暗雲低迷

作者:絲上ゆいこ

●夕暮れが訪れる度に考える
 死んでしまおうか、死んでしまおうか、死んでしまおうか。
 ずっとずっと悩んでいる。
 眼の前には、研ぎから返ってきたばかりの綺麗な包丁。
 キッチンに立つ早苗は、痛む腹を撫でて口を開いた。
「……死んでしまおうか」
 口に出してみると、とてもそれは甘美で蕩けそうな言葉に聞こえる。
 服の下に隠れたアザにまみれた体を撫でると、鈍痛がじくじくと体を蝕むようだ。
「あの人が、もう直ぐ帰ってくるわ」
 一度漏れた言葉は、流れ出した水の如く止めどなく溢れ出す。
「気分が良ければ良いけれど、悪ければまた殴られるんだわ。私は綺麗でも可愛くも愛嬌が有る訳でも無いもの。あの人がいなければもう次の人なんて見つかる訳ないわ。この歳まで外で働いた事が無いし、あの人がいなければもう生きていく事なんて出来ない。あの人がもう直ぐ帰ってくる。また殴られてなじられて馬鹿にされて、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、気が利かなくて、役立たずで、私が死ねば若い女を新しく娶る事もできるのに。……ああ、ああ、ああ、ああ、ああ……、それでも、あの人しか、私には居ない……」
 夕日に包丁が煌めく。
「しんで、しまおうか」
 私は、もう終わっているのだから。
 玄関で音がした。
 彼の帰宅する音だと、心臓が跳ねる。
 髪を手櫛で整え、身なりを軽く整えた早苗は廊下へと向かい――。
「王女レリの命により、あなたを救いに来ました」
 顔を覆う白いヘルム。紫色の髪。
 玄関をくぐるように家に入って来たのは、女性のエインヘリアルであった。
「え」
「あなたは、あなたを虐げるこの男を殺す事で、救われなければならない」
 白いヘルムで目線を隠したエインヘリアルは手に持ったモノを、ゴミのように投げ捨てる。
 朝に出したスーツ、くたびれた靴。
 逃げる事も、憎んでも心から嫌う事も出来ないその顔は。
 気を失っていようが見間違える事は無い、早苗の夫だ。
「……え、あ……?」
 これは夢だろうか、それとも現実だろうか?
 混乱する早苗をじっと見ていた巨躯の女の後ろで静かに佇む、タールの羽根を持つ褐色の女が口を開く。
「――あなたを、救いに来たのですよ」
 再度伝えられる、包みこむように優しい声音。
 それは甘露のように、染み入る赦しの言葉だ。
「私は……生きていていいのですか?」
 知らぬ間に溢れた涙を拭く事も無く、彼女は倒れた男を見ながら呟く。
「勿論。あなたは、エインヘリアルとなり生まれ変わるのです」
「生きていて、いいのなら、……生きていて、いいのなら! ……私は、生まれ変わりたい」
 慈愛に満ちた表情で頷いた褐色の肌の女――、シャイターンは一息に手斧を横に薙いだ。
 彼女の首が椿の花のように零れて、そこから光が膨れ上がった。
 力が溢れ出す、救われたという事実に心が軽くなる。
 ありがとう、ありがとう、ありがとう。
 次の瞬間には、顔には早苗の面影を残したまま。人と比べればずいぶんと巨躯のエインヘリアルへと生まれ変わる。
「ありがとう、……こんなに楽になれるなんて思っていなかったわ」
 自らを救ってくれたエインヘリアルとシャイターンに柔らかく笑んだ彼女は、そのまま夫の首を刈り取った。

●選定
「これから俺は、お前達にとても難しい事を頼むぞ」
 肩を竦めたレプス・リエヴルラパン(レポリスヘリオライダー・en0131)が、ケルベロス達に宣言をする。
「旦那から家庭内暴力を受けている女性、……早苗サンっつーらしいんだが。その早苗サンがシャイターンの選定を受けて、旦那の殺害を引き換えにエインヘリアルとなっちまうんだ」
 男を想い男が居なければ生きていけないと思い込んだ女と、女を想いながらも彼女以外に吐き出す事の出来ない苛立ちをぶつけてしまう男。
 互いに相手しか感情をぶつけられる相手の居ない、閉じた環境の中の共依存。
 自らを暴力と言葉で否定され続けた結果。
 死を思う程に思いつめた女が、差し伸べられた『救い』に手を伸ばしてしまう。
「今からお前達にはその現場に急行して貰い、その選定を行うシャイターンと護衛のエインヘリアルを撃破した上で、可能であれば早苗サンがエインヘリアルに生まれ変わる事を止めて欲しいと、思っているぞ」
 レプスが掌の上に映し出した現場のイラストは、早苗の家の玄関だ。
 玄関にシャイターンと、白い鎧兜の騎士風のエインヘリアルが立ち塞がっており。
 そこから伸びる廊下に早苗、その横に早苗の夫が転がっているという配置となっている。
「エインヘリアルと言えば男性型の印象が有るが、今回現れたのは珍しい事に女性型だ。戦闘力はそんなに高く無く、男性型と比べると小柄だが……それでも身長は3m近くあるみたいだなァ」
 護衛のエインヘリアルはシャイターンを護るように、シャイターンは確実に攻撃を当てるように立ち振る舞うだろう、と付け足したレプスは瞳を細めて、資料を切り替えた。
「早苗サンがエインヘリアルになる事を受け入れる直前に現場に到着する事はできそうだ。そこでうまく説得できりゃァ、エインヘリアルになることを阻止できるかも知れないぞ。……エインヘリアル化しなかった場合も、敵サン達は早苗サンを攻撃する事は無いようだし。エインヘリアル化を防いで、敵を撃破できりゃぁ百点満点、花丸だ」
 難しいかもしれないが、と頭を振るレプス。
 こじれた夫婦関係。
 自らの死か、相手の死か。
 どちらにしても、人生を棒に振る心構えは出来てしまっているのであろう。
 溢れた水は元には戻らない。
「仲直りさせようとか、そんな男の為に人生を棒に振るなんてもったいない、とか。そういう声掛けは逆効果かもしれないぞ。……なんたって、そんな男の為に人生を棒に振るつもりだったんだ」
 どちらかの死を選ばなければいけないと思い込んでしまった女に掛ける声だ、慎重に選んでくれると嬉しいと、レプスは言う。
「ンで、だ。お前達の説得が失敗した場合は早苗サンはまず旦那の殺害を優先する。その後、エインヘリアルとシャイターンは彼女をまず逃がそうとするようだな。――もし早苗サンがエインヘリアルに成ってしまった場合は、彼女が逃げる前に撃破して欲しい」
 もし説得を成功しそうにない場合は夫を逃す方法と、エインヘリアル化してしまった場合は早苗を逃さないための作戦を練る必要があるだろう。
「正直説得はとてもとても難しい事だ。……早苗サンがエインヘリアル化するのは、旦那憎しだ。もし、もし、だが。早苗サンがエインヘリアルになる前に旦那が死んでいたら。エインヘリアルになる事も無いだろうな。……だが、これはただの一つの例えだ」
 そうして欲しい訳では無い、と眉根を寄せるレプス。
「お前達が、最善を導ける事を祈っているぜ」
 さあ、いこうか。
 レプスはヘリオンの扉を開く。


参加者
アリッサ・イデア(夢亡き月茨・e00220)
紗神・炯介(白き獣・e09948)
白石・翌桧(追い縋る者・e20838)
八坂・夜道(無明往来・e28552)
ココ・チロル(箒星・e41772)
今波瀬・遥日(空の向こう側・e43300)
四方守・結(精神一到・e44968)
山下・仁(ぽんこつレプリカント・e62019)

■リプレイ


「あなたは、あなたを虐げるこの男を殺す事で、救われなければならない」
 柔らかい声音は早苗の心を溶かすように染み渡る。
「え、あ……?」
 そうか、殺せばこの男から逃げ出せる。でも、この男が居ないと、私は生きていけない。
「――あなたを、救いに来たのですよ」
「私は……生きていていいのですか?」
 男がいなくとも、生きていて良いのか。褐色の女が口にした言葉は、自らの行為を赦す言葉だ。
「勿論、あなたはエインヘリアルとなり生まれ変わるのです」
 潤んだ瞳より溢れる早苗の涙。そうか、人でなくなれば。
 そこで玄関が開き、暁色が玄関を満たす。8人と3体の影が、彼女達に掛かった。
「ちょっと待ったー!」
「『生きていていいよ』って他人から言われないと、生きちゃいけないなんてことが間違ってます」
 響く山下・仁(ぽんこつレプリカント・e62019)と今波瀬・遥日(空の向こう側・e43300)の声。割入ったケルベロス達が、これ以上予知をなぞらせる事は無い。
「ケルベロス共か……!」「救済の邪魔をしないで貰おうか!」
 振り向いたデウスエクス達は、早苗を護るように。エインヘリアルが盾を構えて加護の力を漲らせ、シャイターンが砂嵐を巻き起こす。
「どんなに苦しくても、痛くても。貴方は、必死で生きてきたでしょう?」
「自分の人生を終わりに、しようと思う程の絶望に、あなたはこれまで、耐えて、きた方」
 仲間達を庇う形で前へと出たのは、アリッサ・イデア(夢亡き月茨・e00220)と、ココ・チロル(箒星・e41772)だ。
「それができるのは、何もできない弱いひとなんかではない。――貴方は強いひと」
 精微な細工を施された槍斧をアリッサが掲げ。ココがまっすぐに早苗へと視線を向けると、涙を湛えた瞳と橙の視線が交わる。
 様々な事が一気に訪れ、言葉を失う早苗。
「その、強さがあればきっと、あなたは、ここを出ても何だって、できる筈」
 それでも言葉を伝えようと。
 アリッサは光の軌道を描き、輝くルーンの力を白鎧へと叩き込みながら言う。
 彼女によく似た姿のビハインド、リトヴァが掌をぐっと握りしめ。
 靴箱から飛び出した靴が重ねる形で殺到した。
 一瞬怯んだ、デウスエクス達の隙を逃さぬ、金の獣の眼光。
 揺れる長銀糸。壁を蹴った紗神・炯介(白き獣・e09948)が敵達の後ろへと回り込んで、青白い地獄の炎を散らす。
 そのまま身を小さく屈め、白鎧へと繰り出したのは掬い上げるような回し蹴りだ。
「離れて貰おうか」
 チリチリと肌上と体内を焦がす地獄は、敵の熱を奪い貪る。
「お前達に彼女の何が解る!?」
 吠えて思わず距離を取った、デウスエクスの隙を逃がす事無く。
 ケルベロス達は一気に間へ割り込み。番犬と敵達は立ち位置を逆転した形で、早苗と旦那を背にする形で布陣しなおした。
「さぁな。黙ってりゃ誰かに救ってもらえるなんて経験、俺にゃ無いもんでな」
 竜砲を構え、白石・翌桧(追い縋る者・e20838)は深黒を揺らして瞳を細める。
 自らは救われなかった、救えなかった。今も左眼は。自らの地獄は、自らを眺め続けている。
 ならば、翌桧には解るなどと。嘘でも言う事は出来ない。
「ああ……彼女の苦しみを解る、なんて軽々しくは言えない」
 ハルバードを構えたままのアリッサにも、そんな事は出来ない。
 それでも、それでも。
「ずっと痛く、苦しかった、でしょう」
 翌桧と同じく竜槌を構えた、ココの紡ぐ言葉。
 それでも、共感を口に。理解したいと願うのだ。
 小さく頷いたアリッサが、次の言葉を紡ぐ。
「……だから。貴方が『生きていたい』なら」
「痛い思いをせず、苦しまずに。そして、エインヘリアルになど、ならなくても。――あなたは、『人』のまま生きて、いいんです」
 低く構えたココは槌を砲に変え上半身を捻ると、体のバネを跳ねさせるように。
 逆方向から、助走を付けた翌桧が大きく槌を振り上げ――。
 エインヘリアルが構え直したガードの上へと同時に叩き込む!
「生まれ変わるでもない、死ぬでもなく。『生きて』掴みましょう」
 紫水晶の瞳を揺らして、アリッサは願う様に伝える。
 彼女が、生きていたいと願うのなら。アリッサは救いたいと、思うのだから。
 だって、物語の終わりは、幸せなほうがいい。
 幸せの無い結末なんて。そんなのは、悲しすぎる。
「もう、痛い思いも苦しい思いもしないよう……、わたしたちが助けるから。『人』としての明日を、諦めなくてもいいのよ」
「あなたがこれからも人として、生きられる一歩を、踏み出せるように。私達は助けに、来ました……!」
 勢い任せに振り抜かれた盾に、投げ弾かれたココが床に足轍を生み。
 慌てて走り込んできたライドキャリバーのバレに支えられながら、それでもココは懸命に早苗へと言葉を伝えようと彼女の瞳を見た。
 みっともなくても生きている、かっこわるくても、ここにいる。
 彼女の言葉に応えるように、バレがエンジンを唸らせて敵へと体当たりをぶちかます。
「それに早苗殿は見ず知らずの人々まで命を奪う覚悟があるでやんすか?」
 バスターライフルを構えながら、仁は早苗へと尋ねる。
 旦那を殺してデウスエクスになった後。エインヘリアルになった後は――。
「そいつらは地球の敵デウスエクス! デウスエクスの手駒になっても、ぼろ雑巾になるまでこき使われた上で捨てられて死ぬだけでやんす!」
 仁の放ったフロストレーザーは冷気を撒き散らしながら、エインヘリアルの盾を、腕を凍りつかせる。
「それにあっしらケルベロスと敵対すれば、今までの暮らし以上に死と隣り合わせになるでやんす!」
 眼の前で繰り広げられる戦いには、本当に戦いに身を窶す覚悟があるのか問う力は抜群だろう。
 早苗は一瞬喉を鳴らして、目を丸くした。


 赤い糸、白い糸。
 柔らかな糸を紡ぐ、四方守・結(精神一到・e44968)は瞳を細め。
「搦め捕られろ」
 言い捨てるように呟いた彼女の糸状のグラビティは、デウスエクス達に絡みつく。
 倒れた男、混乱した女。結の青瞳に揺れるのは、夫婦への同情と哀れみの色だ。
 この二人は、どうにもならなかったのだろう、と思う。
 しかし、結には理解出来ない。
 八坂・夜道(無明往来・e28552)が御業を膨れ上がらせて、仲間へと加護を与え。
「謝ってばかりだけど本当にあなたが悪いから? 彼の仕事での苛立ちはあなたのせい?」
 穏やかに尋ねる彼女の瞳は、過去に自らも進退を戸惑った事のある共感の色。
「それは……違う、かもしれないけれど」
「同じ理由で他の人を彼は殴る?」
 多分違うと、首を左右に降る早苗。
「なら、妻という所有物だから捌け口にして、便利なモノが逃げない様脅してるだけ」
「……」
 早苗は、気づいていたのであろう。倒れた夫を見下ろし下唇を噛む。
「彼に決めつけられた弱さに惑わされないで。出来ないんじゃなくてやる前に諦めないで」
 自らも叱咤され手を引かれた事を、頭の中でなぞる夜道。
「外の世界は戸惑う程広いけど、それだけ可能性も満ちてる。だから探しに行きましょう?」
「そうそう。誰に求められずとも、自分のまま、自分らしく生きる権利がどんな人にもあるはずですから」
 勇気づけるように、遥日は笑う。
 オルトロスの風雷が、同意するように吠えた。
「勿論、あなたにも。……人に迷惑を掛けない限りでね!」
 小さな黒い翼を広げ、遥日は歌を紡ぐ。
 眠るのならばその憎悪ごと。
 委ねなさい。眠りなさい。貴方は再び飛び立つために招かれる。
 生を死を謳う歌は、仲間たちに加護を与え。
 風雷の睨めつける先には炎の花が咲く。
「どうせ人生棒に振るなら明日のある方に行きません? 旦那さんも今までの生活も全部捨てて! 一人でいろいろ考えたりやってみたりするのはどうでしょう!」
 首を傾ぐ遥日。
 自分を刺す事はいつだってできる。でも、刺してしまったらもう絶対にやり直せないのだ。
「ね、早苗さんに好きなものや趣味はありますか? ありましたか? もう一回やってみましょうよ。楽しいかもしれませんよ!」
 『辛くても生きろ』なんて言いたくない。楽しかったこと、好きだったことを、思い出して貰いたいのだ。
 どうやっても駄目なら、その時に。
「君がこのまま虐げられていい理由なんて、一つも無いんだから。大事なのは君がどうしたいかだ」
 炯介が柔く瞳を細め、真摯に紡ぐ言葉。
 できるだけ、彼女を怯えさせぬように、穏やかに言葉を伝えられるように。
 全てを抱える事は出来ない、それでも、今この手が届くのならば。
「お前達はいつもそういう綺麗な言葉ばかり吐く。最後まで彼女を救いぬく気が無いのならば、退け!」
 褐色肌のシャイターンが吠え、手斧にグラビティを籠めてその身を捻る。
「レリ女王は、私達を救ってくれたのだ! 男を殺せば彼女も救われる。もう怯える事はありません、私達が救います!」
 重ねる形で盾を振り上げた白兜のエインヘリアルが、一気に踏み込み。
「こちらが話している所だ、口を挟むのを止めてもらおうか」
「リトヴァ」
 軽く跳ねた結が糸をぐいと引き、ガードを固め――。アリッサの言葉に反応したリトヴァが盾に向かって金縛りを叩き込む。
 狙われた炯介の横で。掲げた八獄の柄と、引き絞った糸で振り下ろされた盾をなんとか受け捌き。
「……ッ!」
 ぱっと散る鮮血。シャイターンの踏み込みに合わせて重心を落とした炯介が、片肩を斧に叩き込む事で肩骨で受け止め。
 呪いめいた銀指輪。
 上半身を振り抜いてシャイターンを弾き飛ばしながら、逆の腕から繰り出した音速の拳を白兜に向かって撃った!


「君にここから抜け出したい気持ちが少しでもあるのなら、行政の支援を受ける事もできる」
 鮮血を零しながらも、炯介は言葉を次ぐ。
 Hen lu craret、Ren le ariet la Avnir。
「定めの花よ、希望を謳い導け」
 アリッサの詠唱は、一輪の薔薇を生み出す。夜藍を、暁を花弁に移す透の花弁は一瞬で散り。
 その残滓は癒やしの加護と化して炯介を癒やした。
「お金に不安が有るのならば、僕のKCも使うといい。エインヘリアルになんかならなくても、君に差し伸べられた手はあるんだよ」
 閉じた環境では有益な情報を知る事も、自分の価値に気付く事も難しい。
 ましてや暴力を振るわれていては、徐々と心は死んでいってしまう。
 炯介は、バックステップを踏み、遥日のばら撒く紙兵が加護を宿す。
「今までよく頑張ったね。もう、独りで我慢しなくていいんだよ」
「早苗殿、あっしも数ヶ月前まで家の中に引き籠っていたでやんす。……ケルベロス内でも最初の内は中々溶け込めず大変でやんした」
 身体を変形させ、仁は自らの過去を思う。
 ずっとネットだけと繋がっていた日々。
 仁のきっかけは作品であったが、きっかけは何でも良い。外に出る事が出来てからも、不安は纏っていた。
 それでも。
「でも、次第に仲良くなれたでやんす。大丈夫、あっしですら何とかなったやんす!」
 光線を吐き出し、力強く仁は伝える。
「旦那に言いたい事、たくさんあるだろう? この際だから吐き出しちゃいな」
 自らの普段ならば、伸ばさぬだろうこの手。でも、今この手が届くなら。
「できるよ、君なら。大丈夫、邪魔はさせない」
「……私は、怖い」
 ぎゅっと拳を握りしめて、早苗は言葉を零す。
「人が怖い、この人が怖い。……お金だけで無く一人になるのが、怖い。だってこの人が私を所有したい可愛そうな人だと、……解るの」
 共に生きるならば、信頼できる人を選ばなければいけない。
 でも本当に信じるべきは自分で、敵も自分自身なのだ。
「――死に抗うならば」
 早苗の言葉に漂う、深い不安と絶望の香りを感じ取り、夜道はすこし悲しくなる。
 これは、逃げ切れる訳がないという諦めの色だ。
 生きるも死ぬも彼女次第だ。
 それでも、伝えたい言葉はある。
「逃げていいのよ、あなたの人生はあなたのものだから」
 魂の火が燃える、再生の炎が癒やしとなって燃える。
「理不尽に耐えたあなたは困難に耐えられる強さをもう持ってるんだよ。――自分の力を信じて」
「……その男が生きていては、あなたは苦しみ続ける!」
 吠えるエインヘリアルの盾を、ココのエネルギー光弾が砕いた。
「早苗さんが、人のまま生きる選択肢も、あるでしょう」
 息を飲んで言うココがバスターライフルを抱えて、更に言葉を紡ごうとした瞬間。
 表情を変えず、結は尋ねる。
「結局、君はどうしたいんだ?」
「俺は他の連中ほど優しくは無いんでな」
 翌桧は瞳を細めて、目線だけで旦那の位置を確認してから彼女に向き直った。
「死にたいなら死ねばいい。殺したいなら殺せばいい」
「衝動に任せて力を得て、あの男を殺すのも構わないが、そうなると君は私達の敵だぞ」
 結が重ねる言葉。
 彼女が生きたいと願うならば手を伸ばそう。エインヘリアルになるというならそれも良い。
 だが、選択に対する相応の責任、報いは受けて貰わねばならない。
「だが、その選択は本当にお前の意志なのか? その選択に後悔は無いか? さんざん流されてきた人生なんだろう?」
 理不尽に奪われる命であれば、翌桧の手が届く範囲で救おう。
 しかし、今回はそうではないのだ。
 この倒れている男にしても、自業自得であろうと翌桧は考える。
「私はケルベロスで、君はデウスエクスだ」
 後は説明しなくても分かるだろう、と結は髪を揺らし。
「……幸い、この場に集まったメンバーには心優しい者もいるようだ。ここで思いとどまったとして、今後どうしていいか分からないなら、私達に頼ってみるのもいいだろう」
 早苗が顔を上げる。
「他人に選択を委ねるな。お前の人生だ、お前自身の手で選んでみせろ」
「今逃げて新しい生活が出来たとしても、この人がいつか私を追いかけてくる事が、怖い」
 早苗は吐き出すように言う。
「出ていっても、やっていけるかもしれない。でも、今は守られても、いつかは……その時、戦うのは私でしょう? あなた達はいない。……だから生きるために、私は本当の力を持って、生まれ変わりたい……!」
「勿論」
 投げつけられたシャイターンの手斧が、早苗の首を椿のように零し。
 室内に光が満ちる。
「そうか」
 翌桧が男へと駆け寄り、細く息を吐いた結は八獄を抜刀した。


 倒れた3体のデウスエクス。
 意識を失ったまま、まだ眠っている男。
 夜の帳は、住人が一人になってしまった家を飲み込み始めていた。
「――介すは焔の鼓動」
 バレを抱きしめたココは治癒の丸薬を男の口に放り込む。
 夜道は家にヒールを施しながら、窓より覗く煌めき出した空を見上げた。
「生かされるんじゃなくて自分の足で共に歩んで、支え合う為に人生を共有して生きていければ」
 よかったのにと。夜道は拳を握りしめた。

作者:絲上ゆいこ 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年9月22日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 8
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