知の説明を始めた。
「実は今回、狙われた人間も狙う側のシャイターンも、どちらも女性なんだ。エインヘリアルって男だけじゃなかったんだね」
 そう、今まさに誕生しようとしているのは女性のエインヘリアル。それも男に虐げられ、精神的に追い詰められた女性だ。
「エインヘリアルにされそうになっているのはユウナさんっていう女の人。いわゆる水商売をしている人なんだけど、一応恋人のはずのフミヤって男にひどい言葉で繰り返し傷つけられてきた人だ。モラハラ、ってやつだ」
 正直ロクな男じゃないね、と呆れた風に光弦が言う。
「ユウナさんの元に護衛とともに現れたシャイターンは、このユウナさんの心の傷につけこんで、ユウナさんをエインヘリアル化してこの男を殺させ、自分達の戦力にしようとしている。ぼくらがこれを放っておくわけにはいかない」
 現場は、深夜の公衆トイレ。
「出現するのはシャイターンが1体と、護衛のエインヘリアルの合計2体。エインヘリアルの女性体はこれまでに見なかったタイプだね。戦闘力はそう高くないようだけど状況がちょっと複雑だし、油断は出来ない。基本的に君たちに撃破してもらいたいのは、この2体だ」
 デウスエクス2体を倒すだけ、と考えればそう難しいミッションではない。しかし現場には憎しみに凝り固まったユウナと、気絶したフミヤがいる。
「君たちが介入出来るタイミングは、ユウナさんがエインヘリアルになる直前だ。もし君たちで説得してユウナさんの気持ちを変えることが出来れば、彼女がエインヘリアルになることを防げるかも知れない」
 とは言え、説得の材料は少ない。フミヤはそれだけの陰湿なことをユウナにしてきた。ユウナの心を十二分に見極めた上で、シャイターンは接触してきているのだから。
「フミヤはすっかり蚊帳の外みたいになってるけど、ユウナさんがエインヘリアルになったら、まず気絶している彼を殺しにいくはずだ。説得が失敗しそうだったらそっちも対応が必要だね」
「敵はどうやらユウナさんをエインヘリアルにすることで彼女を『救済』しようと考えているみたいだから、たとえ彼女が導きに従わなかったとしても、ユウナさんを傷つけたりはしないと思う。ユウナさんがエインヘリアル化したらすぐに撤退させて、自分たちだけで戦おうとするよ。なんだか筋を通そうみたいなものを感じるね……」
 敵の一番の目的は同士としてユウナを迎えることにある。クズ男に虐げられている女性を救うという、彼女たちなりの正義があるのだ。
「にしても、女性型が女性を狙う……なんだかこれまでと違う新しいエインヘリアル勢力の可能性が高いね。苦しめられてる同性を救いたい、って気持ちはわからないでもないけど、人間がエインヘリアルにされるのを黙って見ているわけにはいかない。みんなそれぞれ思うところはあるかも知れないけど、倒すべき敵を見失わないようにね。頼んだよケルベロス!」


参加者
鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)
暁星・輝凛(獅子座の星剣騎士・e00443)
立花・恵(翠の流星・e01060)
ヴァーツラフ・ブルブリス(バンディートマールス・e03019)
浦葉・響花(未完の歌姫・e03196)
火倶利・ひなみく(スウィート・e10573)
朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)
ウルトレス・クレイドルキーパー(虚無の慟哭・e29591)

■リプレイ

●とり憑く言葉
 お前は無能でブスで怠け者だ。どこに行こうと幸せになんかなれない。
 言われ続けて、いつしか否定出来なくなってしまった。
 生きているだけで感じる罪悪感。それが間違った価値観だなんて、言われずともわかっている。それでも抜け出せない、だから辛かった。
 突然その元凶を、目の前にゴミのように転がしてくれた腕はとても力強かった。忘れたい。この男のことを忘れたい。こいつのいない人生をもう一度。
 ユウナの望みはそれだけだった。
 忘れたい。忘れたい。こいつのことも、こんな男に屈した自分も、何もかも。
『すぐ済ませるわ』
 あえかな囁き声と共に、浅黒いシャイターンの指がユウナの喉元にかかった、その瞬間。
「だめっ、待ってユウナさん!」
 咄嗟に叫んでいたのは朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)、その声にユウナとシャイターン、そしてエインヘリアルの女戦士の視線は一気にケルベロスたちへと向けられる。
「そのような行為で貴女は救われるのでしょうか」
 修道士姿の浦葉・響花(未完の歌姫・e03196)がそこに続いて前に出る。
 ユウナの説得は極力女性に任せる方が良かろうと、ウルトレス・クレイドルキーパー(虚無の慟哭・e29591)はエインヘリアルの方へ一歩近付く。
「お前らのやってることは体よく手駒を得るための詭弁に過ぎん」
『……』
「認めるわけにはいかないな」
「悪いのは貴女じゃなくフミヤさんだって、そんなの皆わかってる! そんな男のために、自分の人生をあきらめないで」
 暁星・輝凛(獅子座の星剣騎士・e00443)が真摯な視線をユウナに向ける。しかし床に転がっていたフミヤがウウと呻くと、ユウナはビクリと肩を震わせた。そこからまた気を逸らせようと、立花・恵(翠の流星・e01060)が努めて冷静に訴える。
「あんたが救われるための道は、それだけじゃないと思うぜ。もし復讐がしたいのなら、生きて、そいつから離れて、忘れて……そして新しい幸せを見つけることが、そいつへの一番の復讐だと思う。今ならまだ、その道が選べるんだ」
 だが、ユウナの声は冷ややかだった。
「新しい幸せって何? どこにあるの」
「この男に謝罪をさせるのです。そうして、生きながら苦痛を与える事が貴女の幸せと救いなのです」
 響花がそう次げば、ああとユウナは反応する。
「それはいいわね、じゃ具体的にはどういう苦痛を与えるの? 引き裂く? 包丁で死なないように刺す?」
 ユウナの歪んだ笑顔が痛々しく、鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)が堪りかねて口を開いた。
「もう充分苦しんだだろ、もう頑張らなくていいんだ……! 少しでも躊躇う気持ちがあるんなら、俺達の手を取ってくれ」
「躊躇う? そんなものないわ」
「他の道は絶対あるよ。だからまず、一発フミヤさんを引っぱたこう!」
 輝凛がそう言うと、ユウナは感情のない目でフミヤを見た。そのユウナの様子から本物の殺意を見て取ったヴァーツラフ・ブルブリス(バンディートマールス・e03019)が低く声を発する。
「このクズを殺す事自体は止めねーよ」
 止めれば逆効果だろう。どうしても落とし前をつけたいのなら、銃を貸すことも吝かではない。ただ、ユウナがそこまで汚れた人間だとはヴァーツラフには思えない。
「だからそっちに行くのはやめときな。行っちまえばアンタはこいつに『殺され』ンだ」
「必要なのは勇気なんだよ。でも、戦士になる勇気じゃない。フミヤさんを殺す勇気でもない! 逃げる勇気だ!」
 火倶利・ひなみく(スウィート・e10573)が声を振り絞った。
「フミヤさんを殺して、それからどうするの? 今度は知らない誰かを殺すの? そんなの嫌だよ! 一歩踏み出すんだよ! 殺すんじゃなくて、自分が新しい場所に行くんだ!」
「どこに行けって言うの?!」
「どこにでもだよ、自由なんだよユウナさんは!」
 きっと、ケルベロスたちの言葉はどれも正しかった。しかし。
「……何もしてくれないのに無責任なこと言わないで」
 萎縮し、矮小になってしまったユウナの今の心にはそれが眩しい。
「少なくとも彼女は、私の為にそいつを捕まえてくれたわ。……あんたたちは結局、あの男を助けようとしてるんでしょ」
 エインヘリアルの女戦士が無言でユウナを見つめている。
「なら、私の敵よ」
 ユウナの手が隣にいた女シャイターンの手に重ねられる。絞めて、と懇願する声はケルベロスたちには届かないほどのか細さだった。
「ユウナさん……」
 目の前であまりにあっけなく息絶えるユウナの姿に環がクッと下唇を噛んだ。
 ユウナという人間がこの世から消え、新たなるエインヘリアルが誕生した。雰囲気こそユウナに似てはいたがその姿は膨れ上がり、人を殺める為の膂力をまさに振るわんとしている。
『ウオォッ!』
 ユウナを援護し、仇を取らせようと二体のデウスエクスが動く前に、ヒノトと輝凛が走りこんでそれを阻止した。
「死ぬべき人なんていないんだ!」
 ヒノトの言葉は、今回集まったメンバー全員に共通する意志だった。
「……やめときな。お前みてぇなイイ女が手を汚すこたぁねえんだ」
 ヴァーツラフが銃口を既にエインヘリアル化したユウナに向け、それでも言葉のみはユウナへと向けた。その間にウルトレスがフミヤの体を両手で持ち上げ公衆トイレの外、戦場からは少し離れた場所まで引きずり出した。予めひなみくに指示を受けていたミミックのタカラバコが護衛のようについていく。
『退け、今は退くのだ! あとはこのサロエが引き受けよう!』
 シャイターンの声に、弾かれたようにユウナであったエインヘリアルは公衆トイレから飛び出した。何とか止められればとケルベロスたちもその後に続くが、追わせはしないとばかりにサロエと名乗ったシャイターンが立ちはだかった。
『諦めろ。ユウナは王女レリの庇護の元、自分を取り戻す』
 闇の彼方へ吸い込まれていった新生エインヘリアルを見送り、恵はサロエを睨みつけた。
「救いたいって気持ち、よく分かる。きっとお前達がとった選択も、お前達にとっては最善なんだろう……けど、俺達にとっては最悪だ。やり方さえ同じなら、良い隣人にもなれたろうに!」
『誰と誰がだ、我らと貴様らがか、綺麗事ばかりのケルベロスども!』
 やはりデウスエクスとは根本が違うのか、と、恵が無念そうに眉根を寄せつつ身構える。
 白い鎧のエインヘリアルが一歩前に出た。
『我が名はアニサ。かつては男の横暴に怯えた日もあったが……救われた』

●信じるために
 皆を守る壁となる位置に環と輝凛が飛び出す。それに対抗する位置にアニサと名乗ったエインヘリアルの女戦士が陣取った。その背後にはゲヘナの炎を両手から次々と燃え上がらせるサロエ。
「……っ!」
 環が昂ぶる感情のままにケルベロスチェインを操ってアニサの腕を絡め取り、中距離を保ったヒノトが、ロッドを構えて雷の壁を呼び出した。
「その炎ばら撒こうったって、そうはさせねえぞ!」
 ほぼ同時に輝凛が星詠みの魔剣クラウ・ディオスを構え、魂魄の残滓をひなみくに注ぐ。
「ひなみくさん、行きましょう」
 ぐ、と拳を固めてひなみくが惑いを振り切るように答えた。失われたユウナという存在のために、今自分には何が出来るのか。
「……うん。今出来ることを、思い切りやる!」
 同じく攻撃手としてウルトレスが敵をねめつける。
「救いの女神のつもりかもしれんが、その正体は、蛇だったようだな」
『……蛇には、蛇にしか導けぬ抜け道があるのだ』
「ノリが良いのは結構だが、少し黙ってろ――」
 専用モデルのエレキベースに指を走らせ、激しいピッキングとともにウルトレスがアニサの懐に飛び込んだ。
『グッ!』
 正面から攻撃を受けるも退かず、構えたゲシュタルトグレイブをアニサは振り回す。隙間を縫って走り距離を取った恵が敵の足元へT&W-M5キャットウォークを抜き放って射撃を開始し、響花は荒ぶる戦場においても己のペースを崩さずに祝詞を詠唱し始めた。
「漂うモノ達よ……我の元に集い皆を救え」
 敵の炎や怪しげな攻撃を警戒し、予め防御網を十分に張り巡らせる備え。ただし余裕というわけではない。
『受けきれるものなら!』
 サロエの手元から放たれた炎が激しくケルベロスたちに襲い掛かる。雷壁・霊壁をもかいくぐった炎がひなみくに着弾する間一髪に環が身を呈して叩き落した。
「ナイスだよ、環ちゃん!」
 この隙にアニサの懐に飛び込んだひなみくが渾身の拳を叩き込む。
『グッ、これ、しきで!』
 押し返すように槍先がひなみくに向けて閃く。戦況を見守りつつサロエは再度炎を両手に纏った。二体の戦闘力は平均的だが、逃げずここで散る覚悟を持ってケルベロスに挑んできていた。
「返すぜ! てめぇも食らいな!」
 ヴァーツラフが槍先をかわし両手に構えたリボルバーを自在に操った。炸裂した弾丸から激しい火花が散る。
「輝凛っ、今のうちに治療を!」
 ヒノトの声に輝凛が頷き、グラビティチェインの波長を変換し、金色の獅子の光のエネルギー体を作り出した。
「君の痛みは、僕が消す!」
 輝凛の菫色の美しい瞳が翳る。声はまるで救えなかったユウナへの贖罪のように聞こえて、ひなみくは胸の奥に小さな痛みを感じる。体でなく、心の痛みを取る方法があったなら。
 勇猛果敢に戦うアニサだったが、一身に猛攻を受け続け、その足がふらつく。ウルトレスの演奏からの痛打を受けても倒れることを拒み、ケルベロスたちを見た。
『何故……、わかるのにわからないフリをする……?』
 アニサの低い声が問いかける。責める口調ではない。
「そんなことはしてない。力が全ての解決方法だなんて思わないだけだ!」
 恵がきっぱりと言い返し、引鉄に指をかけた。
「一撃をッ! ぶっ放す!!」
 至近距離からの恵の急所への一撃がアニサを撃ち抜いた。純粋すぎる疑問のみを残して女エインヘリアルは崩れていく。
 一人になってもサロエは退かなかった。身をもって己の正しさを証明するとでも言うように。
「確かに腹も立つだろうがな、イイ男が少ねぇってのはよ」
 ヴァーツラフが案外真顔でそう口にしつつ、両手を激しく交差させた。サロエ残り少ない生命を散らしながらも訴える。
『……優しさだけでは救えないものが、この世にはある。貴様らが真にユウナの心に添う覚悟があったならば、とるべき道はひとつだった!』
「それは愚かしい決めつけよ」
 響花が言い放ち、刀を抜いた。道はある。ただ、時にそれは闇に覆われ、見失う。
「照らして、あげたかったよ……!」
 環が白月型の砲弾を散らしながら溜まらず呟く。輝凛もクラウ・ディオスの刃を攻撃に向け、ヒノトはファミリアロッドをアカの姿に戻して放つ。この戦いに終止符を打つべく全員が攻撃に転じた。
 ガクリと膝をついたサロエを、ひなみくの翡翠が見下ろした。
『……ユウナのような女の代わりに、その手を血に染める勇気を……』
 慈愛と、侮蔑と、哀惜と。何もかもが入り混じった静けさ。
『お前たちが代わりに、持ってくれるか?』
 を見つめたシャイターンのその口調は、何故か懇願しているように聞こえた。
「……わかった、よ」
 短い答えと、とどめの拳。

●裁かれぬ罪
 戦いは終わったが。
「おい、に、逃げたあの化け物どうするんだよ、殺せよ、お前らそれが仕事だろ?」
 地べたに這いつくばっていたフミヤが突然声を荒げ、ケルベロスたちに向けてそう言った。ヒノトが信じられないという風に目を見開き、怒りに声を震わせる。
「……エインヘリアルになってしまったけど、ユウナさんなんだぞ? アンタそれでいいのかよ……!」
「化け物になった女のことなんか知るかよ! いいから行けよ、働けほらぁ!」
「この事態を引き起こしたのが自分であるとは、思わないのですか?」
 冷ややかな声で響花がそう言っても、フミヤはいよいよ口泡を飛ばして叫ぶ。
「何言ってんだ、俺は被害者だぞ! 化け物に襲われた被害者の俺が何でケルベロスの女に説教されんだよ! ていうかお前も、俺のことひっぱたけとか言ってたな? お、俺だって精神的に傷ついたぞ!」
 フミヤが声を裏返らせて輝凛を差した指を、ウルトレスがガシリと掴んだ。
「ひっ……、な、何だよ。俺は、おれは被害者……」
「……男の風上にも置けんな、お前は」
「てめぇブチ殺してりゃ、あの女は引き止められたんだ。コイツ貸してやるべきだったぜ」
 ヴァーツラフがギロリと睨みつけて銃口を向けると、途端に情けない声を上げて蹲る。
「自分の行動を見直して、猛省してから出直して来やがれですっ!」
 環が殴りつけたいのを我慢しつつ毛を逆立てて威嚇した。
 自分を何様かと勘違いし、威張り散らすことの出来ないクズ。
 そんな奴でも、固い仕事という隠れ蓑を手に入れていると『まとも』な奴だとされる。
 今の社会の歪みの根幹。
「逃げる道を……もっと切実に示してあげなきゃいけなかったんだね」
 輝凛が哀しげにそう呟いた。正常な判断力を失ったユウナには、自己判断を促す以上に手を取る必要があった。響花が溜息を吐く。
「知人の弁護士を待機させておくべきでしたね」
 とは言え、フミヤの罪を立証するのは実に難しい。心は痣だらけでも哀しいかなユウナの体には痣はない。保護を訴えるにも、根気よく話を聞いてくれるソーシャルワーカーを見つけたり、フミヤの方をカウンセリングに通わせるなど、個人ではなく社会的なケアが必要になる。
 その道の険しさに絶望し、殺すしかない、と。そう追い詰められてしまったのも無理はない。ただやはりそれは間違った選択である。
「虐げられる女性の救済。それは本来、人間社会の中で行わなければならないことだ」
 ウルトレスが自責を重く受け止めつつ、呟いた。残念ながら今の社会の脆弱性は事実だ。
「それでも、それでも、殺したって何にもならないって……言い続けるよ」
 やりきれない思いを抱えてそう言う環の姿を、恵が緑の瞳で見つめる。
 そう、綺麗事だと言われながらでもケルベロスたちが正しさを示していけば、きっといつかは社会が変わる。罪が正しく裁かれる世の中を作るための戦いは長く険しい。
「……全部が全部残酷ってわけじゃない。だから俺は、奪うためじゃなく、守るために力を使うんだ」
「いい事も、嫌な事も……忘れるのって大変だってわかってたのに。届けられなくて、ごめんね」
 ひなみくがもはや届かない言葉だと知りつつもそう口にする。去来する切なさを押込めて出来るのは、戦う覚悟を示すこと。
「……もし次に戦場で会ったら、せめて、ね」 
 心の穴の中にポイと小石を放り込まれるような、やりきれない事件だった。
 闇に散った花の為に、これから一体何が出来るのか。それぞれの胸に落ちた小さな棘、それと戦い続けることを決意して戦場を後にするケルベロスたちだった。

作者:林雪 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年9月26日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 5
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