救済という名の誘惑

作者:雷紋寺音弥

●籠からの解放
 薄暗いアパートの一室で、藤崎・明日香(ふじさき・あすか)は身体を丸め、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
「はぁ……。どうして……こんなことになっちゃったんだろう……」
 ふと目を落として見れば、手足に痛々しく残った青痣が。身も心も疲れ果ててしまったが、自分には他に帰る場所もない。
 もう、いっそのこと死んでしまおうか。こんな人生、続けていても意味は無い。そう、彼女が思った時だった。
「随分と、思い詰めているようですね。ですが、それも今日で終わりですよ」
 突然、後ろで声がした。振り返ってみれば、そこに立っていたのはタールの翼を持ち浅黒い肌をした女と、白き甲冑に身を包んだ女騎士。特に女騎士の方はかなりの大柄で、天井に頭が届いている。
「王女レリの命により、あなたを救いに来ました」
「あなたは、あなたを虐げた男を殺し、自ら救われなければなりません」
 そう言って、黒い肌の女が女騎士に頷くと、女騎士は後ろに抱えていた人影を、乱暴に窓から部屋の外へ放り投げた。
「……っ! と、敏明さん!?」
 部屋は一階だったこともあり、男に目立った怪我は無い。それでも明日香は、庭に転がった男の姿を見て思わず叫んだ。放り投げられたのは他でもない、彼女と同棲している東・敏明(あずま・としあき)だったのだから。
「あなたがエインヘリアルとなれば、この男に復讐して殺す事ができるでしょう」
 浅黒い肌の女に促され、明日香はしばし戸惑った表情を見せる。だが、すぐに思い直し、静かに目の前の女達の提案を受け入れた。
 次の瞬間、タールの翼を持った女の剣が明日香の急所を一撃で貫き、痛みさえ感じさせぬままに命を奪う。そして……再び瞳を見開いた時、明日香の姿は白い女性騎士と同程度の、大柄な体格へと変わっていた。
「さあ、捕らわれの姫君よ。今こそ、その卑劣なる獣を殺し、枷から解き放たれるのです」
「ええ、勿論よ。こんな男……こいつさえ……こいつさえ、いなければ!!」
 憎しみのままに、拳を振り降ろす明日香。エインヘリアルとして生まれ変わった彼女の一撃は、まるで水風船でも割るかの如く、敏明の頭を一撃で粉々に粉砕した。

●悲劇を紡ぐ因果
「招集に応じてくれ、感謝する。シャイターンの選定により、新たなエインヘリアルが選定される事件の発生が予知された」
 もっとも、今回の事件は今までのものとは状況が違う。場合によっては、恐ろしく胸糞の悪い話になることを覚悟して欲しいと。そう、ケルベロス達に告げた上で、クロート・エステス(ドワーフのヘリオライダー・en0211)は自らの垣間見た予知について語り始めた。
「今回のシャイターンが狙っているのは、男のせいで不幸な人生を送っている女性だ。狙われているのは、藤崎・明日香。早くに親を亡くし、自分は複数のアルバイトを掛け持ちして生活していたようなんだが……」
 そんな明日香を不幸にした元凶は、東・敏明という男。一見して優しそうな面持ちの好青年だが、浮気やギャンブル好きといった癖がどうしても治らず、それを指摘されると暴力に訴えて逆ギレするような男だった。
 そんな敏明の横柄な態度に疲れ果てた明日香のところへ、シャイターンは現れる。そして、不幸の元凶である敏明を殺すことと引き換えに、エインヘリアルとなる事を受け入れさせようとしているのだとか。
「この取引に応じ、明日香がエインヘリアルになれば、彼女は敏明を殺してグラビティ・チェインを略奪してしまう。お前達には、この現場に急行し、選定を行うシャイターンと護衛のエインヘリアルを、それぞれ撃破して欲しい」
 現場にはシャイターンと被害者の男性、導かれている女性の他、護衛として白い鎧兜の騎士風のエインヘリアルが1体付き添っている。珍しい女性型のエインヘリアルで、戦闘力は高く無いようだが油断はできない。
 今から向かえば、明日香がエインヘリアルとなることを受け入れる直前に、現場に突入することが可能である。憎しみに支配された明日香は、このままではエインヘリアルになることを承諾してしまうが、ケルベロスの説得次第では導きを拒否させることも可能だろう。
「明日香のエインヘリアル化に成功すれば、選定を行うシャイターンと護衛のエインヘリアルは、彼女を撤退させてお前達との戦闘に入る。シャイターンの使う武器は剣と銃、エインヘリアルの使う武器は槍だ。明日香は戦いに加わらず、逃げようとするが……何の策も無しに撤退を阻止して撃破するのは、困難を極めるだろうな」
 戦いの場になるのはアパートの裏庭。エインヘリアル化した明日香は敏明の殺害を優先するため、説得に失敗しそうな場合は彼を戦場の外へ連れ出す必要があるが、完全に気絶しているため自力での避難は難しい。
「明日香を説得することは、状況的に見ても非常に難しいぜ。ましてや、彼女がエインヘリアル化した場合は、敏明を助けることも簡単には行かない」
 明日香のエインヘリアル化は、敏明への復讐心が原動力。仮に、彼女がエインヘリアルとなる前に敏明が死亡した場合は、エインヘリアルになることもないだろうが。
 どちらにせよ、これ以上の涙で地球を濡らす訳にはいかない。全てを救うことはできないかもしれないが、最良の選択ができれば幸いだ。
 そう言って、クロートは改めて、ケルベロス達に依頼した。


参加者
八代・社(ヴァンガード・e00037)
眞月・戒李(ストレイダンス・e00383)
樫木・正彦(牡羊座の人間要塞・e00916)
荊・綺華(エウカリスティカ・e19440)
獅子谷・銀子(眠れる銀獅子・e29902)
霧島・トウマ(暴流破天の凍魔機人・e35882)
黒姫・楼子(黒耀玲瓏・e44321)

■リプレイ

●勧誘
 雑草の伸びたアパートの庭。未だ目を覚まさない男、東・敏明を前にして、エインヘリアルとシャイターンの二人は、改めて明日香に問い掛けた。
「悪夢のような人生も、ここで終わりです」
「あなたがエインヘリアルとなれば、この男に復讐して殺す事ができるでしょう」
 己を虐げてきた存在を、殺す事で復讐を遂げる。そこに、一抹の罪の意識はあれど、しかし明日香の心に根付いた憎しみは、その良心を打ち砕いて黒く塗り潰すには十分過ぎた。
「ええ、解ったわ。こいつを殺して生まれ変われるなら、私は……」
 そう言って、自ら全てを投げ出し、明日香はシャイターンの刃を受け入れようと目を瞑る。だが、その切っ先が胸元を貫こうとした瞬間、唐突に彼女を呼び止める声がした。
「明日香さん!」
 獅子谷・銀子(眠れる銀獅子・e29902)の呼び掛けに、一瞬だけエインヘリアルとシャイターン、そして明日香の意識が逸れる。そこを逃さず、八代・社(ヴァンガード・e00037)と眞月・戒李(ストレイダンス・e00383)の二人が、敵の気を引き付けるようにして前に立ち。
「よくもまあ、臆面もなく人の心を玩具にするもんだな、デウスエクス共」
「人の悲劇を弄ぶとは、いい度胸してるよ、ほんと……。相応の報いは覚悟してるんだろうね?」
 それだけ言って、武器を片手に駆け出した。狙うは護衛の白騎士の方だ。後ろを振り返ることはせず、しかし背中はレティシア・アークライト(月燈・e22396)に全てを任せ。
「レティ、加護を寄越せ!」
「こっちも援護よろしく!」
 蒼く輝く拳と刀。それらを振り上げ、敵を目指して一直線。そして、その後ろからは、レティシアが微笑みながらも、流動する銀色の金属を呼び出した。
「ええ勿論、お任せを……。さあ、2人の元へお行き」
 解き放たれた銀色の粒子が、社と戒李の感覚を極限までに高めて行く。そのまま勢いに任せて拳と刃を繰り出す二人だったが、しかし白き鎧を纏ったエインヘリアルは避ける素振りさえ見せなかった。
「邪魔をするというのですか? ですが、そうはさせませんよ」
 左手の盾で拳の勢いを殺し、右手の槍で斬撃を受け止める。衝撃まで完全には殺せなかったものの、護衛を任されるだけあり、やはり固い。
「今だ! 早く、その男を戦場から退かせ!」
「任せてくれ。ここは僕が……」
 エインヘリアルと拮抗しつつも社が叫び、それに答えて樫木・正彦(牡羊座の人間要塞・e00916)が一歩を踏み出す。が、次の瞬間、シャイターンの銃口が明日香の胸元を狙っているのに気付き、思わず足を止めて身構えた。
「甘いですね。そう簡単に、生贄を渡すと思いましたか?」
 表情さえ変えず、冷徹に言ってのけるシャイターン。そう、彼女達にとって、今の敏明は明日香をエインヘリアルに変えるための大切な『生贄』だ。そして、説得せずに明日香が死ねば、仮に敏明を助け出したところで意味は無い。
 こちらが動くよりも速く、シャイターンは明日香の胸元を射抜くだろう。ならば、先に明日香の心を救わねば、この状況は打破できない。
「なんと申し上げましたものか……。私はその辺りに疎いのですが、少しは分かります」
「別に、後悔なく生きろって言いたいわけじゃねェ。けど……都合よく聞こえる言葉ほど、より深い地獄の果てに繋がってるモンだ」
 まずは、こちらの言葉に耳を傾けてもらわねば。そう思って声を掛ける黒姫・楼子(黒耀玲瓏・e44321)と霧島・トウマ(暴流破天の凍魔機人・e35882)。
 しかし、そんな二人の言葉を聞いた瞬間、明日香は身体を小刻みに震わせ、ふいに感情を爆発させた。
「分かる……ですって! 突然、邪魔をしに現れたあなた達に、私の何が分かるっていうの!? それに、地獄っていうなら、私の人生は既に地獄のドン底よ! このまま、何も変わらないで、ずっと地獄の中で苦しんでいろとでも言うつもり!?」
 今まで延々と虐げられ、誰にも相談できなかった辛さと悲しみ。それは激しい怒りとなって、明日香の内側から溢れ出て来た。
「敏明さまの行動はたしかに許しがたいですが……それでも、明日香さまは敏明さまと同棲を続けていました……。そこには愛や情があったのではないでしょうか……」
 勢いに任せて全てを壊すのは簡単だが、それはきっと後悔する。だから、踏み止まるのは今だと荊・綺華(エウカリスティカ・e19440)が告げるも、明日香の怒りは収まらない。
「子どもが! 知った風な口を聞かないで! あなたの考えてる情だの愛だの……そんなもので表せる関係じゃないのよ! 私と敏明さんは!!」
 では、なんだというのか。そう問い掛けようとした矢先に、輝く光の弾が不可思議な軌道を描き、綺華の脇腹に突き刺さった。
「……っ!?」
「隙だらけですよ。それに、私は一度も、あなた達を狙っていないとは言っていませんしね」
 銃口は明日香に向けたまま、シャイターンの女が不敵に笑う。敵を追尾する彼女の弾であれば、銃口の向きに関係なく、彼女の意志で標的を射抜けるということか。
「お願いだから、邪魔しないで! もう帰って……帰ってよ!!」
 庭に響く明日香の叫び。空はいつしか灰色の雲が広がって、生温かい風がケルベロス達の頬を撫でるようにして吹き抜けた。

●決別
 同棲中の恋人から振るわれる暴力に耐えかねて、人を捨てんとする藤崎・明日香。だが、先の彼女の言葉から考えれば、二人の間にあったのは、一般的な恋愛感情で片付けられるものではなさそうだった。
「……エインヘリアルになってその殿方を殺す、というのは少し違うのではなくて? 例えばですけど、貴女の願いは共に生きて、思い通りの幸せな未来を手に入れる。それに尽きるのではないのでしょうか?」
 白騎士と刃を斬り結びつつ、楼子は明日香に問い掛ける。本当に理想の未来を得たいのであれば、デウスエクスの甘言などに惑わされてはいけないと。
「うるさい! できもしないこと、簡単に言わないでよ! 願っていれば、どうにかなるの!? 誰かが私に明るい未来をプレゼントしてくれるの!?」
 だが、返って来たのは激しい拒絶。これまでも、縋るような想いで耐え続けて来た明日香にとって、正論で語られる理想などは信じられない。
「貴女は彼を愛していたからこそ、日々を耐えたのかもしれません。けれど、結果貴女が貴女であることを捨ててしまっては、貴女はこれまで、何のために耐えてきたのか……」
「愛、ですって? さっきも言ったでしょう。あなた達の考えているような愛なんて、私と敏明さんの間には、最初からなかったのよ」
 ウイングキャットのルーチェと共に仲間達を回復させつつレティシアが問うも、ともすれば明日香の口から零れるのは、これまでの人生さえ否定するかのような言葉だ。
「苦しい境遇から今までの頑張って来て、貴方は幸せを掴まなきゃいけないんだ。そいつを殺して幸せになれる? 貴方の手で幸せを掴もう。そのためなら、手伝ってあげられるから」
 それでも、最後まで諦めずに手を差し伸べようとする銀子だったが、その言葉を受け入れるには、今の明日香は遅過ぎたのかもしれない。
「手伝う? あなた達に、何ができるって言うの!? 私の代わりに、この男に復讐して……それから先、更に何かをしてくれるつもり?」
「そ、それは……」
 自分で考え、選んで行くものだ。そう、言おうとしたが、しかし銀子は何も言えなかった。
 楽観的な希望的観測。抽象的な表現だけで具体性を伴わない言葉。それらは全て、今の明日香にとって、実際に手に取って掴めない雲のような代物でしかない。だからこそ、彼女は実際に具体的な手段を示した、デウスエクス達の言葉に耳を傾けてしまったのだから。
「それじゃ、ここで彼を殺しても気は晴れるけど、その後は?」
「死ぬってのは、プラスにもマイナスにもならねぇんだよ、コレが。死んだら先に進むことも、環境から逃げ出すことも、自省することも出来なくなる。それはそこの奴にも言えることだし、アンタにも言えることだ」
 ならば、せめて殺人だけでも思い止まらせようと、トウマと正彦は白騎士と応酬を続けつつも明日香に告げた。
 殺して解決したところで、残るものは何もない。それに、エインヘリアルにならなければ認められない人生など、とても惨めなものではないのかと。
「そう……そうね。あなた達の言う通り。死ななくたって、既に前にも後ろにも進めない。私の人生は惨めなものよ。だから、私は力を求めたのに、それのどこが悪いのよ! あなた達みたいに強くて才能もある人達に、私の気持ちなんて分かるわけないでしょ!!」
 もっとも、明日香の口から溢れ出るのは、今までの苦労の裏返しだけ。頑張って、頑張って、それでも報われなかった彼女は、もう自分で頑張るだけの力など残されていなかった。
「散々やられっぱなしで、最後の最後にブッ殺してスッキリってのは解らなくもねえが……こいつを殺してもなんにもならないぜ。これまで積んできたものがパーになるだけだ」
「別に殺さなくたって、見たくもない顔を見ない方法はあるよ。むしろ無駄に血で手を汚して、今後の人生を棒に振るほうが勿体無い」
 それでも、やはり殺しは駄目だ。これまでの人生と、これからの人生。その双方を否定する選択だけはするなと、社と戒李はエインヘリアルにし掛けつつも明日香に告げる。
 周りを見れば、男など星の数ほどいる。そちらが望むなら、いい男を紹介して酒も出してやる。
 その上で、別れ話の際に敏明が再び暴力を振るうのであれば、こちらで今のように助けてやる。だから、きちんと幸せになって、それを胸を張って親に言えるようにと……。そう、二人が言葉にした時だった。
「ふふ……何を言うかと思ったら……やっぱり、あなた達は私のことなんか、何も分かってないじゃない。私は別に、いい男と一緒に暮らしたいなんて思ってないし、この痛みはお酒なんかじゃ忘れられない。それに、私には、もう親だっていないの。胸を張る相手だって死んでるのよ!? 積んで来たものなんて、とっくの昔に壊れているわ!」
 そう叫ぶや否や、明日香はシャイターンの前に自ら無防備を晒して躍り出た。
 正に一瞬。晴天の霹靂の如き彼女の行動を、止められる者は誰もいない。シャイターンの持っていた剣の先が図らずも明日香の胸元を貫き……次の瞬間、彼女は異形の転生を果たした。人を捨て、敏明だけでなく世界の全てに怒りをぶつけんとする、復讐の女戦士へと。
「うわぁぁぁっ!!」
 振るわれた拳が大地を揺らし、敏明の身体を一瞬にして肉塊へと変える。肉片と返り血を浴びて不敵に微笑む明日香の姿に、綺華が思わず顔を背けた。
「そんな……明日香さま……」
 自分達の言葉は届かなかった。救いの手を求めている者の心を、欠片程も救ってやれなかった。
 聖職者としての一面も持つ綺華にとって、これ以上に苦しい結末はない。だが、敵が未だ健在な以上、感傷に浸る余地もない。
「絶対に許さないよ……。人を不幸にする、あんたらみたいなのは」
 静かな怒りを胸に、大型火器の銃口を向ける銀子。しかし、そんな彼女の言葉を、女シャイターンは笑って一蹴する。
「これは妙なことを。彼女を不幸にしたのは、あの男だろう? 私達は、そこに救いの手を差し伸べてやったに過ぎない」
「黙れシャイターン! 人の苦しみに漬け込むな!」
 堪り兼ねて正彦が叫ぶも、シャイターンはそれすら意に介さないようだった。そしてそれは、白きエインヘリアルも同じこと。
「救うなどと聞こえが良いことを言っても、結局は自分達の利を叶えているだけでしょう?」
「ええ、その通りです。ですが、利を得られたのは明日香様も同様。何も与えることのできなかった、あなた方に言われたくはありませんね」
 レティシアの言葉を何ら否定せず、しかし辛辣な言葉で切り返す。
 後ろめたいことなど、何もない。自分達の行いは全て正しい。妄執にも似た決意と覚悟。数の上では有利だというのにも関わらず、ケルベロス達は目の前の2体のデウスエクスに、激しい怒りと冷たい薄気味悪さの双方を抱かずにはいられなかった。

●終焉
 明日香の去った庭での戦いは、蓋を開けてみればケルベロス達の圧勝だった。
 余裕たっぷりに見せてはいたが、それでも数の暴力には敵わなかったのだろう。程なくして女エインヘリアルの白騎士は倒れ、護衛を失った女シャイターンもまた、庭の片隅に追い詰められていた。
「この痛みが冥土への土産だよ。――沈め!」
「地獄で待ってろ、一足先にな!」
 袈裟掛けに斬り付けた戒李の一閃に続け、社の繰り出した拳がシャイターンの身体を打ち砕く。だが、物言わぬ肉塊と成り果て、青白い光の中に消えて行くシャイターンの姿を見ても、社の心は晴れなかった。
 否、彼だけではない。この場にいた全員が、明日香を救えなかったことを悔いていた。
「報われない人生の末に、死んでエインヘリアルになることが、本当に幸せだったのか?」
「正直、理解し兼ねるな。これが愛憎、という感情なのか?」
 憮然とした様子の正彦にトウマが尋ねたが、答えは返って来なかった。代わりに口を開いたのは楼子だったが、その言葉にはどこか切れがなく。
「いえ……恐らく、そう簡単に割り切れるものではないのかと……」
 誰も自分を見てくれない。親さえ失い、自分の居場所など何処にもない。そんな折、目の前に現れた敏明は、確かに暴力を振るう男ではあったが……しかし、同時に明日香に居場所を与えた男でもあった。
 そこにあったのは、愛情ではなく歪んだ共依存。DVに苦しむ女性の多くが、嵌ってしまう落とし穴。それに気付けなかった時点で、明日香を救うことは叶わない運命だったのだろう。
「人が死んで、事件を起こそうとしなければ動けない……。警察官の名が泣くわね」
「天におられる父は、何人であれ、如何なる時であれども、手を差し伸べておられるはずでしたのに……」
 俯く銀子と綺華の二人。そんな彼女達に、レティシアもまた天を仰ぎつつ言葉を掛ける。
「彼女が求めたのは、形のある救いだったのですね。だから、それを与えてくれる者達の言葉を受け入れてしまった……」
 明日香の溜飲を下げるため、敏明に具体的な制裁を与えられるよう提案すれば、あるいはこちらの話を少しは聞いてくれただろうか。
 理想だけでは、人の心は救えない。憎しみを否定するのは容易いが、誰もが心の闇の呪縛を振り切れる程に強いわけでもない。
 曇天の空の下に佇むケルベロス達にとっては、苦い勝利に終わった戦いだった。

作者:雷紋寺音弥 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年9月23日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 4
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