愛されしもの

作者:黒塚婁

●眠れる花
 早朝――否、まだ明ける前の薄暗がりを歩く男がひとり。
 彼は確かにそこにいるのに、足音はおろか、布擦れの音も殆どたたぬ。
 幸いそれは深夜の寺院のこと、幽鬼の類いかと怖じ気づくものもあらず。
 ただ静かに、男――藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)は歩む。気配を殺すことに意図はない。或いは、無意識に根付いた癖のようなものやもしれぬ。
 とはいえ、目指す先に――良くも悪くも――待ち人はいない。
 ただ広い池があるだけだ。しかしそれこそ、彼の目的であった。
 特に名も知られぬ素朴な寺院、その鼻先に広がる大きな池――その水面を、埋め尽くすように気儘に広がった睡蓮の花々。
 静寂を纏いながら、彼は歩を進め、池を縦断する質素な木造の橋の中心に辿り着く。
 見渡す限りの睡蓮――。未だ眠った世界に緩やかに綻ぶ花々を見つめ、細い息を吐く。
 薄く横たわる宵の紗越しにも風情在る光景であるが――完全に陽が射すその瞬間の美しさを求めて、彼はやってきた。
 そこに特別な理由はない。何となく、気が向いたから――しかし、そこに見えざる何かの導きがあったのかもしれない。
「パパ……」
 この時刻に不釣り合いな、いたいけな声が耳朶を打つ。
 半身で振り返った景臣に隙は無い。レンズ越しに、揺れる黒髪と黒衣を認める。
「ねえパパ……ママ……どこ?」
 再び問うた少女の声は切なく響く。
 花に閉ざされたその視界はおそらく何も見えず。手にした一輪の百合。青ざめた肌、継ぎ接ぎの脚――。
 奇縁とするか、宿縁とするか――彼はただ、小さな嘆息を零す。
「ここにあなたのご両親はいませんよ」
 ……現世には、何処にも。
 彼はそう穏やかな声音で返すが、少女は何も聴いてはいない。否、どんな答えも、意味をもたぬ。
「どこなの……?」
 言葉と共にあふれ出す黒い涙。そこには不穏な力が渦巻く。子供の癇癪のようなそれを前に、困ったような笑みを浮かべると、瞬き一つ、表情を改め――藤を隠す眼鏡に、手をかけた。

●集うもの
「死神に縁のある男、か」
 ふと雁金・辰砂(ドラゴニアンのヘリオライダー・en0077)がひとりごつ。
 そして集ったケルベロス達を前に――こんな時間にすまないが、と前置きすると、
「藤守が死神に襲われるという予知があった」
 簡潔に告げた。
 急ぎ連絡を取ろうとしたが繋がらず、つまり一刻の猶予もない可能性がある。疾く救援に向かって欲しい――彼はそう続けるとそのまま襲撃してくる死神についての、説明に移る。
 死神の名はビラヴド――少女の姿をした死神だ。
 父と母を求めて彷徨うかのような言動は、外見よりも幼い印象を与えるが、それを裏切るような強力な力を持っている。
 戦場は寺院の一角――開戦時は池の上の橋。池の両端を繋ぐので距離はあるものの幅二メートルほどの木造の橋である――ケルベロスであれば、そのまま戦うことも可能だろう。移動すれば開けた場所もあるが、その判断は任せると辰砂は言う。
「人払いは不要。急ぎ救援に行き、共にビラヴドを仕留める――そういうことだな」
 レオン・ネムフィリア(オラトリオの鹵獲術士・en0022)が最後に確認すると、彼は重く頷く。
 それを確認したレオンはケルベロス達を振り返り、帽子の鍔を軽く引っ張る。
「俺も同行させてもらう。少しでも手助けになれるように、尽力しよう」


参加者
鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)
藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)
ゼレフ・スティガル(雲・e00179)
エヴァンジェリン・エトワール(白きエウリュアレ・e00968)
落内・眠堂(指切り・e01178)
シィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)
月霜・いづな(まっしぐら・e10015)

■リプレイ

●導
 黒い涙を流す少女を前にしても藤守・景臣(ウィスタリア・e00069)の在り方は変わらない。薄闇に浮かぶ睡蓮を見やり「この場所で」戦わずに済ます方法を思案する――丁度、そんな折だ。
「こんな所にいたのかい、探したよ」
 背後から響いた声音に、景臣は僅かに目を瞠る。
「寂しかったわね……こっちよ、おいで」
 続く優しい声にも、覚えがある。
 ゼレフ・スティガル(雲・e00179)とエヴァンジェリン・エトワール(白きエウリュアレ・e00968)――よく知っている彼らの声を、違うはずは無い。
 駆けつけてくれたのか、と思えど、彼らの名を呼ぶ事は憚られた。
 実際――静かに半身のみで振り返れば、唇に人差し指を当てた相棒が、薄闇越しに含みのある笑みを浮かべていた。
「パパ? ママ……?」
 少女が、惑っていたからだ。それが彼女の求めるものと認識したのか、手がかりを知るものと考えたのか。
 導く声が、続く。
「迷子なのか? ほら、あっちでお前を呼んでる人がいるぜ。連れて行ってやろうか」
 鉋原・ヒノト(駆炎陣・e00023)が案ずるように声をかければ、
「パパとママ? 向こうの人達じゃありませんか」
 シィラ・シェルヴィー(白銀令嬢・e03490)が遠くを振り返り、彼女に告げる。
「あっちに行ってみましょう?」
 誘う声音に、黒衣の少女はふらりと一歩踏み出した。
「さあさ、きっと、あちらでお待ちですの!」
 弾むような声と、身につけた鈴や下駄の音を鳴らし。つづらを担いだまま、月霜・いづな(まっしぐら・e10015)が音で導く。
「もう彷徨わなくても大丈夫。この先まで、さあ……愛するひとに会いたいのなら」
 抑揚を押さえた声音で――落内・眠堂(指切り・e01178)が囁く。
 言葉は務めて真摯に紡いだが、その表情は何処か苦々しく、視線はあらぬ方に向けられている。
 青白い裸足が、橋を蹴った。確かに少女は彼らの前を歩いて移動しているのだが、幻めいて見える不思議な存在だった。
「さあ……」
「さあ、早くおいで」
 エヴァンジェリンとゼレフの声が、再度招く。
 数多の声に導かれ、ふわふわと現実感の乏しい少女がやってくるのを出迎える形で――ガイスト・リントヴルム(宵藍・e00822)は深々と被った陣笠より覗く。
 痩せた、頼りない肢体。だが、死神として確かな実力を持っているであろうことが、近づくにつれ判る。それでいて不安げな、悲しそうな気配もまた本物である。
 ふむ、面妖な存在よ――思い目を細めるも、ガイストは身じろぎ一つせず、静かに少女の到着を待つ。彼の研ぎ澄まされていく闘気を感じつつ、レオン・ネムフィリア(オラトリオの鹵獲術士・en0022)は瞑目する。
「死神を導くケルベロス、か……不思議な光景だ」
 奇妙な死出の門出か、ぽつりと零した。

●慨嘆
「かげさま……!」
「景臣……! 間に合って良かった!」
 景臣の姿を認めると、矢も楯もたまらず、といった体で、いづなとヒノトが競うように駆け寄ってくる。
 常と変わらぬ微笑みを湛え、景臣は二人に大丈夫だとゆっくり頷いてみせる。
「こんな時分に散歩でもしておったのか? 最近何かと物騒だ。気を付けられよ」
 陣笠を僅かに上げ、ガイストは声をかけた。
 我が駆けつけたのが、いささか意外であろうが――彼は短く、その経緯を明かす。空色の髪の娘から「わたくしの大切な人を守ってほしい」と託されたのだ、と。
「故に、縁あって助太刀致す」
 景臣は淡い微笑みを浮かべる少女の姿を思い出し、目を細め――そんな彼の横に、薄宵を纏うゼレフが並ぶ。
「やあ、人気者は辛いね?」
 開口一番の軽口に嘆息したが、心は温かなものに満たされている。
 駆けつけてくれた皆へと視線を巡らせる最中――キソラ・ライゼ(空の破片・e02771)と目が合えば、彼は片目を瞑って返してきた。
 そしてすぐ傍に居る――今にも仕掛けようという機において尚、ゆったりと構えた掴み所の無い相棒の有様が、これ以上も無く心強い。
(「独りじゃないのが、こんなにも――」)
 だが、気は抜かぬ。瞬き一つ、藤色の眸が虚空を仰ぐ死神を見つめる。
「……パパ、ママ……いないの……?」
 少女――ビラウドの悲しみに満ちた声が響く。
 頬を伝う一筋の雫は、気付けばその足元に影よりも深い闇を広げている。そこから冥き力が腕を伸ばし、ケルベロス達へと掴みかかる。
 景臣を、仲間を守るべく遮るは淡い金糸。
「……寂しいのね。けれど、ゴメンね……その人を、傷つけさせない」
 エヴァンジェリンの声が凛と響く。言葉のみではない。彼女は臆さず、銀の槍を構えてそれに応える。
 他ならぬ景臣も直刃の一振りをもって、すがりつくような影の形を払い落とす――この形は、彼女の願いの表れなのだろうか。
「おっと、あまり相棒を苛めないでくれよ」
 涼しい顔して割と繊細なんだ。
 銀の装甲を纏い、ゼレフがその視界を遮るように大仰に仕掛ける。
 飄然とした言動の延長の先にある労りと配慮に、景臣は困ったような笑みを浮かべ――雷纏う刃で彼と入れ替わるように刺突を繰る。
 その剣技の冴えに鈍りは無い。だが、眠堂はその心を思う。ゼレフの言う通り、彼女は彼の抱える痛みを刺激する存在であろうから。
 ――お前が親御を愛するように、こちらにも譲れないものがある。
「髄を射よ、三連矢。」
 ビラウドを揺るがす一陣の風――放たれた三つの矢は真っ直ぐに彼女を捉え。
 銀の拳と雷の霊気が裂いた黒衣の肩口を続けて射貫く。
 たすけてパパ、ママ――そんな言葉を少女は繰り返した。彼女の両親を求める声に嘘は感じられない――そして、その心は痛いほど理解できる――ヒノトは、軽く頭を振る。
「父さんも母さんも傍にいないのは、辛いよな……でも!」
 彼は振り切るように声をあげると、獣と化した四肢でビラウドへと躍りかかる。
 瞬く間に距離を詰める軽やかな身のこなし――にも関わらず、速度を乗せた打撃は重い。
 彼女は僅かに身を伏せ、両手で白百合を握りしめるようにして耐えた。その姿は無力な存在が選ぶ防御姿勢そのものであった。
 既に地を蹴っていたガイストの脳裡に、不意に幼き頃の娘の姿が脳裡に浮かぶ――細めた金眼の奥、浮かんだ感情は誰にも報せず。ただ、体勢を入れ替えて、鋭く脚を払った。
 傷つけることを躊躇ったわけではないゆえに、電光石火の襲撃はビラウドの守りを容赦なく崩す。
 更に飛び込んだのは和箪笥型のミミック――つづらがエクトプラズムで作り出した武器を振るう後ろ、いづなは鎖を手繰り、光る陣を張る。
「……おさびしそうで、ございますね」
 いづなの言葉に、シィラは灰色の瞳を微かに伏せる。
「そんなにも……愛おしいものなのですね」
 父母の愛を自分は識らぬけれど、彼女が悲痛に嘆いていることは判る。
 それでも彼女の振るう刃は冷徹に空を斬り、地に守護星座を刻みつけた。
 ヒールドローンを放って、エヴァンジェリンは静かに頷く。仮に肉親の愛を知らなくとも――護りたい温もり、これを失ってしまったらと思うと。その辛さは理解できる――けれど。
「必ず、守ってみせる――アタシの、守り手としての、矜持にかけて」

●光
「エヴァさん――」
「大丈夫、任せて」
 次の攻撃を察し、案ずる声に応え、戦乙女は凛と構える。ビラウドの影から真っ直ぐに桔梗の花が道を作り、エヴァンジェリンと結ぶ。
 彼女もまた、稲妻を帯びた鋒で迎え撃つ。絡み取ろうとする紫紺の幻影と、打ち破る閃光が交差する――だが威力を殺しながらも銀の矛を伝い、腕へと至り、花々が彼女を蝕もうと進む。
「天つ風、清ら風、吹き祓え、言祝げ、花を結べ――!」
 朗々といづなが奉じた祝詞は、凉し清風を喚び、舞い散る切幣は花弁の如く。邪なる花を、白で祓う。
 握りを確かめつつ、眠堂がエクスカリバールを振るう――慣れぬ武器にいささか慎重な動作であったが、狙いは確かに、ビラウドの袖を斬り裂く。
 肩を狙って振り下ろしたところを、自身を庇うように手をあげたからだ。
「修行の成果を見せてやるぜ!」
 隙だらけの彼女へ、ヒノトは自身のエネルギーより生成した紫電を帯びた閃光槍を手に、駆った。
 がら空きの胴へと真っ直ぐに繰れば、小さな悲鳴を上げて後退る。
 斬撃も打撃も魔法も、纏う闇が彼女を守り――そして、そのためか彼女はどうやら苦痛は殆ど感じないらしい。
 然し、怯えながら放たれる彼女の攻撃は、当人の弱々しさが嘘のように凶悪であった。
 移動して正解でした――シィラは思う。先程広がった黒い涙の力は、周囲に薄く霜を残している。あの場所で戦っていれば、恐らく睡蓮を無事守り抜くことはできなかっただろう。
 そんなことを頭の隅で考えつつ――レオンの展開したオーロラの下、彼女は軽やかに舞う。踵が奏でるリズムに合わせ、色鮮やかな花のオーラを咲かせる。戦場であることを忘れ、華やかな舞台のように。
 身を蝕んでいた氷の呪いが融けていくのを感じながら、ガイストが雷の霊気纏うガントレットを振るう。神速の突きには迷いはない。
 この少女は一人前の死神である――拳を交え、改めて、理解したからだ。
 景臣が此花の柄を少女へと差し向ければ、藤の花が腕を伸ばし。それを辿るように駆けたゼレフが、ナイフをすっと滑らせ、肉ごと呪いを深く刻み込む。
「さあドウゾ、」
 キソラの指先が静かに少女を指し示す。滴る、禍濫ノ疵雨――傷を癒やすことを許さぬ小雨に濡れながらも、ビラウドは怯え嘆く。ぎゅっと白百合を胸に抱く。
「させません……!」
 咄嗟、いづなが縛霊手より紙兵を撒く――彼女には、あの白百合が、景臣を苦しめているように見えたから。
 戦場にひらひらと舞う護符の向こう、ガイストがそれを割りながら、疾風となる。
 前に差し出した輝く左手で死神を引き寄せ、漆黒の右手にて屠る――加速を乗せた打撃は強かに、それの腹を打つ。強烈な衝撃に弾かれた先、驚いたように身を竦ませるところへ、
「アカ、頼む!」
 ヒノトが相棒を射出した。高まった魔力を纏い、アカはビラウドに飛びかかる。
 魔力で呪いの深度を増して、縛り、攻撃の機会を奪う――そうなれば、戦場の最中で震えるちっぽけな少女のようにしか見えぬ。
 ならば、はやく眠らせてやれるように。眠堂は杖の魔力を解放しながら、真摯な言葉を投げる。
「必ず親御前のもとへ連れてゆく」
 嘘を吐くのが下手で苦手ならば、それをせめて別の形で叶えよう。
 何より、景臣へちらりと視線を投げる。
「手にかけることの重さをお前だけに背負わせたくはないから」
 強い意志の下、魔法の矢を放つ。
 枝葉に別れつつ死神の元へと収束していく――彼女が纏う闇が薄くなっていると見出したのは、エヴァンジェリンの花緑青の瞳。
「幕引きの為の道を、作りましょう」
 愛する人の為、守るべきものの為――彼女は銀を携え、駆る。
 駆ける間、視線も姿勢も揺るがず、真っ直ぐにビラウドを見つめ、儘、一筋の光となる。
 何もかもが、一掃されるような輝きの軌跡が奔り――死神は膝を折る。項垂れて座り込む膝を汚すは、他ならぬ彼女の涙。
「貴女の涙を拭ってくれた方が、かつては居たのでしょうか」
 裡に秘める不可解も、覆い隠す淡い微笑みは人形のように美しく。すっと腕をあげる。
「カーテンコールは、お気に召すまま」
 テディベアと手を取り、シィラがゆっくりとステップを踏む。くるくると戯れながら――促すような視線と共に洗練された舞いを、景臣へ送る。重ね、いづながエネルギー光球を向けた。
「……いってらっしゃいませ。わたくしも、ここにおりまする」
 そして、静かに涙するビラウドへ、微笑みを向ける。
「きっと次に目をあけたときは、とうさまがいらっしゃいます」
 全身に力が漲るのを感じ、景臣はそっと息を吐く。その視界で穏やかに微笑を浮かべた相棒が、焔揺蕩う刃を片手に、招くように、腕を広げた。
「独りで背負うことはない。一緒に送ってやろう」
 逃がさない――。
 いつもの囁きが終わるや否や、嗚咽を零すだけの少女へ、ゼレフは容赦なく刃を突き立てる。
 景臣は眩しいものを視るように目を細めて、生じた焔の揺らめきを見た。陽炎の中で変わらずに彼女は嘆いている。
 ビラウドはデウスエクスだ。例えどれほど追い込まれ、死に瀕しようと、最後の一矢が無くば、永遠にそこにある。
 そう、永遠――誰も知らぬ。彼女は、そのように作られた。
 求める両親が本当に存在するのかどうか、彼女すら識らず。ただ、そうするように刻み込まれたゆえに、親とそのぬくもりを探し彷徨う。
 誰に、何のために。
 景臣も識らぬ――考えようとすると、頭痛と共にひどいノイズが走るのだ。
 痛みを振り切るように地を蹴る。彼のため、道を作りながらも尚――彼女を討つことが、彼を苦しめる事に繋がるのでは無いかと案じる視線たち。その中でもより強く刺さる銀の眸――ゼレフの右の眸は、これをどう見つめるのであろうか――ふと、思う。
 死神の前に立ち、右に握る此咲の柄の先に左手を添え、高く振り上げる。無造作でいて、研ぎ澄まされた一挙。
 僕には彼女を救えない。出来るのは楽にする事だけ――。
 返した銀がきらめく。死神のか細い頸へ、滑らかに刃を滑らせながら、
「――もう、悲しまなくて良いんだよ」
 限りなく優しい声音でささめく。
 刃に踊る紅蓮が彼女の瞼を閉ざす花を灼き、手にしていた白き花が散る。
 涙と同じ、黒い血液が飛沫とあがり、彼女は崩れ落ち――何も持たぬ細い指が、天を指す。
 ねえ、あっち、かな――再度ケルベロス達に問いかける。喉を斬ったのだ、人であれば叶わぬであろうが。彼女は確りと、こう告げた。
「おしえてくれて……ありがとう……」
 少女は花が綻ぶような微笑みを浮かべた、と思った瞬間――黒い砂のように崩れていき――形を失って、消えていった。

●目覚め
 再び橋の上――眼鏡をかけ直した景臣へ、ガイストが声を掛ける。
「十字架は一人で背負うものではない。沢山抱えすぎては何時の日か潰れてしまう――そうならぬ為に其方の背を支えてくれる者たちが居る。今此処に来れずとも、其方の安否を祈っている者たちが居る」
 言って、陣笠で視線を隠す。
 助太刀の礼を告げれば、それはあの娘に言ってやるといい、と彼は笑って離れた――見出した良い場所があるらしい。
 そして、未だ夜明けを迎えぬ睡蓮を見つめながら、景臣は黒衣の少女の姿を思い描く。
 彼女が携えた百合――過る白花の死神。
 知らず、眉間に皺が寄る。
 お疲れという一言と共に、軽く肩を叩かれ――それは自然と解かれた。
 横に並んだゼレフは睡蓮へと視線を送りながら、静かに零す。
「死神の心は解らないけれど。君を慕ってきたのなら、案外、寂しかっただけなのかも」
 悟られていたかと――否、訊かれれば答えたが――先回りされたシンプルな一言に、瞬きをひとつ、彼はゆっくりと俯く。
「寂しかった、ですか……そうですね。寂しいのは、辛いです」
 酷い頭痛は相変わらず、苛むけれど――君が居てくれるだけで救われる気がした。
 戦場でも、今この瞬間も。
 余計な事を言わず睡蓮を見ている相棒の横顔に、そうだ、と思い出し、
「……この景色を貴方と見たかった」
 ひっそり耳打ちすれば、
「……次は、最初から誘ってよ」
 苦言かと思えば、何処か拗ねたような色を持つ言葉に、今度こそ心からの明るい笑みを返すのだった。

 やがて黄金の一矢が届く――夏の夜明けは眩く、薄闇が逃げるように凝る。
 しかし照らされた水面で無数の睡蓮が輝き出す様は、現世と隔絶された世界にも似て。
 綺麗だな、レオンは素直にそう零す。
 その光景に、眠堂が柔らかな表情を向け、
「どうか安らかに旅立てますよう」
 杖から戻したオコジョを肩で遊ばせながら、一言、祈る。無意識に頷き――エヴァンジェリンはそっと星籠のヒンメリを手に、祈る。
(「親を探す姿、寂しさ、わからないわけじゃない……」)
 例え死神でも、その魂を送ってやりたい――静謐に祈る姿は聖女の如く。
 くわ、とキソラが欠伸をかみ殺すのを横目に――睡蓮に勝るとも劣らぬ美しい友人の姿にシィラそっと息を吐く。
「誰かに愛された事があるのは……少しだけ羨ましい、ような」
 テディベアを腕に、ぽつり、零す。
 彼女が自分に下す価値観は、いずれ変わるだろうか。揺るがぬ根幹が――今は未だ、不定の儘。

 睡蓮を見つめる景臣の近くにやってきたヒノトはそっと彼の手をとって、傷を癒やしながら――躊躇いがちに、問いかけた。
「……きっと今頃、両親に会えてる。そう信じてもいいよな?」
 景臣が答えるよりも先に、つづらを抱えたいづなが、もちろんですとも、と微笑む――たくさんの神話を持つ花ですから。
「きっと、あの方にも、やさしい水辺をおしえて下さいますの」
 皆の優しさが、死神にも向かうこと――それが我が事のように誇らしく、景臣は自然と微笑んでいた。
「……ええ、そうですね。こんなに沢山の睡蓮達と一緒ならば、きっと、彼女も寂しくない筈」
 彼に軽く頭を撫ぜられて、嬉しそうに彼女は尻尾を揺らす。
「おやすみなさい、お花といっしょに」
 少女へ祈りを手向けながら、同時に願う。
 どうか、こよい、かげさまのねむりも、やさしくありますよう――。

作者:黒塚婁 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年9月5日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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