世界は白に包まれる

作者:ハッピーエンド

●ナザク・ジェイド(甘い哲学・e46641)
 雪。それは季節外れの雪だった。優しくシンシンと。時の流れを遅々と染め。白は世界を無音に包む。
 男は何かを手に乗せ、白い息を零しながら空を見つめた。月光に照らされる白銀のパウダー。その光景には誰もが見惚れる美があるが。
「このままでは冬眠しそうだ……コーヒーが恋しい……この際、ちくわときりたんぽでもいい……」
 色白なサキュバスはブルッと紫の翼を震わせると、身体に掛かった雪を振るい落とした。それでも身体に残る小さな結晶は、その髪を、身体を、宝石のようにキラキラと装飾し、
 ――サクッ。
 不意に、背後で音がした。重みが雪に沈む音。柔らかで繊細な。天使のように軽やかな。
 男は静かに緊張を纏った。ここは人里離れた地。考えられる選択肢は、動物。同業者。或いはデウスエクス。
「ごきげんよう、私の王子様。キラキラ衣装に身を包んで、ようやく迎えに来てくれたのね」
 幼く、柔らかな声だった。敵意は無い。だが、その声を聴いた瞬間、男に異変が訪れる。
「待っていたわ。もう長いこと、ずっと。ずっと」
 男の口より白煙が零れだす。それは息苦しく動悸し。ゆっくりと、しかし小刻みに、整えようと、ゆっくりゆっくり振り返り、怜悧な瞳をソレへと向けた。
 人形のように美しく。それでいて無機質な少女がそこにはいた。
 美しいブロンド。紫の百合。清純な翼は左しか残らず、右は骨が剥きだし。そして――、
 紫の瞳。
 互いの瞳に映り込む、同じ色相を持った紫の瞳。
「嘘、だろ……」
 時が凍る。ただ白煙が動悸する。視線は磁石の様に引き付け合い。逸らすことすら許そうとしない。そして、少女の瞳から雫が零れた。
「……哀しい人。雨が降っている……。貴方の中でザーザーと。悲しいの? 悔やんでいるの?」
 男は思わず胸に手を当てる。なにか言葉を返そうとするが、思考の濁流が押し流す。少女の涙。それだけでも惑う理由として充分だというのに――、
「委ねればいいのよ。身も、心も、全て誰かに。そして貴方は解放される」
 少女が音階を紡いだ。透明感のある旋律で。物悲しい調べで。
「貴方は雨。ザーザー流れて、誰かに溜まる。私は受け皿。貴方の全てを受け止める――」
 サクッ。サクッ。
 少女は近づく。男は下がる。だが一歩だけ。その瞳に迷いが滲む。息が触れ合う程まで近づいて、そっと腕は男に回る。そして優しく優しく沁みる様な声で囁いた。
「さぁ、目を閉じて。悲しい事も、辛い事も、全部忘れさせてあげるから」
 男は動かず。声も出さず。ただ瞳の奥で激情は荒れ狂う。
 沸き立つ想いは何色か。

●友が悪夢に捕られる前に
「! 揃いましたね。このような夜半に駆け付けていただいたこと。感謝いたします」
 アモーレ・ラブクラフト(深遠なる愛のヘリオライダー・en0261)は慌ただしく来訪者へ顔を向けると、掴んでいた漆黒の無線機を一度卓上へ置いた。
「また我々の善き友が襲撃されます。今回のターゲットは、ナザク・ジェイド(甘い哲学・e46641)氏。なんらかの調査で季節外れの降雪地帯に赴いたところ、デウスエクスと接敵。襲撃を受けると予知されました。例に漏れず本人との連絡は付かない状況です。このままでは氏の生命は、風の前の塵に同じ。こちらも全力をもってヘリオンを飛ばしておりますが、開戦に間に合うかどうかは紙一重です」
 汗は雫となりアモーレの額から零れ落ちる。研ぎ澄ましているのだ、精神を。いつもならその様子を見て、ハニー・ホットミルク(縁の下の食いしん坊・en0253)が汗をぬぐうところだが、今はその姿が見当たらない。
「敵は死神。見た目は人形のように見目麗しいオラトリオの少女。現場は人里離れた雪原。人払いの必要はありません。索敵はこちらにお任せ下さい」
 続いて、アモーレの指輪からロイヤルブルーの光がモニターへと走る。
「これが敵の戦闘データです。ポジションはメディック。列攻撃と回復手段を有します。初期の時点で戦闘力は凡庸。皆様の実力を鑑みれば容易な相手です。が、注視していただきたいのはその特性。これが厄介なのです。仮にメタモルフォーゼとでも名付けましょうか。3分の間、こちらの戦術を見定め、その後その戦闘力に応じ、形態を変化させてきます。故に侮られれば容易な敵となり、強敵と認められれば、それに相応しい姿と実力とを以て皆様の前に君臨することでしょう。詳細は資料にて確認ください」
 ケルベロスは資料に目を落とす。道化を演じるか、誇り高く戦うか。そのリスクとリターンを秤にかけ。そして――、
「見つけた!! 2時の方向!!」
 緑のエルフの声が、無線から響き渡った。
 瞬間、金のオラトリオは機体を制御し、ケルベロス達は一瞬で降下準備を整える。
「エクセレント! それでは皆様! 氏がまた恋焦がれる甘味へと巡り合えるよう、救出をお願いいたします!」
 ある者はサムズアップし、ある者は『ちくわじゃなくて?』と言いながら降りていく。最後の者が降下した後、アモーレの口から一つ言葉が紡がれた。
「そしてどうか。その因縁に、納得のいく決着を――」


参加者
レカ・ビアバルナ(ソムニウム・e00931)
ヴィルフレッド・マルシェルベ(路地裏のガンスリンガー・e04020)
朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)
櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)
葛城・かごめ(幸せの理由・e26055)
シャルフィン・レヴェルス(花太郎・e27856)
ラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)
ナザク・ジェイド(みちしるべ・e46641)

■リプレイ

●心の澱
 この人を思い出すとき、いつも雨が降っている。その表情は歪んでいて、瞳は怨嗟の涙を流し、口は呪いの言葉で溢れかえる。
「皮肉なものだ。生きていた頃のあんたは、そんな優しい言葉はかけてくれなかったよ」
 自分でも笑ってしまう。俺は今、心の中で、彼女に己を委ねたいと思ってしまった。しかし、口をつくのはこんな恨み言。
「悔やんでなんていない。悲しい事も辛い事も今の俺には大事なものだ。貴女に愛されて幸せに生きていたら、きっと仲間や……彼女には巡り会えなかったから」
 想いは様々な色を持ち、ない交ぜになる。伝えたい感情は一つに収まらず――、
「そしてお前は、アレを過去にしたのか」
 投げかけられた言葉は酷く冷徹で、心を抉る鋭さがあった。
 ああ。やはりそうなのか――、
「アレの真似をするのは骨が折れたが、どうやらお前で間違いなさそうだ」
 これは死神。身体があの人のものなだけ。
 分かってはいる。だが――、
 身体はどうしようもなく凍り付く。
「なんのようだ死神」
「殺しにきてやったのだ」
「それはあの人と――」
 関係あるのか? そう言おうとして呑み込んだ。関係無いわけが無い。
「アレとは縁があってな。アレが死ぬまでの間、十数年の時を共にした。アレの為にお前を害すると決めたのだ」
 目の前を暗幕が覆いつくした。
 死まで望んだのか、あの人は。死神と取引をしてまで。
 少女の指が首を這う。抜け出さなければ。戦わなければ。しかし瞼のシェードは暗澹として、心のエネルギーは鉛のように重く――。

 ――刹那。光が線を引いた。少女の指先が雪上に叩き落とされる。
 天空から放たれし白銀の閃光。
 少女は反動で転げると、俊敏に飛び退きながら空を見た。が、
 既に眼前へと漆黒の流星が迫っており――、
 咄嗟に光の障壁でガードする。が、流星にはそれを砕く硬度があった。
 雪原に降りたのは3人の勇者。
 フワリと赤茶の髪を揺らし、決意と迷い。相反する感情を瞳に宿した女性。レカ・ビアバルナ(ソムニウム・e00931)。その身体の周りでは、風が舞い、木の葉が躍る。
 それを纏わせたのが、銀髪の少年。ヴィルフレッド・マルシェルベ(路地裏のガンスリンガー・e04020)。いつものドヤ顔は鳴りを潜め、冷徹に死神を見ている。
 そして流星の正体は、漆黒の乙女。葛城・かごめ(幸せの理由・e26055)。少女の姿を見るや、思わず『似ている……』と零し、ナザク・ジェイド(みちしるべ・e46641)を窺い見る。
 ――サクッ。
 雪原にまた一つの影が降る。影はよっこらしょっと身体を持ち上げ、
「なんだ、まだ生きてたか」
 今、この場で初めてかけられた言葉は、よりにもよってコレだった。
 藍のサキュバス、シャルフィン・レヴェルス(花太郎・e27856)。
「……なんてな。最――」
 何か軽口のフォローをしているようだが、ナザクには先の一言だけで十分。
「愛用のちくわを持たぬからこんな目に遭うのだ」
 その後ろから、眠たそうな顔をした赤茶けた頭髪の男がぬらりと現れた。櫟・千梨(踊る狛鼠・e23597)。
 ナザクの顔は複雑に揺れる。
「来て……くれたのか……」
 掛け値なしの感謝と、少しの後ろめたさ。
「ちょおおーっと待ったー! その言葉はフライングですよー!」
「そうだぜ! まだまだ来てくれたやつらはいるんだぞ!」
 声の主は天空から。慌ただしく舞い降りる元気の化身その1その2。赤茶けた短髪をポップに揺らす猫娘、朱藤・環(飼い猫の爪・e22414)。草木模様のバンダナをひらひら翻すラルバ・ライフェン(太陽のカケラ・e36610)。
 そして雪原へと一斉に影が降りる。
 涼やかな瞳をした金髪のレプリカント、君乃・眸。そのビハインド、キリノ。
 常に笑顔を崩さない白髪の巨漢、尾方・広喜。
 繊細な空気を纏う青髪のレプリカント、エトヴァ・ヒンメルブラウエ。
 漆黒の衣装に身を包む穏やかな青年、ジェミ・ニア。
 人の良さそうな黒髪の青年、風疾・紫狼。その箱竜、ヴァーチェ。
 ハニー。チョコ。
 死神はその姿を観止めると、静かに距離を広げた。

●想い
 雪原は戦場と化した。
 ラルバと環から生み出された双竜が、唸りをあげて疾駆する。それは巻き付くように少女の脚を絡み取り、
 ナザクの掌から現れた憤怒の化身が少女を裂く。
 その瞳に怒りの色が灯った。
 雪原のリンクで少女は次々と斬撃を受け舞い踊る。装甲は剥ぎ取られ、武器は砕かれ、回復手段も潰される。
 支援からは仲間を強化する光が降り注ぐ。
 圧倒的な戦況。だが、少女は凪の如く。冷徹な瞳で番犬を値踏みする。
 息つく間もなく、3分が経とうとしていた。
 トドメとばかりに千梨の呪符が威を示す。

「なるほど……よく練られた隊列。戦い辛いな」
 瞬間。雪原が爆ぜた。雪が舞い上がる。スノードームをひっくり返したかのように。キラキラと。
「雪が……」
「これが雪だと思ったのか? これは涙。アレが流した幾万の」
 雪が集まる。吹雪となって。少女の身体を白で包み。それは翼に姿を変え、その身体が成長していく。
 眩いくらいに美しい、人形みたいな女性がそこには在った。
「やっと、馴染みのある姿になったな……。その人はいつも泣いていた……」
 ナザクの声。リリーが怜悧な瞳を向ける。
「ナザクといったな。一つ問おう。お前はアレをどう思っていた」
 一瞬答えに詰まった。
 その質問への答えは整理されぬままに心の隅に置かれていたから。
「……自分を棄てた男そっくりの子を産んで、愛せなくて苦しんでいた可哀想なひと。愚かだとは思う。けれど、俺さえ生まれなければ彼女は幸せだった。それもまた事実。ならば彼女を屠るのは俺の役目だ」
 それは客観的な分析。塗り固めた本心。
「なるほど、お前はアレをそう見ていたのか」
 死神は顔を歪め、
「報われんな」
 ナザクの胸に冷たいものが落ちた。
「お前が……何を知っている」
「知らぬさ。知らぬからこそ戦えるのだ」
 獰猛な突風が吹き荒れる。

 雪原のリンクでリリーが踊る。金の髪は月光に煌めき、纏った涙は宝石のように光り輝く。
 装甲は剥ぎ取られ、武器は砕かれ、凍り付き、回復手段も潰される。番犬達には支援の光も降り注ぐ。
 だが均衡。先ほどとは打って変わって、形勢は傾かない。番犬の戦術は堂に入っている。支援も主戦をしっかり補っている。ただやはり、
 リリーは強い。この場では。
 それなのに――、
 ナザクへ向けた怒りは増える。轟々と。
 仲間を護りたいから。貴女が誰かを傷つけるのは嫌だから。
 友は見守る。覚悟して。
 大切なのはナザクの心。
 傷つけられることが救いに繋がる事もあるというのなら。

 翼音が鳴る。雪が煌めき、粒子となり、漂い漂いリリーの手中で脹らんでいく。
 それは粉雪のようにチロチロと、ナザクの元へと降り注ぎ、
 ――直視できない光が焼いた。
 ナザクはドウと倒れ伏す。
 瞬間。友の身体は弾かれた。

 ――そんなに何もかも受け止めようとは。難儀だなあ、ちくわ野郎。
 千梨の鎌が、ナザクを護る様に、リリーの身体を薙ぎ払った。
 リリーは飛び退く。しかし、息つく間もなく光が射貫く。
 レカの脳裏に焼き付く姿。光が生まれ、大切な友がボロへと変わる。
 ――あなたは本当に!
 弦を握る手は震えていた。
 リリーはナザク目掛けて光を集める。
 だが、疾風が駆け抜ける。
 ――任せろ!! /任せました!!
 ラルバは咄嗟にナザクを突き飛ばし――、
 光が迫る。
 ギュン。
 それは一瞬収縮し、
 その場に一つのクレーターをこしらえた。
 それでも、腕を引きずり、ラルバはナザクに近づく。
「実はな。ずっと、この言葉を返したいと思ってたんだ。なぁナザク。起きろよ『お前が助けた者達は、お前が助からなければ救われない』。だろ?」
 ナザクの身体はピクリ揺れ、夢の中に意識は戻る。
「その台詞、私も使って良いのかな?」
 漆黒の塊が電光石火に跳び込んだ。雪原をリリーが滑る。
「あんな想いは二度と御免。分かってるの? 二人とも」
 かごめの真っすぐな瞳が二人を射貫く。
「まったくその通りだよ。みんな無茶し過ぎじゃないかい?」
 死角から、ヴィルフレッドが滑り出た。
「まぁ!」
 どこからか上がる突っ込みの声。
 ヴィルフレッドはクスッと笑い、
「ああそうさ。あの時、二人でボロボロになったよねって、まだまだこれからも一緒に笑い合いたいんだよ」
 氷の戦輪が雪原を滑る様に駆け抜ける。
 リリーは氷に顔を歪めながらも、止まらない。その手の中で光球は光り輝き、
 光が降りる。ナザクの命を包むため。だがまた、その前に立ちはだかる者がいた。それは、
「おや? そういえば俺はメディックだった気もしたが?」
 サボりがちなサキュバス。シャルフィン。
 失いたくない。その思いが平静な顔の後ろから前に出た。
 まあいい。退くのも面倒だ。
 全てを受け入れるように目を閉じ――、
 3人まとめて投げ飛ばされる。
「残念でしたね! これは私の役目です! 私にもちょっとは護らせろー!!」
 尻尾を逆立て、迫真の笑顔を顔に貼り付けて、環が笑う。振り返り、ペロッと舌を出し、敬礼。その勇姿は光に包まれ――、

●白い世界
 声が聞こえる。聞き慣れた泣き声。だが聞いたことの無い泣き声。頑なに、聞かないようにしてきた誰かの声。
 いつだって、隣に誰かを求めていた。だが深入りはしなかった。いつまでも一緒にいたい心と、去られても仕方ないという言い訳。
 飢えているから。それだけに、痛みも人以上に感じてしまうから。
 雨が降る。心の中でザーザーと。
 ――不意に一つ、光が灯った。
「ナザクには、帰らなければならなイ場所があルのだ」
 これは誰の声だっただろうか。頼りがいを感じる声。近くにいる影の気配もどこか覚えが。
「ナザクが雨ならそいつはきっとすげえあったかくて、優しい雨だぜ。だから皆で受け止める」
 また一つ、明かりが灯った。眩しく前向きな光。これは一体。
「……あなたが生まれてきてくださった事、皆感謝していマス。あなたも、立って無事に帰りまショウ」
 また一つ灯る。落ち着く光が。ああ、そうだ。俺には居場所があったはずなのだ。
「……」
 言葉は無くとも明りは灯る。言うべき言葉を探す気配。ああ。俺はこの控えめで優しい気配を知っている。
「最後まで、受け止めきるんでしょう?」
 光が身体を癒していった。母親のようなこの物言い。この暖かさ。となりに佇む箱竜の気配も。……お前なのか。ああ。全て思い出した。
 眸。キリノ。広喜。エトヴァ。ジェミ。紫狼。ヴァーチェ。
「……俺は、どれだけ気を失って……」
 言いかけて、ハッと気づく。投げ慣れたカプセルを放った感覚が手に残る。戦っていたのか? 俺は……。
「良いところで意識が戻りましたね。見て下さいよ。本当に、頼りになる人たちだなぁ」
 盟友の言葉に促され、前を向く。
 荒れ果てた戦場。誰も彼もが満身創痍に傷ついている。だが、
 すっかり雪は薄くなり。あの人は既に膝をついていた。
「決着を」
 優しい顔が、一斉にナザクを向いた。
 頼もしい。頼もしい、友の姿。胸が熱くなる。
 あぁ……レカ。ラルバ。かごめ。ヴィルフレッド。環。千梨。シャルフィン。ハニー……。
 視界に映る、友の雄姿。そして――、
 鮮明に映った。ボロボロで、最期の力を振り絞るリリーの姿。
 身体が思考を跳び越えた。
 鮮血が舞う。その腕はリリーを抱きしめていた。強く。強く。
「そうか……お前も、愛していたのか……」
 胸の中で囁く死神の声。
「お前に、なにが分かる……」
 笑おうとする。が、悲壮は消せない。
「俺が愛そうとも、あの人はあいつの事しか――」
 不意に、疑念が過った。なぜ、それに気づかなかったのだろう。
「……一つ聞いても良いか。死神よ」
「なんだ」
「お前は……その人に見てもらえたのか?」
 胸の中でその顔は、悲しそうに哀しそうに微笑んだ。
 ――ああ、お前の中にも、雨は降っていたんだな。
 もう、終わりにしよう。
 ナザクの中から力が生まれ、
 雨が降る。ザーザーと。
 人はどうして涙を流すのだろう。愛を求めて、飢えて、乾いて。干乾びて死ぬことが無いように、自ら濡れるのかもしれない。
 乾くよな。飢えるよな。濡らしてやるよ。流れてやるから。さぁ、俺を受け止めてみろ。だから、お前も流れればいい。俺が受け止めてやるから。
 雨垂れは斬撃となり、天使の身体を斬り刻む。ナザクの姿は光に包まれ、リリーの姿を映し出す。
 死神の目がみるみると開かれていった。
「……本当に殺しに来てくれたのか。本当に……。……ようやく、私を見てくれたのか……ッ!」
 それは泣きながら笑っていた。
 息は微かに、力は失せ往く。今際の中で死神はポツリ。
「アレはお前を愛していた……」
「殺すように言ったのにか?」
「死など……望んではいなかったのだ……」
 今度はナザクの目が開かれる番だった。
「私は言ったのだ。お前の煩いを取り除いてやろう。と……。だがアレは答えた。『息子に手を出したら、殺すわよ』。と……。
 思った……。殺したいと思われるほど強く想われるとしたら……。それはなんと素敵なことだろう、と……。その為に、お前を害そうとしたのだ……。
 アレは確かに良い親ではなかったのだろう……だが、ナザク……。笑顔を向けること。物を与えること……。そんなこと、愛など無くても容易にできる……。だが、殺すべき理由があるのに、ナイフを向けないこと……。それには、どれだけの愛を……必要とするのだろうな……」
 ――免罪符にはならないな。
 そう言うと、死神は薄く微笑んだ。
「私は満ち足りた……。もう良い……。残りはお前にくれてやる……」
 死神は安らかに目を瞑り――、
 ソレが目を開けた。

 嫌な顔。
 ああ。何万回も聞いた言葉だ。
 本当に、何度見ても何度見ても、あなたの顔は最悪ね。
 言いたいことはそれだけか?
 でも、愛していたの。
 ……今、なんて?
 愛していたわ。愛していたの。
 ……下手くそめ。死神。お前の芝居だってことは分かっているぞ。あんたが、そんな言葉を吐くものか。
 でも、愛していたの。
 そんな台詞、
 ――愛しているわ。
 ……いいさ、騙されてやるよ。お前の最期の嘘なんだろう。餞別代りに受け取ってやる。
 もう時間ね。往かないと。……ねぇ、ナザク。私の愛しい子。……あなたがいなければ、私はもっと不幸だった。
 リリーの身体が、淡く光に変わっていく。
 去るのか。そう、だろうな。逝くのか。まぁ、仕方がないよな。なんだこの手は。ああ、俺の手か。伸ばしても届かないぞ。分かっているだろ? でも伸ばしたいのか? なら、仕方がないな――。
「消え……ないでくれ……ッ!!」
 世界は白に包まれる――。

●そして
 鍋がグツグツ煮だっていた。
 この空気感で鍋を取り出し、肉を煮始めた二人組に、周囲は戦慄す。
 だがこの場にナザクはいなかった。時を与える配慮は、全ての者が暗黙に。
 暫しの時が経ち――、
 いつも以上に、とぼけた顔のナザクがやって来た。
「よし、ナザきゅんがコサックダンスをするぞ。みんなで見ながら奢りで高い肉を食べよう」
「死んでも踊らん。代わりに千梨に踊ってもらえ」
「仰せの儘に。踊ってやるよ、ナザク」
 千梨とシャルフィンがヘイホーヘイホー踊り出す。環はパシャパシャ激写する。なんてカオス。
 レカはそれら全てを意に介さず、
「どうぞ」
 ソッとナザクに椀を出した。
「すまない」
 ああ……温かいな。
 口に含んだジンギスカンの味は、この先忘れることが無いような気がした。
 向こうではヴィルフレッドが『肉野菜肉肉~!』とハムスターのようにモシャついている。『俺も負けてられないぜ!』ラルバは本当にノリがいいなぁ。『やたー! 奢りですよー!』あれ? 環さん? 瞬間移動した?
 Emotionの面々も、紫狼とハニーを交え歓談モード。あ、目線があった。お互い薄っすら手を上げる。
 かごめは……口に手を当てながら、申し訳なさそうに立っていた。
「晩御飯奢ってと冗談のつもりで言いましたが、ここまでおおごとになるとは。その、ごめんなさいね」
「いや、悪いのは全部あの男だから、気にしなくていい」
「そう? じゃあ、私はデザートに甘味がいいな」
「え?」
「え?」
 気がつけば、林檎印のケーキが置かれている。これ絶対予算オーバーするやつ。
 ナザクは思わず天を仰ぐ。が、
 ――ありがたい。
 月夜に灯る篝火と、周りに灯る仲間の想い。
 おどける者も、労る者も。それ全て、等しくナザクへの想いによるもの。

 ちょんちょん。
 不意に、背後から肩をつつかれた。
 促されるままに、席を立つ。
 月明かりに照らされて、まばらになった雪の上をシャクシャク歩く。
 辿り着いた先は、リリーが潰えた場所だった。
 友が指差す雪の上。そこには、
 朧な光に照らされて、白い羽根が佇んでいた。
「――消えないで、いてくれたのか……」
 震える手で、壊れぬようにと。大事に大事にすくい上げる。
「忘れない。忘れたりなんかしない……千鶴さん」

 誰かが言った言葉。『生まれた時は誰もが泣いている。ただ愛によって、人は笑顔を覚える』。
 雨に濡れ続けた男が、今は笑顔に包まれている。男が手にしたもの。それは、きっと――。

作者:ハッピーエンド 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2019年5月19日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 1/感動した 5/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 3
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