水飛沫とともに現れる

作者:一条もえる

 夏休みも残り少なくなったが、解放された小学校のプールは多くの児童で賑わっていた。
 今年の夏は暑すぎた。プールさえ中止になるほどの暑さだった。朝夕に涼気を感じ始めた今の方が、むしろプールで遊ぶにはちょうどいい。
 1コースのすみで、少年たちが同級生の少女を指さす。
「おい、レナの奴見てみろよ! オッパイでけー!」
「ほんとだ。でけー!」
「ちょっとユタカ、シンジ! エロい目でこっち見んな!」
 友人を庇うようにして、小柄な少女が立ちはだかった。さすがにバツが悪かった少年たちだったが、
「うっせー! エロいのはレナだろ」
「そうそう、少なくともミヤコのペッタン胸はエロくも何ともない」
 と、照れ隠しに言い返す。
「ううう……」
「何だとこの野郎!」
 からかわれた少女が肩まで水に浸かり、対して小柄な少女が激高してつかみかかろうとする。
 そのとき。
 校舎の屋上から何者かが、プールに飛び込んできた。その巨体と勢いのせいで、盛大に立ち上った水柱は2階にも達した。
「ぬ……? 思ったよりも浅かったな」
 水を滴らせて立ち上がった男は、身の丈3メートル。白い鎧を身につけた、エインヘリアル!
「ぬひひ、愛らしい娘どもが掬えるほどいるではないか」
 と、舌なめずりをする。
「ミヤコ、逃げろ!」
「レナ!」
 ふたりの少年が水をかき分け、それぞれの少女の手を取ってプールの縁をよじ登ろうとする。
 しかし、
「俺の獲物を奪っていこうとは、不届きなガキどもめ!」
 エインヘリアルは無造作に、手の甲を払った。それだけでふたりの少年は吹き飛ばされて、プールの縁に額を打ち付けて流血し、昏倒した。
「シンジくん!」
「ユタカ!」
「おっと……安心しろ。あいつらはすぐにとどめを刺してやる。お前たちも……存分にいたぶって楽しんだあと、苦しんで苦しんで逝かせてやるからな」
 ふたりの少女を骨が軋むほどに抱きすくめ、エインヘリアルは気色の悪い笑みを浮かべた。

「小学校のプールを狙うって……それ……」
 事件のあらましを聞いたココ・チロル(箒星・e41772)が、言い掛けた言葉を飲み込んだ。
「まぁ、どういう事情で刑を受けてたか、なんとなくわかる感じよね」
 苦笑ともいえない微妙な表情を浮かべて、崎須賀・凛(ハラヘリオライダー・en0205)は肩をすくめた。
「そのエインヘリアルの名前は、『無垢なるイェリク』っていうみたい。
 使い捨ての戦力として、アスガルドから放たれたみたいね。どうせ永久コギトエルゴスムの刑にしてるんなら、たとえみんなに倒されることになっても損はしないって理屈かしら」
 凛は、皆にも涼しげなガラスの皿に盛った半球型の水羊羹を差し出しながら、自分の羊羹に木匙を刺す。
「なんて迷惑な……」
「そうね。でも、そうやって人々を苦しめれば、恐怖と憎悪がエインヘリアルの定命化を遅らせることができるわけだから」
 敵の側からすれば、実に『効果的な作戦』というわけだ。
 苦笑いとともに凛は、大量の細竹を卓上に置いた。その節に針を突き刺すと、中から青竹の香り豊かな羊羹が、ツルリと出てくる。
「凶悪な敵だから、気をつけてね。帰るところもない相手だから、たとえどれほど傷ついたとしても、決して退いたりはしないから」
「……すこし、哀れですね」
 細竹を受け取りながら、ココが眉を寄せた。
「そうねー。でも、同情の余地はないかなぁ。やってることを考えるとね」
 凛は黒文字で羊羹を切り、テンポよく次々と口へ運んでいく。あっと言う間に1本が空になった。
 しかし、その脇には竹筒が10本は積まれている。
「開放日のプールだから、遊んでる子たちも20人以上はいると思う。それに、監視の父兄ね。犠牲が出ないように、頑張って欲しいの。
 急いで向かうけれど……時間が厳しいかな。敵がプールに飛び込んでくるまでに到着するのは難しそう。
 いざ戦いが始まれば、敵は子供たちのことを気にかけてる余裕なんてなくなると思うけど……。
 とにかく早く、その子たちを逃がしてあげて」
 すべての竹筒を空にした凛は、席を立つ。

「わかりました。急ぎましょう。
 野放しにするには、危険すぎる相手です」
 ココはそう言って、一房だけ色の違う前髪を指で払った。


参加者
暁星・輝凛(獅子座の星剣騎士・e00443)
リナリア・リーヴィス(クラウンウィッチ・e01958)
鎧塚・纏(アンフィットエモーション・e03001)
眞山・弘幸(業火拳乱・e03070)
英・揺漓(花絲游・e08789)
イズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)
ルチル・アルコル(天の瞳・e33675)
エリアス・アンカー(ひだまりの防人・e50581)

■リプレイ

●水飛沫
「ミヤコ、逃げろ!」
「レナ!」
「俺の獲物を奪っていこうとは、不届きなガキどもめ!」
「シンジくん!」
「ユタカ!」
 プールの縁に額を打ち付けた少年たちを目の当たりにして、少女たちは悲痛な声を上げた。
 ほっそりとした腰、そして豊かな双乳にそれぞれの手を回して、エインヘリアルは気色の悪い笑みを浮かべた。
「お前たちも……存分にいたぶって楽しんだあと、苦しんで苦しんで逝かせてやるからな」
 加減を知らない力に、骨が軋む。ミヤコは絶望に打ちひしがれた目で、そしてレナは怒りに燃える目でイェリクを見つめる。
 どちらにせよ、彼女たちの命運は決まったようなもの……。
「冗談じゃ、ないよ!」
 上空から可憐で、そして力強い声が響く。
 光の翼をいっぱいに開いて急降下してきたイズナ・シュペルリング(黄金の林檎の管理人・e25083)は、
「緋の花開く。光の蝶」
 手のひらをそっと開いて、緋色の蝶を解き放つ。
「ぬ……!」
 幻想的に舞う蝶が敵を押し包んだが、イェリクはすぐに我に返り、
「邪魔するか、ケルベロスどもめ!」
 と、罵声を浴びせた。
「するさ! 子供に……なんてことをするんだよ!」
 暁星・輝凛(獅子座の星剣騎士・e00443)は怒声とともに、構えをとる。
 他のケルベロスたちも後に続いて、プールに入ってきた。
 色とりどりの爆発が、彼らの背後で起こる。
 リナリア・リーヴィス(クラウンウィッチ・e01958)は、
「勘弁してよね。小学校のプールなんて、のどかな光景というか、平和の象徴みたいなものでしょ?」
 と、眼鏡をかけながらため息をついた。
 ルチル・アルコル(天の瞳・e33675)が輝凛の動きに応じ、プールサイドのコンクリートを蹴って跳躍した。
「気に入ったぞ、少年たち。手を貸してやろう。
 ……いくぞ、キリン!」
「絶対、許さないからな!」
 輝凛が放った氷結の螺旋が白い鎧を凍てつかせ、天空から虹を纏って急降下してきたルチルの蹴りが、こめかみに命中する。
 敵はよろめき、
「この、女ぁ……!」
 ルチルに怒りの目を向けた。
 その隙にイズナと、そして鎧塚・纏(アンフィットエモーション・e03001)が敵中に飛び込んだ。
 狙いはイェリクではない。その腕を蹴り飛ばし、そこに捕らわれた少女たちの手を引っ張って奪回する。
「おのれッ!」
 敵はすぐさま手を伸ばし、邪魔立てする憎きケルベロスを打ち落とそうとした。
「この、人攫いめ!」
「どっちが……。
 どこにでもいるんだな、ロリコン野郎ってのは」
 眞山・弘幸(業火拳乱・e03070)は心底あきれ果てたといった様子で、顔をしかめる。
「ここまでとなるとな……」
 他人の趣味嗜好にとやかく言うつもりはもともとないのだが。さすがに限度というものがある。
 英・揺漓(花絲游・e08789)も、渋面を作って敵を睨む。
 なんにせよ、このエインヘリアルをプールから出すわけにはいかない。揺漓のケルベロスチェインが空を切り裂いて飛ぶ。
 しかし敵は、太い鎖に腕をからめ取られながらも、それを引きずりながら襲いかかってきた。
「俺の邪魔をするな!」
 激高したイェリクの、音速を超える拳が弘幸に襲いかかったが、
「さぁて」
 その手元で、如意棒がぐん、と伸びる。
「ぬおッ!」
 如意棒とオーラとが真正面から激しく衝突し、弾かれた両者は互いに吹き飛ばされ、よろめいた。
「性格はどうあれ、さすがだな」
 と、弘幸が笑う。
「なんて力だ」
 揺漓は舌打ちして、鎖を収めた。
「それでも、行かせないよ!」
「逃がさないわよ、クソ変態野郎」
 水の中に尻餅をついたイェリクに向かって、輝凛の蹴りが炎となり、そしてリナリアの圧縮したエクトプラズムが巨大な霊弾となって襲いかかった。
 敵はそれを喰らいながらも進もうとしたが。
「幼い子を、いじめるんじゃない」
 リナリアが敵の前に立ちはだかる。
「はぁ……さすがの私も、頭にくるね」
「頭にきたが、どうした!」
「面倒くさい問答はしないよ。クソ変態野郎をぶちのめしてやるだけよ」
 リナリアが応じている間に、纏はレナを抱き抱え……といっても身長に大差はないが……飛び上がった。
「きゃ……!」
「だぁいじょうぶ! お姉さんたちケルベロスがやってきたからね。
 さぁ、飛ぶわよ!」
 大きなタオルで体を包んでやると、抱き抱えたまま翼を広げてプールのフェンスを飛び越える。
 最近の子は肉付きいいのね、とか思いながら。
 同じく、イズナもミヤコを抱き抱えて飛ぶ。ぎゅっとしがみついてくるミヤコの頭を、
「もう大丈夫だよ♪」
 と、撫でた。
「イズナちゃん、このまま安全なところまで!」
「うん」
「でも、シンジくんが……それにユタカくんも!」
「心配いらないわ。あなたたちの王子様も、きちんと仲間が助けるから」
 と、纏は視線を巡らせた。
「あぁ。任せろ!」
 エリアス・アンカー(ひだまりの防人・e50581)はざんぶとプールに飛び込むと、中からプールの縁で昏倒した少年たちを押し上げる。
「うぅ……レナ」
「ミヤコ……!」
「はは、そんなになってまで心配か。なかなか根性が座ってるじゃないか。
 心配するな、ダチは必ず助ける。……いや、単なる『ダチ』じゃないのかな?」
 ニヤリと笑ったエリアスは、ふたりを小脇に抱えて地面を蹴った。
「余所見をしている場合か?」
 ルチルが少女たちを追おうとするイェリクの正面に立ちはだかると、敵は血走った目を向けてきた。それを睨み返し、
「泥沼の安寧、融け落ちて、沈む快楽に耽るがいい」
 するとイェリクの視界には、猛烈な虚脱感、そして多幸感に襲われる空間が焼き付いた。
 しかし、鈍い痺れに捕らわれながらも、敵はさらに一歩、水飛沫をあげながら間合いを詰めてきた。
「ぬひひッ!」
「ぐッ……!」
 音速の拳がルチルの腹を貫く。その身体はくの字になったまま吹き飛ばされ、飛び込み台に叩きつけられた。

●守るべきもの
「ぬひひッ! 人の楽しみを邪魔するから、そうなる!」
「楽しみだ? 変態野郎には、さっさと退場願いたいな」
 鼻で笑った弘幸は跳躍し、イェリクに向けて突進した。
 敵の放ったオーラの弾丸が肩口に喰らいつき、鮮血がプールを汚したが、
「いい足場が、あるじゃねぇか」
 踏み込んできた敵の膝を蹴って飛び上がり、血走った目の血管が見えるほどの距離に至る。
「避けられるもんなら……避けてみな」
 弘幸の左足が地獄の業火を纏って、イェリクの脇腹に襲いかかった。
「ぐおおッ!」
「続かせてもらおう」
 揺漓が腰を落とし、拳を構える。
「……花と散れ」
 揺漓が繰り出す、六連の拳。オーラを纏ったそれは竜の爪のごとく、敵に襲いかかる。敵の脇腹を包んでいた炎がバッと、全身に広がった。
「どいつもこいつも……全身の骨を砕いて皆殺しにしてやる!」
 イェリクのオーラが燃え上がり、全身を包んでいた炎がかき消えた。敵はさらに戦意を旺盛にして、鬼のような形相で襲いかかってきた。
 その突進を食い止めるのは、さすがのケルベロスたちであっても大変に困難なことだったが。
「未来に花綻ぶ蕾を刈り取ろうなんて、無粋よねぇ。
 あなたの好みじゃあないかもしれないけれど……ねぇ、わたしとも遊んでくださらない?」
 フェンスを飛び越えて姿を見せた纏の掌から、ドラゴンの幻影が浮かび上がる。それは大きく口を開いて、敵の顔面めがけて炎を叩きつけた。再び、敵が炎に包まれる。
「ぐおおッ!」
「おまたせ! 遅くなってごめんね!」
 皆にウインクしてみせたイズナのケルベロスチェインが伸びる。一重二重と、敵の身体に絡みついてがんじがらめに動きを封じていく。
「もう、あの子たちは大丈夫! ちゃんと避難できたから」
 イズナは笑顔で、ピースサインを作った。
「待たせた分、これから頑張るからね!」
「怪我したふたりも、問題ない。傷はふさいだし、意識もはっきりしているぜ」
 エリアスはルチルを助け起こして傷を癒やしながら、
「てめぇ如きに鬼ヶ城が崩せるか?」
 と、イェリクを睨む。
「プールに入る前には準備運動がいるんだぜ? それを守れない悪い見本には、退場してもらおうか。
 なぁ、みんな?」
 エリアスが振り返った仲間たちの背後で、色とりどりの爆発が起こった。
「うん! 子供を人質にしたり怪我をさせたり……許さないんだから!」
 イズナが力強く頷いた。再び、緋色の蝶が敵に襲いかかる。
「ヒトの未来を摘むお前の性癖には、怖気がする」
 傷の塞がったルチルは、揺漓と揃って、理力を込めた星形のオーラを敵めがけて蹴り込んだ。イェリクの白い鎧にヒビが入り、砕ける。
 自分たちは負けるわけにはいかないのだ。勇気をみせた少年たちの思いに、
「応えたいからな」
 と、揺漓はプールの外へちらりと視線を送った。
「無力だってことは十分わかっていただろうに……若さってのは、すげぇよな」
 決して皮肉ではなく、弘幸が口の端を持ち上げる。
「行けッ!」
「おう」
 エリアスが両手を組み、そこを弘幸が踏む。空高く跳ね上げて一気に間合いを詰め、放たれた電光石火の蹴り。それは敵の、砕けた鎧の隙間を狙って放たれた。
 ところが。
「ぬひひッ!」
 イェリクはその狙いを悟っていた。蹴り足を掴み、逆の拳を繰り出してプールの底に叩きつけた。水柱があがる。
「ごぼ……」
「死ねッ!」
「ぷは……そう簡単には、死ねねぇなぁ」
 起き上がった弘幸は、口の端を持ち上げて嘯いた。
 そこに迫る、必殺の拳。
「とにかく守りまくれ! 飛んで跳ねて、とにかく守りなさいッ!」
 リナリアが、自らのミミック『椅子』を投げつけた。敵の拳は、それに阻まれる。
 リナリアは、その横を駆け抜けた。オウガメタルが蠢き、鋼の鬼と化してイェリクの胸当てを貫く。
 さらには、プールサイドを蹴って跳んだ輝凛はミミックを踏みつけるようにして向きを変え、イェリクに迫る。
「えぇッ? いいの?」
 恐る恐る問うてくる纏に、ルチルのミミック『ルービィ』は「どうぞ」とばかりに前に出てきた。それを足場にして、纏はさらに高く跳び上がる。
「ルチルちゃんが体を張って、食い止めてくれたんだから……!」
 彼女の努力を、わたしは知っている。知っているから、任せられる。知っているから、放っておけない。
「いくよ、輝凛ちゃん!」
「うん。僕たちに限界なんて……ないッ!」
 纏の『時空凍結弾』が、上空から襲いかかる。
 敵は、続いて迫ってくる輝凛の攻撃を防ごうとした。
「お前が傷つけ、怖がらせた子たちの痛み……獅子座の牙で、刻み込むッ!」
 しかし、グラビティの光と化した輝凛は『金色の極限』を越えた速さで、金色の光刃を叩き込んだ。
「がぁ……ッ!」
 続けざまの攻撃で、イェリクの全身は刃のような氷に包まれ、皮膚が破れて骨が裂け、プールをあっという間に真っ赤に染めていく。
 叩きつけられた衝撃でプールの底には大きな亀裂が入り、そこから水が渦を巻いて流れ出ていく。
「あの攻撃を喰らえばさすがに……」
 と、エリアスはプールの底で膝をついたイェリクをのぞき込むが。
「こ、の、程度ぉ~!」
 白い鎧が斑模様に赤く染まっている。それでも敵は起きあがって、オーラを燃え上がらせた。再び戦う力を蘇らせ、
「殺す! ケルベロスも小娘も、皆殺しにしてやる!」
 と、犬歯を剥き出しにして叫んだ。
 エリアスは思わず、目を丸くした。
「……しぶとい奴だ。長丁場になりそうだな」
 顰めっ面でぼやきながらも、エリアスの口には不敵な笑みが浮かぶ。
 彼が予言したとおり、敵は傷つきながらも戦意を失わず、拳を、オーラを叩きつけてきた。
 しかしケルベロスたちも、水の退いたプール内にも踏み込んで、敵に攻撃を浴びせていく。
「やぁッ!」
 槍を小脇に抱えたイズナが、突進した。稲妻を帯びた穂先からの衝撃が、敵の全身を駆けめぐる。
 直後、その身体が突然燃え上がった。
 ルチルの武器に装着されているのは、『人体自然発火装置』。
 そして弘幸の左足から、再び地獄の業火が襲いかかった。
「燃やし尽くしてあげる」
 死角から放たれたリナリアの刃が、イェリクの胴を払った。燃え盛っていた炎がバッと散らばり、さらなる炎で敵を包んでいく。
「ぐおおッ!」
「いたぶられるのは、楽しいか? 苦しんで苦しんで、死の間際にお前は楽しいか?
 ……愉快なものだ」
 ルチルは、言葉とは裏腹に温度を全く感じさせない瞳で、悶えるエインヘリアルを見上げた。
「ぐおおおおおッ!」
 だが、それは敵の耳に届いたか、どうか。
 敵は悲鳴か、あるいは雄叫びかをあげながら、むやみやたらにオーラを叩きつけてきた。
 そのひとつを浴びて、揺漓が膝をつく。
「大丈夫か!」
 エリアスが駆け寄って傷を癒そうとしたが、揺漓は手を挙げてそれを遮る。
「甘い狙いの攻撃だ。……それよりも、手を緩めるな」
 と、揺漓は自ら鋭く声を上げて、気合いを入れ直す。
「おう。だったらやらせてもらうぜ!」
 それに後押しされる形で、エリアスはケルベロスチェインを握りしめた。
 鎖は大蛇のごとくうねりながら伸び、イェリクの巨躯を締め上げる。
「ぐぐぐ……!」
「今度こそ、終わりだ!」
「貴方のための、貴方のためだけの物語の世界。見せてあげるわ!」
 輝凛が刃を大上段に振りかぶる。呪詛の込められた刃は美しい軌跡を描き、防がんとした腕を、その腕甲ごと叩き斬った。ゴトリと音を立てて、腕がプールの底に落ちる。
 そこに吹き抜ける、薫風。それは物語の芽の香り。それに眩んだイェリクは、纏が生み出した幻想の中に飲み込まれた。
 開かれた絵本が呼び込んだのは、イェリクを水の中に引き摺り込む無数の手。
 わざとらしく、纏が両手で顔を押さえる。
「まぁ、怖い! 遙か遠くまで水に飲まれ、肝も頭も、仄暗い水底で存分に冷やしていくといいわ、あなた!」
 不可思議な世界はどこまでもイェリクを飲み込み、出口など、夢のまた夢。

 プールは瞬く間に修復されたが、その縁には彫刻が施され、石造りのようにもなり、なんというかローマの大浴場のような代物になってしまった。
「まぁ、使用に問題はなさそうだから、これはこれでいいでしょ」
 と、リナリアが肩をすくめた。
 体育館の方には、避難していた児童たちが集まっていた。すぐに、レナたちの姿も見つかる。
「今回のこと……つらい思い出にならなければいいけれど」
 ルチルは眉を寄せたが、
「シンジくん」
「レナ」
「……ありがと、ユタカ」
「……うん」
 と、少年少女たちは肩を並べて石段に腰掛け、互いの手を握りしめていた。
「心配は無用のようだな」
 揺漓が肩をすくめた。少年たちの勇気を労ってやりたいところだったが……いま出て行くのは、無粋というものだろう。

作者:一条もえる 重傷:なし
死亡:なし
暴走:なし
種類:
公開:2018年9月2日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
得票:格好よかった 6/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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